『蘇る魔法陣』 |
『それ』を目にして、ポップの目が驚きに見開かれる。 思いもしなかった『それ』に目を奪われた様に、ポップはしばし、ここに来た用事も忘れて見入っていた――。 カール王国北部の、山脈地帯に位置するロロイの谷。 実は、これは建築物ではなく、人外の者の手によって作り上げられた物だ。 ほんの一ヵ月前、世界は大魔王バーンの手によって滅ぼされようとしていた。 黒の核晶を源とし、一つが爆破すれば誘爆して地上を焼き尽くし、消滅させるという恐るべき兵器。 やっと手に入れた平和を謳歌している者達にとっては、すでに忘れ去りたい過去の遺物。 「おい、何をしている」 後から声をかけられ、ポップは一瞬、びっくりする。が、それが聞き覚えのある声だと知って、すぐに気を抜いた。 「サボってないで、さっさと済ませてもらおうか……オレとしちゃ、こんな仕事に駆り出されたのは、心外なんだからな」 そう言ったのは、ロン・ベルクだった。 「ああ、分かってるって。おれだって、こんな作業、好きこのんでやりたかねえんだしさ」 平和な世には不要な、だが、だからといってそのまま放置しておくにはあまりに危険な爆弾。 だが、世界に向けてそう主張したのは彼女でも、実際に裏でその計画を推奨し、なおかつ実行に手を貸しているのはアバンだった。 大勇者であり、今や世界屈指の破邪魔法の使い手であるアバン。 そして、勇者ダイの魔法使いであり、二代目大魔道士ポップ。 この難事業は、そもそも卓越した魔法力が無ければ、不可能な作業なのだから。その上、これ以上信用できる人選もないだろう。 ポップの感覚では、これは厄介なお使いにも等しい。ダイ捜索を優先したいポップにとっては、それ以外の作業は興味を持てない。 世界各地に散ったピラァ・オブ・バーンから黒の核晶を取り除き、アバンとマトリフの待つ場所へ運ぶのがポップの主な役目だ。 封印の術に関しては、アバンとマトリフが中心となって行うことになっている。 だが、ポップ一人で黒の核晶を取り除くのは、できないわけではないとは言え、かなり難しい。 魔界の刀工である彼は、魔界の機械じかけには詳しい上に、爆弾を恐れない度胸も合わせ持っている。 もっとも、いささかひねくれている上に変人なこの男の善意は、ポップには今一歩伝わりきっていないが。 (まあ、ありがたいといや、ありがたいんだけどさ、素直に感謝したくないタイプだよな、このおっさんも〜) 内心のぼやきを押し殺しつつ、ポップはロン・ベルクを振り返った。 「今やるって。たださ、これが残っているとは思わなかったから、ちょっとびっくりしたんだよ」 そう言いながら、ポップはまたちらっとそちらに目をやった。 柱は折れてその辺に転がり、床を形取る石畳も粉々にひびが入り、原形を保っているのが不思議なぐらいだが、『それ』ははっきりと存在していた。 そして、ダイ達5人のアバンの使徒が、大破邪呪文に挑んだ場所でもある。ひびだらけの石畳の上に、弱々しく光を放つ魔法円があるのが、はっきりと見えていた。 「信じられねえよ。あの爆発で、まだ残っているだなんて……」 驚いているポップに比べて、ロン・ベルクは淡々としたものだった。 「残ったわけじゃない。修復されたんだろうよ」 「へ?」 「おまえさんは見なかったかもしれないが、ここは一度、完全に爆破をくらってるんだよ」 「魔界では、物質に自動再生能力を持たせる魔法技術がある。人間には珍しいかもしれんが、オレ達魔族にとってはそう珍しい技法でもない」 ロン・ベルクの言葉に、ポップは思い出す。 「核の部分さえ壊れなければ、一度込められた魔法力の続く限り、何回でも再生を繰り返す。その効力は術者が死んだとしても、続くんだ。さすがに再生能力は武器ほどは高くないから、完全に元に戻るまでは時間がかかるだろうけどな」 「へえ〜、便利だな、それって」 素直にそう感想を言ったポップに対して、ロン・ベルクはおまえらにとっては禁呪と呼ばれる類いの物だと、釘を刺さす様につけ加える。 「まあ、巨大な物に対してかけるには莫大な魔法力が必要になるから、バーンの様に自分の城そのものにかけるような酔狂な奴は、普通いないがな」 「そう言えば……この石材、バーンパレスの壁や床のと似てるや」 バーンの自慢の大魔宮は、輝く様な、眩いまでの白さを秘めた石材で作られていた。あの時はそこまで意識してはいなかったが、今、こうして見ると色といい艶といい、大魔宮で見た物に酷似している。 「おそらく、同じ素材なんだろうよ。まあ、この石材には浮遊能力は無さそうだがな」 さして興味なさそうながらも、ロン・ベルクは結構律義にポップの言葉に応じてくれる。 それは、頷ける話だった。 ヒュンケルやクロコダインを殺すためだけに、バーンが命じて急遽用意させたものと考える方が自然だろう。 「でもよお、この処刑台が再生されたのはまだ分かっけど、なんでまたミナカトールの魔法円まで残ったんだ?」 この魔法陣は消滅した――ポップは今まで、そう思っていた。 だが、今、ポップの目の前でひびの入った石畳の上に描かれた魔法円は、淡いながらも燐光を発して真円を描いている。 「――!?」 あの日、レオナが大破邪呪文を唱えた時のごとく、光が天へと立ちのぼる。