『一番の注意方法』

  

 世界有数の優美さで名を馳せた、パプニカ城――その回廊には随所、とある張り紙がはってあった。

『おしろのろうかは、はしってはいけません』

 読みやすく、かつ大きめの字で書かれた、ちょっとお間抜けなその張り紙は、城の美観やら城の住人の推測知的レベルだとかをさまざまなものを著しく引き下げてくれる。
 だが、これはどうしても外すことのできない、必要不可欠な注意文だった――非常に、残念なことに。

 近い将来、王女レオナと結ばれるだろうと予測されている、救国の英雄である勇者ダイ。世間からは勇者と褒めたたえられ、誰からも尊敬の念を集めている、世界有数の有名人である。

 その彼が城内でうっかりと走ってしまうのを防ぐために、注意を喚起するために張ってあるのだ。
 なにせ、勇者ダイは神々の兵器とも称される竜の騎士の末裔だ。

 力が並外れていて、全力疾走したりした日にはもう、精緻を凝らした城の床やら扉やらに多大なダメージを与える。
 走り過ぎたダイが勢い余って壁に激突したとしても、壊れるのは壁の方であり、ダイの法はかすり傷を負うかどうかという、問答無用な頑丈っぷりなのだ。

 しかも、その『ついうっかり』は実に、毎日のように発生しがちだ。
 勇者ダイが、親友であるポップの所に遊びに行きたいと考えるのに、誰も反対をする気はない。

 まだ魔王軍と戦っていた頃から、彼らは仲のいい親友同士であり、常にといってもいい程、一緒にいた仲間だった。
 だが、毎日毎日、同じ城に住んで顔を合わせているというのに、毎回、会うのが待ちきれないとばかりに全力疾走していくのは、さすがにいかがなものか。

 別に誰も邪魔などしないのだから、走るのだけはやめてほしい。
 それを注意すると、ダイはいつも素直に頷いてくれる。
 人の言葉を素直に受け入れ、ありのまま受け入れるのがダイの長所だ。
 ……が、いたって単純で忘れっぽいのがダイの短所だ。

 本気ですまないと思い、素直に注意を受け入れてくれても、いざとなるとコロッと忘れて走り出してしまうらしい。
 それを防ぐために、三賢者がさんざん知恵を絞り合って工夫したのが、この張り紙だった。

 文字を読むのが不得手なダイでも読めるように、わざと分かりやすい簡単な文字を使用し、主にダイの部屋からポップの居場所に向かう回廊に複数枚貼られている。
 外部の人間に見られると恥ずかしいからと、城内の、しかも高官のみが通ることのできる限られた回廊に張るのがせめてもの矜持というべきか。

 その効果があったのか、最近はダイが城を壊す率が減ってきた。
 だが、時々はやっぱり失敗をするので、この張り紙の管理もまた、三賢者の大事な仕事だった。

 主にパプニカ王国の政務を司り、毎日忙しい三賢者が直々に行うのにはあまりに情けない仕事ではあるが、事情が事情なだけに他人に任せるには抵抗がある。
 なにせ、うかつに侍女や侍従にこんな仕事をさせて『勇者様って実はおバカ?』という噂を、世間に風評させるわけにはいかない。

 もし、そんなことになったなら勇者ダイの名声は地に落ちるわ、レオナとの婚儀に差し支えるわと、主君であるレオナにとって面白くない事態が発生してしまう。
 そんなわけで、張り紙が古びたりはがれ掛けたりする度に、三賢者の誰かがせっせと張り直すのが通例だった――。






    

 その日、アポロは朝早くから数枚の張り紙と糊を持って、回廊をチェックしていた。
 昨日、ダイは久々に大失敗をした。
 最近ではめったにそんなことをしないのに、昨日はよほど焦っていたのか回廊を全力疾走しまっくったらしい。

