『手のひらの上の温もり』 |
耳につくのは、いかにも苦しそうに咳き込む、引っ掛かるような咳の音。 いつも元気良く跳ね捲っている癖っ毛さえ、心なしか力なくパサついているようだ。 「――自業自得よね、まったく」 「ひでっ!? 姫さん、冷たいなぁ、それが病人に言う言葉かよ?」 咳き込みつつも減らず口を叩く魔法使いの少年に対して、しかし、誰一人として味方をする者はいない。 「あら、完全に体調が治りきってもいないくせに、ちょっと目を離した隙にこっそり部屋を抜け出すような無茶な人に対して、他にどう言えって言うの? ぜひ、君の意見を聞きたいものだわね、ポップ君」 皮肉たっぷりにそう言ったのはレオナだが、この場にいる誰もが同感に近い感想を抱いていた。 鬼岩城戦が終わり、ダイとポップが無事に死の大地から戻ってきた翌日から、ポップは風邪を引いてしまった。 まあ、氷海に浸かったのだから当然だろう。 ポップのここのところの成長ぶりも、頑張りも群を抜いている。その反動も、少なからずあるのは想像に難くない。 が、肝心の本人がまるでそう思っちゃいない。 その揚げ句、体調を崩してしまって夕方になると熱が上がり、夜に良く眠れないせいで朝にはさらにひどくなっているという悪循環を繰り返している。 「だってよぉー、ダイだってヒュンケルだってもう修行してんのに、おれだけいつまでも寝てらんないじゃないか」 見当外れな言い訳を言うポップに、全員の眉間の皺は深くなる一方だ。 が、基礎体力の化け物のような二人は、治療する者がびっくりするような早さで回復してしまい、今朝には床払いしている。 だが、そんな人外とも言える屈強な戦士と、体力のない魔法使いが張り合ったところで虚しいだけだと思うのだが。 「それにおれ、別に無茶なんかしてねーよ。魔法だって使ってないし、城の外にだってでてないぜ? ちょっと中庭で瞑想してただけだよ」 ポップのその言葉に、珍しく憤慨した様子で食ってかかったのはダイだった。 「瞑想なら、この部屋でやればよかったじゃないか!」 「ばっかだなー、ダイ、おまえ、瞑想の基礎も忘れたのかよ? あれは、自然の中でやった方が効果があるんだって」 心を静めて精神を集中させ、自分の中の魔法力を認識するために行う瞑想は、魔法使いにとっては基本の修行だ。 ごく初歩に習う物でありながら、どんな大魔法使いの成長してからでも行うそれは、戦士にとっては素振りにも等しい日常で欠かせない修行だ。 それを知っているポップにしてみれば、戸外で瞑想するのは当然の選択だった。 「馬鹿を言っているのはあなたの方でしょ、ポップ! まだ治りきってもいないのに何時間も外に出たりするから、すっかり風邪が悪化しちゃったじゃないの!」 カンカンに怒りつつも、面倒見のいいマァムは咳き込んでいるポップの背中を叩いたりと、こまめに世話をしている。……まあ、その力が少しばかり強すぎるせいか、よりひどく咳き込んでいる気もするが。 「悪かったよ、でもよ、すぐ戻るつもりだったんだって。……ゴ、ゴホッ、も、もう、いいよ、マァム、へーきだから」 「あまりそうは見えんがな。どれ、もっと薪でも用意してくるか」 そう言って、クロコダインは暖炉の脇の薪の量を確かめてからのっそりと立ち上がる。 朝夕はやや肌寒い季節になってきたとはいえ、今や薪は貴重品であり、王女であるレオナでさえ使用を節約している有様だ。 が、この部屋では薪を惜しまずにガンガン燃やして、快適な暖かさを保っている。 それをもったいないと文句をつけているのも、本人であるポップだけだ。 「いいよ、おっさん。別に薪なんか用意しなくても」 「いいわけないでしょ、いいから君はおとなしく寝ていて! いざという時のために、ちゃんと体調を整えるのだって、大切なことなのよ。もし、どうしてもおとなしくできないって言うのなら、今度こそこっちにも考えがあるわよ!」 腰に手をあて、胸を張ってのレオナのその宣言に、ポップは思わず身をすくませる。 「あ、ああ、分かったって、おとなしく寝ているよ」
