『22年目の微笑み』

  

「あなた? どなたか、いらっしゃる予定でもあるの?」

 訝しげなスティーヌの問い掛けに、ジャンクはギクッと音が聞こえそうな程に動揺した。 が、意地っ張りなこの男のこと、それを素直に認める様な真似はしない。

「べ、別になんでもねえ! なんだって、そんなことを聞くんだ!?」

 なんでも、なにも――。
 ジャンクときたら落ち着きなく何度も店先に出てはそわそわし、キョロキョロと周囲を見回してはムスッとして戻ってくる、ということを繰り返しているのだ。

 名探偵であろうとなかろうと、これを見て、彼が何かを待っているのだと推理するのはたやすいだろう。
 ましてやスティーヌはジャンクと長年連れ添ってきた、言わば糟糠の妻だ。

 単純で武骨な夫が何か隠し事をしているのなど、分かり過ぎるぐらい分かってしまう。しかし、賢明なスティーヌは特にそれを問いただすでもなく、ただ穏やかに、なんなら店番を変わりましょうか、とだけ声をかける。

「いや、いい」

 一際不機嫌な顔で答え、ジャンクはどっかとカウンターの中にある店番用の椅子に腰を下ろした。
 基本的に、店番をするのはジャンクの役割だ。

 無愛想で客商売には向かないタイプとはいえ、彼の武器の目利きや人を見る目は抜きんでている。
 それに武器屋という商売柄、時に荒っぽい旅人が客として訪れることを案じているのか、ジャンクはスティーヌに店番をさせるのを好まない。

 一人息子のポップには少しずつ、店番から仕込む予定だったが……本格的に跡継ぎ教育を始める前に家出してしまったせいで、結局、いまだにこの店の店番はジャンクがやっている。

(まったくあの根性無しの馬鹿息子め、お使いも満足にできやがらねえのかよ! いつまで経っても肝心な時にゃ役に立ちやしねえな……!)

 世界を救った勇者一行の魔法使いであり、今やパプニカ王国の宮廷魔道士(見習い)として活躍しまくっている大魔道士ポップも、親にかかってはいまだに家出息子扱いである。ひとしきり息子を心の中でけなしてから、また腰を浮かしかかったジャンクの耳に、高らかな馬の蹄の音が聞こえてきた。


 ぱっからぱっからぱっからぱっから――。


 人通りもまばらな田舎道を、土煙を立てながら走るは白馬だった。もっとも、一流のサラブレットには程遠い。
 ちょっとくすんだ白いボディーには斑のぶちが点在し、どちらかというとロバかと思うような短足な体格は、丈夫さを重視した農耕馬にしか見えない。

 どこかユーモラスで間の抜けたテンポで響き渡るその蹄の音は、店の真ん前で急停止する。非難するような馬の声と共に、ひらり……というか、どたりと馬の背から下り立ったのはなんとも奇妙な中年男だった。

 あちこちに汚れのついたスモック姿の、ピンと気取った髭を生やした男。
 きらりと日を受けて輝く金髪は、見事なまでのマッシュルームカット。乗馬には向きっこないのに、頭上にちょこんと乗せられたのは赤いベレー帽。

「てめえは……っ!?」

 会うのはおよそ20年振りだが、こんな珍妙でインパクトの強い男を見間違えることはない。
 夫婦そろって息を飲んだが、立ち直って口を開いたのはスティーヌの方が早かった。

「まあ……っ!? ムッシュ・カタール先生?」

 驚きに立ちすくむスティーヌに向かって、ムッシュはにっこりと笑って大袈裟な仕草で一礼をした。

「おおっ、お久しぶりですね、我がひなげしの君、麗しのマドモアゼル・スティーヌ! ……いや、失礼、今はマダム・スティーヌとお呼びしなければなりませんか」

 深々と頭を下げる挨拶と同時に、スティーヌの手を取って軽く手の甲に唇を押し当てるのは、貴婦人に対する礼儀作法だ。
 宮廷ならばいざ知らず、田舎の武器屋の女房に対しては大仰なその挨拶を、恥ずかしげもなく大真面目にやってのけるムッシュに対して、スティーヌはくすりと笑う。

