『賑やかな哀悼』

  

 ロロイの谷。
 カール王国北部に位置する山脈にある、険しい渓谷の名だ。
 その名を、記憶にとどめている人間は少なくはあるまい。

 1年前、大魔王バーンが裏切り者の公開処刑を行うと宣言した場所であり、勇者一行と魔王軍が激突した最後の場所でもあるのだから。
 だが、今となっては名こそ知られていても、誰も近寄らない場所だった。

 元々、水が絶えて久しく、険しいだけの渓谷地帯に住まう人もいない上に、戦いの余波でさらに荒れ果てたとなってはなおさらだろう。
 戦火の名残をあちこちにとどめたまま、そのまま捨て置かれた場所だ。

 人どころか、動物や怪物の気配すらない荒れた渓谷――だが、そこに向かって歩く人影があった。

 

 

 それは、人間ではなかった。
 一応、フードのついたマントで身を隠してはいるが、それは一目瞭然だった。
 確かに、姿形は人間に酷似している。だが、全身を銀色に光らせた金属製の身体は、人間の物ではあり得ない。

 マントの汚れぐらいから見て、相当長い距離を旅してきたように見えるが、その足取りはしっかりとしたものだった。普通の人間が走る以上の速度で、ズカズカと無人の道を真っ直ぐに歩いて行く。
 すでにとっくに日も沈み、夜になっているいうのにお構いなしだ。

 機械のような正確さでずっとそう歩いていた人影は、谷の中で一番広い場所へと向かう。 そこにあるのは、かつて大魔王バーンの命で作られた処刑場だ。
 だが、事情を知らない者から見れば、二つの十字架をしつらえられた純白のその場所が、そんな忌まわしい目的で作られた物とは思いもしないだろう。

 純白の礎石や、周囲を飾る柱が壊れた神殿じみた雰囲気を醸し出すせいもあるが、なによりもそこを神聖な場所に変えているのは、光を放つ魔法陣のせいだ。
 五芒星を中心とした小さな魔法陣を中心に、より大きな円がさらに二重、それを取り囲んで魔法の輝きを見せている。

 神聖な光を放つその魔法陣が、どんな効果を持つものか知っている者は少ないだろう。だが、何も知らない者でも安堵させるだけの輝きを、その光は備えていた。
 その光のせいで、その場所だけは明るかった。

 その魔法陣の中央に、ぽつんと一人の少年が立っている。
 彼は、天を仰ぐように、その場に佇んでいた。
 緑の服を着た、黒髪の魔法使い――その姿を見た途端、金属の身体を持つ男は大声で叫んでいた。

「ポップ?! おめえ、なんでこんな所にいやがるんだ?」

 驚いたように振り返った少年――ポップもまた、思いがけないところで知り合いに会った驚きの顔で、返事を返してきた。

「ヒム?! てめえこそ、どうして? …っていうか、どうやってここまで来たんだよ? おまえ、確かデルムリン島にいたはずだろ?!」

 元ハドラー親衛隊のヒムは、世界が平和になった後、デルムリン島で暮らす道を選択した。
 とはいっても、島に籠りっ放しというわけでもない。意外と気さくで人の良い彼は時折各国から助力を頼まれた際は進んで力を貸し、人間と怪物の友好に力を貸している。

 特に、珍しいものを好む気質のロモス王や、怪物に偏見のないカール王や女王、人使いの荒いパプニカ王女などに頼まれて出かけるのは、珍しくも無い。
 そんな折は、各国からの送り迎えに頼って移動するが、それでも基本的にはヒムはデルムリン島にいると言っていい。

 今となっては各国とはあまりにも無縁なこの場所に、ヒムが来る理由も思いつかなければ、移動の手段だってありそうもないのだが。
 が、きっぱりと、ヒムは言い切った。

「んなもん、歩いてに決まっているだろ」

「……………………」

 しばし、絶句したあげく、ポップは信じられないものを見る目をヒムに向ける。

「歩いてって……、デルムリン島から、ここまでかよ?」

「おう、他に手段も無かったからな」

 ヒムは本来は金属生命体――チェスの駒に生命を吹き込まれた存在だ。バーンパレスを守るための駒として存在を許されたヒム達には、主君の命令無しに自由に行動出来る能力など、最初から与えられてない。

