『決めていること』

   

「ポップ。この字、なんて読むの?」

 本を片手に質問するダイを、ポップは不機嫌さ丸出しの目で睨みつけた。
 読めない字や、分からない言葉にぶつかった時、ダイが質問に来るのは毎度のことだ。
ポップの方も慣れていて、仕事中でよほど忙しい時以外はできるだけ答えるようにしている。
 が、今は――。

「それぐらい、自分で調べろ」

 できるだけ、素っ気なく突き放す。
 いつもだったら、それで素直に引き下がるのだが……しかし、今日のダイはいつもとは違っていた。

「いやだよ。どうしても、ポップに教えてほしいんだ」

 一歩も引かないぞとばかりに頑として動かないダイを見て、ポップは内心溜め息をつく。ダイは、基本的にはおおらかでこだわりを持たない。

 些細なことですぐに怒ったり怒鳴ったりするポップとは対照的に、ダイは大抵のことは笑って受け流してしまう。

 ポップがからかったり、ワガママを言ったり、果ては八つ当たりしたところで、めったなことでは怒らない。

 だが――それだけに、一度怒りだすと厄介としかいいようがない。
 めったに怒らないということは、怒っている時はすなわち本気だ、ということなのだ。
 ダイの表情をそれとなく伺いながら、ポップはしぶしぶ答えを返す。

「……安静、だよ」

「へえ。なんて意味?」

「体を動かさないで安らかにしていること」

 ポップの答えを聞いて、ダイのよせられた眉はますます険しくなる。
 怒りの色を強めながら、ダイは本のページをパラパラ捲って別の字を指差した。

「じゃあ、これは?」

 指し示された文字を見て、ポップはさっき以上に顔をしかめ、そっぽを向く。
 だが、それぐらいでダイは諦めてくれない。
 一度、こうと決めたダイはひどく頑固だ。

「ねえ、教えてよ、ポップ」

「…………」

「ポップ、聞こえているんだろ? 教えてくれよ」

 ポップとて、強情さには自信がある。口の達者さで言えば、どちらかといえば口下手なダイとはそれこそ大人と子供ほどの差があるつもりだ。

 だが、他の人間と違って、ダイはポップの調子のいい口先になんかごまかされてくれない。
 正直者の勇者は、嘘やごまかしなどずばっと見抜いて、本当のことを話せとせまってくるのだから。

 ただの意地の張り合いになってしまうと、今は自分の方が分が悪いとポップは知っていた。

「療養! 意味も聞きたいなら、言ってやるよ。病気や怪我の治療をしながら休養することだよ!」

 自棄っぱちで怒鳴り返すと、ダイは深々と溜め息をついた。

「やっぱり知ってるんじゃないかー」

「おめえじゃあるまいし、知らないはずないだろ、そんな常識」

「うん、ポップは知ってるはずだよね……でもさ、それならどうして守れないんだよ、ポップ?!」

「う……っ」

 痛い点を突かれて、ポップはつい言葉につまる。

「レオナから聞いて、おれ、すごくびっくりしたんだよ! ポップが倒れたって聞いて……しかも二度も…!」

 実際にその通りなのだから、言い返しようもない。
 やっと意識が戻った今も、ベッドから起きあがるのもしんどくて、クッションにもたれかかってやっと座っている様な有様なのだから。

(くそっ、ダイにだけは言わないでくれってあんなに口止めしといたのに、あの女チクリやがったな……!)

 ポップの脳裏に浮かぶのは、見目麗しくしかし心は鬼よりも厳しいパプニカ王女の姿だった。
 ……後が恐いから、正面きっては決して言えないが。

 もちろん、今、口に出しても、隠し立てのできないダイが漏れなくバラしてしまうだろうから、やっぱり言えはしない。

「ポップ……! どうして、具合悪いのに無理ばかりするんだよ…?!」

 ダイの声が震えているのを感じて、ポップはまずいなと焦りを感じる。
 すねたり、怒っているだけなら、まだいい。
 だけど今にも泣き出しそうな顔をされると、こっちが落ち着かない。

 心配をさせたいだなんて、これっぽっちも思っていない。
 ダイの気を和らげようと、ポップはできるだけ明るく言った。

「あのよ、ダイ。姫さんが何を言ったか知らないけどよ、ホント、たいしたことないんだって。ちょっと風邪気味だったのに油断してたから、立ちくらみしたがしただけだ。倒れたなんて、大袈裟なんだよ」

