『最後に残すもの』

  
 

「おっしゃ、これで終わりだ!!」

 威勢のいいその言葉と同時に、その洞窟からでてきたのはマトリフとアバンだった。
 パプニカの海岸、外れの位置にひっそりとある洞窟。
 入り口を岩で半ば隠すように偽装されているため、そこに洞窟があると知っていなければ簡単には見つけれないだろう。

 だが、長年そこを住居にしてきたマトリフや、ちょくちょく尋ね続けてきたアバンにとっては、馴染みの場所だ。

「さて、いっちょ呪文を唱えるから、離れてろよ」

「……あなたが、ですか?」

「なーに、心配するな。これっぐらいじゃ、別に身体にも触らねえよ。それに、大魔道士マトリフ様の生涯最後の呪文だ。見逃すと、損をするぜ」

 マトリフの言葉に、アバンは少しばかり眉を潜めたものの、素直に後に下がる。
 海岸に、大魔道士の呪文が響き渡った。
 嗄れた声ながら、朗々とした響きの呪文は神秘性を帯びていて、いかにも魔法使いという雰囲気に満ち溢れている。

 その呪文が完成すると、洞窟の前にある岩が動きだし、ぴたりと入り口を塞ぐ。もともと、崖の一部を切り取ったかのようにそびえていた岩は、完全に入り口と一致した。
 もはや、ここをよく知っているものでも、よく見なければ入り口が塞がれたと分からないまでに、完全に一体化している。

 これぞ、マトリフのかけた呪文の効果だ。
 これでもう、呪文の効果が切れるまでは本人さえもこの洞窟には入ることは適わない。 ふうと軽く息を吐き、マトリフは今出てきたばかりの洞窟をしみじみと見やった。

「……思ったよりも、長く住み着いたものだぜ」

「感慨深いものがありますか、やっぱり?」

 わずかに気遣う響きを滲ませたアバンの問いに、マトリフはお得意の人を食った表情でニヤリと笑った。

「いいや。だいたい、ここにゃ長居するつもりもなかったからな」

 その言葉は強がりでも何でもなく、真実だった。
 ここはマトリフにとっては仮寓だった。
 昔、まだマトリフが若かった頃。もっとも、もう若造と呼ばれるには年を食い過ぎていたし、老人扱いされるには些か早すぎるだろうと言う年齢だったか。

 自由気ままな旅暮らしにも飽きて、しばらくは一ヵ所で暮らすのも悪くはないかと思って、ひょいと住み着いた場所だった。
 ここに住み着いた理由など、マトリフはとうに覚えてはいない。

 まあ、海の近くなら魚をすぐ取れるから食いっぱぐれないかな、程度の理由だったような気もする。釣りは結構好きな方だし、人がめったにこないここは釣りの穴場だったのだから。

 あるいは、ぎっくり腰になりかけて、しばらく養生するために一ヵ所に居たかっただけのような気もする。
 いずれにせよ、最初の頃は何の思い入れもなかった洞窟だった。

 何時出て行ってもいいぐらいに考えていたのに――なんとなくが数ヵ月、数年と続くうちに、いつの間にかすっかりと馴染んでいた。

 気がつけば、旅をしていた時間よりもずっと長くここにいたし、いつかはここで骨を埋める覚悟もできていた。
 人々から忘れられ、ひっそりと逝く予定だったものだ。

「しかしまあ、予定通りにはいかねえもんだよあ」

「まあまあ。人生ってのは予想とは違う方向に行くものだからこそ、面白いんじゃないんですか」

「けっ、若造が人生を語るなんざ、まだまだ早いっつーの。だいたい、無謀な勇者の旅なんかに突き合わされたのが、ケチのつきはじめだったぜ」

 マトリフのあからさまな悪態に、元勇者は笑顔のままで『おや、それは知りませんでしたよ』などととぼけた返事を返す。
 そんな飄々とした表情は、若い頃とほとんど変わっていない。

 とぼけたような表情を仮面とし、その奥に鋭利な頭脳と熱情を隠しているような男だった。
 その熱意に引きずられるように、魔王退治の旅に巻き込まれたのは、もう十数年も昔の話だ。

 勇者に巻き込まれたおかげで、かなり派手な戦いやら王国騒動に巻き込まれたが、それは別にいい。
 何かとごたごたはしたものの、数年も経てば落ち着いた。

 変わったといえば、人知れずひっそりと逝く予定が、それを確認してくれる当てができたぐらいのものだろうか。
 いつか、尋ねてくるだろうアバンかロカが物言わなくなった自分を発見する――それだけのことだろうと思っていた。

 それはそれで、悪くない末路と思えた。
 連中ならば、信用できる。なぜ連絡をしなかったと怒るだろうが、後始末ぐらいはしてくれると確信ができた。
 それに、少しばかりは泣いてくれるだろうから――。

 だが、人生はつくづく予想もできない代物だ。思わぬ方、思わぬ方へと転がっていく。 無言のまま、しげしげと海を眺めているマトリフをアバンは急かさなかった。
 しかし、マトリフはそれ程長くは彼を待たせなかった。