 主君が許可した時のみ、疑似的な瞬間移動呪文を使えるだけだ。ハドラーが存命中の時ならばともかく、主君を失った今、ヒムには瞬間移動呪文は使えない。
 どこに行くにしても、自前の足で移動することになる。

「手段がないって、船とかで来ようと思わなかったわけ?」

「といっても、あの島には筏ぐらいしかなかったし、オレが乗ったら沈んだからなあ。しょうがないから、歩くことにしたんだ」

 生命体とはいえ、ヒムは金属製だ。生物と違って呼吸などはしていないし、肉体的な疲れも感じない。
 ヒムにとっては、地上でも海中でもほぼ同じようなものだ。たっぷりと重量のある身体は人間や他の生き物のように浮きはしないし、海底をテクテク歩くなどお手の物だ。

「……信じられねー。いったい、どんだけかけて歩いたんだよ?」

「さあ? よく覚えてないけど、一ヶ月ぐらいじゃねえの?」

「……物好きな奴〜」

 ほとほと呆れ果てたような調子でそう決め付けられるとは、ヒムにとっては納得がいかない。

「おめえには言われたくないな。だいたい、おまえこそなんでこんな所にいるんだよ?  勇者様ご一行ともなれば、今日は色々と忙しいんじゃねえのか?」

 瞬間移動呪文により、自在に世界中を飛び回れるポップがここに来るのは、確かに簡単なことだろう。
 だが、彼は勇者一行の魔法使い――勇者が行方不明の今となっては、世間から一番注目を集めている存在といっていい。

 そして、今日は大魔王バーンが倒されてから、ちょうど一年。世界各国で、様々な記念イベントが行われていることは、ヒムでさえ知っている。

 本来ならポップは、それらの式典に引っ張り凧になっているはずだ。間違ったってこんな人里離れた、誰もこないような場所にいていいはずの人間ではない。
 が、ポップはこともなげに軽く言った。

「まあな。さっきまで、ベンガーナの記念式典に参加してたんだけど、抜けてきちまった。どうも、あーゆーかしこまった場所ってのは好きになれないや」

「だからって、なんでここに?」

 そう聞くと、ポップの顔にニヤリとした不敵な笑顔が浮かぶ。
 それは、ヒムにとっては見覚えのある表情だった。
 相手の心理や行動までも見事に見抜き、それを上回る攻撃をしかける寸前に見せる、大魔道士ポップの笑みだ。

「たぶん、おれもあんたと同じ理由で来たんだと思うぜ」

 一瞬の驚きの後――ヒムもまた、口端を挙げて笑みを形どる。

「……おいおい、物好きなのはどっちだよ? オレと違って、おまえにゃそこまでする義理もないだろうによ」


「別に、義理や義務感なんかじゃ、ここには来なかったさ。おれは、おれが来たかったから来ただけだよ」

 いっそ、爽快とでも言いたくなる程さばさばとそう言うポップに、ヒムは呆れるべきか、感心するべきか、しばし迷う。

「しっかしよお……おまえはいいとしても、他の連中はそうは思わないんじゃねえのか?」


「おれがここに来るのを知って、文句をいうような仲間なんかいないって。第一さ、この花は、マァムに頼まれたんだよ。アルビナスに渡して欲しいって」

 そういってポップが持ち上げたのは、真紅の薔薇の花束と一本のワインだった。

「で、こっちの酒はアバン先生から。ハドラーの所に行くなら、持ってお行きなさいって渡してくれたんだ」

 とっておきのいい酒だって言ってたとポップはワインを見せびらかし、軽く振って見せる。

「……そうか」

 金属でできたヒムの胸に、静かに込み上げてくるこの感情は、嬉しいという感情なのか。 魔王ハドラー。
 その配下であった、ハドラー親衛隊。彼らの存在は人間にとっては災厄以外の、何物でも無かっただろう。