ベッドの上で、ポップは何度となく寝返りを繰り返す。 じっとしていると喉の奥の圧迫感が強まって苦しいので、少しでも楽になれる姿勢を求めて、ひっきりなしに寝返りを繰り返す羽目になる。 睡眠を取れてもごく浅いせいか、おとなしく横たわっていても、ほとんど好転しない。 これなら、まだ多少無理をしても瞑想でもしていた方がマシなように思える。 「ピーッ、ピピピッ、ピーッ!!」 ポップが身体を起こしかけた途端、すぐ側にいた金色のスライムが鳴き始める。 (ったく、これだもんなー) どうやら、ポップはこの件に関しては、とことん仲間達に信頼されていないらしい。 見張りとして付き添うのは、おもにゴメちゃんだ。 今も、ポップが手近にあった本に手を伸ばそうとすると、ぷるぷると全身を使ってまで首を振り、止めようとする。 「なあ、ゴメ。おれ、退屈なんだよ。ちょっと本を読むぐらい、いいだろ?」 「ピピーッ!! ピッピ、ピーッ!」 とんでもないとばかりに激しく首を横に振るスライムに、ポップは思わず溜め息をついた。 「……おめえも、そーゆー頑固なとこはダイそっくりだよなー。ああ、分かった、分かったから、もう鳴くなっつーの」 ゴメちゃんの役割は、文字通り見張りだ。 一度、ゴメちゃんを出し抜いてこっそり部屋から抜け出しかけた際、身をもってそれを味わったポップは、二度とそれを繰り返すまいと思った。 ポップがおとなしく横になっている分には、ゴメちゃんも不満はないのか一緒にちょこんと枕元で寝ている。 「ポップ、ポップ、入っていい? って、いうか、ドア、開けてよ」 ダイの声に反応してポップがベッドから降りようとする時は、ゴメちゃんも止めなかった。 「ごはん持ってきたよ、ポップ! さ、いっぱい食べてよ」 にこにこと嬉しそうに笑うダイは、吹き出してしまうぐらい慎重な足取りでそれを運び、テーブルの上に乗せる。 「んなの、わざわざ持ってきてくんなくても、食堂まで食いにいったのによ」 実際、ポップは昨日……というか、今朝までは普段通り食堂まで行って、食べていた。それなのにいくら具合が悪くなったとはいえ、ここまで徹底的に重病人扱いされるとは納得いかない。 「でも、レオナとマァムとメルルとエイミさんとマリンさんが、言ってたよ。風邪を引いた時は、とにかく栄養をとって、おとなしく寝ているのが一番なんだって。さ、ポップ、いっぱい食べてよ! 足りなかったら、もっともっと持ってくるから!」 と、熱心に言うダイだが、今でさえその量は尋常な物じゃなかった。 まず、目につくのは暖かな黄色のが豊かなコーンスープ。 ぷーんと一際いい匂いをたてているのは、パンの香ばしさだ。ご丁寧にも、バターの他にも二種類の色の違うジャムが添えられている。 他にも、軽く火を通して食べやすくした温野菜のサラダまでもが用意されている。 ここまで手が込んでいて、さらには口当たりがさっぱりとしていながら消化が良く、なおかつデザートまでつく大盤振る舞いな食事など、普段の食事には有り得ない。 育ち盛りの、しかも戦士系の多い勇者一行にふるまわれる食事は、とにかく量が最優先でどっしりと腹にたまる感を重視したメニューが多い。 「え〜と、そうだ、食べる時はポップにちゃんとこれを着せるようにって言われたんだ!」 そう言いながら、ダイはベッドの近くにおいてあるサイドテーブルから、ストールを持ってきて肩にかけようとする。 「いーよ、そんなの。いらないって、邪魔っけだし」 身体を起こしている間は必ず肩にかけるようにと渡されたそのストールを、ポップは全然使用していなかった。 太めの毛糸でざっくりと編まれたそのストールはとても軽くて暖かかったが、いかにも病人という風情をかもしだすのが嫌で、ポップとしてはわざわざ使いたくはない。 それに、基本的にストールなんてものは女物だという認識もある。 成人男性用や女性用の物ならばともかく、あいにくポップに合うサイズの物がなかった。 それで仕方無くストールで代用されたわけだが、それはポップにはありがたくもなんともない。 「ダメだよ、ちゃんとあったかくしなきゃダメだって、レオナとマァムとメル……」 「ピピピッ、ピピッ!」 「ああ、分ぁーった、分ぁーったっつーの! 着りゃいいんだろ、着れば」 しつこいダイ&ゴメちゃんと、背筋辺りに感じる寒気に負けて、ポップはストールを肩に引っ掛けてテーブルに向かう。 