『とある兵士の物語』

「で、ここがこの城で最も大切な部分……、王族方が暮らしておられるプライベートな区間へ繋がる回廊だ。いざという時はこの通路を命に代えてもお守りするのが、我ら近衛兵の役目なんだぞ」

 先輩兵士の得意げな声を聞きながら、ジャックは緊張しまくって城の回廊を歩いていた。ともすれば、手と足が一緒に動きそうになってしまう。
 だが、それも無理はないだろう。

 なにせ、ジャックは弱冠21才の新米近衛兵。新米も新米、今日、初めて近衛兵と正式に認められたばかりなのだから。
 新入りの気負いと緊張に気が付き、先輩兵士が苦笑しながらもそれをほぐそうと声を掛ける。

「おいおい、そんなに緊張することはないだろう?」

「無理ですよ、緊張もしますよ。だって、やっと憧れ続けていた近衛兵の任務につけるんですからね」

 ジャックは少年のように目を輝かせ、憧れの眼差しで周囲を眺めやる。
 さすがは城の中枢部分と言うべきか、ただの回廊とは言え風格が全然違う。
 磨き抜かれた床石や壁はそれこそなめてもいいくらいにピカピカに輝いていて、優美な幾何学模様の文様を描いている。

 いっそ芸術品と称えたくなるような美しさは、踏むのが申し訳なくなるぐらいだ。

 ジャックが今まで出入りを許されていた――というか、一般開放されている部分とは訳が違う。
 開かれた城をモットーにしているパプニカ城は、一階部分の半分ほどは一般開放されている。

 国民の陳情を受けるための部屋や、各部署に分けられた文官用の部屋や、城に勤める兵士や文官、侍女などが食事をするための大食堂などは、今までジャックも何度となく入ったことがある。

 多くの人の出入りが想定されている部分なだけに、開放部分は清潔で機能的であることが重視されている。

 この回廊部分のように、見た目の優美さまでも追及されつくした印象はない。
 さすがに王族という者は住んでいるところからして違うものだと、ジャックは感動と緊張を隠せなかった。

「ははは、だがあまり緊張したり気を張りすぎると、後が続かないぞ」

 一回り以上に年の離れた先輩兵士は、人の良さそうな笑顔で笑いながらやんわりと新人の気負いを取り払ってくれる。

「ええ、分かっているんですけど、やっぱり力が入りますよ。オレにとって、近衛兵になるのはずっと憧れでしたから……」

「そう言えば、おまえは入隊の時から近衛兵になるのを希望していたらしいな。やっと念願が叶ったというわけか」

「はい! 本当に苦労しましたけど、頑張ってよかったです……!」

 今までの苦労が報われた喜びと、実際に夢がかなった感動で、ジャックは高鳴る胸を押さえられなかった――。

  






 城勤めの兵士――近衛兵になる。
 それは簡単そうでいて、意外と難しい。世間からは誤解されがちだが、大半の兵士は城とは無縁の生活を送っている。

 国境や辺境付近など、要所の警備をするための兵士の数が一番多いのだ。下級兵士の場合は、下手をすると一度も城に上がることもないまま、一生を地方で送るのも珍しくはない。

 何しろ、城といえば国の中枢だ。信用の出来ない者をそうそう受け入れるはずがない。

 特に普段から武器の所持を許される近衛兵には、通常の兵士に対する以上の忠義と誠実さが要求される。
 近衛兵の大半は騎士資格取得者だが、成績優秀なものならば兵士から出世することも可能だ。

 だが、それは可能ではあっても、かなり難しい。
 幾つもの試験を乗り越え、さらには高い競争率を勝ち抜かなければ選ばれない、まさに狭き門だ。

 城の内部を守る兵士の数は常に一定と規定があるため、前任者が移動にならなければ新人も募集しない不文律もある。運が悪ければ近衛兵を希望してもかなえられず、十年やそこらかかることもあると聞いたものだ。
 それを考えれば、自分は幸運だとジャックは思う。

