『とある兵士の物語』 |
「で、ここがこの城で最も大切な部分……、王族方が暮らしておられるプライベートな区間へ繋がる回廊だ。いざという時はこの通路を命に代えてもお守りするのが、我ら近衛兵の役目なんだぞ」 先輩兵士の得意げな声を聞きながら、ジャックは緊張しまくって城の回廊を歩いていた。ともすれば、手と足が一緒に動きそうになってしまう。 なにせ、ジャックは弱冠21才の新米近衛兵。新米も新米、今日、初めて近衛兵と正式に認められたばかりなのだから。 「おいおい、そんなに緊張することはないだろう?」 「無理ですよ、緊張もしますよ。だって、やっと憧れ続けていた近衛兵の任務につけるんですからね」 ジャックは少年のように目を輝かせ、憧れの眼差しで周囲を眺めやる。 いっそ芸術品と称えたくなるような美しさは、踏むのが申し訳なくなるぐらいだ。 ジャックが今まで出入りを許されていた――というか、一般開放されている部分とは訳が違う。 国民の陳情を受けるための部屋や、各部署に分けられた文官用の部屋や、城に勤める兵士や文官、侍女などが食事をするための大食堂などは、今までジャックも何度となく入ったことがある。 多くの人の出入りが想定されている部分なだけに、開放部分は清潔で機能的であることが重視されている。 この回廊部分のように、見た目の優美さまでも追及されつくした印象はない。 「ははは、だがあまり緊張したり気を張りすぎると、後が続かないぞ」 一回り以上に年の離れた先輩兵士は、人の良さそうな笑顔で笑いながらやんわりと新人の気負いを取り払ってくれる。 「ええ、分かっているんですけど、やっぱり力が入りますよ。オレにとって、近衛兵になるのはずっと憧れでしたから……」 「そう言えば、おまえは入隊の時から近衛兵になるのを希望していたらしいな。やっと念願が叶ったというわけか」 「はい! 本当に苦労しましたけど、頑張ってよかったです……!」 今までの苦労が報われた喜びと、実際に夢がかなった感動で、ジャックは高鳴る胸を押さえられなかった――。
城勤めの兵士――近衛兵になる。 国境や辺境付近など、要所の警備をするための兵士の数が一番多いのだ。下級兵士の場合は、下手をすると一度も城に上がることもないまま、一生を地方で送るのも珍しくはない。 何しろ、城といえば国の中枢だ。信用の出来ない者をそうそう受け入れるはずがない。 特に普段から武器の所持を許される近衛兵には、通常の兵士に対する以上の忠義と誠実さが要求される。 だが、それは可能ではあっても、かなり難しい。 城の内部を守る兵士の数は常に一定と規定があるため、前任者が移動にならなければ新人も募集しない不文律もある。運が悪ければ近衛兵を希望してもかなえられず、十年やそこらかかることもあると聞いたものだ。 兵士になって三年余りで念願が叶い、憧れの近衛兵になれたのだから。 なにしろジャックは由緒正しい家柄どころか、親の顔すらも分からない孤児院出身者だ。 持って生まれた家系よりも、その人の持つ能力、ひいては自分を磨く努力こそが評価されるべきだとの国是を掲げている。 そのため、ジャックの前にも平等にチャンスは開かれていた。 パプニカの法律や歴史についての知識の他に、魔法を使えるか否かも確かめられる。賢者の国として名高いパプニカとは言え、魔法を使える人間はやはり少数派だ。 もっとも兵士を希望する人間は、基本、魔法が使えても微力なものにすぎないと相場が決まっているため、魔法を使えたからといって必ずしも有利になるわけではないが。 それでも、自分があの難関の試験を超えられたのは、魔法のおかげではないかとジャックは密かに考えている。 そのおかげかどうかはいまだに確認出来ないが、とにかくジャックは18才で兵士になり、二年の経験を経て見事試験に合格した。 田舎出身のジャックにしてみれば、賑やかな城下町はまさに王都という雰囲気があふれていて、目が眩みそうだった。 城に勤めると言っても、当然、最初の頃は内部での任務は任せられない。主に城の外部や近隣を守る地味な任務を与えられるのが、通例だ。 いくら本人が近衛兵を希望していても、都会暮らしで生活が乱れるようでは、近衛兵として失格だ。 