『塔の中の囚人』 |
「……?」 目を覚ました時、ポップは自分がどこにいるのか分からなかった。 眠っているベッドは柔らかくて、やけに上等な手触りがするものの、記憶にない寝心地だった。 (おれ……いったい……) 頭がひどくぼんやりとしていて、記憶を辿るのが難しい。 動こうとすると目眩がひどくなるので、ポップは無理に動くのは諦め、横になったままで目だけを動かして部屋の中を見回した。 雰囲気としては、貴賓室に近い。 そして、なぜかとってつけたように大きめの本棚が置いてあるのが、不自然に感じる。半分以上は空のその本棚は、他の家具に比べると合っていない気がした。 ポップの目から見ても、かなり難解そうな本や貴重そうな本ではあるのだが。 まだ、誰か知り合いが近くにいるか、でなければ枕元に自分の服なり荷物が置いてあれば、安心出来るだろう。 だが、そんなものはどこにもないし、今、ポップが身につけているのは、着替えた覚えすらない上質な夜着だ。 首回りが大きく開いた、ゆったりとした裾の長い夜着は、普段ポップが着ているかっちりとした服とは違い過ぎて、なんだか裸でいるように心許無い。 それでも、自分の首元に下がっている変わらないペンダントの感触に、少しばかりホッとする。 それだけは取り上げられなかったアバンのしるしを、感触を確かめるように手で握りしめてからポップは起き上がった。 ふらつかないように慎重にベッドから降りると、ポップはとりあえずドアへと向かう。 「……!?」 何度か確かめたが、ドアはガチャガチャと不快な音を立てるばかりで、一向に開いてくれない。 (閉じ込められた!?) 他に出口はないのかと部屋を見回したポップの目に、窓が映る。 飾りのように小洒落てはいるが、頑丈な鉄格子がはめられた窓では出入りは無理だ。しかも、そこから見える光景に、ポップは戸惑いを隠せない。 海を背景に小さく見える町並みは、塔から見下ろしているように遠かった。 「おや。もう、目が覚めていたんですか? ですが、まだ動かない方がいいと思いますけどね」 振り返った先にいたのは、黒ずくめの服の上に、黒いマントを羽織った仮面の男。長身のその男は仮面のせいか、いささかくぐもった声でポップに話しかけてくる。 「この部屋は、気に入りましたか?」 「……」 その問いに、ポップは答えなかった。 顔を半分以上隠す蝶マスクをしたドレス姿の少女は、ポップが自分を見ているのに気付くとわずかに視線を逸らす。 その言葉にポップは大きく目を見開き――それから、呆れきったような声で言った。 「…………先生。それに、姫さんまで、何をやってるんスか?」 「あれれー? もう、バレちゃいました? 残念ですねえ、時間をかけて選んだ仮装だったんですが」 仮面を外したアバンが、おちゃらけた口調で悪びれない笑顔を見せる。 「……むしろ、本気でバレないと思っていたかどうかを聞きたいですよ、先生」 呆れたようなポップのツッコミに小さく頷くつつ、女がそそくさと蝶マスクを外してしまい込む。 アバンに比べ、レオナにはこのけったいな仮装を恥ずかしがるぐらいの良識はあるらしい。 「やれやれ、ノリが悪くなったものですねえ、ポップ。ここはちょっとはお遊びに付き合って驚いてくれてもいいでしょうに」 「そんな暇なんか、ないですよ。それより、おれの杖や服はどこですか?」 ポップにしてみればごく当たり前の質問に、アバンやレオナの顔がなぜか強張るのが見えた。 二人は無言のまま、互いに目を見交わし合う。 「――悪いけど、渡してあげられないわ」 「渡せないって、なんでだよ? だいたい、なんだっておれ、こんなとこにいるんだよ?」 尋ねると、レオナの眉間の皺が深くなった。 「ちょっと……覚えてないわけ?」 「え?」 咎める口調を受けて、ポップは途切れた記憶をぼんやりと思い出した。 (そうだ……おれ……) 是非にと請われて断りきれず、世界会議を参加したのがケチのつき始めだった。どうせ発言する気なんざさらさらなかったし、ただ座って話を聞いているなら休んでいるも同然と割り切って参加したつもりだった。 が、発言をしようがしまいが、長時間の会議に参加するのがあれほど疲れるものだとは予想もしなかった。 