 兵士になって三年余りで念願が叶い、憧れの近衛兵になれたのだから。
 他国では、近衛兵になるには家系や身元も重視されることが多い。騎士にしか、近衛兵になることを許されていない国もあるぐらいだ。
 その法則で言えば、彼は決して近衛兵になれなかっただろう。

 なにしろジャックは由緒正しい家柄どころか、親の顔すらも分からない孤児院出身者だ。
 他国ならば近衛兵どころか、兵士にすらなれたかどうか怪しいものだ。
 だが、パプニカ王国は能力重視主義だ。

 持って生まれた家系よりも、その人の持つ能力、ひいては自分を磨く努力こそが評価されるべきだとの国是を掲げている。
 ましてや現在の国主である王女レオナが、魔王軍との戦いで荒廃した国を救うために、戦後、さらに広くから人材を集める方策を打ち出してきた。

 そのため、ジャックの前にも平等にチャンスは開かれていた。
 希望のままに兵士になれたし、その先に進むことにも許された。
 まず、兵士から近衛兵になるためには、最低でも一般兵士として二年の経験が必須だ。
 その中で成績や素行が特に優良と認められ、城勤めを希望した者だけが、パプニカ城の兵士として召し抱えられる。
 その際、試験があるのは有名な話だ。

 パプニカの法律や歴史についての知識の他に、魔法を使えるか否かも確かめられる。賢者の国として名高いパプニカとは言え、魔法を使える人間はやはり少数派だ。

 もっとも兵士を希望する人間は、基本、魔法が使えても微力なものにすぎないと相場が決まっているため、魔法を使えたからといって必ずしも有利になるわけではないが。

 それでも、自分があの難関の試験を超えられたのは、魔法のおかげではないかとジャックは密かに考えている。
 微弱とはいえ回復魔法を使えるのは、兵士としては役に立つのだから。

 そのおかげかどうかはいまだに確認出来ないが、とにかくジャックは18才で兵士になり、二年の経験を経て見事試験に合格した。
 辺境からパプニカ城へ赴任した時は、本気で感動したものだ。

 田舎出身のジャックにしてみれば、賑やかな城下町はまさに王都という雰囲気があふれていて、目が眩みそうだった。
 もっとも、そこで本気で目が眩んで、都会暮らしに溺れるようでは夢は遠かっただろう。パプニカ城に赴任するといっても、最初は扱いは近衛兵ではないのだ。

 城に勤めると言っても、当然、最初の頃は内部での任務は任せられない。主に城の外部や近隣を守る地味な任務を与えられるのが、通例だ。
 そこには、今までと違う生活環境になっても、変わらぬ勤務態度を貫けるかどうかとチェックする意味が込められている。

 いくら本人が近衛兵を希望していても、都会暮らしで生活が乱れるようでは、近衛兵として失格だ。
 半年から一年の外勤を終えてから始めて、城の内部での任務が与えられるようになる。

 城の外部を守る一般兵士ではなく、内部を守る近衛兵と正式に認められ、貴人の護衛も任せられるようになるのだ。
 ここまでくるのには、本当に長かったとジャックは思わずにはいられない。それだけに感激もひとしおだった。

 城内を案内され、初任務となる王宮回廊への見張りの交替を申し付けられたのさえ、嬉しくてたまらない。

「いいか、王宮回廊の警備をする場合、我ら近衛兵の定位置はここだ」

 先輩が指し示したのは、ちょうど螺旋階段へ繋がる入り口の手前であり、二人の近衛兵が並んで立っている、
 敬礼をして二人を迎えた近衛兵に、先輩はてきぱきと声を掛けた。

「どうだ、変わりはあったか?」

「はっ、異常はありません。経過報告はこちらに記録してございます」

「うむ、確かに引き継いだ。もう上がってよいぞ」

 先任者から一冊の記録帳を受け取りそう声をかけると、二人の近衛兵は敬礼をして去っていく。

「いいか、この回廊より奥に行くには、許可が必要だ。毎朝、その日、この回廊を通ってもよい人物の連絡が来る。その人物と一致しない者が通ろうとした場合は、ただちに封鎖して詰め所に確認を取ること。これが、基本だ」

