『ホワイト・デ−の逆襲』 |
それは今より一ヵ月前、バレンタイン・デーの夜のこと――。 『ソレ』を前にして、パプニカ近衛隊長にして、元魔王軍軍団長はためらわずにはいられなかった。 戦場において、迷いは禁物だ。戦いの場では、ほんの少しであれ出方が遅れるだけで命運を喫することなど、よくある。 それを肌で理解しているからこそ、ヒュンケルは何時、如何なる時でも即断即決を旨としている。 自室に届けられた『ソレ』……可愛らしいハート型の入れ物や、きらびやかなラッピングの物体を前に、ヒュンケルが思うのはつい先程起こったばかりの惨事。 しかも、彼は『ソレ』が作られる様を克明に目の当たりにしているのだ。 だが、皮肉にもヒュンケルに決意を固めさせたのは、その光景だった。 誰も見ていないのだからこっそりポイ捨てしようだなんて発想は、そもそもこの真面目な男に限っては浮かぶはずもなかった。 (ダイ、ポップ、お前達2人だけを苦しませはしない、俺も逝く……っ!!) と、悲壮な決意を秘めて、ヒュンケルは『義理』と記されたチョコレート(?)を口にした――。 ただでさえその日、昏倒したダイとポップの手当てのために城中が騒然としていたのが仇となり、ヒュンケルのこの勇敢なる行動の結末がどうなったかと見届けた者はいなかった。 誰もいない部屋の中で人知れずにひっそりと彼岸へと旅立ちかけたりもしたのだが、ちゃんと生還してきた辺りはさすがというべきか。 都合三名の重症者がでかかったりもしたが、それでもバレンタイン・デーは何事もなく終了したと言っていいだろう。 漂うのは、甘いバニラエッセンスの匂いと、機嫌のよさそうな鼻歌だった。 ごく稀にだが、ポップは料理をするために場所を借りることがある。それはめったにないことな上、ポップ本人が他人に知られるのを嫌がっているせいで、短い時間にこっそりと行われることが多い。 「いい匂いだね、ポップ! ねえ、何、作ってるの?」 教えてもいないのに、ごく当たり前のようにキッチンに飛び込んできた勇者様を見て、大魔道士は呆れたような顔をする。 「おまえ、どうしておれがここにいるの、分かったんだよ? 姫さんにも内緒にしてたのにさ」 そう聞かれると、ダイとしては首を傾げるしかない。 それで、どこに行ったのかと慌てて捜したのだが、ここにいると分かってキッチンにきたわけでもない。 「う〜ん? なんとなく、かなぁ?」 「あー、これだから野性児は……。おまえってホント、脳味噌使わずに勘だけに頼って生きているよなぁ」 いささか馬鹿にされたようなその言葉も、ダイにとっては気にはならない。ポップの口が悪いのは今に始まったことじゃないし、ダイはポップのその率直さを嫌いじゃない。 本を読む時や仕事の時は、集中の邪魔になるからと追い払われることも多いが、料理の時はポップは決してダイを追い払ったりはしない。 料理にはそれほどの神経や集中は必要がないせいか、あれこれ手を動かすついでにおしゃべりをしたりして、構ってくれるのも嬉しくてしょうがない。 「今日はずいぶんいっぱい作ってるんだね」 テーブルの上に広げられているのは、ハートや星の形に形抜きされたクッキーの数々だった。 すでに焼き上げられたクッキーは、冷ますためか清潔な紙の上に間隔をおいて並べられている。 普段だったらポップは、仲間達のおやつ用に丁度いいぐらいの量しか作らないのだが、今日はダイでさえ食べきれないぐらいたくさん作っていた。 しかも、それでもまだ終わりではないらしく、新しい生地を伸ばしては形抜きをするのに余念がない。 料理をする時は、ポップはいつもははめっ放しの手袋を外して素手になる。白くて細い手が、信じられないくらい器用に動いては、そのまま食べてもそれほど美味しくないものをあれこれといじり回し、とびっきりの料理へと変化させていく。 それは魔法のようで、見ているだけでわくわくするし、すっごくいい匂いも嗅げるし、ポップの機嫌次第では味見もさせてもらえる。作りたてのお菓子を一口だけ食べさせてもらうのも大好きだが、残り物の後片付けだって悪くない。 余ったクリームとか、完全に取りきれずにボールに残ってこびりついたチョコレートなどを食べてもいいと言われると、ダイは大喜びでペロペロと舐めまくる。 