城の外部を守る一般兵士ではなく、内部を守る近衛兵と正式に認められ、貴人の護衛も任せられるようになるのだ。 城内を案内され、初任務となる王宮回廊への見張りの交替を申し付けられたのさえ、嬉しくてたまらない。 「いいか、王宮回廊の警備をする場合、我ら近衛兵の定位置はここだ」 先輩が指し示したのは、ちょうど螺旋階段へ繋がる入り口の手前であり、二人の近衛兵が並んで立っている、 「どうだ、変わりはあったか?」 「はっ、異常はありません。経過報告はこちらに記録してございます」 「うむ、確かに引き継いだ。もう上がってよいぞ」 先任者から一冊の記録帳を受け取りそう声をかけると、二人の近衛兵は敬礼をして去っていく。 「いいか、この回廊より奥に行くには、許可が必要だ。毎朝、その日、この回廊を通ってもよい人物の連絡が来る。その人物と一致しない者が通ろうとした場合は、ただちに封鎖して詰め所に確認を取ること。これが、基本だ」 先輩の説明と、分厚く記述がやたらと細かい記録帳を交互に注意を払いつつ、ジャックは疑問を口にした。 「あの……この階段は、どこに通じているんですか?」 「うむ。ここは、大魔道士ポップ様の私室に通じる場所だ」 「え!? ポップ様って、あの勇者様の一行の、あのポップ様ですか!?」 「ああ、その通りだ」 無造作に先輩は答えるが、ジャックとしては緊張が込み上げてくるのを堪えきれない。 庶民出身でありながら、卓越した魔法の才能に恵まれて勇者一行の魔法使いとなった、天才的な若き魔法使い。 その後、勇者が行方不明となった時は率先して勇者を捜し、勇者帰還後はパプニカの重職に就任したという――。 有名人を間近にして浮つくなどとは近衛兵としては失格ものだが、そこは新人の悲しさ、そうそう仕事と割り切れはしない。 「この上部は塔になっていて、しかも塔の内部で魔法が使われた場合はここのベルが鳴り、すぐに分かる仕掛けになっている。もし、万一のことがあった場合は、すぐに一人が兵士詰め所に連絡を入れ、もう一人は大魔道士様の安否を確認するように」 事務的にそう言いながら、先輩はさらに念を押す。 「それだけではないぞ、出入りの時間をチェックするのも大切な仕事だ。もし、大魔道士様が何の連絡もなく1昼夜以上この部屋にお戻りにならなかった場合、上に報告することが義務づけられている。これは部屋においでになる場合も同様で、毎朝、決められた時間までにお起きにならない場合は、様子をご確認するように」 「は、はいっ」 いっぺんに与えられた指示に、果たして全部覚えられるだろうかと心配しながらも、ジャックは少しばかり引っ掛かるものがあった。 「あの……、ずいぶんと大魔道士様に対する注意事項が多いんですね」 ジャックが王宮に勤めるのは、今日が初日だ。 さすがに口には出さなかったものの、ジャックの脳裏に浮かんだ疑問など先輩にはお見通しだったのだろう。 「……口外無用だぞ。ここだけの話だが……ポップ様はあまり身体がお丈夫ではないのだ」 「こら、大声をだすな! いいか、これは極秘情報なのだからな」 過ぎた力は、身を滅ぼす。 「生まれつきの体質では、ないそうなのだ。魔王軍との戦いや、勇者様捜索の際にご無理をされたせいで、身体を壊されたのだと聞いている。幾度か瀕死にまでなられたこともあるし、一番ひどい時はよく寝込まれておられた」 具合が悪くなって、朝、起きられないことも度々あったため、この決まりが作られたのだと先輩は淡々と語った。 「とは言っても、今はだいぶ回復されてほとんど日常生活に障りはないし、無理をし過ぎなければ何の問題もないそうだ。ただ……あの方もお忙しい方だからな」 「ええ、そうだと伺ったことがあります」 まだ下っ端兵士のジャックでさえ、パプニカ王国の中枢を任されている大魔道士ポップや三賢者の多忙ぶりは噂に聞いている。 「お仕事に専念されるあまり、ご自分の身体も顧みずに無理をされることも多い。だが、ポップ様はパプニカにとってはなくてはならぬ方だ……周囲で気を配って差し上げなければな」 任務以上の熱意を込めて、先輩兵士はしみじみと呟いた。 「ポップ様は、ご自分の体調を必要以上に気遣われるのが、お嫌いだ。 「は……っ、はいっ!」 国家機密ともいうべき重要な話を打ち明けられた誉れに、ジャックは背筋を目一杯伸ばして敬礼をする。 