 先輩の説明と、分厚く記述がやたらと細かい記録帳を交互に注意を払いつつ、ジャックは疑問を口にした。

「あの……この階段は、どこに通じているんですか?」

「うむ。ここは、大魔道士ポップ様の私室に通じる場所だ」

「え!? ポップ様って、あの勇者様の一行の、あのポップ様ですか!?」

「ああ、その通りだ」

 無造作に先輩は答えるが、ジャックとしては緊張が込み上げてくるのを堪えきれない。
 大魔道士ポップ。
 その名は、勇者ダイに次いで有名であり、人気と尊敬の的となっている。

 庶民出身でありながら、卓越した魔法の才能に恵まれて勇者一行の魔法使いとなった、天才的な若き魔法使い。
 吟遊詩人の唄では、ポップは魔王との戦いでは、最後の最後まで勇者の隣に立っていたと言われている。

 その後、勇者が行方不明となった時は率先して勇者を捜し、勇者帰還後はパプニカの重職に就任したという――。
 言わば、生きた伝説ともいうべき人物がすぐ身近にいるという実例に、ジャックは胸が騒ぐのを感じた。

 有名人を間近にして浮つくなどとは近衛兵としては失格ものだが、そこは新人の悲しさ、そうそう仕事と割り切れはしない。
 だが、新人と違って、先輩はさすがに落ち着いたものだった。

「この上部は塔になっていて、しかも塔の内部で魔法が使われた場合はここのベルが鳴り、すぐに分かる仕掛けになっている。もし、万一のことがあった場合は、すぐに一人が兵士詰め所に連絡を入れ、もう一人は大魔道士様の安否を確認するように」

 事務的にそう言いながら、先輩はさらに念を押す。

「それだけではないぞ、出入りの時間をチェックするのも大切な仕事だ。もし、大魔道士様が何の連絡もなく1昼夜以上この部屋にお戻りにならなかった場合、上に報告することが義務づけられている。これは部屋においでになる場合も同様で、毎朝、決められた時間までにお起きにならない場合は、様子をご確認するように」

「は、はいっ」

 いっぺんに与えられた指示に、果たして全部覚えられるだろうかと心配しながらも、ジャックは少しばかり引っ掛かるものがあった。

「あの……、ずいぶんと大魔道士様に対する注意事項が多いんですね」

 ジャックが王宮に勤めるのは、今日が初日だ。
 だが、常識的に考えて、王宮で最優先されるべきは王族の警備ではないかと思う。これでは、この通路は王宮への警備よりも大魔道士への警備を優先しているように思えてしまう。

 さすがに口には出さなかったものの、ジャックの脳裏に浮かんだ疑問など先輩にはお見通しだったのだろう。
 先輩は一つ咳払いをし、声を潜めて話しだした。

「……口外無用だぞ。ここだけの話だが……ポップ様はあまり身体がお丈夫ではないのだ」
「え!?」

「こら、大声をだすな! いいか、これは極秘情報なのだからな」

 過ぎた力は、身を滅ぼす。
 それと同じように、過ぎた魔法力は人間にとって有害に働くこともある――その前置きを、ジャックは神妙な表情で聞いていた。

「生まれつきの体質では、ないそうなのだ。魔王軍との戦いや、勇者様捜索の際にご無理をされたせいで、身体を壊されたのだと聞いている。幾度か瀕死にまでなられたこともあるし、一番ひどい時はよく寝込まれておられた」

 具合が悪くなって、朝、起きられないことも度々あったため、この決まりが作られたのだと先輩は淡々と語った。

「とは言っても、今はだいぶ回復されてほとんど日常生活に障りはないし、無理をし過ぎなければ何の問題もないそうだ。ただ……あの方もお忙しい方だからな」

「ええ、そうだと伺ったことがあります」

 まだ下っ端兵士のジャックでさえ、パプニカ王国の中枢を任されている大魔道士ポップや三賢者の多忙ぶりは噂に聞いている。
 特に、王女の片腕と噂される大魔道士ポップは、世界を飛び回れる魔法を使えるということもあり、国外へと行く機会も多いと聞く。