今日も何か余っていないかと熱心にテーブルの上を見てみたが、残念ながら今日はまだ食べてよさそうな空になりかかったボールなどは見当たらなかった。 材料がたっぷりと入っているものを勝手に食べるとポップが怒るので、ここはぐっと我慢する。 ダイとしては、クッキーを形抜きした後に出来る、生地の半端な残り屑を食べるのも好きなのだが、それをやってもポップが怒るのは経験済みだ。 (確かに焼いた方が美味しいけど、生でも食べられるのになあ) うっとりと半端な屑に目をやりつつも、ダイはなんとか理性と根性を総動員してその誘惑に耐えた。 焼きたてのクッキー独特の甘い香りの誘惑に我慢出来なくなったダイは、そっと手を伸ばした。 「ねえ、ポップ、これ、一個食べていい?」 ケーキの場合は、ポップは全員がそろうまでは決して食べさせてくれない。 「あっ、やめろっ、ダイ! それ、食うな!」 「え?」 ほとんど叱責に近いほど強い制止に、ダイは唖然として固まった。 「それ、ちゃんと数えて作ってるんだよ、食べられると数が合わなくなっちまうから、ダメだ。それはさ、ホワイト・デー用のクッキーなんだからよ」 「ほわいと……でー?」 呆然と呟き返すダイは、頭の中まで真っ白になりつつあった。 「ああ、バレンタイン・デーでチョコをもらったら、ホワイト・デーにお返しをするのが礼儀ってもんなんだよ」 その言葉をダイが理解するまで、少しばかり時間がかかった。 今一つよく分からない習慣を、それでも一生懸命理解しようと、ダイは真剣に考え出す。バレンタイン・デーの日、カール王国に出張中だったポップは、確かにチョコをどっさりと抱えて帰ってきた。 それは、ダイも覚えている。 「じゃ、それ……、カール王国の女の子達にあげるの?」 ダイの声がかすれがちで、震えてさえいるのに、ポップは気がつかなかった。 「ああ、結構あったから、お返しも大変だぜ。そういやよ、おまえは何か用意したのか? 姫さん、待ってるんじゃねえの?」 一ヵ月前、危うく死にかけたのは棚に上げ、ポップは仲間であるレオナのためにちょっとばかり後押しをしてやるつもりだった。 常に大胆不敵、威風堂々としたパプニカ王女が、ここ数日、何やら落ち着ぬ様子でそわそわしているのを、ポップは何度か目撃している。 その度に彼女が目をやるのは、カレンダー――赤いペンで花丸の印を囲んだ3月14日を見つめるレオナが、何を心配や期待しているかなど、一目瞭然だ。 しかし、問題は無人島育ちの世間知らずの勇者様に、ホワイト・デーの正しい知識があるかどうかだろう。 ここは一つ、ちゃんと教えてやろうと顔を上げたポップの目に映ったのは、身を翻しては知りさるダイの背中だった。 「……って、ダイ?」 親友の唐突な行動を理解できず、きょとんとするポップはただ、首を傾げるばかりだった――。
『おしろのろうかは、はしってはいけません!』 と、とても分かりやすく、読みやすい簡単な字で書かれた、特定の個人に向けられたとしか思えない張り紙など、今日ばかりは目に入らなかった。 どこに行くという当てもなく、だが、とても足を止められないままダイは走り続ける。 言うなれば、それは青天の霹靂。 ――実際、竜の騎士であるダイは雷を数発くらったぐらいでは、ビクともしないし。 (ポップが……っ。おれに、お菓子くれないだなんて……!) ポップは、今まで料理を作る時は、必ずダイに与えてくれた。 だが、それでもポップが作った料理を真っ先に食べるのは、いつもダイだったし、それが当然だと思っていた。 今日はせっかくのポップのお休みで、しかも珍しく料理を作っていたから、ラッキーだと思ったのがなおさら今の絶望感を引き起こす。 一緒に過ごせて、しかもポップの手作りお菓子を食べられると思ったのに、それらはダイに向けられるものではないだなんて。 見も知らない女の子達のものだと思うと、焦りに似た、だが少し違う気のする感情が強く込み上げてくる。 (こんなことなら、おれもあの時、ポップにチョコをあげとけばよかった……っ!) それは、いろんな意味で間違っている。 (そうだ……! 