「本当にお久し振りですわ、先生。お噂はかねがね聞いているのですが……」

 ムッシュ・カタール。
 美人画を描かせたら右に出る者はいないと言われた、写実派の巨匠である。
 ベンガーナの誇る、世界屈指の人気画家の名は世間にも広く知られている。……まあ、その奇人変人ぶりもずば抜けて有名ではあるのだが。

「まさか、こんな所でお目にかかれるだなんて。びっくりしましたわ、あんまりお変わりがないので」

 スティーヌは、若い頃に彼に望まれて絵のモデルにとなったことがある。彼女にとってそれは、ちょっとくすぐったいほど誉れ高い経験だった。
 ずいぶんと久々の再会を、懐かしく思わないわけがない。

「貴女こそ昔とお変わりなく……と言いたいところですが、いやはや、残念ながらわたくしめは根っからの画家。己の魂からの叫びに嘘はつけませんな」

 と、そこで一息を置いてから、ムッシュは感極まったように嘆息した。

「今の貴女は、昔以上にお美しい……!」

「まあ……」

 スティーヌの頬が、少しばかり朱に染まる。それを隠そうとするように、彼女は自分の頬に手を当てて恥じらった。

「いやですわ、こんなおばさんを捕まえて……先生は相変わらずお世辞がお上手ですのね」
「いやいや、なにをおっしゃいますか! 口が上手いなどとはとんでもない、なにせわたくしは画家でありますからに、絵筆にて全てを表現する者……世辞などいたって不調法ですぞ」

 立て板に水を流すがごとくすらすらとした口調で自分は口下手と主張したムッシュは、高々と手を振り上げた。

「ゆえに、わたくしが口にするのは世辞などとは縁遠い、単なる真実ですぞ。
 確かに、若さとは魔法の衣の様なもの。どんな者にも一度は与えられる、自然より送られた一時の魔法ですとも。ですが、魔法はいずれ解けます」

 大仰に首を振りながら、とてもお世辞とは思えない熱を込めて、ムッシュは熱心に訴える。

「魔法が解けたその後に残るは、素のままのその人の魅力です。衣を剥がれてなお、人に輝きを与えるのは心の在り様ですとも。
 あの時、わたくしの心を魅了したのは、初々しい輝きを持つひなげしのごとく可憐な娘でした。ですが、今、わたくしの目の前にいるご婦人の浮かべる穏やかな微笑みは、それに優るとも劣らない魅力があると、確信しておりますぞ!」

 身振り手振りを交えながらの、熱狂的な弁舌を振るうムッシュに、スティーヌはくすぐったそうに笑うばかりだ。
 美を称えられて、嬉しくない女などいない。

 大袈裟だとは思っても、ここまで手放しに褒められて悪い気はしないのも当然だろう。――が、男にとってはムッシュの言葉はまったく別の感想を抱かせるものだった。

「……おい! 人の目の前で、女房を口説くとはいい度胸だな」

 苦虫を百匹ぐらいまとめて噛み殺したような仏頂面で、不穏さを秘めた言葉を掃き捨てたのはジャンクだった。
 が、ムッシュは声を掛けられてから初めて気がついたとばかりに、彼に目を向ける。

「おや、いたんですか。いやあ、久しいですね、えーと…………」

 そこで言葉を途切れさせ、首と髭をひねり回すムッシュが答えを導き出すまでたっぷり3分ほどの時間が掛かった。

「ああ、シャックリ氏でしたな」

 ぽんと手を叩き、嬉しそうに言ってのけるムッシュに全力の異議が唱えられたのは当然だろう。

「ジャンクだ、ジャンク! あんたっ、本気で変わっていやがらねえなっ!?」

「おや、失礼。わたくし、実は生まれつき男性の記憶に乏しい体質でして……」

「その言い訳は昔っから聞き飽きてんだよっ、いつまで経っても体質改善のできてねえ奴だなっ! だいたい、ここはオレんちなんだよっ、居てなにが悪いか!?」

「いえいえ、全く。ええ、あなたが麗しいマドモアゼルに相応しい宮殿ではなく、片田舎の堀っ建て小屋に居を構えたからと言って、わたくしめにはなんの不満もありませんよ?」