そのまん前にダイが座るのと同時に、ゴメちゃんも飛んで来てちょこんとテーブルの上に止まる。 「おまえらも、食うか?」 「えっ、いいのっ!?」 パッと目を輝かせ――それから、ダイはハッとしてぷるぷると強く首を振った。 「……って、ダメだよ、ポップ! これ、ポップのなんだから、ちゃんと食べなきゃ」 「ピピーッ!」 と、言っていることこそは立派だが、いかにももの欲しげに生唾をごっくんと飲み干しながらでは、説得力も半減である。 「いいから食えよ、おれ、悪いけどあんま食欲なくってさ」 ずっと寝ていたせいか、それとも喉が思ったよりも腫れてきたせいか。 いつもよりやたらと遅く、持て余すようにスプーンでスープをかき回しているだけのポップを、ダイもゴメちゃんも心配そうに見ている。 「ポップ!? ポップッ、大丈夫っ!?」 おたおたと慌てふためくダイは、なまじ風邪の経験がないだけに咳き込んでいる間はろくすっぽ返事もできないものだと、知るはずがない。 「しっ、しっかりしてよっ!? 死んじゃやだよっ!?」 (バカか、たかが咳ぐらいで死んでたまるかっつーのっ!!) と、言い返したいのは山々だが、なにぶん咳が止まらない。ただでさえそうなのに、ダイが揺さぶるせいでなおさら苦しい。 さらには騒ぐダイに影響されたのか、ゴメちゃんがサイレンそこのけの声でわめき立てだしたからたまらない。 「どうした、何かあったか!?」 「また、ポップ君が脱走でもしたのっ?」 思った以上に素早く、しかも大勢駆けつける大袈裟さに、ポップは本気で目眩がしてきた。 「へ、平気だったら! いちいち、……ゲホッ……大袈裟に騒がなくっても、大丈夫だよ……ゴホッ、ゴホ……ッ」 大丈夫と言う傍らから、咳の発作を起こしていたんじゃ、説得力のかけらもないが。 「――ちょっとぉ。いったい、これ、どういうこと? 何があったの?」 訝しげなレオナのその質問に答える前に、ポップは深々と溜め息をついた――。 目の前に用意されたのは、ほかほかと湯気を立てる深皿だった。 賽の目に刻んだハムや、人参やグリンピースの色合いが単色のリゾットにカラフルなアクセントを与えて散らばっている。 本式のリゾットは、具沢山でやや固めにしあげるはずだが、今、ポップの目の前におかれたものはずいぶんと水分が多めで、さらりとした出来になっている。 (まーた、手の込んだ料理を……適当でいいっていったのによ) 内心溜め息をつきつつ、ポップはスプーンを手に取った。 リゾットは喉漉しがよく味も優しい逸品ではあったが、数口食べただけでまた咳き込みが始まったせいで、ポップはスプーンを手放した。 「ごっそうさん。悪いけど、もういいや」 ポップのその言葉に、マァムはあからさまにがっかりしたような表情を浮かべたが、それでも無理にそれ以上は薦めなかった。 あの大騒ぎから早二日。 最悪、戻してしまう有様では、とてもではないが無理を押してまで食事をする気にはなれない。……一度やってみて、食事をした以上に無駄に体力を消耗するだけだと悟り、懲りてしまった。 作った人にも、わざわざポップの所に給仕に来てくれる人にも悪いとは思うが、大量に残してしまう。 だが、まあ、ポップ本人としては、それはたいした問題とは思わなかった。 ほんのわずかしか食べたり飲んだりできないのならなおのこと、栄養があり、喉越しのよい物を――と、手に変え、品を変え、あれこれと用意してくる。 「ねえ、ポップ、デザートにオレンジを食べない?」 と、気を引き立てるように言いながら、マァムは明るい橙色の果物の入った籠を手に取った。 「オレンジは風邪にいいのよ。ビタミンもたっぷりだし、口当たりもさっぱりしているからこれなら入るんじゃないかしら?」 「いや、悪ぃけどいいよ」 看護する者は脱水症状や栄養不足を恐れているのかやけに強く水分補給を薦められるが、ポップとしてはたいして欲しいとも思わなかった。 食事や薬の度に必要最低限の水分補給はしているし、それ以上は欲しくはない。 「それだったら、ジュースならどう? それなら、喉を通るんじゃない?」 熱心に進めるマァムに負けて、ポップは気が進まないながら頷いた。 