『一滴の血』 |
黒の核晶――大魔王バーンが地上を滅ぼすために用意した6つの超爆弾は、効力の割には大きさはさほどでもない。 だが、腕の中に抱え込めてしまう程の大きさながら、それは世界を滅ぼす力を秘めた球だ。 まして6つ全てを手中に収めた者は、文字通り世界の運命をその手にするも同然だ。 各国の王達はそれぞれの国の領内で極力人が近付こうとしない場所を提供し、二度と使用できないように二重三重の魔法の封印をかけることに合意した。 ……そして、ごく一部の者しか知らない事実だが、秘密を知る者はもう三人いる。
このことは誰にも内緒ですよ、と秘密めかせながらフローラはそう口にした。 だが、ポップが留学してきてから半月もしないうちにその考えを改めることになった。 その頃にはもう、ポップは自分の家族の同然に親しい存在になっていた。 だが、王宮で共に過ごす静かな時間は、ポップの見掛けによらぬ頭脳と社交性を知る時間になった。 大抵の人間は、たとえ気にするなと言われても身分に萎縮をする。 おまけに打てば響く様な反応の良さで、機転の効いた言葉を返してくるポップとの会話は、小気味良くて実に気楽に楽しめる。 視察に出掛けたアバンの帰りを待ちながら、まるで年の離れた姉弟のように過ごす時間は、悪くはない。 (本当にこんな弟がいたら、心強かったのに) 女性ながらたった一人の王位継承者として、カール王国を背負ってこなければならなかったフローラは、兄弟の存在を何度夢見たことか。 アバンがまだカール王国にいた頃の話や、今は無きアルキード王国の話、王国を背負う立場の者のちょっとした裏話など、普段は誰にも話すことのできない話をするのは楽しかった。 面白がって聞くポップもまた、その返礼とばかりにアバンとの旅の思い出などを披露する。 黒の核晶という、望まずに得てしまった史上最悪の宝について。 「なぜですか。あれ以上、いい解決方法なんかないでしょ?」 無論、フローラとて夫であるアバンの考えた解決方法に異議などないし、第一あれ以上の方法など思いつかなかった。 メドローアでさえ最悪の場合は誘爆の危険性があるとマトリフが判断した以上、機能を停止させた状態で封印をかけるのが最善と思える。 「……現状では、あれが最善だと私も思っています。ですが、先々のことを考えると、あなた達三人に大きな責任と危険を負わせる封印を選択したのは、本当は間違いでは無かったのかと思うのですよ……」 公的には、黒の核晶はそれぞれ一つずつ、各国の王のみが保管していると発表されている。 だが、実際には各国の王達は黒の核晶が封印された場所を知っているだけであり、その封印を解除する方法も知らなければ、使用方法も知らない。 特に、フローラが心配しているのはポップの未来だった。 だが、人は時として、ひどく愚かになる時があるものだ。 黒の核晶は人の手に扱える様なものではないと知らぬまま、強大な力を欲する者が生まれる可能性を、フローラは危惧していた。 自分の手元にあるはずの宝を、名目だけでなく完全に自分の物にしたいと望まないものがいるだろうか? 自国で保有しているはずの超兵器を、自分達が利用出来ないことを不満とし、封印を外したいと望むようになれば、世界のバランスはそれだけで崩れる。 もちろん、ポップが充分以上に信頼にたる人間だとフローラは確信しているし、ポップの人懐っこさや他人を惹きつける力も高く評価している。 他人を妬む心に取り付かれたものには、他人の長所など目に入るまい。むしろ、かえって嫉妬を掻き立てる短所として、攻撃の理由とされる可能性すらある。 「……できることならば、私の代で黒の核晶の始末しておきたいものですけど――」 本心からの想いをこめ、フローラは呟く。だが、その声音に憂いが交じるのは、それが容易になし得ることのできない難事だと承知しているせいだ。 たとえ処分する方法を見つけたとしても、世界の他の国の王達が超兵器を持っているのにも関わらず、カール王国のみが手放すのを、不安に思う者は少なくあるまい。 「じゃあ、フローラ様。 雑談のついでの冗談として聞き流してしまいそうな程、軽い口調。だが、そう言った瞬間のポップの目は、真剣そのものだった。 「それは……是非聞いてみたいものね。カール王国女王として、興味があるわ」 私的な場所での寛いだ表情を脱ぎ捨て、公人としての顔で二代目大魔道士に向かい合う。 その時はポップもまた、大魔王バーンと戦った時に見せていた表情を浮かべていた。 相手の心理を読み取ろうと、一挙一動を見逃さないとばかりに真剣な目を向けてくる少年の目付きに、フローラはふと懐かしい人の面影を思い出す。 「なら、もう一つお聞きしていいですか? そのために……王の血が一滴、必要だと言っても、賛成してくれますか?」 その質問に、フローラはすぐには答えなかった。 だが、時代が下がるにつれ、それらの伝説や儀式は禁忌として避けられるようになってきた。 