『一滴の血』

  
 

 黒の核晶――大魔王バーンが地上を滅ぼすために用意した6つの超爆弾は、効力の割には大きさはさほどでもない。
 不気味な黒さや、わずかについた機械仕掛けのせいで大きく感じるとはいえ、本体は大きめの西瓜と大差はない。

 だが、腕の中に抱え込めてしまう程の大きさながら、それは世界を滅ぼす力を秘めた球だ。
 たった一つでさえ、それは致命的な破壊力を秘めている。大陸を軽く吹き飛ばすほどの力を秘めた超兵器は、武器と呼ぶには余りにも強力過ぎる代物だ。

 まして6つ全てを手中に収めた者は、文字通り世界の運命をその手にするも同然だ。
 それゆえに世界会議の場において、各国の王達は全員一致で黒の核晶を秘密裏に、安全な場所に封印することに定めた。

 各国の王達はそれぞれの国の領内で極力人が近付こうとしない場所を提供し、二度と使用できないように二重三重の魔法の封印をかけることに合意した。
 いまや、黒の核晶の現在地を知る者は、世界各国の王のみとされている。

 ……そして、ごく一部の者しか知らない事実だが、秘密を知る者はもう三人いる。
 実際に黒の核晶を封じるのに関わった、カール王アバン、大魔道士マトリフ、二代目大魔道士のポップ……彼らのみが全ての黒の核晶の場所を知っている――。

 

 


「私は……正直に言えば、あんなものはなくなって欲しいと思っているのですよ」

 このことは誰にも内緒ですよ、と秘密めかせながらフローラはそう口にした。
 それは、ポップがカール王国留学中の出来事だった。アバンの弟子であるポップを、フローラは夫の身内として歓待するつもりだった。

 だが、ポップが留学してきてから半月もしないうちにその考えを改めることになった。 その頃にはもう、ポップは自分の家族の同然に親しい存在になっていた。
 魔王軍との戦いの中で、ポップが見掛けによらぬ勇気と魔法力を持っていることは知っていた。

 だが、王宮で共に過ごす静かな時間は、ポップの見掛けによらぬ頭脳と社交性を知る時間になった。
 アバンが同席するしないに関わらず、私的な食事やお茶の場などには時間が許す限りポップを呼び、会話を楽しむのが、フローラの楽しみの一つになったものだ。

 大抵の人間は、たとえ気にするなと言われても身分に萎縮をする。
 女王であるフローラを前にして、一応は敬語を使っているとはいうものの、ほとんど素のままの態度で話ができるポップの存在は、新鮮に感じられた。

 おまけに打てば響く様な反応の良さで、機転の効いた言葉を返してくるポップとの会話は、小気味良くて実に気楽に楽しめる。
 その日も、フローラは視察に出たアバン抜きでポップと二人っきりで午後のお茶を楽しんでいたところだった。

 視察に出掛けたアバンの帰りを待ちながら、まるで年の離れた姉弟のように過ごす時間は、悪くはない。

(本当にこんな弟がいたら、心強かったのに)

 女性ながらたった一人の王位継承者として、カール王国を背負ってこなければならなかったフローラは、兄弟の存在を何度夢見たことか。
 その夢をかなえてくれたかのような魔法使いに対しては、フローラの口もいつもよりちょっぴり軽くなる。

 アバンがまだカール王国にいた頃の話や、今は無きアルキード王国の話、王国を背負う立場の者のちょっとした裏話など、普段は誰にも話すことのできない話をするのは楽しかった。

 面白がって聞くポップもまた、その返礼とばかりにアバンとの旅の思い出などを披露する。
 そんな会話の中で気が緩んでいたせいだろうか――フローラはずっと心に秘めていた、愚痴を口にしてしまっていた。

 黒の核晶という、望まずに得てしまった史上最悪の宝について。
 だが、ポップにしてみればフローラがそう言うのが意外だったのか、きょとんとした顔をする。

「なぜですか。あれ以上、いい解決方法なんかないでしょ?」

 無論、フローラとて夫であるアバンの考えた解決方法に異議などないし、第一あれ以上の方法など思いつかなかった。
 黒の核晶は完全に処分しようにも、危険過ぎて処理もできない代物だ。

 メドローアでさえ最悪の場合は誘爆の危険性があるとマトリフが判断した以上、機能を停止させた状態で封印をかけるのが最善と思える。
 しかし、フローラは首を横に小さく振った。

