『空っぽの腕』 |
(まるで、もう夜明けなんか来ないみたいだな……) 一瞬そう考えてから、馬鹿な考えだとポップは自分でそれを打ち消す。 ただ、今は見えないだけだ。 分かっているのに、それでも不安感が込み上げてくるのは……こんな時に決まって側に居てくれた人が、いなくなってしまったせいだ。 目や鼻の奥が、つーんと痛む。込み上げてくるものを押し殺そうと、ポップは毛布替わりのポンチョを深くかぶり、震える自分の身体を強く抱きしめる。 「……ポップ?」 とっくに眠ったと思っていたダイから呼び掛けられて、ポップはギクッと身を強張らせた。 「ポップ……寒いの?」 単純なダイは、ポップが震えているのを見てそう思ったらしい。 「ん……まあ、ちょっとな。でも、平気だよ」 背を向けたままそう答える。実際、寒くないわけでもない。 だが、我慢できないほどではない。 それがダイのポンチョだと気がついて、ポップは振り返ろうとした。だが、それよりも早く、二重のポンチョの下に小さな身体が滑り込んでくる。 「おい、いきなり、なにしてんだよ?」 驚くというよりは呆れてそう聞くと、ダイがしっかりとポップにしがみついたまま言い切った。 「だって、こうやって一緒に寝た方があったかいよ」 「…………ま、確かにな」 実際、それは認めないわけにはいかない。 そう言われて一瞬どきっとしたのは、心を読み取られたかと思ったせいだ。 だが、ダイに心配をかけたくないのと、弱っているところを見せたくはないという見栄が手伝って、ポップは普段通りに振る舞っているつもりだった。 (……って、分かってねえのかよ?) 眠れていないのをごまかすために、ポップは見張りをしているんだと、ダイには言ってきた。 「安心して、眠ってよ」 見た目よりずっと力の強い手が、ポップの身体の向きを強引に変えさせ、真正面から抱きついてくる。 「……バーカ、生意気言ってるんじゃねーよ、別におめえに守ってもらわなくったって、おれは平気だって」 ダイの頭を撫でるついでに、その身体を抱きしめ返すと、暖かさがより強まるような気がした。 それがひどく心地好くて――不安を薄れさせてくれた。今まで張り詰めていた気が、ゆるりと解けていくのが分かる。 (変な奴だよな……) ここは怪物がやたらと出てくる森の中で、自分達は現在地がどこかも分からないまま、絶賛迷子中で。 なのに……不思議に安心できるのはなぜなのか。 互いに互いの暖かさに暖められながら眠りに落ちようとした時――腕の中で、ダイがなにかを呟いた。 「え? 今、なんつったんだ、ダイ?」 思わず聞き返すと、今度ははっきりとその声が聞こえた。 「……ごめん……。ポップ……!!」 その言葉と同時に、腹に鈍い痛みを感じ、突然の落下感がポップを包む。 「ダイ――ッ!?」 無我夢中で叫び、ポップは精一杯手を伸ばしてダイを掴もうとした――。 「……っ!?」 目が覚めて、真っ先に見えたものは空っぽの腕だった。 しっかりと抱きかかえていたはずの、あの見慣れたぼさぼさ頭の少年の姿など、気配すらない。 (ああ……そっか……) あれは、夢だ。 それだけのことなのに、凄まじいまでの悪夢となって寝起きを台無しにしてくれる。 野宿とは程遠い、宿屋の一室。質素とはいえ、洗濯の行き届いた敷布や毛布や充分に寝心地がよく、暖かい。 ちゃんと毛布を被って寝ていたのはずなのに、やけに寒い。目覚めるなり、喉から勝手にこぼれだす咳は止まらないし、身体も妙に重い。 「風邪……引いた、かな」 胸に感じる疼痛をあえて無視してそう呟き、ポップはゆっくりと起き上がった。
宿代の支払いを済ませようとして、いきなりそう言われるのはいい気分のするものではない。 「え? おれ、いっつもこんなものだけど。それよりさ、もう出発するからお勘定頼むよ」 「まあ、それならいいんだけど……。今日は雪が降るとか言っていたし、気をつけておいき」
