『精霊達の祝福』

  


「外れ、かぁ……」

 湖から上がってきたばかりのポップは、そう呟いてそのまま身を投げ出す様にゴロンと横になった。
 身体がひどく重く、気怠い。
 そう感じるのは水から上がったばかりという理由以上に、失意の配分の方が強いだろう。
(ここなら……もしかしたら、って思ったのにな……)

 テランにある、竜の騎士の遺跡が眠ると言われている湖。
 魔王軍との戦いの最中、ダイは自分の出生を知るためにこの湖に潜り、竜水晶という喋る不思議な球を見つけた。

 ダイの話では、竜水晶は意志を持っているかのように喋り、ダイの質問に答えてくれたという。
 竜の騎士に真実を伝えるためにだけ存在する、意思を持つ古代よりのアイテム。

 もしかして竜水晶ならば、行方不明になったダイの居場所を教えてくれるかもしれないとの希望に縋り、ポップはテランにやってきた。
 だが――結果は徒労に終わった。

 バランによって半ば壊されていた遺跡内部に苦労して入り込み、なんとか竜水晶を見つけはした。だが、どんなに声をかけたところで竜水晶は、ポップの声には全く反応しなかった。

 大きなひびが入っていたから、そのせいかもしれない。
 それとも、もともと人間の声には反応するようにはできていないのか。
 混血児であるダイにも反応したのだからもしかしたらと思ったのだが、わずか一滴の竜の騎士の血で蘇った人間には無反応だった。

 それでも生来の諦めの悪さから何度も何度も水に潜り、幾度となく呼び掛けてみたり、ものは試しと魔法力を注いで修復してみようとしたりもした。
 だが、それらは結局徒労に終わり、ポップは何の手掛かりも得ることが出来なかった。
 無理をし過ぎて、溺れる寸前にまで疲れきったポップは、ぼんやりと日が暮れていく空を見上げていた。
 季節はすでに冬へと差し掛かっている。この時期に寒中水泳というだけでも無茶だというのに、濡れた身体のまま野宿など自殺行為もいいところだ。

 だが魔法力を使い果たしたせいで、もう移動魔法もろくに使えない。ここから徒歩圏内で行ける場所ともなれば、限られている。
 宿屋の少ないテランなだけに、宿を求めたければかなり遠くまで歩くことになってしまう。

 一番近い、知り合いのいる場所……テラン城までいけば、泊めてくれるのは分かっていた。テラン王フォルケンとポップは面識があるし、フォルケンは物静かだが思慮深くで懐の広い人物だ。

 ポップが突然訪れ一夜の宿を求めたからといって、追及せずに泊めてくれるだろうという確信はある。
 だが、今は、そんな優しい気遣いさえ辛いと思った。

 あまりにも心が傷つき、失望を感じているからこそ、他者の暖かみを受け入れる勇気がないのだ。
 その暖かさに縋り、もう立てなくなってしまいそうで――それが怖かった。

 他人の優しさをむしろ疎ましくさえ感じる気持ちが強くて、ポップはぼんやりと森の方に目をやる。

(……そういや、あっちに小屋があったっけ)

 ダイが記憶喪失になった前後、ほんの短い間だが数日寝泊まりした小屋だった。
 ダイが記憶を失ったり、ザボエラの罠にかかったり、ハドラーに殺されかけたりと、ポップ的には何一ついい思い出のない小屋ではあったが、一人になれるのは魅力だった。

 重い身体を引きずる様に、ポップはのろのろと立ち上がり、森の奥の小屋へと向かっていった。








 しばらくぶりにきた小屋は、なにも変わってはいなかった。
 誰も来ていないことを示すかの様に埃っぽく黴びた臭いがする小屋は、それでも一夜の宿を借りるには充分だった。

 濡れた服を一応は着替え、暖炉に火をつけて部屋をお義理程度に暖め、堅くてまずい保存食を胃に流し込む。ほとんど機械的にそれらの作業をこなしたポップは、湿っていて寝心地の悪いベッドに潜り込んで目を閉じる。

 身体を休めるためというより、まるで嫌な義務でもあるかの様にそうするポップは、自分で思っている以上に憔悴していた。
 休息とは、単に身体を休めるだけでは不十分だ。心も同時に癒やしてこそ、初めて体力、気力共に蘇る。

