『ダイと言う名の少年』 |
「おーいっ、ダイーっ、いるかーっ?! それに、姫さーんっ、聞こえたら返事をしてくれーっ」 そんな声が頭上の方から降ってきたのは、レオナが小さな勇者に助けられてしばらくしてのことだった。 姫さん――その呼び方でレオナを呼ぶのは、今も昔もただ一人だけしかいない。 無論、ポップも公的な場ではそんな気安い呼び方は決してしない。 だが、プライベートな場ではポップは変わらずにレオナを、『姫さん』と呼び掛けてくる。
小さなダイがぴょんぴょん跳ね回りながら、空を飛ぶ魔法使いに向かって呼びかける。その姿に圧倒的な懐かしさを感じながら、レオナもまた手を振った。 「ここよー、ここにいるわよ」 二人の声は、どうやら空まで届いたらしい。 「なんだよー、二人とも一緒だったのかよ、無茶をするのも勘弁してくれよ、いきなり飛び出していって行方不明だなんてさ」 ホッとした様に、それでも軽口を叩くポップに向かって、レオナもまた軽く答える。 「あら、よりによってあなたに、そう説教される日がくるなんて、思わなかったわ。ちょっと、屈辱ね」 魔王軍との戦いの時からずっと、ポップと仲間だったレオナは知っている。 「あ、あははー、ま、それはいーとしてさ。二人とも無事でよかったぜ、もし何かあったらオレがマァムにぶっ飛ばされちまうよ。 肩を竦めてそう言いながら、ポップはふとダイの方を見て、目を丸くした。 「ダイ? おまえ、ほっぺた……どうしたんだよ?」 子供子供したぷっくりとしたダイの頬に、くっきりと刻まれた十字の傷跡。たいした怪我ではないし魔法の効力でもう治っているのだが、ポップはずいぶんと驚いたようにその怪我を見つめていた。 「あ、今、ちょっとケガしたんだけど、このおねえさんが治してくれたんだ! ね、ポップ、この人もポップの友達なの?」 「ん、……あ、ああ、そうだぜ。 「へえ……!」 今度は、ダイの目が驚きに見開かれる番だった。 「この人がレオナだったんだ……! なんだぁ、ちっともこわくも、鬼でも、おっかなくもないんだね」 あまりにも正直な子供の口を、ポップが押さえつける暇もない。 「…………へえ? ポップ君、あたしのこと、普段からどう話してくれちゃっていたのか、聞かせてもらいたいものね」 「い、いやっ、その、なんかの勘違いとゆーかっ、友達だって噂しただけだっつーかっ」
「あっ、友達と言えば、もう一人いるんだよ。ね、ゴメちゃん!」 ひょこんとダイの頭の上に顔を出した金色のスライムを見て、ポップは大きく目を見張った。 「ゴメ……ッ?!」 その驚きは、さっきダイのほっぺの傷を見た時以上に大きかった。 「うん、ゴメちゃんだよ。 ダイのその問い掛けさえ、ポップの耳には入っていないようだった。その場にしゃがみ込んで目線を子供の頭の上にいる小さなスライムに合わせ、真正面から覗き込む。 「よっ。――久しぶりだな、ゴメ」 「ピ?」 「ははっ、つっても覚えてないだろーな……、でも、いっか。また、おまえに会えて嬉しいぜ、ゴメ」 ポップの手が、懐かしげにスライムを撫でる。それが嬉しくてたまらないとばかりに、金色のスライムはピーピーと小さく囀った。 「ゴメもいるなら、なおさら早くマァムのとこに戻らないとな。マァムの奴も、ゴメに会ったら喜ぶぜ」 「ホント? じゃ、早く行こうよ! おれ、おなかすいちゃったし。 太陽の様な笑顔を浮かべ、ダイはごく当たり前の様にレオナに手を差し伸べる。 「ごめんなさいね、ダイ君。せっかくのお誘いだけど、あたし、ちょっとポップ君とお話があるの。 レオナのその言葉に、ポップはビクッとする。浮かべる表情も、親や教師に説教があるからと言われた時の子供のそれだった。 「うん、分かったよ。じゃ、またね」 素直に納得して走り出そうとするダイに、レオナは質問を投げ掛けた。 「あ、一つ聞きたいことがあるの。ダイ君って幾つなの?」 「おれ、7つだよ! こないだの春に、お祝いしてもらったもん!」 「あら、そうだったの?」 と、にっこりとチビなダイに微笑みかけたまま、横目でポップを睨みつけるという離れ業を、レオナは事も無げにやってのけた。 「……っ」 慌てた様にポップが顔を逸らそうとするが、レオナの視線はそのままだ。 「……ポップくぅ〜ん。確か、結婚式は6年前だったわよね?」 世界を救った勇者一行の一員であり、世界最高の大魔道士にして、なおかつ国際的な宮廷魔道士としてリアルタイムで活躍しているポップは、世界的な有名人の一人だ。 