『宝玉の輝き』

  
 

 最初は、それは目の錯覚だと思っていた。
 ただの日の加減か、それとも光の反射具合のせいだと思った。
 だが、そうではないと知った時……胸を震わせた感情があった――。

 

 

 その剣には、銘は刻まれてはいなかった。
 型は、そう珍しい物ではない。
 簡素とさえ言えるシンプルの作りの剣だが、それでいて一種の風格を感じさせるのは、さすがというべきか。

 それは、魔界随一と言われた武器職人、ロン・ベルクの最高傑作とも言える剣だ。
 だが、頑固な職人にありがちなことだが、彼は己の作品に銘は決して刻まない。己が名を誇るような真似を、彼は好まない。

 その剣に与えた名も、至ってシンプルだった。持ち主となる少年の名を冠しただけのもの。
 だが、この場所に訪れる人間はその剣を、名で呼ぶことはない。人々はその剣を、『勇者の剣』と呼んでいた――。

 

 

 

 台座に据えられた剣の周囲には、花が満ちていた。野に咲く花をまとめたような、素朴な、だが暖かみのある拙い花束がいくつも捧げられた台座。
 その中央にすっくと刺さった剣の宝玉部分に、白くたおやかな手が伸ばされる。

 まるで、慈しむ様に。
 優しく、赤い宝玉に触れている少女は、慎重にその輝きを確かめている。
 明るい太陽の下では目立たないが、その宝玉は常に光を放っているのだ。

 手で軽く宝玉に触れ、手の影でひさしを作るようにしてから、やっと分かる程度の淡い輝き。
 それを確認してからその少女――パプニカ王女レオナは、王女としての仮面を外して、振り返って鮮やかに笑った。

「今日も、ダイ君は元気みたいね。よかったわ」

 レオナのすぐ後に立ってたのは、ノヴァだ。
 以前は、北の勇者と呼ばれていた少年。今は、故郷リンガイアの軍隊で最年少で大佐の地位に就いている。

 パプニカ王国への親善大使としてやってきたノヴァは、現在、パプニカ城に短期滞在中だ。

 面倒な公務やら儀式張った会見などを経て、やっとかつての仲間として、腹を割って気楽に話をできる時間を持てた。
 レオナのプライベートな時間に散歩に誘われて、やってきたのがここだった。

「…………」

 だが、せっかく護衛兵やら侍女の目を気にしないで忌憚なく会話できるチャンスだというのに、言葉に詰まってしまう。
 レオナを初めとする勇者一行が、ダイを探しているのは王国関係者には有名な話だ。

 実際にダイが行方不明となった時に居合わせ、その後、ダイの生存が確認できるまでの一行の嘆きや絶望を知っているだけに、ノヴァにはうかつな慰めは口にできない。

 すぐに見つかるとか、もうすぐ会えるだなんて無責任な気休めは、相応しいとは思えない。
 だからノヴァは、確定している事実だけを口にした。

「その宝玉が輝いている限りは、持ち主は生きていると、先生が保証してくれましたからね」

 ダイの行方は、分からない。
 だが、彼の生存だけは確認できる。ダイの剣を作ったロン・ベルク自身が、断言したのだ。

 この剣の宝玉は、持ち主であるダイが生きている限り、輝き続けると。
 その言葉に、勇者一行がどれほど力づけられたことか。それ以来、一行にとって剣は特別の存在になった。
 ダイのことが不安になる度に、この剣の元に来る者は多い。

 だが、ノヴァがこの剣を見にくるのは、久し振りだ。
 祖国リンガイアの復興のための助力と、ロン・ベルクの弟子としての修行という二足草鞋を履いているノヴァは、ひどく忙しい生活を送っている。

 そのせいで、ダイの捜索にはほとんど手を出せない有様だが、気にしていないわけではない。
 いまだ行方不明のままの勇者ダイを、心配する気持ちはあるつもりだ。

 ノヴァもまた、ダイの剣の宝玉に手を触れ、輝きを確かめる。
 わずかとはいえ、確かな光はほんの少しだけ、心を慰めてくれる。
 レオナが高い身分をわきまえず、時間さえあればこの剣を確かめに来たがる気持ちが、分かるような気がする。

 そうやって二人で並び、黙って剣を見つめていると、聞き慣れた声がいきなり降ってきた。

「おーいっ、姫さん、ノヴァ。マリンさんが青くなって探してたぜ、そろそろ晩餐会の準備があるのにって」

 そう言いながら、崖の上にふわふわと浮かんでいるのは緑色の服を着た少年。
 普通なら有り得ない光景だが、彼にとっては当たり前の光景だ。
 なんと言っても、ポップは魔法使い。
 空を飛ぶなど、お手の物だ。

「やだ、そうだったわね。そろそろ戻らないと」

「おう、そうしてくれって。二人そろっていなくなってくれたせいで、マリンさんとアポロさんが大慌てしてたぜ。まったく、こんなとこでなにやってんだよ?」

 少しばかり不機嫌そうなポップに、レオナは済ました顔で言ってのけた。

「ちょっと、宝玉が曇ってるんじゃないかって、話をしていたのよ。ね?」

(……?)

