『言霊の力』 |
「よ、師匠。こないだはサンキューな」 バルジ島を望む、パプニカの沿岸。 「なんだ、ずいぶんと来るのが遅かったじゃねえか。そんなに治るまでに時間がかかったのか?」 「いや、数日前に治ってはいたんだけどさ……姫さんに引き止められてたから、出てこれなかっただけだって」 ダイは誤解していたようだが、ポップが完治後も口を噤んでいたのは自分の意思……というよりは、レオナの命令のせいだ。 ダイが熱心に勉強するという予想外の事態をことのほか喜び、このチャンスにせめて人並みレベルまで達せるようにと策略を練ったのは、彼女だ。 ――が、『友達』と『婚約者候補』の差は大きい。 できるのなら貴族並に、まあそれが無理としても一般レベルには勉強を習得してもらわないと、何かと不都合なのだ。 (ダイの奴、怒ってるかな……?) それが少しばかり気になるが、でもまあ、ポップはその誤解は解く気はなかった。 「ふーん、まあいい。そこら辺に座んな。嘘をついたって、調べりゃすぐ分かるんだからよ」 「おい、師匠、いきなり嘘って、決めつけんなよ! まったく、信用ないなー」 「そりゃ、日頃の行いってもんだろうが」 ケケケと笑いつつも、杖を手にしたマトリフの目には鋭い光が宿る。 「――よし、呪いの効果は綺麗に消えているぜ。もう問題はねえだろうよ。……しかしまあ、てめえもつくづく馬鹿な真似をしたもんだな。知らねえのかよ、出る杭ってのは打たれるもんだぜ?」 杖でコンコンと頭を軽く叩かれ、ポップはむくれたような顔で答える。 「知ってらぁ、そんぐらい」 『呪い』の原因は、ポップ自身が、嫌という程分かっている。 マジック・オリンピアに集まる魔法使い達は、よりすぐりのエリートぞろいだ。そこに呼ばれることに誇りを持っているし、常連ともなればその思いはなおさらそうだろう。 老齢に差し掛かっている魔法使い達が、魔法の知識や研究に費やしてきた時間は、ポップが生きてきた時間全て以上なのだから。 実戦形式で魔法勝負するのならまだしも、マジック・オリンピアは純粋な知能を発揮する場だ。 が、それはあくまでその場を切り抜けるために発揮してきたものであり、議論や勉学のために磨いたものではない。とてもじゃないが、本格的に何年も研究してきた連中と競う程の知識量はない。 ポップもそれをよく承知していたからこそ、最初からマジック・オリンピアに参加する気もなかった。 ただでさえ、成人にも達していない若さでパプニカの政務の中枢に紛れ込んだポップは、周囲からの注目や反感を集めている。 そんな連中を刺激し、わざわざ増長させる真似などしたくもなかった。 「昔馴染みから、聞いたぜ。おめえ、会場じゃずいぶんと派手に反対意見をぶちまかしたそうじゃないか。そりゃあ、恨まれて当然ってもんだな」 「……だから、分かってるっつーの」 他人の研究発表を途中で遮り、なおかつそれに徹底的に反対する形の意見を、真っ向からぶつける。 それこそ、よってたかって叩かれまくったとしても、文句も言えないぐらい出過ぎた行為だ。 他人のプライドを傷つけると分かって居ても、それでも、どうしても主張せずにはいられなかった。 魔物や怪物と人間は相容れない存在であると結論づけ、関わりは最小限にとどめるのがお互いのためだと論じたあの論文を、どうしても認めるわけにはいかなかったから。 マジック・オリンピアで最優秀賞を獲得した論文や主張は、書籍となって世界各国に配付されることになる。 つまり、この先、魔法使いや僧侶を目指す多くの者達が、それらの意見を習うということだ。 ダイやクロコダイン達のような存在を否定するその論文――それを否定するために、ポップはなりふりなど構っていられなかった。 思いつく限りの詭弁をつくし、言い掛かりの様に揚げ足を取りまくり、相手を挑発しまくっては些細な問題点を指摘し、無理やり相手を論破して勝ちをむしり取った。 「そんな真似すりゃ、呪われても文句も言えねえな。むしろ、あの程度ですんだのを感謝するこったな。無意識下の呪いだから、あの程度ですんだようなものだぜ」 マジック・オリンピアの開催地は、古式に則った古い遺跡で行われる。場所はその時々で変わるが、すでに形骸化した古代の魔法陣を利用して開かれるのには変わりはない。 今はほぼ効果がないとは言え、それも程度の問題だ。その場にいる魔法使いほぼ全員の恨みを買えば、無意識に集中した悪意が呪いの念と変化してもなんの不思議もない。 複合してかけられた呪いが相手では、回復魔法どころか解呪呪文すら効き目がないのは当然だ。 「これに懲りたら、次はあんな馬鹿な真似はやめとくこったな。じゃねえと、お次は本気で呪われかねないぞ」 からかいめかしたマトリフの締めくくりの忠告に、ポップはそれまでのように軽く、分かっているとは言い返さなかった。 「忠告ありがとよ、師匠。でもよ――多分、おれ、次もやるよ。……同じ論争が起こるようなら、さ」 ポップの言葉にマトリフは呆れたように肩を竦め、それから悪人そこのけの顔でニヤリと笑う。 「――まあ、好きにすりゃあいいさ。馬鹿は死ななきゃ直らねえっていうしな」
すぐ戻ると言ってきたからといって、ポップが慌ただしく帰った後、急にガランと静かになったように思える洞窟の中で、マトリフは、一人、思う。 そんな危険な代物だったら、当の昔にそんな場所で論争を戦わせるなんて真似はしなくなっているだろう。 言葉には、力がある。 魔法使いが無意識に使う、言霊の力。 もし、密かに呪いをかけられたとしても、あの魔法陣の中では自衛の効果の方が強い。 論者が警戒心を強く持っていれば、通常レベルの呪いなら跳ね返すぐらいの守りの力は備わる。 その目的のために、わざわざ不便な場所と分かっていながらマジック・オリンピアを同じ場所で開催しているのだ。 (しかし、あの馬鹿の辞書には『自衛』って言葉はねえのかねえ?) 普通の人間なら、非難を浴びせられれば無意識にでも自分を守ろうとするだろう。 少しでも防御しようとしていたなら、いくら複数の人々の恨みを買っても、呪いの効果は及ばない。 ただ、他人を守りたい一心で、全力で論議に力を尽くした結果……自分が呪われてしまうような馬鹿な魔法使いなど、マジック・オリンピア開催以来、他にいないだろう。 (……そう簡単にできる道じゃねえってことぐらい、いくらあの馬鹿でも、分かってるはずだがな) 怪物と人間の共存。 だが、果てしなく難しく、叶うとは言い切れない理想論だ。 しかし――信じてみたいと、思ってしまうのはなぜだろうか。 「へ……ッ。まあ、まだまだ、当分、死ねねえな、オレもよ」 声にだして小さく呟き、マトリフはつい先日、知人から手に入れたばかりの本を手に取る。 まだ、試し刷りされたばかりの、今年度版の『マジック・オリンピア首席論文』の掲載された本を、マトリフはゆっくりと読み出した――。
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