『最後に残すもの』 |
「おっしゃ、これで終わりだ!!」 威勢のいいその言葉と同時に、その洞窟からでてきたのはマトリフとアバンだった。 だが、長年そこを住居にしてきたマトリフや、ちょくちょく尋ね続けてきたアバンにとっては、馴染みの場所だ。 「さて、いっちょ呪文を唱えるから、離れてろよ」 「……あなたが、ですか?」 「なーに、心配するな。これっぐらいじゃ、別に身体にも触らねえよ。それに、大魔道士マトリフ様の生涯最後の呪文だ。見逃すと、損をするぜ」 マトリフの言葉に、アバンは少しばかり眉を潜めたものの、素直に後に下がる。 その呪文が完成すると、洞窟の前にある岩が動きだし、ぴたりと入り口を塞ぐ。もともと、崖の一部を切り取ったかのようにそびえていた岩は、完全に入り口と一致した。 これぞ、マトリフのかけた呪文の効果だ。 「……思ったよりも、長く住み着いたものだぜ」 「感慨深いものがありますか、やっぱり?」 わずかに気遣う響きを滲ませたアバンの問いに、マトリフはお得意の人を食った表情でニヤリと笑った。 「いいや。だいたい、ここにゃ長居するつもりもなかったからな」 その言葉は強がりでも何でもなく、真実だった。 自由気ままな旅暮らしにも飽きて、しばらくは一ヵ所で暮らすのも悪くはないかと思って、ひょいと住み着いた場所だった。 まあ、海の近くなら魚をすぐ取れるから食いっぱぐれないかな、程度の理由だったような気もする。釣りは結構好きな方だし、人がめったにこないここは釣りの穴場だったのだから。 あるいは、ぎっくり腰になりかけて、しばらく養生するために一ヵ所に居たかっただけのような気もする。 何時出て行ってもいいぐらいに考えていたのに――なんとなくが数ヵ月、数年と続くうちに、いつの間にかすっかりと馴染んでいた。 気がつけば、旅をしていた時間よりもずっと長くここにいたし、いつかはここで骨を埋める覚悟もできていた。 「しかしまあ、予定通りにはいかねえもんだよあ」 「まあまあ。人生ってのは予想とは違う方向に行くものだからこそ、面白いんじゃないんですか」 「けっ、若造が人生を語るなんざ、まだまだ早いっつーの。だいたい、無謀な勇者の旅なんかに突き合わされたのが、ケチのつきはじめだったぜ」 マトリフのあからさまな悪態に、元勇者は笑顔のままで『おや、それは知りませんでしたよ』などととぼけた返事を返す。 とぼけたような表情を仮面とし、その奥に鋭利な頭脳と熱情を隠しているような男だった。 勇者に巻き込まれたおかげで、かなり派手な戦いやら王国騒動に巻き込まれたが、それは別にいい。 変わったといえば、人知れずひっそりと逝く予定が、それを確認してくれる当てができたぐらいのものだろうか。 それはそれで、悪くない末路と思えた。 だが、人生はつくづく予想もできない代物だ。思わぬ方、思わぬ方へと転がっていく。 無言のまま、しげしげと海を眺めているマトリフをアバンは急かさなかった。 「おう、それじゃ、そろそろ行くか」 「ええ、では今度は、私が魔法を使いましょうか。手を貸してください」 「まあ、焦るんじゃねえよ。おめえん所に行く前に、ついでだ、ネイル村へ寄っていこうぜ。――おそらく、これが最期だろうからな。ブロキーナやレイラはもちろんだが、あの猪野郎にも別れを言っておきたいんだよ」 それを聞いて、アバンが少しばかり改まった表情を見せる。 「本当に、人間ってのは分からねえな。殺したって死なないような男だったが……逝く時はあっけないもんだったな」 遠くを見やるマトリフの目が、ふと、今はいなくなった男の幻を追う。 一行の僧侶だったレイラと結婚し、彼女の生まれた村で平和に暮らす姿は、幸せそのものだった。二人の間に女の子も生まれ、可愛い盛りに成長した頃、突然聞かされた訃報――。 それを聞いた時の、悲しみを超える憤りを、今も思い出せる。 まさか自分よりも先に逝くだなんて、思ってもいなかっただけに、衝撃は少なくなかった。 ――まあ、それが実はちゃっかりと生きていましたなんて聞かされた日には、それを聞いた時のショックやらうっかりと魔王に弔い合戦をしかけた気持ちを帰せと、わめきたくなったものだが。 「本当に、いい奴ほど早く死ぬもんだよな。で、根性悪ばかりがノコノコと生き延びるんだから、全く嫌な世の中だぜ」 「それは私に対する皮肉ですか?」 