荒い息をつきながら、ポップは手近な木に寄りかかる。 さっきから、ずっとそうだった。 身体に負担のかかる野宿も避けて、わざわざ宿屋に泊まっているというのに、体調は良くなるどことか、日々、少しずつ悪くなっていくような気がする。 通常よりも格段にゆっくりと歩いているのに、いつも以上に身体が重たく感じられた。 宿を出た時は少し身体がだるい程度ですんだのに、歩けば歩く程、ひどくなっていく。段々と足が止まりがちになり、木にすがりつく時間が増えていく。 とうとう我慢できず、非常用の薬を飲もうと荷物を探って初めて、薬が切れていることに気づいた。 (どうしよう……?) この薬は、師であるマトリフが特別に調合してくれたものだ。発作を起こしそうな気配を感じたら飲むようにと念を押されてもらったもので、今までポップはそれに従ってきた。 無くなりそうになったら必ずその前に来るようにとも命じられたのだが、今回は旅が長引いたせいと体調の悪さが響いて、足りなくなってしまったらしい。 彼のところに戻りさえすれば、文句は言われるだろうが手当てもしてもらえるし、また薬も新しくくれるだろう。 ポップの目的地は、この森の奥にあるという古い遺跡だ。 その呪文が、迷宮移動呪文……リリルーラの上位呪文である可能性があったから。 瞬間移動呪文のように、無限の範囲に有効な呪文ではないのだ。 もし、その呪文が、どんな遠くに離れた仲間の元にでも行ける効果を持つ呪文だとしたら――。 瞬間移動呪文は、そうそう便利には使えない。知らない場所には行くことはできないのはもちろんだが、『知っている』場所に移動するのも、そう簡単ではない。 近くにもっと印象深い場所があれば、無意識にそっちに移動してしまうこともあるぐらいだ。 最悪の場合、また最初の地点から旅をやり直さなければならない可能性もあるのだ。それを思うと、安易に帰る道を選ぶわけにもいかない。 (このぐらいなら……まだ、大丈夫だよな) 左胸を服の上を押さえながら、ポップはまた、ゆっくりと歩きだした――。 「………………」 言葉も無く、ポップはがっくりと膝を突く。 巨大な石の柱を配置した、環状列石タイプの遺跡。 ポップの目は、魔法陣の説明の書かれた碑文に釘付けだった。 おまけに古すぎて石の柱は半ば以上壊れ、地面に配した石の置き場もずれてしまっている。これではもはや効力もない上に、正しい魔法陣の形すら推察もできない。 ショックが大きすぎて、立つこともできない。 「……?」 ぽとっと、口元からなにかが落ちる。下を見ると、雪の上に赤い染みが突然咲いていた。 それが自分が零した血の滴だと、ポップが気付いたのは次の血の塊が喉元に込み上げてきてからだった。 「う……っ!? …く……っ」 熱い塊が喉を逆流する不快感と、胸をかきむしるような痛みのどちらがより強いのか、自分でも判別できない。 ごく浅い雪は、倒れるポップを受け止める役には立ってくれない。ただ、服を濡らすだけで、体温を奪うだけだ。 (こんなところで……終わり、かよ…………) 自嘲じみた思いが込み上げてくるが、それはすぐに諦めへと変わった。 いつも、誰かに助けられてばかりだった。 空を見上げても、厚い雲に遮られて太陽も見えない。 ふと気がつくと、暖かくて、心地の良い場所にいた。 (ダイ……か?) さっきまでの胸の痛みも和らいでいるし、また、夢でも見ているのかとポップは思う。 「おお、目が覚めたかね」 ポップのすぐ目の前にいたのは、年老いた神父 はっきり言って、見覚えのない人だ。 寝かされているベッドも、部屋も、初めてみる場所だった。 なによりポップを失望させたのは、窓の外の光景だ。積もった雪の中ではしゃぎ合って遊んでいるのは、ダイじゃない。 「ここは……?」 起き上がろうとするポップを、老神父はやんわりと制した。 「ああ、無理に動かない方がいい」 ここは魔王軍との戦いで、親を失った子供達が暮らしている孤児院だと軽く説明しながら、老神父の皺の浮いた手で優しくポップの額に触れる。 「よかった、熱もずいぶんと引いたようだね。君は、森の奥で倒れていたんだ。もう少し発見されるのが遅かったら、手遅れだったかもしれないんだよ……君は、本当に運がよかった」 「運が、いい……ね。おれには、とてもそうは思えないけどな」 思わず投げやりになってしまうのは、絶望感の方が強かったせいだ。 もう探す当てすらも見つからなくなって、伝説のアイテムや呪文などを求めて探し始めているのに、それさえも成功しないときては、運がいいどころか、運に見放されているとしか思えない。 