『勇気ある選択』

 運命の日――。
 それが間近に迫っていることを、誰もが気がついてはいた。その日が訪れれば、多くの人が犠牲になる事実にも。

 力なき人々はなす術もなくうち震え、怯えているしかできなかった。
 だが、人々には希望があった。
 かつて世界を救った勇者……彼ならば、この追い詰められた状況を打破して、人々を救ってくれるのではないか、と――。

   






「頼む、ダイ君っ!! どうか、我々を……いや! パプニカの国を救うと思って、力を貸してほしい!」

「そうじゃ! このままでは国家存亡の……いや、世界平和の均衡すら崩れる恐れがあるんじゃ……っ!」

 すがりつく視線が、一斉に自分に注がれるのを感じて、ダイはためらった。
 三賢者を筆頭に、兵士や侍女、文官などがずらりと勢揃いしてダイに期待と懇願の瞳を向けている。

 その目には、覚えがあった。
 大戦中、魔王軍の脅威に晒された人々が、勇者に対して向けた眼差しだ。

「お願いします、勇者様……っ!」

「もう、頼れるのはあなただけなんです。どうか……どうか、我々を助けると思って……っ」

 一際熱心に救いを求めているのは、白い厨房着を着た一群の男達だった。男泣きに泣きながら、土下座せんばかりにダイに救いを求めている。

「無理は承知の上だが、これは君にしかできないことなんだ。悔しいが、私の力などでは何もできなかった……」

 悲痛そのものに呟くアポロの隣で、エイミとマリンが涙を零しながら互いを支えるように抱き合う。
 悲嘆に押し潰されそうな人々を前に、ダイは多大なプレッシャーを感じずにはいられない。

「え……でも……おれは……っ」

 人々の嘆きも、恐怖も良く分かる。
 ダイとて、それと同じ嘆きや恐怖をひしひしと感じているのだから。いや  ある意味では、ダイの感じている恐怖の方が、彼らよりも大きいかもしれない。
 人々が想像でしか知らない恐怖を、ダイは身をもって味わっているのだから。

「お願いです……っ、お助けを、勇者様っ!」

 切実な叫びが、ダイの胸を打つ。
 ダイだって、助けられるものなら助けたいとは思う。
 だが、想像を絶する存在への恐怖は、勇者とてぬぐいきれはしない。

 自分の力では到底及ばないと思える存在――それに立ち向かうことを期待されるプレッシャーを、ダイは久々に味わっていた。かつて、バーンに一度敗北し、逃げ出してしまった時のような息苦しさを思い出す。

(ポップ……!)

 とっさに心に浮かんだのは、その時、救いを与えてくれた魔法使いの少年だった。
 思わず目がポップを探して彷徨うが――城の主だった者がそろっているというのに、緑色の魔法衣を着た彼の姿は見当たらなかった。

 ドクン――。
 ダイの心臓が、嫌な感じに鼓動を打った。

「ポップは?」

 近くにいたバダックに声をかけると、正直者の老兵士はギクッとしたように顔を強張らせた。

「え、え〜と……、か、彼は……っ」

 言葉を詰まらせ、返事を探すように三賢者の顔を覗きこむバダックから、三人は慌てて明後日の方向を向く。
 そのわざとらしい挙動に、ダイの不安は高まった。

「ポップは……っ!? ポップは、どこにいるんだよっ!?」

 叫んだ声は、悲鳴に近いものだった――。

    






 旅支度に身を包み、簡素な荷物を手にしたポップは馬車に乗り込む寸前、名残惜しげに城を振り返った。
 世界有数の優美さを誇る白亜の居城、パプニカ城。
 どこか感慨深げな目で城を見上げるポップに、声をかけたのは兄弟子だった。

「本当に行ってしまうのか?」

 その問い掛けに、ポップはすぐには答えなかった。
 城を見上げたまま黙り込み――やがて、自嘲気味にヘラリと笑う。

「…………ダイは、こんな時に黙って旅立つおれを、許さないだろうな」

 ポップの言葉に、ヒュンケルは首肯も否定もしなかった。

「――オレには、おまえを責める言葉などない」

 ヒュンケルは近衛騎士隊長という役目柄、ポップとレオナのこれまでの行動をずっとつぶさに見つめてきた。
 レオナが今回、強硬に打ち出した政策の欠点も、それに最後の最後まで反対して食い下がったポップの努力も。