 床石が何枚も割れ、あまつさえ壁に激突したせいでひびが入り、さらには扉が二つ破壊されたとの報告が上がっている。

 その被害のチェックがてら、もしや張り紙がはがれたのではないかとアポロは丁寧に調べて回る。
 だが、張り紙はどれもきちんとしていて、問題はなさそうだ。

(張り紙が目に入らないほど、焦っていたのかな)

 そんなことを思いながら、アポロはダイの部屋の真正面の張り紙を調べようとした。
 部屋を出るダイが真っ先に見る張り紙なだけに、その張り紙こそが一番大きく、そして詳細な注意が書き込まれている。

 だが、思いがけずに先客がいた。
 張り紙の前に座り込みながら、熱心にその張り紙を見つめては手元に紙になにかを書いているのは、紛れもなくダイだった。
 どうやら、ダイは張り紙を真似て何かを書こうとしているらしい。

 じーっと、一生懸命に張り紙を見て、頭をひねってはなにか文章を書く。まあ、それはお世辞にも『文章』などというご立派なものではなく、みみずがのたくったような乱雑なもので、読むのに苦労する代物ではあるが。

 しかし、ダイなりに一生懸命書いた文字には違いない。
 だが、それは気に入らないのか、読み返すと首を左右に振ってポイを投げ出す。
 さっきから、その繰り返しだった。

「何をしているんだい、ダイ君」

「あっ、アポロさん」

 気配に聡いダイにしては珍しく、声を掛けられてからアポロの存在に気がついたらしい。そんなに書き物に集中していたのかと、ダイの手元を除き込んで――アポロは目を見張った。

 アポロも、自分の知能には多少の自信がある。何せ魔法王国パプニカに置いて、ほんの子供の頃からその頭脳を買われ、未来の賢者候補として勉強を重ねてきた身だ。
 自分で言うのもなんだが、並の人間以上に読解力はあるつもりだ。

 だが、アポロにとってみても、ダイの書いた文章はひどく難解だった。
 読めない、というわけではない。
 文字はひどく汚いし、子供っぽく歪んでいるが、読めることは読める。

『どくきん』
『ほんだめ』
『ちゃんとねる』

 ――三賢者の頭脳を持ってしても、さっぱりと意味が分からなかった。一瞬、自分の存在意義に疑問すら感じながら、アポロは恐る恐る聞いてみる。

「…………これは、一体、なんなんだい、ダイ君?」

 思わずそう聞くと、ダイは元気良く答えてくれた。

「禁止の張り紙だよ」

 と、言いながら、ダイは目の前の注意書きを指差して見せた。

「うっかり忘れちゃうけど、やっちゃいけないことってあるよね? これみたいに、やっちゃいけないことをきちんと書いて、張っておけば気をつけられるんじゃないかと思って」

 ダイの説明を聞いて、その意図はとりあえず理解する。――が、意味が掴めないのはまるっきり変わらなかった。
 それだけに、アポロはダイを傷つけないように言葉を選びながら、慎重に尋ねる。

「そうなのか……それは、いい考えだと思うよ。それでダイ君は、何を禁止したいと考えているのかな?」

「うんっ、禁止したいのは『読書』だよ。そんでもって、夜はちゃんと眠るように注意したいんだ」

「……………………………………」

 ダイの答えに、絶句してしまったアポロを責めるのは酷と言うものだろう。
 勇者ダイの勉強嫌い……それはレオナを初めとする、パプニカ上層部の密かな悩みであった。

 仮定の話ではあるが、彼がレオナの結婚となるのであれば、当然のことながらダイは未来のパプニカ国王となる。
 まあ、血統重視のパプニカの法律上、政権はあくまで純血の王位継承者であるレオナが保持し、その配偶者であるダイは政務の補佐を負うにとどまるだろう。

 が、それにしたって、仮にも国王と呼ばれる人間が最低限の読み書きをできないのでは、非常に困る。
 だからこそレオナの厳命により、勇者ダイのために特別の家庭教師チームを作って、せっせと授業を受けさせているのだ。