「まあ、そう堅くなるな。ポップ様は気さくで、明るいお人柄だ。それに年齢もお若いし、あまり堅苦しいのはお好きではない。その点は、勇者様や姫様も同じだな」 と、言われたところで、新人の気負いが減じるわけでもない。むしろ、よりいっそう緊張してしまったジャックだが、その緊張が解けない内に彼にとっては初任務――初めての通行者が現れた。 (え、えっと!? まずは身元チェックして、相手の目的地を聞いて、照会してから通行許可……いや、逆だっけ!?) 頭の中で整理しようとした仕事手順をぶち壊してくれたのは、子供っぽい声だった。 「おっはよーっ!」 と、元気よく声をかけ、こともあろうにこの特別な回廊をバタバタと走ってくる少年がいた。 「おはようございます、今朝もお元気ですね」 「うんっ。ねー、ポップ、もう起きたかな?」 「今朝はまだのようですよ」 「じゃ、おれ、起こしてくるねっ!」 そのまま、少年は足も止めずに螺旋階段を上っていく。あまりに傍若無人な振るまいやら、先輩の見事なまでのスルーっぷりに呆気に取られたジャックが、立ち直るまでしばらくの時間を要した。 「い、今のは……?」 「あの方は、勇者ダイ様だ」 「えっ!? あの方がっ!?」 驚きと共に、ジャックは胸をなで下ろさずにはいられない。 (今の礼儀知らずのガキは誰、なんて聞かなくてよかった……!) うっかりとその本音を漏らしてしまっていては、城勤め初日で首になっても文句は言えないだろう。 勇者ダイの存在は有名でも、実際の彼の姿形は世間には知られていない。ましてや年齢など、かすみの中だ。 雲の上にいる人物の年齢を、本気で調べようと思う一般人はほとんどいない。 だが、それでも驚きを隠せない新入りに対して、先輩は余裕の表情でニヤニヤ笑いながらも、親切に忠告してくれる。 「勇者様は、大魔道士様と仲がおよろしい。ノーチェックでここを通ることの許された方の一人でもある。ほとんど毎日いらっしゃるんだ、早めに慣れた方がいいぞ」 (な……慣れるかな、これ) 未だ驚きの覚めやらぬ心臓の辺りを押さえ、ジャックはしみじみ思わずにはいられない。そう言えば、せっかくの初対面だったというのに、勇者様に挨拶さえできなかったと後悔が浮かんでくる。 なんと言っても、相手は救国の……いや、世界を救ってくれた大英雄なのだ。次に会った時こそ、失礼のないようにきちんと挨拶しよう。 「あっ、姫様! おはようございます」 先輩の挨拶を聞いて、ジャックの心臓は再び跳ね上がる。 姿勢正しく回廊を歩いて来る、一人の少女。彼女こそが、王女レオナに違いない。 17歳という年齢は承知していたが、実際に見てみると思っていた以上に若い。しかし、それでいてとてもそうは思えない威厳があった。 「おはよう。あら、そちらは新人さん?」 「はっ、はい……っ! 今日より、近衛兵に配属されましたジャックと申します」 「そう、頑張ってね」 それは、レオナにとってはありふれた、ごく在り来たりのただの挨拶に過ぎまい。 ジャックにとって、レオナは尊敬すべき自国の王女であり、実はそれ以上の存在だった。レオナ自身は知るまいが、彼女はジャックやジャックの家族にとっては恩人に等しい。その恩を返すためにも、近衛兵になりたいとずっと思っていた。 まあ、そんな個人的な事情などわざわざレオナに対して語ろうなどとは、恐れ多すぎて思ったこともない。それに、彼女から声を掛けられた光栄さに目が眩みそうで、何を言っていいのかさえ分からないぐらいだ。 「あ、ありがとうございます、頑張ります!」 息を詰まらせて、そう言うのがやっとだった。 「ところで、ダイ君とポップ君はまだかしら?」 「はっ、先程、ダイ様が上に行かれましたから、まもなく降りてこられると思うのですが」 緊張と興奮で仕事になりもしないジャックをよそに、王女と先輩は慣れた口調で普通に会話している。 (そ、そうだっ! これから、大魔道士様にもお目通りすることになるんだっ。それに、さっき失礼をしてしまった分、今度こそ勇者様にもきちんとご挨拶をしなくては……っ!) 緊張のあまり頭が真っ白になり、挨拶の言葉さえ組み立てられないジャックだったが、上から聞こえてくる言葉がその緊張感をぶち壊してくれる。 