『おんぶ』

「ねえ、おれ、重くない?」

 そう聞くと、魔法使いの少年はおかしくてたまらないと言わんばかりに、軽く笑いとばしてみせた。

「へーき、へーき。だいたいおまえみたいなチビが、重いわけがないじゃん」

  






 あれは、ずいぶんと前。
 まだ、二人の身長差が頭一つ分以上あって、ダイがポップを見上げていた頃。

 たとえば、修行のし過ぎてヘトヘトになった時とか。戦いの直後で力を使い果たした時、動けなくなったダイを、背負って運んでくれていたのは、決まってポップだった。
 それは、そう多くあった思い出ではない。

 数えれば、片手で足りるかどうかぐらいの記憶。
 だけど、それはダイにとっては、大切で忘れられない記憶だった。
 元々、ダイは小さな頃に誰かにおんぶされた経験が足りない。

 育ての親であるブラスがダイを肩車してくれたり、おんぶしてくれたのは、もう、忘れてしまうほど小さな頃だけだ。

 見掛けよりずっと力のある鬼面道士とはいえ、さすがに自分よりもずっと大きくなってしまった人間の子供をおぶうのは無理がある。
 なにせ、物心ついた時には、すでにダイはブラスより背丈があったのだから。

 デルムリン島の怪物達はみんなダイの友達で、ダイよりも大きな動物系の怪物達は頼めばいつだって快く背中に乗せてくれたけど――それは、『おんぶ』とは違うものだ。
 だから、ポップに初めておんぶしてもらった時、その心地好さにびっくりした。

 自分と同じ人間の背中にぴったりしがみつく姿勢は、決して楽な姿勢とは言えない。なのに、不思議なぐらい安心感がある。
 自分で動かなくても、大切に運ばれる感覚はくすぐったいぐらい嬉しかった。

 自分で立つよりも高い目線の位置で、人に全部を預けきっていられる感覚は、ダイにとっては初めてだったから。

 悪いなとは思ったけれど、ダイはポップの体温を感じながらおぶってもらうのが、好きだった。

 あれは、まだダイがポップをいつも見上げていた頃。
 あの頃は、ポップの背中が、すごく頼りがいのある場所のように思えていた――。

   






「ポップ? こんなところで寝てると、風邪引くよ?」

 起こすためというより、念のために一応かけてみた程度の声にポップはまるで反応しなかった。

 ペンを片手に握り締めたまま、机に突っ伏しているポップは規則正しい寝息を立てている。

 広い机の上には、もう場所がないほどに書類やら本やらが積み上げられているが、上手く隙間の何もない所を狙って突っ伏しているのは見事なものだ。

 よほど疲れているのだろう、ポップは執務室に入ってきたダイに気がつかないどころか、声さえ全然聞こえていないらしい。

(また、ちょっと痩せたみたいだ)

 俯せになっているせいで、薄い背中がよく見える。
 客観的に見ても、贔屓目に見ても、お世辞にも逞しいとは言えないだろう。
 細身で男にしては華奢な身体付きのポップは、逞しさとは程遠い。

 起こさないように気をつけながら、ダイはポップの手からそっとペンを取り上げる。
 服を着ていると目立たないが、直接触れるとポップの腕の細さがよく分かるだけに、その手つきは壊れ物にでも触れるような、慎重なものとなる。

(……どうして気がつかなかったのかな、おれって)

 懐かしい記憶を思い出しつつ、ダイは二年前の自分の馬鹿さ加減に苦笑してしまう。
 いや、それともポップの嘘の上手さに呆れるべきなのか。

 昔は見上げていたポップと同じくらいの背丈まで伸びてから、ダイはやっと、今更なことに気がついた。

 あの頃、広くて、頼りがいがあるように思えていた背中が、実はこんなにも小さいものだったと。
 今は、もうちゃんと気がついている。

 あの頃のポップに、ダイを背負うような力なんかなかったことを。
 17才に成長した今のポップでさえ、あの頃のダイと同じぐらいの重さのある荷物など、ろくに持てはしない。

 なら、15才だった頃のポップになど、なおさらそんな逞しさがあるはずがない。
 おそらく、ポップは魔法力を微妙に調節して、ダイの体重を減少させて運んでいたに違いない。