 ニコニコとそう言ってのけながら、ムッシュはくるくると手にしたステッキを振り回す。
「それに口説くだなんて俗な言い方は、心外ですな。
 女性とはすなわち、美! そして美とは、崇め、褒めたたえるためにあるものですっ。そこに一切の邪心などありませんとも。植物が水を受けて成長するように、美とは称賛を浴びてより輝くものですからね」

 そう言いながら、ムッシュは実に堂に入った仕草で恭しく手を差し延べ、スティーヌを家へと誘う。

「おやおや、わたくしとしたことが。いかに思いがけない再会が懐かしかったとはいえ、女性を道端に立たせて立ち話など、とんだ失礼を致しました。ささっ、狭い所ですが、どうぞ中へ」

(そりゃあ客のてめえのセリフじゃねえっ)

 と、ジャンクが心の底から叫びかけたが、辛うじて飲み込んだのは近所の人の目があったからこそだ。
 なにせ、ランカークスは田舎である。

 旅人もめったに来ない小さな村では、こんな珍しい客人が来れば隣近所のみならず、村中の人間の注目の的だ。
 これ以上大騒ぎをして、いい噂になって村の娯楽に貢献したくなどはない。言いたい文句をぐっと堪え、ジャンクは『本日、臨時休業』の札を手に、店を閉めにかかった――。






「いやあ、いいお茶ですなあ! 実に美味い……! この繊細かつ独特のフレーバーは、パプニカ産ですか? おや、リンゴの鮮度を落とさぬようにサッと煮たこのタルト菓子は……珍しいですな、リンガイアの銘菓と記憶しておりますが。ふむ、両者の組み合わせが絶妙のハーモニーを醸し出しますな!」

 と、気持ちよくお茶とお茶菓子を味わいながら蘊蓄を垂れているムッシュの元に、ジャンクが戻ってくるまで少し時間が掛かった。
 武器屋は店の警備にまで気を配るべしとモットーにしているため、施錠をきっちりと行うジャンクは閉店するのにも少しばかり時間が掛かる。

「ふん、その茶や菓子はバカ息子がこないだ手土産に持ってきたんだよ」

 どっかとソファーに腰を下ろしたジャンクのために、スティーヌが彼の分の茶を用意しに立ち上がる。

「ああ、ポップ君がですか。なるほど、さすがは大魔道士様ですな」

 ポップは今や、世界有数の瞬間移動呪文の使い手だ。
 一瞬で世界を飛び回れる彼が持ってきたのなら、風味が落ちやすくて遠方には輸出できないお茶や、日持ちのしない特産菓子がランカークスにあるのも頷ける。

「ふん、あんなクソガキが大層な名を名乗ったもんだぜ。お使いもろくにできねえくせになにが大魔道士だ、まったく」

 今や大英雄の一人であるポップに使いっぱしりを頼むとは世間的には有り得ないが、実の親なら遠慮も減ったくれもない。
 遠慮なくこき下ろすジャンクに、ムッシュは声を潜めてこそっと囁いた。

「ああ、そうそう、忘れるところでした。実はわたくし、そのポップ君の代理としてここにきたんですよ」

 台所の方へと行ったスティーヌがこちらの様子に気がついていないのを確かめ、ムッシュは懐から小さな包みを取り出し、ジャンクに見せる。
 ちょうど手のひらに乗るぐらいの大きさの四角い箱で、ベンガーナデパートの刻印の押された包み紙で丁寧に覆われている。

 その中身を、もちろんジャンクは知っていた。
 それを注文したのは、ジャンク本人なのだから。
 しかし、それを買い、自宅まで届けるようにと言いつけたのは、実の息子であるポップに対してだったはずだ。

「先日、ベンガーナデパートで偶然ポップ君にお会いしましてね。その時、これを自宅に届ける話を聞いたので代理を申し出たのですよ。ちょうど、こっちの地方にスケッチ旅行の予定もありましたし」