「へっ、そう思うんだったら、せいぜいその性格の悪さを弟子にもしっかりと仕込むんこったな」 軽口めかしたマトリフのその一言に、察しのいいアバンはピンと来たようだった。 「それは、どうでしょうねえ。ポップはあれでなかなか、私の期待通りには育ってくれない子でしたから」 アバンの弟子の、魔法使い。 だが、ポップはそうではなかった。 だが、ポップは予想に反して、凄まじいまでの成長率を見せた。とにかく、恐ろしいまでに魔法に対する勘がよく、抜群のセンスを持ち合わせた魔法使いだった。 なまじ、卓越した才能を持ち過ぎたばかりに、自分の技を伝授できる相手などいないと諦めていたマトリフにとっては、思いがけない所で出会った後継者だった。 マトリフとて、魔法使いとして己の作り上げた秘呪文をこの世に残したい欲はある。己の技の全てを受け継ぎ、それを上回って成長していく弟子に恵まれたのは幸運以外のなにものでもない。 「アバン……てめえに言っておくが、オレの遺体はきっちり荼毘に付してくれや」 マトリフの唐突な遺言に、アバンは少しばかり困った顔をする。それも無理もないだろう。 人間とは大地から生まれたものであり、ならばこそ最期は土に帰るのが正しいというのが、神の教えだからだ。
アバンやロカなら、それかブロキーナならば問題はなかった。 「あの馬鹿弟子は、チャンスがあったら絶対にザオリクを試すだろうからな」 ただでさえ大呪文は、寿命を削る。 なまじ、蘇生可能なだけの能力を持っているだけに、質が悪い。しかも、ポップの諦めの悪さときたら、大魔王の保証付きだ。 それは火を見るよりも明らかだった。 副作用を伴う劇薬のせいで、やっと安定しだしたポップの健康状態はガクンと悪化してしまった。 「まったく、分かりきった計算もできねえ大馬鹿めが。こんな老いぼれのわずかな余生と、自分のこの先の一生、どっちが大事だと思ってやがるんだ」 弟子を容赦なく罵る師匠に、もう一人の教師は困ったように笑う。 「……あの子は優しい子ですからね」 「優しいっつうより、甘いっつうんだ、あれは。全く、てめえはどんだけ弟子を甘やかして育てやがったんだよ」 「否定はしませんがね、それは、あなたも同じだと思いますが?」 アバンは知っている。 マトリフは元々、この洞窟で死ぬ覚悟を固めていた。 孫娘同然のマァムやレイラの同居の誘いも、鼻先で笑い飛ばした男だ。 ポップが安心して、過ごせるようになるように。 「マトリフ。もし、あなたが望むなら、ポップもカール王国に連れてきてもいいんですよ。ポップも、最初はそのつもりだったんですし」 弟子を案ずる心境を思いやっての譲歩だったが、マトリフはきっぱりと拒絶した。 「いや……あのガキは、当分はパプニカで療養させといた方がいい。 勇者ダイと、パプニカ王女レオナ。 それだけに、ダイもレオナもポップの身を案じる気持ちは人一倍だ。この先は、放っておいてもポップの見張りや療養を進んでやってくれるのは予測出来た。 「で――いよいよって時に、あいつらに連絡を入れる時にゃ、手遅れになるタイミングで頼むぜ」 顔色一つ変えずにそう言ってのける大魔道士に、大勇者は苦い笑いを浮かべる。 「やれやれ、難しい注文ばかり押しつけてくれますねえ」 「そのぐらいは当然だと思いな。おまえさんにゃ結構な貸しがあるんだ、最期にがっちりと借りを取り立てておかねえとな」 「おやおや。とんだ高利貸しにでっくわしてしまった気分ですね」 「けけっ、他人の手を借りるってのはそういうもんだ。せいぜい若い時の自分の見る目の無さを悔やむんだな」 「いいえ、そこは我ながら目が高かったと自負していますよ」 済ました顔でぬけぬけとそう言ってから、アバンは静かに、付け加えた。 「マトリフ……長生きをしてくださいね」 いつになく真面目なアバンの一言に、マトリフもまた、からかうことなく短く返す。 「――ま、善処はしてやるよ」
最後の悪戯の種を仕掛けて、大魔道士は未練も見せずに長年住み慣れた洞窟を後にした。 偉大なる初代大魔道士が息を引き取るのは、これより三ヵ月後の話になる――。 《後書き》
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