『忘れられない光』 

 
 

「キシャァアアーーッ!!」

 奇声を上げて襲いかかってくる異形の魔物を、ダイは無造作に切り捨てた。
 軽々と、とはとても言えない。
 切れ味の鈍った錆びかけた剣では相手の骨を断ち切れず、ごりっと嫌な手応えを残して肉に食い込むだけだ。

 舌打ちをしつつ、ダイは断末魔の痛みに呻く魔物を踏みつけ、力任せに剣を引き抜いた。それにより、相手に与える苦痛など考えもしない。
 凄まじい悲鳴と共に、青い血が飛び散った。

 それを避けようとは思わない。そんな余裕など、今のダイにはない。
 血糊に染まった剣を引き抜きざまに、後方から襲いかかってきた敵へ振るう太刀へと変える。

 それは牽制のための一撃などではない。剣に当たったものを余さず斬り殺すだけの、威力と気迫が込められていた。
 周囲すべてを敵に囲まれた今、後ろを気遣う必要などない。

 背に感じる、暖かでいて誰よりも頼りになる気配など存在しないのだから。
 ダイの考えるべきことは、ただ一つ。
 竜の騎士の本能のままに、周囲の敵を殲滅させること、ただそれだけだ。

 紋章の力を奮い起こして戦う時は、人間の心など邪魔だ。断末魔の叫びも、血を吐く様に切実な助けを求める叫びも、ダイは無視を決め込む。
 相手に情けを掛けるつもりなど、今のダイには微塵もない。戦闘機械と化したかのように、一方的に敵を切り刻む。

 勝敗がつくまで、それほど時間は掛からなかった。
 全身を血に染めながら、ダイは屍だけが横たわる周囲を見回した。時折、横たわる死体に剣を突き立てるのは、まだ死にきれていない魔物に確実にとどめを刺す為だ。

 大半は本当に死んでいる魔物であり、ダイのしていることは死者を貶める行為に他ならないが、気を緩めるつもりはなかった。
 死んだふりをして、ダイの油断をついて襲いかかってくる敵もいる。
 敵だった死者の尊厳と、自分の命――どちからより大切かは、明白なのだから。

(……終わった、かな?)

 気を緩めないままそう思い、最期にもう一度周囲を見回したダイの目が、大きく見開かれた。

「……!!」

 さっきまで気配すらも感じなかった存在が、そこにはいた。

「お願いします……、竜の騎士。助けて……ください」

 掠れがちな声で、震えながら助けを請うのは黒い髪、黒い瞳の少女。
 姿はほとんど人間だった。
 魔族特有の尖った耳ではない。丸い耳は、人間のものと同じだ。魔族の風変わりな肌色とは違う白い肌に、あちこちでかすかに滲む赤い血の色が映えていた。

「助けて……、お願い…」

 そう美しい少女とは言えない。
 顔立ちはそこそこ整っているとはいえ、どこか凡庸な印象があるし、傷ついてボロボロの格好のままだ。

 汚れ放題に汚れた上、褪せたその服の色を見て、ダイはわずかに剣を下ろす。
 それに力づけられたのか、少女はふらつく足取りで彼の方へと歩み寄ってくる。

「……」

 ダイは無言のまま、少女を見つめていた。
 断ち切られたばかりのように見える短い黒髪は、荒れ放題でボサボサに撥ねまくっている。

 髪を飾っていたと思える黄色のリボンは、半ばほどけ、端が肩に垂れ下がっていた。
 ダイよりほんの少し年上と思えるその少女は、やせ細っていた。ほとんど起伏のない体型は、女性というよりは少年のものに近い。

「死にたくないの……助けて……」

 必死に訴える声は、掠れ気味だった。そのせいで、女の子の声としてはやや低く聞こえる。
 その声に、ダイは思わず耳を傾けていた。

「助けてほしいの…。返事をして……お願い」

 懇願の言葉を、ダイは否定はしなかったが肯定もせずにそのまま聞いていた。
 遮るのが惜しくて、口をきく気にもならない。
 近付いてくると、彼女がほとんど自分と同じ背丈ぐらいなのに気がついた。その事実に、ダイはほんの――ほんのわずかだが、微笑んだ。

 それに力を得たのか、少女もわずかな笑みを浮かべてダイに近寄り、すがりついてきた。細い腕が暖かな体温を伝えてくる。
 ダイにしっかりと抱きつきながら、少女は甘えるように懇願の言葉を紡いでいた。

「だから――あなたの血を下さいな、勇者様」

 そう呟いた途端、少女の顔つきは一変する。
 邪悪さをにじませた鋭い目が、こずるく光った一瞬を、ダイは見なかっただろう。
 抱き合う二人の間から、赤い血が滴り落ちた――。