 今一歩結果は芳しくないとはいえ、それでもなんとか、少しずつはダイの勉強プロジェクトは進んでいる最中である。
 それを一切、無にするようなダイの決意に、当惑するなという方が無理だろう。

 おまけに『夜はちゃんと眠る』の方も、必要ないとしか思えない。
 ダイの早寝早起きっぷりは、有名だ。
 日の出と共に元気良く起きだすダイは、夜になるとあっさりと早寝してしまう。
 それはそれで、美点かもしれない。

 だが政務の関係上、昼間は所用が多くて自由時間が少なく、夜になってからようやく私有の時間がとれるレオナは、ダイの早寝をよく嘆いている。
 主君の乙女心を思えば、こちらの注意事項もアポロには手放しで賛成はできない。
 ゆえに、アポロは控え目に反対せざるを得なかった。

「それは……家庭教師の博士達も、姫もあまり歓迎しないのじゃないかな」

「えー、そうかな? そんなことないと思うけど」

 心底意外そうに、ダイが目を見張る。
 まるで、誰もがこの張り紙に賛成すると思い込んでいたかのようにきょとんとするダイに向かって、アポロは年上の威厳を込めて忠告した。

「いいや、ダイ君。本にはね、素晴らしい知識が詰まっているものなんだよ。
 それらは先人が残してくれた誇るべき知的財産であり、尊重すべき大切なものなんだ。それを身につけようとすることは、決して悪いことではないし、禁止するようなことではないと、私は思うよ」

 優しく言ったつもりだったが、ダイはとんでもないとばかりに、凄い勢いで首を横に振る。

「でも、どんなにすごい物でも、寝る時間を削ってまで読むことないと思うんだ、おれ!」

「え? き、君がかい!?」

 ダイの言葉が余りに意外で、失礼にもアポロは露骨に驚いてしまった。
 ダイが寝る時間を削ってまで読書しているなんて、初耳である。やっと家庭教師達の努力が実ったのかと、一瞬の歓喜がアポロの胸を過ぎる。
 しかし、ダイは再び首を横に振った。

「おれのことじゃないよ。だって、おれ、本、あんまり読まないし」

 ――歓喜は、あまりにも儚かったようだ。
 がっかりすることを平然と言った後、ダイは熱心に訴える。

「おれが禁止したいのは、ポップのことだよ。だって、ポップ、うんと疲れている癖に、寝る前に本を読もうとすんだもん!

 そのせいで寝る時間がすごく少なくなったり、本読みながら寝るせいで毛布をちゃんとかぶらなくて、風邪引いたりするんだよ!
 あんなの、絶対よくないよ!」

「………………あー、そうだったのか……」

 さっきとは違う意味で絶句しつつ、アポロは深く納得した。
 そう言えば、昨日、ポップが体調を崩したとかで仕事を休んでいたことを、今更ながら思い出す。

 ダイとは正反対の意味で、ポップもまた、様々な問題を抱えたパプニカ城の居候である。

 三賢者やレオナ以上の頭脳を持つポップは、いまやパプニカ王国に欠かせない政務の重鎮と言っていい。
 彼の力が無ければパプニカがこれほど早く復興することは有り得なかったし、人間と怪物との共存を目指している今の政策も、立案すらできなかっただろう。

 それだけに頼りにも思っているし、力を借りることは多い。
 気さくで人のいいポップは、助力を惜しむことはない。ないのだが――やりすぎてしまうことが、しばしばあるのだ。

 ダイが夢中になると力をセーブできないように、ポップも熱中すると自分の身体への負担を忘れてしまう。
 どうも、彼は自分自身の体調というものを過信しているか、あるいは忘れてしまうらしい。

 魔王軍との戦いやその後で無理を重ねたせいで、ポップは少しばかり健康を損ねてしまった。
 まあ、普通に生活する分には不自由はない程度だし、無理しなければ問題はないと言われている。

 しかし、その『無理』の基準を、ポップはしばしば計りそこねるのだ。
 徹夜で仕事をしまくったり、忙しくて食事を取るのも忘れてしまったりすれば、頑健な者でさえ体調を崩すのは自明の理だ。