「ポップ、ほら、しっかり歩きなよ〜。ああ、危ないな、ちゃんと目を覚まさないと足を踏み外すよ」 「もー、うっさいなあ、ガキじゃあるまいし平気だって。……って、うわぁっ!?」 「あっ、ほら! 落ちるとこだったじゃないかー」 (…………なんか、イメージ違うな……) 騒ぎながら階段を下ってくる声は、普通の少年達が友達と話しているだけのようにしか聞こえない。 とにかく、挨拶をせねばと緊張する余り、ジャックは二人の人影が階段から降りきる前に深々と頭を下げた。 「は、初めまして、勇者様、大魔道士様! ――ご挨拶が遅れましたが、今日より近衛兵に配属されましたジャックと申します、よろしくお願いいたします!」 そう言い終わってから、まだ相手の顔もちゃんと見ない内に頭を下げたのは、失礼に当たるのだろうかと、また軽いパニックを起こす。 「あー、そんな堅苦しい挨拶なんか、いいって。これからしょっちゅう顔を会わせるんだしさ、ポップでいいよ。よろしくな」 聞こえたのは、思っていた以上に若い声だった。大魔道士という厳めしい称号から、漠然と年寄りを連想していたジャックは、自分の思い込みを修正する。 (……変だな? どこかで聞いた覚えがあるような……) 顔を上げ――ジャックは思わず、その場でフリーズした。 (え?) 想像以上に若い。 黒髪、黒目の、どこにでもいそうな平凡な印象の細身の少年。 あれから三年近く経ち、成長しているはずなのに、印象はまるっきり変わっていない。なにより、あの時と同じく緑色の魔法衣と黄色のバンダナを付けているのが、決定的だった。 「ああーーっ!? あの時の行き倒れっ!?」 「えっ!?」 と、ジャック以上に動揺した様子を見せた少年は、まじまじと見返してきた。 「え? あれっ? そ、そういやどっかで……悪ィ、えっと、行き倒れって……いつの?」 忘れられるはずがない。 なんとか応急手当てをして孤児院に連れ帰るまでの間、今にも死ぬんじゃないかと、恐怖に震えたのを覚えている。 彼がいなくなった後、足の動かなかったはずの少年の足が不意に治ったり、募金箱に有り得ない大金が入っていたり、急に王国から孤児院への資金援助があったりなどと、信じられない幸運に恵まれた。 そのせいもあり、孤児院の者はあの少年はサンタクロースの化身じゃないかと噂したものだ。 「生きてたんだ――っていうか、あんたが大魔道士ポップ様だったなんて……」 そう言ってから、ジャックはハッと気がついた。 (し、しまった!?) と、思ったところで、もう遅い。ジャックとポップの会話のせいで、周囲がシンと静まり返ってしまっていた。 (お、終わった……っ!) 頭の中が、真っ白になる。 (み、みんなになんて言おう?) ジャックの就職や出世を、自分のことのように喜んでくれた孤児院の神父や、子供達の顔が脳裏を過ぎる。 特に、勇者や王女の表情が険しくなったのを見て、ジャックは重い刑罰を食らうのかと思ってしまった。 「おれ、そんな話聞いてないよ!? ポップ、また死にかけてたのっ!?」 ダイが不満げに、ポップに詰め寄る。 「人聞きの悪い、人がしょっちゅう死にかけているように言うなよっ!? それにまたってのはなんだよ、またってのは!?」 「だって、ポップ、無茶ばっかりしてるじゃないかっ!」 「だから、人聞きの悪いこと言うなっての! そんなことないだろーがっ」 怒りまくっている勇者を、なんとか言いくるめようとする大魔道士――なんだか物凄い光景を見ている気がすると思ったジャックだったが、上には上があった。 「あーら、『そんなこと』あるんじゃないの? ポップ君、『いつ』の行き倒れかって、この人に聞いたわよね? それって、行き倒れた心当たりが複数あったからじゃない?」 「う……っ!?」 可愛い顔に似合わない鋭い突っ込みに、ポップが痛い点をつかれたように口ごもる。 「ものすごく興味深いお話よねえ。その話、もーっと詳しく聞きたいわ。朝食の席で、是非、聞かせていただきましょうか」 「あ、いや、その……っ、あ、あれは、もう三年も前のことだし、もう時効にならないかなー、なんて……」 「まっ、いやぁね、ポップ君たら♪」 思わず見惚れてしまう程美しい顔で、可愛らしくコロコロ笑ったレオナは、一転して目を据わらせる。 