『勇気の源』 |
「……そして、魔王は言いました。 子供向けの童話のページをめくりながら、若い母親は優しい声で我が子にそれを読み聞かせていた。 夜、母親が子供を寝かしつける方法の一つ――つまりは寝物語にと聞かせているはずだが、すでにそれは逆効果としか思えない。 「でも、勇者はそれを『イヤだ』って、断るんだよね!」 得意げに話を先取りする子供に、母親はわずかに苦笑する。 自分の子を褒めるのも親馬鹿だとは思うが、年の割にはひどく利口な子で、まだ字もちゃんとは読めないのに、一度でも聞いた物語はたちまち覚えてしまう。 だが、飽きることなく何度も何度も同じ話を読んでくれとねだってくるのが、子供というものだ。 「ねえ、続きは?」 焦れて、ベッドから起き上がってきてまで話を聞きたがる我が子を、母親は優しく抱きあげ、膝に乗せてやる。 「ポップは、本当に勇者様のお話が好きなのね」 「うんっ! だって、カッコいいもん! 強いしさー」 ポップと呼ばれた子供は、嬉しそうにそう言ってのける。 「そうね。でもね、勇者様が勇者と呼ばれるのは、決して強いからだけではないのよ。だって、強いだけでいいのなら、魔王だって強いでしょう?」 「あ、そっか」 指摘されて始めてそれに気がついたとばかりに、ポップは絵本の魔王と勇者を見比べる。 物語の中で強さはほぼ互角と言われる両者の間に、どんな差があるのか見極めようとでもするように、真剣に絵本を見つめるポップの頭を撫でながら、スティーヌは語って聞かせる。 「勇者様は、正しい心を持っているからこそ、勇者と呼ばれるのよ。 まだ、小さな子には難しすぎるかなと思う話だったが、ポップはいつになく真面目にそれを聞いた後、こっくりと頷いた――。
朝も早くから、村外れにある武器屋の二階から胴間声が響き渡る。 「う〜、後もちょっと……」 寝汚く毛布にしがみつくポップを、ジャンクは襟首を引っ掴んで空中に持ち上げる。 「何甘えたこと言ってんだ、このクソガキが! ほらっ、さっさと顔を洗って朝飯を食いやがれ! 友達が迎えに来てるだろーがっ!」 「ふにゃ? ……あれっ、ジン? どうしたんだよ?」 寝ぼけながらもやっと目を開けたポップは、きょとんとした顔で幼友達に問い掛ける。 ポップよりもほんの半年だけ早く生まれたジンは、兄が出来の悪い弟に向かって言うような口調で言う。 「……心配してたんだけど、やっぱり忘れてたんだね、ポップ。 「あーっ!? そうだった!」 途端に目がはっきりと覚めたのか、ポップは身をよじって暴れだした。 「うわっと!?」 蹴飛ばされた拍子に手を離したジャンクの手から抜け出したポップは、ジンの手を引っ張って部屋の外へと飛び出した。 「行こうぜ、ジンっ!」 「い、行こうって、おじさんはっ!?」 と、あたふたするジンを強引に引っ張り、すばやくあかんべをしてから、ポップは階下へと向かう。 「かーさんっ、かーさんっ、朝ご飯っ! あ、それからお弁当、できてるーっ!?」 やたら騒々しい息子のドタバタっぷりを見送り、ジャンクは溜め息混じりでぼやく。 「まったく、あのクソガキめ〜……っ」 「あなた……、やっぱりポップに部屋を与えるのはまだ早いんじゃないのかしら。せめて、夜だけでも今まで通り私達の部屋で寝させた方がいいと思うんだけど」 大騒ぎの末に、ポップがジンと一緒に出かけた後。 とは言うものの、ようやく5才になったばかりのポップは、両親と離れて一人で寝るのはいささか不安なのか、ここのところずっと寝付きが悪い。 その結果、ポップはここ最近寝坊がひどい。 「ふん、あんな甘ったれ、甘やかしていたらいつまで経っても一人で眠れるようにならねえよ。 ぶっきらぼうにそう言いながら、ジャンクは一見無造作な、だが実際には経験に裏打ちされた手並みで武器の手入れを施していく。 