『届かない手紙』

 

 平和な、昼下がりだった。
 秋の爽やかな空気は、熱くも寒くもなくちょうど心地好い気温であり、ガラス窓越しに差し込んでくる陽の光は明るく店内を照らしだしている。

 だが、この明るさはそう長くは持たないだろう。
 秋の夕暮れは、早い。
 ましてやここ、ランカークス村は山間の村だ。穏やかな昼下がりから、一気に夜になるかのような早さで、日が暮れる。

 そろそろ、明かりの準備をしておいた方がいいかもしれないなと店主は店の中を見回した。

 狭いながらもなかなか品揃えのいい品が並ぶ武器屋だったが、今は客は一人もいなかった。と言うよりも、数日に一人客がくればいい方というレベルで客が来ない時間の方が長いのだが。

 それでも業務時間なのだから店番がいるのは当然とばかりに、どっかりとカウンターの前の椅子に座り込んでいるのはがっちりとした体格の中年男だった。
 仏頂面でカウンターにナイフを広げ、手入れをしている。

 彼の名は、ジャンク。
 ランカークス村でたった一軒しかない武器屋の店主である。
 眠気が込み上げてくるのを堪え、ジャンクはあくびを噛み殺していた。

(……ったく、武器屋が暇ってのはいいんだか、悪いんだか)

 ぼんやりとそんなことを考えていると、パタパタと軽い足音が聞こえてきた。店の奥、自宅となっている方から聞こえてくる足音の持ち主は、店と自宅の境となるドアから顔を覗かせた。

 長い黒髪を後ろにまとめたスティーヌは、夫とは正反対に細身で華奢な印象の強い女性だ。

「あなた。私、ちょっとお買い物に行ってきますね」

 エプロンで手を拭きながらそう話しかけてきたスティーヌを見て、ジャンクは少しばかり顔をしかめた。

「なんだ、さっき行ったばかりじゃねえのか」

 スティーヌは基本的に、買い物は早い時間に済ませる主義だ。普通の主婦ならば、夕方近くに行われるバーゲンタイムを狙って買い物をする者が多いが、スティーヌは仮にも武器屋の妻だ。

 武器屋というものは飲食業ほど客が入る時間が決まっている商売ではないが、それでも午前中よりは午後の方が客数が多いものだ。
 忙しい時にはいつでも手を貸せるようにと、スティーヌは極力午後は家にいるようにしている。

 そのせいで朝一番に洗濯を済ませた後、午前中のうちに買い物に出かけることが多い。
 今日も、彼女はそうしていたはずだ。

 律義なスティーヌは、家を空ける前は必ず夫に一声かける。午前中、妻が買い物に行く時も、帰る時も挨拶を聞いた覚えがある。
 だが、ジャンクのその指摘にスティーヌは僅かに狼狽したような表情を見せる。

「え、あ、あの……っ、買い忘れたものがあって……っ」

 それがないと、どうしてもお夕食の支度に困るからと、聞きもしないうちから早口に言う妻の口調は、なんだか言い訳じみて聞こえた。
 スティーヌは、しっかりものの買い物上手だ。きちんとやりくりをするタイプで、買い物の前には決まって何が必要かメモを作り、それにそって買ってくる生真面目さがある。

 それに何かを買い忘れたとしても、スティーヌは無いなら無いでそれなりに代用や工夫をして乗り切るだろう、普段ならば。
 以前ならいざ知らず、今はジャンクとスティーヌの夫婦二人きりの生活だ。客もいないのに買い直ししなければならない程、大量の食料も必要はない。

 それらの理屈がジャンクの脳裏に浮かんだが、あえて口にはしなかった。代わりに、彼はボソリと呟く。

「……オレが行く」

「え?」

 途端に、スティーヌは目を丸くした。
 結構亭主関白気質なジャンクは、家事に積極的に関わるタイプではない。
 大抵の一般家庭でそうであるように、日常の買い物など家事に関わる分野は妻が行うというのが、この家の不文律だ。

 ましてや、ジャンクは仕事には熱心な方だ。熱意に反して客がほとんど来ないとはいえ、それでも営業時間中にスティーヌの代わりに買い物を買って出るなど、普段ならまず有り得ない。

 それだけに手放しで驚くスティーヌだが、ジャンクは本気だった。妻の驚きをよそにさっさと立ち上がり、上着を羽織る。

「それで、何を買ってくりゃいい?」

「あ、……あ、ええと、小麦粉と、それと、薬草を少し」

 とても切れているとは思えない品な上に、今すぐ夕食に必要なものとも思えない。
 しかも、少し考えてからとっさに口にしたような不自然な買い物のラインナップを、ジャンクは咎めなかった。

