『白い結婚』

  

 新しいものを、一つ。
 古いものを、一つ。
 借りたものを、一つ。
 青いものを、一つ。
 それは幸せな花嫁になるための、昔ながらの言い伝え――。

 

 


「綺麗……!」

 思わず漏れてしまったマァムのその言葉は、心からのものだった。
 自慢の栗色の髪を慎ましく結い上げ、純白のドレスに身を包んでいるのは、パプニカ王国の王女、レオナ。

 普段でさえ美少女ぶりが際立つ彼女が、凝りに凝ったウェディングドレスを着ているのだから、美しくないはずがない。

「姫様、本当にお綺麗ですわ……! 本日は、おめでとうございます」

 メルルの祝福の言葉にも、いつにない熱が入る。
 なにせ、今日はパプニカ王国が――いや、世界が待ち望んでいたお祝いの日。
 勇者ダイと、王女レオナの結婚式の日だ。

 大魔王バーンを倒してから一年。
 行方不明になっていたダイが帰還したお祝いもまだ冷めやらぬ内に、ダイとレオナの結婚の話は世界を再びお祝いムード一色に染め上げた。

 勇者のおかげで世界が救われたと喜ぶ一般市民は元より、ダイと直接関わった人々や、勇者一行達も二人の婚儀を心から喜び、祝福を惜しまない。
 今も、もうじき始まる結婚式に備えてやってきた仲間達が、次々とやってきては控え室にいるレオナに祝福を述べているところだった。

 誰もがこの結婚を喜び、レオナの美しさを褒めたたえている。
 だが、肝心のレオナだけはその美しさとは裏腹に、表情が浮かなかった。

「レオナ? どうかしたの?」

 マァムが心配そうに聞く傍らで、アバンが持ち前のおどけた笑顔で軽く言った。

「おやおや、マリッジブルーですか? 大丈夫ですよ、結婚ってモノはしてみれば案外悪くないものですよ〜?」

 ちゃかした言い方だが、そこにはアバンの気遣いや思いやりが感じとれる。しかし、レオナの表情は沈んだままだった。

「違うんです、そんな問題じゃなくって……というか、それ以前の問題なんです」

 そう言って、彼女は花嫁には相応しくない溜め息をついた――。

 

 

「よし、これで準備は万全だな! 各国の反対しそうな連中の意見はきっちり、ばっちり押さえたぜ。法律改正の方は先生がうまくやってくれたみたいで、昨日づけで世界各国に承認されている。もう、何の問題もない……これでダイと姫さんは、晴れて結婚できるってわけだ」

 得意げにポップがそう言うのを、レオナはこれ以上ない程に目を輝かせて、ダイは今一つぴんとこないような表情で聞いていた。

「長かったわね、ここまで……!」

 感きわまったようなレオナの一言に、ポップも深々と頷いた。

「ああ、全くだぜ。なんか、すっげー長く感じたもんな」

 勇者ダイが戻ってきてから、二ヵ月。
 実際に掛かった時間としてはそれだけなのだが、ポップやレオナにとってはある意味、魔王軍との戦いに匹敵する程、長く感じられる難度の高い戦いだった。

 勇者ダイと、王女レオナの結婚を、世間に認めさせること。
 それは、予想以上に難航した駆け引きだった。
 周囲の国々から見れば、『勇者』の存在が一国に味方するのは不都合極まりない。あの手この手で難癖をつけては妨害する者は、国の内外を問わず五万といた。

 身分違いだと難癖をつける者、年齢が若すぎると眉を潜める者……そして『竜の騎士』ではなくなったダイに不満を唱える者達などが――。

『ダイさんは、帰ってきます。そして、竜の騎士はもう戻ってはこない……少なくとも、地上にこの平和が続く限りは、永遠に』

 矛盾した予言を、メルルが告げたのは半年前のことだった。
 すでに世界一の占い師として名高いメルルの予言は、ダイ一行だけでなく世界各国の王宮にも轟き、誰もが疑問を抱きながらも勇者の帰還を待った。