今からでも、遅くないかも!) いや、すでに遅すぎるだろう。 ポップにチョコを上げさえすれば、ポップからお返しにお菓子をもらえるはずだと単純に思い込んでしまった。 現金なもので方針を決めた途端、足がピタッと止まり、表情も明るくなる。 (あ、でも……おれ、お菓子なんか作ったことないし〜っ) ポップが作るのは何度となく見てきたし、食べたこともある。 戦いに関してなら、一度見れば脳裏に焼き付けることが出来るが……畑違いの分野は如何ともし難い。 家庭教師からはやめろと何度も注意されているものの、どうも、頭を使おうとすると無意味に動く癖が抜けきらない。 無意識に自室の方向へと向かっていたダイは、自分と同じよう廊下を歩いている人影を見つけた。 しばらく一方向に歩いたかと思うと、急に逆戻りして少し歩き、またくるりと回ってまた歩きだす。 レオナはいつも忙しいが、特に、今日はいつもより忙しいはずだ。 レオナが休日の日はポップが、ポップが休日の時はレオナが、普段以上に忙しくなるという仕組みだ。 ポップが休みな以上、今日のレオナは執務に追われているはずなのに、なぜここにいるのかが疑問だった。 ダイに用なら、ダイの部屋で待っているか、でなければ三賢者か誰かを通じて連絡を入れてくるのがレオナのやり方だ。 が、今日のレオナはいつもとどこか違っていた。 「あっ、ダイ君っ!? こんな所で会うなんて偶然ねっ」 (そ、そうなのかなあ?) 嬉しそうなレオナを前にして、ダイはちょっとだけ疑問を感じる。 (そうだっ、レオナならっ!!) ダイの知っている中で、彼女ほど賢い女の子はいない。ダイの疑問や迷いに、明確に答えを返して道を指し示すのは、決まって彼女だ。 それだけにダイはレオナに対して、頼りになると信頼する気持ちがある。 「レオナ〜っ、お願いだよ、チョコの作り方って教えて!」
1時間後。 外見上、それは割に普通のチョコレートだった。まあ、形が多少歪で、固まりが多少甘くてべたついた印象はあるが、それなら許容範囲内だろう。 だが、ダイを懊悩させるのは、その作成過程ゆえだった。 『任せてっ。あたしの秘密の、とびっきりのレシピを教えてあげる♪』 その言葉通り、レオナはてきぱきとチョコの作り方を教えてくれたばかりでなく、三賢者に頼んで必要な材料を即座に用意してくれた。 その手際ときたら、あらかじめ準備していたとしか思えない素早さだった。 『じゃ、後は自分で頑張ってね! あ、あたし、この後、ずっと執務室にいるから!』 と言い残して、去っていった。 用意されたチョコはすでに刻まれ、二重にされたボールの中で、半分以上溶けたものを渡されるという、入念な準備ぶりだった。 普通のお菓子と違って、キッチンでなくても部屋でもできそうだったので、ダイは自室でこっそり作ることにした。 それだけの作業は、ダイにも簡単にできた。 (ちゃんと、レオナに教わった通りにやったのに〜) なまじ教わった通り作ったのが良くないのだと、ダイが知るよしもない。チョコ作りなど初めてなダイが、レオナご推薦のレシピの非常識さを理解出来るはずもない。 しかも、ダイは料理は作った経験などほとんどないために、習った通りに出来ずに、独自の失敗も少なからず犯してしまっている。 結果として、目の前にある『もの』は、チョコレートではなく『かつてはチョコレートだったもの』に成り下がってしまっていた。 前に、レオナからもらったチョコレートほどに危険な気はしないが、それでもあんまりよくはない予感を醸し出すその物体を前にして、ダイは頭を抱え込んでしまった。 ポップからホワイトデーのお返しはもらいたいものの、そのためによくない食べ物をポップに上げていいものか――ダイの苦悩は深かった。 「ダイ、いる? 入るわよ」 淡い赤毛の姉弟子が入ってくるのを見て、ダイは目を丸くする。 「あれ? マァム、来ていたの?」 「ええ、メルルと一緒に、さっきね」 バレンタイン・デーにもやってきたマァムとメルルは、最初からホワイト・デーにもやってくる予定があった。 それは主に、チョコレートを想い人に渡し、また、お返しをもらいたいと願うメルルの細やかな願いが込められたからこその日程だが、天然な上に鈍いダイとマァムはその思惑になど気がついちゃいない。 