かつてはベンガーナの王宮にも出入りしていたほどの鍛冶職人である彼の目は、確かだ。どんな武器にどんな手入れが必要な一瞬で見抜き、過不足なく与えることのできる腕を持っている。 その夫がそこまで言うのであれば、もう少し様子を見た方がいいのかもしれない……スティーヌの悩みは、いったんそこに落ち着いた。 今日は、いつもなら子供達に勉強を教える神父の休日だ。そのため、子供達にとっては何の気兼ねもなく遊べる日でもある。男の子達全員で遊ぶのなら大きな子達も行くはずだし、そんな時には年上の子は年下の面倒も見てくれる。 だが、そうとは分かっていても、迷子にならないかしらとか、間違って川に落ちないかしらとか。 年上の男の子達にいじめられないかとか、カマキリの卵なんて不気味な物をとってきた場合、いかにポップの機嫌を損ねないように、孵化するであろう春になる前に捨てるにはどうすればよいのか、などと、不安と言うのは考え始めればいくらでも思いつく。
さて、その頃。 「そうそう、やってみろって!」 中でも、ひどく熱心にポップを呼ぶのは、ジンの声だった。 「大丈夫だよ、ポップ! きっとできるからさ!」 だが、それらの声が聞こえても、ポップにはなかなか踏ん切りがつかなかった。 (ど、どうしよ……?) 泣きべそをかきたい気分で、ポップは自分の行く手を遮る大河を見やる。 渡るのが子供であっても、ちゃんと川の狭い場所を選べば跳び越せるだろう。 年寄りや女性ならば確かに少し難しいかもしれないが、その小川は村外れの野原へと行く近道だ。 だからこそわざわざ橋も作らず、何年も放っておいてある。 だからこそ、男の子達は靴を脱いで歩いて川を渡るだとか、他の子に手伝ってもらって渡してもらうだなんて、女の子の様な選択肢は決して認めない。 ランカークスの男の子ならば、早ければ5、6才、どんなに遅くとも7、8才になる頃にはこの試練に合格する。 なにしろポップは先月五才になったばかりだし、あまり成長が早いというタイプでもない。 同じ五才でも、春生まれのジンは危なっかしいながらもなんとかにジャンプを決め、一人前と認められたが、ポップはそれに続くことができなかった。 どうしても怖くて、足が竦む。 「ちぇっ、いくじがねーな。もう、ポップなんかほっといて、行っちまおうぜ」 誰か一人がそう言い出すと、待つのに飽きた他の子達の意見もそちらへと傾きだす。なにより、最年長の少年が頷いたのが決定的だった。 「……やれやれ、まだポップには早かったみたいだな。 川を跳び越えると言うこの試験は、村の男の子にとっては重大儀式だが、別に一度っきりしか挑戦できないわけではない。 練習を重ねるのも本人の自由だし、まだチビ過ぎて危ないような場合だと、もう少し待ってからにしろと年上の子が止める場合もある。 「へっ、そうそう! 泣き虫のポップちゃんは、おうちでおとなしく女の子達とおままごとでもしてるんだな!」 そんな風にからかう声に合わせ、ドッと笑う声が響く。 「あっ、ポップ!? どこ行くんだよ!?」 川の向こうから、ジンが心配そうに自分を呼ぶ声を聞きながら、ポップは振り返りもせず真っ直ぐに自宅めがけて駆けだした――。
半分泣きべそをかきながら倉庫の中をごそごそと探していたポップは、やっと目的の物を見つけだした。 むしろ、両親に見つからない様に気をつけて、ポップは倉庫を漁っていた。普段のポップなら、昼間とはいえ明かりがなければ薄暗い倉庫の中になど一人ではいる度胸はないが、今は特別だった。 あの嘲笑が、ポップの負けん気を強く刺激した。 (見ていろ! なにがなんでも、あの川を越えてやる……!) 決心を固め、ポップは二重になった箱の中に大事にしまわれている黄色の布きれを手にする。 『これか? これはな、勇者様からの預かりものなんだよ。