「おう、それじゃ、そろそろ行くか」

「ええ、では今度は、私が魔法を使いましょうか。手を貸してください」

「まあ、焦るんじゃねえよ。おめえん所に行く前に、ついでだ、ネイル村へ寄っていこうぜ。――おそらく、これが最期だろうからな。ブロキーナやレイラはもちろんだが、あの猪野郎にも別れを言っておきたいんだよ」

 それを聞いて、アバンが少しばかり改まった表情を見せる。
 マトリフが親しみを込めて、猪野郎と呼ぶ戦士は一人しかいない。
 アバンの親友であり、先代勇者一行の戦士だったロカだけだ。

「本当に、人間ってのは分からねえな。殺したって死なないような男だったが……逝く時はあっけないもんだったな」

 遠くを見やるマトリフの目が、ふと、今はいなくなった男の幻を追う。
 ロカが死んだと聞いた時は、すぐには信じられなかった。
 無鉄砲にもアバンの旅に付き合い、魔王退治の旅に最初から最期まで戦士として活躍したロカは、戦いの後は打って変わって平凡な暮らしを送っていた。

 一行の僧侶だったレイラと結婚し、彼女の生まれた村で平和に暮らす姿は、幸せそのものだった。二人の間に女の子も生まれ、可愛い盛りに成長した頃、突然聞かされた訃報――。

 それを聞いた時の、悲しみを超える憤りを、今も思い出せる。
 もっと、長生きして幸せになっていいはずの男だった。
 一本気で、不器用で、だがなんとも暖かみのある憎めない男だった。

 まさか自分よりも先に逝くだなんて、思ってもいなかっただけに、衝撃は少なくなかった。
 それから何年も経って、突然やってきた勇者の少年からアバンが死んだと聞いた時は、マトリフはつくづく世の無常を思い、再度、野晒しを覚悟したものである。

 ――まあ、それが実はちゃっかりと生きていましたなんて聞かされた日には、それを聞いた時のショックやらうっかりと魔王に弔い合戦をしかけた気持ちを帰せと、わめきたくなったものだが。
 わざとらしく溜め息をつきつつ、マトリフは聞こえよがしにぼやく。

「本当に、いい奴ほど早く死ぬもんだよな。で、根性悪ばかりがノコノコと生き延びるんだから、全く嫌な世の中だぜ」

「それは私に対する皮肉ですか?」

「へっ、そう思うんだったら、せいぜいその性格の悪さを弟子にもしっかりと仕込むんこったな」

 軽口めかしたマトリフのその一言に、察しのいいアバンはピンと来たようだった。

「それは、どうでしょうねえ。ポップはあれでなかなか、私の期待通りには育ってくれない子でしたから」

 アバンの弟子の、魔法使い。
 マトリフの最大の語算は、ポップだ。
 マァムや、アバンの最期の弟子であるダイなら、マトリフは放っておけた。彼らは、揺るぎない正義感と強くなりたいという向上心を最初から持っていたから。

 だが、ポップはそうではなかった。
 甘えた根性ばかりが目立つ、頼りないにも程のある魔法使い。
 魔法使いの役割や立場をまるっきり理解してもいないのに呆れて、アバンへの義理からほんの少しばかり鍛えてやるぐらいのつもりだった。

 だが、ポップは予想に反して、凄まじいまでの成長率を見せた。とにかく、恐ろしいまでに魔法に対する勘がよく、抜群のセンスを持ち合わせた魔法使いだった。
 マトリフの教えをぐんぐん吸収し、驚くべき速度で師を超えた弟子。

 なまじ、卓越した才能を持ち過ぎたばかりに、自分の技を伝授できる相手などいないと諦めていたマトリフにとっては、思いがけない所で出会った後継者だった。
 自分を越えた弟子に、マトリフは満足している。

 マトリフとて、魔法使いとして己の作り上げた秘呪文をこの世に残したい欲はある。己の技の全てを受け継ぎ、それを上回って成長していく弟子に恵まれたのは幸運以外のなにものでもない。
 それだけに、彼の夭折など望むはずもなかった。

「アバン……てめえに言っておくが、オレの遺体はきっちり荼毘に付してくれや」

 マトリフの唐突な遺言に、アバンは少しばかり困った顔をする。それも無理もないだろう。
 普通、人は死して地に埋められる。

 人間とは大地から生まれたものであり、ならばこそ最期は土に帰るのが正しいというのが、神の教えだからだ。
 よほどひどい流行病でも起きない限り、荼毘に付すという葬り方は望まれない。
 だが、マトリフは顔色一つ変えず、しゃあしゃあとした表情で末期の望みを口にする。


「灰は海に捨てろだなんて、気障なことは言わねえよ。骨も残さず焼いてくれ。オレはゾンビになんぞなる予定もないし、変な未練を残したくはねえんでな」

 アバンやロカなら、それかブロキーナならば問題はなかった。
 百歩譲って、レイラやマァムでもよい。
 だが、ポップに看取られるのだけは、死んでも御免だった。

「あの馬鹿弟子は、チャンスがあったら絶対にザオリクを試すだろうからな」

 ただでさえ大呪文は、寿命を削る。
 ましてや、禁呪のせいで内蔵にダメージを抱え込んだままのポップならば、なおさらだ。 それを知っていて、素直に諦めるような可愛いタマではあるまい。

