『熱を持たない灯』 |
そこは、固く閉ざされた部屋だった。 そこまで厳重に守られるのも、当然だろう。 それが知られ渡っているだけに、この部屋には見張りすらついていなかった。見張りなど立てなくとも、王宮の最奥に入り込む者など、いるはずもない。 だから、彼らは気がつかなかった。
互いに反発し合う光を放ち合う、扉と手。 一見、簡単に成し遂げた様に見えるが、魔封をこんな形で無理やり破るには、恐るべき魔法力を必要とするものだ。 だが、宝物庫に入った彼は、わずかに眉をひそめて周囲を見回した。 せいぜい手のひらに乗る程度の大きさの、顔もなく、ただ胴体に手足をつけただけにしか見えない粗雑な木製の人形は、まだいい。かすかに漏れる魔法の気配が、それがなんらかの呪力を帯びた品だと教えてくれる。 ボロボロになった書物や巻き物の数々も、いいだろう。知識は一種の財産であり、後世にまで伝える価値は十分にある。 宝物庫に似つかわしくない宝は、他にもある。 一番目立つ場所に仰々しく飾られているその服の価値を見出だせる者は、いないだろう。 世の中には、一見布の服と見せかけて魔法の効力の織り込まれた服もあるが、そこにある服はどう見てもただの服だ。なんの魔法の力も感じない。 緑色をベースとしたその服は、大人用の服としては半端に小さめで、かといって完全に子供服と言うほど小さくもない。ついでに言うのなら新品ではないらしく、着古した感じがひしひしと漂っている。 だが、彼の注意はすぐに宝物庫の最奥へと引きつけられた。 長い間、宝物庫にしまいっ放しだったにもかかわらず、抜き身の刃は造られたばかりであるかのような鮮烈な輝きを放っている。 慎重な手つきでその剣を台座から抜き取ると、彼は隠し持っていた剣をその台座に戻す。 その形は、今、魔法使いが抜き取った剣と寸分違わない。だが、比べると刃の輝きが明らかに劣っているのが分かる。 しかし、問題はないだろうと魔法使いは考えていた。 何しろ、この偽者は文献を元に細部まで巧妙に作り上げた代物だ。デザイン的には本物と全く遜色がないと言っていい。 擦り替えを成功させた魔法使いは、来た時と同じように、足音を忍ばせて宝物庫を抜け出した――。
その特徴からエビルマージと呼ばれる高位魔族だと見抜ける者は、そう多くはいまい。 だが、魔法使いはその正体を知り、それでいてなお、驚いた様子も、怯えた様子も見せなかった。 「……ザムザ様。首尾はいかがですか?」 「ああ、上々だ」 傲慢に返事をし、魔法使い――ザムザは隠し持っていた剣をエビルマージに渡す。 「ははーっ、これが噂に高い覇者の剣ですね……! こんなに早く手に入れられるとはさすがはザムザ様ですね、では確かにお預かり致します」 大袈裟な仕草で剣を受け取りながら、おべんちゃら混じりの言葉を並べているエビルマージは、絡みつくような視線を向けてきた。 「時にもう一つの計画の方は、いかがなさいましたか?」 「……う、む……」 歯切れ悪く、ザムザは言葉を濁す。
『ザムザよ、最近、人間の王族どもの動きが少々、おかしい。 魔王軍妖魔士団長であり、実の父であるザボエラの言葉。 攻略先にロモス王国を選んだのは、ザムザの選択によるものだった。 現在、魔王軍と最も活発に戦おうとしているのはパプニカ王国だが、あの国には魔王軍の宿敵、勇者一行が滞在している。 情報を集めるには最適だが、あまりにも危険が大きすぎる。 危険は少ないかもしれないが利点も少なく、情報が集めにくい国など、ザムザにとっては何の価値もない。 商業に力を入れている分、裕福な商人を装って王室にも関わる商売をもちかければ、王宮に潜入するのも難しくはあるまい。 勇者ダイをいち早く勇者と認め、正式に称号を与えたのはロモス王国だ。にも関わらず、ロモス王は勇者ダイを召し抱えることなく、旅立たせている。 しかも、ロモス王国に実際に潜入して初めて知ったが、この国にはとんだ宝が眠っていた。 魔界でさえそうそう手に入らないこの貴重な金属で作られた武器が、なぜこんな小さな国に眠っているのかが疑問だったが、それはどうでもいい話だ。 だが――ロモス王を殺すのには、いささかのためらいがあった。 最初はそのつもりだった。 何か裏があるのではないかと、探りを入れるために必要以上に会話を交わし、行動を共にしたせいで、ザムザは知ってしまった。 疑いなく出会ったばかりの自分を信じ、ザムザの知識に称賛の声を惜しまない、呆れる程に人の善い王だった。 せっかく素晴らしい国宝の剣があるのだから、これを賞品にして広く世間に呼び掛け、強者を集めてはいかがと、尤もらしいことを言ったが、ザムザの狙いは別にある。 その際、今行っている実験のモルモットにでもすれば一石二鳥……そんな風に思っていた。 だが、そうはならなかった。 『おお、武闘大会とは、素晴らしいアイデアですな、さすがはザムザ殿!』 心底嬉しそうに、ザムザの提案を全面的に受け入れてくれたロモス王に、殺すきっかけを失った。