特にマァムは、ダイの部屋にくる前にレオナに挨拶してきただけに、彼女の事情に気を取られていた。 ダイにチョコ作りのやり方を聞かれたと嬉しそうに語り、だが、彼がなかなか来ないのを心配しているレオナを見て、マァムはちょっぴりお節介をやきにきたのだ。 「ダイ、チョコを作っていたのね。うまく出来ているじゃない、渡しにいかないの?」 少なくとも、外見上は目だった欠陥のないチョコレートなだけに、マァムの意見も最もだろう。 「そうかな……でも、おれ、ちょっと、失敗しちゃったみたいなんだ」 悩むダイを、マァムは慈母のごとく優しく――そして、いたって無責任に助言した 「あら、少しぐらいの失敗なんて問題じゃないわよ。気持ちが籠もっているのが、なによりも大切なの。ダイは、それをプレゼントするために一生懸命作ったんでしょう?」 「……うん」 確かに、気持ちだけならいっぱい籠もっている。そこだけなら、ダイも自信があった。 「なら、大丈夫よ。気持ちが一番、大切なんだもの。さ、包んであげるから、思い切って渡してあげなさいよ」 と、マァムが親切にも綺麗にラッピングしてくれたチョコを抱え、ダイは部屋を送り出される。 いくら上に超のつく天然とか言われていても、マァムにも恋人達のバレンタイン・デーやホワイト・デーを邪魔するものではないというぐらいの認識はある。 だが、マァムのその思惑と違って、ダイが向かったのはレオナの執務室へではなかった。ダイは、ポップのいるキッチンへと歩きだしていた――。 (うーん、どうしよ……?) マァムの後押しを受けて、ますます悩みつつ歩くダイは、キッチンの入り口辺りで苦労しつつ荷物を運びだそうとしているポップを見つけて、ギクッとした。 (あ、ポップ!?) そのまま、ポップがクッキーの山を抱えてカール王国へ行ってしまうのかと思って焦ったが、ポップの反応は予想外だった。 「こらっ、ダイ、てめえ、どこに行ってたんだよっ!? さっさとこっち来て、この荷物、屋上まで運ぶの手伝えっつーの! じゃないと、おまえの分のクッキー、やらねえからなっ」 「え?」 『おまえの分のクッキー』 怒鳴られたことよりも、いきなり荷運びを押しつけられたことよりも、その一言が耳に強くリフレインする。 思わず呆然と突っ立っていると、ポップは手ぶらのままつかつかとやってきて、ダイの耳を強く引っ張った。 「聞こえてねーのか、てめえはっ!? 手伝えって、言ってるだろーがっ」 「い、痛っ、痛いよ〜、ポップッ!?」 「やかましいっ。おまえに手伝わせるつもりだったのに、いつのまにかいなくなりやがって。どこ行ってたんだよ?」 勝手なことを言いつつ、人の耳を引っ張って移動するポップに、言い返そうと思えば言い返すことは幾らでもあった。 だが、まだ素手のままのポップに耳を引っ張られるのはちょっとくすぐったくて、悪い気はしない。 逃げようとすれば痛いが、引っ張られるのに合わせて動けば別に平気なので、ダイは素直にポップについていった。 キッチンに戻ると、入り口の所におかれた大きな袋が一つある他に、別のお菓子がテーブルの上に幾つか乗せられていた。 一番目につくのは、真っ白なチョコレートで飾られた、ホールケーキだ。その他に、ふわふわした色とりどりのマシュマロも用意されている。 「あ、そのテーブルの上のは、マァム達のホワイト・デーのお返しだから、まだ食うなよ。みんながそろってから、お茶の時間に食べるんだから。おまえの分は、こっちだ」 そういって、ポップが指差したのは、テーブルの隅に置かれている皿だった。 オーブンから出したばかりなのか、まだ湯気を立てているクッキーが一皿分、冷ましてある。よく見ると、それは先ほどポップが作ったクッキーとは微妙に違う。 ハートや星という凝った形ではないが、レーズンやピールがふんだんに混ぜられ、多少大きめに作られている。 「これ……おれのなの?」 まじまじと目を見張るダイを見て、ポップはいささか怪訝そうな顔をする。 「なんだ、いらなかったのかよ?」 「ううんっ、まさかっ! いるよ、いるに決まっている!」 慌てて全力で首を振って否定すると、ポップはおかしそうに笑った。 