『名前のない墓』 |
「そういやさ、一度聞いてみたかったんだけど、師匠の師匠ってどんな人だったんだい?」 と、ポップがそう聞いたのは、単なる好奇心だった。 「なんじゃ、突然に。そんなことを聞いて、どうする気じゃ?」 きょとんとした様子で素直にそう返したのは、ポップの師匠であるマトリフではない。 魔法使い特有の地味なローブと帽子を被った、初老の男。見掛けで言うなら、彼ほど魔法使いらしい魔法使いもいないだろう。 だが実力的な意味では、マゾッホは全然たいした魔法使いではない。せいぜい中級魔法を使えるのがやっと、と言ったレベルであり、実力ではポップの足下にも及ばない。 魔法使いとしては三流でも年齢からくる知恵はたいしたものだし、洞察力に長けたマトリフとは違った意味で、人情の機微にも通じている。全てにおいて抜け目のないマトリフとは違ってどこか頼りのないところがあるが、それさえも親しみを感じられる一因であり、気楽に話せる相手である。 「だって、あの師匠の師匠なんだろ? どんなすげえ人なのか、気になるじゃんか。 そんな風に好奇心満々で聞いてくるポップは、とても勇者の片腕と世間で知られた二代目大魔道士とは見えない。 もうすぐ18才になると言うのにまだどこか子供っぽさが抜けないというか、少年のイメージが残っているポップは、好奇心に目を輝かせながら熱心に質問を重ねる。 「考えてみりゃ、こんな風にあんたに聞ける機会なんて、そうそうないもんな」 ポップとマゾッホがそろってここで留守番しているのは、はっきり言って偶然の産物だ。 ポップやアバンが時々、マトリフの洞窟にやってくるように、偽勇者一行も時々彼の洞窟にやってくる。 まあ、自主的にマトリフを心配したり、相談毎がある度にやってくるポップやアバンと違って、偽勇者一行の方は半ば強制的な理由だが。 『あの時は成り行きから手を貸してやったが、オリャア本来、ボランティアなんて趣味じゃねえんだよ。 世界が平和になった後、マトリフにそう要求され、偽勇者一行は冒険で報酬を得る度に二割程を差し出しにわざわざ彼の洞窟を訪れているのだ。 だが、すぐにそれがいかにもマトリフらしい、彼流の捻くれた優しさだと気がついた。 その証拠に、マトリフが冒険の報酬として受け取る物は、金ではない。冒険で手に入れた、アイテムそのものだ。 それも危険過ぎて一般に売り出すのが難しかったり、価値を見出だす者が少なすぎて売るのに苦労しそうな物を引き取っている。 さらにマトリフは、時々、偽勇者達が品を適正な値段で売り払うためのアドバイスをしてやったりもする。 普通、冒険をした者がアイテムを手に入れた場合、その値打ちを正確に鑑定してもらうのにもかなりの金を支払わなければならないことを考えると、マトリフの取り分は正統なものと言える。 時を経て再会した弟弟子が、相変わらず腰の据わらない中途半端さのままだと知ったマトリフは、いかにも彼らしい捻くれた方法で弟弟子やその仲間の面倒をみてやっているのだ。 だが、マトリフのその考えの深さを、考えの浅い偽勇者一行が見抜いているかどうかは甚だ疑問だ。 さすがに年の功と言うべきか、マゾッホだけは兄弟子の思惑に勘づいている様ではあるが、他のメンバーはあまり深く考えず、軽い脅しに本気に怯えて盲目的に従っている感じが強い。 それならそれでバッくれて逃げてもいいのに、逃げもせずに律義に従っている偽勇者一行には、ある意味では感心してしまう。 だが、こんな風にポップとマゾッホだけが洞窟で留守番なんて珍しい。というか、確実に初めてだ。 それが珍しくマトリフが出かけてしまったからこそ、偽勇者一行の面々も今が羽の伸ばしどころとばかりに町に遊びに行ったらしい。 ポップにしてみれば、師匠がいないのなら別にまた出直してもよかったのだが、考えてみればこれはいいチャンスだった。 マトリフと話がしたくてここまで来たのだが、今日の話は政治上の相談というよりもたんなる愚痴のようなものだし、別に急ぎの話でもない。 「師匠にも聞いたことがあるんだけどさ、そんなのおまえの知ったことじゃねえだろって一蹴されちまったんだよ」 「ははは、兄者らしいな」 いかにもマトリフらしい返事だと、マゾッホは笑う。 「なあ、やっぱ、師匠みたいに厳しかったのかい?」 「……そうじゃのう。まあ、修行には厳しい師匠じゃったな、確かに」 ちゃっかりと酒をくすねて飲んでいた手を止め、マゾッホはふと、懐かしむ様に遠い目をする。 