 その死を寿ぐ者こそいれど、まさか悼んでくれる人間がいるなどとは、思いもしなかった。

「一人で酒盛りするにゃ多いなって思ってたとこなんだ、丁度よかった。そこらに座れよ、あんた、酒ぐらいは飲めるんだろ?」

 促され、ヒムは無造作にその辺に腰を下ろす。

「そりゃあ、飲み食いしようと思えばな」

 金属で出来ているとは言え、ヒムは一応は生命体でもあり、高度な魔法技術の粋を凝らして作られた造形物でもある。
 食事を取る必要は無いが、口にできないわけではない。人間のように不可欠な栄養素という形ではないが、食べた物は体内で吸収され、同化される。

 もっとも、それでエネルギーを補給できるわけでも無いし、まったくの無意味な行動だと思い、ヒムはあえて実行しようと思ったことはなかった。
 が、ポップはどこからか大きめの杯を取り出すと、ヒムに手渡してきた。

「人間の習慣では、故人に悼む時には酒が付き物なんだよ。故人の話をしながら、本人に近しい奴が代わりに飲み干すもんなんだ。おれより、あんたの方がその役に相応しいだろ」


「ふぅん、そんなもんかねえ?」

 初耳の習慣は、ヒムはすぐには馴染めない。だが、否定したいとは思えなかったので、素直に彼に従った。
 器用にワインの栓を抜き、ポップは軽い口調で聞いた。

「誰から始める?」

「じゃあ、まずはレディーファーストといくか。アルビナスからだ」

「了解」

 とぽとぽっと音を立てて、ワインが杯に注がれる。真紅の液体が、月明りに映えてきらめいた。
 それを、ヒムは頭上高くにかかげるような仕草をとる。

 あれほど固い結束を誇ったハドラー親衛隊は、それぞれがバラバラの場所で死んだ。アルビナスの死に場所はバーンパレスの後方左翼だったはずだ。

「……へへっ、女扱いするななんて怒らずに受け取ってくれよ」

 女王アルビナス。

『駒に性別はありません』

 それが、彼女の口癖だった。自分はハドラーのために動く駒にすぎないと言いながら、彼女の心の中に秘められた想いは  おそらくはヒムや他の仲間達の忠誠心とは違うものだったのだろう。

 聡明で、頼りがいのあるリーダーであるだけでなく、アルビナスは女性としての魅力や感情も備えていた。
 真紅の薔薇を見つめながら、ヒムは柄にもなくそれが彼女のイメージにどこか似通っていると思う。

「アルビナスは……どんな風に逝ったんだろうな――」

 ヒムは生死の境で、仲間や主君の死を直観的に感じ取った。
 それは常に主君に従い、集団で行動することを義務づけられれた疑似生命体ならでは、感覚の共有にすぎないだろう。

 だが、ヒムにとってはそれが最後の仲間との別れになった。
 立ち会えもせず、死体すら見ることが叶わないまま失った仲間達の死は、ヒムにとっては未だに実感のないまま、その事実だけが重く残っていた。

「アルビナスは、マァムと戦ったんだ。だから――詳しい話なら、あいつが一番だけど……今まで話を聞いたこと、なかったのか?」

「いいや。機会もなかったしな」

 それは半分は本当だが、半分は言い訳のような物だ。
 聞く機会なら、作ろうと思えば作れただろう。
 勇者一行は、ヒムが考えていたよりもずっと暖かみのある存在で、かつては敵だった自分を『仲間』として受け入れてくれている。

 だが、敵との戦いや、敵の最後を話してくれるまでに『仲間』と思っていいかどうか分からなくて、ずっと聞かないままで一年が過ぎた。

「そっか。まあ、おれは軽く聞いただけだけど……アルビナスは、ハドラーの存命が望みだったんだってな。一人でオレ達全員を倒して、バーンにハドラーの延命を申し出るつもりだったって、聞いた」

