『わがままな願い』

  
 

「あ! あれ、なんだろ?」

 と、ダイが目を止めたのはごくごく珍しい木だった。
 カール王宮の城門前の広場に、唐突ににょきっと生えている一本の木。
 丈は大きいが妙に細長い幹の、ひょろっとした見たこともない木に、やたらカラフルな色のものがぶら下がっている。

 その数は、数えきれないぐらいたくさんあった。
 木の実や花にしては、余りにもとりとめのなさすぎる色合いだし、全部が計ったように、細長い長方形というのも、おかしなものだ。
 ダイはそれを手に取って、まじまじと見つめる。

 間近で見ると、それは大人の手のひらぐらいの大きさの、細長い紙だった。青や赤や黄色など、派手で色とりどりな色彩の紙が紐で木の枝にくくり付けられている。
 よくよく見れば、その紙にはなにやらそれぞれ違う言葉が、ちまちまと書き連ねられているようだった。

 幸いにも、書かれているのが簡単な字ばかりだったので、それはダイにもなんとか読めた。

「んーと? えっと、……えっと? 『あ…た……らし、い、お…にん…ぎょお、が、ほしいで、す』?」

 パプニカ王国の勇者の家庭教師達の涙ぐましい努力の成果か、牛歩の速度で識字率が上昇中のダイは、いくつかの紙を見て書かれている言葉を読んでいく。

「こっちは、タコが欲しくて、こっちはけん玉? ヘー、カールって変な木が生えるんだね」

 こんな木は、ダイにとっては生まれて初めてみる。
 故郷デルムリン島でも、現在居住中のパプニカ王国でも見たことがない木だが、木の形や大きさが場所によって違うのは、知っている。

 だから、カール王国ではこんな木がよく生えるのかと単純に思い込んだダイだったが、呆れたような声で訂正をかけてきたのはポップだった。

「バーカ、こんな木が自然に生えるわきゃねえだろ? よく見ろよ、これは自然に生えた木じゃなくて、わざわざ植えてあるんだ。で、この紙は『タンザク』って言って、飾り物なんだよ」

 ポップの言う通り、その木の根元は地面に植えられた後がはっきりと見て取れる。
 それに、よくよく考えてみれば、今まで何度かカール王国に来たことがあるが、こんな所に木など生えていなかったはずだ。

「? なんで、わざわざ、こんな邪魔になるところに、木を植えたんだろ?」

 なんと言っても城門の真ん前にあるのだ、邪魔と言えばこの上なく邪魔だ。
 だが、城に出入りする人や通り縋る人達は、それを苦にしている様子はなかった。
 サヤサヤと不思議に耳に残る葉擦れの音を奏でる風変わりな木を、好ましいものを見つめる目で眺めている。

「目立つように、だろ。これはさ、『タナバタ』っていうお祭りの儀式に使う木なんだよ」


「たなばた? 聞いたことないよ」

 聞き慣れない言葉に、ダイは目をきょとんとする。
 ――まあ、無人島育ちのダイにとっては聞いたことのない祭りや習慣などは、日常茶飯事的に、数えきれない程あるのだが。
 が、『タナバタ』を知らないのは、ダイがモノ知らずなだけではないようだった。

「そりゃそうだろ、こりゃあ東方伝説で伝わっているお祭りだもん。普通は知らないって。カールで祝うようになったのも、2、3年前からじゃないのか? アバン先生が始めたんだよ」

 職権乱用と言っては聞こえが悪いが、アバンは積極的に祭りや行事を増やして国民に参加を呼びかけ、人々に活気を取り戻させようという政策を取っている。
 その作戦は、まあまあ成功していると言っていいだろう。

「へー、おれ、初めて聞いたよ。ポップもそのお祭り、知ってるの?」

「まあな。むかーし、昔、神様の怒りをかって引き裂かれた恋人達が、年に一度だけ再会を許された日なんだってさ。ただし、その日が雨なら、二人の間を挟む大河が邪魔をして、その年は会うことができない。だから、彼らはその日が晴れるようにと願いをかける」