 まだ、ポップが飛翔呪文を覚える前だからそれほど上手くはできなかっただろうし、やっぱり重さも感じていただろう。
 それにも関わらず、ポップはなんともない顔をしてダイをおぶってくれていた。

 本来なら不可能なことを、無理やりにでもやりとげてしまう。腕力なんかなくっても、そんな強さが、ポップにはある。
 だからこそ、この背中は頼もしく見える。

 ダイがいなくなった後だって、その分の重荷を背負ってくれたのは、きっとこの背中だったはずだ。

 勇者に寄せられる期待――それに答えるのがどれ程の重荷か……一度はその重圧に押しつぶされそうになったダイにはよく分かる。

 今だって、ポップはレオナの補佐役として、パプニカ城の政務を引き受けてくれている。ダイが手伝いたくても手も足も出ないことを、代わりに背負ってくれている。

 頼りないくせに、頼れる背中。
 今でもやはり頼もしく思えるその背中に軽く触れながら、ダイは小さく呟いた。

「ありがとう、ポップ。でもさ……あんまり、無理、しないでよ」

 聞こえないと分かっているけれど、言ってみる。
 もしポップが起きている時にそう告げたとしても、受けつけてくれはしないだろうから。
 あの頃と同じように無理なんかしてないと笑い飛ばし、平気な顔で本来なら持てもしない重荷を軽々と背負ってみせるだろう。
 ダイを庇ってくれるその態度は嬉しいけれど、ちょっぴり悔しくって辛い。

 もう、ダイは相手に重荷を預けているのが分からないほど、子供じゃない。
 平気だと笑う言葉が、本音か、強がりかぐらいの区別はつく。
 背だって、ほとんど同じか、少し追い越すぐらいに伸びた。

 あの頃は見上げていたポップの顔を、今はすぐ隣で見ることができる。
 ――だけど、それだけじゃ、多分、足りないのだろう。

 ポップが平気なふりをして背負っている、目には見えない荷物を担ぐ手伝いすらまだできない。

(……ホントの荷物だったら、いくらでも手伝えるのになぁ)

 溜め息混じりに、ダイは思う。
 頭の良さとか政治の駆け引きなんかにはまるっきり手も足も出ないが、単に重いものを担ぐだけならダイの方がはるかに得意だ。

 成長した今、その分野だけなら絶対の自信がある。
 だいたい出会ったばかりの頃から、腕力だけならダイの方が上回っていた。その気になれば、ポップをおんぶするのだって簡単にできるぐらいには。

 ――まあ、実際には、他人に肩を借りるのさえみっともないと嫌がる意地っ張りなポップは、素直におんぶなんかさせてくれなかったけど。

 それにあの頃はポップの方が大きかったから、無理におぶったところで下手すれば足を引きずりかねなかったけど。

 そのせいで、魔法力を使い過ぎたせいで昏倒したポップを運ぶのは、大抵はヒュンケルかマァムだった。

 あの頃はチビだったダイは、それをちょっぴり羨ましく思いながら眺めているだけだった。
 だが、今なら違う。

「よ……っと」

 起こさないように気をつけながら、ダイはポップを机から引きはがして背中におぶう。
 さすがに起きるかなと思ったが、ポップはむにゃむにゃと寝ぼけた声をあげただけで、眠りから覚める気配はない。

 大魔道士に成長したはずの今でも、寝起きの悪さだけは治らないらしい。まあ、ダイにとってはその方が都合がいい。

 力が入っていないせいでずりおちそうになる細い身体をしっかりと支えて、ダイはいつもよりゆっくりと歩く。
 同程度の体格となった今なら、ポップを背負うのに苦労することはない。

