『おんぶ』 |
「ねえ、おれ、重くない?」 そう聞くと、魔法使いの少年はおかしくてたまらないと言わんばかりに、軽く笑いとばしてみせた。 「へーき、へーき。だいたいおまえみたいなチビが、重いわけがないじゃん」
あれは、ずいぶんと前。 たとえば、修行のし過ぎてヘトヘトになった時とか。戦いの直後で力を使い果たした時、動けなくなったダイを、背負って運んでくれていたのは、決まってポップだった。 数えれば、片手で足りるかどうかぐらいの記憶。 育ての親であるブラスがダイを肩車してくれたり、おんぶしてくれたのは、もう、忘れてしまうほど小さな頃だけだ。 見掛けよりずっと力のある鬼面道士とはいえ、さすがに自分よりもずっと大きくなってしまった人間の子供をおぶうのは無理がある。 デルムリン島の怪物達はみんなダイの友達で、ダイよりも大きな動物系の怪物達は頼めばいつだって快く背中に乗せてくれたけど――それは、『おんぶ』とは違うものだ。 自分と同じ人間の背中にぴったりしがみつく姿勢は、決して楽な姿勢とは言えない。なのに、不思議なぐらい安心感がある。 自分で立つよりも高い目線の位置で、人に全部を預けきっていられる感覚は、ダイにとっては初めてだったから。 悪いなとは思ったけれど、ダイはポップの体温を感じながらおぶってもらうのが、好きだった。 あれは、まだダイがポップをいつも見上げていた頃。
「ポップ? こんなところで寝てると、風邪引くよ?」 起こすためというより、念のために一応かけてみた程度の声にポップはまるで反応しなかった。 ペンを片手に握り締めたまま、机に突っ伏しているポップは規則正しい寝息を立てている。 広い机の上には、もう場所がないほどに書類やら本やらが積み上げられているが、上手く隙間の何もない所を狙って突っ伏しているのは見事なものだ。 よほど疲れているのだろう、ポップは執務室に入ってきたダイに気がつかないどころか、声さえ全然聞こえていないらしい。 (また、ちょっと痩せたみたいだ) 俯せになっているせいで、薄い背中がよく見える。 起こさないように気をつけながら、ダイはポップの手からそっとペンを取り上げる。 (……どうして気がつかなかったのかな、おれって) 懐かしい記憶を思い出しつつ、ダイは二年前の自分の馬鹿さ加減に苦笑してしまう。 昔は見上げていたポップと同じくらいの背丈まで伸びてから、ダイはやっと、今更なことに気がついた。 あの頃、広くて、頼りがいがあるように思えていた背中が、実はこんなにも小さいものだったと。 あの頃のポップに、ダイを背負うような力なんかなかったことを。 なら、15才だった頃のポップになど、なおさらそんな逞しさがあるはずがない。 まだ、ポップが飛翔呪文を覚える前だからそれほど上手くはできなかっただろうし、やっぱり重さも感じていただろう。 本来なら不可能なことを、無理やりにでもやりとげてしまう。腕力なんかなくっても、そんな強さが、ポップにはある。 ダイがいなくなった後だって、その分の重荷を背負ってくれたのは、きっとこの背中だったはずだ。 勇者に寄せられる期待――それに答えるのがどれ程の重荷か……一度はその重圧に押しつぶされそうになったダイにはよく分かる。 今だって、ポップはレオナの補佐役として、パプニカ城の政務を引き受けてくれている。ダイが手伝いたくても手も足も出ないことを、代わりに背負ってくれている。 頼りないくせに、頼れる背中。 「ありがとう、ポップ。でもさ……あんまり、無理、しないでよ」 聞こえないと分かっているけれど、言ってみる。 もう、ダイは相手に重荷を預けているのが分からないほど、子供じゃない。 あの頃は見上げていたポップの顔を、今はすぐ隣で見ることができる。 ポップが平気なふりをして背負っている、目には見えない荷物を担ぐ手伝いすらまだできない。 (……ホントの荷物だったら、いくらでも手伝えるのになぁ) 溜め息混じりに、ダイは思う。 