だが、古代儀式に詳しい者から見れば、それもまた魔法の使い道の一種だ。 進んでやりたいとは思わないが、それが必要であれば別に拒否をするつもりはない――その程度の考えだ。 「……説明はしてもらえるのかしら?」 「ええ、全部が終わった後でならね」 愛想よく答えるポップに、フローラは苦笑する。 少なくともポップはそれを成し遂げる後までは、他人への説明をする気はないのか、したくてもできない事情があるらしい。 「おれの考えが上手くいけば、封印してある黒の核晶を誰にも気付かれないうちに、一気に消滅させることができますよ。 「それは耳よりなお話ね。つい、誘惑されてしまいそうだわ」 ポップに合わせて少し軽口を叩いてから、フローラは真顔に戻る。 「でも、答えるまえにこちらからも聞かせてもらうわ。 「……んー、ちょっと違うんですよねー。確かに黒の核晶を消せるかもしれないけど、それは結果であって、目的じゃない。 半ば独り言の様に呟くポップの、『あいつ』が誰を指し示す言葉なのか、フローラは知っていた。 今でさえ、ポップがダイの名を呼んでうなされている夜があるのを知ってる。 ポップの願いが純粋なものであり、我欲など微塵もないことはフローラはよく承知している。 「ごめんなさいね、ポップ君。カール女王としては、その話に耳を貸す訳にはいかないわ。聞かなかったことにさせてもらっても、いいかしら?」 黒の核晶を個人の一存だけで、消去する計画。 黒の核晶を他国への牽制となる大事な宝と捉えている者は少なくはないし、勇者の行方不明をむしろ好都合と考えている者さえ、決して少数派とは言い切れない。 もし、フローラが女王としてこの件の後押しをするのであれば、国論が真っ二つに割れるのは目に見えている。 「あー、やっぱ、当然ですよね。いいんですよ、ダメ元で聞いてみただけだし……」 がっかりとした顔をしながらも、それでも相手に気を使わせまいとしているのか、明るく振る舞おうとするポップを遮り、フローラは優しく声を掛けた。 「だから……これは、誰にも内緒にしておいてね」 一度、唇に一本の指を押し当てたフローラは、くすっと笑ってからその手をテーブルの上に置いてある果物籠に伸ばす。 「フ、フローラ様?!」 自分から頼んできたくせに、いざとなると慌てふためくポップに苦笑しながら、フローラはナイフをぎりぎりの所で一旦止める。 「女王として賛成できないけれど、個人としては力を貸してあげる。あなたは私にとっては、夫の大切な弟子で――弟も同然ですもの」 女王としては賛成できなくても、個人としてはポップの願いを応援したい気持ちは強い。たとえ、理由の説明を受けずとも、多少のリスクを負うものであったとしても――。 ナイフによってつけられた目に見えないぐらい小さな線が、一瞬遅れてから赤い線と変わり、それがゆっくりと膨れ上がっていく。 「血の儀式を望む以上、血を受けるための魔法道具ぐらいは用意してあるのでしょう? 早くお出しなさい、一滴しかあげないんだから無駄にしないで欲しいわ」 呆然とした表情でフローラを見ていたポップは、慌てた様にどこからか小さな玉の形をした魔法道具をとりだした――。
「よっ、姫さん。おひさー」 そう言って突然、窓からひょっこりとやってきたポップを見て、執務室にいたレオナは驚きの表情を見せる。
皮肉や刺を含めての文句に、ポップは頭を掻いておどけて見せる。 「悪イ、悪イ、どうも正門とかって苦手でさー。それに、すぐにカールに戻んなくちゃいけないから、時間ないし。 と、ポップが差し出したのはビー玉程の大きさのガラス玉が入った小瓶だった。 「これを絶対に瓶から出さないで、保管しておいて欲しいんだ。おれが持っていてもいいんだけど、万一無くすとまずいからさ」 透明な色合いの小さなビー玉に、真紅の滴が封じられたかのようなその品は、レオナにとって初めて見るものだった。 「へえ、綺麗ね。でも、これってなんなの?」 「……ま、いずれ、教えるよ。じゃ、おれ、急ぐからまた今度な!」 「あっ、ちょっと?!」 咄嗟にとめようとしたレオナの手をすり抜けて、ポップは鳥の様に一瞬で空に舞い上がっていった。 「まったく、説明ぐらいしていきなさいよね……!」 光の軌跡だけを残して消えてしまった魔法使いを、怒った様に見上げたレオナは、すぐにその怒りの表情を消し去った。 むしろポップの元気そうな様子を見て、ホッとしていた。それに説明だって、不要といえば不要だ。 それに、レオナには確信めいた思いがあった。 ポップの頼みだからという以上の意味を込めて、レオナは丁寧にその小瓶を片手で握りしめ、侍女を呼ぶためのベルを鳴らす。
ポップはその後も、ロモスの留学中に一度、ベンガーナの留学中にも一度、同じ物をレオナに預けにきた。 《後書き》 …いや、その割には、伏線っぽい話で終わってるんですが(笑) |