『良薬、口に苦し』 |
日が暮れかける中、ダイは一生懸命に走っていた。 瓶と言っても、それ程大きなものではない。 が、ダイにしてみればそんなのは論外だった。 大切に大切に、後生大事に瓶を両手で抱え込んでいるせいで、ダイの動きには大幅な制限が発生してしまっている。 だが、それにもかかわらず、ダイは足を緩めようなどとはかけらも思わないらしい。今の自分に走れる全力を尽くすのだとばかりに、必死になって走っている。 「ピ、ピピーッ、ピーッ!」 パプニカ城の城門で見張りをしているバダックと一緒にいたゴメちゃんは、駆け寄ってくるダイの姿を見た途端、嬉しそうに飛びついてきた。 「あ、ゴメちゃん! ただいま! バダックさんも、ただいま!」 いつものように、自分の頭やら肩やらの上にポンポンと弾む様に軽くぶつかってくる友達の馴染みの挨拶を、ダイは喜んで受け止める。 その反応を訝しんだのか、頭の上に乗ったゴメちゃんは不思議そうにダイの顔を覗きこむ。 「ピ? ピピッ?」 「おう、おかえり、ダイ君。それはそれとして……一体、何を持っているんじゃ?」 言葉こそは大幅に違うが、バダックの疑問もゴメちゃんと大差のないものだった。それに対して、ダイは胸を張って答える。 「これはね、マトリフさんからもらってきたんだよ! ポップの薬なんだ」
元気よく声をかけ、ついでに思いっきり扉を開けてしまった後で、ダイはやっと失敗に気がついて口を押さえる。 (あ、いけない、えーと、先に『のっく』とかをしなきゃいけなかったんだっけ?) それが『礼儀』とか言うものだとは習ったものの、自分の家一軒しかない無人島育ちのダイには馴染みにくい習慣だ。 ここ数日、やたらとポップは寝てばかりいる。その眠りは邪魔してはいけないものだと、ダイにさえ分かる。だから、ダイは出来る限りポップの眠りを邪魔しない様に気をつけているつもりなのだが、時々、こんな風にうっかりしてしまう。 今も、どうやらポップを起こしてしまったらしい。 「……ごめん、ポップ。起こしちゃった?」 「起こしちゃった、じゃねえよ。あんなでかい声で人の名前呼んどいて、起きねえわけがないだろ」 寝起きにちょっと不機嫌になるのは、ポップの癖の様なものだ。ポップの寝起きの悪さに慣れているダイは、気にせずに彼の側へと駆け寄った。 「そっかなぁ? だって、朝、起こそうとする時はあれぐらいの声で呼んでも、全然起きないじゃないかー」 「ピッピピー」 ダイばかりでなく、ゴメちゃんまでもが『その通りだ』と言わんばかりに頷くのを見て、ポップがむくれた様に怒鳴りつける。 「あっ、こら、ゴメ公っ、てめえまで頷いてんじゃねえよ、この!」 手を伸ばすものの、ゴメちゃんは慌ててポップの手の届かない場所へと飛んでいってしまう。 「あ、これ? マトリフさんからもらったんだ! お薬なんだってさ」 それを聞いた途端、ポップの顔に露骨にゲンナリとした表情が浮かぶ。 「え〜? 師匠の薬かよ……っ?」 「うんっ。えっとね、ご飯の後に飲むんだって。これ飲めば、きっとすぐよくなるよ!」 「………………これが、薬だってえのかよ? 毒薬じゃなくて?」 ポップがそう尋ねたくなるのも、あながち間違ってはいないだろう。 例えるなら……そう、腐った毒沼色とでも表現すべきか。どんよりと濁ったどす黒い緑色は、どう贔屓目に見ても『美味しそう』とは対極にある代物だ。砂漠で遭難して水を求める者の目の前に差し出したとしても、飲むのを一瞬躊躇したくなる様な……そんな色合いである。 「いったい、何を入れたらこんな色になるんだよ?」 