 言い訳ではなく、本心からポップはそう思っている。
 あれは、運が悪かったとしか言い様がない。
 あの程度の立ちくらみなら、少し休んでいればすぐに収まる。

 だが、たまたまレオナやヒュンケルがいる目の前で起こったのが、不運だった。
 そのせいで、むりやり自室に連れ戻されるわ医者を呼ばれるわ、あげくに本人の都合や意見を無視して、一方的に絶対安静を申しつけられた。

 大丈夫だと本人が言っているのに、最初っから嘘と決めつけて一向に信じてくれないのは、仲間としていささか薄情な態度ではないだろうか?

 ポップとしてはそう思うのだが……しかし、どうやらダイの意見は親友に味方するものではなく、レオナ達に近いらしい。
 まだ、その目は怒っているし、それでいて心配そうにこちらを見つめたままだ。

「でも、その後で『アンセイ』にしているように言われたのに、なんか無理したんだろ? じゃなきゃ、倒れるわけないじゃないか」

「…………」

 図星だった。
 どうせ寝ているなら、せめて急ぎの書類くらいは手元に持ってこようと思って、こっそり出歩いたのが悪かった。

 自分で思った以上に疲れが溜まっていたのか、書類を集めている間にどんどん具合が悪くなってきた。

 仕方なく早めに戻ろうと考えたのだが、執務室から自室に戻る途中で激しく咳き込んだのを最後に、意識がぷっつり途絶えている。

 気がついたら自室のベッドの上に寝かされていて……、そして、目の前にはダイがいた――。

「ポップ〜ッ、ちゃんと聞いてる?!」

 顔を上げると、泣きそうな顔で怒っているダイが目の前にいた。

「ん? ああ、聞いてるって。で、次は何の字を聞きたいんだよ? 面会謝絶か?」

「全然、聞いてないじゃないか! いいかい、約束してくれよ、もう絶対に無茶はしないって! で、ちゃんとアンセイにキュウヨウ、とってくれよ」

「それはいいけど、おまえ、発音と使い方がちょっと変だぞ。ちゃんとその字は覚えたんだろうな?」

「ポップ!」

 怒るダイをどうはぐらかせようかと考えていたポップは、ノックと共にドアが開く音を聞いて天の助けとばかりにそっちを向く。
 が、入ってきた人物を見て、思わず目を見開いた。

「げ……っ」

 非の打ち所のない美貌に、張りついたかのような氷の微笑を浮かべたパプニカ王女。
 ……助けどころか、逆に奈落に叩き込まれかねないお相手を目にして、ポップは無意識のうちに逃げようとしたらしい。
 が、レオナはそれさえも許してはくれなかった。

「あら、ポップ君! 大丈夫? ベッドから降りようとするなんて、少しは気分がよくなったのかしら?」

「あー、ポップ、ダメだよ、ちゃんと休んでないと!」

 レオナの言葉に素早く反応して、ダイががっちりとポップの腕を掴む。

「分ぁーったよ、どこにも行かねえから手を離せっつの!」

 そう言ってもなお、じっと自分を見ている黒い目に気づき、ポップは降参とばかりに自由な方の手を軽くあげた。

「……ホントに、分かったって。もう無茶はしないし、ちゃんと安静にする。約束してやるよ、それならいいんだろ?」

「…………」

 その言葉の真偽を見定めようとするように、ダイはポップをじっと見つめる。
 しばらくそうしていたが、やっと納得したのかようやく笑顔を浮かべた。

「……うん、それならいいよ」

「ところでよ、ダイ。なんか、暖かい飲み物持ってきてくれないか。喉、乾いちまった」


「うん、分かった。待っててね、すぐ持ってくるから」

 元気良く頷くと、ダイは足音も高らかに大急ぎで走っていく。
 ダイがいなくなった途端、妙に静まり返ったように感じる部屋の中で、レオナは艶やかに微笑んだ。

「で、ポップ君。一応、聞いておいてあげるわね。何か言い分があるのかしら?」

 涼やかな声音に反する、絶対的権力者の響き。
 それはさながら、有罪確定の犯罪者の最後の言葉を聞く、裁断者の口調だった。
 顔を引きつらせつつも、ポップはとりあえず頭を下げる。