「う〜ん……。まあ、飲み物なら、な」 「良かった! じゃ、すぐ支度するわね」 そう言ってすぐに台所の方へ戻る――と思いきや、マァムは添えてあった果物ナイフでオレンジを真っ二つに切ったかと思うと、それをコップの上にかざした。 途端にオレンジはクシャクシャに押し潰され、ドシャッと音を立てる勢いで果汁が滴り落ちる。 「……!?」 唖然とするポップの目の前で、マァムはいともたやすく二個、三個とオレンジを絞っていく。 っていうか、本来なら、絞り機の補助を使って作るものなのであるが。 「さ、どうぞ! もっと欲しかったらいってね、いくらでも用意するから!」 と、言われても――。 (ンなものすげーもん見せられたら、喉の渇きなんてあったって微塵もなくなるやいっ) 心の中だけでツッコミつつ、ポップはやけに苦く感じるオレンジジュースを恐る恐る口にする。 適度な酸味に加えほのかに甘い。 もし、それを普段の体調の時に出されたのなら、ポップも喜んで飲み干し、もしかしたらお代わりだってしただろう。 「ポップ!? ポップ、大丈夫!?」 いかにも心配そうなその声とは裏腹に、咳を鎮めようと背を叩くマァムの手は相変わらず手荒い。 ポップにしてみれば、それは掛け値無しの本音だ。 彼女らしくもなく、やけに神妙に押し黙ってしまったその表情に気がつかないまま、ポップは彼女に背を向けてベッドに横になった。 「ごちそーさん。じゃあ、おれ、少し寝るからよ」 引きつるような喉の痛みに、ポップは目を覚ました。 マァムが出て行った後、横になってうつらうつらしていたとは言え、それは熟睡とは程遠かった。 (寝てるだけなのに疲れるって、どーゆーこったよ? ちくしょう、こんなことしてる暇なんかねえのによ……!) やけに重たく感じる身体を、ベッドから引きはがすように起こす。 それに比べれば喉の痛みや微熱など、微々たるものだ。 ザボエラの放った超魔法でさえものともせず弾き返した、勇姿とさえ呼べるその姿――全く歯が立たない敵の存在が、ポップを焦らせる。 それでさえ効かない身体を持つ敵に対して、物理攻撃力を持たないポップはあまりにも無力だ。 (なにか……何か、手はないのかよ……!?) 激しい焦燥感のままに起きあがったポップは、その時、やっと気がついた。 「ん? あれ、ゴメ?」 ポップがみじろぎするだけで、大騒ぎしてよってくるはずの金色のスライムの姿は、どこにも見当たらなかった。 (そっか……おれが寝たと思って、どこかで休んでいるのかな?) ゴメちゃんは怪物とはいえ、特殊能力など全くない。ほとんど人間と同じペースで食事を欲しがるし、疲れたり、眠くなったりもする。 今までだって、誰か他の人が付き添っている間、ゴメちゃんが別室で休むのはよくあった。 (ラッキーッ! チャンス到来っ) 迷わず、ポップは窓に駆け寄って厳重に締められた鍵を開けにかかった。 大きく窓を開けると、風が部屋の中に吹き抜けた。 ポップが寝ていたのは、それほど長い時間ではなかったのだろう。 瞬間移動する際、天井に頭をぶつけないように、窓枠から十分に身を乗り出そうとした際――思いがけないくらいすぐ後ろから、声が聞こえた。 「何をしている、ポップ」 「う、うわわわぁっ!?」 その声に驚いたのと、とっさにバランスを崩したせいで窓から落ち掛けたポップの襟首を、力強い腕ががしっと掴んで引き戻した。 そのまま部屋の中へ突き飛ばされたが、幸いにもベッドの方角だったせいで、尻餅をつく代わりに、柔らかいマットの上に座り込むにとどまった。 「危ないだろっ、ヒュンケル!? いきなり、何をしやがるんだよっ!?」 いきり立つポップを、兄弟子はいたって冷静な目で見下ろしていた。 「――それはこっちの台詞だ。今、何をしようとしていた」 「う……っ!?」 「……な、何って、なんにもしてねーよっ! ただ、ずっと窓を閉めっ放しで暑くなったから、ちょっと開けただけだろ!?」 寒さに震えながらそう言っても、何の説得力もないが。 それからベッドの方に近寄ってくるのを見て、ポップは思わず身構えた。 「……な、なんだよ?」 意図が掴めずにきょとんとしていると、ヒュンケルは聞かれたのが不思議とばかりにそれをポップに押しつけてくる。 