『伝えられない遺言』 |
「……って、書いてあるのさ。アバン先生らしいや。そういや、前に先生から直接聞いたけど、その時はこんな風に言ってたんだぜ――」 楽しげに話すポップの声を、ヒュンケルは聞くともなく聞いていた。 少年期特有の高さと、性格そのままの明るさを持ち合わせた元気のいい声。 その意味では、ポップのベッドにぺったりと張りついて、目を輝かせて熱心にそれを聞きいっているダイが羨ましいぐらいだ。 それが分かっているからこそ、ヒュンケルはわざと部屋の隅に座り、さして読む気もない本を開いていた。 開いてはいるが、目は活字を追うよりも、どうしてもポップの様子の方に引きつけられてしまう。 テラン城の一室、上等な客間のベッドの上で、ポップは背中に柔らかなクッションを当て、もたれかかるように座っていた。そのすぐ側には、ゴメちゃんがぴったりとくっついて、離れようとしない。 明るい声や生き生きとした表情はいつものままだが、忘れてはいけないのはポップがほんの二日前に死んだばかりだという事実だ。 運良く蘇生したとはいえ、体調が万全でないのは当然だろう。蘇生直後に無理をしたせいもあってか、テラン城に落ち着いた日などは高い熱を出し、ひどく気をもまされたものだ。 レオナとマトリフから、ポップの体調が安定するまでは絶対安静にさせるようにとの命令を受けたヒュンケルは、それ以来いつも彼から目を離さないようにしている。 義務以上の熱意を込めて、ポップの様子を見張っているヒュンケルにしてみれば、アバンの書に夢中になっている彼らの様子は、安心出来るものでもあり、不安の種でもあった。 マトリフが持ってきたアバンの書は、強敵との戦いの直後に打ちのめされたばかりの一行にとっては、希望の源になった。 特に、ポップはひどく熱心に、何度も読み返していた。動けなくて退屈と言うこともあるかもしれないが、繰り返して読む回数の多さに、ポップのアバンへの敬意と思慕の強さが感じられる。 熱心に黙読していたポップだが、やたらまとわりついて離れないダイにアバンの書を読んで聞かせだしたのは、今朝のことだ。 そんなダイをからかいつつも、ポップは丁寧に、アバンの書を読み聞かせてやっている。 それは、文章そのままの朗読ではなかった。 かみ砕いて分かりやすく、実際にアバンからその教えを受けた時のエピソードや、思い出話を交えながらの達者な話っぷりは、ダイばかりでなくヒュンケルやクロコダインまで思わず聞き入ってしまうほどだ。 いつまでも、その声を聞いていたくなる――。 ダイが熱心に聞きたがるせいか、ポップは食事やおやつなどの休憩を挟みながらも、朗読を続けている。 接近にまるで気がつかないポップから本を取り上げると、彼はやっとムッとした表情をこちらに向ける。 「何すんだよっ!? 今、読んでるとこなのによっ」 「もう、休んだ方がいいだろう。それに、そろそろ薬の時間だ」 そう告げると、ポップは露骨に嫌な顔をする。 それが分かっているだけに、ヒュンケルとしては進んで自分からポップに声をかけようとは思わないのだが、今は放っておくわけにもいかない。 まだポップは、長時間起きていられる体調ではない。その事実を、ポップは今一歩ちゃんと把握していないらしい。 「ちぇー、もう、飲まなくったって平気なのによー」 本人はそうボヤいてはいるが、だからといって拒否する気は今のところないらしい。計ったように正確に、決まった時間にメルルが持ってきてくれる薬湯を、しぶしぶながらも飲んでいる。 テランは、薬草の栽培が盛んな国だ。 「ポップ、じゃあ、お休み。ゆっくり眠ってね」 名残惜しそうに、ダイがゴメちゃんを抱えて退出するのにあわせ、ヒュンケルもまたそれに習った――。