会議の途中からポップは後悔しどおしだったし、終わった時はもう自室に戻って休むことしか考えられなかった。 仕方なく話に付き合っていたがなかなか終わらないし、どんどん気分が悪くなって足元がぐらつき始めた。 まるで船に乗っているみたいだなんて馬鹿げた感想を抱いた時に、ぱったりと倒れてしまったのだ。 「あー……。おれ……、ひょっとして、気絶、してた?」 「呆れた、あんなに派手に倒れておいて、何も覚えてないの? あの後、大騒ぎになったのよ、大変だったんだから!」 髪の毛を逆立てんばかりに怒るレオナを見て、ポップは思わず手近にあったカーテンにすがりつく。 「ベンガーナ王が責任を取ってポップ君を引き取って治療に当たるとか言ってさんざんごねるし、テラン王やロモス王もご心配になさるわで、はっきり言って戦時中の第一回世界会議よりよっぽど揉めたんですからねっ」 (そ、それはおれのせいじゃないっ) と、言い返す勇気など、ポップにはなかった。いくら勇気の使徒とは言っても、猛り狂うこのお姫様に逆らうのは怖すぎる。 親子程も年齢の違う世界各国の王達を相手にして、我を通しきった少女は真っ直ぐにポップを見ながら言い切った。 「まったくあんなにてこずった交渉なんて久々だったわ! ……まあ、それはいいとして、しばらくは安静にしてもらうわよ」 それまでは申し訳なさそうに身を竦めているだけのポップは、それを聞いてギョッとしたように叫び返した。 「ンな必要なんかないって、もう平気だよ!」 「何言っているのよ、平気なわけないでしょう。あれから、まだ半日しか経ってないのよ」 「……へぇえ〜」 片眉をぴくっと大きく吊り上げ、レオナは猛吹雪もかくやという程の冷たい目付きでねめつける。 「つまり、ポップ君が倒れたのって、今日が初めてじゃあないわけね? 『いつも』倒れるまで無茶している、と?」 (しまった!) 今更ながらポップは自分の失言に気付いたが、すでに手遅れというものだ。 「ポップ……さっきの言葉は前半は冗談ですが、後半は冗談じゃありませんよ。当分、ここから出してはあげられません」 思いがけない言葉にきょとんとしたのは、一瞬だけだった。すぐにポップは反論する。 「それこそ悪い冗談はやめて下さいよ、先生! それに姫さんもっ、いい加減にふざけるのはやめてくれよっ」 「あら、ふざけてなんかいないわよ。今日からここが君の部屋なのは本当よ。どう、気に入ったかしら?」 「気に入ったかって……ここ、いったいどこだよ!?」 「どこって、パプニカ城に決まっているでしょう? 景色で分からないかしら」 言われてみれば、その通りだ。 「でも、こんな部屋なんか、初めて見るぜ」 大戦時代、ポップもダイや他の仲間同様にパプニカ城に居候していたが、こんな部屋など見た覚えはない。 泊めてもらうにしても数人が雑居できる大部屋が、でなければ怪我を治す為にゆっくりと休める様に個室の客間を貸してもらうのが常だった。 どうせ寝かせてもらうのなら、慣れている分そっちの方がいいと思ったのだが、レオナの意見は違っていた。 「それはそうでしょうね。この部屋はめったな者には入室さえ許されない、王族専用の幽閉の間だもの」 「はぁあ?」 呆気に取られるポップに、レオナは得々と語って聞かせる。 「言っておきますけどね、この部屋はパプニカの王族を閉じ込めるために作られたものなのよ。魔法対策はされていると思ってくれていいわ」 「魔法対策って……おいっ、ちょっと待てよ!」 「で、見ての通り、この場所は塔に近い作りになっているのよ」 待つ気配などかけらも見せず、レオナは一方的に説明を続けた。 「すぐに分かると思うけど、この部屋の唯一の出入り口はこの扉だけ。あ、この扉の外は螺旋階段になっているのよ。下の回廊に続いているし、そこは常時見張りの近衛兵がいるからそのつもりでいてね」 牢屋などよりもよっぽど厳重な警備態勢に、ポップは唖然とするしかない。 「だから、ちょっと待てよっ、おい! いったいなんだって、人をこんなとこに閉じ込めるんだよ!?」 「――分からないんですか、ポップ?」 かけられた言葉が叱責だったのなら、ポップも言い返したかもしれない。 