『忘れられない光』 |
「キシャァアアーーッ!!」 奇声を上げて襲いかかってくる異形の魔物を、ダイは無造作に切り捨てた。 舌打ちをしつつ、ダイは断末魔の痛みに呻く魔物を踏みつけ、力任せに剣を引き抜いた。それにより、相手に与える苦痛など考えもしない。 それを避けようとは思わない。そんな余裕など、今のダイにはない。 それは牽制のための一撃などではない。剣に当たったものを余さず斬り殺すだけの、威力と気迫が込められていた。 背に感じる、暖かでいて誰よりも頼りになる気配など存在しないのだから。 紋章の力を奮い起こして戦う時は、人間の心など邪魔だ。断末魔の叫びも、血を吐く様に切実な助けを求める叫びも、ダイは無視を決め込む。 勝敗がつくまで、それほど時間は掛からなかった。 大半は本当に死んでいる魔物であり、ダイのしていることは死者を貶める行為に他ならないが、気を緩めるつもりはなかった。 (……終わった、かな?) 気を緩めないままそう思い、最期にもう一度周囲を見回したダイの目が、大きく見開かれた。 「……!!」 さっきまで気配すらも感じなかった存在が、そこにはいた。 「お願いします……、竜の騎士。助けて……ください」 掠れがちな声で、震えながら助けを請うのは黒い髪、黒い瞳の少女。 「助けて……、お願い…」 そう美しい少女とは言えない。 汚れ放題に汚れた上、褪せたその服の色を見て、ダイはわずかに剣を下ろす。 「……」 ダイは無言のまま、少女を見つめていた。 髪を飾っていたと思える黄色のリボンは、半ばほどけ、端が肩に垂れ下がっていた。 「死にたくないの……助けて……」 必死に訴える声は、掠れ気味だった。そのせいで、女の子の声としてはやや低く聞こえる。 「助けてほしいの…。返事をして……お願い」 懇願の言葉を、ダイは否定はしなかったが肯定もせずにそのまま聞いていた。 それに力を得たのか、少女もわずかな笑みを浮かべてダイに近寄り、すがりついてきた。細い腕が暖かな体温を伝えてくる。 「だから――あなたの血を下さいな、勇者様」 そう呟いた途端、少女の顔つきは一変する。
「ごめん……でも、おれの血は役に立たないよ、きっと」 申し訳なさそうに、だがひどく冷静な声で謝るダイの目の前で、少女は目を見開いたまま倒れ伏せた。 相手の刃物を奪い、逆に刺したのはダイだ。 「なんて……っ、ひどい! なんて冷たい、勇者様なの? あなた、それでも竜の騎士なの?! 血をくれたって……っ、私達の代わりに、死んでくれたっていいじゃない!」 少女の声は次第に嗄れた声へとなり、それは怨念を込めての恨み言へと変わり……やがて、途切れた。 その光景を、ダイは無感動に見回した。 嫌という程、見慣れた光景だ。 魂だけの存在になった彼らは、怪物や魔物には決して入ってはこれない精霊の結界の中に入れる。 最初は戸惑うばかりのダイだったが、今となってはその理由は痛い程よく分かっている。 竜の騎士の記憶が教えてくれた。 だからこそ、彼らは浄化を求めて精霊の結界へと自ら飛び込んでくる。 奇跡の血を持つ、竜の騎士が。もし、一滴でも血を得ることができれば、復活が叶うかもしれないと死霊は望みをかける。 死という最大の恐怖から逃れる希望を持った者は、容易にその望みを捨ててはくれない。 その望みが有る限り、死霊は浄化もしないでただひたすらダイを襲ってくる。 初歩であれ、僧侶系の呪文が使えるのなら死霊を浄化できないとしても、退けるぐらいはできるだろう。 だが、ダイにはどちらの呪文も使えない。 殺したところで、死霊は決して消滅はしない。一時的に衰弱するだけで、数日もすればまた復活して襲いかかってくる。 いくら倒しても再び無尽蔵に湧き上がってくる死霊に、更なる死を与え続けてまで生き延びる……そんな自分が、ひどく浅ましいと思う。 死霊は、時として仲間達に似た姿に化けて襲ってくる。 何度倒してもいつのまにか再び蘇ってきては襲ってくる死霊と違い、ダイは生身の身体を持っている。 「…………」 ゆっくりと辺りを見回し、とりあえずは死霊がいなくなったのを確認してから、ダイはのろのろと石の竜の像の前で腰を下ろす。 時折、目覚めて話しかけてくることもあるが、ヴェルザーはほとんどの時間を眠って過ごす。 だが、ダイには安らかな眠りすら、程遠い。 それにヴェルザーに対する警戒心から、ダイの眠りは極端に浅くなっていた。