「何を言うのかね、君は幸運に恵まれたからこそ助かったんだよ。そうでもなければ、あんな所にいたのに助かるはずがなかったんだから」 ポップが倒れていた場所は、普段は誰も近寄らない場所だった。 クリスマスを祝うために、大人になってこの孤児院を巣立っていった者達が戻ってくる、年に一度の日。 「これが幸運と言わずに、何と呼ぶのかね? 私には、クリスマスの奇跡としか思えないね」 「クリスマス……そっか、もうそんな時期だったんだ」 すっかり忘れていたと、ポップはぼんやりと思う。ここのところ、ダイ捜索の旅でいっぱいいっぱいで時間の感覚すら無くしていた。 「そうだよ、君はクリスマスの幸運に助けられたんだ。それと、勇者様のおかげでね」 「勇者……」 突然、耳に飛び込んできた名前に、心臓が跳ね上がる。 「ああ、勇者様のおかげだよ。あの森は少し前まで、怪物が絶えない場所だったんだ。だが、勇者様が大魔王を倒してくれたからこそ、怪物がおとなしくなった。そうでなければ、君は発見される前に怪物に襲われていたかもしれないよ」 だから君は幸運なんだよと重ねて言い聞かせる神父は、知るまい。老神父が思っている以上に、その言葉が真実であることを。 「何があったか知らないが……せっかくのクリスマスに、そんな顔をするものではないよ」 「 そう言えば、ありがとうございます。助けてもらったのに、おれ、お礼も忘れてて……」 今更ながらだが、ポップはなんとか身を起こして頭を下げる。 「いや、気にすることはない。それより、どうかね、これも何かの縁だ。起きれるようなら、うちのクリスマスに参加してくれないかね? クリスマスのお客様は、いつだって歓迎するよ」 その誘いに、ポップは小さく頷いた――。 それは、質素なクリスマスだった。 だが、丁寧に掃除され、子供達の手で精一杯の飾りつけがされている聖堂には、意外なくらい大勢の人がいた。 「おっ、あんた、もうよくなったのかい? よかったな!」 「あ、おにいちゃん、こっち、こっち! この椅子、一番暖かい場所なんだよー」 「ご飯、食べれる? あっ、当番さーん、もう一人前分のご飯、なんとかなるー?」 はしゃいでいる人々は、突然紛れ込んだポップを快く歓迎してくれた。ポップの正体や事情を一切聞かないまま、優しくしてくれた。 年嵩の少女の引く拙いオルガンに合わせて、賛美歌を合唱する人々の表情は明るかった。 その後始まったこぢんまりとしたパーティは、素朴ながらも温かく、気持ちを和ませてくれた。 やっぱりあまり体調がよくなくて、パーティの途中で引き下がらせてもらい横になる羽目になったが、それでも温かい気持ちは続く。 (……そういやダイの奴、覚えているのかな……) 無人島育ちで、クリスマスやサンタクロースなんて知らなかったダイに、ポップはそれがどんなに楽しくて、幸せな日なのか教えてやったものだ。 ダイだけではない、魔王軍との戦いで頑張っているレオナや、マァムやヒュンケルや、仲間達全員とクリスマスを送りたいと思っていたのだ。 ちくんと胸が痛んだが、さっきまでのように絶望に潰されることなく、ポップは窓の外を眺めた。 だが――無くなってしまったわけじゃない。 (……そう、だよな) 自分で自分にそう言い聞かせながら、ポップは思う。 怒りながらもレオナはきっと、ポップは知りたいと願う情報を教えてくれるだろうから。 一応、ここら辺はパプニカ領域だし、レオナか三賢者に相談すれば補助金やら、何かが出るかもしれない。 ずっと気に掛けていながらも、ダイ捜索を優先して会いもしなかった仲間達に、なんだか無性に会いたくて仕方がない。 勇者捜索が打ち切られた同時にバラバラになってしまった仲間達だが、別に連絡を絶ったわけではない。 もし、レオナも知らないようならば、ポップから会いに行ってもいい。瞬間移動呪文を使えるポップには、それができるのだから。 そう心に決めて、ポップは目を閉じる。
END 《後書き》
ところで全くの余談になりますが、ポップを助けた孤児院は経営破綻寸前でした。いつになく里帰りする者が多かったのは、これが最後のクリスマスになるかもと……いう予感が強かったからなんですよ、実は。 |