『勇気の源』

  

「……そして、魔王は言いました。
『勇者よ、よくぞ我の元まで来たな。殺すには惜しい……ククク、どうだ、我と手を組まないか? 
 望むのなら、世界の半分をやろうではないか』」

 子供向けの童話のページをめくりながら、若い母親は優しい声で我が子にそれを読み聞かせていた。
 それはよくある光景と言えた。

 夜、母親が子供を寝かしつける方法の一つ――つまりは寝物語にと聞かせているはずだが、すでにそれは逆効果としか思えない。
 子供用とはいえ、まだ大きすぎるように見えるベッドに横になった子供は、目を爛々と輝かせて物語に聞きいっているのだから。

「でも、勇者はそれを『イヤだ』って、断るんだよね!」

 得意げに話を先取りする子供に、母親はわずかに苦笑する。
 だいたい、読み聞かせるまでもないのだ。子供はすでにその先の展開も知っているし、内容全部を暗記してしまっていることを、母親は知っていた。

 自分の子を褒めるのも親馬鹿だとは思うが、年の割にはひどく利口な子で、まだ字もちゃんとは読めないのに、一度でも聞いた物語はたちまち覚えてしまう。
 ましてや、お気に入りの話ならば諳んじるこそさえできるだろう。

 だが、飽きることなく何度も何度も同じ話を読んでくれとねだってくるのが、子供というものだ。

「ねえ、続きは?」

 焦れて、ベッドから起き上がってきてまで話を聞きたがる我が子を、母親は優しく抱きあげ、膝に乗せてやる。
 よく似た面立ちの、親子だった。

「ポップは、本当に勇者様のお話が好きなのね」

「うんっ! だって、カッコいいもん! 強いしさー」

 ポップと呼ばれた子供は、嬉しそうにそう言ってのける。
 いかにも子供っぽい、単純な憧れ。
 額に巻いたバンダナを靡かせる、挿絵の勇者に熱心に見入っている我が子に、母親――スティーヌは優しく話しかけた。

「そうね。でもね、勇者様が勇者と呼ばれるのは、決して強いからだけではないのよ。だって、強いだけでいいのなら、魔王だって強いでしょう?」

「あ、そっか」

 指摘されて始めてそれに気がついたとばかりに、ポップは絵本の魔王と勇者を見比べる。 物語の中で強さはほぼ互角と言われる両者の間に、どんな差があるのか見極めようとでもするように、真剣に絵本を見つめるポップの頭を撫でながら、スティーヌは語って聞かせる。

「勇者様は、正しい心を持っているからこそ、勇者と呼ばれるのよ。
 強さだけでは、人は勇者にはなれないの。
 どんな時でも正義を貫くことのできる、強さと勇気――それがあって、初めて勇者と呼ばれると相応しい……お母さんはそう思うわ」

 まだ、小さな子には難しすぎるかなと思う話だったが、ポップはいつになく真面目にそれを聞いた後、こっくりと頷いた――。





「こらーっ、ポップ! いつまで寝てやがるんだ、もう起きやがれ!」

 朝も早くから、村外れにある武器屋の二階から胴間声が響き渡る。

「う〜、後もちょっと……」

 寝汚く毛布にしがみつくポップを、ジャンクは襟首を引っ掴んで空中に持ち上げる。

「何甘えたこと言ってんだ、このクソガキが! ほらっ、さっさと顔を洗って朝飯を食いやがれ! 友達が迎えに来てるだろーがっ!」

「ふにゃ? ……あれっ、ジン? どうしたんだよ?」

 寝ぼけながらもやっと目を開けたポップは、きょとんとした顔で幼友達に問い掛ける。 ポップよりもほんの半年だけ早く生まれたジンは、兄が出来の悪い弟に向かって言うような口調で言う。

