『手を握り返す勇気』 |
それは勇者一行にとってはある意味で見慣れた、だからこそ微笑ましい光景だった。 そんな二人にぴったりとくっついて、すやすやと寝息を立てているのはゴメちゃんだ。いつもならダイの側で寝るはずのこの小さなスライムは、今はポップに寄り添って気持ち良さそうに眠っている。 疲れが出たのかぐっすりと眠っている二人と一匹は、当分起きそうな気配も感じられない。 年相応の子供に戻って眠っている彼らを起こさない様に、音を立てない様に気遣いながら、皺の浮いた手がポップの額に触れる。 全ての魔法使いの頂点に立つとまで称えられ、回復魔法においては最高級の賢者を上回る実力を備えた彼の魔法に、異議を唱えられる者などいはしまい。 その時間は、そう長くはかからなかった。 その意図を真っ先に悟ったレオナは、足音を忍ばせて隣室へと向かう。 ヒュンケルもクロコダインも彼らに習い、後に続く。その後から慌てて、だが控え目に後を追ってきたのはメルルだった。ナバラも少し迷いを見せたものの、その後を追う。 「……フン。やっぱり、発熱してやがったぜ。無理もねえがな」 忌ま忌ましそうな口調ながら声を潜めている辺りに、一見横暴なマトリフの弟子への気遣いや、優しさが見え隠れしている。 「それで、ポップは大丈夫なのか?」 単刀直入に聞くクロコダインの声もまた、ひそめられた囁き声だった。普段の彼の声が巨体に見合った大声であることを知る者には、いかに今のクロコダインがどれ程、気を遣い、細心の注意を払って言葉を発したのかを察するだろう。 そして、ポップを心配しているのはクロコダインのみではない。珍しくも無言のまま、だが真剣な目をしてマトリフの返答を待ち受けているレオナやメルルの顔からは、手に取るようにポップへの心配が読み取れる。 レオナの様にストレートに表情には表さないものの、ヒュンケルさえもが眉をひそめている。 マトリフの目には、今のヒュンケルは弟を心配する兄にしか見えない。 「蘇生自体は、成功しているぜ。怪我はさておき、五体満足で特にこれと言った悪影響もねえ。 説明の前半を聞いてホッと緩みかけた全員の表情が、最後の一言を聞いて一気に沈み込む。 「だいたい蘇生直後に動くこと自体、無茶にも程のある話だぜ。本来なら、蘇生呪文で復活した人間は数日は絶対安静にするもんなんだよ。 「…………っ」 マトリフの説明を聞いて、唇を噛み締めて俯いたのはレオナだった。 かの大魔道士は、決してレオナを責めてはいない。彼女を責めているのは、彼女自身だ。 レオナは、自分の知識不足を悔いずにはいられないのだ。 なのに、蘇生呪文に失敗しただけでなく、レオナはその後のポップの手当てにおいても失敗をしてしまった。 自分の甘さを、レオナは痛みと共に噛み締める。 いくら疲れていたとはいえ居眠りなどする前に、絶対にポップを安静にさせておくようにと仲間達に頼み込んでおくべきだったと、今更ながらの後悔に震えるレオナに対して、誰もかけるべき言葉が思い当たらない。 可憐な容貌とは裏腹に、彼女は志し高く頭をあげた指導者だ。 それを誰よりもよく承知している少女は、自分のミスを誰よりも激しく責めずにはいられないのだろう。 「まあ、ここで責めるべきは、当の本人だろうがな。あのアホウめが、アバンの教えを受けていて医療知識が皆無ってわけがねえだろう。 辛辣に弟子をこき下ろす老魔道士の言葉に、誰一人として反論はしなかった。心情的には、まったく同感なのだから。 「ただでさえ、蘇生直後ってのは体調が安定せずに崩れがちになるんだ。そこで無理をすれば、あの世に逆戻りしたいって言ってるようなもんだ、全く」 注意はそれだけだと短く締めくくったマトリフは、ついでのように一行にこの後はどうするつもりだと、問う。 