自分の心情は敢えて伏せた説明が、いささか言い訳めいたものになっているとザムザは自覚していなかった。 「そうですか。それならば擦り替えは行わなくても、いいでしょうね。だが、暗殺は実行していただかないと。 その命令を聞いて、ザムザが受けたショックは少なくはなかった。 単に暗殺するだけなら、派手にする必要はない。 そして、それは同時に魔王軍に対しての手柄のアピールでもある。 徹底して効果的な方法を選ぶ点は、いかにもザボエラらしいと言うべきだろう。 「……承知した。父上に、明日の決行を期待してほしい、と伝えてくれ」 自分の感情にそぐわない上、作戦実行者であるザムザの身の安全をまるっきり考慮していない計画を、ザムザは素直に受け入れる。 「かしこまりました。それでは、失礼します」 エビルマージの姿が、闇に溶けるように消えていく。 (くそ……っ、たかが人間を一人、殺すだけではないか……!) 落ち着かずに波立つ心の動きに苛立つザムザは、気がついていなかった。 自分を常に受け入れ、認め、褒めてくれる優しい父親。 父親という存在に心酔し、心から慕うからこそ、父と意識する相手をザムザは無下にすることは出来ない。 父に失望されたくない。 たとえ後でどんなに心を痛めるにせよ、ザムザはザボエラの命令には逆らえない。葛藤を飲み込み、ザムザは殺意を無理やり掻き立てるように武闘大会に心を身構えた――。
兵士隊長がきびきびとそう報告するのを聞いて、ロモス王は鷹揚に頷いた。 「ご苦労。みんな、ゆっくりと休めているだろうか?」 「はい、ご心配なく。特に勇者ダイ殿とポップ殿には、安心して休養出来るようにと気を配りましたので!」 救国の勇者の名前を聞き、ロモス王の顔に柔らかな笑みが浮かぶ。 彼らがいなければ、今日、この国は滅びていただろう。 ロモス王国の各地から集った勇者候補達を誘拐し、ロモス王暗殺を目論んだザムザを倒したのは、ダイとポップだった。 想像以上の勇者の強さに、みんなが舞い上がったかのように興奮を隠せない。 「そうか、それは良かった。……ところで、ザムザど……いや、ザムザの死体はどうなっただろうか?」 王の問いに、兵士隊長は怪訝そうな表情を浮かべる。 「あの者は、灰となって散っていきましたが……」 超魔生物は、死ねば灰となると言ったのは、当の本人であるザムザだった。その言葉通り、ザムザは死骸すら残さずに灰となって消えていった。 「いくら散ってしまったとはいえ、あの場に幾許かの残骸は残っただろう。それを集め、秘密裏に墓を作って欲しいのじゃが」 「王、あんな者のためにですか?」 驚きの余り、つい王の命令に反論してしまうという失態を犯してしまった兵士隊長だが、王はそれを咎めなかった。 「あんな者、か。……確かにそうかもしれぬな」 王の目が、もう暗くなった窓の外へと向けられる。肉眼では見えぬものの、その視線は闘技場のある方向に向けられていた。 「確かに、あの者がしようとしたことは許されることではない。 それは、命令とは言えまい。 「……王のお心も知らず、失言をいたしました。お許しください……。 兵士隊長の言葉に、ロモス王はわずかに頭を下げ、感謝の意思を表した――。
魔法で作り出された疑似的な炎は、その明るさこそは本物の炎に酷似しているものの、触れればすぐにその違いは分かる。 (ザムザ殿は、これは純粋に魔法的な光だと言っていたな……) ひどく得意そうに、一般人には理解しにくい魔法理論を長々と述べていたことを思い出すロモス王の口許に、わずかな笑みが浮かぶ。 むしろ、慇懃無礼と言った方が当たっている。そのせいで、城内での彼の評判はそれ程高くはなかった。 気難しい、とっつきにくい男の様でいて、ザムザはこと魔法や知識に関する話については違った一面を見せた。 自分の知識をひけらかす様に、少しばかり他人を見下した態度を取る癖でさえ、ロモス王には気にはならなかった。 人よりも出世したい、自分の力を誇示したい――そんな感情を、ロモス王は悪いと思ったことはない。
平和な世界でなら、その資質はなんら問題がないかもしれない。だが、いつまでも平穏が続くとは、限らない。 そんな際、必要とされるのは自分自身の力で困難に立ち向かい、切り抜けようとする覇気だ。 結果的に騙されたとはいえ、偽勇者達やザムザを信じたことを、後悔はしない。ダイやポップを信じたように、これからもロモス王は多くの若者達と出会い、その可能性を信じて未来を託そうとするだろう。 必ずしも、それがいい結果だけをもたらすとは限らないし、それによってロモス王自身も傷つくこともあるかもしれない。
《後書き》 それで、真っ先に頭に浮かんだのが、ロモス王との交流話でしたv |