『目頭ジンジン病』 |
城は、国によって少しばかりその雰囲気をたがえている。 それと同じように、ロモス城もまた、どこかしら持ち主の気質を反映した見掛けを持つ。城としては小さめで曲線の多いデザインは柔らかい印象を与え、おとぎ話の王様の城のような暖かみのある雰囲気を漂わせている。 居心地は悪くはなかったが、ロモス城の中庭が一望できるという上等な客室にいながら、意識せず溜め息がダイの口から漏れる。 「それ、12回目だな」 その声に、窓枠に寄りかかっていたダイは振り返った。 「ポップ? 寝たんじゃなかったの?」 ロモス武術大会を救った後、ダイ達はロモス王宮に一晩泊めてもらうことになった。 よほど疲れているのか、ポップは夕食もそこそこにすぐにベッドに潜り込んでしまった。 それからずいぶん経つし、てっきりもう眠ってしまったかと思っていたのだが、ポップは眠そうにあくびをしながらも身体を起こす。 「んな、辛気臭い顔で溜め息ばっかりついてる奴が側にいちゃ、眠れるもんかよ」 ちょっと口が悪いのはいつものことだが、ポップの口調は今にも眠りこみそうに頼りなげで、あやふやなものだ。 「あ、ごめん。おれ、邪魔ならマァムかチウのとこ行こうか?」 ロモス王から与えられた客室は、3つある。 眠りを妨げるようなら違う部屋に行った方がいいとダイは思ったのだが、ポップは緩慢な動作で首を横に振る。 「いーよ、もう起きちゃったからさ。それより、おめえこそ平気かよ?」 そう聞かれて、今度はダイが首を振る番だった。 「おれなら、平気だよ。ポップこそ大丈夫なの?」 ダイもさっきの戦いで体力を使い果たしたが、魔法力を使い果たしたポップほどには疲れていない。マァムに怪我も治してもらったし、たっぷりと食事を取り、休息を取ったおかげで八割方回復している。 それに比べれば食欲がないと言ってほとんど夕食も食べず、眠くてたまらないくせにまだ眠っていないポップの方が、よっぽど疲れているように見える。 「いや、身体の方じゃなくってよ。おまえ、まだザムザのこと気にしてんだろ」 「……!!」 大きく目を見開くダイを見て、ポップはいたずらっぽく笑う。 「当たりだろ。おまえ、分かりやすぎなんだよ」 なんで分かったのかと問う前にそう言われてしまっては、認めるしかない。 「うん……、そうなんだ」 ザボエラの息子、ザムザ。 だが、その末路を思えば同情を感じてしまう。 超魔生物となった代償に、死体も残さずに一握りの灰となって死んでいったザムザの死を、真の意味で悼むものなどいない。 特に、ダイにとってはそれは強く感じられた。 最後まで父親の愛を求め、消えていったザムザと、自分の信念を譲らずに父親との対決を望んだダイでは、選んだ道は正反対に近い。 それだけに、報われないまま死んでいったザムザの存在が気になって、気分が沈み込んで仕方がなかった。 「……思えばザムザもかわいそうな奴だったけど、あいつ、あれで満足そうな顔をして逝ったよな」 ポップのその呟きを、ダイは聞き逃さなかった。 「……でもよお、あいつに比べれば、まだザムザの方が幸せだったかもしれないな」 「あいつって?」 「覚えてないか? フレイザードのやつだよ」 かつての敵の名を、ダイもまた覚えていた。 満たされることのない功名心だけに取り付かれ、最後までチャンスを望んでいたというのに、あっさりと味方であるはずのミストバーンに殺された。 「フレイザードだって、そうだったよな。あいつも最後まで利用されるだけ利用されて、こともあろうに仲間にとどめを刺されちまったしよ」 話しているうちに目が覚めたのか、ポップの口調は段々しっかりしてきて、ベッドの上に起き上がってあぐらをかいて座り込む。 「ミストバーンにしろ、ザボエラの野郎にしろ、仲間を道具扱いするにも程があるぜ。あんなやり方、あんまりだよな……!」 力の籠もったポップの憤慨を聞きながら――ダイはつい、笑ってしまっていたらしい。 「何笑ってんだよ?」 「だってさー、ポップってば本気で怒ってるんだもん。ザムザだって、フレイザードだって、敵だったのにさ」 そう、彼らは敵――本来なら、気遣う必要なんてかけらもない。 