 だが、今のポップにとって、休息は心を休めるものではない。体力や魔法力を取り戻すために、仕方がなく行わなければならない時間であり、心を苛む時間になっていた。
 最後の戦いが終わってから、すでに二ヵ月余りが過ぎた。

 あれからずっと、ポップはダイを探して旅をしていた。……だが、それは報われない努力だった。
 何度となく希望を抱いて全力で頑張った揚げ句、何の甲斐もなく希望が潰される毎日は、精神を疲労させていく。

 ただでさえ体力と魔法力のぎりぎりまで使う旅をしているというのに、こんな休息しか取れないのであれば、少しずつ消耗していって当然だ。
 しかし、今のポップに自分の身を鑑みる余裕などない。

 力を使い果たしたせいで墜落する様に眠りについたポップだが、その眠りは安らかな眠りとは程遠かった――。








 精霊達が、飛び回る。
 普通の人間達にとっては不可視の存在であり、関知できない存在である者達。現在となっては、彼らの存在を実感出来るものは多くはないだろう。

 だが、高い資質を持つ魔法使いならば、その存在を知ることが出来る。空気よりも希薄な存在ではあっても、彼らが確かに存在し、人を見守っていることを――。


 精霊達は、覚えている。
 今、この小屋に来た魔法使いの少年が、以前にもここに来た日のことを。

 竜の騎士と彼を愛した娘の間に生まれた子供と、この魔法使いが、この小屋に泊まった日のことを、精霊達は決して忘れてはいない。
 あの日の嬉しさや、人間達に感じた愛しさは、いまだに彼らの中では鮮明なのだから。


 それゆえに――精霊達は、哀しむ。
 精霊の祝福を色濃く受けたはずのこの魔法使いの少年が、心を閉ざしてしまっていることに。

 もし、ポップがいつも通りの状態だったのなら、きっと彼らの存在に気がついただろう。だが、心を深く閉ざした今の状態では、無理な話だ。
 強い意思とは裏腹の深い絶望……精霊達の目には、ポップの心がひどく傷つき、ひび割れかけているのが見えている。

 深い生傷が、繊細な心をズタズタに引き裂きかけている。だが、それを無理やりに支えているのは、彼の持つ強い意思だ。
 ――それが、精霊達には哀しい。


 精霊達は、飛び回る。
 せめて、この魔法使いの少年に祝福を与えるために。
 消耗した身体を、少しでも休めてやるために。

 そして、ひび割れて壊れそうな心を、少しでも癒やしてやるために。
 精霊の祝福を受けるに足る素質と、不屈の勇気を持つこの魔法使いのために、精霊達は自分達の力を惜しげもなく使う。

 幸いなことに、力の足掛かりとなる『もの』が、この魔法使いの少年にはあった。
 竜水晶の力の余韻が、彼にはまとわりついていた。古代より伝わる魔法道具は、人間が思っている以上に不思議な効力を持つものだ。

 神の涙が心や意思を持つ様に、人間の言葉を操る魔法道具もまた、人間に近い心の持ちようや意思を持つ。
 壊れかけていても、また、使命以上のことはできないと分かっていても、それでも人間に対して感情を抱かないわけではない。

 竜の騎士に思いをかけた上、自分を修復しようとした魔法使いに対する謝礼へと、竜水晶はほんのわずかだが力のかけらを分けてやった。
 時を超えて、言葉を伝えることのできる魔法――そのままなら、その力は役には立たなかっただろう。

 いかに魔法力に恵まれていても、ポップはただの人間だ。時間を超える魔法を、使えるはずもない。
 せいぜい、良くて、瀕死の際にポップの言葉を、望む時代の望む相手へと届けるぐらいが関の山だろう。

 だが、精霊にとっては時間操作はお手の物だ。現在では使えない力も、古代の神の眷属の生み出した魔法道具の補助があれば、増幅させるのはたやすい。
 竜水晶の力を借りて、精霊達はポップの精神のみに働きかける。

 時間を超え、ポップの心の傷を癒やすことの出来る時代を探す。もっとも、魂を遡らせるにせよ、この場所からは動けない。さすがに力が足りなくて、時間はともかく空間は超えることは難しすぎる。