「だけどよ、なんだって、わざわざあんたが……?」

 ランカークスは、山間に存在する小さな村だ。ベンガーナから距離はそう遠くないとはいえ、早馬を使ったって一日はかかってしまう。

 魔法で気楽に飛んでこられるポップと違って、普通の人間であるムッシュが来るのはそれなりの労力が必要だ。
 不審顔のジャンクの問い掛けに、ムッシュはにっこりと笑ってから、やはり小声で囁いた。

「なに、ちょっとしたお礼とサービスですよ、こう見えても、わたくし、義理堅い男でしてね。素晴らしい傑作を描かせて頂いた恩返し……とでも思ってください」

(傑作って……自分で言うか、この男)

 スティーヌがムッシュの絵のモデルになったのは、ジャンクはもちろん知っている。だが、その絵が完成する前にベンガーナを出奔したジャンクやスティーヌは、絵の実物は見たことがない。

 それだけに、ジャンクの心のツッコミは辛辣だ。が、口にはださない彼の本音に気づくことなく、ムッシュはしたり顔で頷いて見せた。

「今日がマダム・スティーヌの誕生日だとでも言うのであれば、わたくしも野暮は致しませんでしたがね。それなら、家族そろって過ごすのがよろしいでしょうとも」

 いたずらっぽく輝かせた目で、ムッシュは器用にウインクを送る。

「ですが、今日が何の日かお聞きしては、ちょっとお節介をしてみたくもなりましてね。里帰りばかりが親孝行ではありませんからな」

「おい、それよりもさっさと、それ、寄越せ! あいつに気づかれるだろうが!」

 お茶を入れ終わったのかゆっくりと近づいてくるスティーヌの気配を感じて、ジャンクは焦る。

「気付かれるって、何をおっしゃっているんですか、どうせプレゼントするんだから別に構わないでしょう」

「バカッ、心の準備ってもんがあるだろうが! オレはもっとこう、タイミングとか狙ってだな、こっそりと渡す予定なんだよっ」

 焦りまくるジャンクを、ムッシュは可哀相な人を眺めやる目で見つめる。よりによってムッシュ・カタールにそんな視線を向けられるとはダメージも倍増だが、さらに追い討ちが掛かった。

「…………いい年をして、何を照れているんですか、貴方は? 新婚早々でもあるまいし、もっと堂々となさったらどうですか? 本当に昔と変わってらっしゃいませんねえ、この野暮天にも程のある唐変木は」

 やれやれと呆れたように首を振られ、ついでにサラッと聞き捨てならない文句を言われるとは踏んだり蹴ったりである。

「あなた、何を騒いでらっしゃるの? あら……それは、何なんですか?」

 しかも、この騒ぎのせいでスティーヌは気付いてしまったらしい。
 上品かつゴージャスな包み紙で覆われた箱と、きらびやかなリボンは男二人が奪い合うにはやたらと目につくものなのだから。

 ジャンクは意味もなく慌てふためくが、ムッシュは焦るどころか済ました顔で、わざとらしく声を張り上げた。

「ああ、実はわたくし、貴女に差し上げるためのこちらの品を、お届けに来たんですよ」
 そう言いながら、ムッシュは手にした箱を丁寧に差し出して見せた。

「ベンガーナデパートの宝石店で特別に注文をし、貴女のイメージに合わせた指輪です。注文が凝っていたのと、指定された職人が多忙だったために、作るのに時間が掛かりましたが……世界に一つしかない、貴女のためだけの指輪ですよ」

「え?」

 驚きながらも箱に手を伸ばしかけたスティーヌの指が触れる前に、ムッシュはそれをスッと引いた。

「ですが、渡すのはわたくしの役割ではありませんな。さあ、ちゃーんと貴方の手から愛する妻へ贈られるのがよろしいでしょう」

 そう言いながら、ムッシュは綺麗なプレゼントをジャンクの手に落とす。
 ごつごつし、鍛治仕事のせいで火傷の跡が絶えないジャンクの手にその箱は異様なまでに似合わないが、ムッシュは満足しきったように頷いて見せる。