 それは、ヒムにとっては初耳だった。
 だが、不思議に違和感なくしっくりと受け取れる。
 彼女なら、それぐらいしてもおかしくないと思える一途さがあった。

 ハドラーの命令に反してでも、ハドラーのためになる行動を取ろうとする一途さ――その激情を心に秘めようとはしていたが、それは隠しきれる物ではなかった。

「そうか……やっぱり、アルビナスの奴、ハドラー様を――。ま、なんとなくそんな気はしてたけどな」

 酒を飲み干しながら、ヒムは杯以上に心のどこかが軽くなるのを感じていた。
 話を聞いたところで、過去が変わるわけではない。だが、心の持ち様にもたらすこの変化は何なのか。
 それを確かめたくて、ヒムは空になった杯を自ら突き出した。
 

「お次は、フェンブレンに、かな」

「ふーん」

 と、ポップが注いだ酒の量は、ほんのぽっちりと申し訳低度の代物だった。

「いや、そりゃ少なすぎだろっ?!」

 思わずツッコむと、ポップはどこか拗ねたような顔で頬を膨らませる。

「だって、あいつにはあんまりいい思い出ないしさー。チウのことだって、忘れたわけじゃねえしよ」

 フェンブレンは、向こう見ずにも死の大地に乗り込んできたチウを痛めつけた過去がある。
 ポップ自身もフェンブレンに殺されかけたことも、親衛隊と命懸けで戦った経験もあるはずだが、ポップにとってはチウの件の方が意味が重いらしい。

「だからってケチケチすんなよ、もうちっと豪快に注げっつーの!」

 しぶしぶながらも、ポップはやっと普通に酒を杯に注いだ。
 アルビナスよりはやや少なめなのが気になるとは言え、ヒムはそれを今度は地面すれすれに下げる。
 フェンブレンの死に場所は、当時海底にあったバーンパレスへの魔宮の門だったから。


「フェンブレン。おまえの自分勝手さも、オレは嫌いじゃなかったぜ」

 僧正フェンブレン。
 彼は親衛隊の中で、真っ先に死んだ。
 自分の私情に走って、バランへ決闘を挑み、あっさりと破れてしまった。確かにその復讐心の強さや、隠しきれない残忍な性格は褒められたものではなかったかもしれない。

 だが、ヒムにとっては大切な仲間の一人ではあった。
 彼の死亡を悟った時の衝撃は、いまだにヒムの中で鮮明だ。

「まあ、ダイとダイの親父さんに、一人で戦いを挑んだ勇気は、すげーとは思うぜ」

 ぶすっとむくれたままとはいえ、それでもポップはその事実は認めた。

「ダイから聞いたんだ。フェンブレンはたった一人で、天下の竜の騎士二人のタッグに真っ向から挑んできたってな」

 その事実を、ヒムはハドラーの口から後に聞かされた。だが、当時は敵だった勇者一行の魔法使いの口から聞くと、なおさら現実感を帯びる。

「ああ、そうらしいな。破れたとしても、あいつも本望だっただろうぜ」

 自分を認めさせたい――。
 味方だけではなく、敵にさえも自分の存在感を示したいと願う、功名心。それが、フェンブレンには色濃く現れていた。

 その思いは、決して無駄になったわけではない。
 現に、こうして、敵も味方も彼を覚えているのだから。

「次は、誰を悼む?」

 酒を注ぐポップに答えないまま、ヒムは杯を海へと向けた。
 その戦士は、死の大地の近くの海の上、バーンパレスで逝ったのだ。

「お次は、ブロック、おまえさんにだ。無口な癖に、案外せっかちな奴だったよな」

 城兵、ブロック。
 巨体の中にもう一つの顔を隠し持っていたブロックは、無口な戦士だった。終始、無言のまま仲間を守ることを第一に考えていた。 彼のその考えは、最後まで変わらなかった。 ハドラーや仲間達を守るために、結局、ブロックは自らを犠牲にする形で死んでいった。