不用心といえば不用心だが、目的を優先する主義のヒュンケルは侵入者に対する警戒などどうでもよかった。 長年、敵地に等しい場所で生活していたせいか、ヒュンケルの眠りはひどく浅い。少しでも異変を感じれば起きる自信はあったし、また、そんな浅い眠りでも十分休息を取れるという特技を身につけている。 そのせいで、夜中に向かいの扉が開くかすかな音を聞いた時、ヒュンケルは即座に目を覚ましていた。 こんな夜中に、寝間着姿のままで人目を盗んでまで、どこに行こうというのか。 それでも、すぐに制止の声を掛けなかったのは、用を足したいなど生理的欲求のために起きたのかもしれない可能性があるせいだった。 それを確認してから、ヒュンケルは足を速めてポップに追いついた。 「ポップ。どこへ行くつもりだ」 そう声をかけると、扉を開ける寸前だった少年はビクッとして振り返る。その顔に浮かんでいるのはまずいところを見つかったと言わんばかりの、悪戯を見とがめられた子供の表情だ。 「べ、別に、どこだっていいだろ!」 そう答えながら、手にした本を後に隠す動作にヒュンケルは内心では溜め息をつきたい気分だった。 ――表面上は、無表情極まりない顔ではあるが。 (……やっぱりか) ヒュンケル自身も、アバンの書を読んだから分かる。 アバンは、剣にせよ魔法にしろ、少しばかり通常とは違う使い方をするのが得意だった。並の使い手では思いもつかぬちょっとした工夫をして、攻撃の威力を底上げするコツを心得ていた。 その独自の戦闘方法はある程度の使い手が読んだのなら、実際に試したくなるだけの魅力がある。 「そうはいかない。部屋に戻れ……おまえには安静が必要なはずだ」 内心感じている苛立ちを抑え、できるだけ落ち着いた声をだそうと努力しながら、ヒュンケルはポップより先に扉のノブに手を掛ける。 瞬間移動呪文を使えるポップは、一歩、戸外に出れば羽が生えたも同然だ。取り押さえるのなら、その前でなければ意味はない。 好んでやりたくはないが、いざとなったら腕ずくでも止めようと考えたのを読み取ったのか、ポップが慌てて一歩後に下がる。 「な、なんだよっ、ちょっと外に出ようとしただけなのに、そんなにムキになるこたぁねえだろ!? 人のことなんか、ほっとけよ!」 その言葉のどこが気に障ったのか――それは、ヒュンケル自身にも分からなかった。 ポップがヒュンケルに反抗的に振る舞うのはいつものことだし、年下の生意気な口の利き方ぐらいは聞き流せる寛容さは身に付けているつもりだった。 「い、いてっ!? なにすんだよっ!?」 ポップが騒ぐのを聞いてから、自分が彼の腕を鷲掴んでいたことに気がつく。 「いてえっつうの! 離せよっ、人の腕、折る気かよっ!? って、人の話無視して、引きずってんじゃねえっ!」 「夜中に騒ぐな。迷惑だろう」 「なら、この手を離せってえの! くそっ、このバカ力め……っ!」 素直について歩いてくればいいものを、ポップがやたらと逆らい、踏ん張ってまで抵抗するものだから、ヒュンケルとてやりにくくてかなわない。 「おとなしく部屋に戻るというなら、離してやる」 悪い提案ではないはずだが、それを聞いてポップは露骨にムッとした顔をする。 「なんだよ、その言い草は……っ。勝手に人を捕まえといて、偉そうに一方的に言いやがって!」 そう怒鳴ってから、ポップはふと思いついたような顔をして、掴まれていない方の手でヒュンケルの服を引っ張った。 「なあ、ヒュンケル。この手、離せよ。おとなしく離すんだったら、おまえが知りたがってたこと、教えてやるから」 「オレが知りたがっていたことだと?」 まるで思い当たることがないだけに、ヒュンケルは足を止めないまま、ダメージを与えないようにポップを引きずる作業をやめなかった。 「ああ。先生の……」 そこまで言った時、ポップのよく動く表情が少しばかり辛そうなものに変わる。だが、強気な口調ばかりは変わらなかった。 