「そうか、なら道具屋に行ってくる」

 そう言った途端、スティーヌがいかにもホッとしたような笑みを浮かべるのを見ながら、ジャンクは店を出た。






「あ、ジャンクおじさん、いらっしゃい!」

 村で唯一の道具屋に入った途端、元気のいい声がジャンクを迎える。
 いつになく賑やかな道具屋のカウンターで、手慣れた応対でてきぱきと会計をこなしているのはこの店の末娘のラミーだ。

 まだ15才だがなかなか商売っ気に恵まれているのか、看板娘っぷりが板についてきている。
 おうと軽く挨拶をして、ジャンクは慣れた足取りで店の奥に向かい、なにやら伝票とにらめっこしている道具屋の店主に声を掛けた。

「よお、大将。なかなか商売繁盛しているようで、なによりだな」

「お、ジャンクか。おかげさんでなんとかやっているよ」

 隅に置いた樽に軽く腰を掛けて伝票のチェックをしていた道具屋の店主は、耳に赤ペンを挟みながら身振りだけで座れと合図を送る。同じく商売をする者同士、顔を合わせる機会も話す機会も多いだけに、ジャンクも遠慮無しに店主の向かいの樽に腰をかけた。

「なんとかもなにも、大繁盛じゃないか。まったく、看板娘がいるってのは羨ましいもんだぜ」

 お世辞ではなく本心からそういいながら、ジャンクは感心してラミーを見やる。
 ジャンクにしてみれば、よその家の子供の成長はひどく早く感じられる。
 幼い頃、ジンやポップと一緒に遊んでいた印象が強いだけに、久し振りに見かけるとその度に驚かされる。

 ましてや、女の子の成長は早い。
 背の高さはそろそろ伸びが止まっただろうが、早くも娘らしさを感じさせるようになってきたようだ。

 口の利き方もすでにいっぱしのもので、挨拶は慣れたリズムに溢れ、客とのやり取りにも軽快さが感じられる。

 少し前まではどう贔屓目に見ても、子供の手伝いかお店屋さんごっこをしている女の子としか見えなかったのだが、今のラミーなら若い店員と呼んで差し支えないだろう。
 だが、父親である店主は照れくさそうに笑って愛娘を腐した。

「はっ、あんな看板娘じゃ、この店の未来も暗いものだって。
 失敗は多いし、そのくせ口ばかり達者になってきて、最近はあれこれと経営にまで口を出してきて困ったもんだぜ」

 口ではそんな風に文句ばかりを言いながらも、ラミーの仕事ぶりに常にさりげなく目を配っている道具屋の親父の本音など、知れたものだ。

「何言ってやがる、あんなできのいい子供がいて何を贅沢言ってるんだか。ったく、うちの馬鹿息子にも爪の垢でも飲ませたいものだぜ」

 ジャンクにして見れば、それはただの軽口に過ぎなかった。だが、宿屋の店主はハッとしたような顔をして、気まずそうに咳払いをする。
 触れてはならない話題に、無遠慮に触れてしまった――そんな後悔が店主の顔にははっきりと浮かんでいた。

 ジャンクの息子、ポップが一年以上前に家出したのを知らない村人なんていない。
 と言うよりも、この狭い村ではいまだに忘れようもない村の重大ニュースの一つだ。

 ポップの両親であるジャンクとスティーヌが家出として扱っているため、村人達も一応はそう扱っているものの、誘拐されたのではないかと不安を抱いている者は決して少数派ではない。

 なにしろ、ポップがいなくなったのはランカークス村にめったに来ない旅人が立ち去ったのと、同じタイミングだった。
 奇抜な格好をした見知らぬ旅人に、不信感を抱くのもしかたがないだろう。

 それだけに、ジャンク達を気遣ってポップの話題を憚る善良な村人の数は多い。道具屋の主人も、その典型だった。

「あー……、その、なんだな、ジャンク、そういえば今日はなんの用だい? こんな時間にくるなんて珍しいじゃないか」

 いかにもとってつけたような話題の逸らしはわざとらしいにも程があったが、ジャンクは彼の気遣いに乗った。

「ああ、たいした用事じゃねえんだ。この前は大将もベンガーナに仕入れにいったんだろ? 何か、珍しい物でもあったかい」

「それが全然だったよ、ここのところいろんな商品の品数が減るわ、値段は上がるわで商売上がったりだ。
 珍しいものどころの話じゃないよ」

 話題が変わってホッとしたのか、店主の口はなめらかに滑る。
 ランカークス村では、主にベンガーナ王国から生活に必要な物資を手に入れている。村の有志が集まって馬車を仕立て、ごく小規模な隊商を組んで王国まで買い出しに行き、自分達で生活に欠かせない物資を輸送するのが昔からの習慣だ。