 だが、この小屋に十数年とどまり続けた精霊達は、自分達の記憶を頼りにこの魔法使いの少年を、とある過去へと導く。
 飛び交う精霊達から生み出される力がポップを包み、かの魔法使いの心を過去へと誘った――。








「……!?」

 瞬間移動呪文に似た浮遊感――それに驚いたポップは目を開け……そのまま、さらに大きく目を見張る羽目になった。

「な、なんだ……!?」

 さっきまで、ポップは無人の小屋のベッドで寝ていたはずだった。
 だが、ここは無人の小屋ではない。
 場所は、さっきと変わってはいない。それは確かだ。

 だが、さっきまで埃に塗れ、放ったらかしにされている感が強かった小屋は、今はこざっぱりと片付けられた空間になっていた。
 さっき、ポップが申し訳程度に火をつけた暖炉には鍋が掛けられ、くつくつと小さな音と良い匂いを撒き散らしている。

 ポップが寝ていたはずのベッドさえ、木の香りの漂う新品に変わっていた。くたびれ、汚れていたシーツや毛布も、きちんと洗濯の行き届いた綺麗なものに変わっていた。
 花を飾る花瓶や壁に掛けられた小さな絵など、女性を思わせる細やかな気遣いに満ちた小屋は、ポップがさっきまでいたはずの小屋とは、似て非なるものだった。

 そして、ポップ自身も変化していた。
 目を焼く、眩いまでの光。
 その源は、ポップ自身の身体から発せられていた。だが、ポップの目に映る自分は、いつもの自分ではない。

 手も、足も、光り輝く輪郭となってぼうっとかすんでいるだけだ。慌てて自分で自分に触れてみるが、スカスカと空ぶるばかりでなんの実感もなかった。

(ま、まさか、おれ、今度こそ死んじまったんじゃ……っ!?)

 そんな恐怖に駆られた瞬間、ガチャと扉が開く音が聞こえてきた。
 そちらに目をやると、驚いた様にこちらを見ている女性がいた。
 入ってきたのは、柔らかくウェーブの掛かった黒髪を長く伸ばした、澄んだ瞳をした若い娘だった。

(ま、まずいっ)

 反射的に、ポップはそう思ってしまう。
 ノックもせずに慣れた様子でドアを開けたしぐさからみて、彼女がこの家の住人なのは疑いようはない。

 帰宅してきて、家に変な人影が見えるだなんて事態にでっ食わしたら、良くて泥棒かなにかに間違えられるか、悪かったら幽霊か化け物扱いされるだろう。
 だが、彼女の反応は、ポップが予測とは大幅に違っていた。

「あら……あなた、どなたなの?」

 優雅に小首を傾げ、おっとりとした口調でそう尋ねてきただけでも驚きだが、彼女の反応はさらに予想の上をいっていた。

「あ、人に尋ねる時は、こちらから名乗らないと失礼ですわね。
 初めまして、私はソアラと申しますの。あなたは?」

「え、えーと……」

 不審な人影に恐れを見せる気配もなく、にこにこと返事を待ち受ける娘を前にして、ポップは思わず言葉に詰まる。
 あまりに浮き世離れしていると言うか、世間知らずと言うべきか。

 ポップよりも数才とは言え年上に見えるのに、どこか子供っぽいというか、気が抜ける程に無邪気で天然だ。

(……なんか、誰かに似てるな)

 ふっと思い出すのは、他人に対して警戒心やら偏見など微塵ももたない、天然お気楽勇者だった。
 ――だが、それを呼び水に、ポップには思い当たることがあった。

 よくよく見れば粗末な服装ではあるが、彼女にはどことなく品があるというのか、ただの村娘とは違った雰囲気があった。
 それに、彼女の目許に、名乗った名前――。

「え!? ……まさか、ソアラって、ソアラ姫? あんた、アルキードのソアラ姫なのか!?」
「――!?」

 びっくりした様に、ソアラが息を飲む。
 その表情こそが、ポップの疑惑が正解だと教えてくれた。
 その瞬間に、ポップは自分が過去へときたことを実感する。それは多分に推量混じりの直感だったが、あながち外れてはいなかった。