「ポップってさ、やっぱり優しいよね」 ダイは思ったままに素直に言ったまでだが、ポップはその言葉を聞いた途端、パッと顔を赤らめて外方を向く。 「バ、バカ、んなくだらねえこと言ってるぐらいなら、もう寝ろ! おれももう、寝るからな、明日は早いんだっ」 そう言って、わざとらしく毛布を頭まですっぽりかぶって、横になってしまう。 ――いつの間にか、すっかりと気が軽くなっていたのが分かる。 今だって、そうだ。 ザムザの末路は、ある意味で自分の末路かもしれないと無意識に恐れたから――。 でも、人間全てがそうではない。 それが震えがくる程に嬉しくて、心強い。 「ねえ、ポップ。おれがザムザに飲み込まれている間、何があったか教えてよ。おれ、その時、気絶してて覚えてないんだ」 それは、本当に聞きたいことではない。 機嫌を悪くしてムクれてしまったとしても、今は戦時中であり、ダイやポップ達はこれでも勇者一行の一員である。 気分や機嫌に関係なく、ポップは戦いに必要と思える知識のためなら、ちゃんと答えてくれる。 「ポップ?」 不思議に思って近付いても、何の反応もない。そっと毛布の中を覗き込むと、ポップはすでに目を閉じて眠っていた。 (……なんだ、やっぱり疲れていたんじゃないか) さっきは平気だと言ったくせに、本当はちょっと気が抜けたら途端に寝入ってしまう程、疲れきっていたらしい。 その思いやりを嬉しく思いながら、ダイはそうっとポップの毛布を掛け直してあげた。 ゆっくりと眠らせてあげたいと思ったのだが、その時、ドアをノックする音が聞こえた。 「あれ、おそろいでどうしたの?」 マァムは明日、ブロキーナやチウと別れてダイやポップと一緒にパプニカに戻る。 ゆっくりと彼らが師弟の別れを惜しめるように、邪魔をしちゃだめだとポップに釘をさされていたから、ダイもそうするつもりだった。 「ええ、老師が、いい機会だからダイやポップとも話がしたいとおっしゃったの。ごめんね、今、いいかしら?」 「いいどころか、大歓迎だよ。あ、でも……」 そう言ってから、ダイは慌てて後ろの方を振り返った。ポップが起きた様子がないのにホッとしながら、そっと付け加える。 「今、ポップが寝ちゃったところだから、起こしたくないんだ」 「へー、どれどれ? あ、ホントだ」 無遠慮に部屋に入り込み、チウがベッドを覗き込む。まあ、チウの背丈から言って、背伸びしながらの姿勢になったが、それでも彼はフフンと鼻先で笑う。 どう見てもチウの方がもっと子供っぽいのだが、ご本人はそうは思っていないらしい。 「違うわよ、チウ。ポップは魔法力を使いきったから、眠ってしまったのよ」 弟の勘違いを諭す姉の口調で、優しくマァムがフォローした。 「魔法使いはね、魔法力を全部使いきってしまうと体力までなくしてしまうのよ。そうなったら、薬草や回復魔法だけでは完全に元気にはならないわ。静かに休んで、精神力の回復を待つしかないの」 ザムザとの戦いの最中、生体牢獄(バイオプリズン)の中に閉じ込められていたマァムは、直接にはポップが魔法を使ったところは見てはいない。 ダイやマァムは体力の方が勝っているために魔法力を完全に使いきっても、疲労感があるだけでたいした問題ではない。 「ふーむ、ずいぶんと疲れているみたいじゃの」 チウだけではなく、ブロキーナもまたポップを覗き込む。 「チウや、ポップ君がなんの呪文を使ったのか、おまえは見たのかね?」 チウにとっては、ポップの活躍など別に言いたくはない。が、尊敬する師に聞かれては、答えないわけにはいかない。 「えーと、ギラをひい、ふう、みい……まあ、けっこう沢山に、なんだか長ったらしい名前の、炎の魔法ですね。えーっと、……ふぃんがー、ふれあなんたらとか言ったかな?」 「え!? フィンガー・フレア・ボムス?」 その技の名に聞き覚えのあるマァムが、驚きを見せる。 「知っているのかね、マァム?」 「え、ええ。話に聞いただけですけれど……メラゾーマを5発も同時に打ち出す呪文なんです」 魔王軍氷炎団長フレイザードの必殺技であり、フバーハすらも軽く打ち破る力をもつ協力な呪文を、ダイ達は目撃はしなかった。 