結婚式自体はごく内輪で細やかなものとして済ませたとは言え、彼の結婚宣言は全世界に大ニュースとして広まった。だからこそレオナは小さなダイがポップの名を呼んだだけで、彼こそがポップの息子だと説明を受けるまでもなく悟ることができた。 確かに、ポップとマァムの間に子供が産まれたらしいという噂は、聞いている。ポップ本人からも、婉曲にそれを匂わせる発言も聞いた。だが、その子の名前や誕生日までは知らなかった。 そもそも結婚式と違い、子供の誕生の話はそれほど騒がれたりはしない。 貴族階級の子息や子女が注目を集めるのは、ある程度成長し、社交界へデビューする時の話である。 それでも出来ちゃった婚だの、子連れで結婚式ともなればさすがに注目を集め、大騒動になりそうなものだが、そうはならなかったところを見ると、ポップは意図的に伏せていたのだろう。 「い、いや、その辺は色々と、複雑でややこし〜い事情とかがあったりもしたわけでよ……」 普段の有能で駆け引きに慣れた宮廷魔道士としての仮面はどこに行ったやら、年相応な若者のままの素の表情でしどろもどろに言い訳をするポップに、レオナは苦笑を隠せない。 全くのプライベートで昔馴染の友人に久しぶりに会えたのが嬉しくて、つい子供じみたからかいをしてしまったが、もちろん本気で咎めるつもりなんてありはしない。 相思相愛の恋人達が、結婚するまで互いに清い身体のままでいろだなんていうお堅い道徳心など、レオナは持ち合わせていない。 ただ、出会ったばかりの頃、ポップは思春期真っ盛りで好きな娘を意識しまくっていたくせに、恋愛には鈍感な上に自分の気持ちを口にも出せないような奥手だった。 「奥手だと思っていたら意外に手が早いというのか、隅に置けないのね。驚いちゃったわ」
「驚いたのはこっちも同じだっつーの! (……いったい、どういう恋愛事情だったのよ) と、少しばかり呆れつつも、レオナはなんだか嬉しかった。 だが、ポップとマァムの結婚がすんなりとまとまったわけではないという事情ぐらいは、薄々知っていた。 それが、パプニカ女王という自分の立場を慮ってくれてのことだと分かってはいても、距離をおかれているようで仲間としては少し寂しかったものだ。 だが、いずれ時期がきたのなら、話してくれるだろうと信じていた。そう思ったからこそ、長い間密かに気に掛けつつも敢えて自分から話を聞くことなく、ただ黙って見守り続けた。 「ふふっ、その辺の事情は後でマァムにたーっぷり聞かせてもらうとして……でも、ポップ君、一つ聞いていい?」 それまでふざけ半分だったレオナの表情が、不意に真面目なものに変わる。 「なんで、あの子に……『ダイ』ってつけたの?」 ダイとは、世界を救った勇者の名前だ。 勇者として世界を、そして最後にポップを救って、そのまま二度と帰ってこなかったあの少年。 世間の人達が勇者ダイの名前に感じるのとは全く違う熱意で、ポップは『ダイ』の名に特別の意味を感じている。 「……オレだって、別につけたくてつけたわけじゃねーっつーの。だいたい、オレもマァムも『ダイ』なんて名前をつける気なんざ、ぜーんぜん無かったんだ」 肩を竦め、ポップは渋々と言った様子で口を割る。 「男の子の名前はもちろん、女の子の名前だって二人していろいろと考えたけどさ、『ダイ』はその中の候補にも入ってなかったよ。 ポップのその言葉に、レオナは少しばかり目を見開き……そして微笑んだ。 あれから十年も経つのに、まだ、彼は行方不明のままの親友を諦めてはいない。そんな部分が感じられるのが、心強く、嬉しかった。 「じゃあ、なんで?」 「言ったろ? つける気なんかなかったけど、成り行きでしょうがなかったんだよ」
マァムの出産に当たって難産が予想されたため、当時のポップとマァムは相談し合った末、カール王国で出産することにした。 だが、ちょっとした事情があったせいで、すでにマァムは長旅をするには向かない程臨月間近になっていた。そんな彼女を連れていける範囲で、安心して出産できる場所は限られていた。 アバンやフローラにぜひにと薦められたこともあるし、カール王国は医療については世界で一、二を争うお国柄だ。 アバンの別荘を借りての出産は、思っていたよりも軽くすんで、ポップもずいぶんとホッとしたものだ。 カール王国では、子供の名前は洗礼式で父親がつけるのが慣例だ。その上、出産から洗礼式までの間、父親は母親にも子供に直接会うことを禁じられている。 実際、二人とも入念に話し合って、その名前は決めていたから、ポップには迷いはなかった。 生まれたのが男とは聞いていたが、顔を見ないうちは今一つ実感が沸かない。 黒い髪に、同じくほとんど黒に近く見える目。自分に似た特徴のはずなのに、ポップの目にはとても自分に似ているようには思えなかった。 「ダ……ダイ?!」 生まれたての赤ん坊なのに、びっくりとする程、親友と似ていた我が子。