「あなたは……私達を追って、来たの?」

 初めて、彼女の目に怯えが浮かぶ。それを案じて、ポップは否定した。

「いいや、違うよ。
 おれは、あんた達の敵じゃないって!」

 間違っても、ポップにはソアラと敵対したいとは思わない。ついでに言うのなら、バランと戦いたいなどとはもっと思うわけがない。

 最初は成り行きから戦う羽目になったとはいえ、まさに人間離れした超人的な彼の強さや、なによりダイとバランが最終的に和解したことを思えば、ポップは彼と戦いたいとは思わない。

「それに、おれはこの時代の人間じゃないんだ。
 えっと、信じてもらえるかどうか分からないけど……おれは、未来から来たんだ。あんたのお腹の中の子供が成長した時代なんだけど……」

 簡単に説明しながら、ポップは失礼とは思いながら、思わずソアラの胴体辺りを見つめてしまう。
 村にいた頃、もうすぐ子供を産む母親のお腹が西瓜のように膨らむのは、何度か見たことがある。

 だが、ソアラの場合はその膨らみは目立たなかった。
 まだ妊娠初期なのか、それとも細身で目立たない体質なのか。

「未来? あなたは、未来から来たの? あなたは、いったい誰?」

 目を丸くして、ソアラが聞き返すのも無理はない。
 自分で話しているポップが言うのも何だが、無茶な話である。
 古代には時を超える魔法というのが存在したと聞いたことはあるが、そんなものを実際に使える魔法使いなど聞いたこともない。

 それに、ポップ自身もどうしてここに来たのかなんてさっぱりと分かっていないのだから。
 だが、ソアラの不安を減じたくて、ポップは彼女にとって最も安心できそうな答えを返す。

「えっと、おれはダ……いや、あんたのお腹の中の子の、友達なんだよ」

「まあ……! この子のお友達なの?」

 まだ少女の面影を色濃く残したソアラは、嬉しそうに微笑んだ。
 その目から、ポップは目を離せなかった。
 人を真っ直ぐに見つめる澄んだ目が、ポップのよく知っている誰かに似ていて、なんだか無性に切なくなる。

「あなたが知っているこの子は、何歳ぐらいなのかしら? きっと、大きくなったでしょうね。この子は、幸せかしら?」

 疑いもせずに素直にポップの言葉を信じ、無邪気にはしゃぐソアラを見ていると辛くなる理由を、ポップは知っていた。

(この女性は、何も知らないんだ……。自分が、もうすぐ死ぬことも――)

 ポップは、そう詳しくソアラの最期を知っているわけではない。戦いの最中、ラーハルトから簡単にバランの過去を聞いた程度なのだから。
 だが、ソアラとバランがこの小屋で過ごした時間が、そうは長くなかったことは知っている。

 そして、この後なにが起こるかも、ポップは知っていた。
 ソアラの故国、アルキードが国の威信に懸けて追っ手を差し向けてくることも。実力では兵士達に勝っていながら、ソアラと我が子の身の安全を案じたからこそ、バランが無抵抗のまま投降することも。

 彼は妻と我が子の助命を条件に、自分自身は不平等な裁きを受け、処刑を受け入れようとする。だが、ソアラが身を投げ出してバランを助けようとし……絶命するのだ。
 まして、その後の運命を今のソアラが知るよしもない。

 ソアラの死の衝撃に、バランが理性を失って暴走し、故国が滅びる未来も。
 ダイとバランが、戦う未来も。
 壮絶なバランの最後も、その後、ダイが行方不明になることも、何も知らないのだ。

 母と呼ぶのもためらわれる若々しいソアラは何も知らぬまま、無邪気に質問を投げ掛けてきた。

「ねえ、教えてはもらえないかしら? この子は、男の子? それとも女の子かしら?」

 ――過去の人間に、未来を教えるのはよいこととは言えない――

 そう書かれた文献をいつか読んだ記憶を思い出したが、ポップは答えずにはいられなかった。

「……男の子、だよ。勇気のある、元気な男の子だ」

 そう言った途端、その場がパッと華やいだように思えた。
 ソアラの手放しの微笑みには、それだけの輝きと魅力にあふれていた。バランが太陽の様だと称えたのに相応しい輝きが、そこにはあった。