だが、その恐ろしさを目の当たりにしたアポロやマリン、レオナから話だけは聞いていた。 見ていなかったのはポップも同じはずだが、思えばポップは妙に熱心に、その効力や印象などをみんなに聞いていた。 (ポップ……、すごいわ。また、成長したのね) どんどん広げられる差を詰めようと、一人離れて修行に精を出したつもりだが、ポップもまたその間を頑張っていたのだと、マァムは悟った。 「まあ、あの魔法使いは五発じゃなくて、たった三発しか打てませんでしたけどね」 その時は自分も感心したくせに、チウは不機嫌にこき下ろした。マァムや老師までもが、ポップを感心したように見ているのが気に入らないのだ。 「いやはや、たいした子だねえ。マァムにメラを打った腕から見て、ただ者とは思わなんだが」 メラは、火炎系の初級呪文に過ぎない。 マァムへの援護のために、彼女にメラを打てとアドバイスしただけで、ポップはすぐさまにブロキーナの意図を読み取った。 マァムの手にくっついた粘液を溶かし、そのくせ火傷をさせない程度の強さのメラを、ちょうどいい強さとタイミングで見事に放った。 「ふ〜む……」 と、顎をひねりつつ、何度か首を傾げてから、ブロキーナは言った。 「ところで……マァムや、悪いがマトリフに伝言を頼みたいんだけどね。ポップ君は、このまま放っておいたら病気にかかるかもしれないよ?」 「えぇっ!?」 その言葉に、マァムだけでなくダイまでも大きな声を出して、目を見張る。 「びょ、病気って!?」 途端にうろたえてオロオロとするダイやいかにも心配そうに眉をひそめるマァムに向かって、ブロキーナは鷹揚に手を振って見せた。 「うむ、これはちょいと厄介な病気での、しかも下手すれば流行するかもしれないねえ」 「そ、そんなぁっ」 顔色を変え、ダイが思わずポップにしがみつく。 「ああ、そんなに心配することはない、ない。言っただろう、『かかるかもしれない』と。だが、マトリフならその防ぎ方も知っているし、問題はないよ。今のうちからちゃんと気をつけて予防すればだ〜いじょうぶ、心配はないよ」 妙に軽い口調とは言え、そう言われて素直なダイやマァムはホッとした表情を浮かべた。 だが、それでも心配を完全には拭いきれないのか、不安げに問うた。 「それで老師……その病気って、いったい……?」 恐る恐る告知を望むマァムに向かって、ブロキーナは至って厳かな表情で言ってのけた。 「うむ、その病とは――『目頭ジンジン病』じゃよ〜ん」
呆れ果てたようにそう言われたのにも関わらず、ダイもマァムもホッとしたような表情を浮かべる。 パプニカに帰り一段落がついてからすぐ、ポップ抜きでダイとマァムだけでそろってここにやってきたのは、ブロキーナの言葉をマトリフに告げるためだった。 口の悪い大魔道士は、本気で心配している二人に対して辛辣にこき下ろしてくれたのだが、そんなのはまるで気にならない。 「よかったぁ! じゃあ、ポップは病気なんかじゃないんだね!」 手放しに喜ぶダイを見て、マトリフの表情にちらりとした苦みが浮かぶ。だが、それは誰にも気づかれない内に、素早く消えさっていた――。 「お〜い、お茶……」 と、声をかけかけてから、ブロキーナは苦笑してよっこいしょと椅子から腰を上げる。ロモスの山奥にある、この粗末な山小屋にいるのは、今はブロキーナただ一人だ。 ついこの間までいたはずの弟子達は、もういない。 母親に教わったのか、基本に忠実に、いつどんな時でも丁寧にお茶の入れる少女の姿を思い浮かべながら、ブロキーナはお茶の缶を手に取って聞いた。 「さて、君もお茶を飲むかい、マトリフ?」 「ああ、渋い奴を一杯頼むぜ」 問い掛けに対してごく自然に応じた、忽然と現れたように見える老魔法使いに、ブロキーナは驚いた様子は見せなかった。 ただ、自分の家であるかのような図々しさでずかずかと家の中に入り、どかっと椅子に腰を下ろす。 「君は変わらないね、マトリフ。それにしても、何年ぶりかな?」 懐かしい仲間に向かって、ブロキーナはお茶を差し出した。 