 

 

「ごめん……でも、おれの血は役に立たないよ、きっと」

 申し訳なさそうに、だがひどく冷静な声で謝るダイの目の前で、少女は目を見開いたまま倒れ伏せた。
 隠し持っていたナイフでダイの腹をえぐろうとした少女は、自身のそのナイフを自分の胸に埋め込んでいた。

 相手の刃物を奪い、逆に刺したのはダイだ。
 出来るなら即死させるように一撃で急所を狙いたかったが、それはさすがにかなわなかった。
 ゆえに、まだ息のある少女は地べたに横たわったまま、呪詛の言葉を撒き散らす。

「なんて……っ、ひどい! なんて冷たい、勇者様なの? あなた、それでも竜の騎士なの?! 血をくれたって……っ、私達の代わりに、死んでくれたっていいじゃない!」

 少女の声は次第に嗄れた声へとなり、それは怨念を込めての恨み言へと変わり……やがて、途切れた。
 がくりと頭を落とした少女は、その他大勢の死体と同じように、もう動かない。

 その光景を、ダイは無感動に見回した。
 その表情は、死体がフッと消え、妙に濁った光の塊へと変化しても少しも変わらなかった。今まで飛び散っていた血が消え、屍も跡形もなく消えてしまっている。
 だが、それはダイにとっては不思議な光景でも何でもない。

 嫌という程、見慣れた光景だ。
 彼らの正体は、人間どころか、魔界に存在する生きた怪物や魔族でさえない。
 彼らは――死霊だ。

 魂だけの存在になった彼らは、怪物や魔物には決して入ってはこれない精霊の結界の中に入れる。
 そして、仮初の肉体を得て、ダイに襲いかかってくる。

 最初は戸惑うばかりのダイだったが、今となってはその理由は痛い程よく分かっている。 竜の騎士の記憶が教えてくれた。
 瘴気や邪気の渦巻く魔界の生き物とはいえ、彼らもまた、死後の安寧を求める魂を持っている。

 だからこそ、彼らは浄化を求めて精霊の結界へと自ら飛び込んでくる。
 本来なら、彼らは時間をかけて静かに浄化していく存在だ。
 だが、ここにはダイがいる。

 奇跡の血を持つ、竜の騎士が。もし、一滴でも血を得ることができれば、復活が叶うかもしれないと死霊は望みをかける。
 人間との混血児であるダイには、そんな力は無いといくら説得しても無駄だった。

 死という最大の恐怖から逃れる希望を持った者は、容易にその望みを捨ててはくれない。 その望みが有る限り、死霊は浄化もしないでただひたすらダイを襲ってくる。
 それをやめさせる方法は、ダイには分からなかった。

 初歩であれ、僧侶系の呪文が使えるのなら死霊を浄化できないとしても、退けるぐらいはできるだろう。
 実際、竜の騎士の知識はこんな場合はニフラムかトヘロスの呪文が有効と、教えてくれる。

 だが、ダイにはどちらの呪文も使えない。
 ダイにできるのはただ一つ、仮初の肉体を得た死霊を斬り殺し、再び死を与えることだけだ。
 それが、どんなに効率の悪い方法であったとしても、それしかできない。

 殺したところで、死霊は決して消滅はしない。一時的に衰弱するだけで、数日もすればまた復活して襲いかかってくる。
 それを承知の上で、死霊を斬り殺し続ける――これが、ダイの日常だ。

 いくら倒しても再び無尽蔵に湧き上がってくる死霊に、更なる死を与え続けてまで生き延びる……そんな自分が、ひどく浅ましいと思う。
 実際、最初の頃はダイにもためらいがあった。特に、助けを求めてすがりついてくる死霊を殺すには、抵抗があった。

 死霊は、時として仲間達に似た姿に化けて襲ってくる。
 そんな時は、特に辛かった。
 だが、倒さなければ、ダイは死ぬ。

 何度倒してもいつのまにか再び蘇ってきては襲ってくる死霊と違い、ダイは生身の身体を持っている。
 相手に情けをかけ、敵の攻撃を迂闊に受ければ傷つくのはダイだけだ。

「…………」

 ゆっくりと辺りを見回し、とりあえずは死霊がいなくなったのを確認してから、ダイはのろのろと石の竜の像の前で腰を下ろす。
 今は石像としか見えない、一匹の竜。それこそが、冥竜王ヴェルザーだ。今は深い眠りに落ちているその竜を、真正面から見張る位置にダイは腰を下ろす。