「そーんな調子のいい話――通るとでも思っているの?」 絶対零度の、冷たい口調。 (こ、怖っ! 王女様、マジ怖っ!?) 一瞬、ドン引きしそうになったジャックだったが、その心を読んだようなタイミングでレオナが振り返った。 「任務中なのに、騒がせてしまってごめんなさいね。でも、面白い情報を教えてくれてありがとう」 てっきりこの場で首になるのかと思っていただけに、レオナの物柔らかな対応にジャックは戸惑わずにはいられなかった。 「あの時は、本当にありがとな。おかげで、助かったよ。あの時は、礼もろくすっぽ言わなかったけどさ」 「あ……、い、いえ、とんでもない、です」 「だから、公式な場以外ではそんな堅苦しくしなくったって、いいって。それより、今度、あの孤児院の話を聞かせてくんないかな? おれも、前から気にはなってたんだー」 友達感覚で話しかけてくる人懐っこさには、つい釣り込まれてしまいそうになってしまう魅力と、気楽さがある。 「あっ、ポップ、待ってってば! 話はまだ終わってないって!」 「もういいだろ、ダイ。おれ、もうどこにも旅に行く予定も、行き倒れる予定もないんだからよ」 「当たり前だろ! おれが知らない間にどっかに行ったり、死にかけたりするだなんて、絶対にダメだよっ!」 もめる二人と、それを冷やかしながらも一緒に歩いて行く姫を見送りながら、ジャックはふと、思い出す。 あの少年……ポップは、あのクリスマス・イヴの日はひどい熱を出して、ずっとうなされていた。 だが、ひどく辛そうに、何度も繰り返して呼んでいただけに、それも忘れられなかった。翌日、完全によくなったとは言えないうちに彼が孤児院からいなくなった時は、心配を感じながらもなんだか納得したものだ。 あそこまで熱心に、意識がない状態でさえ求めずにはいられない人がいるのなら、無理を押してでも旅立つのも分かる。 親が死んでしまった子供や親に捨てられた子供は、それでも親への愛情を捨てきれずに一途に慕うものだ。自分を捨てた親を捜そうと、あるいはもしかして親が生きているのではないかと、安全なはずの孤児院を抜け出して探そうとする子供など、何人も見た。 その経験から、ジャックには分かっていた。 (そうか、あの少年が『大魔道士ポップ』だったのか……) 二年後に彼が戻ってきたからこそ、大団円と世間では言われているが……置いていかれた者にとってはどうだっただろう。 ――大魔道士様は、魔王軍との戦いや勇者様捜索の際にご無理をされたせいで、身体を壊されたと聞いている―― 世間で語り継がれている勇者伝説と。さっき先輩から聞いた大魔道士の話と。そして、ジャックが自分の目で見聞きした、行き倒れていた少年の話。 今となっては、全てがストンと腑に落ちる。今ならば分かる……あの孤児院に急に王国の援助が得られたのは、決して偶然などではないのだと。 「やれやれ、とんだ初対面の挨拶になったものだな。しかし、おまえがポップ様の知り合いだったとは、驚いたよ」 先輩の苦笑した風な言葉を聞いて、ジャックはようやく正気に返る。 「ええ、オレも驚きました。正直言えば、心臓がとまるかと思いましたよ」 さっき、ここに来た時とは違った意味で高鳴る胸を軽く押さえ、ジャックもまた苦笑する。 「ですが……ますます、近衛兵となってよかったと思いました。精一杯勤めますよ。姫様にも、大魔道士様にも恩があると分かったんですから」 恩人と信じた王女だけでなく、そのきっかけを作ってくれたあの少年にまで恩を返せるのなら、これ以上の幸運はない。 「それに、あの方がいざとなればどんな無茶をする方か……説明をされるまでもなく、よ〜く分かりました。恩返しの意味も込めて、しっかりと見張らせていただきますよ」 今のジャックには、先輩に教えられた情報以上にポップの無茶さが分かる。 神父が完全に身体がよくなるまで、ゆっくり休むようにと引き止めたのに、熱が下がると同時に早々に旅立ってしまった前科もある。 近衛兵としての任を誠実に果たすことこそが、結局は王女やポップへの遠い恩返しに繋がると思えるから。
《後書き》
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