『信じていること』 |
「よしっと、これで準備完了!」 ぱんぱんに詰めた小さなバックを軽く叩き、ダイは立ちあがった。 後はいつでも出発できる。 なんでもパプニカ王国の国境近くにある洞窟で怪物が発生して、付近の住民が困惑している状況らしい。 まだ問題や犠牲者こそでていないが、一刻も早い助けが必要なのは分かっているし、できるだけ急ぐようにと言われている。 (でも……ちょっとだけなら、いいよね?) 自分に言い訳するようにそう思って、ダイは城門へ行く廊下とは反対方向へと歩きだした。 レオナも、解決に2、3日はかかるだろうと言っていた。 (まあ、ポップはどうせ知っているんだろうけど) 元々、この仕事の担当にダイを推薦したのは、ポップだ。 レオナやみんなは、まだ子供のうちは勉強が仕事だと言ってくれるのだが――ダイには、焦りがあった。 魔王軍との戦いに参加した時のポップと同じ年だ。
『ばっかじゃないの、おまえ? わざわざ自分から、仕事をやってみたいだなんて。そんなに焦らなくとも、後しばらくたったら嫌という程押しつけられるっつーの』 一度引き受けたら、際限なく後から後から仕事を押しつけられるんだぞと、ボヤくポップの口調には嫌という程のリアルティーがあった。 『だいたい人には向き、不向きってもんがあるだろ? おまえはおまえに向く仕事をやりゃあいいんだ、おれと同じ仕事をやる必要なんかないって』 『それはそうだけどさ……』 いつもそうだが、ポップの言葉は正しい。 どう見ても、ポップは働き過ぎだ。 下手をすると食事や休憩時間さえやってくる彼らを、ポップは突き放せない。 もし、ダイが15才の時のポップほど――いや、せめてその半分でも仕事ができれば助けられるのにと思うと、悔しいぐらいだ。 嫌々とはいえ勉強したのが功を奏して、簡単な書類を書くぐらいならできるようにはなった。 が、書いた後でポップかレオナに最終チェックをしてもらわないといけないので……結局のところ、手助けにはなっていない。 むしろ、最初からポップが書いた方が格段に早い上に楽という、情けない結果になっている。 忙しいポップが、雑談のついでにこぼしたダイの愚痴を覚えていてくれて、しかもそれに応じてくれたのが嬉しい。 「ポップ、いる?」 声を掛けると同時に扉を半分開けてから、慌ててノックをする。 「……あれ?」 ポップの執務室は、無人だった。 いつものように書きたての書類が、インクを乾かすために広げられてもいないし、山盛りにされた書類がきちんとそろえて置かれているところを見ると、トイレか何かにちょっと席を立ったというわけでもなさそうだ。 城を空ける時は必ずダイかレオナに教えてくれるから、城内のどこかにはいるのだろうが、さすがに探す時間まではない。 がっかりしたものの、挨拶は諦めてもう出発しようと再度廊下にでたダイは――不意に顔をしかめた。 血の臭いが、した。 普通の人間ならまず分かりもしないだろうかすかな臭いなのに、竜の騎士の本能は敏感に反応してしまう。 平和な城に相応しくない異臭。 (……やだな……) 普段はできるだけ、血の臭いなど感じないように努めている。
曲がり角の向こうへ続くその書類の方へ歩いて行って、ダイは心臓がつぶれる思いを味わった。 「ポップ……?!」 廊下に倒れていたのは、ポップだった。 「ポップ!」 駆けつけて抱き起こしても、ポップはまったく無反応だった。ざっと見たところ、怪我は見当たらない。 そして……口許からわずかに滴り落ちる、よだれ混じりの血。 どうしていいか分からずに、ダイの頭は真っ白になる。 口の中に鉄錆臭い味が広がってから、自分の行為の意味に気がついた。 他人の血を躊躇なく飲み込もうとするなど、人間の発想ではない。 「……ッ……ケホ…」 多少咳き込んだものの血が無くなった分、呼吸が楽になったのか、ポップの息遣いが少しましになる。 目の前にいる人間の応急手当ては済んだ、と。 「ポップ……! ポップ…、聞こえる?! 返事をしてくれよ……!」 だが、意識を飛ばしたままのポップは、呼びかけには答えてくれない。 