 それを知っている以上、ポップのこの選択を責められない。
 だからこそヒュンケルは、城中が大騒ぎする中、こっそりと目立たないように旅立とうとしているポップを黙って見送ろうとしている。

 徒歩で脱走しようとしていたポップを見兼ねて、馬車の手配をすませてやったのはヒュンケルだった。
 馬車の御者に丁重に運転するようにと命じるヒュンケルに、ポップは聞こえるか聞こえないかの声で呟いた。

「……ダイと姫さんのこと、よろしくな」

    

 駆歩で、軽快に馬車は走る。
 だが、御者の腕が良いせいか、馬車が上質なせいか、揺れは少なかった。
 客席に一人、腰掛けた大魔道士は目を閉じ、深く俯いた姿勢のまま動かなかった。

 無言のまま、まるで懺悔をしているかのごとく微動だにしないまま頭を垂れている。
 ――と、馬車の速度が不意に上がったせいで、その頭がカックンとずれる。

「う、うあ? な、なんだ!?」

 と、どこか間の抜けた声と共にあげた顔には、しっかりとよだれの跡なんかがついていたりしたが、御者は見なかったことにした。
 というか、正直見ている余裕もない。

「こっ、こらっ、静まれっ! 静まるんだっ!」

 命じながら必死で手綱を引く業者も空しく、馬車はいきなり暴走していた。急に揺れが激しくなった馬車に戸惑いながら、ポップは何があったのか確かめようと、窓から身を乗りだして周囲を見回す。
 そして、見た。

「ポップーッ!!」

 土煙を高く舞い上げつつ、馬以上の速度でぐんぐん走ってくる一人の少年の姿を。
 ――はっきり言って、異様な光景である。

「げっ、ダイッ!?」

 気づいた途端、ポップは慌てて窓から首を引っ込め、扉を全開にした。ポップがそのまま馬車から飛び下りようとするのを悟り、御者がすっとんきょうな声をあげる。

「あっ、大魔道士様っ、危ないですよっ!?」

 言うまでもないことだが、全力疾走する馬車から飛び下りたら只ではすまない。
 が、ポップは大魔道士だ。
 空を飛ぶなどはお手の物、その気になれば一瞬で世界の果てまでも瞬間移動できる。

 が、いかんせん魔法力と肉体能力は別物だ。一般人よりも鍛えてはいるとは言え、肉体的にはポップは普通の人間と大差はない。

 揺れる馬車から飛び上がるタイミングが掴めず、躊躇した数瞬が結局は勝敗を決した。 ポップが空中に飛び出すと同時に、ダイが自前のジャンプ力で彼目がけて弾丸のように飛んで来る。

「掴まえたぁっ!」

「うわぁっ!?」

 空中でものの見事にポップを抱き留めたダイは、そのまま地面にゴロゴロと転がって勢いを殺す。
 その際、ポップには極力被害が及ばないようにと庇うのを忘れないようにしている努力は立派なものだ。

 が、さすがに地べたを急激に何回転もすればふらつくのが当たり前で、やっと落ち着いた時はポップは目まいと衝撃のせいでクラクラだった。
 が、ダイは元気いっぱいだった。

「ポップ、大丈夫?」

「だっ、大丈夫なわけねーだろっ!? だいたい、なんでてめーは走って馬車に追いついてくるんだよっ!? 非常識にもほどがある奴だなっ、せめて飛んでこい、飛んで!」

 まあ、一般人から見れば空を飛ぶ人間の方が遥かに非常識で珍しいだろうが、馬以上の早さを以て走ってくる少年の図は、あまりにも常軌を逸していた。
 馬が怯えるのも無理はない。

「だって、おれ、飛ぶのあんま得意じゃないもん」

 ポップだって知っているくせに、とダイは口を尖らせる。
 飛翔呪文を使えるとは言え、ダイの飛行は実はそれほど巧くはない。その最大の原因は、魔界で限定された結界範囲内にずっといたせいだ。

 飛んだところで結界の中しか移動できないため、ダイは飛翔呪文はほとんど使わなくなった。そのせいで、彼の飛翔能力は大戦時とほぼ変わらない。
 単に早く飛ぶとか、どこかに向かうだけならまだしも、先に行く馬車を追いかけるのは難しい。