「だが、それ以上に立派で、素晴らしい人じゃった。わしも兄者も、あの人を理想の魔法使いと思って修行に励んだものじゃよ」 「へえー、あの師匠がねえ」 とても信じられないとばかりに目を丸くするポップを見て、マゾッホはこっそりと笑う。 いかに世間では大魔道士と呼ばれ、その英知を高く評価されていても、そんなところは年相応のようだ。 まだ18年も生きていないポップには、年よりにも若い頃があったというごく当たり前の事実を認識するのは難しいらしい。 「……それにしても、師匠、遅いよな。いったい、どこに行っちゃったんだか」 その質問にマゾッホはほんの一瞬だけ、眉を寄せる。だが、それを相手に気付かせないぐらいの年期を、彼は積んでいた。 「さあのう。別に、どこに行くとも言っていなかったからな」 マゾッホが言ったことは、嘘ではなかった。マトリフは遅くなるとだけ言い残し、行く先も告げずにそのまま出て行った。 今日、この日にマトリフが出かける先がどこなのか……だが、それをこの年若い少年に教えるのは憚られた。 「なぁに、そのうちに帰ってくるだろうて。ま、気長に待つことじゃな」
「よぉ。師匠、また会いに来てやったぜ」 気楽な調子でマトリフがそう声をかけた先には、誰もいなかった。 本来ならば、名前を刻むべき場所に今も深々と抉られた真一文字の傷が残されている。 本来なら、こんな粗末な墓に収まる人ではなかった。輝かしい栄光に包まれた人生を送り、その偉業が歴史に刻まれ、多くの人に惜しまれながら眠るに相応しい人だった。 心優しく、それでいて厳しい人だった。 修行の厳しさから早い段階で逃げ出してしまったマゾッホは、知るまい。当時としては大事件であり、噂は遠くまで広がったから師匠の死や、そこに至るまでの大まかな経緯は耳にしたことはあるかもしれない。 事実、マトリフはマゾッホが師匠の死を承知していることは知っている。 (へっ、オレも案外甘ぇもんだな) 自嘲混じりに、マトリフは思う。 だが、家族やしがらみなどとは無縁の人生を生きてきたとしても、それでも人との縁はできるものだ。 マゾッホもその一人だ。 寝食を共にし、同じ課題に頭を悩ませ、同じ師匠に憧れて夢を追った者同士ならではの絆が、兄弟弟子にはある。 マゾッホがいなくなった後で起こった師匠の変心も、彼の心を捕らえた闇の深さも。 そして、今となっては師匠のこの墓の場所を知る最後の人間だろう。 「……今にして思えば、あんたも若かったんだよなぁ」 苦笑して、マトリフは師の墓を眺めやる。 当時は、師匠のことを『大人』だと思っていた。 だが……実際には、当時の師匠はそれ程の年齢でもなかった。 そして、これだけの年齢を重ねて始めて分かることもある。 青年と呼ばれる年齢をそろそろ終え、中年になりかかった時、人は多かれ少なかれ焦りを感じるものだ。 これが家族でもいるというのなら、迷いも少なかっただろう。ほとんどの人間は守るべき家族のために、家庭の基盤を築くために安定を選ぶのだから。 魔法使いとしての道を究める道を選ぶか、普通の人生を優先するか――その二つの選択に、彼が迷っていたのを知っている。 魔法使いとしての自分を究める道とは、即ちマトリフが選んだ生き方だ。他者との接触を断ち、己の探求心のままに魔法の研究のみに没頭する。 しかし、師のように社交的で、人との関わりと求めたいと望む人間にとっては、少なからぬ苦痛と孤独をもたらす生き方だ。 強すぎる力は、それだけで問題を引き起こす。 かと言って、力を使わない様に封印して生きるにも、師にとっては辛いものだ。魔法は師にとって生きがいに等しかったし、他人が困っているのを見過ごすには、彼はあまりにも正義感に溢れていた。 強大な魔法力を持っていたがゆえに、自分の生き方に迷い、葛藤していた魔法使い。 自分で自分の心に壁を作り上げた彼の目には、周囲の人間は敵にしか見えなくなってしまっていたのだろう。 だが、マトリフの言葉が、彼の心を動かすことはなかった。 ――いや、マトリフこそが最大の敵として目に映っていたのかもしれない。 後から来る者に追いつかれ、追い越される恐怖も、彼の心を荒らした原因の一端だったのだろう。 凡人に天才を理解できないように、天才にも凡人の悩みなど分からない。また、マトリフはそれを理解する気はなかった。 「『忘れるな。