 その意味が分かったのは、ダイが帰還してからのことだった。
 黒の核晶の爆発の後、大怪我を負ったダイは聖母竜に抱かれて傷を癒していた――らしい。本人も眠っていた様子でよくは分かってはいないが、いずれにせよ聖母竜はダイに選択の機会を与えてくれた。

 竜の騎士としての使命に準ずるため、有事が起こるまでの間、聖母竜と共に深い眠りにつくか――でなければ、双竜紋の力を聖母竜に返して、地上に戻るかの選択を。
 前者を選べば、ダイは最後の、そして最強の竜の騎士として聖母竜と共に永遠に近い命を授かることができる。

 そして、後者を選べば、ダイは竜の騎士としての資格を失い、只の人間となるが……仲間達のいる地上へと戻ることが出来る。
 ダイが選んだのは、後者だった。

 もう、ダイには竜の騎士としての奇跡の力など存在しない。
 無論、アバンに鍛えられた勇者としての力の全てを失ったわけではない。紋章の力を使えなくなったとはいえ、ダイは今でも『勇者』の名に恥じない強さを持ってはいる。
 だが、奇跡の力を失ったダイに不満を抱く者は決して少数派とは言えなかった。

「やれやれ、まーったく勝手な話だよな。ダイの親父さんが竜の騎士だから一国の王女と結婚するのは許さないって話だったのに、今度は竜の騎士じゃなくなったから王女と結婚するのは不遜だとか言い出す奴もいるんだからよ」

 ポップのぼやきに、ダイはちょっとばかり不安そうな顔をする。

「おれ……竜の騎士の力、なくさない方がよかったのかな?」

「何言ってるのよ、ダイ君!」

 思わず、声が高くなってしまうのは、ダイの苦悩を知っているからだ。
 ダイが純粋な人間でない自分に悩んでいたのを、レオナは知っている。

 だからこそ、レオナは喜んだのだ。その力をしかるべき相手に預け、人間として戻ってきたダイを、誰よりも祝福し、歓迎した。それを、何も知らない他人の思惑などを気にして、後悔などしてほしくはない。

「そーだぜ、もう、戦いは終わったんだ。あんな力なんか、なくったっていいんだよ。それに、もう、おまえと姫さんの結婚に反対する奴なんて、いやしないって。ちゃーんと話はつけたんだし、みんながおまえらを祝ってくれる。胸を張って式に望めって言うの!」


 ポップもポップで、ダイの頭をくしゃくしゃとかき混ぜるように撫で、お気楽な口調で勇気づける。
 だが、その軽い口調ほど、ポップのしたことは軽くはない。

 難航気味だったダイとレオナの結婚を、実現させたのは主にポップの外交手腕だ。
 アバンに自分以上の切れ者と称され、大魔王バーンにさえ一目置かせた頭脳の切れを、ポップは遺憾なく発揮した。

 各国の王様達と個人的な知り合いである強みを存分に活かし、舌先三寸で世論をダイとレオナに有利になる方向へと動かした。
 竜の騎士という超絶の存在が一国の王となるよりも、ただの少年が勇者となり、一国の王女と婚儀を迎える方が、戦火に傷ついた人々にとって大いなる励ましになる、と――。


 そして、ポップが使った切り札が、『白い結婚』だった。
 白い結婚――それは、まだ法定年齢に達っさない者が行う、儀式を優先させた婚儀だ。 肉体的結合を伴わない清らかな関係でありながら、神の前で愛を誓い合った二人は正式な夫婦として認められる。

 本来は政略結婚によく使われる手だが、婚約よりもよほど確実な約束として、政治的効力を発揮する。
 婚約して数年の間を置けば、世間が平和に馴染み、奇跡の力を失った勇者が王女と結婚することに異議を唱える者が増える可能性が高くなるだろう。