それが、この意地っ張りな愛弟子の反省を示すポーズだとよく知っているアバンは、苦笑を浮かべながらポップの側に近寄った。 頭に手を伸ばされるのを見て、ポップは怯えたように目を閉じたが、その手は優しく額に触れる。 「やっぱり、まだ熱が引いていませんね。いつからなんです、ポップ?」 「……っ」 黙り込むポップに、アバンは幼い子供に言い聞かせるように、ゆっくりと言った。 「昔、教えたはずですね、禁断と呼ばれる種類の魔法の存在を。それらを使ったらどうなるか……それも教えたと思いますけど?」 禁呪法と呼ばれる魔法が敬遠されるのは、単に倫理だけの問題ではない。 「微熱。胸部の痛み。目眩。倦怠感。食欲衰退。魔法を使用する度に、それらの自覚症状が強まったでしょう? 特に、胸部の痛みは相当に強いはずです……どのくらいの間隔で痛みますか? 咳の頻度は? 吐血はありましたか?」 アバンが症状をあげる度に、ポップの顔にかすかに緊張が走る。 「やれやれ。我慢強くなってくれたのは嬉しいですが、それも善し悪しというものですね。ポップ、いい加減に認めちゃってください、今のあなたには休養が必要なんですよ。ゆっくりと養生して、まずは身体を治さないと……幸いにも、今なら症状は軽いようですからね。まあ、1年も魔法を使わないようにして、安静にしていれば良くなりますよ」 「1年っ!?」 それまでは大人しく黙って聞いていたポップだが、その言葉でギョッとしたように大声をあげた。 「ええ、最低でも1年です。まあ、場合によっては2年ほどかかるかもしれませんが、まあ、心配はいりませんよ。安静と言っても、日常生活は普通に送れますから。ただ、魔法さえ使わないように気をつけさえすれば……」 優しく言い聞かせる口調を遮ったのは、弾けるような明るい笑い声だった。 「先生でも間違えることって、あるんですね。それ、診立て違いですよ」 ひとしきり笑ってから、ポップはおかしくてたまらないと言わんばかりの表情で言ってのけた。 「先生がさっき言った自覚症状なんて、ぜんっぜん心当たりないです。倒れたのは、ただの風邪のせいですよ」 ポップのその反応に、さすがのアバンやレオナも気を呑まれたような顔をする。が、いち早く立ち直ったレオナが、噛みつくような勢いで文句をつけた。 「ポップ君……! 今更とぼけるつもり?」 いつものポップなら、怒れるレオナを前にしたのなら、多少どころではなくビクつき、うろたえるだろう。 だが、今は顔色一つ変えずに、ヘラヘラとしたとらえどころのない笑顔を浮かべたままだ。 「とぼけるもなにも、ホントにそんな心当たりなんかないんだって。取り越し苦労ばっかしてると早く老けちゃうぜ、姫さん」 しゃらっとそう言いながら、ポップは口を開きかけたアバンよりも早く、機先を制した。 人の神経を逆撫でするかのような、いかにも軽い口調や、いい加減そうな笑顔。 ポップのその態度は、レオナにとって見覚えがある物だった。 「ポップ君……っ、そんな嘘でごまかされるとでも思って――」 言いかけたレオナの肩に、温かい手がやんわりと置かれた。 「先生……?」 思わず問い掛けるレオナに対して、アバンは自分の口許に指を一本当てて、「黙っているように」とゼスチャーのみで指示を送る。 「ええ、ポップ、あなたの言う通り、今のあなたは風邪の症状とほぼ同じですね。まあ、心当たりが全くないというのなら、風邪として扱うことにしましょう」 「……っ!?」
「ですが、ただの風邪であっても、突然、気絶するようならしばらくの安静は必要ですからねえ〜。熱が引くまでは、当分おとなしくしてもらいますよ。さ、いつまでも起きていないで、休んでくださいね」 そう言いながら、アバンはポップを促してベッドの方へと押しやった。 「そんなに言うのなら横になりますけど、でも、たかが風邪で大袈裟ですよ、そんなの」 「はいはい。でも、風邪は万病のもとと言いますからね〜。後で夕食を運ぶ時に一緒に薬も用意しますから、それまでちゃんと寝ていてくださいよ」 毛布をかけてやりながら、アバンはもう一度熱を測るようにポップの額に手を当てた。 「まずはゆっくりと休んで――それからでいいですから、よく考えてごらんなさい。