『わがままな願い』 |
「あ! あれ、なんだろ?」 と、ダイが目を止めたのはごくごく珍しい木だった。 その数は、数えきれないぐらいたくさんあった。 間近で見ると、それは大人の手のひらぐらいの大きさの、細長い紙だった。青や赤や黄色など、派手で色とりどりな色彩の紙が紐で木の枝にくくり付けられている。 幸いにも、書かれているのが簡単な字ばかりだったので、それはダイにもなんとか読めた。 「んーと? えっと、……えっと? 『あ…た……らし、い、お…にん…ぎょお、が、ほしいで、す』?」 パプニカ王国の勇者の家庭教師達の涙ぐましい努力の成果か、牛歩の速度で識字率が上昇中のダイは、いくつかの紙を見て書かれている言葉を読んでいく。 「こっちは、タコが欲しくて、こっちはけん玉? ヘー、カールって変な木が生えるんだね」 こんな木は、ダイにとっては生まれて初めてみる。 だから、カール王国ではこんな木がよく生えるのかと単純に思い込んだダイだったが、呆れたような声で訂正をかけてきたのはポップだった。 「バーカ、こんな木が自然に生えるわきゃねえだろ? よく見ろよ、これは自然に生えた木じゃなくて、わざわざ植えてあるんだ。で、この紙は『タンザク』って言って、飾り物なんだよ」 ポップの言う通り、その木の根元は地面に植えられた後がはっきりと見て取れる。 「? なんで、わざわざ、こんな邪魔になるところに、木を植えたんだろ?」 なんと言っても城門の真ん前にあるのだ、邪魔と言えばこの上なく邪魔だ。 「目立つように、だろ。これはさ、『タナバタ』っていうお祭りの儀式に使う木なんだよ」
聞き慣れない言葉に、ダイは目をきょとんとする。 「そりゃそうだろ、こりゃあ東方伝説で伝わっているお祭りだもん。普通は知らないって。カールで祝うようになったのも、2、3年前からじゃないのか? アバン先生が始めたんだよ」 職権乱用と言っては聞こえが悪いが、アバンは積極的に祭りや行事を増やして国民に参加を呼びかけ、人々に活気を取り戻させようという政策を取っている。 「へー、おれ、初めて聞いたよ。ポップもそのお祭り、知ってるの?」 「まあな。むかーし、昔、神様の怒りをかって引き裂かれた恋人達が、年に一度だけ再会を許された日なんだってさ。ただし、その日が雨なら、二人の間を挟む大河が邪魔をして、その年は会うことができない。だから、彼らはその日が晴れるようにと願いをかける」 そう言いながらポップがちらっと空を見上げるのに釣られて、ダイも空を見る。 「願いが純粋なら、神様が願いを叶えてくれるらしいぜ。で、それにあやかって、その日に願い事を『タンザク』に書いてこの木に飾ると、天まで届いて願いが叶うんだってさ」
気をつけて見てみれば、木の枝に紙をくくり付ける人は、絶え間なく訪れている。 「……なんだかよく分からないけど、楽しそうだね」 「ええ、楽しいものですよ。ダイ君達もやってみませんか? いい記念になりますよ〜」
城の城門前に机を広げ、内職じみたせせこましい作業が、妙にしっくりとはまっているのはいかがなものか。 (……いーのかな、カール王国、これで) パプニカ王国の宮廷魔道士見習いが案じることではないとはいえ、ポップはついついこの国の前途を心配せずにはいられない。 飽きることなく単純作業を繰り返しつつ、通り掛かる人にそれを渡しては『タナバタ』をアピールしているこの人が、この国の国王様だと世間はちゃんと知っているのか、いささか不安を感じてしまう。 が、ポップと違って、ダイは不安など微塵も感じていなかった。――というか、気がついてさえいないのだが。 「はいっ、やりますっ、先生!」 「おお、いいお返事ですね〜。では、ダイ君にはこの青いタンザクをあげましょう」 横に細長いテーブルは、あちこちに筆記用具が置いてあって、通りすがりの人々がサラサラと、あるいは熱心に書き込み、木の枝に紙をくくりつけていく。 それが短い時間なら、ポップも気にもしなかっただろうが、他の人が次々と書き上げていく中、ダイだけが頭を抱え込んでうんうんうなっているのだから、さすがに放っておけない。 「おい、また字が分からないとか言うんじゃねえだろうな?」 「違うよー! その前、だよ」 「その前?」 ダイの言っているのことが分からなくて聞き返すと、勇者様はきっぱりと言い切った。
脱力もののお答えに、ポップは思わず転びそうになるが、なんとか耐える。 「バカかっ、てめえは? んなの、適当に願いごとを書けばいいだけだろーがっ!」 と、ポップは当たり前のように怒鳴るが、ダイには決心がつきかねた。 「うーーん?」 根が真面目なダイには、『適当な願い』を書くなど思いつきもしない。