 それよりは、まだ世界が落ち着かない今の内に、形だけでも婚儀を執り行い既成事実を周囲に認めさせ、ダイとレオナの立場を地固めさせた方がいいと踏んだのだ。
 おかげでダイとレオナの結婚は、予想以上に早く、あれよあれよと言う間に決まってしまった形になった。

 衣装作りや支度が間に合わないような有様で、お針子どころか、エイミやマリンまで加わっての徹夜の突貫作業が続いている。
 だが、レオナはそれを喜びこそすれ、不満はない。

 むしろ、胸がわくわくしてどうにも落ち着かないぐらいで、待ち遠しくて仕方がないくらいだ。
 だが、ダイの方は、ちょっと拍子抜けするぐらいいつもと変わらない様子で、ポップとじゃれあっているだけだ。

「ダイ、ところでおまえ、明日の準備はもうできたろうな?」

 やっとダイの頭を撫で回すのをやめてそう聞くポップに、ダイは元気よく答えた。

「うん。えーと、やり方は覚えたよ! ……だいたい」

 ……元気はよいようだが、いささか不信の残る答えだった。

「『だいたい』って……おまえ、ホントに大丈夫なのかよ?」

 ちょっと不安げに思わず問い返すポップに対して、ダイもまた質問を投げ掛けようとする。

「ところでさ、ポップ。おれ、聞きたいことあるんだけど」

「ああ? 話なんか、式が終わってからでいいだろ? 分かってるのか、明日、おまえと姫さんは結婚するんだぞ」

「うん、それ! それ、聞きたいんだよ。ねえ、結婚って、なに、ポップ?」

 その爆弾発言に固まってしまったのは、ポップだけではなかった。レオナもまた、固まって動けなくなる。

「? どうしたの、ポップ? それに、レオナも?」

 不思議そうなダイをよそに、たっぷりと五分近くも固まった揚げ句、ポップは爆発するように怒鳴りだした。

「おっ、おまえな〜っ。意味も知らないで結婚しようとしてたのかよっ?!」

「だって、レオナやポップがしろって言ったんじゃないか。二人がそう言うんだから、きっと大切なことだと思ったし」

 ポップが何を怒っているのか分からないとばかりにきょとんとした顔をしているダイは、……冗談や誇張抜きで何も分かっていなさそうだ。
 魔王軍との戦いでそうだったように、ダイは自分以上の頭脳を持つ仲間の判断を最善と信じ、素直に従っていたようだ。

 絶大の信頼を寄せられているという意味では嬉しい話だが――人生の一大事に対してのこのあっけらかんとした態度はいかがなものだろうか。

 現に、人生の伴侶となるべき男性からのその言葉がショックで、レオナなどはいまだに固まったまま動けないでいる。
 ポップは頭を抱えつつも、ダイの前に座り込んだ。

「ダイ、そこに座れ」

「座ってるよ、おれ?」

「やかましい、しっかり正座しろや、このぼけっ!! 結婚前夜になってからンなこと聞くなっ、この大バカ野郎が――っ!!」

 ポンポン怒鳴られたダイは、さすがに今度ばかりは聞き捨てならないとばかりに眉を潜める。

「だって、今まで何回も聞こうとしたのに、ポップ、忙しいから後でって言って、全然話もしてくれなかったじゃないか。だいたい、あんまり会えなかったし」

 ――文句のポイントは、そこらしい。

「まさか、いくらおまえでもそんなことまで知らないとは思わなかったんだよっ! それだったらそうで、早く言えっ」

 と、怒鳴り返したポップだが、ダイの文句が正当だと認めるぐらいの冷静さはなんとか取り戻していた。
 ダイとレオナの結婚話をまとめるため、世界各国を奔走したポップと、パプニカ国内の意見をまとめ上げたレオナは、ダイとゆっくりすごす時間などほとんどなかった。

 特に、ルーラで世界各国を飛び回っていたポップは、なおさらそうだ。
 まあ、ポップにしろ、レオナにしろ、結婚式さえ無事に終われば時間の余裕ができると思うからこそ、ダイと過ごす時間を後回しにしてしまっていた。