「え、えっと……」 呆れた様なポップの質問に、正直者のダイはどう答えればいいのか分からなくて、口ごもる。 もちろん、真っ正直なダイは嘘も方便と言う言葉なんて知らないし、ましてや適当なことを言ってごまかすなんて芸当ができようはずもない。 「ええっ!? そんなぁっ!!」 途端に、ダイは悲鳴の様な声を上げる。 「ダメだよ、ポップ! これ、せっかくマトリフさんが作ってくれたお薬なんだし、ちゃんと飲まないと!」 「これのどこが薬だってんだよっ!? だいたいなぁ、薬なんか飲まなくったって平気だって! もう、だいたい治ってんだし!」 素直なダイは、他人の言うことは基本的にそのまますんなりと受け止める方だ。だが、今のポップの言葉だけは全然賛成出来なかったし、とても聞き流せない。 「だって、ポップ、まだ熱が下がらないし、ずいぶんしんどそうだし、すぐ眠っちゃうし、元気ないまんまじゃないか! ごはんだって、あんまり食べないし!」 「ピピピーッッ!!」 ダイに全面賛成とばかりに、ゴメちゃんも声を合わせて鳴く。 まず、不安の源は熱だった。 根っからの健康優良児で病気とは無縁なダイは知る機会もなかったが、熱がほんのちょっぴり上がるだけで、人間にとっては大きな負担になるらしい。 レオナに聞いたところによると、熱がある間は気分も具合も悪くなるものであり、時には相当に辛くなるのだと言う。 だが、困ったことに、その通りにしているのにポップの熱はなかなか引かない。 それがよっぽど具合が悪いせいなのか、それともちょっと目を離すとポップがベッドから抜け出すせいなのかはダイには分からないが、心配なのには変わりはない。 普段はみんなから離れて単独行動を取りたがるヒュンケルでさえ、ポップの具合が悪いのを気にしているのか、城から離れようとしていないと言うのに。 「ダイジョブだから、ポップ、これ飲んでよ。身体にいいんだよ! ……たぶん」 「『たぶん』ってのはなんなんだよ、『たぶん』ってのは!? それ以前に、なんでそんなに自信なげなんだよ、てめえっ!? おまえだって信じてねえんじゃないか!! 強情に言い張る親友を前にして、ダイは困りはてたような顔になる。 「そんな〜。これ、あやしく……なくはないかもしれないけど、見た目ほどまずくないよ、きっと」 そう言いながら、ダイは薬の瓶の蓋を開けた。途端にむわっと異臭が漂ったが、勇者は怯まずにその薬を口に運ぶ。 「……っっっ!?」 途端に、カッと目を見開いたダイの髪の毛が一気に逆立つ。壮絶な表情を浮かべ、それでも薬の瓶だけは大切に机の上に置いてから、ダイはポップの枕元に置いてあった水差しを掴む。 激しく噎せながら水差しのままゴクゴクと水を飲んだダイは、戦闘後であるかのようにゼイゼイと苦しげに息をつきながらも、弱々しく微笑んだ。 「ほ、ほら……そ……っ、そ……んなに、…ま、ずく、ないから……?」 勇者の勇気や思いやりは評価するとして、それは明らかに逆効果だったようだ。 「説得力のかけらもねえんだよっ! いったいどんな味なんだよ、それって!?」 文字通り震え上がったポップの判断は、素早かった。ダイがまだ薬にダメージを受けているうちがチャンスとばかりに、ベッドから飛び下りて逃げにかかる。 「あっ、ポップ!?」 「ピピピーッ!!」 普段なら自分の横をすり抜けるポップを逃がすダイではないが、なにせ今は身動きさえろくにできない状態だ。慌てて伸ばした手をすり抜けて、ポップが開けっ放しだった扉を飛び出していく。 「ポップーっ、だめだってば!」 昼間は割合元気なポップだが、だからといって油断して動きまわるとすぐに熱が上がってしまい、夜にはぐったりしてしまうことが多い。