「……心配してたんだけど、やっぱり忘れてたんだね、ポップ。
 ほら、今日、みんなでカマキリの卵を見つけに行こうって約束したじゃないか」

「あーっ!? そうだった!」

 途端に目がはっきりと覚めたのか、ポップは身をよじって暴れだした。

「うわっと!?」

 蹴飛ばされた拍子に手を離したジャンクの手から抜け出したポップは、ジンの手を引っ張って部屋の外へと飛び出した。

「行こうぜ、ジンっ!」

「い、行こうって、おじさんはっ!?」

 と、あたふたするジンを強引に引っ張り、すばやくあかんべをしてから、ポップは階下へと向かう。

「かーさんっ、かーさんっ、朝ご飯っ! あ、それからお弁当、できてるーっ!?」

 やたら騒々しい息子のドタバタっぷりを見送り、ジャンクは溜め息混じりでぼやく。

「まったく、あのクソガキめ〜……っ」





「あなた……、やっぱりポップに部屋を与えるのはまだ早いんじゃないのかしら。せめて、夜だけでも今まで通り私達の部屋で寝させた方がいいと思うんだけど」

 大騒ぎの末に、ポップがジンと一緒に出かけた後。
 スティーヌは少し困った様な表情で、夫に相談を持ち掛ける。
 誕生日のお祝いとして子供部屋を用意してやった時は、ポップはもちろん喜んだ。

 とは言うものの、ようやく5才になったばかりのポップは、両親と離れて一人で寝るのはいささか不安なのか、ここのところずっと寝付きが悪い。
 利口でなおかつ負けん気が強い子ではあるが、少しばかり臆病なところがあるのだ。

 その結果、ポップはここ最近寝坊がひどい。
 スティーヌとしては、まだポップを一人で寝かせるのは早すぎたのではないのかと思っている。
 だが、ジャンクの意見は違うようだ。

「ふん、あんな甘ったれ、甘やかしていたらいつまで経っても一人で眠れるようにならねえよ。
 少しぐらい、突き放すぐらいがちょうどいいんだ」

 ぶっきらぼうにそう言いながら、ジャンクは一見無造作な、だが実際には経験に裏打ちされた手並みで武器の手入れを施していく。

 かつてはベンガーナの王宮にも出入りしていたほどの鍛冶職人である彼の目は、確かだ。どんな武器にどんな手入れが必要な一瞬で見抜き、過不足なく与えることのできる腕を持っている。

 その夫がそこまで言うのであれば、もう少し様子を見た方がいいのかもしれない……スティーヌの悩みは、いったんそこに落ち着いた。
 だが、その問題は片付いても他に心配はいくらでもある。

 今日は、いつもなら子供達に勉強を教える神父の休日だ。そのため、子供達にとっては何の気兼ねもなく遊べる日でもある。男の子達全員で遊ぶのなら大きな子達も行くはずだし、そんな時には年上の子は年下の面倒も見てくれる。

 だが、そうとは分かっていても、迷子にならないかしらとか、間違って川に落ちないかしらとか。

 年上の男の子達にいじめられないかとか、カマキリの卵なんて不気味な物をとってきた場合、いかにポップの機嫌を損ねないように、孵化するであろう春になる前に捨てるにはどうすればよいのか、などと、不安と言うのは考え始めればいくらでも思いつく。
 母親と言う者の悩みは、尽きないものなのだ――。





「………………っ」

 さて、その頃。
 母親の不安が当たったと言うべきか、ポップはなかなかの崖っぷちな状況にあった。
 足が竦んで、動けないでいるポップに向かって、励ましの言葉が口々に投げ掛けられる。
「ほら、なにやってんだよ、ポップ! 思い切って跳んじゃえよ!」

「そうそう、やってみろって!」

 中でも、ひどく熱心にポップを呼ぶのは、ジンの声だった。

「大丈夫だよ、ポップ! きっとできるからさ!」

 だが、それらの声が聞こえても、ポップにはなかなか踏ん切りがつかなかった。

(ど、どうしよ……?)

 泣きべそをかきたい気分で、ポップは自分の行く手を遮る大河を見やる。
 が――客観的に見るのなら、そこは単なる小川だ。
 それも大人ならば軽くヒョイと跳び越えてしまえる程度の、さして幅もない川にすぎない。

 渡るのが子供であっても、ちゃんと川の狭い場所を選べば跳び越せるだろう。
 もし、万一足を踏み外したとしても、溺れる心配も流される心配もない浅瀬だし、ほとんど危険性がない。

 年寄りや女性ならば確かに少し難しいかもしれないが、その小川は村外れの野原へと行く近道だ。
 街道から外れたその野原には、別にこれといった物もないだけに村の者はあまり近付かない。せいぜい、村の男の子達が遊ぶぐらいの場所だ。