 ダイも異議を唱えなかったから、てっきり結婚を望んでいるのだろうと思ったが……こんな事態はさすがに予測もしていなかった。

「いいか。結婚っていうのはだなあ、一生一緒に暮らすって、約束することなんだよ」

「一生? 一緒に? へえ、そうだったんだ」


 ポップの説明に、ダイはこっくり頷く。
 素直なのはいいが、本当に分かったのかどうか怪しくなるほどだ。

「……本当に分かったのか?」

「うん。じゃあ、ポップとも結婚してもいい?」

 未来の夫の告げた、同性への無邪気なプロポーズに王女様は呻くような声を上げて大きく天を仰ぎ、無二の親友である大魔道士様はといえば声の限りに絶叫した。

「わ、分かってねーよ、おまえっ、全然っ?! 男同士じゃ結婚できねーんだよっ?! つーか、そっからかっ?! そっからなのか?! んな基本の基本から、教えなきゃダメだっつーのかよっ?!」

 頭をかきむしりながらわめき立てるポップは、そのままダイにつかみ掛かりそうな勢いだったが、衝撃に立ちすくむレオナに目を止めるぐらいの余裕はあった。

「ま、まあ、とりあえず、おれがこれからダイにみっちり教えておくから、姫さんは気にせずに寝ておきなって。寝不足な花嫁さんなんて、見られたものじゃないぜ」

 と、ポップに背を押されるようにして自室へ戻ったものの……レオナは、その後、ほとんど一睡もできなかった――。

 

 

「――それが昨夜のこと…………?」

 くらくらと目まいがするのを、マァムは止められなかった。どうやら、その目まいは彼女一人が感じたものではないらしく、そこら辺にいる人々は皆、一様に沈痛な面持ちで頭やら眉間を押さえている。

「ええ。で、朝になったら、二人とも……いないの。部屋にはいないし、寝た形跡もないし……」

 結婚式当日の朝に、とんでもない事実を次々聞かされて、一行からは完全にお祝いムードが消し飛んでしまった。
 なんと言っても、この場にいるメンバーはここぞという時にポップが逃げ出し癖があるのはよ〜く知っている者ばかりなのだ。

「どうしよう……ダイ君がもし…、あたしとじゃなくてポップ君と結婚したいとか言ったりしたら……」

 今にも泣きそうな、不安そうな表情をした花嫁に、マァムは慌てて慰めの言葉をかけた。
 

「まさか、いくらダイでもそんなこと」

「…………言いそうな気もするな」

 思わずポソッとそう言ってしまったヒュンケルを、正直すぎると責めるのは酷だろう。


「まさか……二人して、駆け落ちしちゃったとか……?」

 花嫁本人の口から漏れた疑惑の言葉が終わらない内に、激しい衝突音がテラスから響いた。
 ハッとした一同が、咄嗟にそっちに目をやる。

 目に入ったのは半ば予測した通り、いまや大魔道士になったのに相変わらずルーラの着地は苦手なポップと、本日のもう一人の主役であるはずのダイだった。

「ポ、ポップ、大丈夫?」

 受け身が苦手なポップと違い、しっかりと着地したダイはおろおろとひっくり返ったままのポップを見つめている。

「そー思うんなら、手ぐらい貸せ……っ!」

「だって、おれ、手がふさがってんだもん」

 ダイはなにやら両手いっぱいに、大事そうに花を抱え込んでいる。南国特有の花びらの大きな派手な花は、深い青の色が鮮やかだった。
 それをかばっているせいで、ダイはいつものように着地の際、ポップを庇うことも、今、手を貸すこともできなかったらしい。