 低い場所を地面にぶつからないように飛ぶのには、意外と技術がいるものなのだ。
 最悪の場合は、ポップの乗っている馬車に激突する危険性もあることを考えれば、ダイとしては飛んで追いかけるのは論外だった。 得意の体力を活かして全力疾走した方が、よっぽど確実だ。

「ちくしょーっ、やっぱり飛んで逃げればよかったぜ……っ! ヒュンケルの言うことなんざ、聞くんじゃなかったっ!」

 心底悔しそうに、ポップがぼやく。
 ポップにとって、見張りに気付かれないように城から脱走するのはそう難しくはない。

 城内から直接、瞬間移動呪文で逃げ出せば光の軌跡が見張りの兵士に見つかるが、飛翔呪文でこっそりと塀を乗り越え、城からある程度離れさえすれば問題はない。

 今回もそうするつもりだったのだが、寝不足のままで飛翔呪文を使うのは危ないのなんのとうるさく言われ、馬車を進められたのだ。
 まあ、実際に眠かったからちょうどいいかと思ったのだが、こんな風にダイに追いかけられるだなんて想定外だ。

「こらーっ、ダイっ、いい加減で手ェ、離しやがれっ」

 わめき立て、ついでに暴れまくるポップの腰にしっかとしがみついたダイは、きっぱりと言い返してきた。

「やだっ、絶対離さないっ!」

「力任せにしがみつくな〜っ、骨が折れるだろっ!! いてっ、いてぇええっって!!」

 大袈裟に悲鳴を上げるポップに対して、ダイは決して手を緩めようとしない。

「今日はいっくらポップが泣きわめいたって、その手には乗らないよ! おれ、ちゃんと手加減してるもん! ホイミスライムを掴まえる時より、力入れてないし!」

「なんだよ、そのたとえはっ!?」

「だって、ぶちスライムを掴まえるぐらい力込めたら、ポップ、痛がるだろ?」

「だからてめえのたとえは相変わらず微妙すぎて、わけが分からねえんだよっ!」

 正直、ポップにはスライムの固さに違いがあるかどうかでさえ、分からない。
 が、あのぷにぷにした身体が特徴の弱小怪物と一緒にされるのは、どうにもムカつくものがあった。

「離せっつーのっ、このっ! このぉっ!」

 げしげしと容赦なくダイに蹴りを入れてみたりもするが、身体だけはやたらと頑丈なダイは避けもしない。

「い〜や〜だ〜っ!」

 そう叫んで、ますますしっかりと抱きついているだけだ。
 ポップが逃げようと動くと、ダイは素直にずるずると引きずられている。が、手はがっちりと掴んだまま離さないので、ポップがカタツムリのような速度でいくらすすんでも逃げられる道理がない。

「ポップッ、ずるいや! おれに内緒で、一人だけこっそりと逃げようだなんてっ!」

「逃げるに決まってるだろ、地獄絵図が待ち構えているって分かっていて、逃げないわけがないだろっ!」

「だからって、おれをおいてくなんて、ひどいじゃないかっ! おれ一人で地獄に行くなんてやだっ!」

「アホかっ、魔界に行ったって生き延びていた勇者が何を言ってやがるっ!?」

「勇者だってなんだって、怖いものは怖いよっ!」

「それがどうした、おれだって怖いわっ! つーか、おまえの十倍以上は怖い自信があるぞっ! それにおまえ勇者だろ、勇気は勇者の専売特許だろうがっ」

「おれが勇者だって言うんなら、ポップだって勇気の使徒じゃないかっ!」

「バカヤローッ、おまえ、あんな大まぐれをまだ信じてたのかよ、おれは未だにアレはなんかの間違いだったんじゃないかって思ってんだぞっ!」

「って、そんなわけないだろっ! ナニ情けないこと威張ってんだよっ!?」

 激しくもどこか馬鹿馬鹿しい言い争いを繰り広げる勇者と魔法使いの姿を、ようやく馬を静めた御者が呆れ顔で見つめていたりしたが、二人ともそれに気が付きもしなかった。
 ずっしりと重く感じるダイを引きずりつつ、ポップは思わず舌打ちをついた。

(ちっ、ダイの野郎め……!)

