『二人の弟子と、ジンジャー・ティー』

 


「んー……。今日も気持ちのいい朝ですねえ」

 軽く伸びをして、アバンは潔く毛布から抜け出した。
 心地好い温もりを提供してくれた毛布から出ると、身が引き締まるような冷気が身を包む。すっかり秋めいてきた空気を深呼吸しながら、アバンは手早く毛布をまとめた。

 まずは何をさておいても、洗顔と髭そり、そして自慢のヘアスタイルのセット――それが、アバンの朝の決まりだった。
 騎士団の一員として城で暮らしていた頃も、勇者として魔王と戦うための旅の最中も、その後の勇者の家庭教師として放浪の旅をしている時も、変わることのない習慣だ。

 ほぼ毎日野宿する旅を続ける身であっても、アバンは身嗜みには手を抜かない質だ。
 きちんと身支度を調えた後で、アバンはようやく隣に眠る旅の連れに声をかける。

「ポップ、起きなさい。朝ですよ」

 声をかけたものの、頭まで毛布にしっかりとくるまった小さな影はびくとも動きはしなかった。
 だが、アバンはそれに苦笑はしたものの、別に無理に起こそうとはしなかった。

 朝寝坊な弟子は一度声をかけたぐらいでは、なかなか目を覚まさない。
 弟子にしてから一か月以上経つが、ポップがアバンより早く起きた試しなどほとんどない。それどころか、朝はぐずぐすといつまでも寝たがる甘えっぷりでアバンを手こずらせてくれるぐらいだ。

 それをよく承知しているアバンは、特に気にすることもなく鼻歌交じりで食事の支度にかかる。
 熾き火がかすかに燻っている焚き火をかきたてて湯を沸かしつつ、アバンは慣れた手つきでてきぱきと手を動かす。

 たっぷりの干しぶどうと小麦粉を混ぜた練り粉を、器用な手並みで編み上げるように木の棒へと巻きつけ、焚き火で炙る。
 主食であるパンが焼き上がるまでの間を、もちろん無駄になどしない。

 特製のハーブティを煎じつつ、アバンは荷物の中からベーコンの塊を取り出すと、たっぷりと厚めに切った。
 それから、あらかじめきちんと洗ってきれいにしておいた手頃な大きさの石に向かって魔法を放つ。

「メラ!」

 一気に熱せられた石をフライパン代わりにして、アバンはベーコンを乗せる。
 ジュージューと音を立てながらベーコンがたちまち焼けていき、白い脂肪の部分が熱を加えられることによって透明感を増していく。

 余分な油が石を伝って滴り落ちていくのと同時に、周囲に振りまかれる薫製特有の豊潤な香りは、大いに食欲を刺激するものだった。
 それは焼き上がっていくパンの香ばしい匂いと相俟って、相乗効果で絶妙の香りのシンフォニーを奏でだす。

 空腹の胃を直撃するその匂いは、当然のごとく辺り一帯に広がっていく。だが、それでも毛布にくるまった塊は動こうとはしなかった。

(おやおや、今日はいつも以上にネボスケさんのようですね)

 育ち盛りのポップは、当然のことながら食べ物には大いに興味を示す。
 いい匂いが立ち込めれば自然に目を覚ますことは多いし、ちゃんと起きさえすればアバンの料理を手伝おうとする気遣いも持っている。

 だが、今日はよほど深く寝入っているのか、あるいは寒さのせいで毛布から離れがたいのか、いっこうに目を覚ます気配が全くない。
 困ったものだと苦笑しつつ、アバンは荷物の中からドライフルーツとチーズを取り出した。

 携帯に便利なドライフルーツを細かく刻み、その辺で取った食べられる草と混ぜ合わせば、立派なサラダとなる。
 そして、ここからが肝心だが、アバンはまず充分に焼けたベーコンを皿替わりとなる木の葉の上に移した。

 だが、ベーコンを焼いた石には、まだベーコンの油が残っている。
 たっぷりと出たベーコンの油で、刻んだ茸を素早く炒める。その際、いつも持ち歩いている塩胡椒をたっぷりとふるのを忘れてはいない。

 茸がしんなりとするのを待ってから、酸味の強い果実の汁をたっぷりと搾って混ぜ合わせる。
 即席で作ったドレッシングの味を確かめてから、アバンはそれを熱いうちにサラダの上に載せた。

 仕上げに刻んだチーズをトッピング替わりにふりかけながら、アバンはさっきよりも声を強めてポップを呼んだ。

「ポップ、いい加減に起きちゃってください。もう、朝ご飯が出来ましたよー」

 さすがにその声は聞こえたのか、ポップがやっと反応を見せた。アバンに背を向けたままの毛布が、ビクリと震える。

「あ、やっと、目が覚めたみたいですね。じゃあ、顔を洗ってきてくださいねー」

 その声が聞こえているのは、確実だ。
 だが、ポップはもぞもぞと毛布の中で動いているだけで、なかなか起きようとはしない。
 本来なら生徒が自主的に起きるのを待ちたいところだが、せっかく作った自慢の朝食が冷めきってしまうのはさすがに嬉しくはない。
 そこで、アバンは強引にでも寝坊な弟子を起こそうとした。