あんな風に走ったりしたらよくないことぐらい、ダイにさえ分かる。 とにかくポップを止めようとダイもゴメちゃんも部屋を飛び出しかけた時、ポップの声が聞こえてきた。 「うわっ!? なにすんだよっ、放せっ、放せっつーのっ!」 ぎゃんぎゃん喧しくわめき立て、ジタバタともがくポップを、半ば引きずるように連れ戻してきてくれた恩人に、ダイは心からホッとして感謝を告げる。 「あ、ヒュンケル。よかったー、ポップを止めてくれて、ありがとう!」 「本当によかったわ、今、危ないところだったもの。もう少しで廊下の窓の外へ、逃げられちゃうところだったわ」 口下手な兄弟子より早く口を出してきたのは、エイミを伴ってやってきたレオナだった。ニコニコと上機嫌な見舞い陣に比べ、当の本人であるポップはひどくご機嫌斜めだった。 「ちっともよくねえよっ!! だいたい、なんだってこいつはいつもいつも、こんな狙ったタイミングでおれんとこに来るんだよっ!?」 ポップは不満たらたらにヒュンケルを睨み付けるが、無口な剣士は気にする様子もなく病人をベッドと追いやる。 「はいはい、おとなしく安静にしていてよね。 全く、ちょっと目を離すとすぐに部屋を抜け出そうとするんだから、呆れちゃうわ。いっそ、24時間態勢で見張りを置こうかしら?」 脅しとも本気ともつかない口調でそう言うレオナに対して、ポップはやや怯えつつもそれでも文句を言い返すのは忘れない。 「いや、おれは別に、今は抜け出そうとしたわけじゃないって!」 「『今は』って、いつもそうじゃないかー」 「うっせーぞっ、ダイッ! だいたいだなぁ、おまえがおれに変なものを飲ませようとするからだろうが!」 「変なのじゃないよ、マトリフさんからもらった薬なんだから! そりゃ、ものすごく変な匂いで変な味で変な色だけど!」 一生懸命にピントのズレた力説するダイとポップの言い争いを聞き流しつつ、レオナはテーブルの上に置いてある小瓶と、一緒におかれた紙切れに目を留めた。 「薬なんていらねーよっ、もう治ったんだし!」 怒鳴るポップに、レオナが優しげな声をかける。 「治ったって言うのなら、それを証明してくれないかしら? トベルーラを使って見せてよ」 「え?」 突然の申し出に、戸惑いを見せたのはポップだけではなかった。ダイやヒュンケルも、訝しげな顔でレオナを見つめる。特にダイは、心配そうな表情が丸出しだった。 「ベッドの上で、1メートル上の位置で3分間、停止してみせて。ポップ君なら簡単でしょ?」 「あ、ああ。そんな簡単なこと、なんでさせるんだよ?」 唐突な要求に、ポップは戸惑いを隠せない。 「いいから、やってみて」 重ねて言われて、ポップは首を傾げながら実行した。ふわりと身体を浮かせ、空中で胡座をかいた姿勢のまま制止する。 だが、30秒もしないうちに誰もがレオナがそうさせた意図を悟った。最初はごく普通に浮かんでいたポップは、すぐに息を切らせてふらつき始めた。 「わっ、わわっ!?」 「ポップ!? 大丈夫!?」 2分も持たずに、ポップがベッドの上に落ちる。高さもたいしたことがなく、しかもベッドの上に落ちたからダメージもなかったが、弾みで転げ落ちそうになったポップを、慌ててダイが支えた。 「やっぱり、マトリフ師のおっしゃった通りね。 ヒラヒラとマトリフからもらった紙切れを振りかざしながら、レオナはエイミに命じた。 「そう言うわけで、ポップ君が完全に復調するまではこの瓶の薬を毎食後に飲ませてちょうだいね。あ、最初の一回分は、今すぐに用意してほしいわ。 それを聞いて喜んだのは、ダイの方だった。 