 そう言いながらポップがちらっと空を見上げるのに釣られて、ダイも空を見る。
 雨の気配などかけらもない夏の夕空は、早くも星が一つ、二つ光りだしているのに、まだまだ明るかった。

「願いが純粋なら、神様が願いを叶えてくれるらしいぜ。で、それにあやかって、その日に願い事を『タンザク』に書いてこの木に飾ると、天まで届いて願いが叶うんだってさ」


 ちょっと都合よすぎる伝説だよな、とポップは笑うが、初めて聞くダイには物珍しくて興味引かれるものだった。
 それに、そう思っているのは、ダイだけではないのだろう。

 気をつけて見てみれば、木の枝に紙をくくり付ける人は、絶え間なく訪れている。
 特に、嬉しそうにはしゃぎながら、新しい紙をその木にくくりつける子供達の姿は、ダイの目にさえ微笑ましく見える。

「……なんだかよく分からないけど、楽しそうだね」

「ええ、楽しいものですよ。ダイ君達もやってみませんか? いい記念になりますよ〜」


 と、陽気に声をかけてきたのは、アバン。かつて世界を救った功績から大勇者と呼ばれ、今や一国の国王に収まった彼は、せっせせっせと色紙を手頃な大きさに切り、紐をくくりつけるという作業に余念がない。

 城の城門前に机を広げ、内職じみたせせこましい作業が、妙にしっくりとはまっているのはいかがなものか。

(……いーのかな、カール王国、これで)

 パプニカ王国の宮廷魔道士見習いが案じることではないとはいえ、ポップはついついこの国の前途を心配せずにはいられない。
 だいたい、自分好みの祭りを広めるのはまだいいとしても、国王自らが率先してここまでやるのもどうかと思う。

 飽きることなく単純作業を繰り返しつつ、通り掛かる人にそれを渡しては『タナバタ』をアピールしているこの人が、この国の国王様だと世間はちゃんと知っているのか、いささか不安を感じてしまう。

 が、ポップと違って、ダイは不安など微塵も感じていなかった。――というか、気がついてさえいないのだが。

「はいっ、やりますっ、先生!」

「おお、いいお返事ですね〜。では、ダイ君にはこの青いタンザクをあげましょう」

 横に細長いテーブルは、あちこちに筆記用具が置いてあって、通りすがりの人々がサラサラと、あるいは熱心に書き込み、木の枝に紙をくくりつけていく。
 ダイもそれに習ってペンを手に取り――そのままの姿勢で、眉間に皺を寄せて固まった。
 

 それが短い時間なら、ポップも気にもしなかっただろうが、他の人が次々と書き上げていく中、ダイだけが頭を抱え込んでうんうんうなっているのだから、さすがに放っておけない。

「おい、また字が分からないとか言うんじゃねえだろうな?」

「違うよー! その前、だよ」

「その前?」

 ダイの言っているのことが分からなくて聞き返すと、勇者様はきっぱりと言い切った。


「なんて願いを書いたらいいか、分かんないよ」

 脱力もののお答えに、ポップは思わず転びそうになるが、なんとか耐える。

「バカかっ、てめえは? んなの、適当に願いごとを書けばいいだけだろーがっ!」

 と、ポップは当たり前のように怒鳴るが、ダイには決心がつきかねた。

「うーーん?」

 根が真面目なダイには、『適当な願い』を書くなど思いつきもしない。
 頭の中にぐるぐる浮かぶ願い事は、みんな真剣なものだし、同じくらい大切なことばかりだ。


(えっと? えっと、願いが叶うんなら、ポップやレオナがあんま忙しくなくて、もっと遊べたら嬉しいし、ヒュンケルぐらいにおっきくなりたいし、先生やマァムとかじいちゃんクロコダイン達とかも、いっつも会えるといいし、剣の稽古の時間が増えて勉強の時間がなくなるといいし、あ、ご飯とかおやつがもう少し多いといいよなあ)