「ポップ、朝ご飯が冷めちゃいますよ。そろそろ起きてくれないと――」

 そういって肩を揺さぶろうとすると、ポップは亀の子のようにより一層毛布の中で固く丸まり、深く潜り込んでしまう。
 それが微笑ましいと笑えたのは、ポップが口を利くまでだった。

「い、今っ、起きますからっ、後五分だけっ」

 それが寝ぼけた声でのおねだりだったとしたら、アバンは苦笑しながらももう少しだけ待っただろう。
 だが、やけに焦ったような声には、眠気など微塵も感じられなかった。なにより、妙に掠れた声なのをアバンは聞き逃さなかった。

(もしかして……)

 疑問を持つのと同時に、アバンは毛布を一気にはぎ取った。

「わっ!?」

 焦ったような顔をしたポップが、両手で口許を抑えるがすでに手遅れというものだ。冷たい空気を一気に吸い込んだせいか、ケホケホと小さく咳き込むポップに、アバンの中の疑問が確信に代わる。

 よくよく見れば顔も赤らんでいる上に、目も泣いた後のように妙に腫れぼったい。なにより額に手を当ててみると、明らかにそれは平均値以上に高かった。

「あ〜あ、これはちょっとひどいですね。もう少し気温が上がるまでこのまま横になっていていいですよ、ポップ」

 と、毛布で包み直してやると、意地っ張りのポップはかえってムキになって起き上がろうとする。

「い、いいえっ、起きれますよっ、おれ。ほらっ……は、はれれ?」

 勢いよく立ち上がろうとしたせいでかえって貧血でも起こしたのか、足をもつれさせたポップをアバンは片手で軽く支える。

「ほらほら、無理をしちゃいけませんよ? 最近、急に冷えてきましたから風邪を引くのも無理もないですねえ」

 秋も深まり、そろそろ朝晩の冷え込みが激しくなってきた。
 自分ならばともかく、やっと旅に慣れてきたばかりの子供にはこの寒暖差の中で野宿をするのは無理があったのだろう。
 できるだけ暖かく過ごせるように庇ったつもりだったが、この有様だ。

「ほら、ポップ、起きるなら起きるで火の側にもっとよりなさい。食欲はありますか?」
 毛布ですっぽりと包んでからポップを焚き火の側に座らせてやりながら、アバンは頭の中だけで地図を思い浮かべてみる。

(困りましたねえ。運が悪い、というよりも場所が悪いというべきですかね)

 今、アバン達がいる場所はちょうど山の中腹辺りだ。
 この先に備え本格的な冬支度を整えるため、この辺りで一番大きな町に行くために近道をしようと山道を選んだのだが、それが見事に裏目に出てしまった様だ。

 山越えは多少はきついかもしれないが、その代わり山沿いの普通の道を行くよりもずっと早く目的地に辿り着くはずだった。
 実際、ポップの足に合わせても明日の夜には目的の町へとつけただろう。

 しかし熱を出したポップでは、到底山道を歩けるとは思えない。無理をさせれば風邪を拗らせるだけだ。
 こんな時、馬車でも欲しいところだが、それも望み薄なことをアバンはよく承知していた。

 隊商の移動するシーズンでもないため、馬車が通りかかるのを待つなんてのは、それこそ流れ星が実際にこの場に降ってくるのを待つような確率だろう。
 かと言って、アバンがずっとおぶっていくわけにもいかない。

 アバンとしてはそれでもいい。だが、おそらくはポップの方が持つまい。背におぶわれ続けるというのも、意外と体力を消耗するものだ。
 歩くよりは楽とはいえ、無理な移動が風邪の悪化を招く可能性は大いにある。

 背負子などの道具があればまだ話は違うだろうが、さすがのアバンもそこまでの準備はしていないし、作るための道具もない。
 やはり、体調がある程度戻るまで、きちんとした場所で休ませてやるのが一番だ。

 本来、旅の最中に風邪を引いたのなら、標準以上の休養や栄養が取れ、しかも暖房が保証された宿屋に泊まるのが一番いい。
 風邪なんてものは数日も休めば、大抵治るものだ。

 旅慣れた者ならば、体調を崩しかけてきたと気がついた時点で自重し、旅のペースを落としてでも早めに手をうとうとする。
 極端な話、風邪気味だとすれば山に登る前に宿屋などでしっかりと休養をとって、体調を万全にしてから山登りに挑むものだ。

 こじらせて寝込んでから手当てするよりもその方がずっと楽だし、結果的にはその方が旅の連れにも迷惑をかけないですむ。
 だが、まだ子供な上に旅の初心者のポップに、そこまでの体調管理を求める方が無理というものだろう。