「あのでかい奴か……。そう言えば、あいつはいつ? やっぱ、バーンパレスでハドラーの黒の核晶が爆発した時に……?」

 わずかに口ごもる口調にポップの気遣いを感じながら、ヒムは首を横に振った。

「いいや。あいつは、あの爆発では死ななかった。オレ達を守って……その後、バーンの攻撃からハドラー様とオレ達を庇ったせいで、代わりに逝っちまったよ」

 今までと違って、自分からポップに親衛隊の仲間の最後を話すのは不思議な気分だった。


「そうか……。あいつ、最初っから最後まで、仲間を守ってばっかりいたんだな」

(それ、おまえに言えるセリフじゃねえと思うがね)

 苦笑と共にその言葉を飲み込んでから、ヒムは空にした杯を再び差し出す。
 ただし、それは酌を受けるための差し出し方ではなかった。杯そのものをポップに渡すための手渡しだった。

「シグマに関しては、おまえも飲む資格があると思うぜ」

 その言葉にポップがきょとんとしたのは、一瞬だった。すぐに、ニヤッと不敵な笑みを浮かべて答える。

「じゃ、お言葉に甘えて、一杯」

 さっきとは逆に、ヒムの手からポップの杯に酒が注がれる。
 それを、ポップはヒムが最初にやった様に高く掲げた。
 シグマの死に場所は、バーンパレスの尾翼……そして、シグマが最後に選んだ決闘の相手が、ポップだった。

(シグマ。――分かるか? おまえが望んだ決闘相手が、おまえの死を悼んでいるぜ)
 

 声にださずに、ヒムは心の中だけで思う。
 騎士シグマ。
 親衛隊の中でも一際騎士道精神の強い彼は、冷静かつ公平な男だった。だからこそ、バーン様より直々に拝領したシャハルの鏡を預かる任務を請け負ったのだ。

 彼はその役目を忠実に果たした。
 勇者一行の中で、唯一魔法でオリハルコンにダメージを与えられる魔法使いを封じる役割を、自ら進んで果たしてきた。

 彼と、ポップの決闘をヒムは見ることはできなかった。
 だが、推察することはできる。


 ポップは、大魔王にも引けを取らない魔法センスと頭脳を持った驚くべき魔法使いだ。
 バーンとの最後の戦いを見たヒムには、見た目によらない彼の強さを承知している。正直、あのポップが相手では、防具の優位があったところで親衛隊クラスでは勝ち目がなかっただろう――。

 それを思えば、おそらくは最後まで果敢に自分を上回る敵と戦い、唯一の宝であるシャハルの鏡をポップに託したシグマの行動を称賛せずにはいられない。

「本当にあの時は助かったよ。ありがとうな、シグマ」

 感謝の意を延べ、ポップは酒を呷った。が、ヒムの様に一息に飲み干すのは少し無理があった様だ。
 さして強くもない、弱めの果実酒なのにもかかわらずアルコールにむせ込むあたりは、年相応と言うべきか。

「おいおいおい、こんな弱い酒でもまだ早いのか? おまえって、ホント、ガキなんだか、すげえ奴なのか、分かんない奴だな−」

 ちょっとからかうと、ポップはムキになって反論してくる。

「う、うっせーなっ、ちょっとむせただけだろっ?! だいたい、今年でやっと一才のてめえにガキ呼ばわりされる筋合いはねえよっ!」

「いや、そりゃあ確かにそうだけどよ。でも、たった一杯飲んだぐらいで顔を赤くしている奴に言われてもなあ〜」

「うっさいってんだよっ! ほらっ、次はおまえの番だつーのっ!」

 と、ポップは再びヒムに杯を押しつけてきた。
 苦笑しつつ、ヒムはそれを受け取る。

 正直言えば、最後の死者を悼むの資格もポップにはあると思えるが、ここまで相手が酒に弱いとは予想外だった。
 それを知った上で無理に飲ませるのも悪い気がして、ヒムはおとなしく杯を受ける。

