『英雄の素顔』 |
大魔王バーンが倒れ、世界が輝きを取り戻してから、二年が経った。 まだ完全に復興したとは言い切れないし、残された傷跡は小さくはないが、世界の脅威は取り除かれ、人々は明るさを取り戻していた。 なにより、人々に希望を信じさせてくれたのは、行方不明だった勇者が帰還したという実に喜ばしいニュースだった。 世界を救ったのは勇者様と、その仲間達。 アバンの使徒そして名高い、5人の名を知らない者なんて、この世にもういない。 勇者ダイ。 魔剣士ヒュンケル。 その名を知る者は、多いだろう。 それゆえに人々は彼らの噂を聞き、どんな人達だろうとあれこれと想像し、期待に胸を膨らませる。 一般の人々にとっては、アバンの使徒達は手の届かない存在の英雄達であり、雲の上の天上人に等しい。 だが、一人の娘だけは知っていた。 「さあ、さあ、みんな、手を動かして! ほら、ほら、おしゃべりなんてしている暇はないんだよ!」 「おーい、ワインが足りないんだけど、注文した品はまだ届かないのか?」 「広間に飾る花はどこにやったの!? ああ、もうパーティが始まるまで二時間とないんだよっ」 表面が華やかであればある程、その舞台裏は雑多なまでに騒がしく、ごったがえしていると相場が決まっている。 世界でもっとも華麗にして豪華と噂される、ベンガーナ王国主催の平和祝賀パーティも、舞台裏はこんなものだ。 そして、そんな忙しい最中でありながら、誰もが普段よりも高揚して落ち着かないのは、もうじき英雄達を間近に見ることができるという期待のせいだろう。 祝賀パーティなら去年も開かれたが、今年はなんと言っても行方不明だった勇者ダイが帰還して、アバンの使徒勢揃いの宴席となる。 もちろん、いくら城に仕える者達とはいえ、パーティに出席できる身分でもない一般人にすぎない彼らにとって、彼らの存在は遠い。 だが、彼らを実際に間近に見ることができ、あわよくばお近付きになれるチャンスと舞い上がり、侍女達でさえもいつもよりも念入りに、少しばかり濃いめに化粧を施してはしゃいでいる。 その中で、彼女だけは違っていた。 彼女はいかにも気後れしている様子で、物珍しそうに城内を見回しては、おっかなびっくりと歩いている。 やっと少女から娘へとなりかかった年頃のその娘は、化粧っ気もなく、長い髪も後ろで一本に括っているだけのなんの飾り気もない身形だった。 その髪を括るリボンが、色鮮やかな布を寄り合わせて作られているのが、唯一の年頃の娘らしい華やぎか。 ベンガーナ城に出入りを許される洋品店で働いているほんの下っ端のお針子だが、若さに似合わず手先が器用だと重宝されている。 そのため、その場で仕立て直しが必要とされる可能性のある届け物には、彼女が行くことが多かった。 さすがに完全に仕立て直しは無理だが、サイズが多少大きい服は摘んで縫い合わせ、逆にきついようならばボタンの位置をずらせるなど、細やかに手直しするのはお手のものだ。 店長やベテランはすでにそちらだけで手一杯であり、彼女はその他の注文をさばくために連れてこられた人材だった。 「これ、これ! これを待っていたのよ! どう? この布地はパプニカ製なのよ!」 「あら、私のなんか、最新流行の型なのよ。……って、なに、これ? あ、やーん、ボタンがしまらない〜」 「あんた、少し太ったんじゃない?」 口々に大騒ぎしながら着替え始める侍女達が訴える些細なトラブルに、次々と対応していく。 次から次と手直しを頼む侍女達からようやく開放され、もう帰ってもいいと言われて、心からホッとしたものだ。 城門まで送ってくれるというのを辞去し、お針子は一人で帰ることにした。 城に上がるのは初めてではないにしろ、数える程しか経験がないため、進む足取りはどうしても道を探しつつ、緩やかなものになる。 (この部屋は……) そこは、宴席に招待した客人達のために用意された、控え室的な意味合いを持つ客室の一つだった。 その中で最上の一室の扉が、開けっ放しになっているのを見て、奇妙な既視感(デジャ・ヴュー)に襲われる。 場所はちょうどここと同じベンガーナ城で、同じく華やかな祝賀パーティの最中だった。 今日のパーティに比べると、料理にしても飾りにしても、質素と言える支度だけだった。なにより、主役であるはずの勇者はまだ行方不明だった頃の話だ。 だが、それでもベンガーナ王は彼らを招いてパーティを開かずにはいられなかったのだろう。 国の内外から反対があったにもかかわらず、半ば強引にアバンの使徒を招いて大掛かりな祝賀会を開いた。 世界を救ったはずの勇者の一人であるはずなのに、少しも嬉しそうな顔をしていなかった魔法使いの少年を。
去年の今日も、祝賀パーティの余波でてんてこ舞いだった洋品店に、よりによって当日になってから城から緊急の注文が入った。 できるだけ早く若い男性向けの緑色の法衣を届けるようにという依頼を受け、他に人手がいなかったために、直しができるお針子は息を切らして駆け付けるはめになった。 城にやってきてから、実はその服を必要としているのが勇者一行の魔法使い、噂に名高い大魔道士ポップだと聞かされ、目が点になったものだ。 賓客と接した経験もなく、しかも城では誰もが忙しかったために介添えの侍女もいないまま、お針子は一人、緊張してポップのいる部屋に向かった。 なんと言っても、相手は勇者一行の一員だ。 が、最初から鍵もかけず、きちんと締めてさえいなかったドアは、お針子のノックにさえ耐えきれず、あっさりと開いてしまった。 しかも、急ぎ足でやってきた彼女は、勢いのままに1、2歩、部屋に入ってしまったのだ。 (えっ、ええーっ、嘘ぉおっ!?) と焦ったところで、すでに遅い。 にも拘らず、いきなりノックや挨拶もしないままで部屋に足を踏みいれるとは、減給されても文句の言えない失敗である。 一人あたふたと焦ったお針子は――ぼんやりと窓枠に頬杖をついて空を見上げている少年に気がついた。 (嘘……!? この人が、ポップ、さま?) そう気がつくまで、一拍の時間が掛かった。 だからこそ、ついまじまじと見つめてしまい、ますます挨拶が遅れてしまう。 完全にこちらに背を向けていたせいか、ポップの方はお針子にまるで気がついてはいなかった。 なにせ、ここは客が衣装を着替えるのを目的として用意された客間だ。 本人は全然気がついていない様子だったが、お針子からは彼の後ろ姿はもちろん、鏡に映った横顔もよく見えた。 魔法使いと言えば即座に年よりの姿を思い浮かべてしまうが、彼は彼女がびっくりする程に若かった。 なにせ彼は当時17才になったばかりの彼女よりも、まだ年下に見える少年だった。 おまけに身体付きだって、大差はなかった。 巷に広がる噂では、勇者の魔法使いである大魔道士ポップは、100の魔法を自在に操り、死んだ少女すらも蘇らせる奇跡も操れる史上最高の魔法の使い手だとされている。 また、頭脳に優れていて、神をも欺く知性の持ち主だとも――見たところ、全然そんな風には見えないのだが。 だいたい、見た目で言うのなら、お針子の見掛けた勇者の魔法使いの肖像画とは似ても似つかない。 肖像画では、決まって若く、長身でありながらすらりとした体型の青年が勇者の側にいるというのに。 長髪を優雅になびかせ、緑色の魔法衣の似合う、超絶美形の知的な青年――それが、世間でイメージされている勇者の魔法使いの姿だ。 落胆混じりに、お針子は二代目大魔道士ポップを眺めやる。 色合いや造りを見る限り、確かに生地はいいようだ。 