「……現状では、あれが最善だと私も思っています。ですが、先々のことを考えると、あなた達三人に大きな責任と危険を負わせる封印を選択したのは、本当は間違いでは無かったのかと思うのですよ……」

 公的には、黒の核晶はそれぞれ一つずつ、各国の王のみが保管していると発表されている。
 危険極まりない超爆弾を、あえて各国が平等に持つことでバランスが保たれる  その考えに世間の人々は大半が納得し、安心しきっている。

 だが、実際には各国の王達は黒の核晶が封印された場所を知っているだけであり、その封印を解除する方法も知らなければ、使用方法も知らない。
 黒の核晶を悪用しようと考える者……そんな存在が今後発生した場合、すべての封印にかかわった三人に危険が集まるのは目に見えている。

 特に、フローラが心配しているのはポップの未来だった。
 今は、まだいい。
 魔王軍との戦いを経験した今の世代の王達は、黒の核晶の恐ろしさを嫌という程承知しているし、それを封印した勇者一行の各員への信頼も厚い。

 だが、人は時として、ひどく愚かになる時があるものだ。
 我欲に駆られた人間は、時として度し難いほどに愚かしくなる。他人が思うよりも、そして、自分自身が思うよりも、はるかに愚かに――。

 黒の核晶は人の手に扱える様なものではないと知らぬまま、強大な力を欲する者が生まれる可能性を、フローラは危惧していた。
 しかも、その人物が他ならぬ王族かそれに近しい者から生まれる可能性を、フローラは否定出来ない。

 自分の手元にあるはずの宝を、名目だけでなく完全に自分の物にしたいと望まないものがいるだろうか?
 いかにその恐ろしさや強大さを教えられたとしても、凄まじい威力を持つと聞かされた宝に、全く好奇心を持たずにいられるものだろうか?

 自国で保有しているはずの超兵器を、自分達が利用出来ないことを不満とし、封印を外したいと望むようになれば、世界のバランスはそれだけで崩れる。
 今の王達よりも格段に若いポップは、その時、新たな王達の信頼を勝ち取り、自身の平穏と世界のバランスを保つことが出来るかどうか……それが、彼女には心配だった。

 もちろん、ポップが充分以上に信頼にたる人間だとフローラは確信しているし、ポップの人懐っこさや他人を惹きつける力も高く評価している。
 だが、それでも人の心には、計り知れない闇が潜んでいるものだ。

 他人を妬む心に取り付かれたものには、他人の長所など目に入るまい。むしろ、かえって嫉妬を掻き立てる短所として、攻撃の理由とされる可能性すらある。

「……できることならば、私の代で黒の核晶の始末しておきたいものですけど――」

 本心からの想いをこめ、フローラは呟く。だが、その声音に憂いが交じるのは、それが容易になし得ることのできない難事だと承知しているせいだ。
 世界各国の王達が手にした黒の核晶は、もはやフローラの個人的感情だけで処理出来るものではない。

 たとえ処分する方法を見つけたとしても、世界の他の国の王達が超兵器を持っているのにも関わらず、カール王国のみが手放すのを、不安に思う者は少なくあるまい。
 誰にも知られぬまま、それでいて6つの黒の核晶が同時に消滅させることができるなら――まさにフローラがそう思った瞬間、ポップがいつもの調子で言った。

「じゃあ、フローラ様。
 全部の黒の核晶を、一斉にこの世から消滅させる方法がある――なーんて話、どう思いますか?」

 雑談のついでの冗談として聞き流してしまいそうな程、軽い口調。だが、そう言った瞬間のポップの目は、真剣そのものだった。
 だからこそ、フローラはそれをいつものポップの軽口とは思わず、わずかに姿勢を正した。

「それは……是非聞いてみたいものね。カール王国女王として、興味があるわ」

 私的な場所での寛いだ表情を脱ぎ捨て、公人としての顔で二代目大魔道士に向かい合う。 その時はポップもまた、大魔王バーンと戦った時に見せていた表情を浮かべていた。
 内心の不安を気取らせもしない、相手を挑発するがごとく不敵な表情。

 相手の心理を読み取ろうと、一挙一動を見逃さないとばかりに真剣な目を向けてくる少年の目付きに、フローラはふと懐かしい人の面影を思い出す。
 顔立ちは全然似てなくても、その目付きや駆け引きに挑む雰囲気は、マトリフを思い出させるものがあった。