「本当!? ああ、嬉しいわ、私、男の子がほしかったの。あの人によく似た、強い子が」

 無邪気に喜ぶソアラをとても見ていられなくて、ポップは思わず顔を逸らした。自分の姿が、光の輪郭としか見えないのを感謝しながら――。

「ああ、よく似ているよ。……そうだな、変に頑固で強情なところなんか、そっくりだ」

 数少ないバランとの思い出と、忘れることのできない親友との思い出を重ね合わせて、ポップは答える。

「まあ……!」

 ポップの言い方がおかしかったのか、ソアラは声を立てて笑う。
 だが、それは長くは続かなかった。
 花が萎れる様にその笑顔がふと曇り、沈んだ表情へと取って代わる。
 しなやかな手で、さも大切そうに自分の下腹部に触れながら、ソアラはぽつりと呟いた。
「………………この子は……父親の力を、受け継いでいるのかしら?」

 その疑問に、ポップはすぐには答えられなかった。
 答えを知らなかったからではなく、知り過ぎていたから。バランの力を受け継ぐどころか、大魔王バーンをして並の竜の騎士以上だと言わしめたダイは、父親以上の力を持っている。

 戦いの中で、化け物じみた強さを発揮するダイを、ポップは何度となく見てきた。
 そして、その強さゆえにダイが苦悩する様も――。

「……私、……不安なの。その力が、この子を幸せにするか、どうかが……」

 うちひしがれるソアラは、レオナやフローラとはずいぶんと印象が違うと、ポップは思った。
 どんな身なりをしても拭いきれない美しさと品の良さは持っていても、ソアラからはレオナやフローラの持つ指揮力は感じられない。

 人の上に立ち、他者を導いて行こうとする者の持つ覇気がないのだ。
 同時に、裏表のないソアラからは他人の心を洞察し、駆け引きを駆使して他者の本音を引き出そうとする知性も感じられない。

 政務を行う者であれば、必須とも言える条件をまったく持ち合わせていないソアラは、ごく普通の女性にしか見えない。
 だからこそ、彼女の不安や心配は、ポップにとっては身近に思える。

「もしかしたら、人以上の力を持つことは、この子に不幸をもたらすだけではないかって――」

 不安そうなソアラの言葉に、ポップは相手からは自分の姿が見えないのも忘れて、大きく首を振っていた。

「違う! そんなことはねえ!」

 それは、絶対の確信だった。

「そんなことは、絶対にねえよ! あいつの力は、何度もおれやみんなを助けてくれた!! あいつがいなかったら、みんな、今ごろどうなっていたか――」

「……!」

 ソアラの目が、大きく見開かれる。懐かしさを掻き立てるその目を見つめながら、ポップはきっぱりと言い切った。

「おれは、あいつを信じている。
 あいつは間違ったことになんか、力を使わない……! 
 それに、どんな力を持っていても関係ねえ! おれはあいつを、友達だと思っている」
 その気持ちは、ポップの本心だった。
 それをはっきりと口にすることで、ポップは自分の心をはっきりと思い知る。
 そして、その言葉は無駄ではなかった。

 ポップの宣言を聞いたソアラから、それまでの不安が淡雪の様に消え失せる。再び、彼女の顔には太陽の様な笑顔が戻った。

「……ありがとう。あなたのような子が、この子の友達になってくれるなんて、嬉しいわ」

 その言葉を聞いたのとほぼ同時に、ポップは再び自分が瞬間移動呪文に似た浮遊感に包まれるのを感じた。
 目の前の景色が歪んでぼやけていく……抗えない力で、ポップの意識は引き戻されていた――。








「……っ!?」

 思わず跳ね起きようとしたが、疲れきったポップの身体はわずかにベッドの上で跳ねただけに過ぎなかった。
 だが、完全に目が覚めた。

 自分の目に映る手は、いつも通りの自分の腕だ。男にしては少々細っこくて頼りない手は、別に光に包まれてもいないし、ちゃんと触れる。
 そしてポップがいるのは、テランの森の中にある小屋の中――それも古びて、人のいなくなった場所だった。

 眠る前、自分がともした暖炉の火が消え掛けている小屋は、さっきまで見ていた真新しい小屋とは別の場所の様に感じる。
 だが、確かにあれはここだったのだ。

「……ゆ……め?」

 ぼんやりと呟きながら、ポップはゆっくりと身を起こす。
 夢――そう考えるのが、妥当だろう。
 だが、あんなにも鮮やかで、現実感のある光景を夢と割り切るのは、難しかった。それに、ついさっきあった女性は、確かに実在した女性なのだ。

 バランの妻となり、ダイの母となったアルキード王国王女、ソアラ。
 彼女はバランと駆け落ちして、テランの森でダイを生んだのだと、ポップはラーハルトから聞かされた――。

(まさか……それが、ここだってぇのか?)

