『地の底からの祈り』

 

「え!?」

 その目は、信じられない物を見るかのように見開かれていた。自分の身に何が起こったのか分からないと、言わんばかりに。
 あれだけ頭の回転が速くて、どんな状況変化にもすぐついてくるポップが、あの一瞬だけは事態を把握しきっていなかった。

 実際、ポップは警戒すらしていなかった。
 ダイに腹を蹴られ、一人だけ突き落とされるだなんて、夢にも思わなかったのだろう。

 手を伸ばしたまま、ポップは落下していく。
 空を飛ぶのが得意なはずのポップは、浮こうとさえしていなかった。
 重力のままに落下していくポップと引き換えに、辛うじて聞こえたのは悲鳴じみた叫びだった。

「な……っ、なぜなんだよォオっ、ダイッ!!」







「――!!」

 声にならない呻きと共に、ダイは目を覚ました。
 心臓が早鐘を打ち、汗をびっしょりとかいていた。
 寝起きの悪さは、まさに悪夢の直後のもの。

 だが、ダイにとって、今の夢は悪夢どころか望んででさえ見たい夢だった。
 戦いの直後などよりよっぽど乱れてしまった息を整えながら、ダイは一人、微笑んでいた。

(ポップの夢を見たの……、久しぶりだな)

 悪夢だろうと、なんだろうと構わない。
 たとえ夢の中であろうと、ポップに会えるのだったら。
 たとえそれが決まり切った悪夢の繰り返しだとしても、ダイに不満などない。

 夢に見るのは、決まって最後の……あの、別れ際に一瞬だけ見たポップの顔だ。

(でも……どうせなら、もっと他の顔が見たいのになぁ)

 そう思う資格など自分にはないと思いながらも、ダイはついそう望んでしまう。
 表情豊かなポップは、様々な顔をダイに見せてくれた。

 怒ったり、泣いたり、笑ったり、拗ねたり、一時も休むことなくコロコロと変化する表情は見ていて飽きなくって、いつだって好きだった。
 絶え間なく呼びかけてくれる明るい声が、耳に心地好かった。

 最初はちょっと頼りなかった癖に、いつの間にか誰よりも駆け足で強くなっていた、誰よりも信頼できる仲間。
 どんな時でも、いつだって自分の隣にいてくれた魔法使い。

 ダイにとっての旅の思い出には、いつもポップが中心にいる。
 ダイにとって、地上を思い出すことはポップを思い出すと同義だった。

 太陽が輝き、緑に溢れた地上の大地。
 常に曇天に覆われ、空も大地も灰色に染められたこの魔界とは、何もかもが違う世界。

 一瞬の油断もできない地獄のような世界の中で目覚めたダイは、初めは戸惑うしかできなかった。
 なんとか状況を飲み込み、この世界に順応できるようになるまでは、ずいぶんかかったように思う。

 普通の人間ならばすぐに死んでしまう魔界に適応できたのは、竜の騎士としての本能のなせる技か。
 太陽のない空にも、もう慣れた。

 だが――隣にポップがいないという事実に、ダイはなかなか慣れることができない。

 空っぽの自分の手を、ダイはじっと見つめる。
 あの時、伸ばされたままのポップの手を、ダイは握り返さなかった。
 飛ぶのも忘れていてでさえ、ポップはダイに手を伸ばしてくれていたのに。

(ポップ……!!)

 空っぽのままの手を、ダイは握りしめる。
 後悔とやりきれない苦みが込み上げてくるのを、ダイは必死に噛み殺した。

 これは――罰なのだ。
 戦いの旅をずっと一緒に過ごし、文字通り最後の最後まで力を貸してくれ続けていた、最高の親友。

 一緒に死んでもいいとまで言ってくれたポップを、蹴り落としてしまった自分への。

(ポップ……、無事、だよ……ね?)

 それを確かめる術など、ダイにはない。
 だから、祈るしかできない。

 あの爆発の際、ダイは全力をもって竜闘気を発動させて黒の結晶の威力を押さえこんだ。地上を、大切な人々を、そして誰よりもポップを守りたかったから。

 ダイは、全力は尽くしたつもりだ。
 爆破はなんとか最小限に抑えたつもりだったが――気がつくと、ダイはここにいた。

 太陽のない不毛の大地。
 地上のはるか下層に存在するという、魔界の奥深くに。

 それっきり、ダイには地上の様子を知る機会すらなかった。
 分からないだけに、不安はいつまでも消えてはくれない。

 地上は……みんなは、無事なのだろうか?
 爆破の余波は、ポップに影響を及ぼさなかっただろうか。
 落下したポップは、飛べないまま地面に叩き付けられたりはしなかっただろうか。

 あの戦いの中、限界を超える程の魔法力を使ったせいで、体調を崩したりはしなかっただろうか。
 心配の種は尽きることなく沸きあがり、ダイを悩ませる。

 何度、自分に大丈夫だと言い聞かせたとしても、すぐに弱気の虫が頭を持ち上げる。
 そして、ポップは――帰らない自分を捜してはいないだろうか?

