『弟切草の伝説』 |
伝説は、かく語る。 その昔、弟を斬り殺した兄がいた。 それは、決して他者には教えてはならぬ秘伝。 その時の弟の血が薬草の葉に飛び散り、それは決して消えることのない染みとなって、いつまでも残っていると言う――。
緑の葉の裏に不規則に散った、赤茶色っぽい点々とした染み。 どちらが先かは分からないが、ヒュンケルはそれを深く考えようとはしなかった。というよりも、触れるのも避けるように別の薬草を摘む。 誤解されがちな事実だが、世間一般で売られている薬草は、一種類の草から作ったものではない。複数の種類の薬草の葉を、乾燥させたものだ。 乾燥させるのに少しばかり時間が掛かるのと、薬草を見分けるのにコツがいるため、薬草を採る作業には多少の訓練と知識が必要だ。 だが、ヒュンケルは薬草を自分で用意するのは慣れている。魔王軍という特殊環境で暮らしていた彼にとって、薬草を手に入れる手段は他にはなかったのだから。 それに、薬草の作り方や見分け方は、幼い頃に最初の師に教わっていた。 その傾向は、勇者一行の一員となった今でさえ変わらなかった。 仲間の回復魔法の方が、数倍も優れている以上、薬草など気休めにもならないのも分かっている。 だが、わずかに空いた休憩時間、手持ちぶさたな時を潰すのにはちょうどよかった。 稽古をするには短すぎるが、何もせずに過ごすには少し退屈さが長引く時間。他の仲間達がそうしているように、身体を休めながら雑談でもして過ごすにはちょうどいいぐらいの時間だ。 しかし、一人で行動するのに慣れているヒュンケルは、他人と同じ時間を共有するのが不得手だ。 それに、仲間達の方だって、自分が離れている方が落ち着けるだろう……ヒュンケルは、何の疑いもなくそう信じていた。 「おい……!」 不機嫌さを、そのままぶつけてくるような声。 「ポップか」 驚きもなく、ヒュンケルは弟弟子を見上げる。空を飛ぶ力を持った魔法使いが、ぷかぷかと浮きながら自分を見下ろしていた。 「こんなところで、何をしているんだ?」 ついさっきまで、ポップはダイと一緒にみんなの中心ではしゃいでいたはずだった。まあ、飛行魔法を使えるポップならば、普通の人間以上の早さで移動するのは簡単なことだ。 だが、なんで彼がここにやってきたのか分からず、ヒュンケルはそう尋ねてみる。 何か、緊急事態が起きたのかとちらっとみんなの方を見たが、相変わらず楽しそうな様子で談笑している彼らからは、事件の臭いは感じ取れない。 ただでさえ不機嫌そうだった顔を、なおいっそう露骨にしかめて、ヒュンケルを睨みつける。 「そりゃあ、こっちのセリフだってえの! てめえこそ、こんなところで、なに、一人でたそがれてんだよ?」 ぽんぽんと文句を言いながら、ポップはふわりと舞い降りてきた。 こんなところが、まさに魔法使いだと実感する。 自在に空を飛ぶ――小さな頃は、ヒュンケルもそんなことに憧れていた。 それを、ごく当たり前のように体現できる少年の姿は、ヒュンケルにとっては存在そのものが魔法に思える。 「んー? 薬草なんか摘んでたのかよ」 ヒュンケルが手にした幾つかの草を見て、ポップはあっさりとそう看破した。 だが、それも当然の話だろう。ポップもまた、ヒュンケルと同じ師から教えを受けたのだから。 旅の合間に師からいつの間にか仕込まれた、日常の雑多な知識に似通う物が多くても、何の不思議も無い。 「なんだよ、ここらにゃこんなにいっぱい薬草が生えてるじゃねえか。なんで摘まないんだよ?」 ポップがそう指摘するのも、無理はない。 それをしないのは、単にヒュンケルに負い目があるからにすぎない。 「せっかくのチドメグサなんだし、どうせ薬草摘みをするなら摘んでおけばいいだろ」 「チドメグサ……?」 聞き慣れない名に思わず問い返してしまったヒュンケルに対して、ポップはごく普通の調子で話しながら草を摘んで見せる。 「ああ、薬草なんて、場所によって結構名前が違うんだぜ。普通はチドメグサって呼ぶけど、タカノキズグスリって呼ぶ所も少なくはなかった」 「……そうか。その名は、知らなかったな」 聞こえの良いその名はヒュンケルにとっては初耳の名だが、聞けば納得できる名だった。ポップは器用にオトギリソウだけを摘みながら、独り言の様に言った。 「――アバン先生は、オトギリソウって呼んでいたけどな」 「…………!」 その不意打ちに、ヒュンケルは思わず息を飲む。 「この草の伝説なら、おれもアバン先生から聞いたことがあるよ。先生、伝承とか謂われのある話がやたらと好きだったからさ」 ポップの聞いた伝承が、自分の聞いた伝承と同じことを、ヒュンケルは疑わなかった。教師としてのアバンは、知識の正確さにはこだわる男だったから。 「でもよ、どんな不吉な伝承があったって草は草だぜ。違うか?」 ケンカでも売っているような挑発的な視線が、ヒュンケルを見上げてくる。 (……全く、こいつにはかなわないな) 詰めが甘くて、未熟な弟弟子――だが、いざとなるとポップほど頼れる仲間はそうはいない。 そして、ポップの言葉には、強く、他人の心を動かす力がある。特に珍しいことを言っているわけでもなければ、優れて立派な言葉を言うわけでもない。 口下手なヒュンケルにしてみれば、それこそが魔法のように思える程に。 大切な人を失った悲しみに負けることなく、それでいてその人の思い出を大切に持ち続けることができる。 安易に復讐に走った自分には及びもつかない、そして形の違う強さを持っている弟弟子は、ヒュンケルには眩く思える。 「いや。――違わないな」 ポップの言葉こそが正しいと思ったからこそ、素直に兜を脱いだ……そのつもりだった。 傍目からでも分かるほど露骨にムッとした顔になり、手にしたオトギリソウをヒュンケルの籠に乱暴に放り込んできた。 「ほら、こんぐらいあればじゅーぶんだろ? 行くぞ!」 「どこへだ?」 他意なく聞き返した途端、ポップの機嫌の悪さがいきなり倍増する。 「だから、いつまでも陰気に薬草集めなんかしてねえで、おまえもとっとと来いよ! おれはどーでもいいんだけどよ、ダイやマァムの奴が気にしてんだよ!!」 噛みつく様な勢いで言ったかと思うと、ポップはヒュンケルに背を向け、足音も荒くズカズカと歩きだす。 それを見てようやく、仲間達やポップが自分を気遣ってくれていた事実を悟る。 しかし、それでも全く嬉しくないわけではなかった。 過去に囚われ過ぎて、前半部分にこだわりすぎた自分の愚かさに苦笑しながら、ヒュンケルは手持ちの籠を覗き込み、足りない分を補うためにオトギリソウを一輪、摘む。 だが――だからと言って何が起こるだけでも無かった。 「おい! なにやってんだよ!?」 まだ腹を立てているのか、口調は尖ってはいるものの、ポップは先に戻らずに自分を待っている。 「ああ、今行くところだ」 詰んだオトギリソウを無造作に籠に落とし、ヒュンケルはゆっくりと仲間達に向かって歩きだした――。
《後書き》
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