 そんな話題など、かすりもしなかった。
 と、真正直に言い返すほど、ノヴァは純真な勇者様じゃない。
 が、ウインクするレオナに合わせ、賢くも口を噤んでいる程度には、ノヴァも成長している。

「え? マジかよ?」

 ポップは剣の側に舞い降りてくると、じーっと宝玉を見て、袖でそれを拭っては、もう一度覗きこむ。その様子を見て、ノヴァは息を飲んだ。

「……っ?!」

 驚きのままポップに呼び掛けようとしたノヴァの袖を引き、レオナは静かに唇の前に指を一本当てる。
 悪戯めかせたその視線を見て、ノヴァは今度もまた口を噤んだままにしておいた。

「なんだよ、なんともないじゃん。驚かせないでくれよな」

「あら、ごめんなさい、目の錯覚だったみたいね」

「ま、いいけどよ。それはそうと二人とも、すぐに城に戻ってくれよ」

「ええ、安心して。もう少ししたら帰るから」

「姫さんの『もう少し』って、いまいち信用出来ないんだけどな〜。ま、いいや。ノヴァはルーラ使えるだろ、姫さんを頼むぜ。おれはアポロさんを探して、二人が見つかったって伝えてくるから」

 慌ただしくそう言うと、ポップはふわりと地面を蹴って再び飛んでいく。宮廷魔道士見習いになってからだいぶ立つはずだが、落ち着きのなさは変わりないなと呆れながらも、ノヴァはその姿が十分に遠ざかるまで待った。
 と、同じくそれを待っていたのか、レオナの方から声をかけてくる。

「――見たでしょ?」

 質問と言うよりは、確認を求めてのような言葉に、ノヴァは頷く。

「ええ。最初は、目の錯覚かと思いましたが……」

 だが、見間違いではなかった。
 ダイの剣にポップが触れると、ほんの少しだが宝玉が明滅した。
 普段よりも強く、輝いていた。

「あたしも、最初はそう思ったわ。でも、何度か見かけて……違うって分かったの」

 それは、レオナだけが知ってる秘密だ。
 なにしろ、ポップ本人でさえそれに気がついていない。
 そもそもポップはあまり、ダイの剣の場所には来ない。

 特に、何も知らない一般人が勇者の剣に花を捧げるような時間には、居合わせるのさえ嫌がる。
 ポップがダイの剣の側に近寄るのは、誰もいない時間を狙うことが多い。

 あの意地っ張りな魔法使いは、ダイの剣を見つめる自分を、他人から見られるのを好まないのだろう。
 だから、ポップ本人は知らないのだ。

 誰が触っても、宝玉は光るものだと思っている。
 それがどんなに特別か知らないまま、他の誰にも出来ないことを易々とやってのけているなんて、夢にも思っていない。

「不思議ですね……あ、そうだ、先生に聞いてみましょうか。どうしてなのか理由が分かるかもしれないし」

「ありがとう。でも、別にいいのよ」

「え……っ?」

 まさか、申し出を断られるとは思っていなかったのだろう。ノヴァの表情に、当惑に浮かぶ。
 いくら仲間だという安心感があるとはいえ、己の感情をそのままストレートに見せるノヴァに、レオナは苦笑する。

 そんな素直さと若さを残したままで、国の中枢に関わっている彼の苦労を案じながらも、友人としてその率直さを嬉しく思う。

「申し出は嬉しいのよ? でも、ごめんなさいね……別に、『理由』なんて知りたくはないの」

 それは、真理を看破する正義の使徒にあるまじき思いかもしれない。だが、レオナの本心だ。
 ノヴァに提案されるまでもなく、ロン・ベルクに尋ねればもっと詳しい説明が聞けるだろうと考えたことは、レオナにもあった。

 だいたい、聞かなくても予測だけなら幾らでもつけられる。
 合理的な推理を、全く考えなかったわけではなかったのだ。
 あれはダイのための……言わば、竜の騎士に対応するために作られた剣だった。