「なら、もう一つお聞きしていいですか? そのために……王の血が一滴、必要だと言っても、賛成してくれますか?」

 その質問に、フローラはすぐには答えなかった。
 古来より血は生命の象徴であり、命を司る力の源でもあるとされてきた。
 それだけに血を源にする呪力や、魔法儀式は古代には数多く存在していた。伝説では、飲むだけで不老不死の力を得ることのできる奇跡の血を持つ種族すらあるぐらいだ。

 だが、時代が下がるにつれ、それらの伝説や儀式は禁忌として避けられるようになってきた。
 禁呪のように外道な方法として倫理に触れるわけのではないが、血を触媒とする生々しさに誤解や嫌悪感を感じる者が多いため、今ではそれらの儀式を伝え知る者は少ない。

 だが、古代儀式に詳しい者から見れば、それもまた魔法の使い道の一種だ。
 二度の大戦で魔王軍と戦ったフローラは、魔法の儀式についてはかなり詳細に調べた経験もあるため、嫌悪感は薄かった。

 進んでやりたいとは思わないが、それが必要であれば別に拒否をするつもりはない――その程度の考えだ。

「……説明はしてもらえるのかしら?」

「ええ、全部が終わった後でならね」

 愛想よく答えるポップに、フローラは苦笑する。
 つまり、ポップは詳細を説明をする気はないということなのだろう。

 少なくともポップはそれを成し遂げる後までは、他人への説明をする気はないのか、したくてもできない事情があるらしい。
 だが、その代わりポップは調子のいい口調で、簡単に結果だけを説明してくれた。

「おれの考えが上手くいけば、封印してある黒の核晶を誰にも気付かれないうちに、一気に消滅させることができますよ。
 ま、失敗しちゃったらなんともなんないだけど、そこは現状維持ですむから、別に害もないですし」

「それは耳よりなお話ね。つい、誘惑されてしまいそうだわ」

 ポップに合わせて少し軽口を叩いてから、フローラは真顔に戻る。

「でも、答えるまえにこちらからも聞かせてもらうわ。
 黒の核晶を消すのだけが、あなたの目的なの?」

「……んー、ちょっと違うんですよねー。確かに黒の核晶を消せるかもしれないけど、それは結果であって、目的じゃない。
 おれの目的は、ただ……あいつを連れ戻したいってことだけなんです」

 半ば独り言の様に呟くポップの、『あいつ』が誰を指し示す言葉なのか、フローラは知っていた。
 なにしろ、フローラはポップが勇者ダイに蹴り落とされたところを目の当たりにした、一人なのだから。

 今でさえ、ポップがダイの名を呼んでうなされている夜があるのを知ってる。
 読むことさえ難しいはずの、カール王国の秘文書を食い入るように読みふける熱心さが、なにを求めての物なのか、知らないはずがない。

 ポップの願いが純粋なものであり、我欲など微塵もないことはフローラはよく承知している。
 それを踏まえた上でフローラは思考を巡らせ――そして、女王として決断を下した。

「ごめんなさいね、ポップ君。カール女王としては、その話に耳を貸す訳にはいかないわ。聞かなかったことにさせてもらっても、いいかしら?」

 黒の核晶を個人の一存だけで、消去する計画。
 しかも、その目的は行方不明になった勇者ダイを連れ戻ることにあるという。
 ――そんな話を、重臣達に承認させる自信はフローラとてなかった。

 黒の核晶を他国への牽制となる大事な宝と捉えている者は少なくはないし、勇者の行方不明をむしろ好都合と考えている者さえ、決して少数派とは言い切れない。
 フローラ個人としてはともかく、一国の女王としては他人の賛同を得られないであろう怪しげな儀式に、賛成するわけにはいかない。

 もし、フローラが女王としてこの件の後押しをするのであれば、国論が真っ二つに割れるのは目に見えている。
 カール王国女王として、そんな危険はおかせなかった。

「あー、やっぱ、当然ですよね。いいんですよ、ダメ元で聞いてみただけだし……」

 がっかりとした顔をしながらも、それでも相手に気を使わせまいとしているのか、明るく振る舞おうとするポップを遮り、フローラは優しく声を掛けた。

「だから……これは、誰にも内緒にしておいてね」

 一度、唇に一本の指を押し当てたフローラは、くすっと笑ってからその手をテーブルの上に置いてある果物籠に伸ばす。
 宝飾のついた小さな果物ナイフを手に取ると、フローラはそれを自分の左手の薬指の先にぴたりと当てる。