「大丈夫、ポップ? ほら、しっかりして」

 マァムがポップを引き起こして、埃だらけになった服を叩いてやるなど世話を焼いている間、ダイは人込みの中にいるレオナを見つけて駆け寄った。

「あっ、レオナ。わー、ももんじゃみたいに真っ白でふわふわな服だね! それ、ポップが言ってた『ハナヨメイショウ』?」

「え、ええ」

 褒められたと解釈するには、あまりに個性的な形容詞に多少顔を引きつらせながらも、嬉しそうなダイの笑顔を釣られてレオナも笑みを浮かべる。
 だが、その笑顔は弱々しく、不安の陰りの見えるものだった。

「それで、ダイ君……結婚がどういうものか、分かった……かしら?」

 恐る恐る聞くレオナに、ダイはこっくりと頷いた。

「うん。『結婚』がなんなのか、なんとなくだけど分かったよ」

「……あれだけ人が懇切丁寧に、一晩掛けてみっちりと説明してやったのに、それでもまだ『なんとなく』程度かよ?!」

 おれの睡眠時間を返せとぶつくさ小声で文句を言っているポップを、マァムは肘で軽くつついて黙らせる。
 ダイが、きちんと姿勢を正して真っ直ぐにレオナに向き直ったのを見たからだ。どことなくいつもと違う雰囲気を漂わせたダイに、レオナも緊張を隠せない。

 その空気を感じ取ったのか、室内には大勢の人がいるにもかかわらず、静寂と緊迫感が満ちた。
 その中で、ダイの声が大きく響く。

「レオナ。あのさ……今になってから言うの、悪いかなって思うけど、『結婚して』ってレオナの言葉、取り消してくれないかな?」

「え……?」

 信じられないとでも言わんばかりに、目が大きく見開かれる。大魔王バーンの前でそうしたように、自失して立ちすくむレオナの手からブーケがこぼれ落ちた。
 美しく艶やかな、だがか弱い温室育ちの花々は、落下の衝撃に耐えきれず床に転がった際にばらけて散らばったが、レオナはそれを意識していなかった。

 ただ、ただ、目を見開いて立ちすくむレオナに、一行は同情にも似た視線を注ぐしかできなかった。
 その中で、一番先に行動しようとしたのは、マァムだった。

「ちょっと、ダイ……ッ」

 レオナへの友情の思いから、思わずダイを非難しかかったマァムを、止めたのはポップだった。
 ただ、黙って、軽くウインクして見せるポップは、無言のままで大丈夫だとみんなを安心させてくれる。

 感情の起伏そのままに、豊かに表情を変えるその顔は、時に言葉以上に雄弁だ。
 妙に余裕たっぷりなポップの態度が、勇者一行の動揺や驚きを速やかに静めた。
 だが、レオナだけにはその恩恵は届かない。

 ダイだけしか見ていない彼女は、他の誰も目に入らない。
 南の孤島で出会った小さな勇者は、花を手にしたままちょっとぎこちないしぐさで跪き、レオナのドレスの裾をそっと摘んだ。

「レオナ」

 そう呼ぶ声にも、ウェディングドレスの裾を取る手にも、細心の丁寧さが感じられる。 まるで、とても大切な宝物を扱うように。

「おれと、結婚して」


 そう言って、ダイはレオナのドレスの裾をわずかに持ち上げ、恭しく唇を当てる。
 それが騎士が行う正式な求婚の方式だと――宮廷作法に詳しいはずのレオナが気が付くまで一拍の時間がかかった。

「……?!」

 レオナの瞳が、再び先程と同じくらいの大きさに、だが、先程とはまるで違った意味を持って見開かれる。

「ポップから聞いたんだ。結婚って、ずっとずっと一緒にいるって約束することなんだって」

 まだ跪いたまま、小さな勇者は純白の姫君を眩しそうに見上げていた。

「父さんと母さんみたいに、一緒にいて、それから新しい家族が増えるものなんだろ?」


 その言葉が、レオナの胸に深く染み込んでいく。

「一番大好きで、一生、一緒にいたい女の子とする約束なんだろ? だから、おれ、レオナと結婚したいんだ」

 その言葉が、レオナの胸を震わせる。
 あまりにも聞きたかった言葉は、まるで夢のようですぐには現実と認識できずに、彼女をためらわせる。

「ダイ君……ッ、それ…本当? 本当に、あたしで、いいの?」

 レオナの目が、一瞬泳ぐようにポップの姿を探す。
 いつも、勇者の隣にいた魔法使い。
 何度となく仲間に勇気を与えてくれた勇気の使徒は、レオナと目が合うと少しばかり苦笑するようにして頷いた。