「お仕事に専念されるあまり、ご自分の身体も顧みずに無理をされることも多い。だが、ポップ様はパプニカにとってはなくてはならぬ方だ……周囲で気を配って差し上げなければな」

 任務以上の熱意を込めて、先輩兵士はしみじみと呟いた。

「ポップ様は、ご自分の体調を必要以上に気遣われるのが、お嫌いだ。
 それにポップ様の体調については、姫を初めとする上層部の数人を別にすれば、侍女と近衛兵の一部しか知らない話だ、くれぐれも口外無用だぞ」

「は……っ、はいっ!」

 国家機密ともいうべき重要な話を打ち明けられた誉れに、ジャックは背筋を目一杯伸ばして敬礼をする。

「まあ、そう堅くなるな。ポップ様は気さくで、明るいお人柄だ。それに年齢もお若いし、あまり堅苦しいのはお好きではない。その点は、勇者様や姫様も同じだな」

 と、言われたところで、新人の気負いが減じるわけでもない。むしろ、よりいっそう緊張してしまったジャックだが、その緊張が解けない内に彼にとっては初任務――初めての通行者が現れた。

(え、えっと!? まずは身元チェックして、相手の目的地を聞いて、照会してから通行許可……いや、逆だっけ!?)

 頭の中で整理しようとした仕事手順をぶち壊してくれたのは、子供っぽい声だった。

「おっはよーっ!」

 と、元気よく声をかけ、こともあろうにこの特別な回廊をバタバタと走ってくる少年がいた。
 どう見てもジャックよりも数歳年下だが、先輩は少年に対して恭しく頭を下げた。

「おはようございます、今朝もお元気ですね」

「うんっ。ねー、ポップ、もう起きたかな?」

「今朝はまだのようですよ」

「じゃ、おれ、起こしてくるねっ!」

 そのまま、少年は足も止めずに螺旋階段を上っていく。あまりに傍若無人な振るまいやら、先輩の見事なまでのスルーっぷりに呆気に取られたジャックが、立ち直るまでしばらくの時間を要した。

「い、今のは……?」

「あの方は、勇者ダイ様だ」

「えっ!? あの方がっ!?」

 驚きと共に、ジャックは胸をなで下ろさずにはいられない。

(今の礼儀知らずのガキは誰、なんて聞かなくてよかった……!)

 うっかりとその本音を漏らしてしまっていては、城勤め初日で首になっても文句は言えないだろう。
 冷や汗ものの邂逅だったが、驚きを除外して考えてみれば、納得できなくもなかった。

 勇者ダイの存在は有名でも、実際の彼の姿形は世間には知られていない。ましてや年齢など、かすみの中だ。
 世間一般の人々にとって、勇者は勇者であり、近所の人間のように細かい年齢や性格が知られ渡った存在ではないのだから。

 雲の上にいる人物の年齢を、本気で調べようと思う一般人はほとんどいない。
 が、大魔王バーンを倒した際、勇者がまだ子供だったというのはひどく有名な話だ。
 それを考えれば、今の勇者がまだ少年であっても、不自然とは言えない。

 だが、それでも驚きを隠せない新入りに対して、先輩は余裕の表情でニヤニヤ笑いながらも、親切に忠告してくれる。

「勇者様は、大魔道士様と仲がおよろしい。ノーチェックでここを通ることの許された方の一人でもある。ほとんど毎日いらっしゃるんだ、早めに慣れた方がいいぞ」

(な……慣れるかな、これ)

 未だ驚きの覚めやらぬ心臓の辺りを押さえ、ジャックはしみじみ思わずにはいられない。そう言えば、せっかくの初対面だったというのに、勇者様に挨拶さえできなかったと後悔が浮かんでくる。

 なんと言っても、相手は救国の……いや、世界を救ってくれた大英雄なのだ。次に会った時こそ、失礼のないようにきちんと挨拶しよう。
 ついでに、次の仕事こそはきっちりとこなそうと決意したジャックだったが……次に来た通行人もまた、特別な存在だった。

