『一番の注意方法』 |
世界有数の優美さで名を馳せた、パプニカ城――その回廊には随所、とある張り紙がはってあった。 『おしろのろうかは、はしってはいけません』 読みやすく、かつ大きめの字で書かれた、ちょっとお間抜けなその張り紙は、城の美観やら城の住人の推測知的レベルだとかをさまざまなものを著しく引き下げてくれる。 近い将来、王女レオナと結ばれるだろうと予測されている、救国の英雄である勇者ダイ。世間からは勇者と褒めたたえられ、誰からも尊敬の念を集めている、世界有数の有名人である。 その彼が城内でうっかりと走ってしまうのを防ぐために、注意を喚起するために張ってあるのだ。 力が並外れていて、全力疾走したりした日にはもう、精緻を凝らした城の床やら扉やらに多大なダメージを与える。 しかも、その『ついうっかり』は実に、毎日のように発生しがちだ。 まだ魔王軍と戦っていた頃から、彼らは仲のいい親友同士であり、常にといってもいい程、一緒にいた仲間だった。 別に誰も邪魔などしないのだから、走るのだけはやめてほしい。 本気ですまないと思い、素直に注意を受け入れてくれても、いざとなるとコロッと忘れて走り出してしまうらしい。 文字を読むのが不得手なダイでも読めるように、わざと分かりやすい簡単な文字を使用し、主にダイの部屋からポップの居場所に向かう回廊に複数枚貼られている。 その効果があったのか、最近はダイが城を壊す率が減ってきた。 主にパプニカ王国の政務を司り、毎日忙しい三賢者が直々に行うのにはあまりに情けない仕事ではあるが、事情が事情なだけに他人に任せるには抵抗がある。 もし、そんなことになったなら勇者ダイの名声は地に落ちるわ、レオナとの婚儀に差し支えるわと、主君であるレオナにとって面白くない事態が発生してしまう。
その日、アポロは朝早くから数枚の張り紙と糊を持って、回廊をチェックしていた。 床石が何枚も割れ、あまつさえ壁に激突したせいでひびが入り、さらには扉が二つ破壊されたとの報告が上がっている。 その被害のチェックがてら、もしや張り紙がはがれたのではないかとアポロは丁寧に調べて回る。 (張り紙が目に入らないほど、焦っていたのかな) そんなことを思いながら、アポロはダイの部屋の真正面の張り紙を調べようとした。 だが、思いがけずに先客がいた。 じーっと、一生懸命に張り紙を見て、頭をひねってはなにか文章を書く。まあ、それはお世辞にも『文章』などというご立派なものではなく、みみずがのたくったような乱雑なもので、読むのに苦労する代物ではあるが。 しかし、ダイなりに一生懸命書いた文字には違いない。 「何をしているんだい、ダイ君」 「あっ、アポロさん」 気配に聡いダイにしては珍しく、声を掛けられてからアポロの存在に気がついたらしい。そんなに書き物に集中していたのかと、ダイの手元を除き込んで――アポロは目を見張った。 アポロも、自分の知能には多少の自信がある。何せ魔法王国パプニカに置いて、ほんの子供の頃からその頭脳を買われ、未来の賢者候補として勉強を重ねてきた身だ。 だが、アポロにとってみても、ダイの書いた文章はひどく難解だった。 『どくきん』 ――三賢者の頭脳を持ってしても、さっぱりと意味が分からなかった。一瞬、自分の存在意義に疑問すら感じながら、アポロは恐る恐る聞いてみる。 「…………これは、一体、なんなんだい、ダイ君?」 思わずそう聞くと、ダイは元気良く答えてくれた。 「禁止の張り紙だよ」 と、言いながら、ダイは目の前の注意書きを指差して見せた。 「うっかり忘れちゃうけど、やっちゃいけないことってあるよね? これみたいに、やっちゃいけないことをきちんと書いて、張っておけば気をつけられるんじゃないかと思って」 ダイの説明を聞いて、その意図はとりあえず理解する。――が、意味が掴めないのはまるっきり変わらなかった。 「そうなのか……それは、いい考えだと思うよ。それでダイ君は、何を禁止したいと考えているのかな?」 「うんっ、禁止したいのは『読書』だよ。そんでもって、夜はちゃんと眠るように注意したいんだ」 「……………………………………」 ダイの答えに、絶句してしまったアポロを責めるのは酷と言うものだろう。 仮定の話ではあるが、彼がレオナの結婚となるのであれば、当然のことながらダイは未来のパプニカ国王となる。 