『精霊達の祝福』 |
湖から上がってきたばかりのポップは、そう呟いてそのまま身を投げ出す様にゴロンと横になった。 テランにある、竜の騎士の遺跡が眠ると言われている湖。 ダイの話では、竜水晶は意志を持っているかのように喋り、ダイの質問に答えてくれたという。 もしかして竜水晶ならば、行方不明になったダイの居場所を教えてくれるかもしれないとの希望に縋り、ポップはテランにやってきた。 バランによって半ば壊されていた遺跡内部に苦労して入り込み、なんとか竜水晶を見つけはした。だが、どんなに声をかけたところで竜水晶は、ポップの声には全く反応しなかった。 大きなひびが入っていたから、そのせいかもしれない。 それでも生来の諦めの悪さから何度も何度も水に潜り、幾度となく呼び掛けてみたり、ものは試しと魔法力を注いで修復してみようとしたりもした。 だが魔法力を使い果たしたせいで、もう移動魔法もろくに使えない。ここから徒歩圏内で行ける場所ともなれば、限られている。 一番近い、知り合いのいる場所……テラン城までいけば、泊めてくれるのは分かっていた。テラン王フォルケンとポップは面識があるし、フォルケンは物静かだが思慮深くで懐の広い人物だ。 ポップが突然訪れ一夜の宿を求めたからといって、追及せずに泊めてくれるだろうという確信はある。 あまりにも心が傷つき、失望を感じているからこそ、他者の暖かみを受け入れる勇気がないのだ。 他人の優しさをむしろ疎ましくさえ感じる気持ちが強くて、ポップはぼんやりと森の方に目をやる。 (……そういや、あっちに小屋があったっけ) ダイが記憶喪失になった前後、ほんの短い間だが数日寝泊まりした小屋だった。 重い身体を引きずる様に、ポップはのろのろと立ち上がり、森の奥の小屋へと向かっていった。
濡れた服を一応は着替え、暖炉に火をつけて部屋をお義理程度に暖め、堅くてまずい保存食を胃に流し込む。ほとんど機械的にそれらの作業をこなしたポップは、湿っていて寝心地の悪いベッドに潜り込んで目を閉じる。 身体を休めるためというより、まるで嫌な義務でもあるかの様にそうするポップは、自分で思っている以上に憔悴していた。 だが、今のポップにとって、休息は心を休めるものではない。体力や魔法力を取り戻すために、仕方がなく行わなければならない時間であり、心を苛む時間になっていた。 あれからずっと、ポップはダイを探して旅をしていた。……だが、それは報われない努力だった。 ただでさえ体力と魔法力のぎりぎりまで使う旅をしているというのに、こんな休息しか取れないのであれば、少しずつ消耗していって当然だ。 力を使い果たしたせいで墜落する様に眠りについたポップだが、その眠りは安らかな眠りとは程遠かった――。
だが、高い資質を持つ魔法使いならば、その存在を知ることが出来る。空気よりも希薄な存在ではあっても、彼らが確かに存在し、人を見守っていることを――。
竜の騎士と彼を愛した娘の間に生まれた子供と、この魔法使いが、この小屋に泊まった日のことを、精霊達は決して忘れてはいない。
もし、ポップがいつも通りの状態だったのなら、きっと彼らの存在に気がついただろう。だが、心を深く閉ざした今の状態では、無理な話だ。 深い生傷が、繊細な心をズタズタに引き裂きかけている。だが、それを無理やりに支えているのは、彼の持つ強い意思だ。
そして、ひび割れて壊れそうな心を、少しでも癒やしてやるために。 幸いなことに、力の足掛かりとなる『もの』が、この魔法使いの少年にはあった。 神の涙が心や意思を持つ様に、人間の言葉を操る魔法道具もまた、人間に近い心の持ちようや意思を持つ。 竜の騎士に思いをかけた上、自分を修復しようとした魔法使いに対する謝礼へと、竜水晶はほんのわずかだが力のかけらを分けてやった。 いかに魔法力に恵まれていても、ポップはただの人間だ。時間を超える魔法を、使えるはずもない。 だが、精霊にとっては時間操作はお手の物だ。現在では使えない力も、古代の神の眷属の生み出した魔法道具の補助があれば、増幅させるのはたやすい。 時間を超え、ポップの心の傷を癒やすことの出来る時代を探す。もっとも、魂を遡らせるにせよ、この場所からは動けない。さすがに力が足りなくて、時間はともかく空間は超えることは難しすぎる。 だが、この小屋に十数年とどまり続けた精霊達は、自分達の記憶を頼りにこの魔法使いの少年を、とある過去へと導く。
