『二人の師、一人の弟子』 |
余裕で避けられる――はずだった。 「……ぐっ…」 とても我慢出来ない。 急激な苦痛と息苦しさのせいで、立つ力が無くなった。だが、それが返って幸いした。 ポップが不意にその場に崩れ込んだせいで、怪物の爪は運良く空を切ったのだから。だが、攻撃の間合いを狂わされた獣は猛り狂い、渾身の力を込めた二撃目をポップに向かって振り下ろす。 咄嗟に転がって避けようとしたが、避けきれなかった。 「う…ぁあっ――っ!!」 痛みのあまり漏らした悲鳴は、怪物の興奮を煽っただけにすぎなかった。 身動きできなくなったポップの口が微かに動き、とある呪文を紡ぐ。
激しい目眩に、思わず声が漏れる。 その途端、また咳き込みが始まった。 時に、脇腹に怪我を負った身ではなおさらだ。 拷問じみた激痛の結果、今度こそ血を吐くはめに陥ったが、曲がりなりにも喉を詰まらせていた血の塊を排出したせいで、呼吸は少し楽になる。 「…………ぅ……ぐ……」 やっと、周囲の様子を確認するだけの余裕を持てた。 (ちっくしょー。後、一息だったのに……) 最奥に伝説の魔法道具が隠されているとの、よくある伝承を持つ洞窟。 一番有名なのは、覗きこんだ者の真の姿を写し出すというラーの鏡だろうか。だが、ポップは別の可能性を捨てきれなかった。 覗きこんだ者が一番心にかかっている人物の姿や居場所を、写し出す能力を持った鏡が存在する事実を。 だが、望みがかすかにでもあるのなら……分の悪い賭けでもいいから、確かめずにはいられなかった。 その悔しさに、ポップは歯がみせずにはいられない。これでまた、最初からやり直すはめになった。 狭い閉鎖空間では、広範囲に影響を与える魔法は制限される上、敵との接触の機会はどうしても増えてしまう。 だが、できない相談ではなかったはずだった。今のポップのレベルなら、慎重に行動さえすれば楽勝とは言えなくとも、おそらく最深部まで行けるはずだった。 「くそ…っ……。痛ぇ、なあ……」 実際の傷の痛み以外の理由でボヤきながら、ポップは傷の具合を確かめた。 自分でもびっくりするほど熱く感じる傷口に反して、頭の芯がスウッと冷えていく。 (ちくしょー……まずった…な……) 今度は、口に出す気力さえ残ってはいなかった。 一般的に言えば致命傷に近いが、魔法で直せない類いの怪我ではない。 だが、今のポップには、回復魔法をかけれるだけの気力が足りない。 ――かといって、いつものように呼吸や胸の鼓動が落ち着くまで待っていては、手当てが間に合わない可能性が高い。 見る間に、緑色の服が赤く染め変えられていく。 (このままじゃ……さすがに、ヤバい、か……) 少しためらいがあったが、もう迷っている場合ではない。今の自分に助け手が必要なのは、ポップ自身が一番よく分かっているのだ。 「しっかしまあ、てめえもいい加減暇な奴だな、アバン。こんな役立たずの老いぼれになんぞ構ってる暇があったら、とっとと国に帰って仕事でもしたらどうだ。復興国の王様稼業にゃ、やることが五万とあるだろうが」 シッシッと野良猫でも追い払うような手つきで、邪険にあしらわれても彼の笑顔は微塵も揺らがなかった。 「ええ、だから今、私は復興のための最重要な仕事を遂行中ですよ? 伝説とさえ謡われた、この世で最高の宮廷魔道士を自国に招くべく、勧誘中です」 すました顔でそう言ってのけるアバンに対して、マトリフのしかめっ面はますますひどくなる。 「よせやい、柄でもない。第一、オリャア、今更王宮なんて窮屈な所に行く気なんざさらさらねえよ。オレァ、ここが気にいってんだ」 その言葉に嘘が無いのは、アバンはよく知っている。 それはアバンも知らないことだ。 事実、マトリフはそう長い期間とは言えないとはいえ、パプニカ王国の宮廷魔道士として王宮で暮らしている。 「確かに、この洞窟は落ち着いていていい場所ですがね、ですがそろそろ考え直してもいい頃ではありませんか?」 