「……その…悪かったよ。ごめん」

「あら、こっちが何か言う前に反省するなんて、珍しいわね」

 いつもそうだと文句も言わなくてすむのだけど、と表情を少しばかり和らげたレオナだったが、それもポップの次の台詞を聞くまでだった。

「書類……何枚かなくしちまったみたいだ。今、数を数えたけど、合わなくって」

 申し訳なさそうに言いながら、ポップはサイドテーブルにおいてある数枚の書類を手に取った。

 クシャクシャになったり染みがついてしまったりしている書類を、恐る恐るといった様子で差し出してくる。
 その書類には一切目もくれず、ポップを睨みつけたままレオナは眉を吊り上げた。

「……やっぱり、くどくど文句を言わせてもらおうかしら? ほんっと、いつだって君は根本が分かってないのね、ポップ君! なんならメルルやマァムも呼んで、三日三晩ぐらいぶっ通しでその辺をレクチャーしてあげましょうか?!」

「い、いや、お手柔らかに頼むよ、姫さん〜。ただでさえ今、ダイにめっちゃくちゃしつこく絡まれていたんだからよ〜」

 首を竦めながらも、ポップはそれでも控え目に文句を言い返すのは忘れない。

「だいたい姫さん、人が悪いや。あれほどダイには黙っていてくれって頼んだのによ」

「何言ってるのよ、ポップ君。断っておきますけどね、あたしはなんにも言ってないわよ?
だいたいね、ダイ君に知られたくないのなら、あんな目立つ場所で倒れないでよ! 君を見つけたのは、ダイ君だったんだから」

「え? ……ダイ、だったのかよ?」

「そうよ! ダイ君、気の毒なほど驚いていたわ。真っ青になって、誰よりも心配していたのよ? ポップ君が倒れるの、初めて見たんだから無理もないけど」

「そっかぁー、なるほどな……。道理で、しつこく心配するわけだ」

 ダイに余計な心配をかけたくないと、ポップは自分の体調についてはいっさい話していなかった。
 それが、かえって裏目に出たらしい。

 少し前……ダイが行方不明の間は、倒れるのもよくあったと予備知識があれば、そうはならなかったもしれないなと、ちらりと思う。
 まあ、今となっては、完全に手遅れなのだが。

「でも……よかった。ポップ君が無事で…、ダイ君が、いつものダイ君に戻ってくれて……」

 小さな、だが深い溜め息をつくレオナを、ポップは見逃さなかった。

「なあ、姫さん。おれが気絶していた間……何か、あったのか?」

 それは、ずっとタイミングを見計らっていた質問だった。
 元はといえば、その質問をしたいがゆえに、ダイを追い払ったのだ。

 二人っきりになればレオナに厳しく文句を言われると承知の上で、絶好の盾となってくれるダイを部屋から出したのは――彼の耳を憚る話題になるかもしれないと看破したがゆえだ。

「…………まずは、君が気絶したということ自体が『何か』以上に問題なんだって、自覚して欲しいものなんだけど」

 忘れずに嫌味を言いながらも、レオナはふと真顔になった。

「…さっき……その…」

 ちらりと、揺らぎがレオナを迷わす。
 だが、彼女は心の澱みを放置したままにしておける人間ではない。
 らしくもなく言いよどんだ後、レオナは彼女らしくきっぱりと言った。

「正直に言うわ。倒れた君の側にいたダイ君を見て……恐かったわ。まるで、…バーンと戦っていた時のダイ君みたいで……あたし…一瞬とはいえ、あの時のダイ君に怯えてしまった…」