「よかったね、ポップ! それなら、少しは飲みやすい……と思うよ」 原液をそのまま飲み干した人間にそう言われると、説得力があるのやら、ないのやら。 往生際悪くこの期に及んでだだを捏ねるポップにとどめを刺したのは、やはりレオナだった。 「ねえ、ポップくぅん? この手紙にはね、偉大なる大魔道士様の授けてくださった魔法の呪文も書かれているの」 悪戯めかした笑みを浮かべつつ、レオナはとっておきの切り札をひけらかした。 「ちゃんと服用しない様なら『ザボエラが襲撃した時のことを、マァムに詳細報告してやる』そうよ」 「げっ!?」 面白いぐらい露骨に顔色を変えるポップに、レオナは追撃の手を緩めなかった。 「それって、私もすっごく興味あるわぁ。だって、あの時のことってポップ君、ほとんど教えてくれないんですもの」 テランの森の中の小屋にハドラーとザボエラが襲撃した時、見張りに立っていたポップ以外はザボエラの魔香のせいで眠らされてしまっていた。 ポップが話したくないようだから、誰もが興味はあっても無理に聞こうとはしなかった。 レオナとて、そのつもりでいた。 人一倍好奇心は強い方だし、マトリフが漏らした『恋の囮』の一言が猛烈に気になってはいるのだが、仲間の矜持を傷つけてまで好奇心を満たしたいとは思わない。 「そうね、なんなら今すぐ行ってお聞きするのもいいかもしれないわ。ポップ君がお薬を飲んでくれないって相談がてら、出かけようかしら? よかったらヒュンケルもどう?」 わざわざポップが嫌がりそうな相手をセレクトする狡猾なお姫様を相手にして、さすがにポップも白旗を振るしかない。 「だっ、誰も、飲まないなんて言ってねーだろっ。飲むよっ、飲むってば!」 前言を翻してポップがそう叫ぶと同時に、手際のよいエイミはすでに薬を用意してポップの目の前に差し出していた。 「はい、どうぞ」 「……う…ぅう〜……」 げんなりした表情をしながらも、それでもポップは不気味な液体の入ったコップを受け取って口をつける。水で薄められて色は多少は減じたものの、やっぱり不気味なのには変わりはないし、ポップの表情を見る限り味という面でもそれほど軽減はされないようだ。 「ポップ、がんばって!」 「ピピッ、ピピピッ!」 ダイやゴメちゃんに励ましが、どこまで効き目があるのやら。賢明にも、無言のままの兄弟子や、面白い見せ物でも眺めるような顔つきの姫に見守られながら、ポップは目を白黒にさせつつ、少しずつ薬を飲む。 「……ぐ……っ、……ぐげ…っ……まづ……っ!!」 瀕死っぽい表情で、やっとのようにそう零すポップに対して、レオナは内心でこっそりと思う。 (大変そうだけど、昔っから「良薬、口に苦し」って言うものね。それに、ポップ君にもこれぐらいの苦みは味わってもらわなきゃ気が済まないわ) ポップが飲んでいる薬は、確かに苦いだろう。 自分の価値に気がついていないあの魔法使いは知らないだろうその苦みを、ほんのちょっぴりでも思い知らせてやりたい気持ちが、レオナの中にはある。 (この苦さに懲りて、もう二度と無茶をしないで欲しいものだけど) いまだに噎せているポップと、一生懸命にポップの背を撫でているダイの姿を微笑ましく見つめながら、レオナはわざと苦みを増すように配合された薬の処方箋つきのマトリフの手紙を、くしゃりと握りつぶした――。 END
ポップのメガンテ後の空白の七日間の穴埋め話の一つです。『そして、繋がる物語』の直後に当たりますね。 んでもって、『わざと苦い薬を調合するお医者さん』も一度、書いてみたかったお話なんですよ〜。
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