海辺の洞窟は、正直、住環境としてはあまりお勧め出来る場所ではない。 ましてや、マトリフはもう十数年も前から患っている持病がある。 幸か不幸か、老齢の人間には進行が遅い病なため、いまだに元気に過ごしてはいるものの、それが何時までも続く保証などない。 「カール王国は、いいところですよ〜? 温暖なパプニカに比べれば冬は少し寒いかもしれませんが、過ごしやすい地です。城で暮らすのが窮屈だと言うのなら、離宮で過ごしてもいいじゃないですか」 「ふん、おんなじこった。お断りだね、第一、オレは新婚早々の家庭に居候に転がり込むほど野暮じゃねえっつーの。話がそれだけなら、とっとと帰れ、帰れ」 口の悪い老人の拒絶に、アバンは苦笑しつつもいかにも彼らしいと思わずにはいられなかった。 「ったく、王様になってもそのサボリ癖は治らねえのかよ? しょうがねえ奴だな」 マトリフの憎まれ口を、アバンはにこにこしながら受け止めていた。 それだけに、不慣れな王様稼業の合間の息抜きに、彼の自宅を訪れるのはそれだけでいい気晴らしになる。 気の置けない友人と過ごす時を楽しんでいるアバンとマトリフだったが、洞窟の外から聞こえた衝撃音がそれを変えた。 「……ちっ」 音を聞いた途端、マトリフが舌打ちをする。そして、間を置かずに立ち上がった。 「どうかしたんですか、マトリフ?」 尋ねるアバンを無視して、マトリフは洞窟の外へと向かう。不思議に思いながらも、年齢的にも職業的にも彼よりも行動力が上回るアバンは、音の正体を確かめようと一足先に洞窟に出た。 「……ポップッ!?」 白い砂浜に、横倒しに倒れているのは見間違えるはずのない愛弟子の姿。 「ポップ、どうしたんですかっ!?」 思わず駆け寄ってから、アバンは気がついた。 それを確認した途端、アバンは全ての疑問を一時棚上げし、即座に行動に移っていた。血の源である傷に手を当て、回復魔法をかけてとにかく止血をする。 だが、ポップの様子は変わらない。 そして、アバンが気がついた。 それは、マトリフが発作を起こした際、嫌という程見せられた血の色合いに酷似していた。 「どけ、オレがやる」 遅れてようやくやってきたマトリフが、アバンとは比べ物にならない魔法力でポップに回復魔法をかける。 「…うぅ……」 目を開けはしなかったものの、小さな呻き声を漏らす。蒼白そのものだった顔色も、幾分かは赤味を帯びた。 「――やれやれ、手のかかるガキだぜ。ああ、アバン、聞きたいことは山ほどあるだろうが、話の前にこの馬鹿を奥の部屋に運んでやってくれねえか。その後でなら、いくらでも説明してやるぜ」 「……マトリフ。あなたは――ポップの、この行動を知っていたんですか?」 そう問う声は、いつになく抑揚に欠けて硬く、言外の非難を込めたものだった。 とても、落ち着いて聞ける話ではない。 ポップが、行方不明になったダイを探して旅に出たことは、アバンも聞いていた。だが、具体的に何をしているかは、聞く機会も知る機会もなかった。 だから――ここまで無茶な旅をしているだなんて、思いもしなかった。 しかも、これが初めてではないと知りながら、今まで自分に黙ったままでいたこの老人に、怒りすら覚えてしまう。 「ああ、知っていたぜ。知らねえわけがないだろう……この馬鹿は、怪我をしたり、具合が悪くなってどうしようもなくなった時にゃ、決まってここに転がり込んでくるからな」 「賛成は、していねえ」 「……!?」 意外さに、目を見張った。 が、今のマトリフの口調や表情には、本心からの苦味があった。 「だったら、なぜ……っ」 なぜ、止めてはやらないのか。 今一歩素直とは言えない師弟関係とはいえ、ポップが本心ではマトリフを師と定め、尊敬の念を持っていることは傍目から見ても、良く分かる。 「だが、反対も、してやらねえよ」 そう宣言した彼の眼光の鋭さに、アバンは一瞬言葉をなくした。 どんな劣勢な戦況の中でさえ冷静さを失わず、自分の感情さえ押し殺して起こった出来事を細密に分析し、最善手を弾き出す時に彼が見せていた目。 