が、それにしたって、仮にも国王と呼ばれる人間が最低限の読み書きをできないのでは、非常に困る。 今一歩結果は芳しくないとはいえ、それでもなんとか、少しずつはダイの勉強プロジェクトは進んでいる最中である。 おまけに『夜はちゃんと眠る』の方も、必要ないとしか思えない。 だが政務の関係上、昼間は所用が多くて自由時間が少なく、夜になってからようやく私有の時間がとれるレオナは、ダイの早寝をよく嘆いている。 「それは……家庭教師の博士達も、姫もあまり歓迎しないのじゃないかな」 「えー、そうかな? そんなことないと思うけど」 心底意外そうに、ダイが目を見張る。 「いいや、ダイ君。本にはね、素晴らしい知識が詰まっているものなんだよ。 優しく言ったつもりだったが、ダイはとんでもないとばかりに、凄い勢いで首を横に振る。 「でも、どんなにすごい物でも、寝る時間を削ってまで読むことないと思うんだ、おれ!」 「え? き、君がかい!?」 ダイの言葉が余りに意外で、失礼にもアポロは露骨に驚いてしまった。 「おれのことじゃないよ。だって、おれ、本、あんまり読まないし」 ――歓喜は、あまりにも儚かったようだ。 「おれが禁止したいのは、ポップのことだよ。だって、ポップ、うんと疲れている癖に、寝る前に本を読もうとすんだもん! そのせいで寝る時間がすごく少なくなったり、本読みながら寝るせいで毛布をちゃんとかぶらなくて、風邪引いたりするんだよ! 「………………あー、そうだったのか……」 さっきとは違う意味で絶句しつつ、アポロは深く納得した。 ダイとは正反対の意味で、ポップもまた、様々な問題を抱えたパプニカ城の居候である。 三賢者やレオナ以上の頭脳を持つポップは、いまやパプニカ王国に欠かせない政務の重鎮と言っていい。 それだけに頼りにも思っているし、力を借りることは多い。 ダイが夢中になると力をセーブできないように、ポップも熱中すると自分の身体への負担を忘れてしまう。 魔王軍との戦いやその後で無理を重ねたせいで、ポップは少しばかり健康を損ねてしまった。 しかし、その『無理』の基準を、ポップはしばしば計りそこねるのだ。 ましてや、ポップはあまり体力がある方ではない。 さらに言うのなら、ポップは自分自身の価値をあまりにも軽んじている。 が、本人はたいしたこととも思っていないせいか、何度でも同じ失敗を繰り返す。 (……変なところで、似たものコンビというべきなのかな) なんとなくそう思いながら、アポロはダイに忠告し直す。 「そうか、そういう事情だったんだね。……それなら張り紙を張るよりも、君が直接注意してあげた方がいいんじゃないのかな?」 ダイと違って、ポップはあまり素直とは言えない性格だ。 だいたい、張り紙を見ただけで守るような従順さがあるのなら、身体に悪いから無理をするなと今までさんざん仲間が忠告してきたのを無視するはずがない。 その思考の裏には、張り紙を見て怒ったポップがメラか何かで壁ごと燃やしかねない危惧もちょっぴりあったりもする。 ダイが注意した場合、ポップの魔法の矛先はダイに向くだろうが、まあそこはそれ、なんと言っても竜の騎士だ。 「おれが、注意してあげる……?」 思ってもいないことを言われたようにそう繰り返してから、ダイはパッと嬉しそうな顔をする。 「うんっ、分かったよ! アポロさん、いいことを教えてくれてありがとう!」
――ガチャリ。 「呆れた。ポップ君、何、本なんか読んでいるのよ、まったく懲りないわね。病人は、おとなしくしていなさい!」 「ひっ、姫さんっ!?」 それこそ飛び上がらんばかりに驚いて、ポップは慌てて本を毛布の中に隠そうとするが、手遅れというものだ。 「没収ね」 「ああっ、姫さんっ、そりゃ殺生だよっ!? 今、ちょうど面白いところまで読んでたのにっ」 と、手を伸ばそうとしたポップを、レオナはぴしゃりと撥ね除ける。 「ダメよ、病人は静かに寝ているのが仕事なの! 体調が良くなったら返してあげるから」 有言実行を常とするレオナは、一度宣言したことは決して翻さない。 「……姫さんには適わないよなー。まったく、ノックぐらいしてくれりゃいいのに」 ボヤきながらも、ポップはジェスチャーでレオナに手近な椅子を勧める。優雅にフワリと椅子に座りながら、レオナは済ました顔で言ってのけた。 「あら、ノックなんかしたら、その間に色々なものを隠されちゃうじゃないの。