もう……ずいぶん昔の話だがよ』 ずっと前、倉庫の掃除をしていた父親が、この箱を開けて懐かしそうにそう言ったのを、ポップは覚えていた。 とても大切なものだからと、触れることさえ禁じられているその箱に触るのには抵抗があったが、小さなポップにとっては今こそ一大事だ。 勇者の持ち物を身につけたのなら、怖いと思う気持ちやためらいなどを吹き跳ばしてくれるだろうと、ポップは単純に信じ込んでいた。 ドキドキしながら、ポップは黄色の布に手を伸ばす。 ただの布と同じ手触りと効果……それだけだ。 (これが……勇者の……) 身震いする様な高揚感のままに、ポップは迷わずその布を頭に巻く。まだ小さなポップにはその布はいささか長すぎて肩より下までに垂れ下がってしまうが、そんなのは少しも気にならない。 絵本で見た勇者と同じく、バンダナを装備したポップは再び小川に向かって駆け出していった――。
初めての挑戦で念願の野原に来たはずのジンは、溜め息混じりに何度も何度も川の方を振り返る。 小さな子供にとっては、ここは村の外であり冒険への第一歩の様なものだ。ジンもポップもその日を待ち焦がれていたはずなのに、こんな風に離れ離れになってしまうだなんて思いもしなかった。 「やいっ、見てろっ! 今度こそ、跳んでやるからなっ!!」 「ポップ!?」 再び戻ってきたポップに、その場にいた全員の注目が集まる。 バンダナが、大きく翻った――。 「いてっ、いててっ!?」 踏切が強すぎたせいか、着地のバランスが悪くすっ転んだポップだったが、転んだのは小川のこちら側……言い換えるなら、彼は男の子達の試練を見事に越えたのだ。 「やったじゃないか、ポップ、見直したぞ!」 「なかなかやるじゃん!」 途端にワッと喚声を上げ、男の子達は新たなる『仲間』を歓迎する。もちろん、ポップよりも一足先に試練を越えたジンも、称賛と歓迎を惜しまなかった。
夕方、カマキリの卵のついた枯れた枝をいくつか持って、得意満面で帰ってきたポップを迎えたのは、眉を吊り上げた母親の姿だった。 「か、かあさん……」 ドキリとして、ポップは立ち止まる。 スティーヌはそんな時、いつもジャンクをたしなめ、ポップを庇ってくれる。 「ポップ。あなたは、自分が何をしたのか分かっているの!? 倉庫を勝手に荒らして、無断でその中の物を持ち出すだなんて……! ただ怒っているだけではない。ポップを心配しているからこそ、一段と強まる怒りがスティーヌを大きくみせる。 いつもとは全然違う母親の姿に、よほど怒らせてしまったのだろうと怯えるばかりだった。 「ご……、ごめんなさい、かあさん……」 意地っ張りのポップはなかなか素直に謝らないが、今回ばかりは母への恐怖と、宝物を勝手に持ち出した罪悪感から素直に謝罪の言葉がでる。 「『ごめんなさい』だけじゃすまないことがあるのよ! だいたい、あなたが勝手に持ち出したそれは……っ」 まだまだ言い足りないとばかりに叱責するスティーヌを遮ったのは、ジャンクだった。興奮する妻の肩に手を置き、目線で下がる様にと促す。 「…………」 やっぱり怖く見える父の姿に、ポップはもはや完全に泣きべそになっていた。いつものように拳骨で殴られたり、お尻をひっぱたかれる程度で済まされるとは思えない。 もっとひどいお仕置きをされるのではないかと、震え上がるポップだったが、予想と違ってジャンクの手はポップを殴ったりはしなかった。 「ポップ。おまえは、なんでそいつを持ち出したりしたんだ?」 地声が荒いため声こそ怖く聞こえるものの、それは別に怒っている聞き方ではなかった。 だが、答えなかったり、嘘をついたりすれば許さないと言わんばかりの迫力が、その声には込められていた。 「……気が、ほしかったから……」 「なんだ? 聞こえねえぞ。男なら、はっきりと言え」 促され、ポップは顔を上げて自分の父親を見上げる。