 商売の都合上、道具屋の店主はその輸送に毎回の様に参加する。
 そのせいで彼が一番、この村で外部との連絡に長けている。それをよく承知しているジャンクは、さりげなさを装ってついでの様に聞いた。

「そうか。じゃあ、手紙なんかはどうだった?」

 王や貴族なら手紙を部下に運ばせればすむだけのことだが、一般庶民にはなかなか遠方の知人と手紙に連絡を取り合うのは難しい。
 庶民が手紙を送りたいと望むのであれば、運送業が盛んな大きな都市に行き、決して少額とは言えない金額を払って依頼をする必要がある。

 ただし、手紙は専門の業者に運ばれるわけではなく、あくまで本業の輸送のついでに運ばれるに過ぎない。
 行く先によっては複数の業者の手から手に渡り、やたらと寄り道をすることもよくある。

 そのせいで場所によっては、到着には2、3ヵ月ぐらいかかるのは珍しくもない。
 さらにランカークスの様に辺鄙な村では、村まで届くことなど期待できない。一番近くの大きな町……この場合はベンガーナの運送業社の倉庫に送られる。

 そして、村からの隊商が来た際に手紙を渡し、さらにその隊商が村に帰ってから、受け取った手紙があることを村人に知らせる。

 そこで初めて自分宛の手紙の存在を知った村人が、手紙を一括して保管する役目を負う者の所へとやってきて、ようやく手紙が目的の人物の手に渡るというシステムになっている。

 普通は手紙の管理を引き受けるのは村長である場合が多いが、ランカークスでは利便性を重視して道具屋がそのまま引き受けていた。

「いや……今回は手紙は一つもなかったよ。悪いな」

 と、申し訳なさそうに謝る店主に、ジャンクは慌てて首を振った。

「ああ、気にするな。ちょっと聞いてみただけだからよ」

 軽い口調でそう返事をするジャンクだが、付き合いの長い店主はいささか気の毒そうに彼を見やる。
 ジャンクがこんな時間にわざわざやってきた理由が、ようやく分かったからだ。

 ランカークスはごく小さくて、知り合いしかいないような牧歌的な村だ。
 隊商が戻ってきた段階で、もし手紙があるようならいち早く村人に知らせるのが常だ。誰かへの手紙があるなら隊商が村に戻ると同時に、その知らせは流される。

 場所によっては、隊商が帰り際にそのまま手紙のあて先の家へと届けるのも珍しくはない。
 特に、武器屋なんて商売をやっているジャンクの家は昼間はいつでも人がいるため、手紙が届いたのなら通りすがりに届けるのが一番手っ取り早い。

 なにしろ、村外れにあるジャンクの店は街道に比較的近い。隊商が村を出入りする際、必ず彼の店の近くを通る。
 ジャンクとて、今日の午後に隊商が自分の店の前を通って村に帰還したのを見たはずだ。

 その時になんの声もかからなかったのなら、特に手紙など届いていない……そう判断するのが暗黙の了解というものだ。
 普通なら、そう判断する。

 だが――その手紙に対する熱意が高ければ高い程、人間はあれこれと考えてしまうものだ。

 もしかして、声を掛けるのを忘れただけで、本当は手紙がきているのでは?

 普通に考えればまず有り得ない偶然にこじつけてでも、希望を持ってしまうのが人間というものだ。

 待ち望んでいる手紙であればある程、その傾向が強くなると、店主はよく知っている。それだけに、こんな時間に万が一の希望にすがりつく様にやってきたジャンクを、気の毒に思う。

(そういえば、最近は手紙がきていないものな)

 少し前までは、ジャンクの元には定期的に手紙が来ていた。
 定期的と言っても季節ごと位の頻度ではあるが、こんな田舎の村には珍しいことには違いなかった。

 見慣れぬ男名の手紙で、旅でもしているのかいつも消印の町がバラバラな手紙の差出人がどんな人物なのか、店主は知らない。
 そこまで詮索する気もなかったし、ジャンクやスティーヌも語る気はないのか、それについては特に話さなかったから。

 だが、手紙が届くためにスティーヌがこれ以上ない程に嬉しそうな素振りを見せること、そして普段は仏頂面のジャンクまでもが手紙を気にしてそわそわすることは知っている。

 届けた方が幸せな気分になるぐらい、喜んでもらえる手紙というものは、気持ちのよいものだ。
 それだけに、気の毒に思わずにはいられない。

「まあ、仕方がないかもな。最近、魔王が復活したって噂……どうやら、本当みたいなんだ」

 そう話す際、店主は声を潜めてちらっと周囲を伺う。

「ここのところの怪物の増え方や暴れ方は、どう見たって普通じゃないし。実はよ、ベンガーナでも、しばらく前にデパートの方が魔物に襲われたらしいんだよ。いや、話で聞いただけだけどさ」