「飲め」 素っ気なくそういうと、ヒュンケルはポップが何か言い返すより早く背を向けて、暖炉の方へと向かう。 ポップにしてみれば、いきなり押しつけられたカップを持て余してしまう。 寝込んで以来、見張りや見舞いがてらにとっかえひっかえみんなが給仕やら飲み物の差し入れに来たが、ヒュンケルが来たのは初めてだった。 治療手のレオナやアポロが驚く程早くに回復したヒュンケルは、まっさきに修行をし始めたはずだ。てっきり、自分のことなど気にも止めていないだろうと思っていただけに、意外すぎて言葉が出ない。 ほとんど呆然としているポップに見向きもせず、ヒュンケルは火の弱りかけた暖炉に薪を足しているばかりだ。 (何考えてんだ、こいつ?) 呆れつつ――ポップは、手の中のカップをまじまじと除き込んだ。 「……!?」 懐かしい香り――。 熱い紅茶に落とした一つまみ程のすり下ろした生姜が、薫り立つ紅茶の香りと味を素朴なものへと変える。 身体にしみいるような、素朴で暖かいその味は、ポップにはひたすら懐かしい。 (先生……!) それは、時々アバンが作ってくれたものと同じだった。 『さ、これを飲んでください、ポップ。ジンジャー・ティは体が暖まりますよ? その後で一眠りすれば、気分もよくなりますから』 優しい師の声が、蘇るようだった。 勝手についてきた、足手まといな弟子の看病を嫌がる気配なんて、一度だって見せなかった。 『調子の悪い時は、素直にちゃんと休むこと! 頑張る時には頑張ってもらっちゃいますが、休むべき時にちゃんと休むのも大切なんですからね』 そう笑いながら、頭を撫でてくれた優しい手を思い出す。 その温もりが暖めてくれたのは、胃だけではなかった。心の奥、忘れかけていた奥深い部分までもがほっこりと暖められる。 ふと気がつくと、いつものようにむせることもなく、ポップはカップ一杯のジンジャー・ティを飲み干していた。 「全部、飲んだようだな」 そう声をかけられ、ポップはようやくヒュンケルが側にいたことを思い出した。 「飲んだなら、冷えない内にもう休め。一眠りすれば、少しは具合もよくなる」 素っ気なく言いながらポップの手からカップを取り上げ、彼はそのまま部屋から出て行った。 「……あの野郎め、ホント、分かりにくい奴だな!」 あんまり唐突でぶっきらぼうだったから、気がつくまで時間が掛かってしまった。まさか、あれが見舞いだったなんて――。 「あのバカ、他に言うことはないのかよ?」 ポップが部屋から出ようとしていたのに気がついていたくせに、何も言わなかった。そのくせ、絶対に出るなとばかりに窓にはさっきまで以上にぎっちりと鍵をかけてある。 時々、妙に饒舌になるくせに、肝心な時には無口で不器用な兄弟子に、ポップは苦笑を抑えきれない。 「あの時は、人をけしかけてくれたくせによ……!」 死の大地に単独でいってしまったポップのせいで、ダイが氷海で行方不明になった際――ヒュンケルがやけにポップを労った台詞を言って休ませようとした。 あの時は頭に血が上って気がつく余裕がなかったが、後でそれがヒュンケルなりの挑発だったと気がついた。 落ち込んで、行動する気力すらなかったポップにやる気を取り戻させるために、わざとあんな言い方をしたのだと――後で気づきはしたものの、礼を言う気にはならなかった。 ヒュンケルに完全に子供扱いされ、本心を見透かされた上で踊らされたような気がして、悔しかったから。 その意味では、今だってそうだ。 (でも、今回だけは従ってやるよ) そう心の中で毒づきながら、ポップはベッドの中へと戻った。 だから、今回ばかりは従ってやってもいいと思えた。 それだけに逆らう気にもならず、ポップは素直にベッドに横になる。 身体の芯からぽかぽかと暖まる効能は、ジンジャー・ティならではだろう。 暖炉の火が勢いを取り戻し、ぱちぱちとはぜる音が静かに響く。それを聞きながら、ポップは引き込まれるようにぐっすりと、安らかな深い眠りに落ちていった――。 END 《後書き》
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