 なまじ、蘇生可能なだけの能力を持っているだけに、質が悪い。しかも、ポップの諦めの悪さときたら、大魔王の保証付きだ。
 老人の蘇生率がどんなに悪いか知っていようとも、無茶な魔法施行がどれ程身体の負担になるか承知していたとしても、ポップは必ずや蘇生を試みるだろう。

 それは火を見るよりも明らかだった。
 なにしろ、ポップと来たらマトリフの具合の悪化を知って、こっそりと自分の身体を実験台にして、新薬の研究をしていたぐらいなのだから。

 副作用を伴う劇薬のせいで、やっと安定しだしたポップの健康状態はガクンと悪化してしまった。
 最悪の事態は免れたものの、時間をかけて徐々に上向いていたはずの回復状況が、チャラになってしまったも同然だ。

「まったく、分かりきった計算もできねえ大馬鹿めが。こんな老いぼれのわずかな余生と、自分のこの先の一生、どっちが大事だと思ってやがるんだ」

 弟子を容赦なく罵る師匠に、もう一人の教師は困ったように笑う。

「……あの子は優しい子ですからね」

「優しいっつうより、甘いっつうんだ、あれは。全く、てめえはどんだけ弟子を甘やかして育てやがったんだよ」

「否定はしませんがね、それは、あなたも同じだと思いますが?」

 アバンは知っている。
 マトリフが長年住み慣れた洞窟を離れる決心をつけたのは、他の誰のためでも無い、ポップのためだと。

 マトリフは元々、この洞窟で死ぬ覚悟を固めていた。
 一人で逝く結末に、今更怯むはずも無い。
 仲間であるアバンの言葉さえも、マトリフの決心を変えるには至らなかった。

 孫娘同然のマァムやレイラの同居の誘いも、鼻先で笑い飛ばした男だ。
 自分の身可愛さに、今になってから変心するような男ではない。
 彼が唯一認めた愛弟子が、一人でマトリフの延命のためにこれ以上無茶をしでかさないように。

 ポップが安心して、過ごせるようになるように。
 自身のためにではなく、弟子の安寧のために、マトリフがこの話を受けいれてくれたのを、アバンは知っていた――。

「マトリフ。もし、あなたが望むなら、ポップもカール王国に連れてきてもいいんですよ。ポップも、最初はそのつもりだったんですし」

 弟子を案ずる心境を思いやっての譲歩だったが、マトリフはきっぱりと拒絶した。

「いや……あのガキは、当分はパプニカで療養させといた方がいい。
 なんたって、勇者とお姫様がタッグを組んで見張ってくれるんだ、あいつにとってはこれ以上の見張り役はないだろうよ」

 勇者ダイと、パプニカ王女レオナ。
 ポップ本人は気付いてないかもしれないが、あの二人がどれほどポップの存在を頼みにし、大切に思っているか――。

 それだけに、ダイもレオナもポップの身を案じる気持ちは人一倍だ。この先は、放っておいてもポップの見張りや療養を進んでやってくれるのは予測出来た。

「で――いよいよって時に、あいつらに連絡を入れる時にゃ、手遅れになるタイミングで頼むぜ」

 顔色一つ変えずにそう言ってのける大魔道士に、大勇者は苦い笑いを浮かべる。

「やれやれ、難しい注文ばかり押しつけてくれますねえ」

「そのぐらいは当然だと思いな。おまえさんにゃ結構な貸しがあるんだ、最期にがっちりと借りを取り立てておかねえとな」

「おやおや。とんだ高利貸しにでっくわしてしまった気分ですね」

「けけっ、他人の手を借りるってのはそういうもんだ。せいぜい若い時の自分の見る目の無さを悔やむんだな」

「いいえ、そこは我ながら目が高かったと自負していますよ」

 済ました顔でぬけぬけとそう言ってから、アバンは静かに、付け加えた。

「マトリフ……長生きをしてくださいね」

 いつになく真面目なアバンの一言に、マトリフもまた、からかうことなく短く返す。

「――ま、善処はしてやるよ」

 

 

 

 最後の悪戯の種を仕掛けて、大魔道士は未練も見せずに長年住み慣れた洞窟を後にした。 偉大なる初代大魔道士が息を引き取るのは、これより三ヵ月後の話になる――。
                                    END


《後書き》
 『洞窟に残されたもの』の、アバンとマトリフ側からのお話です。
 『決めていること』から続くシリーズの一つとして、最初から考えてた話なんです。…まあ、最初からこんなシーンで終わらせたいな〜と思ってはいても、なかなか書けなかったんですが(笑)


 原作では結局リアルタイムでアバン先生とマトリフ師匠が顔を合わせることがないんですが、でもこの初代勇者と大魔道士コンビの話って、なんか好きです。
 
 

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