瞬間移動呪文に似た浮遊感――それに驚いたポップは目を開け……そのまま、さらに大きく目を見張る羽目になった。 「な、なんだ……!?」 さっきまで、ポップは無人の小屋のベッドで寝ていたはずだった。 だが、さっきまで埃に塗れ、放ったらかしにされている感が強かった小屋は、今はこざっぱりと片付けられた空間になっていた。 ポップが寝ていたはずのベッドさえ、木の香りの漂う新品に変わっていた。くたびれ、汚れていたシーツや毛布も、きちんと洗濯の行き届いた綺麗なものに変わっていた。 そして、ポップ自身も変化していた。 手も、足も、光り輝く輪郭となってぼうっとかすんでいるだけだ。慌てて自分で自分に触れてみるが、スカスカと空ぶるばかりでなんの実感もなかった。 (ま、まさか、おれ、今度こそ死んじまったんじゃ……っ!?) そんな恐怖に駆られた瞬間、ガチャと扉が開く音が聞こえてきた。 (ま、まずいっ) 反射的に、ポップはそう思ってしまう。 帰宅してきて、家に変な人影が見えるだなんて事態にでっ食わしたら、良くて泥棒かなにかに間違えられるか、悪かったら幽霊か化け物扱いされるだろう。 「あら……あなた、どなたなの?」 優雅に小首を傾げ、おっとりとした口調でそう尋ねてきただけでも驚きだが、彼女の反応はさらに予想の上をいっていた。 「あ、人に尋ねる時は、こちらから名乗らないと失礼ですわね。 「え、えーと……」 不審な人影に恐れを見せる気配もなく、にこにこと返事を待ち受ける娘を前にして、ポップは思わず言葉に詰まる。 ポップよりも数才とは言え年上に見えるのに、どこか子供っぽいというか、気が抜ける程に無邪気で天然だ。 (……なんか、誰かに似てるな) ふっと思い出すのは、他人に対して警戒心やら偏見など微塵ももたない、天然お気楽勇者だった。 よくよく見れば粗末な服装ではあるが、彼女にはどことなく品があるというのか、ただの村娘とは違った雰囲気があった。 「え!? ……まさか、ソアラって、ソアラ姫? あんた、アルキードのソアラ姫なのか!?」 びっくりした様に、ソアラが息を飲む。 「あなたは……私達を追って、来たの?」 初めて、彼女の目に怯えが浮かぶ。それを案じて、ポップは否定した。 「いいや、違うよ。 間違っても、ポップにはソアラと敵対したいとは思わない。ついでに言うのなら、バランと戦いたいなどとはもっと思うわけがない。 最初は成り行きから戦う羽目になったとはいえ、まさに人間離れした超人的な彼の強さや、なによりダイとバランが最終的に和解したことを思えば、ポップは彼と戦いたいとは思わない。 「それに、おれはこの時代の人間じゃないんだ。 簡単に説明しながら、ポップは失礼とは思いながら、思わずソアラの胴体辺りを見つめてしまう。 だが、ソアラの場合はその膨らみは目立たなかった。 「未来? あなたは、未来から来たの? あなたは、いったい誰?」 目を丸くして、ソアラが聞き返すのも無理はない。 それに、ポップ自身もどうしてここに来たのかなんてさっぱりと分かっていないのだから。 「えっと、おれはダ……いや、あんたのお腹の中の子の、友達なんだよ」 「まあ……! この子のお友達なの?」 まだ少女の面影を色濃く残したソアラは、嬉しそうに微笑んだ。 「あなたが知っているこの子は、何歳ぐらいなのかしら? きっと、大きくなったでしょうね。この子は、幸せかしら?」 疑いもせずに素直にポップの言葉を信じ、無邪気にはしゃぐソアラを見ていると辛くなる理由を、ポップは知っていた。 (この女性は、何も知らないんだ……。自分が、もうすぐ死ぬことも――) ポップは、そう詳しくソアラの最期を知っているわけではない。