 奇妙な縁や動揺を感じながら、ポップは改めて小屋の中を眺め回す。
 そう言えば、以前、ここに泊まった時にレオナが、この森は治外法権の場所だとかなんとか言っていた気もする。

 国を捨て、駆け落ちした理由ありの恋人が隠れ住むには相応しい場所かもしれない。
 もし、そうだったとしたのなら、ダイは知らない間に、自分の生まれた小屋に戻ってきたことになる――。

 それを教えたなら、ダイはどんな顔をするだろう。
 反射的にそう考えてしまってから、ポップは胸が痛むのを感じた。――こんな風に、ふとした瞬間に親友の存在を思い出し、その度にダイには会えない現実を容赦なく思い知らされる。

 その繰り返しはポップにとってはひどく辛いものではあったが、それでも、感じるのは辛さだけではなかった。
 特に、今は仄かな暖かみが、心に残っている。
 本来なら会えるはずもない、ダイの母と会えた思い出は、幸せな驚きだった。

 これが、夢であっても構わない。
 夢や幻を見ただけだとしても、いいではないか――こんなにも、心を慰められる一時を味わえたのならば。

(……こーゆーのも、精霊の悪戯っていうのかな)

 昔、アバンから習った覚えがある。
 精霊達は、時間を操る魔法を得意とする、と。それゆえに、古来から精霊の気紛れや悪戯に引き込まれた人間は、時間を超えた経験を体験する例があるのだ、と。

 精霊の力が弱まった現代では、御伽話にも等しい話。
 だが、今だけはそれを信じてもいい気がする。

「あのよ。もし、この小屋に精霊がいるのなら……ありがとうな」

 声にだして礼を言うのはちょっぴり気恥ずかしい気がしたが、ポップは誰もいない小屋に向かって軽く頭を下げた。
 何も見えないし、何も聞こえない。

 だが、それでもなんとなく感じる、わずかな気配がある。
 不思議に落ち着くことのできるこの小屋に、精霊がいたとしても何の不思議もないと思える。
 口に出して礼を言った後、ポップは再び毛布に潜り込んで、目を閉じた。

 まだ、夜明けまでには間がある。最初にこの小屋で眠ろうとした時よりも、ずっと穏やかな気持ちでポップは再び眠りに落ちていた――。







 精霊達が、飛び回る。
 それだけで、弱まっていた暖炉の火に勢いが増す。
 疲れの極致にあったポップに、わずかながらも癒やしの力が注がれる。

 歓喜の想いが、精霊達の力を強めている。自分達の存在を認めてくれ、なおかつその行動に感謝してくれる人間に出会えることなど、そうめったにあることではない。
 それだけに、精霊達は喜ぶ。
 その喜びのままに、精霊達は飛び回っていた――。

 


                                     END



《後書き》
 ダイが行方不明中の、ポップの探索話の一つです。
 『知られざる物語』の続編っぽいというか、ちょっと繋がっていますね。

 原作であの小屋が出てきたシーンはごく短いんですが、なんとなく好きで捏造のしがいがあるんですよっ。
 それにしても、ソアラ姫を初めて書いた気がしますっ。
 ところで、ソアラから見たおまけ話もあるので、ついでにどうぞ♪

 


『精霊達の祝福 ーソアラー』

 

「あ……」

 ソアラの目の前で、不思議な少年はあっけなく消えてしまった。
 輪郭しか見えなかった、光り輝く不思議な少年。
 だが、少しも恐怖や疑惑を感じなかったのは、彼がごく普通の男の子にしか思えなかったせいだろう。

 できるなら、もっと話したかった――ぉう残念にすら思っていると、小屋の扉が開いて長身の男が姿を現した。

「ソアラ?!」

 薪を割るための斧を手にしたままで小屋に飛び込んできたバランは、気遣わしげな視線を周囲に向ける。
 竜の騎士は、気配にはひどく敏感だ。

 彼の鋭敏な感覚には、ここに常とは異なる存在がいたことを察知していた。だからこそ、薪割りを中断して中に飛び込んできたのだが、妻の様子は拍子抜けするぐらいいつも通りだった。