だが、華美を好むベンガーナ国民の気質から言うと、実質優先のデザインのその魔法衣は、ごく平凡な旅人の服にしか見えなかった。 髪も長髪などではなく、癖のある黒髪をざっくりと切った、いかにも少年っぽい髪形にすぎない。 その髪と鮮やかな対比を見せる黄色のバンダナは、開けっ放しの窓から吹き込む風に、ゆらゆらと揺れている。 その顔も、特に目を引く程のものではない。 少なくとも、世間の期待する大魔道士のイメージに匹敵する美形とはとても言えない。だから、お針子が彼の顔で一番印象を受けたのは、顔立ちそのものではなく、浮かんでいた表情だった。 今でも、よく覚えている。 ちょうど、勇者達が世界を救った日も、こんな風に青空の綺麗な日だったのだから。 まるで、曇天を見上げているかのように、憂鬱そうな表情。ぼんやりとした顔には、覇気というものが感じられない。 それは、以前はよく見掛けた表情だった。 だが、今はそんな風に沈み込む人などいなくなったというのに。 そうやって彼を見つめていた時間は、実際にはそれ程長くはなかっただろう。 その際、少しだけパーティを覗き見る機会を得ることができた。 4人の主賓の中で、一番目立っていたのはまだ年若い少女だった。 大人びたデザインのドレスを事も無げに着こなし、悠然と微笑むその姿には同性でありながら見ほれてしまう。 その隣にいたのは、武闘家の衣装を着た少し年嵩の少女――おそらくは、彼女が拳聖女マァムだ。 似たような格好をしている貴族の娘達とは一線を画する、一風変わったデザインの武闘着は彼女にとても似合って見えた。 飾り気のない実践的な衣装を着た彼女は、そんな武骨な格好にも関わらず可愛らしい少女で、そのアンバランスさが魅力だった。 だが、異性の視線を集めているという点では、長身の青年に勝るものはいなかっただろう。 魔剣士ヒュンケルという、不吉な二つ名や裏切り者だったという噂を忘れさせる程の美形だった。 険しいといってもいい鋭い目つきでありながら、どこか陰りを帯びた端正な顔立ち――若い娘達が目の色を変えるのも無理はあるまい。 だが、実際に周囲に人を集めていたのは、魔法使いの少年――ポップだった。 だが、コロコロとよく変わる陽気な表情が、気さくに誰にでも話しかけるその態度が、気がつくと周囲に人を集めている。 しかし、正式な招待客どころか、城に常駐するわけでもない一介のお針子に、それを質問できるわけがない。 もともと、お針子とは全く接点のない、雲の上の人のことだ。 ――だけど、忘れられもしなかったけれど。 素直に祝賀パーティに浮かれ、張り切る人々の中にいるのは、お針子には少しばかり気が重い。 あの英雄達は――少なくとも、あの魔法使いの少年はこれを望んでいるとは、思えないから。 人前では笑顔を絶やさずに、人懐っこく愛嬌を振りまいていたあの魔法使いの少年は、また、一人になった時に沈み込むのだろうか。 まるで迷子のように、寄る辺のない表情で空を見上げていたあの時の少年を思い出し、お針子は小さく溜め息をついた。 ――だが、彼女にできることなど、ない。 「ぶはははっ、なんだよ、その格好ーっ!? どこの王子様だ、おまえは」 底抜けに明るい、弾けるような笑い声に彼女は思わず足を止めていた。 「そんなに笑うなよな〜。おれだって、好きで着てるんじゃないのに」 ちょっとむくれたような、まだ声変わり前の男の子の声。 「ははっ、わりい、わりい。でもよ、馬子にも衣装っての? そんな格好をしてると、おまえでも王子に見えるよなー。ま、世が世ながらおまえってホントにそうなんだけどよ」 「それって、褒めてる?」 拗ねたような声には、相手に対する甘えが感じられる。 「あーあ、それにしてもこれ、動きにくくてヤだなぁ」 そう言ったのは、声変わり前の男の子の方だった。 いかにも元気そうな男の子だった。 