 引きずられるままのダイは、足を踏ん張ろうとはしていない。
 だからこそ、ポップの力でもダイを引きずっていられるのだが、それは本来なら有り得ないはずのことだ。

 ダイが本気でポップを引き止めようとするなら、ポップがどんなに力を込めたところでビクともしないだろう。
 体重差はほとんどないにしても(というか、筋肉質なダイの方が微妙に上なのだが)、ダイとポップでは体力の差がはっきりしているのだから。

 だいたい、ダイがその気ならポップを抱え上げるなんて朝飯前のはずだ。それなのに、あえてポップに引きずられるままでいる理由……それに気付いた途端、大魔道士はぴたりと抵抗を止めた。

「――おい。なんで、本気で止めようとしないんだよ?」

「え? だって……」

 と、初めてダイは口ごもった。
 その表情を見ただけで、ポップには分かってしまった。
 ここまで密着されてしまうと瞬間移動呪文で逃げようとしても、一緒に発動してしまう。
 だから、ダイがもし本気になったのなら、ポップがこの場で対抗するには魔法を使うより他に道はない。
 攻撃魔法を放ったなら、術者自身もダメージを負ってしまう距離だが、いざとなったらポップにはそうする覚悟はある。

 だが、ダイもそれを知っている。
 知っているからこそ、ポップが無茶な真似をしないよう、あえて無抵抗に徹しているのだと、分かってしまった。

「これ、おれのわがままだから……だから、ポップにケガさせたりとか、無理とか、させたくないんだけど……っ、でも……っ! このままじゃ、みんながとんでもないことになっちゃうから……っ」

 未だにポップの腰にしがみついたままのダイは、顔を上げて真っ直ぐに彼を見上げた。
「おれ一人じゃ、無理かもしれないけど、ポップと一緒だったら……怖いの、我慢、できると思うんだ。だから……っ」

 手伝ってほしい、と、言葉にはしないまま訴えるダイの目を、ポップは見下ろしていた。 たった一つの救いを求める、子犬のように一途な目――。

(これ、無意識の内に計算でやってんのか? それとも純然たる天然か?)

 どっちにしてもタチが悪いなと思いながら、ポップは深々と溜め息をつく。
 ……結局は、ポップはダイには甘いのだ。

「しゃーねえな、分かったよ。付き合ってやるって」

 ぽんと頭に手をおいて撫でると、ダイはパッと嬉しそうな顔をして笑った――。

   






 そこは、魔界。
 ――ではなくて、パプニカ城の王族専用台所だった。

 王族専用と銘打っているとものの、正確に言うならばここは王族、もしくはそれに準じる身分の者に作る食事を作るための場所であり、決して王族が使うことを想定しているわけではない。

 だが、現城主であるレオナがたって希望しては、料理長としても断りきれなかったのだろう。
 だが、彼がこの場所を見れば、自分の選択を後悔しまくることは請け合いである。

 全ての調理人が心を込めて掃除をし、丁寧に使っていた台所は今や魔境に等しかった。鼻を突く異臭が漂い、壁やら床やら果ては天井にまで、モダンアートも真っ青な大胆さでどす黒い染みが幾つも散っている。

 傷をつけないようにとタワシも禁じて柔らかいスポンジを使って磨き、長年かけて使い込まれた鍋やフライパンは、ボコボコに変形したり、焦げ付いたり、果ては穴まで開いている始末だ。

 厳選された食材の数々は姫君の手によって華麗に調理された結果……見るも無残な『食べられない物体』と化して、死屍累々と屍のごとくその辺のテーブルの上に散らばっている。

 瘴気すら漂う変わり果てた台所の中で、フリルのついた可愛らしいエプロンをつけて、鼻歌交じりに料理に勤しんでいるのは魔王の最終進化形……ではなく、レオナその人だった。

 泡だて器をカシャカシャと鳴らしながらボールをかき混ぜている図は、いかにもスィーツ作りを楽しむ少女という風情で微笑ましい。
 …………そのボールから妙に酸っぱい異臭と、こぼれ落ちんばかりのどす黒い泡と、