「あっ、姫様! おはようございます」

 先輩の挨拶を聞いて、ジャックの心臓は再び跳ね上がる。

 姿勢正しく回廊を歩いて来る、一人の少女。彼女こそが、王女レオナに違いない。
 ――噂以上の美しさだった。
 勇者ダイと違い、パプニカ王女であるレオナの年齢はパプニカでは有名だ。

 17歳という年齢は承知していたが、実際に見てみると思っていた以上に若い。しかし、それでいてとてもそうは思えない威厳があった。
 だが、それにもかかわらず、彼女は気さくな口調で話しかけてきた。

「おはよう。あら、そちらは新人さん?」

「はっ、はい……っ! 今日より、近衛兵に配属されましたジャックと申します」

「そう、頑張ってね」

 それは、レオナにとってはありふれた、ごく在り来たりのただの挨拶に過ぎまい。
 だが、ジャックにとっては夢の到来に等しい。
 雲の上の存在と信じていた、至高の存在がすぐ目の前にいて、自分を労ってくれた――夢のような現実に、ジャックの顔がリンゴも顔負けなほどに紅潮する。

 ジャックにとって、レオナは尊敬すべき自国の王女であり、実はそれ以上の存在だった。レオナ自身は知るまいが、彼女はジャックやジャックの家族にとっては恩人に等しい。その恩を返すためにも、近衛兵になりたいとずっと思っていた。

 まあ、そんな個人的な事情などわざわざレオナに対して語ろうなどとは、恐れ多すぎて思ったこともない。それに、彼女から声を掛けられた光栄さに目が眩みそうで、何を言っていいのかさえ分からないぐらいだ。

「あ、ありがとうございます、頑張ります!」

 息を詰まらせて、そう言うのがやっとだった。

「ところで、ダイ君とポップ君はまだかしら?」

「はっ、先程、ダイ様が上に行かれましたから、まもなく降りてこられると思うのですが」

 緊張と興奮で仕事になりもしないジャックをよそに、王女と先輩は慣れた口調で普通に会話している。
 それを聞いて、ジャックの緊張度がますます高まったのは言うまでもない。

(そ、そうだっ! これから、大魔道士様にもお目通りすることになるんだっ。それに、さっき失礼をしてしまった分、今度こそ勇者様にもきちんとご挨拶をしなくては……っ!)

 緊張のあまり頭が真っ白になり、挨拶の言葉さえ組み立てられないジャックだったが、上から聞こえてくる言葉がその緊張感をぶち壊してくれる。

「ポップ、ほら、しっかり歩きなよ〜。ああ、危ないな、ちゃんと目を覚まさないと足を踏み外すよ」

「もー、うっさいなあ、ガキじゃあるまいし平気だって。……って、うわぁっ!?」

「あっ、ほら! 落ちるとこだったじゃないかー」

(…………なんか、イメージ違うな……)

 騒ぎながら階段を下ってくる声は、普通の少年達が友達と話しているだけのようにしか聞こえない。
 だが、いかに普通の少年のように思えても、勇者様や大魔道士に対して失礼があってはならない。

 とにかく、挨拶をせねばと緊張する余り、ジャックは二人の人影が階段から降りきる前に深々と頭を下げた。

「は、初めまして、勇者様、大魔道士様! ――ご挨拶が遅れましたが、今日より近衛兵に配属されましたジャックと申します、よろしくお願いいたします!」

 そう言い終わってから、まだ相手の顔もちゃんと見ない内に頭を下げたのは、失礼に当たるのだろうかと、また軽いパニックを起こす。
 だが、そんなジャックにかけられたのは、予想以上に軽く、人懐っこい声だった。

「あー、そんな堅苦しい挨拶なんか、いいって。これからしょっちゅう顔を会わせるんだしさ、ポップでいいよ。よろしくな」

 聞こえたのは、思っていた以上に若い声だった。大魔道士という厳めしい称号から、漠然と年寄りを連想していたジャックは、自分の思い込みを修正する。
 気さくな人物だという評判を裏切らない、明るい口調。
 ――だが、ジャックは少し首をひねらずにはいられない。

(……変だな? どこかで聞いた覚えがあるような……)

 顔を上げ――ジャックは思わず、その場でフリーズした。

(え?)