頭に手を置かれたせいでやりにくいが、それでも相手の目を見返しながらきっぱりと言った。 「勇気が、ほしかったんだ……! だって、これ、勇者の物だったんだろ? なら、これがあればおれだって勇気がだせるって、そう思ったから、だから――」 必死に言い募る息子を、ジャンクはじっと見つめる。その目には、武器の善し悪し鑑定をする時の鋭さがあった。 「……っ、これ、おれが持ってちゃ、だめ、かな?」 バンダナをギュッと握り締め、恐る恐るながらも、はっきりと自分の意思を示すポップに対して、ジャンクの答えは短かった。 「……勝手にしな」 「あなたっ!?」 途端に悲鳴じみた声をあげるスティーヌに、ジャンクは事も無げに言う。 「いいんだ。それより、そろそろ飯の支度をしてくれないか。 いつもの調子に戻って怒鳴りつける父親の姿に、ポップはかえってホッとした様子で、慌てて風呂場へと駆け込んでいく。 「あなた……本当にいいんですか? あんな大切な物を、ポップに持たせたりして――」 嘘かホントかは定かではないが、勇者の武器を繋ぎ止めるための、剣の下げ緒だと聞いている。 だからこそ大切にしまっておいた品であり、ジャンクにとっては唯一の家族の思い出でもあり、絆を示す物なはずだ。 「いいんだ。あれは、どうせオレにゃ過ぎたシロモノだし、使い道もない。 「でも……、ポップはあれを無くすかもしれないのに……っ」 ポップは、あの布の重要性を一切知らない。そして、この頑固な男は息子にそれを伝える気も無い様だ。 「構わねえって言っただろう。あれを無くす時は、あのクソガキも『勇気』の源があんな布切れなんかじゃないって分かるってこった。 「あなた……」 今度は制止の意味ではなく、感動を込めてスティーヌが夫を呼ぶ。 だが、その芯にあるのは不器用な優しさだ。 「……あなたって、変わらないのね」 くすりと呟く声に響く甘さにジャンクが振り向いた時、スティーヌは彼の頬に軽いキスを与える。 「変わらないのは、おまえの方だろう」 子供を一人産んだのに、スティーヌのほっそりとした体付きにさしたる変化はない。初めて出会った時、ベンガーナ城で『ひなげしの君』と称えられた時そのままの可憐な魅力を、今も充分に備えている。 駆け落ちした時の情熱のまま、そのまま唇を交わそうとした二人だが――風呂場の方からお邪魔虫な声が聞こえてきた。 「あーっ、目、痛っ! しみるよーっ、かーさんっ、かーさん、きてよぉ!」 まだお風呂を一人に入るには早い我が子のヘルプを聞いて、スティーヌはサッと妻から母親への顔へ変わってしまった。 「ごめんなさい、あなた。行かないと」 するりと自分の腕を抜け出してパタパタと風呂場に向かう妻の後ろ姿を見送り、ジャンクは残念そうに舌打ちした――。
その夜、ポップの部屋に様子を見に行ったスティーヌは思わず苦笑する。 昨夜まではポップは一人で寝るのを怯えて、スティーヌが様子を見にくるまで決して寝ようとはしなかった。 一人でちゃんと眠れる様になった――我が子のそんな細やかな成長は、母親にはちょっぴり寂しく、それでいて胸が震えるほど嬉しい。 だが、長すぎるバンダナが子供の首か何かに絡むのを恐れ、スティーヌはそのバンダナの端の部分をチョウチョ結びにする。
《後書き》 前に地下のダークネスでバンダナの裏設定を書いて以来、ポップがバンダナを身に付けた時のエピソードも書きたいと思っていたのですが、やっと実現しました♪ んでもって、原作で小さいポップがバンダナをチョウチョ結びにしているのを見た時から、筆者はあれはスティーヌさんがやったに違いないと思っていました! 最初は野苺にしたかったけど冬にあるとは思えないし、どんぐりも野原では無理が。結局、カマキリの卵ぐらいしか思い付かなかった筆者は、発想が貧困なのかもしれません(笑) |