 ましてや、ポップはあまり体力がある方ではない。
 無理は禁物――そんな子供にでも分かる理屈を、あれ程の頭脳を持つ少年がなぜ自覚できないのか、理解に苦しむ。

 さらに言うのなら、ポップは自分自身の価値をあまりにも軽んじている。
 今回だって、ポップが寝込んだ事実に城内にどれ程に動揺が走り、皆が心配していることか。

 が、本人はたいしたこととも思っていないせいか、何度でも同じ失敗を繰り返す。
 ちょうど、ダイが何度注意されても、ついうっかり廊下を走ってしまうように。

(……変なところで、似たものコンビというべきなのかな)

 なんとなくそう思いながら、アポロはダイに忠告し直す。

「そうか、そういう事情だったんだね。……それなら張り紙を張るよりも、君が直接注意してあげた方がいいんじゃないのかな?」

 ダイと違って、ポップはあまり素直とは言えない性格だ。

 だいたい、張り紙を見ただけで守るような従順さがあるのなら、身体に悪いから無理をするなと今までさんざん仲間が忠告してきたのを無視するはずがない。
 それなら、張り紙を張るなんて無駄な真似をするよりも、直接ダイが頼んだ方がいいとアポロは考えた。

 その思考の裏には、張り紙を見て怒ったポップがメラか何かで壁ごと燃やしかねない危惧もちょっぴりあったりもする。

 ダイが注意した場合、ポップの魔法の矛先はダイに向くだろうが、まあそこはそれ、なんと言っても竜の騎士だ。
 多少、燃やされたり凍らされたりしたところで、命に別条もないだろう。

「おれが、注意してあげる……?」

 思ってもいないことを言われたようにそう繰り返してから、ダイはパッと嬉しそうな顔をする。

「うんっ、分かったよ! アポロさん、いいことを教えてくれてありがとう!」


   





 ――ガチャリ。
 ベッドに横たわって本を読んでいたポップは、音を忍ばせてドアを開ける音に気がつかなかった。
 予期せぬ侵入者に気がついたのは、甲高い声が聞こえてきてからだった。

「呆れた。ポップ君、何、本なんか読んでいるのよ、まったく懲りないわね。病人は、おとなしくしていなさい!」

「ひっ、姫さんっ!?」

 それこそ飛び上がらんばかりに驚いて、ポップは慌てて本を毛布の中に隠そうとするが、手遅れというものだ。
 つかつかとベッドまで近付いてきたレオナは、ポップの手から分厚い本をひょいと取り上げる。

「没収ね」

「ああっ、姫さんっ、そりゃ殺生だよっ!? 今、ちょうど面白いところまで読んでたのにっ」

 と、手を伸ばそうとしたポップを、レオナはぴしゃりと撥ね除ける。

「ダメよ、病人は静かに寝ているのが仕事なの! 体調が良くなったら返してあげるから」

 有言実行を常とするレオナは、一度宣言したことは決して翻さない。
 それを良く知っているポップは早々に抗議を諦めたのか、手近にあったガウンを羽織ってベッドの上に座り直す。

「……姫さんには適わないよなー。まったく、ノックぐらいしてくれりゃいいのに」

 ボヤきながらも、ポップはジェスチャーでレオナに手近な椅子を勧める。優雅にフワリと椅子に座りながら、レオナは済ました顔で言ってのけた。

「あら、ノックなんかしたら、その間に色々なものを隠されちゃうじゃないの。それに、眠っていたのなら起こしてしまうかもしれないし。お見舞いには、やっぱり不意打ちが一番だと思うわ」

 などと、一般的常識からもレディの心得からもかけ離れたことを平然と言った後、レオナはちらりとドアに目をやった。

「それに、ノックしようにも、ドアはアレだし」

「ああ……、アレはダイが昨日、ぶち壊してくれたんだよなー」

 と、ちょっと遠い目をして、ポップは自室のドアを見つめる。

(これで何枚……いや、十何枚目だっけな)