「ポップが、言ったんだ。一番大切な女の子とは、ちゃんと約束しなくっちゃダメだって。 だから、おれ、レオナがいいんだ。だって、おれ、レオナ以上に大切な女の子なんて、いないよ?」

 まだ子供っぽい口調ながらも、その思いの真剣さは確かだった。

「結婚を申し込むのって、ホントは男から女へするもんなんだってね。で、指輪とかあげるんだって聞いたけど、おれ、そーゆーのよく分からないから、これ、探してきたんだよ」


 そう言いながら立ち上がり、彼女に向かって花を差し出す。

「おれの島で、この季節だけ咲く花なんだ。すっごく綺麗だから、レオナにも一度見せてあげたいと思ってたんだよ。これ、あげるね」

 よくみれば、ダイの服や顔にはあちこちに泥がついている。その癖、手にした花は汚れ一つついていない綺麗な物だった。

「レオナ。おれと、結婚してくれる?」

 まだ自分よりも小さな勇者からのプロポーズに、レオナは歓喜の涙を浮かべながら頷いた。

「ええ……、喜んで……!」

 やっと成立した幼い恋人達の婚約を、勇者一行の一同は祝福の眼差しで暖かく見守っていた――。

 

 

「姫様、そろそろお式の時間ですが……。――?! ひ、姫様、どうかなさったんですか?」


 控え目なノックと共に、花嫁控え室にはいってきたエイミは慌てふためく。
 化粧さえ落ちてしまうほど泣いた後の伺える主君を前にして、エイミがおろおろとするのも無理はない。
 だが、レオナは涙をぬぐい、いつも通りの笑顔を見せた。

「ううん、なんでもないのよ。もう、時間なのね、分かったわ。すぐ、お化粧を直すから」


「ですが……ブーケが台無しですね、すぐに代わりを用意させましょうか?」

 何があったのか分からないまま、エイミはレオナの足下に落ちて乱れたブーケを気遣う。だが、花嫁は数本の花をまとめただけの手製の花束を、さも大切そうに抱きしめた。

「いいえ……! この花がいいの」

「姫、よければこれを」

 ヒュンケルが差し出したのは、レオナへのプレゼントとしてあらかじめ用意してあったハンカチだった。
 極上の絹製で、手織りのレースがふんだんに使われ、凝った刺繍が施された純白のハンカチは、疑いようもなく最高級品だろう。

 庶民感覚では並のドレス以上に高価な代物で、貴族か王族の姫君でもなければ使うこともできない逸品だ。
 だが、ヒュンケルは惜しげもなくその最高級品ハンカチを、花束の根元の部分を覆う包み紙代わりとした。

「そのままじゃ、すぐにはずれちゃうわね。よかったら、これを使って」

 そう言ってマァムは、自分の胸元からブローチを外して、ハンカチを止めるピン代わりに使う。

「これ、父の実家に受け継がれた物の一つなの。古い物だけれど、結婚祝いにレオナに上げるわね」

 真珠のついたブローチは、定番の品でありそう珍しい物ではない。むしろ、貴族の娘なら誰もが一つや二つ持っている、ありふれた品にすぎないだろう。
 だが、マァムの父方の実家は、カール王国ではそれなりの旧家だ。

 長い間、母から娘へ、娘から孫へと受け渡す宝飾品には、派手さはなくとも堅実さと実質本位な美しさが備わっている。
 時代を経ても変わることのないシンプルなデザインは、しっくりと即席のブーケに調和し、収まった。