「ハドラー様……」

 頭上高くに掲げる酒は、いまだに敬愛してやまない主君に。
 ヒムにとっては、ハドラーは魔王ではなかった。
 尽きることのない覇気を持ち、最強を目指して命を賭して戦った勇敢なる戦士、ハドラー。

 自分や仲間達に命を分け与えてくれ、生きる姿勢を指し示してくれた創造主。
 彼は、残り少ない命の全てを、自らの宿敵と定めた勇者ダイとの戦いにぶつけると決め、その通りにした。

 その死闘を、ヒムは自分の目では見れなかった。
 だが、それを悔いはしない。

「あの方は……ご満足して、逝かれたそうだな」

 ハドラーの最後を、ヒムはすでに聞いている。
 バーンとの戦いが終わった後、ヒムは主君の最後が気になってヒュンケルに尋ねたことがある。

 無口な戦士は言葉少なに、だが確かな敬意と称賛を込めて、勇者と魔王の死闘を語ってくれた。
 並の戦士では足下にも及ばない、人知を超えた戦いが繰り広げられたことを――。

「ああ。あんなすげえ戦いなんか、そうそう見られるもんじゃなかった。ハドラーもさぞや本望だったろうぜ……なんせ、本気のダイと戦ったんだ」

 親友の名を呼ぶ時、ポップの目に一瞬だけ苦痛じみた色合いが浮かぶ。すぐ近くにいるはずの誰かを探す様に、その目は周囲をゆっくりを見回した。

「…………」

 ヒムは知っていた。
 ダイがいなくなってから、すでに一年。世間の多くの人間が勇者の不在を当たり前の様に受け止めるようになってきた。

 もう、行方不明の勇者を積極的に探す者はほとんどいない。
 だが、ポップは未だに、勇者を捜し続けている――。

「ダイがあんなにこだわってまで、どうしても戦いたいだなんて言ったのは、ハドラーだけだったよ。ダイも望んだ決闘だった」

 伝説の存在である、竜の騎士の混血児であるダイ。
 彼とも、ヒムは戦ったことがある。
 だが、ヒムにとってはダイの戦闘意欲の薄さに、物足りなさを感じた。目の前にいる敵よりも、後方にいる仲間の危機を気にするような優しさが、ダイにはあった。

 自衛のための戦いなど、ヒムの望むところではない。
 戦いのための戦いを望むヒムの目には、目前の敵しか見ていないようなヒュンケルの方に興味を引かれた。

 しかし、ダイが意識の全てを戦いに向けたのなら――彼は、魔王以上の魔神と化すだろう。
 実際に、ヒムはその目で、ダイとバーンとの死闘は目の当たりにしたのだから。

「惜しいことをしたよな。あの勇者のガキ、オレの時は、全然本気にゃならなかったからなぁ」

 そこで一呼吸おいたのは、沈んだ風を見せる魔法使いのために、言ってやろうと思った言葉を強調するためだ。
 気休めなど、ヒムには言えない。

 必ず勇者が見つかるなどと、無責任な励ましを口にできる程、気のきいた性格ではないのだ。
 だから、口にしたのは、励ましなどではなかった。

「一度、本気の手合わせをしてもらいたいもんだぜ――次の機会には、な?」

 励ましなど、しない。
 ただ、信じるだけだ。
 次の機会が、必ず訪れることを。
 目の前にいる魔法使いが、世界のどこにいるかも分からない勇者を見つけだす未来を。


「……!!」

 ヒムの言葉にはしなかった意図を、利口な魔法使いは瞬時に汲み取ったらしい。少しばかりの弱気が一掃され、強気な表情へと取って代わる。

「そいつは、直接ダイに言えよ。次に、あいつに会った時にでもよ」

 そう言いながら、ポップはヒムから杯を取り換えし、ぐいと突き出してきた。

「ほれ、今度はおれの番な」

「なんだよ、まだ飲む気か?」

「あったり前だろ! 今日はそのためにここに来たんだからよ。この際だ、今日はとことんやろうぜ――なんせ、おれにとっちゃ、命の恩人の命日なんだからさ」

 早く注げとせっつくポップに、ヒムは苦笑しつつも従うしかない。

(そう言われちゃ、逆らえもしねえじゃねえか)