 だからこそわざわざ橋も作らず、何年も放っておいてある。
 その小川は、ランカークス村では男の子の仲間に入るための試験のようなものだ。
 一人で川を跳び越え、自由に野原に行ける様になってこそ、一人前。そんな共通認識が、村の子供達の中にはある。

 だからこそ、男の子達は靴を脱いで歩いて川を渡るだとか、他の子に手伝ってもらって渡してもらうだなんて、女の子の様な選択肢は決して認めない。
 みんなの前で堂々とこの川を跳び越して初めて、自分達の仲間だと認める――そんな認識を持っているのだ。

 ランカークスの男の子ならば、早ければ5、6才、どんなに遅くとも7、8才になる頃にはこの試練に合格する。
 それは年齢よりも、その子の持って生まれた体格や度胸が大きく影響するのだが、ポップにとってはいささか不利な条件だった。

 なにしろポップは先月五才になったばかりだし、あまり成長が早いというタイプでもない。
 小柄なポップは、あまり体力面では恵まれているとは言いがたい。

 同じ五才でも、春生まれのジンは危なっかしいながらもなんとかにジャンプを決め、一人前と認められたが、ポップはそれに続くことができなかった。
 体格や年齢さ以上に、度胸と言う面で思いっきり劣っていた。

 どうしても怖くて、足が竦む。
 もはや泣きべそになりかけて、ガクガク震えてどうしても一歩を踏み出せないでいるポップに、彼を励ましていた男の子達も飽きてしまったらしい。

「ちぇっ、いくじがねーな。もう、ポップなんかほっといて、行っちまおうぜ」

 誰か一人がそう言い出すと、待つのに飽きた他の子達の意見もそちらへと傾きだす。なにより、最年長の少年が頷いたのが決定的だった。

「……やれやれ、まだポップには早かったみたいだな。
 じゃ、また今度だな」

 川を跳び越えると言うこの試験は、村の男の子にとっては重大儀式だが、別に一度っきりしか挑戦できないわけではない。
 他に見ている男の子がいさえすれば、いつ挑戦したっていい。

 練習を重ねるのも本人の自由だし、まだチビ過ぎて危ないような場合だと、もう少し待ってからにしろと年上の子が止める場合もある。
 年齢が上の子ほど初めて跳ぶ子には寛大だし、悪気でかけた言葉ではない。だが、ほんの1、2才差ほどの子供ほど、わずかな年齢差のある子を見下すものだ。

「へっ、そうそう! 泣き虫のポップちゃんは、おうちでおとなしく女の子達とおままごとでもしてるんだな!」

 そんな風にからかう声に合わせ、ドッと笑う声が響く。
 悔しそうに顔を歪めるポップの目から、涙が零れ落ちんばかりに膨れ上がる。だが、それが流れる前にポップはいきなり踵を返した。

「あっ、ポップ!? どこ行くんだよ!?」

 川の向こうから、ジンが心配そうに自分を呼ぶ声を聞きながら、ポップは振り返りもせず真っ直ぐに自宅めがけて駆けだした――。





(あった……、これだ!)

 半分泣きべそをかきながら倉庫の中をごそごそと探していたポップは、やっと目的の物を見つけだした。
 あれからすぐ自宅に戻ってきたが、それはおままごとをするためなんかじゃない。ましてや、母親に甘えつき、慰めてもらうためでもなかった。

 むしろ、両親に見つからない様に気をつけて、ポップは倉庫を漁っていた。普段のポップなら、昼間とはいえ明かりがなければ薄暗い倉庫の中になど一人ではいる度胸はないが、今は特別だった。

 あの嘲笑が、ポップの負けん気を強く刺激した。
 自分を女の子みたいだと笑った連中を見返すためなら、なんでもする覚悟だった。

(見ていろ! なにがなんでも、あの川を越えてやる……!)