頬にはっきりとした十字傷が見えるが、彼の場合それが人相を悪くみせるのではなく、むしろ快活さを引き立てるアクセントになっているように見える。 青をベースにした衣装の上に、銀色に輝く部分鎧を身につけた少年は、背にした白いマントが気になるのか何度も手で引っ張っていた。 そして、彼が背負っているのは、シンプルなデザインながらも風格を感じさせる大きな剣。 今は幼さの方が強いが、肩回りや腕の筋肉のつき方あたりなどに、すでに男らしさの萌芽は現れている。 まだ子供と呼べる年齢なのに、戦士としての格好がしっくりと馴染むその少年を一目見ただけで、お針子は彼の正体に思い当たった。 吟遊詩人は、かく謡う。 「文句いうなって。おれのよりマシだろ、こっちの服なんかは裾と袖が長い分、輪をかけて大変なんだぜ」 そう言って笑っている魔法使いの少年の方は、去年と全く同じようでいて、それでいてまるっきり違っていた。 外見的にいうのならば、彼にはほとんど変化は感じられない。 厳密に言えばデザインの違う別の服なのだが、似た印象を与えるという意味では同じだ。 頭に黄色いバンダナをまいている所まで、去年と全く変わりがない。 おどけた表情で笑うその顔には、去年の弱々しさなど微塵も感じられなかった。 目の前にいるのは、世界を救った勇者と魔法使いはず――。 立派な服もなんのその、彼らはごく普通の男の子達がそうするように、ふざけ半分に笑い合い、式典なんかサボって遊びに行きたいなどと騒いでいる。 「ん? 誰か、そこにいるの?」 「えっ……、あっ、す、すみません、ご無礼を致しました!」 自分が何をしでかしてしまったか、やっと今ごろ気がついたお針子は慌てて頭を下げる。勝手にお城の貴賓室を覗きこむだなんて、本来ならとても許されない大失態だ。 きつい罰をくらうのも半ば覚悟していたが、勇者ダイは拍子抜けするぐらい気さくな口調で言った。 「君、おれ達になにか用なの?」 「い、いいえ、ご用だなんて、とんでもありませんわ。私はただ、通り掛かっただけですから……」 必死で言い募るお針子をひょいと覗き込んで、魔法使いポップは首を傾げてみせる。 「あれ? ……どっかで、会ったことなかったっけ?」 そう言われて、ぎくっとする。 だが、ごく短い間に過ぎなかったし、単に衣装合わせをしただけで、知己と言える程に会話を交わしたわけではない。 「ダイ、ポップ、支度にいつまでかかっているの? もう、時間がないのよ」 そう言ったのは、白銀の衣装を身に付けた若い娘。騎士であることを証明する衣装を見事に着こなした、淡い赤毛の娘。 それが、去年見かけた武闘家の少女と同一人物だと気がついた時は、勇者と魔法使いは母親に呼ばれた子供のように彼女の後を追っていた。 「うん、今、行くよ、マァム。じゃあ――用がないなら、行くね?」 後半は、お針子の方に向かって言ってくれたダイの優しさに、感動すら感じてしまう。 ポップもそう言って軽く手を振り、早足に去っていく。 詳しい事情なんて、知らない。 あの魔法使いの少年は、この一年の間にようやく望んだものを見つけたのだと。 人々に希望を取り戻してくれながら、人知れず絶望していた彼もまた、希望を取り戻したのだろう――それが何なのか、彼女にはしかとは分からないが。 しかし、一人で抱え込んでいた、ちょっと悲しくなる思い出が、緩やかに溶けていくのが分かる。 もう、とびっきりの秋晴れの空を見あげても、とある少年を連想して心を痛める必要などない。 世界が救われた日と同じく、晴れ渡った青空を見上げてお針子は一人、微笑んでいた――。
《後書き》
と、無駄に細かい設定ばかり詰めこんどいて、パーティの描写などは少なかったりするのですが(笑)、す、すみませんっ。こんなので精一杯ですっ。 |