もし、それを口に出して言ったのなら、ポップあたりが『世界を救った勇者の願いがそんなんかっ?!』とツッコミそうなものばかりだ。 だが、本人は目一杯真剣に悩みつつ、青いタンザクをじっと見やる。そんな弟子を眺め、アバンはくすくすと笑いながら忠告してきた。 「ダイ君、ずいぶんと迷っているようですが、あまり深く考えず、思う気持ちを素直に書くといいですよ」 優しくそう声をかけてから、アバンは緑色の紙を取り出してひらっと揺らす。 「ところで、ポップは書かないんですか? あなたの分もありますよ?」 「先生〜。おれのこと、いくつだと思ってるんですか? もう、こんなのやる年じゃないですよ」 ポップはもう17才だ。 が、ポップがまだ少年だった頃から知っている師は、悪戯っぽい笑みを浮かべながらからかう。 「おや、初めて一緒にタナバタをやった時は、素直にタンザクを書いてくれたのに、つれないですねえ。じゃあ、しょうがないからあの時のタンザクでも下げてみましょうか」 その言葉に、ポップは今度こそ踏ん張ることもできずに思いっきりこける。 アバンに弟子入りして長いポップは、その正体を知っていた。それには、絵やらアバンにとって記念となる思い出をスクラップした、いわゆるアルバムだ。 「アバン先生っ、んなものいつまでもとっておかないでくださいよっ!」 「おっと。危ないですね、そんな乱暴をしたら、破けちゃうじゃないですか」 と、たしなめながらもアバンは余裕たっぷりだ。タンザクを取り替えそうと手を伸ばすポップを軽くあしらい、からかうようにヒラヒラとふりかざす。 「そんな子供の頃の願い事なんか、見てみなかったことにして捨てといてくれりゃいいじゃないですか!」 「いえいえ、せっかく可愛い弟子が一生懸命書いた願い事なんだし、捨てるなんて忍びないじゃないですか。マァムやヒュンケルが初めて書いたタンザクも、記念に大事にとってあるんですよ〜」 「あ、それなら、見たいです、先生」 ころっと意見を変えていきなり意気投合する辺りは、似たもの師弟というべきか。 おかしかったから、ではない。 こんな風に願い事に迷えるのは、それだけで幸せなのだ、と。 まだ、バーンとの戦いの真っ最中だった頃。 誰もが、他に願い事を祈るだけのゆとりもなかった。 (あの時の子も、今頃はもっと他の願い事をしているかな?) そうだといいと、ダイは思う。 勇者の勝利を祈ってくれたあの子が、幸せになってくれることを、勇者として望む。 『おれにとって…ダイはダイだっ!』 それは、魔界にいる時でさえ片時も忘れたことのない言葉。 それは、ダイを芯から支えてくれた。 そのおかげで、ダイは、ダイとして立ち直れた。勇者の重荷に押し潰されそうな時も、魔界での孤独に耐えきれなくなりそうな時も、何度となく救われた。 (……そっか。先生の言う通りだ) 深く考え過ぎるから、悩んでしまった。
「書けたっ! で、これ、どうすればいいの、ポップ?」 と、ダイが言ったのをきっかけに、ポップとアバンは古いタンザク争奪戦の手を止めた。 「えーと、こう?」 あまり器用とは言えないダイは、他の人がやっているように綺麗に紐をチョウチョ結びになんぞできず武骨に結んでしまったが、ポップはそれを褒めてやる。 「そうそう、それでいいんだよ。後は、放っておけば願いが叶うって寸法だ」 今一歩どころか、二歩も三歩も信仰心が薄そうな一言である。 「ポップのは? ポップは、願いごと、書かないの?」 そう言われて、ポップもまた――思いだすことがあった。 だから、戯れにさえ星に願いをかけることもできなかった。 「いいんだよ、おれは」 軽く言ってのけるポップに、ダイはしつこく食い下がる。 「えー? でもさあ、ポップの願いだって叶った方がいいだろ?」 「だから、おれはいいんだって!」 なおもごちゃごちゃ言おうとするダイの頭を、ポップをぐしゃぐしゃっと掻き混ぜるように乱暴に撫でる。 「うわっ、やめてよ、ポップ〜」 乱暴過ぎて撫でているのか、引っ張っているのか分からないぐらいの有様だが、それでもダイは嬉しそうに笑う。そんなダイを見ながらポップも笑い、心の中だけでこっそりと呟く。 (だってよ……おれの願いは、もう、とっくに叶ってるんだからよ) はしゃぐ二人のせいでわき起こった風が、ひらりとつけたばかりのタンザクを揺らす。そこには、こう書かれていた――。 『いつまでも、ポップと一緒にいられますように』 《後書き》
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