 ハドラーが、最後の最後に望んだこと。
 それが、ポップの救命だったとヒムに教えてくれたのは、大勇者アバンだ。
 キルバーンの罠に落ちたダイを救おうとして自分から罠に飛び込んできたポップは、一緒に罠に掛かったハドラーを見捨てられなかった。

 ダイは助けたものの、瀕死のハドラーに気を取られ、罠から脱出しそびれて死にかけたのだから、呆れた人の良さと言うべきか。
 だが、今のヒムには、そのポップの甘さを非難はできない。

 そんなポップだからこそ、敵だった者の命日を忘れずに、こんなところまで来るのだと分かっているのだから。
 敵だった者もそうやって受け入れてしまうポップの温かさを知ってしまった今では、それを失うことなど考えられない。

(ハドラー様やあの勇者のガキの気持ちも、分からんでもねえよな、まったく)

 ハドラーが命を懸けてもポップを助けたくなった気持ちも、ダイがポップを庇って最後に黒の核晶から遠ざけようとした気持ちも、理解できる。

「ま、それはいいけど、あんまり無理はすんなよ、てめえも」

 そう言いながら、ヒムはかなり控え目に杯に酒を注ぐ。
 様々な意味を含めてそう言った言葉を、ポップは今度はものの見事に誤解したらしい。


「無理すんなって、ガキ扱いはやめろっての! なんだよ、人には酒が少ないとか文句を言っておいて、このセコさは?」

(まったくこいつって奴は、鋭いんだか、鈍いんだか)

 戦いの場や、他人のことに関しては、恐ろしいほど気が回り、読みが鋭い。が、自分自身についてはとことん鈍いときているから、始末が悪い。
 だが、そんな点も含めて気に入ってしまった点で、もう手遅れというものだろう。

「焦るなってえの。夜は長いんだ、チビチビ酒をやるのも悪くはねえだろ? なんたって、今日は特別な日なんだからな」

 からかい半分に、そう言いながらヒムはもう一度空をふりあおぐ。
 今となっては、もうその姿すら見ることのできないほど上空高くまで浮かび上がり、事実上消えてしまったバーンパレス。

 だが、見えなくなってしまっても、無くなったわけではない。
 そこで確かに戦い、死んでいった者達を思って飲む酒も、悪くはない。

「ちぇっ。次のてめえの番の時に、ぜってー仕返ししてやるからな!」

 舐める様にちまちまとしか酒を飲めないくせに、ポップはどこまでも口だけは達者だ。ちょっとからかえば、勝ち気にぽんぽんと言い返してくる。
 追悼の酒にしては少しばかり賑やか過ぎる気もするが、それでもポップと際向かいにやいのやいのと言い合いながら飲むのは、不思議に心地良い。

 今日は、勇者ダイが大魔王バーンを倒した平和記念日。
 世界が祝賀に包まれるこの日に、祝福されない死者を悼むのが、自分一人でなくて良かったと思いながら、ヒムは再び受け取った杯をゆっくりと傾ける。
 味が分からぬはずの舌に、その酒はとびっきりの美酒として感じられた――。
                                     END


《後書き》
 ポップとヒムのコンビによる、珍しくもしんみりした追悼のお話〜。
 ハドラーとハドラー親衛隊って大好きだっただけに、彼らの死が残念で、残念で、一度でいいから弔いの話を書いてみたかったんですよ。
 ハドラーに助けられたポップと、ハドラーの仲間だったヒムなら、彼の死を忘れずにいるんじゃないかなあと思うんです。
 
 

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