(捜さなくていいよ、ポップ)

 ポップは世界中を飛び回れる魔法使いだが、それでも行けない場所はあるだろう。
 魔界は、その筆頭に当たる場所だ。

 古代の神々がかけた強固な封印が二つの世界を阻んでいるせいで、魔界から地上に行くのは難しく、また、人間が来られるような場所ではない。
 ダイの中に眠る、竜の騎士の記憶がそう教えてくれた。

 数千年の歴史を持つ潜在的な記憶を紐解いたところで、魔界へ自らの力できた人間の記録など一つもない。
 それを知った時は、ダイはがっかりすると同時にどこかホッとする気持ちを味わった。

 自分がどこにいるかなんて、ポップが知っているはずがない。
 仮に知ったとしても、古代語を読めるポップなら、伝承にしか伝えられない魔界の恐ろしさを理解できるはずだ。

(ポップは来ない。来れない、はずだ)

 自分に言い聞かせるように、ダイは強く思う。
 ――それでも、ポップならばなんとかする方法を見つけてしまうかもしれないと思う、心の奥底の期待を打ち消すように。

 万が一、魔界に来る方法を見つけたとしても、魔界では人間は長くは生きられない。
 瘴気渦巻くこの世界は、並の人間ならば数日と持たない邪気に満ち溢れている。

 竜の騎士であるダイだからこそ、ここでも生きていけるが――ポップでは無理だ。
 どんなに並外れた魔法力を持っていたとしても、ポップはただの人間だ。

 いや……むしろ、魔法使いの常として脆弱な体力しか持っていないのだから。
 なにより、ポップが自分を迎えにきてくれたとしても――ダイは、ここから出るわけにはいかない。

(ごめん、ポップ、みんな……。おれは、ずっとここにいるよ)

 今、ダイの目の前にいるのは、半ば石と化した姿でまどろむ一匹のドラゴン。
 ダイの父、バランと死闘を繰り広げた結果、重傷を負って深い眠りに就いた冥竜王ヴェルザー。

 時折目覚める時もある邪竜だが、今は静かに眠り続けている。
 そのヴェルザーを中心として、数十メートルの距離を置いて取り巻き、半円形のドームのごとく広がる見えない壁。

 目には見えないのに、その壁は非常に強固で、ダイはどうしてもここから出ることが叶わない。
 それこそが精霊の封印なのだとダイが気がついたのは魔界にきて、しばらく経ってからだった。

 どういう仕組みかは分からないが、この中に囚われた者は決して外には出られない。
 しかし、この精霊の封印のおかげで、ヴェルザーは結界から出られずにとどまり続けている。

 もし、この封印が解けてヴェルザーが自由になりでもしたら――その時こそ、世界は滅ぶ。
 その事実に気がついた時、ダイは驚愕し……同時に絶望した。

 竜魔人と化したダイもまた、ヴェルザーと同じく世界にとっては災厄。
 共に、この封印の中で朽ち果てるのが世界のためなのだと、気がついてしまったから。

 ダイが地上に帰るには、この封印を破るしか道はない。
 だが、ダイには封印の破り方の知識などないし……なにより、ヴェルザーを解き放つと知っていながら、封印を壊すなんてできない。
 それは、してはいけないことだ。

(それくらいなら、おれは……ずっと、ここにいるから)

 もう、自分は戻れない。
 なら――戻りたいとも、望むまい。
 ダイは、すでに覚悟を決めている。

 魔界で、一生を終えても構わない。
 それが竜の騎士の使命だというのならば。
 だから、ダイは自分のためには祈らない。

(ポップ。絶対に、来ちゃだめだよ。おまえは――地上で、暮らしてくれ)

 祈る。
 ただ、それだけを祈る。
 あの、どこまでも諦めの悪い魔法使いが、自分を諦めてくれるように。

 幾度も奇跡を起こし、状況を逆転させてくれたあの魔法使いが、今度ばかりは不可能への挑戦に挑まないように。
 日も差さない地の底で、封印の中に囚われたダイはただ、それだけを祈り続ける――。              

                                    

                                                    END


《後書き》
 捏造魔界編、ダイ封印説〜っ(笑) いや、個人的には血を地で洗う魔界の中で、実際に戦いながらサバイバル生活を送っている方が好きなんですが。
 原作者様が漏らした5年後魔界編、新竜騎衆の話を見た時から心踊らせていたにも関わらず……なんで、筆者ってダイ帰還までに2年設定の我流の魔界編を書いてるんでしょうね? 自分でも不思議(笑)
 

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