簡素な一重の魔法円だったはずなのに、それを二重、三重と取り巻く光が生まれて、最盛期の時と同じ光の魔法陣へと姿を変える。 「この魔法陣、まだ生きてるのか……!?」 大破邪呪文を施行したのはレオナとは言え、ポップもそのメンバーの一人だったのは間違いは無い。 「さあな。オレは魔法など専門外の武器職人だ。ましてや、人間にしか使えないような魔法などは、なおさらだ。おまえの方が詳しいんじゃないのか」 回復魔法ならまだしも、神と精霊の力を借りて思考する破邪呪文の類いは魔族には使えない。 ポップ自身も、正式に習得したとは言えない呪文だ。 「そりゃ本来通りの破邪呪文なら、効果が残っていてもおかしくはないんだけどよ……」 実際に、アバンが前にデルムリン島を覆った魔法陣は、今も立派に機能している。アバンが地面に刻んだ魔法陣の線そのものは、雨風にさらされてとっくの昔に消去されているが、それは問題にさえならない。 実際の魔法陣の線はなくなったとしても、魔法力が残っている限り魔法陣は効力を発揮し続ける。 持続時間や保存性を度外視して、効力だけを最重視して挑んだ初の大破邪呪文なだけに、不安要素は大きかった。 彼女の実力では、術をそこまで強力に残す技術までは無かった。 その危険性を危惧したからこそ、フローラ達は死に物狂いになって魔法円を死守しようとしたのだ。 しかし、今、目の前で明らかに復活している光の魔法陣をどう考えていいのか迷いながら、ポップはしゃがみこんで石畳に手を触れてみる。 「そっか……! この石のせいか!」 本来なら、媒介を使わずに術者の意志力で描いた魔法陣は、床や地面には直接は刻まれない。地面そのものではなく、薄皮一枚ほど上に浮かぶ光の線となるだけだ。 それにも関わらず、はっきりと石に彫り込まれた光の線を見れば、導き出される答えは一つだ。 物質に自動再生能力を持たせる魔法技術がある、と。当然、その術を施された物質は、魔法効力を受け入れる性質を帯びることになる。 大魔王の用意したこの処刑場こそが、勇者一行の作り上げた光の魔法陣を保護する結果に繋がったとは、ある意味で皮肉な話だった。 「処刑場が復活すると同時に、上書きされた魔法陣も復活する、か。……バーンなら、それぐらい分かっていただろうに、なんでこの処刑台の核ごと破壊しようとは思わなかったんだろ?」 ポップにしてみれば、それは不思議だった。 この処刑場の核の位置までは分からないが、魔法陣が全部この巨大な爆弾物に押し潰されては、さすがに再生するとは思えない。 「あのピラァ・オブ・バーンは、精密爆撃を行えるような精度はなかったんだろう。役目を考えれば、その必要もないしな」 ピラァ・オブ・バーンは、爆弾の魔法的な効力を高めるために六芒星を描く一点となるよう、地上に落下させるだけの武器だ。 だが、ピラァ・オブ・バーンは落下による衝撃での殺傷を目的とした武器では無い。これほど巨大な大きさの爆弾にもかかわらず、規模で考えればクレーターは浅い上に、そう広くは無い。 むしろ、落下の衝撃から弾頭を守るために、中間の筒の部分が長く設置されているし、地面に突き立つ際の影響も低くなる様に設計されていると言える。 バーンとしては、真下にいる人間達を殺すのが目的では無かったのだから、魔法円からこの程度逸れて落ちたのは誤差の範囲内だろう。 それを考えれば、大破邪呪文の復活の可能性など、バーンにとっては瑕瑾と呼ぶのさえおこがましい。 「……ま、それもそうだよなー。これが残ってたって、今となっちゃおれ達の役にも立ちそうもないし」 大魔宮にいくために必須だった光の魔方陣は、すでにその役割を終えている。 どんなに見上げても、目に入らない程高くまで飛んでいってしまった天空城は、もう誰も行くことができない。空間座標が以前と違った以上、ポップやアバンでさえ瞬間移動呪文を使っても、行くのは不可能だ。 そもそも、バーンがいなくなった以上、誰もいない無人の城のはずだ。なにより、あそこにダイがいるとも思えない。 (バーンパレス、か……) 光の魔法陣と、バーンパレスと同じ素材で作られた石。 「おい、それよりいい加減に黒の核晶を運ばないと、打ち合わせ時間に間に合わないんじゃないか」 「あ、いっけね!」 慌てて、ポップは立ち上がる。ポップが魔法陣を抜け出た途端、神秘的な光の輝きは消えて、それは弱々しい光の魔法円へと戻った――。 地に響く音を立てて、入り口のない塔が震えだす。ゆっくりと、だが目に見える早さでピラァ・オブ・バーンは崩れ落ちていく。 灰と砂が混ざり合ったような残骸だけが地面に降り注ぐのを、空中に浮かんだままのポップとロン・ベルクは静かに見下ろしていた。 この光景は、二人にとってはもう6度目に見る光景だ。 無理に魔道を重ねた生命体や物質には、珍しくない現象である。 それは、ポップだけでなくて他の多くの人間も、同じ感想を抱くだろう。 だが、時間が経てば、雨や風にならされて、他と変わりのない大地の一部になっていくだろう。 もう、魔法円どころか、光のかけらも見えない。 それが何の意味を持つのか、今のポップには分からなかったが、奇妙に気になる事実ではあった。 「さ、いこうぜ。とっとと、この黒の核晶を片付けちまおう」
《後書き》
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