 想像以上に若い。
 若いも何も、ジャックよりも年下にしか見えない。
 まあ、それは声でだいたい予測がついていたから、それ程意外だった訳でもない。
 驚いたのは、見覚えのある顔だったからだ。

 黒髪、黒目の、どこにでもいそうな平凡な印象の細身の少年。
 普通に出会ったのだったら、覚えていたかどうかも怪しいものだ。だが、彼との出会いは特別だった。
 忘れようにも忘れられない、印象深い少年。

 あれから三年近く経ち、成長しているはずなのに、印象はまるっきり変わっていない。なにより、あの時と同じく緑色の魔法衣と黄色のバンダナを付けているのが、決定的だった。
 考えるよりも早く、ジャックは叫んでいた。

「ああーーっ!? あの時の行き倒れっ!?」

「えっ!?」

 と、ジャック以上に動揺した様子を見せた少年は、まじまじと見返してきた。
 見覚えがあるのに、思い出せない――そんな表情で少年は何度も目を瞬かせる。

「え? あれっ? そ、そういやどっかで……悪ィ、えっと、行き倒れって……いつの?」
「いつって、
覚えてないのかっ!? ほらっ、三年前のクリスマスの日っ! というか、その前の晩だった!」

 忘れられるはずがない。
 よりによってクリスマス・イヴに、森の奥で赤い血に染まって倒れていた少年を拾ったなんて出来事は、一緒に一度あるかないかだ。

 なんとか応急手当てをして孤児院に連れ帰るまでの間、今にも死ぬんじゃないかと、恐怖に震えたのを覚えている。
 幸いにも息を吹き返し、クリスマスが終わってから数日でいなくなったあの少年。

 彼がいなくなった後、足の動かなかったはずの少年の足が不意に治ったり、募金箱に有り得ない大金が入っていたり、急に王国から孤児院への資金援助があったりなどと、信じられない幸運に恵まれた。

 そのせいもあり、孤児院の者はあの少年はサンタクロースの化身じゃないかと噂したものだ。
 ジャックにしてみても、あの時は就職に困っていたところだった。それが、あの少年に兵士になってみたらどうかと進められたのが、人生の大きな転機になった。

「生きてたんだ――っていうか、あんたが大魔道士ポップ様だったなんて……」

 そう言ってから、ジャックはハッと気がついた。

(し、しまった!?)

 と、思ったところで、もう遅い。ジャックとポップの会話のせいで、周囲がシンと静まり返ってしまっていた。
 丁寧に挨拶どころか、素のままで失礼なことを言いまくってしまったことに今更気がつき、ジャックは青ざめずにはいられなかった。

(お、終わった……っ!)

 頭の中が、真っ白になる。
 あんなに苦労して頑張りに頑張って、やっと憧れの近衛兵になったというのに、大魔道士様に失礼なこと言って初日にクビになるだなんて……!

(み、みんなになんて言おう?)

 ジャックの就職や出世を、自分のことのように喜んでくれた孤児院の神父や、子供達の顔が脳裏を過ぎる。
 近衛兵になって給料もアップしたことだし、初給料日には土産を買って久々に孤児院に帰ろうかと思っていた予定が、やけに強く頭に浮かぶ。

 特に、勇者や王女の表情が険しくなったのを見て、ジャックは重い刑罰を食らうのかと思ってしまった。
 だが、怒りの矛先が向かったのは、ジャックに対してではなかった。

「おれ、そんな話聞いてないよ!? ポップ、また死にかけてたのっ!?」

 ダイが不満げに、ポップに詰め寄る。

「人聞きの悪い、人がしょっちゅう死にかけているように言うなよっ!? それにまたってのはなんだよ、またってのは!?」

「だって、ポップ、無茶ばっかりしてるじゃないかっ!」

「だから、人聞きの悪いこと言うなっての! そんなことないだろーがっ」

 怒りまくっている勇者を、なんとか言いくるめようとする大魔道士――なんだか物凄い光景を見ている気がすると思ったジャックだったが、上には上があった。
 二人の言い争いに参入したのは、麗しき姫君だった。