「……オレも後でさんっざん抗議したんだけど、カールではさー、言霊を大事にする習慣があるからさ。 ほとほと困り果てたような顔でそう言うポップは、当時を思いだしているのだろう。うんざりしたような表情になる。 「たとえ間違って話しかけた言葉であったとしても、それこそあくびかゲップをしただけだったとしても、それがその子の名前になっちまう。 最初は抵抗があったけど、まあ、呼んでいるうちに馴染んじまったし、今では別に問題がないけどな――そんな風に笑うポップを、レオナは微笑ましい思いで見つめる。 特にダイを失ってから数年の間は、ポップはその名を口にすることさえ辛そうだった。 ダイを助けることができず、失ってしまった現実が、ポップの心に大きな傷を残したことは想像に難くない。 だが、どんな傷にも有効な薬はある。 こだわることなく親友の名を冠した息子の名を呼びながら、古い友人を思い出すことができる。 「まったく、あいつが戻ってきて、この話をしたらどんな顔をするか楽しみだぜ。あいつ、絶対混乱するに決まっているな、ダイって呼ばれる度にどっちが呼ばれたのかって頭を悩ませるといいんだ」 笑ってそう言えるようになったポップの強さを、レオナは羨ましいと思う。 彼の不在や空振りに終わった数々の捜索に心折られることなく、ダイの帰りを待ち続けることのできる心の強さを持っている。 きっと、いつか必ずダイが戻ってくる……ダイに会えると、自分を励ますことができたのだ。 そして、今日……もしかすると夢は叶ったのかもしれない。 パプニカ女王という立場に就きながら、王族の当然の義務である結婚さえ遅らせて待つ十年は長く感じた。 「そうね、同じ名前なんだし。……そうよね、どうせもう十年もダイ君を待ち続けて結婚を遅らせているんだもの、後、十年ほど待ってみても同じかもね」 「へ?」 唐突なレオナの言葉に、ポップがきょとんとした顔をする。世界に名を轟かす程の知恵者を翻弄するのを楽しみながら、レオナは済ました顔で言ってのけた。 「そうよねー、ダイ君はダイ君なんだし。 仮定の話とはいえ熱が籠るのは、ポップがパプニカ王国に正式に肩入れし、政治的介入してくれる意味の大きさを知っているせいだ。 もちろん、レオナとてそれは例外ではない。
「あら、そう聞こえる? 「マ、マジなのかよ、姫さん……?!」 本気で焦っているような様子のポップが、おかしくてたまらない。 「フフッ、どっちだと思う?」 くすりと微笑み、レオナは近くに咲いていた花の蕾を一輪詰み、それを意味ありげに自分の唇に当ててみせた――。 《後書き》 『勇者は天に、人は地に』と言うよりは、『小さな勇者と、お姫様』の続きの話です〜。 日本ではあまりない習慣ですが、外国では成人や英雄の名前に基づいて自分の子供に親しい友人の名やら、代々続いた名を与えるのは珍しくないです。……おかげで、外国の王家の家系図って目茶苦茶ややこしくて大変なことになっていたりしますけどね(笑) まあ、それができるのは、親子の関係が希薄というか親と子があまり一緒の時間を過ごさないことが前提になっているので、同じ名前を呼んでも別に困らないせいもあるんでしょうね。 日本のように密接な親子関係や集団を意識した関係だと、同じ名前の人間は混乱の元なせいか、違う名をつけることが多いみたいです。 名前のバリエーションが比較的少ない外国に比べ、日本人の名前の多用さは凄いですよ〜。現在は薄れた習慣ですが、戸籍制度が完全に整う明治ぐらいまでは幼名と成人名が違うのは半ば常識でしたし。 …と、そんな余談とは関係なく、ポップが自分の息子に『ダイ』とつけたのは、深い考えでも何でもなくうっかりミスだった、という種明かしな話です(笑)
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