 レオナの顔に、自嘲気味な笑みが浮かぶ。
 彼女の苦悩が、ポップには手に取るように分かった。
 彼女がダイに怯えたのは、一瞬にすぎまい。

 だが、その一瞬が許せないのだろう。
 自分に厳しいパプニカの姫は、自分の中に生まれた弱さを嫌悪せずにはいられない。

 どこまでも毅然と真理を貫く正義の使徒は、他者を裁く時以上に厳しく自分を律しているのだから。

「最低ね、あたし。ダイ君の一番の味方になろうって決めているくせに……ダイ君が一番望まないことをしてしまった」

 ダイの苦悩の根源。
 自分が純粋な人間ではないと心を痛めている、この上なく純真で心の綺麗な少年。

 彼にとって最大の恐怖は、大魔王でも地獄に等しい魔界でもなく、人間に化け物扱いされることだ。

 見知らぬ人に化け物と恐れられて傷ついていたダイは、親しい人間に嫌われるのをひどく恐れている。

 それを知っていながら、ダイを傷つけてしまったことを悔いている少女――。
 彼女に対して、ポップはゆっくりと口を開いた。

「……おれも恐かったぜ」

 意外だとばかりに目を見開く彼女の顔を楽ししみながら、ポップはわざと軽い口調で言葉を続けた。
 

「恐くて恐くて、顔を合わせたくもないって思った。心底怒っていると思ったからな――姫さんは」

「……な…っ?! …もうっ、よくも言ってくれたわね、ポップ君」

 反射的に怒りの色を見せてしまった後で、鮮やかなまでに他人の感情を一転させてしまったポップの手並みに、レオナが苦笑じみた表情を見せる。
 強制的とはいえ、落ち込みから脱した姫にポップはなおも話しかけた。

「恐いものを恐いって思うのの、何が悪いんだよ?」
 

 無責任な口調ほどには、ポップの本心は軽くない。
 実際、ポップには彼女の気持ちが、よく分かっていた。
 レオナと同じように、ポップもまた、ダイの苦悩を承知している。

 そして、それを増長させてしまった彼女の苦悩とて、人事じゃない。
 ダイを不安のどん底に陥れたのは、ある意味ではポップ自身なのだから。

「恐くても、ダイはダイだぜ」

 その言葉に、レオナは少し間をおいてから頷いた。

「……そうね。ダイ君は、ダイ君ね」

 彼女が落ち着きを取り戻した頃を見計らってから、ポップは控え目に頼んでみる。

「なあ、姫さん。急がなくていいから……一度、師匠とアバン先生に連絡とってくれないかな」

 ポップの言葉に、レオナは目を丸くした。

「あら、どういう風の吹き回し? 君が、自分から進んで診察を受ける気になるだなんて」


 魔王軍との戦いの直後辺りから、ポップの体調は崩れだした。
 体に負担の掛かる禁術だの極大呪文だのをほいほい使っていたのだから、当たり前といえば当たり前だが。

 診断して安静と治療を薦めるのは、師であるマトリフとアバンの役回りだったが、ポップはそれを嫌がって逃げ回るのが常だ。
 マトリフには容赦なく叩かれる上にこっぴどく叱られるし、アバンには悲しい顔をされ懇々と諭されるのだから無理もない。

 ましてやダイ帰還後は無茶な魔法の使い方もしなくなったし、体調もずっと安定していたから、面倒だとなおさら逃げていた。

「ん〜? これを最後の診察にするためだよ。もう無茶をする予定はないし。後、どのくらいの期間療養したらいいのか、無理していい範囲の仕事量の限界とかをきっちり確認しておきたいんだ」

「いい心掛けではあるんだけど。なんだか……逆に不安になっちゃうわ。ポップ君がそんな殊勝な態度になるなんて。……よく、物語なんかであるじゃない? こーーゆー状況で心を入れ替えた途端、あっさりと儚く天に召されてしまうだなんて話が」

「あのな、姫さん……どっちが不吉なこと、言ってるんだよ?」

 文句を言いかけて、ポップはレオナの表情に気がついた。
 彼女の顔に浮かんでいるのは、隠しきれていない不安の色だ。

 ダイがそうだったように、レオナもまた、ポップの体調を心配してくれているのだろう。
 だからこそ、ポップはことさら軽く言ってのける。

「それこそ冗談じゃないぜ。おれはね、サボりつつ適当に仕事をやって後任を育てたら、早めに引退して細々とセコく長〜く、悠々自適の生活を送るのが夢なんだ。師匠よりうんと長生きして、あの世で会った時に『この若造め』って、師匠を笑ってやる予定でいるんだから」

 いささか誇張混じりだが、これはこれでポップの本音だ。
 聡明な姫は、ポップの意図を読み取ってくれたのだろう。強張っていた表情が緩み、いかにも彼女らしい勝ち気さが戻ってきた。