それに、眠っていたのなら起こしてしまうかもしれないし。お見舞いには、やっぱり不意打ちが一番だと思うわ」 などと、一般的常識からもレディの心得からもかけ離れたことを平然と言った後、レオナはちらりとドアに目をやった。 「それに、ノックしようにも、ドアはアレだし」 「ああ……、アレはダイが昨日、ぶち壊してくれたんだよなー」 と、ちょっと遠い目をして、ポップは自室のドアを見つめる。 (これで何枚……いや、十何枚目だっけな) 昨日、勢い余ったダイが力一杯開いたドアは、ものの見事に半壊してしまった。城のドアともなればそうそう安物でもないせいで、取り替えるにしても多少の時間がかかる。 だが、よくあることといえばよくあることなので、ポップもレオナもそこはスルーして話を続ける。 「わざわざ見舞い、ありがとな。それ程、大袈裟なもんじゃなかったのにさ」 「いいの、たまたま暇だったから、暇潰しに見学に来ただけだしね」 お互いに軽い挨拶を交わしながらも、ポップもレオナも互いにそれが言葉通りの意味ではないと知っている。 そしてポップの方も、レオナの忙しさは承知の上だ。 見舞いに来るのが一日遅れになり、普通なら遠慮するはずの夜になってから来たのが、何よりも証拠だ。 自由時間が取れる夜になってからでなければ、どうしても手が空かなかったのだろう。それが分かるからこそ、ポップは女の子がこんな時間に男の見まいに来る非常識については、触れないでおく。 「ポップ君、気分はどう?」 「ああ、平気だよ。サボらせてもらったおかげで、すっかり気分も良くなったぜ。明日には、もう仕事に戻れるよ」 そう答えるポップの口調は元気いっぱいだし、おどけた表情もいつものままだ。 「ふーん、侍医の意見とは、違うみたいね。侍医はだいぶ疲れがたまっているようだから、できれば数日、最低でも熱が完全に引くまでは休むようにと言っていたわよ」 「そんなの、大袈裟だって! だいたい昨日だって今日だって、寝込む程はひどくなかったのによ」 「あら、ヒュンケルもそうは言っていなかったわよ。彼が言うには、昨日のあなたは顔色がゾンビのようで、フラフラしていて今にも倒れそうだったって言っていたけど」 「あの野郎、ほんっと普段は無口の癖して、いらん時ばっかり余計なことを言いやがるな……!」 思わず、ポップは舌打ちしてしまう。 昨日の朝だって、ポップは確かに多少、体調が悪かった。 仰向けに寝転んで本を読んでいるとどうしても肩が丸出しになるせいか、すっかりと身体が冷えてしまう。ましてや、そのまま一晩放置していたのだ、軽い風邪を引き込んでもなんの不思議もない。 起きた時は軽い頭痛がしたし、多少の寒気もあった。だが完全に自業自得だし、たいしたことでもないからいつものように仕事に向かおうとした。 そりゃあポップだって、王宮への回廊を見張るのが兵士の重要な仕事の一つなのは、知っている。運悪くその見張り場の近くに位置する自分の部屋も、見張りの対象になってしまうのも諦めている。 だが、本来なら下っ端の兵士にでもやらせればいいはずの城内の見張りを、パプニカ王国の兵士の中では最高の地位である近衛隊の、しかも隊長のヒュンケルがやるのがおかしいのだ。 ポップにしてみれば、狙ってやったとしか思えない嫌がらせに等しい。 が、ヒュンケルはポップの顔色を見た途端、有無を言わさずに強引に部屋に連れ戻し、さらにはレオナに言いつけるだの、侍医を呼ぶだの余計なことをしまくってくれた。 「まったくよー、どうして本人の意見より、ヒュンケルの奴の言うことを信じるんだよ……!?」 「ああら、それこそ日頃の行いってもんじゃないかしらね?」 コロコロとレオナが楽しそうに笑った時、大きな音を立ててドアが開いた。 「あーっ、ポップ、また起きているーっ!?」 と、挨拶よりも先に不満一杯に抗議したのは、ダイだった。しかし、ポップはポップで冷静に突っ込む。 「ノックもしないで、またドアを壊したおめえに言われたかねえよ」 半分に壊れたドアは、さらに悲劇を迎えていた。 「あ、ごめん」 「『ごめん』じゃねーよっ。だいたい、おまえ、何しに来たがった!?」 「なにって、お見舞いだよ」 怒りまくるポップに対して、ダイはいたって常識的な返事をする。 「おめえは朝も昼も夕食の時もついでにおやつの時間にも、見舞いに来ただろーが!」 「だって、心配なんだよっ。