手当てを済ませ、清潔な服に着替えさせられたポップは、昏々と眠っていた。元々ここに来た時から意識を失っていたポップは、まだ目を覚ます気配を見せない。 「自分のしていることがどんなに無茶で、仲間に知られたら止められるようなことか……分かった上で、それでも勇者を捜している。――探さずには、いられねえんだろうよ」 厳しい目付きとは裏腹に、マトリフの声音にはわずかな優しさが感じられる。 それは仲間達にとって、とてつもない痛手だった。誰もがそれに衝撃を受けたし、悲しまない者などいなかった。 ポップと、時の流れに助けられるように、仲間達は勇者喪失の衝撃から立ち直ることができた。 「……この子は、そんなにも傷ついていたんですね」 それに気づいてやれなかった自分の思慮の浅さを、アバンは悔やまずにはいられない。 悲しみや衝撃の度合いを、他人は窺い知ることなどできない。 だから、人はつい、目に見えるものを優先させてしまう。 「……あなたにはやはり、適いませんね、マトリフ」 「ふん、そんな御大層に言われるほどのもんでもないさ。ただ、オレまで反対するようなら、こいつが逃げ込む場所がどこにもなくなっちまうと思ったまでだ」 そう言って、マトリフはいささか皮肉にニヤリと笑う。 「それに、オレ以外、誰が分かってやれるってんだ? ――勇者に置いていかれちまった、魔法使いの後悔って奴をよ」 その言葉に、さすがのアバンも沈黙するより他にない。
「…………ええ、その通りですね、マトリフ。私には無理です。いえ、その資格も無いというべきですかね」 勇者に置き去りにされた、魔法使い。 彼は、魔法使いを置き去りにした勇者なのだから。 「そうですね。もう、私は……この子の師とは言えないかもしれませんね」 少しばかり感じる寂しさを埋めるように、アバンはゆっくりとポップの頭を撫でた。 その頃のポップの印象が強いせいでアバンはつい、彼を必要以上に子供扱いしてしまうが、それは正しいとは言えないだろう。 いや……もし、頼ってきたとしても、アバンにはしてやれることなど、もうほとんどない。 能力的にも、常に頼る相手という意味でも、ポップはすでにアバンの弟子と言うより、マトリフの弟子と言った方がいいかもしれない。 衝立で区切ったそう広くない空間は、以前は無かった。おそらくは、ここは最近になって作られた、ポップのために用意された部屋なのだろう。 そんなことを考えていた時、眠っていたはずのポップが幾度か瞬きを繰り返した。 そこに隠れろ、という意味と解釈したアバンは、マトリフの意図を掴めないままそれに従った。 間もなく、ポップは本格的に目を覚ましたのか、ゆっくりと身体を起こすのが見えた。 (ああああ〜っ、マトリフ、なにもそんな乱暴な……っ) 咄嗟に、出しそうになった声をアバンは必死に飲み込んだ。 「いてっ!? なにすんだよ、師匠っ!?」 「ふん、それぐらいで痛がるようなら、最初から怪我なんかしてくるんじゃねえ。まったく、人んちの前に血まみれで倒れてやがって……庭が汚れるだろうが」 「師匠んちに、庭なんかねえじゃないか!」 「この海岸、全部がオレの庭みてえなもんなんだよ。まったく、よっぽど見捨てて置こうかと思ったぜ」 身体を気遣う言葉一つかけず憎まれ口を叩く割には、マトリフはポップが目覚めると同時に薬の準備をする。 「うげ……っ、また、それ〜?」 ポップが嫌がるのも、ある意味で無理はない。どす黒く濁った不気味な緑色の液体は、お世辞にも食欲をそそる代物ではない。 もちろん、完全に治すような力は無い。 「おう、文句があるんなら飲まなくったっていいぜ。どうしても嫌だってんなら、パプニカのお姫様かアバンにでもチクってやろうか?」 「…………有リ難ク飲マセテイタダキマス」 一転して手の平を反したような低姿勢になり、ポップはものすご〜く嫌そうな素振りを見せながらも、しぶしぶそれを飲み始めた。 