 昨日、勢い余ったダイが力一杯開いたドアは、ものの見事に半壊してしまった。城のドアともなればそうそう安物でもないせいで、取り替えるにしても多少の時間がかかる。
 大きな穴が開いた部分に、とりあえず紙を貼って応急補修しているものの、みっともないことこの上ない。

 だが、よくあることといえばよくあることなので、ポップもレオナもそこはスルーして話を続ける。

「わざわざ見舞い、ありがとな。それ程、大袈裟なもんじゃなかったのにさ」

「いいの、たまたま暇だったから、暇潰しに見学に来ただけだしね」

 お互いに軽い挨拶を交わしながらも、ポップもレオナも互いにそれが言葉通りの意味ではないと知っている。
 昨日から体調を崩しているポップの病状を、レオナは侍医から診察後ごとに詳細に聞き、本人以上に正確に掴んでいる。

 そしてポップの方も、レオナの忙しさは承知の上だ。
 ただでさえ忙しいのに、ポップの分の仕事のフォローもしていたのなら、さらに倍も拍車が掛かるだろう。

 見舞いに来るのが一日遅れになり、普通なら遠慮するはずの夜になってから来たのが、何よりも証拠だ。

 自由時間が取れる夜になってからでなければ、どうしても手が空かなかったのだろう。それが分かるからこそ、ポップは女の子がこんな時間に男の見まいに来る非常識については、触れないでおく。

「ポップ君、気分はどう?」

「ああ、平気だよ。サボらせてもらったおかげで、すっかり気分も良くなったぜ。明日には、もう仕事に戻れるよ」

 そう答えるポップの口調は元気いっぱいだし、おどけた表情もいつものままだ。
 だが、それを素直に信じるには、レオナはあまりにもポップを良く知っていた。

「ふーん、侍医の意見とは、違うみたいね。侍医はだいぶ疲れがたまっているようだから、できれば数日、最低でも熱が完全に引くまでは休むようにと言っていたわよ」

「そんなの、大袈裟だって! だいたい昨日だって今日だって、寝込む程はひどくなかったのによ」

「あら、ヒュンケルもそうは言っていなかったわよ。彼が言うには、昨日のあなたは顔色がゾンビのようで、フラフラしていて今にも倒れそうだったって言っていたけど」

「あの野郎、ほんっと普段は無口の癖して、いらん時ばっかり余計なことを言いやがるな……!」

 思わず、ポップは舌打ちしてしまう。
 ポップにとっては目の上の単瘤のような兄弟子は、妙なところで登場することが多い。タイミングがいいのか悪いのか、まるで計ったかのように、ポップが一番見られたくはない時にやってきては、世話を焼く傾向がある。

 昨日の朝だって、ポップは確かに多少、体調が悪かった。
 ここ最近の寝不足のせいもあるが、その前夜に本を夜明け近くまで読みまくった挙げ句、そのまま寝落ちしてしまったのが直接原因らしい。

 仰向けに寝転んで本を読んでいるとどうしても肩が丸出しになるせいか、すっかりと身体が冷えてしまう。ましてや、そのまま一晩放置していたのだ、軽い風邪を引き込んでもなんの不思議もない。

 起きた時は軽い頭痛がしたし、多少の寒気もあった。だが完全に自業自得だし、たいしたことでもないからいつものように仕事に向かおうとした。
 が、よりによって、そういう日に限って、なぜヒュンケルが階下で見張り番をしているのやら。

 そりゃあポップだって、王宮への回廊を見張るのが兵士の重要な仕事の一つなのは、知っている。運悪くその見張り場の近くに位置する自分の部屋も、見張りの対象になってしまうのも諦めている。

 だが、本来なら下っ端の兵士にでもやらせればいいはずの城内の見張りを、パプニカ王国の兵士の中では最高の地位である近衛隊の、しかも隊長のヒュンケルがやるのがおかしいのだ。