 結婚を機に身内の女性から宝飾品を譲り受けるのは、貴族階級以上の娘にとっては、ありふれた風習だ。
 だが、母を早くに亡くしたレオナには、それは訪れることがないと諦めていたはずの風習だった。

 それが思いも寄らぬ形で姉替わりとも頼む女性から叶えられ、レオナの胸を喜びで暖めてくれる。

「ありがとう、マァム……!」

 嬉しそうに花束を見つめたレオナの顔に、いかにもいつもの彼女らしい、茶目っ気を感じさせる表情が浮かぶ。

「ね、ポップ君、そのバンダナを貸してくれないかしら?」

「え? こんなのを?」

 と、軽く自分のバンダナを押さえ、ポップは一度は断ろうとした。

「こんなのじゃなくて、ちゃんとしたプレゼントを後で用意するって」

「ううん、借り物じゃないと意味がないのよ。それにプレゼントなら――もう十分以上にもらったもの」

 挙式前の花嫁たっての望みを、ポップはそれ以上は固辞しきれなかった。不思議そうな顔をしながらも、バンダナを外して彼女に渡す。

「貸すのはいいけど、これ、無くさないでくれよ。おれのトレードマークなんだからさ」


 色鮮やかな黄色のバンダナは、ただの細長い布にすぎない。見た目以上に頑丈な布であり、色の落ちにくい染料で染めてあるとはいえ、特別な品物とは言えまい。

 だが、勇者一行にとっては、そのバンダナはただのバンダナとは全く違う意味を持っている。
 品が特別なのではない、持ち主が特別なのだ。

「ありがとう、約束するわ、ちゃんと返すわよ。――利子をつけてね」

 思わせぶりな笑顔と共にそう言いながら、レオナは器用な手つきでバンダナをブーケの根元に形良く巻きつける。
 鮮やかな黄色は、ブーケを結ぶリボンとなった。その色は、青い花をより一層引き立てる。

 それで花嫁の支度は整ったものの――花婿の方は全くだった。
 レオナが嬉しそうにブーケを何度も見つめるのを、のんびりと見ているダイを、アポロが慌てて引っ張った。

「さ、ダイ君、早く着替えて。急がないと式に間に合わないよ」

「そっかなあ? おれなら、このままでもいいけど」

「いいわけあるかっ! いいからちゃんと着替えてこいっ!」

 と、ダイの背をどやし付けるポップの背を、強く叩いたのはマァムだった。

「着替えるのはポップもでしょ?! そんな格好で結婚式に出るつもりなの? 泥だらけじゃないの」

「仕方ないだろ、ダイの奴が知っている中で一番綺麗な花を集めるんだって言い出したから付き合ってやったら、あいつ、崖っぷちやら火山の火口やら、とんでもないとこばっかに行きやがってよ」

「言い訳はいいから、ほら、急いで、急いで!」

 

 

 見渡す限りの人の波が広がる。
 パプニカの誇る大神殿にさえ入りきらず、幾重にも取り囲む数えきれない程の人々の海。その誰もが口々に世界を救った勇者と姫の結婚を喜ぶ言葉を口にしている。

 誰もが、嬉しそうな顔をして笑いあっているその光景を、ダイとポップは花婿用の控え室の窓から眺めていた。

「……みんな、嬉しそうだね」

 まだ背が低い勇者にとっては、結婚式用の盛装も借り物じみていて似合ってはいないが、代わりに初々しい可愛らしさがあった。

 まだまだ結婚には早そうなお子様勇者の隣に、緑の法衣を着た魔法使いが並ぶ。
 袖も裾もゆったりとしたデザインの法衣を着たポップは、やはり動き難そうではあるが、それでもダイよりは馴染んでいる。

「ああ。みんなが、おまえと姫さんの結婚を、祝福するためにここに来たんだ。平和を取り戻してくれた勇者に、感謝してるんだよ」

 そう言いながら、ポップはダイの頭にぽんと手を置き、くしゃくしゃとかき混ぜるように乱暴に撫で回す。
 その変わらないしぐさが嬉しくて、ダイは嬉しそうに笑う。

「おれ……地上に、戻ってきてよかった。今、ホントにそう思うよ」

 みんなで守りきった地上で、普通の人間として、幸せに生きていく。それはダイにとっては、一時は諦めていた夢だった。
 人間が自分を疎むのであれば、地上を去ってもいいと思った。