 時折、目覚めて話しかけてくることもあるが、ヴェルザーはほとんどの時間を眠って過ごす。

 だが、ダイには安らかな眠りすら、程遠い。
 精霊の結界のおかげで生身の魔物は襲ってこないとはいえ、死霊はいつ襲ってくるかも分からない。

 それにヴェルザーに対する警戒心から、ダイの眠りは極端に浅くなっていた。元々、竜の騎士はそれほど睡眠を必要としないのか、目を閉じて身体を休めているだけでも体力は回復する。
 眠りとも呼べないその休息と、死霊との戦いの繰り返しが、今のダイの日常だ。

 殺伐とした戦いか、あるいは静かではあっても心の奥が飢えたような空虚さに満ちた時間という、相反する毎日を、ダイは受け入れていた。
 結界の中で限られた、この不自然な世界の中で生存するために。

 食事を必要としないという、地上では有り得なかった不自然ささえ、ダイは受け入れた。 この結界の中では、別に食事を取らなくても死にはしない。それが、この結界の特徴なのか、それともダイの竜の騎士ゆえの力なのかは、あまり考えないようにしている。

 食欲を感じないわけでは無いが、それをダイはあえて無視し、我慢していた。
 自分を襲ってくる相手を殺し、その肉を食べてでも生き延びる――そんな獣じみた真似をしなくて済んでいるのは、ある意味では幸運というものだろう。

 魔界には動物型の生き物も多くいるが、死霊として存在するのは人間によく似た姿を持つ者が多い。
 同族ではないと分かっていても、同族に酷似した生き物を食べるのにはさすがに抵抗がある。

 だが、ダイは知っていた。
 いざとなれば、自分はためらわずにそうするだろう、と。

 心理的にどんなに抵抗があっても、生き延びるためにそれしか道がないなら平然とそれを選べる冷徹さが、竜の騎士にはある。
 それが確信できるからこそ、極力避けたかった。

(だって、そんな真似をしたら……もう、……に、会えなくなる…)

 最期に倒した敵――いや、攻撃らしい攻撃などほとんどしてこなかった相手など、敵とは呼べないが、その姿をダイはもう一度思い出す。
 ただし、そのままそっくりには思い出さない。

 汚れた服は、新品と仮定して鮮やかな緑色へと思い浮かべる。
 髪を飾るのは黄色のリボンではなく、色は同じでも飾り気のないバンダナに。
 そして、ここが肝心だが、性別は女の子ではなく――男の子の姿として。

 瞼の裏に、懐かしい親友の姿を思い浮かべるのに成功して、ダイは小さく笑う。
 勇者の魔法使いが、そこにはいた。

『助けてくれ……。返事をしてくれよ』

 声はさっき聞いたのと同じままで、口調だけを少し変えてみる。

(いや……、ポップだったら、こんな風には言わないか)

 見た目に反して、ポップは気も短いし、口も悪い。ぽんぽんと元気よく怒鳴りつけてくるポップは、あの少女のようにしおらしく助けを求めてダイにすがりつきはしまい。
 だが――ポップはダイを励まし、力づけてくれる言葉を必ずくれる。

(ポップ……今のおれを見たら、なんて言うかな……?)

 なに情けない顔をしているんだよと、笑いとばしながら励ましてくれるだろうか。
 それとも、よくもあの時は蹴飛ばしてくれたなと怒るだろうか。
 あるいは、再会に感激して泣いてくれるだろうか。

 そのどれでも、構わなかった。
 もし、会えるのであれば。――もう一度、ポップに会えるのなら、怒られても罵られても構いはしない。
 そう考えながらも、ダイは自分の考えの矛盾に苦笑する。

(もう、おれはポップに会えないのに。ううん、会っちゃいけないんだ)

 ダイの理性は、そう考えている。それがポップにとっても、世界にとっても最善の道だと、理解しているつもりだ。
 だが、そう思う気持ちを裏切って、心の奥から感情が叫ぶ。
 もう一度、ポップに会いたい、と。
 その思いが、ダイの中にはある。それは、日に日に強くなっていく思いだった。

 それは、本能をも凌駕する思いだ。
 竜の騎士の本能は教えてくれる――ここで取るべき最善手は、人間としての生を消滅させることだと。

 ダイの今の命は、聖母竜から渡され、受け継いだものだ。
 それは、逆も可能だということ。
 聖母竜に命を返し、ダイが眠りにつけば――全ての問題は解決する。

 ヴェルザーと同様、聖母竜もまた神代の時代から生きてきたドラゴンだ。封印の中で半ば眠りつつ過ごす年月など何の問題にもならない。
 ダイには出ることもできないこの封印だが、聖母竜ならば条件が整えば自在に抜けられる。