「あーら、『そんなこと』あるんじゃないの? ポップ君、『いつ』の行き倒れかって、この人に聞いたわよね? それって、行き倒れた心当たりが複数あったからじゃない?」

「う……っ!?」

 可愛い顔に似合わない鋭い突っ込みに、ポップが痛い点をつかれたように口ごもる。

「ものすごく興味深いお話よねえ。その話、もーっと詳しく聞きたいわ。朝食の席で、是非、聞かせていただきましょうか」

「あ、いや、その……っ、あ、あれは、もう三年も前のことだし、もう時効にならないかなー、なんて……」

「まっ、いやぁね、ポップ君たら♪」

 思わず見惚れてしまう程美しい顔で、可愛らしくコロコロ笑ったレオナは、一転して目を据わらせる。

「そーんな調子のいい話――通るとでも思っているの?」

 絶対零度の、冷たい口調。
 なまじ美人なだけに、凄むと異様なまでの迫力を感じてしまう。

(こ、怖っ! 王女様、マジ怖っ!?)

 一瞬、ドン引きしそうになったジャックだったが、その心を読んだようなタイミングでレオナが振り返った。
 すくみあがりかけたものの、レオナは今度は慈悲深い王女そのものの表情で優しく声を掛けてきた。

「任務中なのに、騒がせてしまってごめんなさいね。でも、面白い情報を教えてくれてありがとう」

 てっきりこの場で首になるのかと思っていただけに、レオナの物柔らかな対応にジャックは戸惑わずにはいられなかった。
 だが、レオナは怒る様子もないし、ポップの方だって親しげな笑顔を投げかけてくる。

「あの時は、本当にありがとな。おかげで、助かったよ。あの時は、礼もろくすっぽ言わなかったけどさ」

「あ……、い、いえ、とんでもない、です」

「だから、公式な場以外ではそんな堅苦しくしなくったって、いいって。それより、今度、あの孤児院の話を聞かせてくんないかな? おれも、前から気にはなってたんだー」

 友達感覚で話しかけてくる人懐っこさには、つい釣り込まれてしまいそうになってしまう魅力と、気楽さがある。
 話は今度な、と軽く手を振って先に歩きだしたポップの後を、慌ててダイが追う。

「あっ、ポップ、待ってってば! 話はまだ終わってないって!」

「もういいだろ、ダイ。おれ、もうどこにも旅に行く予定も、行き倒れる予定もないんだからよ」

「当たり前だろ! おれが知らない間にどっかに行ったり、死にかけたりするだなんて、絶対にダメだよっ!」

 もめる二人と、それを冷やかしながらも一緒に歩いて行く姫を見送りながら、ジャックはふと、思い出す。
 気軽にダイと呼び掛ける、ポップの声。
 その声に、呼び起こされる記憶があった。

 あの少年……ポップは、あのクリスマス・イヴの日はひどい熱を出して、ずっとうなされていた。
 神父と交替で看病したものだが、その間、ポップはずっと『ダイ』を呼び続けていた。 本人は覚えてもいないだろう。

 だが、ひどく辛そうに、何度も繰り返して呼んでいただけに、それも忘れられなかった。翌日、完全によくなったとは言えないうちに彼が孤児院からいなくなった時は、心配を感じながらもなんだか納得したものだ。

 あそこまで熱心に、意識がない状態でさえ求めずにはいられない人がいるのなら、無理を押してでも旅立つのも分かる。
 孤児院で育ったジャックは、大切な者を失った子供の姿は見慣れている。

 親が死んでしまった子供や親に捨てられた子供は、それでも親への愛情を捨てきれずに一途に慕うものだ。自分を捨てた親を捜そうと、あるいはもしかして親が生きているのではないかと、安全なはずの孤児院を抜け出して探そうとする子供など、何人も見た。