深淵を見る時、深淵もまたおまえを覗いているものだ』……ってのは、あんたが教えてくれたんだがな」 誰もが、心の奥に闇を持つ。 心を完全に闇に食い荒らされた魔法使いほど、恐ろしいものはない。 最後に彼に残っていたのは、最悪の破壊衝動――。 その姿は、すでに人間のものとも思えなかった。炎の魔神を見たかのように、悲鳴を上げて逃げ惑う人々の声を、覚えている。その中には、師の魔法に助けられた者も少なからずいた。 なまじ魔法力が高かったため、放っておけば数日近くは凄まじい力を暴走させ続け、周辺に大きな被害をもたらしただろう。 その判断を、マトリフは責めることは出来ない。むしろ妥当な判断だと思うし、実際に意見を求められたとしてもマトリフも賛同しただろう。
万感の思いを込め、マトリフは師の墓の前で黙祷を捧げる。 あの時、もう少し自分が違う行動をとっていれば彼を救えたのではないか――一つの過去が、百を超える後悔を呼びおこす。有り得なかった可能性を考える夜が、訪れることのなかった仮定の未来が、その後悔を強める。 決して取り戻せない時間だと分かっていても、やり直したいと思う気持ちが、未だにマトリフの中にある。 この痛みもまた、すでにマトリフの人生の一部だ。 それは、マトリフの望むところではない。 ならば、人は未来に進むしかない。 「師匠を見習うのが弟子の勤めってもんだが……悪いが、オレはあんたの二の舞いだけは踏まないぜ」 師匠の墓を参る度に新たにする決意を、マトリフは今年もまた口にする。 「それに……オレの弟子は、ひと味違うんでな」 少しばかり自慢げな口調で、マトリフは師匠の墓に向かって話しかける。 魔法の才能においても目を見張るものを持っているが、ポップの真価は別のところにある。 絶望に沈み込んだ勇者の心を動かしたのは、ポップの叫びだった。 もし、マトリフが闇に飲まれたとしても、ポップは諦めずに叫び続けるだろう。 (……まあ、いつになるかは甚だ疑問だがよ) しかし、少しばかり苦笑が浮かんでしまうのは、弟子の若さに対してだろう。 まだ成人とさえみとめられないような外見に加え、結婚どころか惚れた少女と付き合うところまでさえいっていないポップが、後人を育てるために弟子を取るなんてのは相当先になりそうだ。 あの弟子が中身だけでなく外見も含めて名実共に魔法使いらしくなるのは、いったいいつのことになるのやら。 「……ま、墓参りもあるこったし、オレもまだまだ死ねないってことかねえ」 そんな風に呟きながらマトリフは最後にもう一度、名もない墓を見つめる。 毎年の習慣である墓参りだが、来年は来られるかどうかは分からない。その覚悟が、いつもマトリフにはある。 「――じゃあな、師匠」 軽い挨拶だけを残し、マトリフは移動魔法の力でその場を後にした――。 END
捏造度120%な師匠の師匠のお話です。原作にはマトリフとまぞっほの師匠ってのは出てこないけど、前から気になるキャラクターの一人なんです。 普通に考えればもう亡くなっていると思うんですが、実は人間じゃなくてエルフか魔族で、まだ生きているパターンとかも考えたこともあるんですが(笑)、今回は一番最初に思い付いたパターンで書いてみました。 立派な人だったのに、道を踏み外してしまった魔法使いってのは、昔から興味をそそられる話の一つです!
後に気づいたのですが、原作ではマトリフ98才、まぞっほ68才……なんと30才差があったりしますので、原作設定に忠実だとこのお話は成立しなくなります(笑) あまりにも致命的な間違いだったので、この際見なかったことにしようと非情に後ろ向きな解決策(←何一つ、解決できていやしねえ!)を決め込んでいたのですが、作成から数年経ってから間違いのご指摘を拍手コメでいただきましたので、ここで謝罪文を載せさせて頂きます。 はい、筆者のうっかりミスでマトリフとまぞっほは数歳か、最大でも十歳ぐらいしか離れていない計算で書いていましたので、そのつもりでお読み下さいませ。まあ、往生際悪く言い訳するのなら、当サイトではまぞっほは読みやすさと名前の語感を統一するために「マゾッホ」表記で統一していますので、彼はまぞっほ68才とは別物のマゾッホ88才とでも思って下さると助かります。いや、ご本人からは年齢捏造に猛クレームが来そうな気もしますけど(笑)
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