「……残念だけど、そう簡単に引退なんかしてもらっちゃ困るわ。長生きの決意は嬉しいけど、私としては生涯現役を望みたいわね?」

「げ……っ、最低100歳過ぎまで城勤めしろってのかよ?!」

「安心して、長くこき使う代わりに休暇は増やしてあげるわよ。先生達への連絡もすぐに手配するわね」

 にこりと笑って、レオナは力強く請け合ってくれた。

「体調が安定するまで、特別休暇も出すわ。君の休暇の分の仕事量をこっちで調整するから、心置きなく休んでね。仕事に復帰した後も、調整は続けるから」

 さっきまでの不安げな表情はどこへやら、てきぱきと指示を出す様はいつものレオナだ。


「ああ……悪いな。頼むよ」

「頼むのは、こっちよ。ダイ君をよろしくお願いね」

 それだけを言い残して、レオナは部屋から出て行った。
 それを見送ってから、ポップはクッションから身体をずらしてベッドに身を沈めた。

 ダイやレオナの前では気を張っているから割と平気だが、一人になるとダルさや疲れを強く感じてしまう。
 そうやって、横になると思い出すのは、さっき自分を見下ろしていたダイの姿だった。
 

『ポップ……!』

 思い詰めたような固い声で呼ばれ、目が覚めた。
 あの時、あの瞬間にダイを見た時に感じた想い。
 ――それは、紛れもない恐怖だった。

 一瞬、バランがいるのかとさえ思った。
 もちろん、すぐに違いに気がついたが。
 しかし、感情が一切消えてしまったかのような無表情さで、ひどく冷静に自分を見下ろしているダイ……それを恐いと思ったのは、事実だ。

 だが、それはレオナの感じた感情とは多分、違う。
 あの時に感じた恐怖は、ダイが変わろうとしていることへのものじゃない。
 恐かったのは、ダイにまた置いていかれることの方だ。

 自分では引き止められない所まで、一足飛びに遠ざかってしまいそうに見えたダイが、心底恐かった。

 魔界で、ようやく再会できたダイを見た時を思い出す。
 魔界で二年と言う時を過ごしたダイは、その間に感情を殺してしまっていた。その気持ちは、分からないでもない。

 殺戮と暴力、裏切りと悪意に満ちた魔界が、純粋で無邪気なダイにとって暮らしやすい場所であるはずがない。
 ましてや味方が誰一人もいず、脱出も叶わない世界だった。

 竜の騎士の本能だけを残して、ダイは心をほとんど閉ざそうとしていた。
 無表情に自分を見るダイを見て、ポップは間に合わなかったのかと恐怖したぐらいだ。
 ポップの声に応じて、駆けよってきたダイを見てからやっと、ダイはダイなんだと実感できた。

 今も、そうだった。
 ポップが声をかけたのをきっかけに、いつものダイに戻ってくれて、ポップがどんなに安堵したことか――。

「……させねえからな、絶対」

 一人、ポップは呟く。
 置いてなど、行かせない。
 だって、ポップはもうとっくの昔に決めている。

 ダイと共に、大切な人達のいるこの地上で、笑ったりケンカしたりしながら楽しく暮らすと決めたのだ。
 戦いに明け暮れる日々なんて、もういらない。

 不幸にもまた、戦わなければならない日が来たとしても……その時は、竜の騎士がただ一人で戦うんじゃない。感情を押し殺し、心を削ってまで孤独に戦う必要なんかない。

 勇者ダイとその仲間が、力を合わせて戦う。その時はポップも、全力で力を貸すつもりでいる。

 竜の騎士の使命なんて、すっぽかさせてやる予定だ。
 そのためなら、どんな手段を使ってでもダイを引き止める。元々、ポップは目的のためなら、手段は選ばない方なのだから。

 自分の体調が目的の妨げになると言うのなら、これからは充分に自重する。
 もう、二度と体調を計り損ねて倒れるような凡ミスなんて犯さない。
 もう二度と、ダイにあんな辛い顔をさせない。

 不安のあまり心を押し殺させるような真似など、させはしない。
 ダイの不安や心配など、いくらでも笑い飛ばしてやろう。

(さて……今度はなんて言ってやろうかな?)

 一人で含み笑いしつつ、ポップはダイが戻ってくるのを待つ。
 そして、長く待つ必要はなかった。

「ポップ! 飲み物、持ってきたよ! ホットミルクでいい?」

 ドタドタと走る音と同時に、ノックもせずに飛び込んできたダイを見て、ポップはゆっくりを身を起こした――。
                                                         END


《後書き》
 病気ネタ〜。魔界編で無茶して体調を崩したポップが、しっかりと自重する気になる話っす。やっぱ、健康は幸せ毎日の基本!
 

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