「オレもパプニカに帰るついでだ、なんならおめえらをルーラで連れて行ってやってもいいが……あの魔法は、ちょっとばかり病人には向かねえからなァ」 瞬間移動魔法……ほぼ一瞬で、術者の意図した場所へと移動することのできる、便利な魔法には違いない。 健康な人間にとっては、移動呪文はほぼ悪影響を及ぼさない。しかし、病人や怪我人などには、移動の際に多少のダメージを与えてしまうことがある。 魔法発動の際、自動的に発生する自分や周囲の人間を守ろうとする安全機能によって身体を保護はしているとは言え、通常よりも衰弱している人間を完全にフォローできるわけではない。 重病人を無理に移動魔法で動かしたがゆえに、病状を悪化させてしまったという事例はいくらでもある。 「……そうね」 優れた判断力を持つレオナも即座に決めかねているのか、思案する素振りを見せる。そして彼女が次に口を開く前に、ヒュンケルとクロコダインがハッとしたように顔を上げ、武器を軽く手にして入り口を向き直った。 「失礼します、私はテラン城の兵士カナルと申します。レオナ姫及び勇者一行の方々はこちらにおいででしょうか?」 その名に、レオナとメルルは聞き覚えがあった。テラン王と面会した時、王の護衛をしていた近衛兵の名前だ。 まだ若い、生真面目そうな兵士は、こんなおんぼろの小屋には似つかわしくない態度で恭しく膝を突き、レオナに向かって礼をする。 「早朝に突然訪問する無礼を、お許しください。主君の命により、姫に伝言を託されました。 思わぬ伝言に、レオナもさすがに驚いた様に目を丸くする。 それゆえに、たとえ善意からのものだとしても他国への干渉は極力控えるのがセオリーだ。 どんな形であれ、下手な約束は相手に言質をとられ、最悪の場合、半ばごり押しのように協力を要請されることになりかねないからだ。 互いに暗黙の了解としてそれを承知しているからこそ、レオナも負傷した一行の手当ても頼まずにテラン城を後にした。 それなのにわざわざ伝令を送ってきてまで再度協力を申し出てくれたテラン王の誠実さに打たれた様に、レオナは呆然と立ち竦む。 「また、主君はこうも申されました。今回の件は未曾有の非常事態であり、被害を最小限に抑えてくれた勇者一行には深い謝意を表明したい、と。 王の命令をそのまま口にしているだけではなく、カナル自身の意思も込められているのだろう。 「レオナッ!!」 奥の部屋から慌ただしく駆け寄ってきたダイは、一目で寝起きと分かる恰好だった。旅先、しかも戦時中だから着のみ着のまま寝ていたのはしょうがないとはいえ、寝癖でボサボサになった頭のままだ。 「たっ、大変なんだ、レオナ! ポップが、なんだか様子が変なんだ!! お願いだよ、ポップを助けてあげてよっ」
(……あったかいや) ゆっくりと意識が戻ってきたダイは、真っ先にその温もりを感じ取っていた。 昨夜、突然やってきたマトリフが小屋にたった一つしかないベッドをちゃっかりと占領してしまったため、ポップを寝かせる場所がなくなってしまった。 ブラスに育てられたダイは、年よりと女の子には親切にする様にと躾を受けているし、老齢のマトリフに寝心地のよい場所を譲るのになんの不満もない。 それを考えれば感謝の印としてベッドを譲るなど、安いものだ。 ポップ本人は別に床で構わないと言ったのだが、ダイとしてはそれは大いに構う。生き返ったばかりで、しかも毒を食らったばかりのポップを少しでも楽なところで眠らせてあげたいと思った。 だからこそダイは半ば無理やりポップを抱きしめ、木箱を組み合わせて作った簡易ベッドで一緒に眠った。腕力ならダイが圧倒しているし、力ずくでそうしてしまえばポップがいくらもがいたって関係がない。 抵抗は無駄だとしぶしぶ従ったポップは、それでも諦め悪くこんな木箱なんかじゃ二人分の体重には耐えられないんじゃないか、などと文句を言っていたが、大丈夫だった様だ。 (よかった……! ポップもよく寝てるみたいだし) 安心しきって、もう一度ポップにしっかりとしがみついたダイだが――そこで問題にやっと気がついた。 時々、昏睡状態に陥って急激に体温が下がるのに比べればずっと安心できたのだが……暖かすぎるのだ。 ダイの方が子供で体温が高いせいなのか、いつもならダイがポップに触るとひんやりとしているように感じる。 「……ポップ? ポップ、大丈夫?」 なんとなく心配になって呼び掛けると、ポップは気怠そうに目を開ける。だが、その目付きはどことなく空ろであり、元気のないものだった。 「ん……へーき、だよ」 弱々しい声でやっとのようにそう言われて、どう安心できるというのだろうか。 「平気って、そんなのウソだろ! だってポップ、真夏にお日様にあたりすぎたスライムみたいに生暖かくてグニャグニャしてるよ!?」 「ピピピーッ!!」 その通りだと言わんばかりに、ゴメちゃんも大袈裟に鳴きながらポップの側にまとわりつく。 そんな風にダイやゴメちゃんが騒げばいつもなら即座に言い返してくるポップだが、今は話す気力もないのかぐったりとしているだけだ。それを見て、ダイはますます不安に駆られた。 「待ってて、今、レオナを呼んでくるから!」 レオナはダイが知っている中で、一番の回復魔法の使い手だ。どんな大怪我をしても、レオナの手に掛かればたちまち治ってしまう。
文句を言いながらもレオナは、ポップに手を当てて回復魔法を発動させる。その効果でポップの顔色はわずかに好転し、身体を起こす。 「い、いや、たいした熱じゃねえし。それに、もういいよ。どうせ、あんまり変わりがないんだしさ」 そう言って遠慮しようとするポップは、おそらく知っているのだろう。 せいぜい、幾分か楽になる程度の一時凌ぎ的な効き目しか期待できない。 「何言っているのよ、これから移動してもらうんだから、それに耐えられるぐらいは回復してもらわないとね。 「それは構わないが、どこに運べばいい?」 気のいい獣王の問いに、レオナはきっぱりと答えた。 「テラン城へお願いするわ」 「姫、それでは……!」 その答えに、パッと目を輝かせたのはカナルだった。職務に忠実なテラン兵に向かって、レオナはパプニカ王女に相応しい淑やかさと威厳を漂わせて頷いてみせた。 「ええ、ご助力、心より感謝致しますわ。お言葉に甘えて、負傷中の勇者一行の治療と療養をお任せしたいのですが、よろしいでしょうか? ダイ君にポップ君、それにヒュンケルとクロコダイン……彼らを数日、そちらの城に滞在させていただきたいのです」 それを聞いた途端、猛烈に反対し始めたのはポップだった。 「い、いいよ、いいってば! 別にわざわざそんな大袈裟なことをしなくてもっ!? こんなの、すぐ良くなるって!! 「あら、もちろん、あたしはすぐにパプニカに戻るわよ。でも、ポップ君やみんなはもうしばらくテランにいて。 毅然としたレオナの宣言は、理に適っている。だが、それでもポップは諦め悪く反論を口にせずにはいられない様だ。 「でもよ、戦力を分けるってのは……」 その言葉も、正論だった。 ましてや、レオナの上げた言葉に従うのなら、一時的とは言え主力部隊を国外へ配置することになる。 そして、単に一人の少女として考えるにしても、それはあまり嬉しいことではない。仲間と呼べる親しく、頼もしい人達と自ら距離を置こうとしているのだから。 今、レオナはもっと大きな視点を持とうとしているところなのだから。 「大丈夫、パプニカまではマトリフ師が送ってくださるそうだし、何の心配もないわ。あなたの言いたいことは分かるけど、でも、あたしはもう決めたの。 「昨日も言っていたけど、その最善って、なんだよ? 手がいることなら、少しでも人では多い方がいいんじゃ……」 「いつまでグダグダ言っているのよ!? いつまでもごねるんなら、ラリホーで眠らせちゃっているうちに運ばせてもらうわよ!?」