「最後の時の……話を、教えてやるよ」 それを聞いた途端、ヒュンケルの足は自然に止まっていた――。 「……突然、何を言い出すんだ」 少しばかり見開かれた目に、いささかかすれた声。 「突然じゃねえよ、前から考えてはいたんだ」 少なくとも、ポップにとってはそうだった。 ポップにとっては前々から考えていて、だが、そう急ぐ必要もないだろうと先延ばしにしていただけの話だ。 きっかけさえあれば、いつ話しても良かった。誰の邪魔も入らないところで、ヒュンケルだけと話す機会があるのなら。 「てめえだって、前から気にしていたんだろ?」 その問い掛けに対して沈黙する兄弟子に、案外正直なんだなとポップは少しばかり呆れてしまう。 「……いや、断る。話を聞かせる代わりに、見逃せと言われても困るからな」 「だ、誰もんなこと言ってねーだろっ」 できれば持ち掛けたかった取り引きを先に封じられ、ポップは慌てて否定した。結果的に同じことでも、ヒュンケルに先手を取られるのは、御免だ。 「さっきも言ったろ、手を離せば教えてやるって。話が終わったなら、ちゃんと部屋に戻るよ」 「…………」 疑わしげに自分を見るヒュンケルを、ポップは向かっ腹が立つのを抑えきれない。 (こいつ、おれを信用してねえな……!) 見つかってしまった以上、もうこっそりと外に出るのは無理だとポップも諦めている。だから今はどちらにしろ、部屋に戻るしかないだろうと思っているいうのに、なんでこうまでも疑い深いのか。 「聞きたいだろ、おまえだって」 ポップの再度の問い掛けに、ヒュンケルは答えなかった。 ヒュンケルは最初に会った時から、アバンの死を知っていた。だが、それは伝聞として知っただけであり、アバンの死を直接見聞きしたのとは訳が違う。 一度も口にしたことはないが、改心した後にもヒュンケルがアバンを気にしていたのは、知っている。だが、あえて口にせず、質問を投げ掛けてもこない兄弟子の気遣いに、ポップはとっくに気がついてはいた。 ……まあ、庇われているようなその態度が癪に障ったせいで、ポップからもわざと言わなかったので、まさに気がついていただけだが。 「それに……最後の、ことだけじゃねえんだ、話したいのは。アバン先生は、あんまり前のことを話したりする人じゃなかったけど……それでもおれ、先生と長く旅していたからさ、いろいろ、あってさ」 心の優しいアバンは、前の弟子とポップについて、比較するようなことを一言も言ったことがなかった。 時々、それが寂しいと思ったこともあるが、それでもそれらの記憶に印象に残っていたのは、きっと、アバンにとって大切なものだったからだ。 「時々、ちらっとだけど、前にいた弟子のことを匂わせることがあったんだ。……アバン先生が伝えそこなったことを、おまえ達に話せるのは、もう、おれだけなんだ」 それは、ポップが自分に約束していた密かな思いだった。 直接、言葉として言われたわけではない。 もちろん、生きていればそれに口出しするつもりなんてなかった。アバンが直接、本人らに伝えただろうから。 だが、アバンが永遠にその機会を失った以上、その役を果たせるのが自分だけだと気がついてから、ポップにとってそれは果たさなければならない約束になった。 「いつかは、話すつもりだったんだ。だけどよ、人間なんていつ死ぬか分からないもんなー」 時期を選んで、話せばいい。 しかし、思えばそれは十分に起こり得る出来事なのだ。今、自分達は魔王軍との戦いの真っ直中であり、戦いと死は隣り合わせなのだから。 幸いにも、今ならダイや他の人の邪魔が入れないうちに話が出来るし、いいチャンスといえば言える。 「……なぜ、オレに言う? ダイか、マァムに言えばいいだろう」 拒絶の意思を秘めた、冷たい声音が返ってくる。だが、ヒュンケルのぶっきらぼうな言い方に慣れているポップは、気にせずに言葉を続けた。 「ダイには、頼めないよ。