「お〜お、そんなに言いつけられるのが、怖いってえのかねえ?」 「そりゃ決まってるだろ? 師匠は、姫さんの恐ろしさを知らないから、そんなこと言えるんだよ。姫さんの説教を一回でも聞いたら、そんな呑気なこと、言えるもんか! あの姫さんってば、可愛い顔して怒らせるとすっげえおっかねえんだから〜」 と、身震いまでするポップは、どう見ても本気でそう思っている様子だ。 「だが、アバンは怒りゃあしねえだろうが。あいつは、甘い男だからな」 「……だから、余計言えないんじゃないか。先生は優しいからさ、おれ、きっと甘えちまうし――けど、それじゃ、ダメなんだ」 ギュッと唇を噛み締め、ポップは小さく呟く。 「それじゃ、ダイを探しに行けなくなる……!」 それは、ごく小声ながら、はっきりと洞窟の中に響き渡った。 「なら、まずは体力を取り戻すこったな。薬を飲み終わったなら、少し寝ていろ。次に起きた時にゃ、もっと身体が楽になっているはずだ」 「うん」 意外と素直に頷き、のろのろとしたしぐさで横になってから、ポップは思い出したように呟いた。 「そういやさ、今、アバン先生の夢、見ていた気がする……」 「そうかよ。じゃあ、その続きでも見るんだな。――ゆっくり眠れよ」 そう言いながら、マトリフは駄目押しのようにポップに強制催眠呪文をかけた。衰弱しているポップにはその効果はてきめんで、たちまち眠りへと吸い込まれていく。 「聞いただろ? あいつは、いまだにおめえの弟子なんだよ」 アバンの心などお見通しと言わんばかりのしたり顔で、マトリフは冷やかすような軽い口調で言う。 「あの馬鹿は、面倒ごとが起きた時や困った時はオレんとこに頼りに来やがるが、甘えに来たことはねえんだ。ったく、人を何だと思ってやがるんだか」 それを聞きながら、アバンの顔にはゆっくりを笑みが戻ってくる。 (この人は――本当に、変わっていませんね) 一見、人間嫌いで人を突き放しているように見えて、マトリフほど懐の広い人間はそうはいない。 本人が直接、救いとなる言葉をかけるわけではない。 「ありがとう、マトリフ。だけど、あの子はやっぱり、あなたの弟子でもあると私は思いますよ」 アバンのその言葉に、マトリフはどうでもいいとばかりに鼻で笑って見せただけだった。だが、付き合いの長いアバンは見逃さなかった。マトリフがほんの一瞬だけとはいえ、照れたように目を逸らした瞬間を。 傍若無人で厚顔無恥なようでいて、この老魔道士は意外と照れ屋なところがあるのだ。 もっとも筋金入りの捻くれ者の大魔道士は、それをごまかすためか最初の時よりもずっと乱暴な手つきでアバンを追い払おうとしする。 「ふん、とにかくてめえはもう帰れ。ついでに、オレをカールに勧誘するのもいい加減諦めるこったな」 それは、別れ際のいつもの挨拶のようなものだ。その度にアバンは諦めませんと答えるのが常だったが、今回は素直に頷いた。 「そうですね――いったん、諦めますか」 アバンのその反応は意外だったのか、マトリフはちょっと目を見開いた。 「ほう、物分かりがよくなったじゃねえか」 「そりゃあね。以前とは違いますよ……ここにこだわる理由があるようですからね」 アバンの知っている限り、マトリフはこの洞窟に馴染んではいても、ここに固執する理由などなかった。 マトリフが求めていたのは、他人に邪魔されずにすむ、人里から離れた静かな住み家――だからこそ、条件さえ整えれば勧誘出来るのではないかと思っていた。 マトリフには、ここに居座るべき理由ができた。 「じゃ、次に訪れる時は別の口実でも探しますよ。そうですねえ、健康に悪いですから禁酒でも勧めるために来ましょうか?」 「ふん、引っ越しの方がまだマシな口実だな。もっと、頭を捻ってきやがれ」 軽口を叩きながらも、マトリフはアバンを見送るために洞窟の外まで付き合う。 「それでは、マトリフ……ポップを、よろしくお願いしますよ」 別れ際のそのアバンの挨拶に、マトリフは小さく頷くことで意思を示して見せる。
《後書き》
|