「そりゃよかった。ほれ」 クッキーを一つ指で摘むと、ポップはそれをダイに差し出してくる。迷わずぱくっと食べると、甘くて美味しい味が口の中いっぱいに広がった。 「おいしい……! これ、すっごくおいしいよ、ポップ!」 「そりゃ、当然。ポップ様特製のクッキーだからな。女の子向けに甘さ控え目じゃなく、お子様向けに甘みを強めて、おまえの好きなドライフルーツを足したんだ。口に合わないはずないだろ?」 得意げに言うポップの、その料理用語や工夫は正直ダイにはよく分からない。が、ポップが自分のために、他の女の子にあげる物より、なんらかの手を掛けてくれたのだけは分かった。 「さ、もっと欲しかったら、そっちのクッキーの袋を屋上のエイミさんのとこまで運んでくれよ。早くしないと、気球が出発しちまうから急げよ」 「え? エイミさんって……これ、ポップが届けにいくんじゃないの?」 バレンタイン・デーの時、あれだけ嬉しそうにやに下がっていただけに、てっきりポップはカール王国に行って女の子達に直接お返しするつもりなのだと、ダイは思い込んでいた。 「面倒くさいから、アバン先生達に任せるよ」 料理好きのアバンは、ハロウィンや、クリスマス、バレンタイン・デーにホワイト・デーなど、イベントごとに手作りの料理を国民に配ることが多い。 当然、そこには恋人達の記念日に相応しいラブな雰囲気など微塵も存在しない。 が、ポップにしてみれば、顔を覚える暇もない程大勢の人に、ずっと笑顔を振りまきお菓子を渡す作業を、延々続けることになる。 自分にチョコをくれた女の子達へのお返しとして、クッキーを用意するだけで十分義理は返せると思える。 「今日、エイミさん、親書を持ってカールに行くっていうから、ついでにクッキーも持ってってくれるって言ったんだ。もう、屋上で準備しているはずだから、とっとと持っていってくれよ」 「うんっ、分かったよ!」 元気よく頷き、ダイはクッキーのぎっしり詰まった袋を持ち上げる。一つ一つラッピングしてあるのでかさ張るが、重さとしてはそれほどたいしたことはない(ダイ的には) 「おい、それ慎重に持っていけよ。なんせクッキーだから、無茶したらすぐに割れるんだからよ」 「うん、気をつけるねー」 そう答えたものの――未だに片手に持ったままのチョコの包みが、邪魔だった。 (そういや、これ、どーしよ?) 元々、ダイがチョコを作ったのは、ポップのクッキーをもらうためだ。 ……もし万一、これを食べてポップに何かがあったら嫌だし、どこかにやった方がいいだろう。 ずっと持っていては、チョコは溶けてしまうだろうし、どうしようかと思ったダイは、ふとヒュンケルの部屋が近いことを思い出した。 しかも、鍵をかける習慣がなく、いつだって開けっ放しだ。 (後で取りに来ればいいや) 無断で荷物を置かしてもらうのは悪い気もするが、邪魔にはならないだろうとダイは思った。 ダイが用事を済ませ、さらにはみんなでホワイト・デーのお茶会を楽しんでから取りに戻っても、まだきっと彼は帰ってこないだろう。 そう考え、ダイはまだ口の中に残っているポップのクッキーの味を楽しみながら、慎重に屋上へと向かっていった――。
(……なんだ、これは?) 着替えもせず、ヒュンケルは部屋の中に放り込まれた、小綺麗なリボンを掛けられた包みを凝視する。 ダイとは違う意味で、だが同じくらいに世間知らずなこの暗黒戦士は、バレンタイン・デーが年に一度しかないという事実を知らなかった。 したがって、ホワイト・デーにチョコレートが贈られたという事実になんら疑問を持たず、それをどうするべきか頭を悩ませる。 どちらかと言えば、積極的に拒否したい。 と、なると後は食べるしかあるまい。 (姫のチョコに似ているな……いや、あれよりはましか) 食べもせずにそれを察するとは、これもまた、おそるべし野生の勘だった。 その後。 ダイが自分にくれると信じきっていた手作りチョコレートを食べたことにより、パプニカ王女の壮絶な怒りを買うことになるのだが、まあ、それは別の話である。 《後書き》
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