「あら? あなた、どうかなさったの?」

 と、おっとりと返されては、バランは自分の感じた気配を口にするのがかえって恥ずかしくなってしまう。

(少し、神経過敏になっているのかもしれないな)

 自分の幸せが信じられなくて、バランはいつか追っ手なり、なんらかの罰が与えられるのではないかと、怯えていた。
 だが、その怯えを妻には知らせたくはないと思う。
 余計な心配を掛けたくはないし、なにより男としての見栄もある。

「いや、たいしたことじゃない。ところでソアラ、さっき思いついたんだが……女の子だったらソレイユ、という名前はどうだろうか?」

 それは、口から出任せばかりとは言えなかった。
 ソアラの妊娠を知って以来、バランとソアラは暇さえあれば、子供の名について話し合い、相談し合ってきた。

 今あげた名は、ついさっき思い付いたばかりの最新版だ。
 少し恥ずかしそうにそう言うバランの顔は、生まれる子を楽しみにしている若い父親以外の何者でもなかった。

「太陽、という意味だ。君の名前と少し響きが似ているし、いい名前だと思うんだが……どうだろう?」

 大まじめな表情で、それでいてどこか心配そうに尋ねるバランに対して、ソアラは微笑まずにはいられない。
 世界の裁定者。
 神とも悪魔とも称される、人間とはかけ離れた生物兵器である、竜の騎士。

 バランは自嘲気味に、自分をそんな存在だと言うことがあるが、ソアラには到底そうとは思えない。
 確かに、比類なき強さと逞しさを持つ戦士かもしれない。だが、ソアラにとってバランは、優しい心を隠し持った最愛の男性だ。

「素敵な名前ね。とても気に入ったわ……でも、多分、その名前は次の子供にまでお預けになるわ。
 だって、生まれてくるのは男の子だから」

 力強い妻の断言に、バランは当惑を隠せない。

「しかし、まだ分からないのだろう」

 本来、種族維持のために子孫を残す習慣のない竜の騎士だが、蓄えられた膨大な知識の中には出産の知識はある。
 その知識によれば、人間は多くの生物と同じように、男女の産み分けができる生物ではないはずだ。

 実際に生んでみるまで、その子が男か女かが分かるはずがない。事実、今朝の朝食の段階では、ソアラは生まれるのは男の子かしら、女の子かしらと、言っていた。
 つまり、その時は彼女にも分からなかったはずだ。
 だが、今のソアラは楽しげに言い切った。

「分かるの。この子は、男の子なの。
 勇敢な心を持った、元気な男の子ですって」

 確信ありげなソアラの言葉に、バランはわずかに首を傾げずにはいられない。だが、異を唱える気はなかった。
 世の大半の男性と同様に、バランも結婚して以来、女の勘というのは侮れないものだと思い知った者の一人だ。

 何の根拠もないし、予測もできないはずのことを、なぜかやすやすと当ててしまう女性の直感力。
 竜の騎士でさえ、舌を巻く様な的中率であった。

 妻に尻に敷かれた男の大半がそうである様に、それを軽視するつもりはバランにはもうなかった。

「そうなのか? まあ、君がそう言うのなら、そうなのかもしれないな」

「ええ、そうなのよ。すぐに分かるわ」

 くすくすと笑うソアラの声が、耳に心地好い。

「だから、これからは男の子の名前を考えましょうね。二人で――」

「ああ。そうしよう」

 生真面目に頷き、バランはこの上もなく大切なものを抱きしめるかのような仕草で、最愛の妻を抱きしめた――。
                                     END


《後書き》
 筆者は『バランはソアラにベタ惚れで、実生活では尻に引かれていたに違いない!』派です(笑)
 原作でごくわずかにあったソアラとの回想シーンで、なんだかんだ言ってバランはソアラの思惑に従っている辺りが、その根拠です。

 最初、ソアラと別れて一人旅立つはずが、彼女を連れて駆け落ちしているし、ダイの本名のディーノもアルキード王国の言葉ですしね(笑)
 何より、赤ん坊のダイをあやしている時にソアラに怒られているようなカットがあったのが、最大の根拠だったりします。

 原作ではほぼ出番のない女性なだけに、イメージをどう膨らませるかは自由なだけに、楽しく捏造させていただきました♪
 
 

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