焦って結論を出さずに……いいですね?」 優しく説いた後、アバンは唄う様に一言、呪文を付け加えた。 「ラリホー」 ただの初級呪文である催眠呪文は、本来なら高レベルの者には効き目などありはしない。だが、その呪文に今のポップは抵抗できなかった。 二、三度、文句を言おうとするように口を開きかけたが、そのまま引き込まれるように寝入ってしまう。 「本当に――いつまで経っても困った子ですね、あなたという子は」 「全くだわ! ラリホーなんかで簡単に寝ちゃうくせに、大丈夫も何もないものだわ!」 憤慨するレオナは、声を抑えようともしない。 自分がいない間に、仲間となった弟子同士の強い絆を確信できるのは、師としては微笑ましいほどに嬉しいものだ。 「そうですね。でも……この子がああいう開き直った態度を見せる時は、なかなか言うことを聞いてはくれませんからね」 なら、今、無理に説得するよりは休ませた方が本人のためですからと、アバンは溜め息混じりに呟く。 一見軟弱に見えるし、面倒なことや辛いことからは簡単に投げ出して逃げ出すくせに、ポップは自分でこうと決めたことからは決して引かない。 そうなってしまえば、どんな障害や周囲の反対も、ポップにとっては無意味だ。 それどころか、場合によっては不可能と言ってもいい。 いくら元師弟とはいえ、今のアバンやポップには望みもしなかった身分という障害が付きまとう。 カール王国の王位に関わる人間として、パプニカ王家の客分として滞在している大魔道士に過度に干渉すれば、他国からどんな難癖を付けられるか知れたものではない。 どんなにポップが気になっても、遅くとも明日か明後日には、アバンはカール王国に戻らなければならない。 (もしかすると……、止められないかもしれませんね……) 「――止めてみせます、必ず……!」 凛とした声が、力強く部屋の中に響き渡った。口には出さなかったアバンの弱気な思いを吹き飛ばす勢いで、強く。 わずか14歳でありながら、人間の尊厳と誇りにかけて大魔王と戦う姿勢を貫き通した勇猛な姫は、決然とした目をポップに向けていた。 「ポップ君は、間違っているわ。いくらダイ君を探すためとはいえ、彼がこんな無茶をするのなんか、ダイ君は決して望んだりなんかしないもの……!」 強く握り締めた手が、震えている。 ダイとの再会を望む――その気持ちは、勇者一行の中でレオナはおそらく誰よりも強いだろう。 実際にダイを探しに動き回っているポップと違い、勇者捜索のために表立って動けない事情を抱えているレオナは、その分、強い葛藤も負ってしまっている。 だが、それでいながら、レオナは己の恋心だけに囚われはしない。 迷いも、自分の感情の揺れも抑え込んで、自分の正義を貫く強さ――それこそが、レオナの本質だ。 輝かんばかりの強い決意を見せる王女をわずかな驚きを交えた目で見て――アバンはフッと柔らかい笑みを浮かべた。 「その通りですよ、姫。さすがですね……、では、この件に関しては、あなたにお任せするとしちゃいますか」 気軽な口調とは裏腹に、その言葉に込められた想いは深い。 「ええ、確かにお引き受けします、アバン先生」 毅然と答えつつも、いざとなったら手段は選ばないわ、などと物騒な独り言を言う姫に苦笑しつつ、アバンはこれでいいのだと自分に言い聞かせる。 自分の意思で、自分の道を切り開こうとする弟子達の行く手を阻むのではなく、見守りたいと思う。 早速支度にかかるために、きびきびと部屋から出て行こうとするレオナに付き従ったアバンは、出口で少しだけ足を止めた。 聞こえていないと知りつつ、アバンは部屋を出て行く間際にポップを振り返り、一声かけた。 「では、ポップ。……目が覚めてからでいいから、ゆっくりと考えてみてくださいね」 深い眠りに陥っているポップには、その言葉は届くまい。それに、もし聞こえていたとしても、返事は期待してはいなかった。――今は。 そして、扉は外から固く閉ざされ、塔の中には眠る魔法使いの少年だけが取り残された――。
END
《後書き》
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