 もし、それを口に出して言ったのなら、ポップあたりが『世界を救った勇者の願いがそんなんかっ?!』とツッコミそうなものばかりだ。

 だが、本人は目一杯真剣に悩みつつ、青いタンザクをじっと見やる。そんな弟子を眺め、アバンはくすくすと笑いながら忠告してきた。

「ダイ君、ずいぶんと迷っているようですが、あまり深く考えず、思う気持ちを素直に書くといいですよ」

 優しくそう声をかけてから、アバンは緑色の紙を取り出してひらっと揺らす。

「ところで、ポップは書かないんですか? あなたの分もありますよ?」

「先生〜。おれのこと、いくつだと思ってるんですか? もう、こんなのやる年じゃないですよ」

 ポップはもう17才だ。
 まだ成人と言うには早いかもしれないが、レオナの補佐役として実際に国政に関わっているポップは、もう子供とは言えないだろう。

 が、ポップがまだ少年だった頃から知っている師は、悪戯っぽい笑みを浮かべながらからかう。

「おや、初めて一緒にタナバタをやった時は、素直にタンザクを書いてくれたのに、つれないですねえ。じゃあ、しょうがないからあの時のタンザクでも下げてみましょうか」

 その言葉に、ポップは今度こそ踏ん張ることもできずに思いっきりこける。
 しかも質の悪いことに、ただの冗談やからかいではないらしい。アバンが懐から取り出したのは、一冊の古びた本。

 アバンに弟子入りして長いポップは、その正体を知っていた。それには、絵やらアバンにとって記念となる思い出をスクラップした、いわゆるアルバムだ。
 その中から取り出したのは、少しばかり色あせた緑色のタンザクだった。
 ポップにとっては、見覚えのある字の書かれたその紙に、焦って跳ね起きる。

「アバン先生っ、んなものいつまでもとっておかないでくださいよっ!」

「おっと。危ないですね、そんな乱暴をしたら、破けちゃうじゃないですか」

 と、たしなめながらもアバンは余裕たっぷりだ。タンザクを取り替えそうと手を伸ばすポップを軽くあしらい、からかうようにヒラヒラとふりかざす。
 まだ、師の背に追いつかないポップをからかうように、手を高くかざして見せる。

「そんな子供の頃の願い事なんか、見てみなかったことにして捨てといてくれりゃいいじゃないですか!」

「いえいえ、せっかく可愛い弟子が一生懸命書いた願い事なんだし、捨てるなんて忍びないじゃないですか。マァムやヒュンケルが初めて書いたタンザクも、記念に大事にとってあるんですよ〜」

「あ、それなら、見たいです、先生」

 ころっと意見を変えていきなり意気投合する辺りは、似たもの師弟というべきか。
 じゃれ合っているようにしか見えない師弟の傍らで、ダイはダイでいまだに悩んでいた。 そんなダイの側で、同じように悩んでいるか子供達がペンを手に、唸っている。おかしがいいか、それとも玩具を頼もうかと、真顔で言い合っている子供達を見て、ダイの顔に思わず笑みが浮かぶ。

 おかしかったから、ではない。
 嬉しかったから、だ。
 自分で悩んでいる時は気がつかなかったが、別の人が悩んでいるのを見て、初めて分かる。

 こんな風に願い事に迷えるのは、それだけで幸せなのだ、と。
 思い出すのは――ダイの唯一知っている、祈りの捧げ方。
 火炎草を壺に入れて、竜の神に祈りを捧げるおまじない。テランで独自に伝わるおまじないをしていた、小さな子供を思い出していた。

 まだ、バーンとの戦いの真っ最中だった頃。
 あの頃は、あんな小さな子でさえ願い事は限られていた。ほんの小さな子が夜の闇の中、危険も顧みずに真剣に願わずにはいられない程、世界の状況は圧迫していた。

 誰もが、他に願い事を祈るだけのゆとりもなかった。
 だが、今は違う。
 誰もが、好きなことを、細やかでわがままな願い事を、気楽に祈ることができる。
 そうできるだけの土台が、今はある。地上に平和が訪れたのだから――。

(あの時の子も、今頃はもっと他の願い事をしているかな?)