ポップ本人なら回復魔法を使えるものの、今のように気絶してしまったのでは何の意味もない。 むしろ、自分で自分を回復させる間もなく倒れてしまったのかと、心配を呼び起こすだけだ。 (もし……ポップが死んだりしたら……おれは――) 心臓が、嫌な感じに高ぶった。 ポップが死んだら――ソレハ、誰ノセイ? 魔王軍時代も、ポップはしょっちゅう無茶をしては死にかけていた。実際、ポップは一度死んだことさえある。 (だけど……もう、世界は平和で……。危険なんかない世界になったのに) ――違ウダロ。 嘲笑う声が、心のどこかで響く。 その下に広がる魔界は、いまだに渦巻く暗雲の世界。 強大な魔力を持つ魔族ならまだしも、ただの人間の身でそれを打ち破る方法を見つけるのがどれほど大変なことか……。 『ちょろいもんだったぜ。なんたって、おれは大魔道士様だからな!』 詳しい話は教えてくれず、ポップはそう笑っていただけだった。その癖……戦いを終えて一緒に地上に戻ってきた後は、しばらく寝込んでいた。 職業のせいか、体力だってそうある方じゃない。 文句ばかりを言いながらも、ポップはやらなくきゃならない仕事はきっちりとこなしていた。 それなのに以前よりずっと痩せているのに、ダイは気がついていた。 ――違ウダロ。 「……ふり…だけ、だったんだろ? ポップ……?」 呼びかけた声に、当然、ポップは答えなかった。 それどころか元気なふりをして、周囲に悟らせまいとする。 ここ最近、ポップが咳き込んでいるのを見ていたのに、平気だと笑うポップにごまかされてうかうかと見逃していた――。 「ダイ君! ダイ君、どこ? まだ支度はできないの?」 遠くから聞こえる声を、ダイは上の空で聞いていた。 「ダイ君? ここにいたの?」 ダイを見つけると同時に、レオナの足がぴたりと止まる。 「ダ…ダイ君……?」 怯えている様に見えるレオナを見て、ダイ、わけもなく笑いそうになる。 しかし、気丈な姫はそのまま逃げだしたりしなかった。すぐにいつもの彼女に戻って、駆け寄ってくる。 「え…っ、ポップ君……?! どうしたの?!」 ポップの名を含めての問い掛けに、やっとダイは反応した。 「……分かんない。ポップが、ここに、倒れてた……」 「嘘…っ、また倒れたの?!」 動揺したようにそう言いながらも、レオナの動きには迷いがなかった。 「ベホマ」 上級回復呪文を受けて、ポップの顔色がわずかによくなった。 「しっかりして、ダイ君!! ポップ君なら、無事よ! すぐに部屋に運んでちょうだい、すぐにお医者様を呼ぶから!」
怪我と違い、病気には回復魔法はほとんど効き目がない。 「さっき、無理はしないで安静にしているようにと言ったばかりなのに……」 宮廷医師や侍女達が漏らすそんな言葉を、ダイは聞き逃さなかった。それに、わざわざ調合するまでもなく薬がすでに用意されている点も。 ポップの症状は、過労気味なところに風邪を引きこんだという診断に、変わりはないと言った。 倒れたのは過労から来る貧血のせいであり、吐血は風邪の咳のせいで喉の粘膜が少し切れただけだとの説明は、ダイはもちろん、レオナの気を軽くしてはくれない。 「レオナ、なんで黙ってたんだよ……! ポップ、前から具合悪かったの?」 「…………」 沈黙するレオナなんて、珍しい。 「おれのせい、なんだろ?」 「そんな……っ、ダイ君のせいなんかじゃないわ!」 即座に否定し、ムキになって言い募ろうとするレオナを目線で制して、ダイはポップの枕元に置いてある椅子に腰をかけた。 ポップは、まだ目を覚まさない。 「おれの……せい、だといい」 間違っても、他の人間のせいでないといい。 まずは――ポップを疲れさせる要因を作ったレオナを。 (ああ……そういう基準なら…マァムや先生も範疇に入っちゃうんだ……) どうして、止めてくれなかったのか。 それどころか……パプニカ城の侍女や兵士達も。 ならば……それらの国も、その国に住まう人間達全ても同罪ではないだろうか? ポップは、一度決心したことは翻さない。 それなのに、ポップを止めてくれなかったと他人を責め立てるなんて間違っている。 「失礼します。姫様、ちょっと……」 ノックと共に、エイミが入室して控え目に声をかけてくる。 (…エイミさんも敵かな……) そう考えた後で、自分の思考に嫌気がさす。 助け起こすよりも、どうなったのかを考えるよりも早く、ダイは一瞬敵を探して周囲を警戒してしまっていた――。