 決心を固め、ポップは二重になった箱の中に大事にしまわれている黄色の布きれを手にする。
 それは、一見ただの布切れにしか見えないもの。
 だが、それが特別な物だと、ポップは知っていた。

『これか? これはな、勇者様からの預かりものなんだよ。もう……ずいぶん昔の話だがよ』

 ずっと前、倉庫の掃除をしていた父親が、この箱を開けて懐かしそうにそう言ったのを、ポップは覚えていた。
 それがどういう謂われがあるものなのか、また何で家にあるのかと聞いても、ジャンクは教えてくれなかったが、勇者の持ち物と言うだけでポップの目には特別な物として映った。

 とても大切なものだからと、触れることさえ禁じられているその箱に触るのには抵抗があったが、小さなポップにとっては今こそ一大事だ。
 今こそ、勇気が欲しい――魔王に敢然と立ち向かう勇者の様に。

 勇者の持ち物を身につけたのなら、怖いと思う気持ちやためらいなどを吹き跳ばしてくれるだろうと、ポップは単純に信じ込んでいた。
 父親が怖くて触ったことがなかったが、いつか機会があったら試したいとずっと思っていたのだ。

 ドキドキしながら、ポップは黄色の布に手を伸ばす。
 手に伝わるのは、しなやかな布の手応え――だが、それだけだった。別に触れたからといって魔法の様に不思議なことが起きるわけでも、勇気が溢れてくるわけでもない。

 ただの布と同じ手触りと効果……それだけだ。
 しかし、ポップにとってはそれ以上の意味があった。

(これが……勇者の……)

 身震いする様な高揚感のままに、ポップは迷わずその布を頭に巻く。まだ小さなポップにはその布はいささか長すぎて肩より下までに垂れ下がってしまうが、そんなのは少しも気にならない。

 絵本で見た勇者と同じく、バンダナを装備したポップは再び小川に向かって駆け出していった――。





(やっぱり、おれも一緒に帰ればよかったかな……)

 初めての挑戦で念願の野原に来たはずのジンは、溜め息混じりに何度も何度も川の方を振り返る。
 本来なら、ここはもっと楽しいはずの場所だった。

 小さな子供にとっては、ここは村の外であり冒険への第一歩の様なものだ。ジンもポップもその日を待ち焦がれていたはずなのに、こんな風に離れ離れになってしまうだなんて思いもしなかった。
 遊ぶ気もなくしょんぼりしていたジンの耳に、聞き慣れた声が飛び込んできた。

「やいっ、見てろっ! 今度こそ、跳んでやるからなっ!!」

「ポップ!?」

 再び戻ってきたポップに、その場にいた全員の注目が集まる。
 なぜか黄色のバンダナを巻いて戻ってきた黒髪の少年は、勢い込んで川めがけて走ってきた。勢いがつき過ぎて、川に跳び込んでしまうのではないかと心配になるぐらいだったが、ポップはぎりぎりで川の縁を蹴り宙に跳ぶ。

 バンダナが、大きく翻った――。

「いてっ、いててっ!?」

 踏切が強すぎたせいか、着地のバランスが悪くすっ転んだポップだったが、転んだのは小川のこちら側……言い換えるなら、彼は男の子達の試練を見事に越えたのだ。

「やったじゃないか、ポップ、見直したぞ!」

「なかなかやるじゃん!」

 途端にワッと喚声を上げ、男の子達は新たなる『仲間』を歓迎する。もちろん、ポップよりも一足先に試練を越えたジンも、称賛と歓迎を惜しまなかった。
 この瞬間、ポップはただ甘やかされるだけの幼児ではなく『ランカークス村の男の子』へと成長したのだ――。





「ポップ……ッ! なんてことをするの!?」

 夕方、カマキリの卵のついた枯れた枝をいくつか持って、得意満面で帰ってきたポップを迎えたのは、眉を吊り上げた母親の姿だった。

「か、かあさん……」

 ドキリとして、ポップは立ち止まる。
 基本的に、スティーヌは優しい。悪戯をしたり、帰りが遅くなったポップを仁王立ちにして迎え、帰ってくるなり雷を落とすのは常にジャンクの方だ。

 スティーヌはそんな時、いつもジャンクをたしなめ、ポップを庇ってくれる。
 だが……怒らせると本当に怖いのは、母親の方だとポップは知っていた。

「ポップ。あなたは、自分が何をしたのか分かっているの!? 倉庫を勝手に荒らして、無断でその中の物を持ち出すだなんて……!
 いつも、倉庫は危険だから近付かないようにって、言っているでしょう!?」