「フ、フローラ様?!」

 自分から頼んできたくせに、いざとなると慌てふためくポップに苦笑しながら、フローラはナイフをぎりぎりの所で一旦止める。
 そして、ポップに向かって話しかけた。

「女王として賛成できないけれど、個人としては力を貸してあげる。あなたは私にとっては、夫の大切な弟子で――弟も同然ですもの」

 女王としては賛成できなくても、個人としてはポップの願いを応援したい気持ちは強い。たとえ、理由の説明を受けずとも、多少のリスクを負うものであったとしても――。
 フローラは慎重に手に力を込め、指先をわずかばかり傷つける。

 ナイフによってつけられた目に見えないぐらい小さな線が、一瞬遅れてから赤い線と変わり、それがゆっくりと膨れ上がっていく。
 丸い粒となる血の滴が落ちきるまえに、フローラはポップを急き立てた。

「血の儀式を望む以上、血を受けるための魔法道具ぐらいは用意してあるのでしょう? 早くお出しなさい、一滴しかあげないんだから無駄にしないで欲しいわ」

 呆然とした表情でフローラを見ていたポップは、慌てた様にどこからか小さな玉の形をした魔法道具をとりだした――。

 

 

 

「よっ、姫さん。おひさー」

 そう言って突然、窓からひょっこりとやってきたポップを見て、執務室にいたレオナは驚きの表情を見せる。
 だが、すぐにそれは大袈裟な怒りの表情に変わって、彼女は膨れて文句をつけだした。


「ちょっとちょっとポップ君、どうしてあなたっていつも突然くるのよ? しかも窓からだなんて、せめて門からきてくれないかしら?」

 皮肉や刺を含めての文句に、ポップは頭を掻いておどけて見せる。

「悪イ、悪イ、どうも正門とかって苦手でさー。それに、すぐにカールに戻んなくちゃいけないから、時間ないし。
 ところでさ、これ、預かっといてくれる?」

 と、ポップが差し出したのはビー玉程の大きさのガラス玉が入った小瓶だった。

「これを絶対に瓶から出さないで、保管しておいて欲しいんだ。おれが持っていてもいいんだけど、万一無くすとまずいからさ」

 透明な色合いの小さなビー玉に、真紅の滴が封じられたかのようなその品は、レオナにとって初めて見るものだった。

「へえ、綺麗ね。でも、これってなんなの?」

「……ま、いずれ、教えるよ。じゃ、おれ、急ぐからまた今度な!」

「あっ、ちょっと?!」

 咄嗟にとめようとしたレオナの手をすり抜けて、ポップは鳥の様に一瞬で空に舞い上がっていった。

「まったく、説明ぐらいしていきなさいよね……!」

 光の軌跡だけを残して消えてしまった魔法使いを、怒った様に見上げたレオナは、すぐにその怒りの表情を消し去った。
 言う程、レオナはポップに対して怒りなど感じてはいない。

 むしろポップの元気そうな様子を見て、ホッとしていた。それに説明だって、不要といえば不要だ。
 この玉の意味など知らなくとも、ポップの頼みならば引き受けてもいいと思えるだけの信頼は、すでに存在している。

 それに、レオナには確信めいた思いがあった。
 ポップの持ってきたこの小瓶が、ダイへの再会に繋がるものに違いない、と――。
 そう思えば、迂闊に扱えるはずがない。

 ポップの頼みだからという以上の意味を込めて、レオナは丁寧にその小瓶を片手で握りしめ、侍女を呼ぶためのベルを鳴らす。
 レオナにできる限り、最大限に厳重に小瓶を保管し、大切にしまっておくために――。

 

 

 ポップはその後も、ロモスの留学中に一度、ベンガーナの留学中にも一度、同じ物をレオナに預けにきた。
 その意味も知らぬまま三つの玉を預かっていたレオナが、その意味を知るのはこれより数ヵ月後……ダイを帰還させるための計画をポップが実行する時のことになる――。
                                     END


《後書き》
 魔界編のお話、大詰め部分のお話の一つです!

 …いや、その割には、伏線っぽい話で終わってるんですが(笑)
 魔界編は、ポップが仲間の協力を求めながらダイを連れ戻すのをテーマにしているので、あちこちでちょこちょこと話が繋がっています。
 その最中ポップは全王達の個人的な協力も得ている設定を前々から考えていたので、やっと書けて嬉しいですv
 
 

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