「……うん」 一人、取り残されると、やけに部屋の中がしんとしているように感じる。 (まるで……魔界にいるみたいだ…) 心がどんどん冷えていって、世界が色を失う感覚。 「……ん…」 小さく呻き、ポップが瞬きをしながら目を開ける。 「ダイ……?」 「…………」 返事も出来ずに、ダイはポップを見守る。 「……なんて面してんだよ? おめえの方がよっぽど病人みたいな顔してんぜ?」 顔色に変化があった訳じゃない。 周囲の空気までもが和らいだ気がした。 「な…っ、何いってるんだよ、病人はポップの方じゃないか! おれ、本気で心配したんだぞっ!」 心配やら不安やら感動やら安堵やら、さまざまな感情のままに、ダイはポップに文句を言っていた――。
ポップの部屋から出てきたレオナを見かけて、ダイはいそいそと走りよる。 「レオナ、どこ行くの?」 「執務室よ。ポップ君がゆっくり休めるように、仕事を分配して休暇手続きを取っておかないとね。あ、それに洞窟探索の件も別の人を派遣するわ。しばらくは、ダイ君に彼を見張っていてもらわなくちゃならないし」 事務的にそう言うレオナの思いやりに気がつき、ダイは嬉しくなった。 ポップはもう大丈夫だから予定通り行動しろと命令することもできるのに、気遣ってくれるレオナの優しさに感謝する。 「あたしも彼にお説教しておいたけど、ダイ君はもっともっと言ってやってちょうだい。本っ当、ポップ君ってほっとくと無茶するんだから」 「あはは……、まあ、ほどほどに言っておくね」 頬の十字傷のあたりをかきながら、ダイはあいまいに笑う。 「そういえば……レオナ、さっきはごめんね。きつい言い方して、悪かったよ」 さらに、口には出さなかったが心の中で思ってしまった分も込めて、ダイは謝罪する。 レオナがちょっと驚いたような顔をして、それからダイの大好きないつもの笑顔になった。 「ううん、いいのよ。謝るのはこっちだわ……ごめんなさいね、ダイ君」 その言葉を言い残し、レオナは去っていった。 ――あのまま、怒りに支配されるかと思った。 「……謝らなくていいよ、レオナ」 ちょっぴり申し訳ないような気持ちで、ダイは一人、思う。 『竜は飢えれば猛り、満たされば眠る』 そう言ったのは、冥竜王ヴェルザーだった。 戦いの中で追い詰められれば……言い換えれば、飢えればダイもまた、第二のバーンやヴェルザーとなる可能性があるのだから。 しかし、そうはなるまい。 ポップがいれば、ダイの中の竜は眠り続ける。
ダイが信じるのは、ポップだ。 (でも……あいつ、時々嘘つきなんだよな) 苦笑しつつ、それでもダイは思う。
「ポップ! 飲み物、持ってきたよ! ホットミルクでいい?」 部屋に入ると、横になっていたポップが身を起こして手を振った。 「よお、ダイ。ごくろーさん」 「ポップ、起きて大丈夫?」 それを手助けしようとしたが、ポップは一人で起きあがるとダイの手からカップを取り上げる。 「ああ、もう大丈夫だよ。近いうち、師匠や先生にも診てもらうし、今度はちゃんと休む予定だから心配すんなって。聞いて驚け! なんと、あの姫さんがだな、特別休暇をくれたんだ。いい機会だし、ゆっくりと安静にさせてもらうぜ」 よくなってもしばらくは仮病を使ってサボろうかなと笑うポップを見て、ダイもやっと笑う。 ミルクを飲みつつ、調子良くおしゃべりするポップに、ダイはニコニコしながら相槌を打つ。 自分の中の竜が緩やかに眠っていくのを感じながら、ダイは安らいだ時間に目を細めていた―。
《後書き》
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