 戦うためではなく、新たな命を生み出す使命を持ったドラゴンには、精霊の封印も及ばないのだから。
 弱り、傷ついた身体を癒すためにこのまま魔界で数十年…もしかすると数百年の眠りには就くかもしれないが、聖母竜にとってはさして長くもない時間だ。

 そして、歴代の竜の騎士と同様に、ダイの魂は聖母竜の中に回収され、また生み落とされるその時まで共に眠りに就く。
 それは、死と同義ではない。
 また新たに生き直すための機会を確約された、一つの未来。

 危険を冒さず、誰も傷つけず、ヴェルザーを封印したままで地上に戻れる、安全確実な道だった。
 竜の騎士としての知識や本能は、告げる。
 いくらここでダイが戦い続けていたとしても、時間の問題だ。

 いずれ、ダイは死ぬ。
 生物兵器の竜の騎士とはいえ、戦いの中で命を落とすこともあれば、寿命だってある。 遅いか早いかの問題で、ダイの命が費える日は必ずくるのだ。

 それならば、命を弱らせない内に聖母竜に引き渡す方がいいと、脈々と竜の騎士に受け継がれてきた戦いの本能が囁く。
 竜の騎士の戦いとは、本来、弱き者を救うためのもの。

 三界が乱れる時以外は、無理に戦う必要などない、と。今の自分のように、自分の命を守るためだけに延々と戦い続けるのは、竜の騎士としてはあるまじき行為だと分かっている。
 だが、本能よりも、感情がそれを拒否する。

(でも、嫌なんだ……!)

 死ぬのが怖いというわけじゃない。
 だが、みんなを――とりわけポップを忘れてしまうのは、死ぬよりもよほど怖いことだった。

 記憶を失った時のように、もう一度白紙に戻される。
 それは、ダイにとっては絶対に受け入れることが出来ない道だ。
 たとえ地上に戻れるにしても、意味が無い。

 ポップを忘れ、……おそらくは彼が天寿を全うしていなくなった後の地上で生きるだなんて、考えられない。
 ポップの痕跡すら残っていない地上になど、興味はない。そんな場所は、この魔界などよりもずっと殺伐として荒涼とした世界に思える。

 その道を選ぶぐらいなら、今の方がまだましだ。
 たとえ、果ての見えない死霊との戦いに明け暮れ、底しれぬ強敵の思惑に怯えながらでも、いい。
 何と引き換えにしても、この記憶を失いたくはない。

 日を追うごとに薄れ、褪せていく思い出であっても、それでもどうしても手放せない。 今では永劫の距離を感じるほど遠ざかってしまった、だが、かつてはすぐ隣にいた魔法使いの記憶を、決して失いたくはなかった。

(ポップ……!)

 声に出さない声で、ダイは親友の名を呼ぶ。
 こんなにも会いたいと思うのに、決して会えない……いや、会ってはいけない魔法使いの名を。

 少しずつ薄れる記憶であっても、決して手放せない。今となっては、それだけがダイにとってはたった一つの救いなのだから。

(ごめん、ポップ。もう、会えないんだけど。おまえには、おれを忘れてほしいけど……)


 思うだけで胸が痛くなるが、それはダイの本心だった。
 ポップには、地上で幸せに生きていてほしい。……たとえ、二度と会えなかったとしても、ポップがダイを忘れたとしても。

(でも、それでもおれは――おまえを、忘れたくはないんだ……!)

 固く目を閉じ、ダイはせめて、夢の中でもいいから自分の魔法使いに会いたいと願った――。
                                     END


《後書き》
 魔界でのダイの日常生活編〜。実に嫌な日常生活ですが(笑)
 うちで掲げている独自の路線(笑)、2年後魔界編では、ダイは封印された狭い世界の中で辛い思いをして時を過ごしているのは確かなんですが、サバイバルやら権力争いには関わって過ごしていません。
 

 それに、自分の意思で封印の中にいることを決めたと言え、自分から魔界に来たわけではないので、魔界にとどまる意思が薄いです。
 また、裏R18ルートと違って、表ルート裏思春期ルートではヴェルザーやキルバーンによる夢の干渉も少ないので、精神的にはあんまり成長していないと考えてます。


 基本的に、現実感がない手酷い悪夢の中で過ごしているという感覚に近いですね。
 その辺がよそ様で拝見する5年後魔界編とは、大幅に違いますね〜。
 自分の意思で戦うために魔界へ行く、身も心も成長したシビアなダイの話も大好きなので、いつかは目指したいです5年後魔界編! …さて、いつになるかは筆者本人にも大いに疑問ですが(笑)
 
 

小説道場に戻る
トップに戻る

inserted by FC2 system