 そうだといいと、ダイは思う。
 あの時のダイは、本当に余裕がなかった。勇者として勝利を約束してあげるどころか、通りすがりの旅人として彼を励ましてやることもできなかった。

 勇者の勝利を祈ってくれたあの子が、幸せになってくれることを、勇者として望む。
 一瞬、それを書こうかなと思い、ダイはすぐに思い直した。

『おれにとって…ダイはダイだっ!』

 それは、魔界にいる時でさえ片時も忘れたことのない言葉。
 自分が勇者じゃなくっても、人間ではない竜の騎士でも、ダイだから信じてくれると言ってくれた言葉が、どれほど嬉しかったか。

 それは、ダイを芯から支えてくれた。
 心の奥の、一番深いところから救ってくれた、魔法のような言葉。

 そのおかげで、ダイは、ダイとして立ち直れた。勇者の重荷に押し潰されそうな時も、魔界での孤独に耐えきれなくなりそうな時も、何度となく救われた。
 その言葉をくれたのは――。

(……そっか。先生の言う通りだ)

 深く考え過ぎるから、悩んでしまった。
 素直に思ってみれば、心に浮かぶ願いごとはただ一つだけだった。
 ダイはペンを握り直し、自分に書ける精一杯の字で、丁寧に書いた――。

 

 

「書けたっ! で、これ、どうすればいいの、ポップ?」

 と、ダイが言ったのをきっかけに、ポップとアバンは古いタンザク争奪戦の手を止めた。
「ん? ああ、あの木の好きなところにくくりつけとけばいいんだよ」

「えーと、こう?」

 あまり器用とは言えないダイは、他の人がやっているように綺麗に紐をチョウチョ結びになんぞできず武骨に結んでしまったが、ポップはそれを褒めてやる。

「そうそう、それでいいんだよ。後は、放っておけば願いが叶うって寸法だ」

 今一歩どころか、二歩も三歩も信仰心が薄そうな一言である。
 が、ダイはその発言よりも、ポップが手に何も持っていないことの方が気になるようだった。

「ポップのは? ポップは、願いごと、書かないの?」

 そう言われて、ポップもまた――思いだすことがあった。
 ダイが行方不明だった頃、誰もが願い事を口にするなんてできなかった。
 たった一つしか、願いなんてない。そして、それを口にして……裏切られるのが怖かった。

 だから、戯れにさえ星に願いをかけることもできなかった。
 だから、あの頃は、願いたくても願えなかった。
 そして――今は、別の意味で、願えない。

「いいんだよ、おれは」

 軽く言ってのけるポップに、ダイはしつこく食い下がる。

「えー? でもさあ、ポップの願いだって叶った方がいいだろ?」

「だから、おれはいいんだって!」

 なおもごちゃごちゃ言おうとするダイの頭を、ポップをぐしゃぐしゃっと掻き混ぜるように乱暴に撫でる。

「うわっ、やめてよ、ポップ〜」

 乱暴過ぎて撫でているのか、引っ張っているのか分からないぐらいの有様だが、それでもダイは嬉しそうに笑う。そんなダイを見ながらポップも笑い、心の中だけでこっそりと呟く。

(だってよ……おれの願いは、もう、とっくに叶ってるんだからよ)

 はしゃぐ二人のせいでわき起こった風が、ひらりとつけたばかりのタンザクを揺らす。そこには、こう書かれていた――。

『いつまでも、ポップと一緒にいられますように』
                                    END


《後書き》
 キャラクター人気投票アンケートで公約した、人気コンビのSSがやっと書き上がりました!
 まずは第一位、ダイとポップコンビですv ホントは、アンケート座談会に合わせて書く予定が、ずいぶんと遅れてしまいました。……ドラクエとうみねこが、この時期にでさえしなければ…っ(<-自分の意思の弱さを棚に上げて、よく言う)
 ところで、東方伝説のタナバタは、七夕とは微妙に違う別物です(笑)
 

 

小説道場に戻る
トップに戻る

inserted by FC2 system