「さて、それではお世話になりましたね、実に美味しいお茶でした! いやいやいや、名残は尽きませんがお引き止めは無用、男には行かねばならぬ時があるのです!」

 訪れも突然だったムッシュ・カタールは、引き上げるのもまた唐突だった。
 もう用は済んだとばかりにとさっさと立ち上がり、ジャンクどころかスティーヌでさえ社交辞令の引き止めの言葉をかける隙すら与えずにまくし立てる。

「あ、お見送りも無用ですから、お気遣いなく! また、いずれ機会がありましたらお目にかかりましょう! それでは、オー・ルヴォアールゥウ〜ッ♪」

 ひらりと――というよりは、よいしょと声を掛けつつ白馬にまたがったムッシュは、来た時と同じように、嵐のように慌ただしく去っていった。

 間の抜けた馬の足音が遠ざかっていった後……取り残された夫婦は、しばし無言で見つめ合う。
 その沈黙を破ったのは、ジャンクの方だった。

「…………やらぁ」

 そう言いながら、ジャンクは手にした包みをスティーヌへと差し出した。だが、彼女はそれを受け取らず、目を大きく見張りながら問う。

「あなた……、今日が何の日だか、覚えていたんですか? 今まで、何も言ってくれたことがないから、私はてっきり……」

「んなわけないだろ。……忘れたこたぁねえよ。ただ、言う程のもんでもないから、言わなかっただけだ」

 その言葉は、真実だった。実際、ジャンクは今日という日のことを、忘れたことなんて一度もない。
 ただ、若い頃は照れくさくて言い出せもせず、結婚数年も経つと子育てに追われて、それどころではなくなった。

 やっと子供が大きくなってきたかと思ったら……家出するわ、勇者一行に加わって魔王退治へ参戦するわ、その後もなにやら危険な旅に出かけるわと、これがもう親不孝オンパレードである。

 息子を案ずる妻の心痛を思えば、そうそう祝いごとなど持ち掛けられず、何年も過ぎてしまった。
 だが、世界が平和になり、息子もパプニカ王国に落ち着いて、それなりになんとかやっている今なら……気持ちにも余裕ができると思ったのだ。

「とにかく、まあ、そういうことだ。いいから受け取れや」

 夫のその促しにスティーヌはようやく口許に笑みを浮かべ、包みを受け取った。嬉しそうに包みを眺め、開けてもいいかと律義に聞いてくる。

「あー……、まあ、おめえにくれてやったものだからな。好きにしろよ」

 ぼりぼりと頭をかきながら、ジャンクはぶっきらぼうにそう言う。いかにも不機嫌そうな顔だが、その頬がわずかに赤くなっているのをスティーヌは見逃さなかった。
 丁寧に包みを解くと、ビロードを張った綺麗な箱が現れ、さらにその中から小さな指輪が現れた。

「まあ……っ」

 普段は色白のスティーヌの顔が、明るい桜色に染まる。
 真珠を中心にした、銀の指輪。

 一見シンプルなデザインに見せかけて、銀の土台部分には小さな宝石がはめ込まれて、キラキラと輝いている。
 それは、あつらえたようにスティーヌの指にぴったりと合った。

「ありがとう、あなた。高かったでしょう?」

 確かに、ジャンクにとっては奮発した散財だった。だが、値段的にはその指輪はそう高いものではない。

 それなのにジャンクの贈った指輪を、至上の宝でもあるかのように目を細めて見入っている妻を見ると、少しばかり心が痛む。
 ――本来なら、彼女が手に入れるのはそんな粗末な指輪などではなかったのだろうから。

「あのよ……。前から、一度聞きたかったんだが……」

 尋ねる声がつまりがちになるのを感じながら、ジャンクは何年もの間抱え込んでいた疑問を、口にした。

「おまえは、その……あの、なんだ。あの時、オレと一緒にベンガーナの城を飛び出したことを、後悔してねえのか?」

 若き日、ジャンクはベンガーナお抱えの宮廷鍛治職人であり、スティーヌはベンガーナ王宮の侍女だった。
 清楚で素朴な美貌と、分け隔てのない優しさを持つスティーヌは多くの宮廷人の目に留まり、求愛の対象となった。