 なのに、信じられないぐらいの幸運がダイには与えられた。
 竜の騎士ではなく、人間として生きていける機会。
 その上、大好きなお姫様と結婚して、幸せになってもいいんだと、みんなに祝福されて。なにより、自分の隣には変わらない友達がいてくれる。

『約束なんかしなくても、おれはずっとおまえの友達だし、勇者の魔法使いでいてやるよ』


 当たり前のように言ってくれたその言葉こそが、レオナに結婚を申し込む踏ん切りをつけてくれたのだと、ポップは知らないだろう。
 だが、ポップはいつでも、ダイに一歩を踏み出す勇気を指し示してくれる。

「さ、いこうぜ、ダイ。みんなが……おまえのお姫様が待っているぜ」

 

 

 それは、おままごとのような式だった。
 13才の勇者に、15才のお姫様。まだ、本当の結婚をするには早すぎる幼い恋人同士は、それでも真摯な思いを込めて、永遠の愛を神の前で誓った。

 白い結婚の慣習に従ってヴェールを上げず、薄い紗の布越しの誓いのキスは、花嫁の頬にと当てられる。
 二人が成長し、身も心も大人になるまで、これは本当の婚儀とは呼べないかもしれない。 だが、この瞬間に二人は人生を共に歩く、互いにとって唯一の伴侶となった――。

 

 

 その瞬間、わきあがるような歓声が大神殿を揺るがさんばかりに響く。
 誰もが勇者と姫の婚儀を口々に祝福し、力の限りに手を振るのをやめようとしない。その喝采の中には、仲間達のものも混じっている。

 とりわけ大きく手を叩き、最前列で嬉しそうに笑っているのはポップだ。そのすぐ隣に、淡い赤毛の娘がいるのを見定めてから、レオナは手にしたブーケを思い切りよく空へと放り投げる。

 途端に、若い娘達の黄色い声があがり、花が咲くように一斉に娘達の手が空に向かってのばされた。
 だが、レオナの投げたブーケはそれらの手をすり抜け、計ったようにマァムの手の中に落ちる。

 驚いたようなマァムとポップが一瞬顔を見合わせ、互いに頬を赤らめるのを花嫁は見逃さなかった。清純な花嫁衣装のヴェールに隠れたまま、レオナはこっそりとほくそ笑む。


(ちゃんと利子をつけて返したわよ、ポップ君)

 これも、また、有名な言い伝えの一つだ。
 ――花嫁の投げたブーケを受け取った娘は、次の花嫁となる、と――。

 

 

 新しいものを、一つ。
 古いものを、一つ。
 借りたものを、一つ。
 青いものを、一つ。
 それは幸せな花嫁になるための、昔ながらの言い伝え――。
                                    END


《後書き》
 35000hit記念リクエスト『ダイとレオナの結婚式(ポップの憎い演出つき)』でした!
 …とか言いつつ、演出度ではポップよりもレオナの方が勝っている気がするんですが…っ。す、すみません、リクエストっていうと微妙にハズしてばっかりで〜。


 うちはダイポプをメインにすえているせいで、レオナにはちょっと可哀相な展開になることが多いので、今回は彼女が幸せいっぱいな花嫁になってもらいました!
 …メインルートじゃなくて、アナザー編なんですけど(笑)


 ところで、物語冒頭ででてくる言い伝えは、西洋で古くから伝わる『サムシング・フォー』の慣習からとりましたv
 白い結婚は中世ヨーロッパでホントにあった、歴史的事実を元にしています。まあ、ほとんどが政略結婚の口実に使われていたんですが(笑)、ここではロマンチックな解釈でおままごと結婚をさせてみましたvv
 

 

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