ポップってちょっと目を離すと、本ばっか読んでそのせいで具合悪くなってばっかじゃないか! それに、おれ、午前の稽古休憩の時間にもお見舞いに来たよ、ポップは寝てたけど」 「訂正するとこは、そこだけかっ!? いったい何回来れば気が済むんだっ、おまえはっ!?」 「……その意見には同感ね」 いささか呆れたように呟いた声を聞いて、ダイは初めてレオナに気がついたらしい。 「あ、レオナもお見舞いに来てたの?」 「まあ、そんなところね。それで、ダイ君はまたお見舞い?」 少しばかりのちくんとした刺の感じられる皮肉も、天然勇者には全く感じ取れないようだった。 「ううん、おれ、今度は寝にきたんだよ!」 ごく当たり前のように宣言すると、ダイは呆気に取られているポップとレオナの目の前で、ごそごそとポップのベッドに潜り込んでしまう。 「こらこらっ、待てっ!? なんだって寝ようとしてんだ、おめえはっ!?」 「なんでって、もう寝る時間だから」 未だお子様っ気の抜けない勇者様にとっては、そうなのだろう。 「だったら自分の部屋で寝ればいいだろっ!? なんでわざわざ、おれんとこで寝ようとするんだよ!? っていうか、おまえが着ているのよく見たらパジャマじゃねえかっ、最初っから計画的か!?」 ダイを追いだそうとポップが腕に力を込めるが、腕力争いになれば勇者と魔法使いで勝負になるはずがない。 「だってポップと一緒に眠れば、ポップが本を読んで夜更かししないように、注意できるもん。ポップがうっかりするんなら、おれが注意してあげればいいって、アポロさんが教えてくれたんだ」 ――拡大解釈にも、程があるという物だ。 「アポロさんめ、余計なことを〜っ!! んな無茶な理屈ありだと……ぅっ、ゴホッ、ゲホッ……ッ」 怒鳴り過ぎたのが祟ったのか、咳き込みだしたポップの背をダイが慌てて擦る。 「ほら、ポップ、まだよくなってないんだから、おとなしく寝てなきゃダメだよ!」 「だ、誰が怒鳴らせてると思って……ゴホッ……くそっ……」 「だからポップ、おとなしく寝ててよ! また熱が出ちゃうじゃないか。ほら、ちゃんと毛布もかぶって!」 ドタバタと揉めつつも、結局はダイが勝ったのかポップを寝かしつけにかかる。 「さて、病人の部屋にいつまでもお邪魔しているのも何だし、あたしはお暇するわね」 「待ていっ、姫さんっ! そんなこと言うんならダイも連れてけよっ、ダイもっ」 「だから、ポップは起きちゃダメだってば!」 起き上がろうともがくポップを、ダイは再びベッドに押し倒す。 「あら、いいじゃない? だって、よく考えてみればちょうどいいもの。ダイ君、ポップ君をちゃんと注意してあげててね。 そう軽くウインクして、レオナはポップが猛烈な抗議をまくし立てる前に、サッとドアから抜け出した――。
(ま、これはこれで結果オーライかしらね) 螺旋階段をゆっくりと下りながら、レオナは一人、思う。 二人の師から無理は禁物とくれぐれも念を押されているのにもかかわらず、すぐにそれを忘れてしまうポップに、レオナは少しばかり脅してでもしっかりと休息を取らせるつもりだった。 あまり言うことを聞かないようであれば、お目付役をつけようかとも思っていた。それを思えば、ダイがその役割を買って出たのは幸運と言うものかもしれない。 普通の侍女や侍従では、どうしても勇者一行の一員であるポップに対して遠慮がでてしまう。かと言ってレオナを初めとした三賢者やヒュンケルなど気心が知れた連中は、忙しすぎてポップの看病だけにかまけてはおられない。 その点、仕事を持っていないダイは時間の余裕は幾らでもある。 弱った肺機能のせいで咳が多発し、症状こそは風邪に似ているが、本来は過労による発熱だ。 それに――ダイが側で見ているのなら、ポップも無茶はしなくなるだろう。今迄の無理が重なったせいで健康を損ねている事実を、ポップはいまだにダイに隠したままだ。 それらを考えれば、案外、これが一番いい注意方法なのかもしれない。 (……まあ、いいわ。今は、勇者を魔法使いへと譲ってあげるわ。その代わり、治ったらちょっぴりお返しはさせてもらうけどね。 少しばかり不穏なことを考えつつ、レオナはくすくすと笑いながら螺旋階段を下りきった――。
《後書き》 で、自分でも書いてみたくなって何度か挑戦していますが……一つ足りとも、甘くならないのはなぜなのか(笑) |