『ボギャラグギョオゲボボボォオ……ッ』

 などと言う、理解不明な音が流れ出してさえこなければ。

「あー、おれ、ちょっと急用を思い出した……」

 顔を青ざめさせてくるっと戸口でユーターンしかけたポップの腕を掴み、ダイはずんずかと魔界ならぬ台所へと足を踏み入れる。

「あら、ダイ君? だめよ、今、台所に入ってきちゃ。それにこのシーズンはね、女の子だけしか台所に入っちゃいけないものなのよ?」

 にこやかにたしなめるレオナに向かって、言葉を発したのはダイだった。

「あ、あのさー、レオナ。そのー……」

 と、ダイは彼にしては珍しく口ごもる。が、入り口の扉の影からそっと成り行きを見守る人々の気配と、何よりも自分のすぐ隣にいる相棒の存在が、ダイを勇気づけてくれた。
 大きく息を吸い込み、ダイはずっと期待されていた言葉を口にした。

「ばれんたいん、に……みんなにチョコ配るの、やめにしない?」

   






 レオナが、今年、唐突に言い出した新政策。
 バレンタインデーに、国民にチョコレートを無料配布するというアイデアだった。
 それは、特に目新しいものとは言えない。

 現に、カール王国ではすでに定着している新習慣であり、国王自らが作った手作り菓子をもらえるのを国民も喜んでいる。
 それを真似て行いたいと言う政策に、最初は誰もが諸手を挙げて賛成をした。

 まだまだ、一般庶民にとってはチョコレートは贅沢品でありそうそう手に入るものではない。
 それを振る舞うのは喜ばれるだろうと、誰もが思った――レオナ自らが、全ての菓子造りを行い、全責任を持つと宣言するまでは。

 それからは、恐怖政治の始まりだった。
 ポップや三賢者を筆頭に、ありとあらゆる者達が手段を尽くしてレオナを説得しようとしたのだが、一度言い出した言葉を撤回するようなやわなお姫様ではない。

 国家予算削減を盾に迫れば、私財である宝石を手放して金を作ればいいと言い、惜しげもなく実行した。
 膨大な数を作るのは大変だろうと止めても、不屈の根性と努力で、寝る間も惜しんでせっせと調理に勤しむ。

 ……レオナの料理の腕が人並みならば、なんと素晴らしく国民思いな君主かと褒め称えたいところだ。
 が、惜しむらくは、彼女の料理は――壊滅的だった。
 それも、半端なレベルなんかではない。

 それこそ、レオナ手製のチョコを一般市民に配れば革命が勃発し、世界各国の王に友好の証しに配れば、戦争が勃発しかねないレベルに。
 しかも、恐ろしいことにレオナは自分の料理音痴っぷりを全く自覚してはいない。

 敬愛する君主に、それを進言できるような勇ある者もいないまま、誰もが黙って見守るしかできなかった。
 来たるべき日に起こるであろう悲劇と恐怖を、城に住む者ならば誰もが承知していた。 だからこそ、何がなんでも彼女を止めたいと願い――、勇者に最後の希望を託したのだ。

   






「やめるって……どうして?」

 当惑の表情を見せるレオナを見て、ダイの胸は痛む。
 ダイは、レオナが大好きだ。
 彼女がやりたいと思うことなら、できるだけやらせてあげたいと思っている。……が、今回ばかりはダメだ。

 しかし、彼女を傷つけたくはない。
 彼女を傷つけず、しかし、彼女のこの愚行をやめさせる方法――それを、考えてくれたのはポップだった。

 ポップが教えてくれた言葉を必死になって思い出しながら、ダイはできるだけ自然に聞こえるように言った。

「レオナの作ったチョコを、他の人に食べさせたくないんだよ」

 その言葉を言うのは、何の苦労もなかった。
 それはそれでダイの本心だし、それだけに熱意も籠もる。
 が、続けての言葉を言うには、勇気が必要だった。

「…………っ、……っ」

 なかなか言葉にならずに、息が詰まる。戦いの場でも、これほど緊張したことなんてざらにはない。

 訝しげに自分を見るレオナが変に思わないかと焦れば焦る程、言葉は喉に詰まって息すらままならない。
 そんなダイの窮状を救ってくれたのは、すぐ隣にいる魔法使いだった。

「ダイ」

 たった一言呼び掛け、繋いでいた手を軽く握ってくれる。それだけで、嘘のように勇気が湧いてきた。
 ダイは大きく息を吸い込み、ギュッと目を閉じた。そして、勇気をふり絞って決めの台詞を口にする。

「お、おれだけが食べたい、んだ……っ」

    






 真っ暗な世界。
 ――まあ、目を閉じているから当然だが、暗闇の中、妙に静かな沈黙にダイは不安を感じずにはいられなかった。

(し、失敗……だった、のかな?)