 さすがに身分が低いために正妻へと望まれることはなかったが、彼女を第二夫人、もしくは愛人にしたいと考える者は少なからずいた。
 庶民感覚のジャンクにしてみれば腹立たしい習慣だが、城にあがる侍女にしたって半数以上はそれを目的にしている者も多い。

 元々、貴族は男も女も結婚は家柄のためであり、恋人は別という考えに慣れ親しんでいる。
 癒やしや気晴らしを求める貴族に、若さや肉体と引き換えに富を求める庶民――双方の望みが合意するなら、それはそれで一つの愛の形というものだろう。

 ましてや、王族の寵妃ともなれば公式な場で華やかに振る舞うことが許される、特別な地位だ。

 当時、最もスティーヌに執心していたベンガーナ大臣は先のベンガーナ王の甥であり、れっきとした王族の一員である。目立たないとはいえ、ベンガーナ王の息子に継ぐ王位継承権を持っているのだ。

 意外と愛妻家と評判のベンガーナ王は、妃以外の女性に目を向けなかったため、今もそうだが当時も寵妃は存在しなかった。
 それを考えれば、ベンガーナ大臣の寵妃となればスティーヌにはベンガーナ王国随一の女性の地位を約束されたも同然だっただろう。

 こんな片田舎の武器屋の女房や、宮廷鍛治職人の妻など比べ物にもならないぐらいの、目も眩むような富と名誉が彼女を待っていたかもしれないのだ――。

「あなたったら……今ごろ、それを聞くんですか」

 呆れたようにそう呟く口調……だが、それとは裏腹に、スティーヌの視線は優しいものであり、浮かべる笑顔はどこまでも柔らかい。
 その昔、ムッシュが『ひなげしの君』を描いた時と同じ瞳であり、笑顔だった。

「いいえ。私は一度も、あの時の選択を後悔したことなんか、ありませんよ」

「そ、そうか?」

「ええ、そうですよ。――あなたは、後悔なさっているんですか?」

 指輪をはめたばかりの手が、そっとジャンクに触れてくる。
 ほっそりとした形のよい手は、昔に比べればさすがに衰えを隠せない。日々の家事のせいで荒れてしまっているのは、主婦の宿命だろう。
 だが、その手は昔と変わらぬ優しさで、柔らかくジャンクの心を溶かす。

「いや……オレも、後悔なんざ、したこたぁねえな」

 ジャンクの武骨な手がスティーヌの華奢な手を包み、ゆっくりと引き寄せた――。






 ちょうど、22年前の今日。
 二人が駆け落ちをし、一緒に暮らそうと決意した日。この先の人生を共に生きようと決め、互いに目の前にいる人を伴侶と定めた日。
 夫婦水入らずで過ごす、二人だけの記念日だった――。

 


                                      END


《後書き》
 やりました、リベンジ企画っ。
 11/22…『いい夫婦の日』と去年知ってから、ジャンクとスティーヌの話を書きたかったんですがやっと果たせました!
 公式設定では、ポップが15歳の時にジャンクは45歳、スティーヌは41歳。
 年齢から逆算すると、ジャンク30歳、スティーヌ26歳の時にポップが生まれた計算になります。
 レイラやロカに比べるとちょっと遅めですね。


 結婚したのが遅かったのか、それとも子宝に恵まれるのが遅かったのかは悩むところです。……まあ個人的には、駆け落ちしたものの、ジャンクがスティーヌに実際に結婚を申し込むまで、二年や三年かかったんじゃないかという説も捨て難いですが(笑)
 この話はポップが17歳の時の話なので、ジャンクは47歳、スティーヌは43歳。
 

 ついでに、二人が駆け落ちしたのはジャンク25歳、スティーヌ21歳を想定しています♪
 いい年をこいて、心は中二のごとくデリケートなジャンクさんを書くのは、すんごく楽しかったです♪
 さらには、ムッシュ・カタール、大活躍ですv ……ああ、一回こっきりのネタキャラクターのつもりだったのに、時々思い出したように書きたくなるのはなぜでしょう?(笑)
 
 

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