 ポップにしてみれば、狙ってやったとしか思えない嫌がらせに等しい。
 普通の見張りの兵士ならば、多少顔色が悪かったとしても、ポップ本人が平気だと言えば一応は通してくれるだろう。

 が、ヒュンケルはポップの顔色を見た途端、有無を言わさずに強引に部屋に連れ戻し、さらにはレオナに言いつけるだの、侍医を呼ぶだの余計なことをしまくってくれた。
 ポップ的には、大迷惑な話である。

「まったくよー、どうして本人の意見より、ヒュンケルの奴の言うことを信じるんだよ……!?」

「ああら、それこそ日頃の行いってもんじゃないかしらね?」

 コロコロとレオナが楽しそうに笑った時、大きな音を立ててドアが開いた。

「あーっ、ポップ、また起きているーっ!?」

 と、挨拶よりも先に不満一杯に抗議したのは、ダイだった。しかし、ポップはポップで冷静に突っ込む。

「ノックもしないで、またドアを壊したおめえに言われたかねえよ」

 半分に壊れたドアは、さらに悲劇を迎えていた。
 ダイの力が強すぎて、ドアのノブが見事にひしゃげてしまっている。

「あ、ごめん」

「『ごめん』じゃねーよっ。だいたい、おまえ、何しに来たがった!?」

「なにって、お見舞いだよ」

 怒りまくるポップに対して、ダイはいたって常識的な返事をする。
 その答えだけなら、常識の範囲内だろう。……続くポップの文句を聞かなければ。

「おめえは朝も昼も夕食の時もついでにおやつの時間にも、見舞いに来ただろーが!」

「だって、心配なんだよっ。ポップってちょっと目を離すと、本ばっか読んでそのせいで具合悪くなってばっかじゃないか! それに、おれ、午前の稽古休憩の時間にもお見舞いに来たよ、ポップは寝てたけど」

「訂正するとこは、そこだけかっ!? いったい何回来れば気が済むんだっ、おまえはっ!?」

「……その意見には同感ね」

 いささか呆れたように呟いた声を聞いて、ダイは初めてレオナに気がついたらしい。

「あ、レオナもお見舞いに来てたの?」

「まあ、そんなところね。それで、ダイ君はまたお見舞い?」

 少しばかりのちくんとした刺の感じられる皮肉も、天然勇者には全く感じ取れないようだった。

「ううん、おれ、今度は寝にきたんだよ!」

 ごく当たり前のように宣言すると、ダイは呆気に取られているポップとレオナの目の前で、ごそごそとポップのベッドに潜り込んでしまう。
 驚き過ぎて制止しそこねたものの、ダイがちゃっかりと自分の隣を占領したのを見て、ポップがやっと一歩遅れて文句を言い出す。

「こらこらっ、待てっ!? なんだって寝ようとしてんだ、おめえはっ!?」

「なんでって、もう寝る時間だから」

 未だお子様っ気の抜けない勇者様にとっては、そうなのだろう。

「だったら自分の部屋で寝ればいいだろっ!? なんでわざわざ、おれんとこで寝ようとするんだよ!? っていうか、おまえが着ているのよく見たらパジャマじゃねえかっ、最初っから計画的か!?」

 ダイを追いだそうとポップが腕に力を込めるが、腕力争いになれば勇者と魔法使いで勝負になるはずがない。
 むしろダイに抱きこまれて、一緒にベッドの中に引き込まれる始末だ。

「だってポップと一緒に眠れば、ポップが本を読んで夜更かししないように、注意できるもん。ポップがうっかりするんなら、おれが注意してあげればいいって、アポロさんが教えてくれたんだ」