 なにせ、細身のポップは至って軽い。
 ポップの背負っている荷物には手も足も出せなくとも、ポップ本人を背負うのなら簡単だ。

 もっとも、おぶわれている時と違って、さすがにラクチンと言うわけではない。自分を相手に委ねきった、あの安堵感はない。

 その代わりに感じるのは、自分が誰かを守っている立場にいるのだという、誇らしいような気持ちだ。
 そして、背中が暖かかった――。

「……っれ?」

 寝ぼけた声と共に、ぐんにゃりしていた身体に芯が通ったように力が籠もる。

「あ、ポップ、起きちゃったの?」

「起きちゃったのかって……てめー、これはいったいなんの真似だよっ!?」

 目が覚めるなり、いきなり怒鳴りだしたポップに肩を竦めつつ、ダイは答えた。

「なにって、ポップを部屋まで連れて行こうと思って。眠いんなら、ちゃんとベッドで寝た方がいいよ」

「って、勝手に人を運んでるんじゃねーよっ。だいたい、なんでおんぶなんだよっ!?」

「だって、こないだ抱っこして運んだら、みっともないからやめろって、すごく怒ったじゃないか」

 正直、本人の意識がない時ならばおんぶよりも抱っこの方が安定がいいし、顔も良く見えるからいいと思ったが、ポップは嫌だと言うから気を使ったつもりだった。
 だが――ポップは今度もまたお気に召さなかったらしく、猛然と暴れだした。

「冗談じゃねえっ、おんぶだってみっともないのは変わらないだろーがっ!!」

 足をバタバタともがかせ、ダイの首を絞めながら騒ぎ立てる。
 正直、手加減しているその手も、割と本気っぽい足の動きもダイにとってはたいして邪魔にもならなかったが、耳元で怒鳴られるのだけはかなりダメージになる。

「こら〜〜っ、ダイっ、下ろせっつーのっ!! 下ろせよっ、みっともねえだろっ!?」

 あんまりポップが騒ぐので耳が痛いが、ダイは手にぎゅっと力を込めて暴れる足を押さえようとする。

「ダメだよ! だって、あんな所で寝ちゃうなんて、うんと疲れてんだろ? 少しは休みもとらないと、身体がまいっちゃうよ」

「平気だっつーの! まだ仕事が残ってんだ、ふざけてないでいーかげんに下ろせっ」

「やだ! ポップが休むって言ってくれるまで、下ろさない!」

 耳元で騒ぐ声や、頭をぶん殴る手を無視してきっぱりとそう言うと、背中でポップが暴れるのをやめ、大きく溜め息をつくのが聞こえた。

「ったく、おまえってしょうがない奴だよなー。分かったから、下ろせよ」

「ちゃんと、休んでくれる?」

 念を押すと、苦笑する気配がした。

「ああ、約束してやるって。だから、下ろせ」

「……うん」

 下ろすと、軽くなった背中がなぜか寒くて物足りない気がする。
 だが、ポップはやっと開放されたとばかりに大きく伸びをして、周囲をキョロキョロ見回して辺りを確かめる。

「あーあ、あんなみっともないとこ、誰かに見られなかっただろーな」

 ぶつぶつ言いながら、ポップは踵を返して元来た道を引き返そうとする。

「ポップ、どこ行くんだよ!?」

 もしかして約束したのは口先だけで、また仕事に戻るつもりかと一瞬思ったが、ポップの足は執務室に向かう廊下には向かわなかった。

「もう眠気なんか、吹き飛んじまったよ。だから、食堂でなにか食い物でも調達して、外で息抜きでもするよ。今日はいい天気だしさ。おまえも来るか?」

 そう聞かれれば、もちろん答えは一つだけだ。

「うんっ!!」

 嬉しそうな声を上げて、ダイはポップの背中を追いかけた――。

  






 以前、ダイはポップを見上げていた。
 今は、すぐ隣で並んでいて。
 そして、もう少し経ったなら――多分、ダイはポップの背丈を完全に追い抜く。

 そうしたら、今度はダイがポップを見下ろす番だ。
 その頃になったなら、ポップの背中がどう見えるようになるだろうか?
 まだ見えない、だが、そう遠くない未来を思って、ダイは一人でこっそりと笑った――。

 

                                            END


《後書き》
 原作を読む度に、ずっと思ってました。シグマのシャハルの鏡を持つのに難儀していた非力なポップが、ダイやメルルをおんぶしたり抱きあげたりできるなんて、無理がある、と(笑)
 あれ、実は魔法力で浮かしていたんじゃないかな〜と、未だに疑っとります。
 
 

小説道場に戻る
トップに戻る

inserted by FC2 system