あいつ、てんでガキだし、すっげーデリカシーがねえんだからよ」 ポップはダイを誰よりも信頼しているし、大事な親友と思っている。――が、信頼と信用は別物だ。 大体、ダイは説明というものがひどく苦手だ。おまけに常にド直球なダイは、確かに正直ではあるが、デリケートかつ繊細な気配りは期待出来ない。 「それに、マァムにだって言えねえよ。今は、まだ……」 いつかは、話すつもりでいた。 その場に立ち会った者の責任として……マァムが望むなら、それを伝えるのは義務だとさえ思った。 マァムが実はアバンの死を承知していると知った時から、ポップはずっとそのつもりでいた。 「話したら、あいつ……きっと、泣くからさ。あいつ、ああ見えて結構涙もろいとこ、あるからよ――」 初めて会った時、いきなり人を殴りつけてきたマァムを、ポップは気の強い男みたいな女だと思った。 出会った時の男勝りな女の子とはとても思えないぐらい、繊細で、綺麗に見えたあの顔を。 だが、――あんな風に、泣かせたくはなかった。 時は、どんな悲しみすらも癒やす力を持っている。 アバンの思い出を辿る時、辛さよりも暖かさの方を多く感じるようになってから、ポップはアバンの最後をマァムに教えるつもりだった。 「あいつの泣き顔は見たくないんだ。……あいつが先生のこと、笑って話せる様になってから、おまえから、マァムへ――」 言いながら、ポップは胸がちくんと痛むのを感じた。 それを見る度に、心の奥を虫に食まれるようにチリチリと痛んだが、それでもポップは言葉を続けた。 「……マァムに、伝えてやってほしいんだ。泣かせないように、話してやってくれよ」 悔しいが、ヒュンケルならそれができるだろうとポップは確信していた。 軽く念を押してから、ポップは返事もまたずに話し始めようとした。 たとえ、こちらが一方的に押しつけた約束であっても、無視出来ないと承知しているからこそ、ポップは返事を聞く気もしなかった。 「いや……、約束はできない。だから、その話は聞けないな」
呆気に取られたようなポップが、そう言い返してくるまで一拍以上の時間がかかった。 断られたのがよほど意外だったのか、目を大きく見張っている弟弟子を見ながら、ヒュンケルはもう一度、繰り返す。 「できない約束など、する気にならない」 それは、迷う気にもならないぐらいはっきりとしていた。 (……分かっていない奴だ) 飛び抜けた利口さを持っているくせに、時々信じられないぐらいに鈍感な弟弟子に、ヒュンケルは苦笑する。 ポップが自己犠牲呪文を唱えた時の、あの場にいた者が感じた恐怖を。 あの時も、ポップはマァムを泣かせないよう話してくれと、ヒュンケルに頼んだ。 「……交渉決裂の様だな。悪いが、力ずくでやらせてもらうぞ」 「え? う、うわぁっ!?」 油断をしていたポップを捕まえて肩の上に担ぎ上げ、部屋に向かって歩きだす。当然、ポップは猛烈な抗議の文句を上げながら暴れだしたが、ヒュンケルは気にも止めなかった。 「騒ぐな、と言っただろう。ダイ達が起きるぞ」 「ぐ、……ぅうう〜っ、この野郎……っ」 騒ぎ立てていたポップも、この状態でダイやクロコダイン達に見つかれば余計に騒ぎが大きくなるだけだと気付くぐらいの理性は残っていたらしい。 「せっかく、人が覚悟を決めて話してやろうとしたのによ……っ。もう、頼まれたって二度と、話してなんかやらないからな!」 それでも負け惜しみの様に言い捨てるポップに、ヒュンケルは真顔で頷いた。 「ああ、それでいい」 むしろ、望むところだ。 自分より先に死なせてやるつもりも、ない。 ポップのその言葉に対して、意識せずに浮かべていた柔らかな微笑みに、ヒュンケルもポップも気がつかないままだった――。
《後書き》
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