元々、竜の騎士はそれほど睡眠を必要としないのか、目を閉じて身体を休めているだけでも体力は回復する。 殺伐とした戦いか、あるいは静かではあっても心の奥が飢えたような空虚さに満ちた時間という、相反する毎日を、ダイは受け入れていた。 食事を必要としないという、地上では有り得なかった不自然ささえ、ダイは受け入れた。 この結界の中では、別に食事を取らなくても死にはしない。それが、この結界の特徴なのか、それともダイの竜の騎士ゆえの力なのかは、あまり考えないようにしている。 食欲を感じないわけでは無いが、それをダイはあえて無視し、我慢していた。 魔界には動物型の生き物も多くいるが、死霊として存在するのは人間によく似た姿を持つ者が多い。 だが、ダイは知っていた。 心理的にどんなに抵抗があっても、生き延びるためにそれしか道がないなら平然とそれを選べる冷徹さが、竜の騎士にはある。 (だって、そんな真似をしたら……もう、……に、会えなくなる…) 最期に倒した敵――いや、攻撃らしい攻撃などほとんどしてこなかった相手など、敵とは呼べないが、その姿をダイはもう一度思い出す。 汚れた服は、新品と仮定して鮮やかな緑色へと思い浮かべる。 瞼の裏に、懐かしい親友の姿を思い浮かべるのに成功して、ダイは小さく笑う。 『助けてくれ……。返事をしてくれよ』 声はさっき聞いたのと同じままで、口調だけを少し変えてみる。 (いや……、ポップだったら、こんな風には言わないか) 見た目に反して、ポップは気も短いし、口も悪い。ぽんぽんと元気よく怒鳴りつけてくるポップは、あの少女のようにしおらしく助けを求めてダイにすがりつきはしまい。 (ポップ……今のおれを見たら、なんて言うかな……?) なに情けない顔をしているんだよと、笑いとばしながら励ましてくれるだろうか。 そのどれでも、構わなかった。 (もう、おれはポップに会えないのに。ううん、会っちゃいけないんだ) ダイの理性は、そう考えている。それがポップにとっても、世界にとっても最善の道だと、理解しているつもりだ。 それは、本能をも凌駕する思いだ。 ダイの今の命は、聖母竜から渡され、受け継いだものだ。 ヴェルザーと同様、聖母竜もまた神代の時代から生きてきたドラゴンだ。封印の中で半ば眠りつつ過ごす年月など何の問題にもならない。 戦うためではなく、新たな命を生み出す使命を持ったドラゴンには、精霊の封印も及ばないのだから。 そして、歴代の竜の騎士と同様に、ダイの魂は聖母竜の中に回収され、また生み落とされるその時まで共に眠りに就く。 危険を冒さず、誰も傷つけず、ヴェルザーを封印したままで地上に戻れる、安全確実な道だった。 いずれ、ダイは死ぬ。 それならば、命を弱らせない内に聖母竜に引き渡す方がいいと、脈々と竜の騎士に受け継がれてきた戦いの本能が囁く。 三界が乱れる時以外は、無理に戦う必要などない、と。今の自分のように、自分の命を守るためだけに延々と戦い続けるのは、竜の騎士としてはあるまじき行為だと分かっている。 (でも、嫌なんだ……!) 死ぬのが怖いというわけじゃない。 記憶を失った時のように、もう一度白紙に戻される。 ポップを忘れ、……おそらくは彼が天寿を全うしていなくなった後の地上で生きるだなんて、考えられない。 その道を選ぶぐらいなら、今の方がまだましだ。 日を追うごとに薄れ、褪せていく思い出であっても、それでもどうしても手放せない。 今では永劫の距離を感じるほど遠ざかってしまった、だが、かつてはすぐ隣にいた魔法使いの記憶を、決して失いたくはなかった。 (ポップ……!) 声に出さない声で、ダイは親友の名を呼ぶ。 少しずつ薄れる記憶であっても、決して手放せない。今となっては、それだけがダイにとってはたった一つの救いなのだから。 (ごめん、ポップ。もう、会えないんだけど。おまえには、おれを忘れてほしいけど……)
(でも、それでもおれは――おまえを、忘れたくはないんだ……!) 固く目を閉じ、ダイはせめて、夢の中でもいいから自分の魔法使いに会いたいと願った――。 《後書き》 それに、自分の意思で封印の中にいることを決めたと言え、自分から魔界に来たわけではないので、魔界にとどまる意思が薄いです。
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