 もしかすると、ポップの中に混ざり込んだ、ほんのわずかな竜の騎士の血が影響しているのかもしれない。
 あるいは、魔法力が問題なのかもしれない。

 あの剣は注ぎ込まれる魔法力にも耐え、鞘を使えば増幅さえ可能な作りになっていた。つまり、元々、魔法力によく反応するように配慮を凝らした剣なのだ。
 そしてポップには当時のダイをも凌ぐ、強大な魔法力が秘められている。その、ポップの魔法力に反応しているだけかもしれない。

 あの頑固者の偏屈職人な魔族は、言葉を飾らない。
 気紛れではあるが、こちらが筋を通しさえすれば、投げ掛けた質問にきちんと答えてくれるだけの律義さは持った男だ。

 彼の説明を聞けば、この密やかな疑問を綺麗に拭い去ってくるかもしれない。
 だが、レオナはそれをあえて知りたいとは思わなかった。
 知りたいのは、聞けば納得はできるがかえってがっかりしてしまう、つまらない真実などではない。

 サンタクロースの正体はどうせ両親なのだとせせら笑い、冷めた目でそれを確認しようと、誰が望むだろうか。
 そんな斜に構えた、大人ぶった子供の真似をしたいわけではない。

 弾む様なこの胸のときめきを抱え、わくわくしながら夢が叶うと信じ、目を瞑っていたいのだ。

「ダイ君とポップ君は、魔王との戦いの中で、最初から最後までずっと一緒にいて……誰よりも信頼し合っていたわ」

 独白のように、レオナは呟く。

「ちょっと妬けちゃうぐらいに、二人の絆は特別だった。かなわないなって思ったこと、一度や二度じゃないのよ?」

「気持ちが、分かる様な気がしますね。あの二人は、本当に特別だったから……」

 ノヴァが生真面目に、言葉を返す。
 そう思ったのは、ノヴァだけでもないだろう。他の誰が見ても、そうだったのだから。


「ええ。そんな二人だったからこそ……魂が、呼び合っているんだと思いたいの」

 今は、遠く離れているかもしれない。
 だが、互いを思う気持ちが、ダイの分身とも言えるあの剣を通じて、ほんの少しでも通じているといい。

 そう思う。
 それは、思うと言うよりは、願いに似ていた――。

 

 

 

 魔界。
 ダイは、ふと頭上を振り仰いだ。
 ダイの上に広がるのは、陰鬱な魔界の空。

 周囲に転がるのは、ダイがたった今切り捨てたばかりの魔物達であり、ヴェルザーは眠っている。
 ここには、ダイ一人しかいないはず……だが、それでも、誰かに呼ばれた様な気がした。
 一瞬だけとは言え、柔らかな『なにか』が、触れていったような気がした。
 それは、今となっては遠く離れてしまった、記憶の奥底にある『なにか』。
 それが何に似ていたのか、ダイは少しだけ考えた。

 この澱んだ魔界では決してふくことののない、心地好い風か。
 それとも、今はもう思い出すのも難しい、太陽の日差しの暖かみか。
 二度と会えなくなってしまった、羽の生えた小さな友達がすり寄ってくる感触か。

(……ううん、違うや)

 もっと暖かく、もっと懐かしく胸を焦がす記憶。
 ダイの頭を乱暴に、だが、そのくせいつだって温かく掻き混ぜてくれた、あの泣きたくなる程優しい手の感触。

 いつも自分の隣にいてくれた魔法使いが、当たり前の様に与えてくれたもの。
 失ってしまった今となってもその記憶は鮮明に、眩い輝きを伴ってダイの中に刻まれている。
 万に一つの希望を乗せて、ダイはその名前をそっと呟いた。

「ポップ……? おまえが、呼んだのか?」

 ダイの呼び掛けに、答えが戻ってくることはない。
 だが、それでもダイは答えを待つ様に、長い間、頭上の澱んだ空を見上げたまま動かなかった――。
                              END


《後書き》
 すっごく珍しくも、レオナとノヴァの会話でしたっ。しかし書き終わってから気付いたんですが、これって別にノヴァじゃなくても成立するような気も……(<-それを言ったらだめぇええっ!!)


 ところで、ダイの剣ってすっごく好きです。 シンプルなデザインだけど風格がある感じで、あーゆー木刀が欲しいな〜とか当時思っていました。……完全に病気なようです。
 現在は、あーゆー模造刀が欲しいなぁとか思ってます。………病気はさらに進行した模様です(笑)
 
 

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