 ポップはそう言えばいいと教えてくれたが、ダイにはこの言葉がどうして決め手になるのか分からなかった。
 こんなわがままな意見、公平や正義を重んじるレオナを怒らせただけじゃないだろうか――そう思いながら恐る恐る目を開ける。

 すると……そこには頬を薔薇色に輝かせ、嬉しそうに目をきらめかせたレオナの姿があった。

「そ……っ、そうなのっ!? いやだっ、ダイ君ったら、それならそれで早く言ってくれればよかったのにー♪」

 そう叫ぶ声は、明らかに弾んでいた。

「もうっ、こんなに急に言われちゃうなんて、困っちゃうわ〜♪、もうバレンタインデーは明日なのに♪ でもっ、そうねっ、そうよねっ、い、いいわ、ダイ君が望むのなら……叶えてあげないわけには、いかないわよね〜っ♪」

 よほど嬉しいのかくるくるとその場で踊るように回りだしたレオナがそう言った途端、調理場の入り口から大歓声があがった。
 途端に一斉に調理場に入ってきた人々は、口々にレオナに歓喜の声を投げ掛ける。

「そうですよっ、姫様っ! ええ、女の子は政策なんかよりもずっと大切なものがあるんですともっ!」

 国家を担うべき三賢者エイミがとんでもない台詞をさらりと吐くが、この際誰も気にしてはいなかった。

「でも、公約を破るのは少し心が痛むんだけど……」

「ご安心を、姫様っ! 姫様の名において義理チョコを配る手配はすでに済ませておきました! 市販品ですが、姫様からのメッセージカードの写しを添えることで、公約を果たしたことになるでしょうとも! あ、メッセージの写しは侍女達に手分けをさせ、すでに出来ております!」

 あまりにも手際の良すぎるアポロの準備を、普段のレオナなら怪しんだだろう。だが、今のレオナは聡明な王女ではなく、舞い上がりまくった恋乙女だった。

「まあ、仕方がないわよね〜。だって、ダイ君がヤ・キ・モ・チを妬いちゃったりなんかしてくれたんですものっ、他の人のためにチョコなんか作っている場合じゃないわ!」

 仕方がないだの困るだのいいながら、めっちゃイイ笑顔のまま、レオナはいそいそと新たなチョコレート(?)の製作に取り掛かる。

 それを見て青ざめたのは、ダイただ一人だった。思わず、救いを求めるようにポップを見上げるダイだったが、その行動はレオナの目に留まった。
 しかし、彼女は明らかにその意味を誤解したようだった。

「あ、ダイ君……そんな、ポップ君に遠慮しなくてもいいのよ。そうね、ポップ君にだけは、ちゃーんとチョコを作ってあげるから安心して」

「えっ!? い、いやっ、いいよっ!?」

 と、ポップは突然降って湧いた災厄にブンブン首を振って拒絶するが、浮かれたレオナは聞く耳を持たなかった。

「いいのよー、遠慮なんて君らしくもない。だいたい、去年もヒュンケルよりチョコが少ないって嘆いていたじゃない、協力してあげるわ。期待してね、明日のために練習を重ねた、スペシャルな特製なんだから!」

 でも、ポップ君の分は義理だけどねとウインクして笑うレオナに、ポップは応える余裕すらなかった。

 それこそ、たった今奈落の底に突き落とされたような絶望の表情を浮かべ、がっくりと膝を突く。
 そのポップの肩に手をおいたのは、ダイだった。

「ポップ……オレ達、最後まで一緒だよ」

 ダイの顔には、全てを諦めきったような寂しげな微笑みが浮かんでいた――。


   

 かくして、パプニカ王国は……いや、世界は救われた。王女レオナが暗黒歴史のページを塗り替えるという忌まわしき未来は、回避されたのだ。
 だが、その立て役者となった勇者とその魔法使いの運命は、過酷だった。
 昨年に引き続き今年もまた、彼ら二人の命運は決したのであった――。

END


《後書き》
 二度目のバレンタイン話です(正確には、バレンタインデーイヴ話) ポイズンクッキング、レベルアーップッ(笑)
 いや〜、こーゆーおバカ話を書くのって楽しいですっ。本当はバレンタインデーにアップは間に合わないかなと思ったんですが、楽しさの余り一気に書き上げちゃいましたv
 
 

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