『戦いの狭間に』 |
大斧が風を撒いて、唸る。 ぎりぎりまで斧を引きつけてからブーツを履いた足が強く地面を蹴り、身体を後ろに逃がす。 その斧に対して、少年の手に握られた武器は杖だった。 だが、両手でしっかりと杖を握りしめた少年は、渾身の力を込めてそれを振るった。 しかし、そんなわずかな接触でも斧の軌道を変えるだけの力はあった。 正直言って、少年の動きは華麗とは言いがたかった。そもそも彼の動き自体は、それほどは素早くはない。 戦いの場で、相手の動きをきちんと見切って的確に動くのには想像以上に難しいものだ。 戦場では、あらゆる意味で普段通りの行動を取るのが難しい。 戦いの時にいつも通りの動きをとれるようになるまでには、少なからぬ慣れと訓練を必要とするものだ。 敵を前にして、怯まずに自分のペースを保てるかどうかが、戦いの場での生死を分ける。 その意味では、少年は戦場に相応しい胆力を備えていた。 人間以上の巨漢であり、魁偉な姿を誇る鰐系の怪物。 「……そろそろ限界のようだな、ポップ」 リザードマンの口から漏れたその一言に、少年――ポップは肩で息をしながらも首を横に振った。 「ま……まだ、まだだっ!」 疲れのせいで構えた杖が少しずつ下がっているが、それでもポップは杖を持つ姿勢を崩さない。 「おまえがまだでも、オレは一息入れたいところでな。さすがにこんな形式での訓練では普段とは勝手が違って、案外疲れる」 再度の誘いに、ポップはやっと持っていた杖を下ろす。 「お、おう、……おっさんが、そこまで、言うなら……休んで、やっても…い、いいぜ」 どう聞いても強がりなその一言と同時に、ポップはぶっ倒れるようにその場に寝っ転がった――。
その際、ポップはダイを守るために単身で敵に挑んだ。無謀だと止められるのを見越して、わざと仲間割れをしたフリまで装って、敵の数を減らそうとしたポップのその選択――。 その時一緒にいたクロコダインやレオナから見れば、真相を知った時の衝撃は大きかった。 ポップの真意も読み取れずに疑った詫びにと、好きなだけ殴れと思ったクロコダインは律義にもその約束を守ろうとした。 バラン戦の後、ポップの体調回復を待ってから、クロコダインは生真面目にその話を持ちかけた。 「冗談じゃないぜっ。ンなことをしたら、おれの手が痛くなるなるだけだっつーのっ!」 騙したのはこっちだし、疑われて当然。怒ってなんかいないからと、主張するポップからすれば、クロコダインの申し出は予想外のものだったらしい。 しばらく意地を張り合った末、しぶしぶのようにポップが出してきた妥協案が、この武術訓練だった。 「ここんとこ全然動いてなくて身体がなまってるし、それに身体を使う系の稽古なんて全然やってないからさ」 基本的に訓練嫌いのポップだが、実戦における格闘技の重要性は承知はしている。単に身体を鍛えるだけでは身に付かない、実戦形式の稽古の有効性も知っている。 真っ正直なダイやマァムでは、稽古だからといって相手に手加減が出来るほどの腕も、経験もない。 いくらポップが魔法使いとしては異例なほど体術訓練を受けているとはいえ、本格的な戦士には程遠い。 たちまち負けてしまうだけでは、身体の動きを掴むどころか何もできやしない。ただ、無駄にダメージを受けるだけで終わりだ。 かと言って、ヒュンケルに頼むのは……ポップ的には死んでも嫌だった。 そんなこんなで、結局、長い間格闘稽古をやってこなかったポップだったが、バラン戦の時ほどそれを悔いたことはなかった。 決死の思いでかけたメガンテも、不発に終わったのは未熟すぎたとしか言い様がない。 もっと強くなるためには、苦手だのなんだのと言っていられない。しばらく寝込んでいたせいで、体力が落ちたことを思えばなおさらだ。 その意味では、クロコダインからの申し出は、ポップにとってはいい機会ではあった。 クロコダインならば技量的には申し分ないし、こんな訓練をしていることを周囲にバレたくないポップに付き合って、口を噤んでくれるだけの度量もある。 一方的に殴るよりも、遥かに得るものが多い実戦さながらの模擬訓練は、ある意味では丁度よかった――。
ポップの息が整った頃を見計らって、クロコダインは感心したようにそう褒めた。 職業から言えば、それは大健闘と言えるだろう。 「そりゃあ、先生に習ったんだから、当然!」 得意そうに、ポップが胸を張る。……まあ、まだ寝っ転がったままで言っているのだから、いまいち決まらないが。 「アバン先生はさ、いっつも言ってたんだぜー、心も身体も鍛えてこそ意味があるのだから、文武両道を目指しなさいって」 その主義に乗っ取り、アバンは戦士のヒュンケルや僧侶戦士のマァム、勇者のダイにも知識の授業は欠かさなかったし、魔法使いであるポップにも格闘稽古を施した。 防御が薄いせいで敵の攻撃を食らえばそこで終わる可能性があるため、前線に出るのはかなり無謀と言えるが、完全に無茶とは言い切れない。 今は訓練ということで、ポップ自身の運動神経だけで避けていたが、これに移動魔法の力を加えて動きを底上げすれば、格段に動きは速まる。 そして、攻撃に関しても同じだ。 その素早さを活かせば、並の剣士が剣を振るよりも早く、攻撃を仕掛けるのは十分に可能だ。 呪文の多彩さと発動の早さで相手を攪乱させ、相手の隙を見て大呪文を打ち込めば、ポップの勝ちだ。 (実際、オレでも、……もう勝てぬかもしれんな) クロコダインはそう思わずにはいられない。 だが、実際にはポップは魔法を使えるのだ。 不意打ちでダメージを与えられた後で、追撃を受けたのなら……かなり危なかったと今でも思う。 ポップの魔法の威力が上がっていることを考慮に入れれば、魔法込みの訓練だったのなら――結果は全く逆になっていたかもしれない。 「それにしても、こりゃあ明日は筋肉痛になりそー。最近、ぜんぜんやってなかったから、なまりきってるよなあ」 やっと起き上がったものの、身体のあちこちを擦りながら、ポップは大袈裟な悲鳴を上げる。 ポップを見つめるクロコダインの目は、優しく、暖かいものだった。 以前、武人の誇りも忘れかけ、道を踏み外しかけていたクロコダインの目をぬぐってくれたのは、ポップだった。 人間という種族をこれ程までに気に入ったのも、ポップの存在がきっかけだった。この少年に出会わなければ、クロコダインは人間の本当の素晴らしさを知らないままだっただろう。 その意味で、ポップには心から感謝している。 「さっ、十分やすんだし、もう少し付き合ってくれよ、おっさん。やっと勘を取り戻してきたところなんだ」 ぴょこんと立ち上がったポップが、身体慣らしをするように軽く屈伸運動を始める。まだまだやる気に満ち溢れた姿を見ては、返せる言葉は一つしかなかった。 「おう」 短く応え、クロコダインは斧を片手に立ち上がった――。
《後書き》 『許せよ、ポップ。あの世で会ったら、好きなだけオレを殴れ…!!』 バラン戦でのクロコダインのこの台詞、大好きなんです! まあ、結局はポップもクロコダインも死ななかったから、この覚悟は必要なくなったんですが(笑)
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