 ただ怒っているだけではない。ポップを心配しているからこそ、一段と強まる怒りがスティーヌを大きくみせる。
 だが、まだ幼いポップにそんなことまで分かるはずがない。

 いつもとは全然違う母親の姿に、よほど怒らせてしまったのだろうと怯えるばかりだった。

「ご……、ごめんなさい、かあさん……」

 意地っ張りのポップはなかなか素直に謝らないが、今回ばかりは母への恐怖と、宝物を勝手に持ち出した罪悪感から素直に謝罪の言葉がでる。
 だが、母はそれでも許してくれなかった。

「『ごめんなさい』だけじゃすまないことがあるのよ! だいたい、あなたが勝手に持ち出したそれは……っ」

 まだまだ言い足りないとばかりに叱責するスティーヌを遮ったのは、ジャンクだった。興奮する妻の肩に手を置き、目線で下がる様にと促す。
 そして、ポップの前に立ちはだかる。

「…………」

 やっぱり怖く見える父の姿に、ポップはもはや完全に泣きべそになっていた。いつものように拳骨で殴られたり、お尻をひっぱたかれる程度で済まされるとは思えない。

 もっとひどいお仕置きをされるのではないかと、震え上がるポップだったが、予想と違ってジャンクの手はポップを殴ったりはしなかった。
 息子の頭の上に手を置き、ジャンクは静かに尋ねた。

「ポップ。おまえは、なんでそいつを持ち出したりしたんだ?」

 地声が荒いため声こそ怖く聞こえるものの、それは別に怒っている聞き方ではなかった。 だが、答えなかったり、嘘をついたりすれば許さないと言わんばかりの迫力が、その声には込められていた。
 だからこそ、ポップは正直に本心を漏らす。

「……気が、ほしかったから……」

「なんだ? 聞こえねえぞ。男なら、はっきりと言え」

 促され、ポップは顔を上げて自分の父親を見上げる。頭に手を置かれたせいでやりにくいが、それでも相手の目を見返しながらきっぱりと言った。

「勇気が、ほしかったんだ……! だって、これ、勇者の物だったんだろ? なら、これがあればおれだって勇気がだせるって、そう思ったから、だから――」

 必死に言い募る息子を、ジャンクはじっと見つめる。その目には、武器の善し悪し鑑定をする時の鋭さがあった。

「……っ、これ、おれが持ってちゃ、だめ、かな?」

 バンダナをギュッと握り締め、恐る恐るながらも、はっきりと自分の意思を示すポップに対して、ジャンクの答えは短かった。

「……勝手にしな」

「あなたっ!?」

 途端に悲鳴じみた声をあげるスティーヌに、ジャンクは事も無げに言う。

「いいんだ。それより、そろそろ飯の支度をしてくれないか。
 ああ、そういや、ポップ。てめえは先に風呂に入ってその泥だらけの身体を洗ってこい! さっさと洗わないと、飯抜きにするぞ!」

 いつもの調子に戻って怒鳴りつける父親の姿に、ポップはかえってホッとした様子で、慌てて風呂場へと駆け込んでいく。
 だが、スティーヌの表情はふるわなかった。

「あなた……本当にいいんですか? あんな大切な物を、ポップに持たせたりして――」
 ポップと違い、スティーヌはあの黄色の布がどんな謂われを持つものなのか、知っていた。そして、ジャンクにとってそれ以上の意味があるものかも、知り抜いている。
 あの黄色の布こそが、ジャンクの実家に伝わる家宝。

 嘘かホントかは定かではないが、勇者の武器を繋ぎ止めるための、剣の下げ緒だと聞いている。
 かつて家と国を捨てたジャンクが、たった一つ持ってきた、故郷の名残。

 だからこそ大切にしまっておいた品であり、ジャンクにとっては唯一の家族の思い出でもあり、絆を示す物なはずだ。
 憧れ程度の気持ちで子供の玩具にしていいものではないと、スティーヌにさえ思えるのにジャンクはさばさばしたものだった。