戦いの最中、ラーハルトから簡単にバランの過去を聞いた程度なのだから。 そして、この後なにが起こるかも、ポップは知っていた。 彼は妻と我が子の助命を条件に、自分自身は不平等な裁きを受け、処刑を受け入れようとする。だが、ソアラが身を投げ出してバランを助けようとし……絶命するのだ。 ソアラの死の衝撃に、バランが理性を失って暴走し、故国が滅びる未来も。 母と呼ぶのもためらわれる若々しいソアラは何も知らぬまま、無邪気に質問を投げ掛けてきた。 「ねえ、教えてはもらえないかしら? この子は、男の子? それとも女の子かしら?」 ――過去の人間に、未来を教えるのはよいこととは言えない―― そう書かれた文献をいつか読んだ記憶を思い出したが、ポップは答えずにはいられなかった。 「……男の子、だよ。勇気のある、元気な男の子だ」 そう言った途端、その場がパッと華やいだように思えた。 「本当!? ああ、嬉しいわ、私、男の子がほしかったの。あの人によく似た、強い子が」 無邪気に喜ぶソアラをとても見ていられなくて、ポップは思わず顔を逸らした。自分の姿が、光の輪郭としか見えないのを感謝しながら――。 「ああ、よく似ているよ。……そうだな、変に頑固で強情なところなんか、そっくりだ」 数少ないバランとの思い出と、忘れることのできない親友との思い出を重ね合わせて、ポップは答える。 「まあ……!」 ポップの言い方がおかしかったのか、ソアラは声を立てて笑う。 その疑問に、ポップはすぐには答えられなかった。 戦いの中で、化け物じみた強さを発揮するダイを、ポップは何度となく見てきた。 「……私、……不安なの。その力が、この子を幸せにするか、どうかが……」 うちひしがれるソアラは、レオナやフローラとはずいぶんと印象が違うと、ポップは思った。 人の上に立ち、他者を導いて行こうとする者の持つ覇気がないのだ。 政務を行う者であれば、必須とも言える条件をまったく持ち合わせていないソアラは、ごく普通の女性にしか見えない。 「もしかしたら、人以上の力を持つことは、この子に不幸をもたらすだけではないかって――」 不安そうなソアラの言葉に、ポップは相手からは自分の姿が見えないのも忘れて、大きく首を振っていた。 「違う! そんなことはねえ!」 それは、絶対の確信だった。 「そんなことは、絶対にねえよ! あいつの力は、何度もおれやみんなを助けてくれた!! あいつがいなかったら、みんな、今ごろどうなっていたか――」 「……!」 ソアラの目が、大きく見開かれる。懐かしさを掻き立てるその目を見つめながら、ポップはきっぱりと言い切った。 「おれは、あいつを信じている。 ポップの宣言を聞いたソアラから、それまでの不安が淡雪の様に消え失せる。再び、彼女の顔には太陽の様な笑顔が戻った。 「……ありがとう。あなたのような子が、この子の友達になってくれるなんて、嬉しいわ」 その言葉を聞いたのとほぼ同時に、ポップは再び自分が瞬間移動呪文に似た浮遊感に包まれるのを感じた。
思わず跳ね起きようとしたが、疲れきったポップの身体はわずかにベッドの上で跳ねただけに過ぎなかった。 自分の目に映る手は、いつも通りの自分の腕だ。男にしては少々細っこくて頼りない手は、別に光に包まれてもいないし、ちゃんと触れる。 眠る前、自分がともした暖炉の火が消え掛けている小屋は、さっきまで見ていた真新しい小屋とは別の場所の様に感じる。 「……ゆ……め?」 ぼんやりと呟きながら、ポップはゆっくりと身を起こす。 バランの妻となり、ダイの母となったアルキード王国王女、ソアラ。 (まさか……それが、ここだってぇのか?) 奇妙な縁や動揺を感じながら、ポップは改めて小屋の中を眺め回す。 国を捨て、駆け落ちした理由ありの恋人が隠れ住むには相応しい場所かもしれない。 それを教えたなら、ダイはどんな顔をするだろう。 その繰り返しはポップにとってはひどく辛いものではあったが、それでも、感じるのは辛さだけではなかった。 これが、夢であっても構わない。 (……こーゆーのも、精霊の悪戯っていうのかな) 昔、アバンから習った覚えがある。 精霊の力が弱まった現代では、御伽話にも等しい話。 「あのよ。もし、この小屋に精霊がいるのなら……ありがとうな」 声にだして礼を言うのはちょっぴり気恥ずかしい気がしたが、ポップは誰もいない小屋に向かって軽く頭を下げた。 だが、それでもなんとなく感じる、わずかな気配がある。 まだ、夜明けまでには間がある。最初にこの小屋で眠ろうとした時よりも、ずっと穏やかな気持ちでポップは再び眠りに落ちていた――。 精霊達が、飛び回る。 歓喜の想いが、精霊達の力を強めている。自分達の存在を認めてくれ、なおかつその行動に感謝してくれる人間に出会えることなど、そうめったにあることではない。
原作であの小屋が出てきたシーンはごく短いんですが、なんとなく好きで捏造のしがいがあるんですよっ。
『精霊達の祝福 ーソアラー』
「あ……」 ソアラの目の前で、不思議な少年はあっけなく消えてしまった。 できるなら、もっと話したかった――ぉう残念にすら思っていると、小屋の扉が開いて長身の男が姿を現した。 「ソアラ?!」 薪を割るための斧を手にしたままで小屋に飛び込んできたバランは、気遣わしげな視線を周囲に向ける。 彼の鋭敏な感覚には、ここに常とは異なる存在がいたことを察知していた。だからこそ、薪割りを中断して中に飛び込んできたのだが、妻の様子は拍子抜けするぐらいいつも通りだった。 「あら? あなた、どうかなさったの?」 と、おっとりと返されては、バランは自分の感じた気配を口にするのがかえって恥ずかしくなってしまう。 (少し、神経過敏になっているのかもしれないな) 自分の幸せが信じられなくて、バランはいつか追っ手なり、なんらかの罰が与えられるのではないかと、怯えていた。 「いや、たいしたことじゃない。ところでソアラ、さっき思いついたんだが……女の子だったらソレイユ、という名前はどうだろうか?」 それは、口から出任せばかりとは言えなかった。 今あげた名は、ついさっき思い付いたばかりの最新版だ。 「太陽、という意味だ。君の名前と少し響きが似ているし、いい名前だと思うんだが……どうだろう?」 大まじめな表情で、それでいてどこか心配そうに尋ねるバランに対して、ソアラは微笑まずにはいられない。 バランは自嘲気味に、自分をそんな存在だと言うことがあるが、ソアラには到底そうとは思えない。 「素敵な名前ね。とても気に入ったわ……でも、多分、その名前は次の子供にまでお預けになるわ。 力強い妻の断言に、バランは当惑を隠せない。 「しかし、まだ分からないのだろう」 本来、種族維持のために子孫を残す習慣のない竜の騎士だが、蓄えられた膨大な知識の中には出産の知識はある。 実際に生んでみるまで、その子が男か女かが分かるはずがない。事実、今朝の朝食の段階では、ソアラは生まれるのは男の子かしら、女の子かしらと、言っていた。 「分かるの。この子は、男の子なの。 確信ありげなソアラの言葉に、バランはわずかに首を傾げずにはいられない。だが、異を唱える気はなかった。 何の根拠もないし、予測もできないはずのことを、なぜかやすやすと当ててしまう女性の直感力。 妻に尻に敷かれた男の大半がそうである様に、それを軽視するつもりはバランにはもうなかった。 「そうなのか? まあ、君がそう言うのなら、そうなのかもしれないな」 「ええ、そうなのよ。すぐに分かるわ」 くすくすと笑うソアラの声が、耳に心地好い。 「だから、これからは男の子の名前を考えましょうね。二人で――」 「ああ。そうしよう」 生真面目に頷き、バランはこの上もなく大切なものを抱きしめるかのような仕草で、最愛の妻を抱きしめた――。 《後書き》 最初、ソアラと別れて一人旅立つはずが、彼女を連れて駆け落ちしているし、ダイの本名のディーノもアルキード王国の言葉ですしね(笑) 原作ではほぼ出番のない女性なだけに、イメージをどう膨らませるかは自由なだけに、楽しく捏造させていただきました♪ |