 ――拡大解釈にも、程があるという物だ。
 大真面目にそう言うダイのこの台詞を聞いたのなら、アポロは自分はそんなつもりで言ったんじゃないと全力否定しただろう。

「アポロさんめ、余計なことを〜っ!! んな無茶な理屈ありだと……ぅっ、ゴホッ、ゲホッ……ッ」

 怒鳴り過ぎたのが祟ったのか、咳き込みだしたポップの背をダイが慌てて擦る。

「ほら、ポップ、まだよくなってないんだから、おとなしく寝てなきゃダメだよ!」

「だ、誰が怒鳴らせてると思って……ゴホッ……くそっ……」

「だからポップ、おとなしく寝ててよ! また熱が出ちゃうじゃないか。ほら、ちゃんと毛布もかぶって!」

 ドタバタと揉めつつも、結局はダイが勝ったのかポップを寝かしつけにかかる。
 それを見て、レオナは含み笑いをしつつ立ち上がった。

「さて、病人の部屋にいつまでもお邪魔しているのも何だし、あたしはお暇するわね」

「待ていっ、姫さんっ! そんなこと言うんならダイも連れてけよっ、ダイもっ」

「だから、ポップは起きちゃダメだってば!」

 起き上がろうともがくポップを、ダイは再びベッドに押し倒す。

「あら、いいじゃない? だって、よく考えてみればちょうどいいもの。ダイ君、ポップ君をちゃんと注意してあげててね。
 じゃあ、ポップ君、お大事に」

 そう軽くウインクして、レオナはポップが猛烈な抗議をまくし立てる前に、サッとドアから抜け出した――。


  





(ま、これはこれで結果オーライかしらね)

 螺旋階段をゆっくりと下りながら、レオナは一人、思う。
 元々、レオナがポップの所に入ったのは『釘を刺すため』にだ。
 今回のポップの体調の崩れは、そもそも日常的な小さな無理が重なったせいだ。

 二人の師から無理は禁物とくれぐれも念を押されているのにもかかわらず、すぐにそれを忘れてしまうポップに、レオナは少しばかり脅してでもしっかりと休息を取らせるつもりだった。

 あまり言うことを聞かないようであれば、お目付役をつけようかとも思っていた。それを思えば、ダイがその役割を買って出たのは幸運と言うものかもしれない。

 普通の侍女や侍従では、どうしても勇者一行の一員であるポップに対して遠慮がでてしまう。かと言ってレオナを初めとした三賢者やヒュンケルなど気心が知れた連中は、忙しすぎてポップの看病だけにかまけてはおられない。

 その点、仕事を持っていないダイは時間の余裕は幾らでもある。
 まだ、普通の風邪などの病気ならば移るかもしれないからと止めもするが、ポップの病名は風邪ではない。

 弱った肺機能のせいで咳が多発し、症状こそは風邪に似ているが、本来は過労による発熱だ。
 一緒にいるからといって、ダイに移る心配はあるまい。

 それに――ダイが側で見ているのなら、ポップも無茶はしなくなるだろう。今迄の無理が重なったせいで健康を損ねている事実を、ポップはいまだにダイに隠したままだ。
 ダイに余計な心配や心理的負担をかけたくないからと、バレないようにと気を使っている。

 それらを考えれば、案外、これが一番いい注意方法なのかもしれない。
 ――まあ、レオナの乙女心的には、ちょっぴりと面白くないような焼き餅感が残りはするのだが。

(……まあ、いいわ。今は、勇者を魔法使いへと譲ってあげるわ。その代わり、治ったらちょっぴりお返しはさせてもらうけどね。
 本格的憂さ晴らしは先の楽しみとして、まず、お返しの第一目標はアポロよね〜)

 少しばかり不穏なことを考えつつ、レオナはくすくすと笑いながら螺旋階段を下りきった――。

 


                                                               END


《後書き》
 突然ですが、筆者は同人誌やサイト物にありがちな『軽い病気での看病ネタ』が大好きですっ。
 様々な人が様々な形で挑戦しているのに、書き手によって味わいが違っていて実に楽しくて、いいですね〜。

 で、自分でも書いてみたくなって何度か挑戦していますが……一つ足りとも、甘くならないのはなぜなのか(笑)
 そして、アポロさん……出番が余りないのに、出番がある度にあまりいい役どころにならなくてごめんなさいっ!
 


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