成長した今、その分野だけなら絶対の自信がある。 ――まあ、実際には、他人に肩を借りるのさえみっともないと嫌がる意地っ張りなポップは、素直におんぶなんかさせてくれなかったけど。 それにあの頃はポップの方が大きかったから、無理におぶったところで下手すれば足を引きずりかねなかったけど。 そのせいで、魔法力を使い過ぎたせいで昏倒したポップを運ぶのは、大抵はヒュンケルかマァムだった。 あの頃はチビだったダイは、それをちょっぴり羨ましく思いながら眺めているだけだった。 「よ……っと」 起こさないように気をつけながら、ダイはポップを机から引きはがして背中におぶう。 大魔道士に成長したはずの今でも、寝起きの悪さだけは治らないらしい。まあ、ダイにとってはその方が都合がいい。 力が入っていないせいでずりおちそうになる細い身体をしっかりと支えて、ダイはいつもよりゆっくりと歩く。 なにせ、細身のポップは至って軽い。 もっとも、おぶわれている時と違って、さすがにラクチンと言うわけではない。自分を相手に委ねきった、あの安堵感はない。 その代わりに感じるのは、自分が誰かを守っている立場にいるのだという、誇らしいような気持ちだ。 「……っれ?」 寝ぼけた声と共に、ぐんにゃりしていた身体に芯が通ったように力が籠もる。 「あ、ポップ、起きちゃったの?」 「起きちゃったのかって……てめー、これはいったいなんの真似だよっ!?」 目が覚めるなり、いきなり怒鳴りだしたポップに肩を竦めつつ、ダイは答えた。 「なにって、ポップを部屋まで連れて行こうと思って。眠いんなら、ちゃんとベッドで寝た方がいいよ」 「って、勝手に人を運んでるんじゃねーよっ。だいたい、なんでおんぶなんだよっ!?」 「だって、こないだ抱っこして運んだら、みっともないからやめろって、すごく怒ったじゃないか」 正直、本人の意識がない時ならばおんぶよりも抱っこの方が安定がいいし、顔も良く見えるからいいと思ったが、ポップは嫌だと言うから気を使ったつもりだった。 「冗談じゃねえっ、おんぶだってみっともないのは変わらないだろーがっ!!」 足をバタバタともがかせ、ダイの首を絞めながら騒ぎ立てる。 「こら〜〜っ、ダイっ、下ろせっつーのっ!! 下ろせよっ、みっともねえだろっ!?」 あんまりポップが騒ぐので耳が痛いが、ダイは手にぎゅっと力を込めて暴れる足を押さえようとする。 「ダメだよ! だって、あんな所で寝ちゃうなんて、うんと疲れてんだろ? 少しは休みもとらないと、身体がまいっちゃうよ」 「平気だっつーの! まだ仕事が残ってんだ、ふざけてないでいーかげんに下ろせっ」 「やだ! ポップが休むって言ってくれるまで、下ろさない!」 耳元で騒ぐ声や、頭をぶん殴る手を無視してきっぱりとそう言うと、背中でポップが暴れるのをやめ、大きく溜め息をつくのが聞こえた。 「ったく、おまえってしょうがない奴だよなー。分かったから、下ろせよ」 「ちゃんと、休んでくれる?」 念を押すと、苦笑する気配がした。 「ああ、約束してやるって。だから、下ろせ」 「……うん」 下ろすと、軽くなった背中がなぜか寒くて物足りない気がする。 「あーあ、あんなみっともないとこ、誰かに見られなかっただろーな」 ぶつぶつ言いながら、ポップは踵を返して元来た道を引き返そうとする。 「ポップ、どこ行くんだよ!?」 もしかして約束したのは口先だけで、また仕事に戻るつもりかと一瞬思ったが、ポップの足は執務室に向かう廊下には向かわなかった。 「もう眠気なんか、吹き飛んじまったよ。だから、食堂でなにか食い物でも調達して、外で息抜きでもするよ。今日はいい天気だしさ。おまえも来るか?」 そう聞かれれば、もちろん答えは一つだけだ。 「うんっ!!」 嬉しそうな声を上げて、ダイはポップの背中を追いかけた――。
以前、ダイはポップを見上げていた。 そうしたら、今度はダイがポップを見下ろす番だ。
END 《後書き》 |