 その経験から、ジャックには分かっていた。
 あの時のポップにも、そんな子供と通じるものを感じたから。

(そうか、あの少年が『大魔道士ポップ』だったのか……)

 
 吟遊詩人は、かく謳う。
 勇者とその魔法使いは、無二の親友だったと。
 そして、伝承では大魔王を倒した直後、勇者のみが行方不明になったという。

 二年後に彼が戻ってきたからこそ、大団円と世間では言われているが……置いていかれた者にとってはどうだっただろう。
 大切な人を失った後の二年間は、さぞや長く、辛い日々だっただろうと予測できる。

 ――大魔道士様は、魔王軍との戦いや勇者様捜索の際にご無理をされたせいで、身体を壊されたと聞いている――

 世間で語り継がれている勇者伝説と。さっき先輩から聞いた大魔道士の話と。そして、ジャックが自分の目で見聞きした、行き倒れていた少年の話。
 それら全てが重なって、一つの分かりやすい物語となった。

 今となっては、全てがストンと腑に落ちる。今ならば分かる……あの孤児院に急に王国の援助が得られたのは、決して偶然などではないのだと。
 あの時、ポップは孤児院の窮状を察したのか、心配してあれこれと聞いてきた。当時からパプニカ王女と知り合いだったのなら、裏で手を回すなど簡単だっただろう……。

「やれやれ、とんだ初対面の挨拶になったものだな。しかし、おまえがポップ様の知り合いだったとは、驚いたよ」

 先輩の苦笑した風な言葉を聞いて、ジャックはようやく正気に返る。

「ええ、オレも驚きました。正直言えば、心臓がとまるかと思いましたよ」

 さっき、ここに来た時とは違った意味で高鳴る胸を軽く押さえ、ジャックもまた苦笑する。

「ですが……ますます、近衛兵となってよかったと思いました。精一杯勤めますよ。姫様にも、大魔道士様にも恩があると分かったんですから」

 恩人と信じた王女だけでなく、そのきっかけを作ってくれたあの少年にまで恩を返せるのなら、これ以上の幸運はない。

「それに、あの方がいざとなればどんな無茶をする方か……説明をされるまでもなく、よ〜く分かりました。恩返しの意味も込めて、しっかりと見張らせていただきますよ」

 今のジャックには、先輩に教えられた情報以上にポップの無茶さが分かる。
 何しろ雪の降る季節に、体調が悪いのに単独で辺境の地を旅するなんて無茶をするような少年なのだ。

 神父が完全に身体がよくなるまで、ゆっくり休むようにと引き止めたのに、熱が下がると同時に早々に旅立ってしまった前科もある。
 それを踏まえた上で、見張りをしようとジャックは思う。

 近衛兵としての任を誠実に果たすことこそが、結局は王女やポップへの遠い恩返しに繋がると思えるから。
 やっと驚きから立ち直ったジャックは、一兵士としての任務に立ち戻り、直立不動の姿勢を取って見張りについた――。


 


                                      END


《後書き》
 時系列ではずいぶんと離れていますが、『空っぽの腕』の後日談です。
 あの時、ポップを助けた孤児院側のからのお話を書きたいな〜と、二つばかりネタが浮かんだんですが、その内の一つです。
 ゲーム版DQでは城の入り口やら要所には必ず兵士が立っているんですが、そーゆー兵士達に話しかけるのが大好きです!


 真面目に任務に励んでいる者、ちょっとサボっている者、いい情報を教えてくれる者など、いろんな兵士がいるのが楽しくって♪
 ゲーム的にはたいした役割がないとは言え、様々なドラマを連想できるのがDQの楽しみの一つですね。
 DQ2で、とある塔でぽつんと見張りをしている兵士の小説が公式本で語られていましたが、何気ないキャラクターにもストーリーを膨らませられるのが凄いです。
 というわけで、うちではポップの幽閉室…もとい、自室(笑)の付近をいつも見張っている近衛兵達に焦点を当てた話にしてみましたv
 
 

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