 近隣の住民は一番近くに存在する王城が所在する町やその付近を総してベンガーナと一言で呼ぶが、実際にはその領域はかなり広い。
 デパートや城は町の中心部にあるため、ランカークスから行くと相当に時間がかかってしまう。

 おまけに、首都部に行けば行く程値段も高くなるため、辺境の村の者がベンガーナに取り引きに行く時は、町の外れ辺りで取り引きをすませる場合が多い。
 そのせいもあって、店主の話は全てが伝聞による噂が元だった。

「国によっては、船便が停止したところもあるって聞いたぜ。
 そのせいもあって、今は手紙がひどく届きにくくなっているんだそうだ」

 慰めるつもりで町で聞いた話を教えると、ジャンクのしかめっ面がますますひどいものになる。

「ふうん、物騒な話だな。……その噂、あまり村の女子供に広がらなきゃいいんだが」

「オレも同感だね。まったく、魔王の復活だなんて一生に一度で沢山だって言うのによ」

 苦笑しながら、店主も同意する。
 魔王ハドラーが出現したのは、15年前のこと――現在、子供達の親となった世代の者ならば記憶にしっかりと刻まれている。
 それだけに、再びの魔王の復活は人々には身に迫る恐怖として認識されるだろう。

 幸いにも、山奥に近い所にあるランカークスはあまり旅人もこない上に怪物もほとんどいない、平和な村だ。
 まだ村の一部の男達しか知らない魔王の噂など、できるならこのまま知らせたくはないと思う。

 しかし、そう言いながらも店主にもジャンクにも分かっていた。
 人の口に、戸は立てられない。
 ましてや、おしゃべりや旦那の秘密に感づくことに関しては女性はスペシャリストだ。いずれ、魔王復活の噂はこのランカークス村にも広がる様になるだろう、と――。

「それじゃ、邪魔したな。また来るぜ」

 その挨拶を残して、ジャンクは店の外へと出て行った――。






 ほんのわずかの間に、周囲は真っ暗になっていた。夕焼けの名残さえ残さない素早い日暮れに、ジャンクは一瞬だけランプを持ってこなかったことを悔やんだが、わざわざ道具屋に引き返そうとは思わなかった。

 完全な暗闇というならともかく、月も出ているし、道が見えないというわけではない。なにより慣れた道だ、ジャンクはゆったりとした速度で家路を辿る。
 日が落ちた途端肌寒く感じる風に煽られるのは閉口だったが、手ぶらなだけに急ぐ気にはなれなかった。

(あ、そういや、スティーヌに頼まれた物を買い忘れたな)

 ふと思い出したが、別にいいだろうとジャンクは結論付ける。元々、とってつけた口実の様な買い物だ、忘れたところで妻は咎めないだろう。
 ただ、期待していた手紙がないと知り、がっかりするだろうと思うと少しばかり胸が痛む。

「……ったく、あの馬鹿息子めが、どこをうろついていやがるんだか」

 一年以上前に旅人だったアバンに憧れ、彼に弟子入りするんだと家出したっきり、まったく音沙汰のない息子。
 間違っても親に手紙を書くなんて真似はしない親不孝者だが、その不足を補う様にアバンはできた師だった。

 季節毎にポップの近況を書いた手紙を書いて寄越す筆まめさのおかげで、ジャンクもスティーヌもずいぶんと救われている。
 だが、そんな律義なアバンにしては珍しく、今回の手紙は遅れていた。
 単に、何かの事情で遅れているだけならいい。だが、さっき聞いた噂が気にかかる。

 魔王の復活に怪物の凶暴化。
 オーザムにパプニカなど、魔王軍に国ごと滅ぼされた噂すら流れている。話半分に聞くにしても、どうやら状況はかなり悪化している上、世界中に広がっているのは間違いがないようだ。

 もう、どこか一国の話だけで終わる騒動ではない。全ての人間に等しく降り懸かるであろう危険が、身近にまで迫ってきている気配をジャンクは感じ取っていた。

「くそガキめ……親よりも先に野垂れ死んだりしたら、承知しねえからな」

 ぼやいたジャンクの声は、風にさらわれて消えていった――。

                       END
  


《後書き》

 えー、この頃、アバン先生はメガンテで死亡(していると、皆に思われていた)、家出少年の方はバラン戦で一回死亡した後だったりします(笑)
 時間軸は大きく異なりますが、このお話は勇者帰還編の『勇者の預かりもの』のジャンクとスティーヌ側からのお話になります。

 以前『勇者の預かりもの』を書いた時、ジャンク達側からの話も見たいとの嬉しいお言葉をいただき、書いてみることにしました♪

 

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