「心配しなくても、助けを借りたい時にはきちんとあなた達にも説明するわ。だから、今はちゃんと休んでいて。 「わ、分かったよぉ〜」 「う、うん……っ!」 レオナの迫力に押されたのか、ポップだけでなくダイまでもがこくこくと頷く。それを見て、レオナはふわりと表情を柔らかくして微笑んだ。 「そう、それでいいの。安心して、そう長くは待たせないから」 自信満々にそういってのけたレオナの胸の内を、この時はまだ、誰も気がついてはいなかった――。
「はい、確かに承りました。それでは、レオナ姫もお気をつけて……」 いささか心配そうに、カナルはレオナを見やる。メルルやナバラもテラン城に身を寄せたいと言ったため、結局レオナとマトリフを残した全員がテランに向かうことになった。 そのため、レオナとマトリフだけが取り残される感が否めない。 「レオナ、気をつけてね」 ダイもレオナが気に掛かるのか、何度も後ろを振り返る。だが、そんな心配を笑い飛ばして見せたのもレオナだった。 「あら、あたしは平気よ。だって、世界一の魔法使いが手を貸してくれるんですもの。それより、どこかの無鉄砲な魔法使いの方がよーっぽど心配だわ」 「ちぇっ、姫さん、ひでえなぁ」 ぼやくポップを中心に笑いが広がり、別れの雰囲気をぐっと明るいものへと変えてくれる。 「そう言えば、まだ礼も述べずに失礼しましたわ。 深々と頭を下げる若い王女を前にして、マトリフは苦虫を噛み潰したような顔をして頭を掻く。 父王から何度となく名前を聞かされた偉大な大魔道士は、煩わしい人間関係を嫌って自ら王宮を去った。 「あー、別に礼なんざいらねえさ。そんな改まって礼を言われるようなことなんざしていないし、これからだってそうだ。 ぶっきらぼうな口調や態度を取る老魔道士に、レオナは軽くかぶりを振って見せた。 「それだけで、充分すぎるほどです。 もう一度、レオナは深く頭を下げる。 突然の魔王軍の侵攻に、レオナはパプニカのことだけで手一杯になっていた。いつの間にか自分達だけが戦っているつもりになっていたが、それがいかに狭い視野なのか今になって分かる。 バランとの激戦をくぐり抜けたレオナには、この戦いが国の命運を賭けた戦いではないと悟った。 ならば、世界に住む多くの人々全てが、その戦いに巻き込まれることになる。そんな戦いを、自分達だけでなんとかしようなどとんだ思い上がりだ。 そして、そのために必要な条件がレオナには見えた。 助けられる方も、その手を受け止める勇気が必要なのだ。そうしてこそ初めて両者の手は繋がれ、そこから全ては始まる。 今回の戦いだって、そうだった。 だからこそ、レオナは恐れげもなくマトリフに手を差し伸べた。 「パプニカへの移動のお申し出、本当に助かりますわ。あ、でも欲を言うのならついでにベンガーナの港に預けておいた気球船の引き取りもお手伝いしていただけると、もっと助けるんですけど。 さっき、丁寧に礼を述べた時のしおらしさや淑やかさはどこに行ったやら。 が、かの老魔道士にとってはもっと珍しいことに、その後で彼は声を立てて笑った。 「はははっ、本当にあんたは大したもんだぜ。王族なんかにしておくのが惜しいぐらいだ……いいぜ、気に入った。 そう言いながら、マトリフもまた手を差し出す。
《後書き》 ポップのメガンテ後の空白の七日間の捏造話の一つ、森の小屋からテラン城への移動までのお話です! ポップがメドローアの修行を終え、みんなでカールに出発する直前にレオナがポップに、マトリフのことを聞いているシーンがありますが、あれ、ずーっと気になっていたんですよ。 物語上、レオナとマトリフって直接顔を合わせる機会って少ないんです。 で、どちらかと言うとこのシーンの方がいいなと思って、二人の会話を捏造してみました。
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