「君からわざわざ尋ねてくれるとは、嬉しいね。歓迎するよ」 「はん、歓迎にゃ及ばねえよ。だいたい、おりゃあ文句を言いにきただけだからな。『目頭ジンジン病』だなんて、ふざけた話をあいつらに吹き込んでくれたりするなよ? あの勇者様ときたらてんでお子様なんだからよ、本気で信じて心配していやがったぜ」 「それはすまなかったね。――でも、放っておけば、おふざけじゃすまなくなるかもしれないからねえ」 そこで一言きり、ブロキーナはいたって真顔で言ってのけた。 「禁呪は、使い手の命を縮める……そうだろう? ポップ君があの若さで身体を壊して、不安や苦痛を一人で抱え込んだまま涙を堪える姿なんて、見たくはないねえ」 お茶を啜る音が、やけに大きく響く。 「そして、勇者一行の仲間達がそんなポップ君を見る度に、目頭から込み上げるものを抑える図なんて……君だってそんな病気を流行らせたくはないだろう?」 あれはなかなかに辛いものだったからね、とブロキーナはとぼけた口調で笑う。 「おいおい、そりゃ皮肉かよ?」 マトリフが身体を壊したのは、先の魔王戦……15年前のハドラーとの戦いの折だった。仲間を助けるために禁呪を駆使したマトリフは、それで決定的なダメージを受けた。 幸か不幸か、当時から老齢だったマトリフは禁呪を使い過ぎた結果引き込んだ病の進行は遅かった。 だが、仲間の一人が致命的な病を負ったと知り、平然と過ごせるはずもない。 しかし、それをあえてまともに受け止めず、皮肉混じりの辛辣な言葉で撥ねつけるのがマトリフ流だ。 その言動を見て、なんて偏屈で頑迷な老人だと敬遠する者は少なくはない。 「いいや、ただの繰り言だよ。老い先短い年よりのねえ」 すまして言ってのけるブロキーナを、マトリフが皮肉る。 「よく言うぜ、オレよりよっぽど若い奴がよ」 「いやいや、もうめっきり老け込んでしまってねえ、持病の膝頭ガクガク病も最近悪化してきたし、お迎えも近いよ。ゲホッ、ゴホッ」 「ふん、持病のネーミングに捻りがなくなってきたぜ、もっと頭をつかわねえと病に倒れる前に頭がボケるんじゃねえのか?」 「わしはもういいんだよ、いつお迎えがきたってね。でも、マァムやポップ君、ダイ君達は違う」 世界を守るために戦う勇者一行とは言えども、彼らはまだ、子供と呼べる年齢の少年少女だ。 その彼らが、自分達と同じ過ちや後悔を繰り返すところなど、見たくはない。 「マァムはこの年になってからようやく出来た、跡取りを望める素質を持った可愛い弟子でね……あの娘の涙は見たくはないね、やっぱり」 「そんなのは、オレだって同じだ」 レイカとロカ――かつての、勇者一行の仲間達の間に生まれた子供。 だからこそ、ブロキーナは風の噂でロカやレイラの消息が聞けるように、ロモスの山奥を終の住処に選んだのだ。マトリフにしてみても、何度となく瞬間移動呪文でネイル村を訪れた。 名誉も政務も望まずに、小さな村で幸せに暮らす家族を見るのを、どんなに楽しみにしていたか――言葉で説明するのは難しい。 「それに……ポップの野郎も、不肖とはいえ一応はオレの弟子だからな。みすみす死なせるような真似はさせる気はねえぜ」 マトリフのその言葉に、ブロキーナは苦笑を隠せない。 極端な人間嫌いで、結婚も望まず、何十年も弟子をとる気配などまるで見せなかったマトリフが、ようやく弟子と認めた少年を大切に思わないわけがない。 めったに自分の住居から出たがらない彼が、わざわざここにきてくれた意味が、ブロキーナの忠告に対する返礼なのだと、とっくに理解している。 ましてや、マァムやポップに対する配慮に礼を述べたところで、なおさらだ。 だから、ブロキーナはとっておきのお茶の缶に手を伸ばす。 「どれ、飛び切り上等のお茶があるんだ。こっちも一杯飲んでいくだろう?」 「へっ、お茶なんかよりも、オレは酒がいいがね」 どこまでも叩く憎まれ口をスルーして、ブロキーナは友人のために滋養強壮効果が高い薬草茶を煎じ始めた――。 END
《後書き》
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