「いいんだ。あれは、どうせオレにゃ過ぎたシロモノだし、使い道もない。
 なら、あいつに持たせてやっても構わねえさ」

「でも……、ポップはあれを無くすかもしれないのに……っ」

 ポップは、あの布の重要性を一切知らない。そして、この頑固な男は息子にそれを伝える気も無い様だ。
 ならば何も知らないポップが、ただの布だと思って無くしてしまう可能性もある。
 しかし、その心配さえジャンクは一蹴した。

「構わねえって言っただろう。あれを無くす時は、あのクソガキも『勇気』の源があんな布切れなんかじゃないって分かるってこった。
 そうなるんなら、それでもいいさ」

「あなた……」

 今度は制止の意味ではなく、感動を込めてスティーヌが夫を呼ぶ。
 ジャンクは、ひどく頑固で一徹な男だ。子供を可愛がるというタイプでもないし、厳しい面ばかりが目立つ。

 だが、その芯にあるのは不器用な優しさだ。
 分かりにくく、相手に伝わりにくい優しさ――そんな不器用な夫を、スティーヌは心から愛していた。

「……あなたって、変わらないのね」

 くすりと呟く声に響く甘さにジャンクが振り向いた時、スティーヌは彼の頬に軽いキスを与える。
 それに一瞬驚いたものの、ジャンクもすぐに彼女の細い腰に手を回す。

「変わらないのは、おまえの方だろう」

 子供を一人産んだのに、スティーヌのほっそりとした体付きにさしたる変化はない。初めて出会った時、ベンガーナ城で『ひなげしの君』と称えられた時そのままの可憐な魅力を、今も充分に備えている。

 駆け落ちした時の情熱のまま、そのまま唇を交わそうとした二人だが――風呂場の方からお邪魔虫な声が聞こえてきた。

「あーっ、目、痛っ! しみるよーっ、かーさんっ、かーさん、きてよぉ!」

 まだお風呂を一人に入るには早い我が子のヘルプを聞いて、スティーヌはサッと妻から母親への顔へ変わってしまった。

「ごめんなさい、あなた。行かないと」

 するりと自分の腕を抜け出してパタパタと風呂場に向かう妻の後ろ姿を見送り、ジャンクは残念そうに舌打ちした――。





(あらやだ。ポップったら……)

 その夜、ポップの部屋に様子を見に行ったスティーヌは思わず苦笑する。
 ポップは勇者の絵本を開いたまま、例のバンダナを巻いたままで眠っていた。布団を蹴飛ばす寝相の悪さには呆れるが、それでもこれは進歩だとスティーヌは思う。

 昨夜まではポップは一人で寝るのを怯えて、スティーヌが様子を見にくるまで決して寝ようとはしなかった。
 だが、勇者の存在はポップを予想以上に支えているらしい。

 一人でちゃんと眠れる様になった――我が子のそんな細やかな成長は、母親にはちょっぴり寂しく、それでいて胸が震えるほど嬉しい。
 ポップを起こさない様に絵本を取り上げてから、スティーヌはバンダナを見て少し悩む。
 本来、寝るのならバンダナなど外した方がいいのだが、これほど気に入っているのを勝手に外すのは気が引ける。

 だが、長すぎるバンダナが子供の首か何かに絡むのを恐れ、スティーヌはそのバンダナの端の部分をチョウチョ結びにする。
 それから優しく毛布をかけて、スティーヌはその部屋を後にした――。
                                    

 


                                      END


《後書き》

 前に地下のダークネスでバンダナの裏設定を書いて以来、ポップがバンダナを身に付けた時のエピソードも書きたいと思っていたのですが、やっと実現しました♪
 まだ5才のポップと、新婚さんの雰囲気を残すジャンクとスティーヌは書いてて楽しかったですv

 んでもって、原作で小さいポップがバンダナをチョウチョ結びにしているのを見た時から、筆者はあれはスティーヌさんがやったに違いないと思っていました!
 ところで、村の男の子達とポップの話も実に楽しかったのですが、うっかり冬のエピソードにしてしまったせいで、野原で取れる自然物に悩みました。

 最初は野苺にしたかったけど冬にあるとは思えないし、どんぐりも野原では無理が。結局、カマキリの卵ぐらいしか思い付かなかった筆者は、発想が貧困なのかもしれません(笑)
 

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