 しかも、ポップと来たら明らかに熱を出して咳き込んでいるくせに、変な所だけは意地っぱりだった。

「先生、おれは平気だから、もう出発しましょうよ」

 食欲もないのか朝食もほとんど食べていないのに、そう言ってきかないポップにアバンは少しばかり眉をひそめる。
 正直言えば、アバンとしてはポップを休ませてやりたいと思う。だが、この場所は残念ながら病人の滞在に向くとは言いがたい。

 なにしろ、昨日は山越えを狙って最短距離を進むのを優先したため、野宿の場所の選択はかなりいい加減だったのだから。
 少し休めば回復するならともかく、風邪ならば日数単位での休養が必要だ。

 それを考えれば、今は多少無理をさせることになっても、ポップの気力や体力があるうちに移動させた方が得策かもしれない。
 天候も崩れそうな気配を感じるし、きちんと雨風を遮れる場所……できれば山小屋がベストだが、せめて洞穴を見つけるために移動した方がよさそうだ。

「分かりました、それでは出発しましょうか。では、これを着て下さいね」

 手早く荷物をまとめるついでに、アバンは自分のマントを引っ張りだしてきてポップの肩へとかけてやる。

「えー、これ、いらないですよ、邪魔だし、ちょっと重いし〜」

 マントを着慣れていないポップは嫌がるが、アバンもこれだけは譲れない。
 ポップにはいささか大きすぎて引きずる寸前だが、とにかく今は身体を冷やさないようにしてやるのが先決だ。

「ダメですよ、暖かくしていないと熱があがりますからね。
 それと、気分が悪くなったら今度こそすぐに言うこと! いいですね、ポップ?」

 重ねて言うと、ポップはこっくりと頷いた。

「はぁい、先生」





(――って、返事は良かったんですけどね)

 1時間後、アバンは苦笑を口端に浮かべつつ、愛弟子を眺めていた。
 半ば予測はしていたが、やはり、山道は今のポップにはきついらしく、息がすっかりと上がっている。

 顔の赤みも強くなっているし、咳き込む回数も増えた。どうみても風邪が悪化しているとしか思えないのだが、それでもまだポップは意地を張り続けていた。

「ポップ、そろそろ休んだ方がいいんじゃないですか」

 そう誘いをかけても、ポップはとんでもないとばかりに強く首を横に振る。

「はぁ……はぁ……、へ、平気です、から!」

(本当に、困った子ですねえ)

 確かに、今のところ、ポップはなんとかアバンについてきている。多少、アバンが手心を加えているせいもあるが、今のポップが目一杯気を張っているからこそ歩けていると言っていい。

 もし、これで腰を下ろせばもう動けなくなるに違いない。それが分かっているからこそ、ポップも休憩を嫌がって休もうとしないのだろう。

 いつもは飽きっぽいポップのいい加減な修行ぶりを思えば、今の踏ん張りを褒めてやりたい気分はある。
 だが、さすがにこれ以上は看過できない。

「ポップ、ではせめてホイミをかけてあげますから、ちょっと止まってください」

 その誘いには、ポップはぴたりと足を止めた。
 だが、その顔に浮かんでいるのは疑問の表情だ。

「え? でも先生、回復魔法は病気にはほとんど効果がないって言ってませんでした?」
 その質問の鋭さに、アバンはちょっと驚きつつも満足を感じずにはいられない。普通、苦しい時に回復魔法をかけてくれると言われれば、無条件で受け入れるのが人情だが、ポップは前に授業で教えた回復魔法の基本をきちんと覚えていたらしい。

 魔法使いの自分には関係ないとばかりに、あくびをしながらいい加減な態度で聞いていただけに期待などしていなかったのだが、どうやらポップはアバンが考えていた以上の記憶力を持っているようだ。

 ただの雑談程度にした話を、このタイミングできちんと思い出した弟子を嬉しく思いながら、アバンは優しくポップの頭を撫でる。

「よく覚えていましたね、その通りですよ。残念ながら、回復魔法では怪我は治せても病気は治せません。
 体内の生命力を活性化させて急速の回復を図る魔法ですから、生命力そのものが弱る病気の時には効力が薄れるんですよ。
 ですがね、まったく効き目がないというわけではないんです」

 体調が悪い時に言ったとしても全部覚えきれないだろうとは思っても、教えを授ける時にはついついきちんと話し込んでしまうのは、教師の性というべきか。

「効果はごく薄いですし、何度も繰り返してかけるのは感心しませんが、病状によっては回復魔法が多少の効き目を見せる場合もあるんです。
 風邪の場合ですと、咳が少しましになる程度の効き目はありますから、一時凌ぎにはなりますよ」

「へー、そうだったんですか」

「ええ。覚えておくと便利な裏テクという奴ですね。さ、魔法をかけてあげますから目を閉じて下さい」

 その言いつけに、ポップは素直に目を閉じる。頭を撫でていた手をそのまま額に当てると、先ほどよりも熱くなった体温がはっきりと分かる。
 その熱さに苦笑しつつ、アバンはゆっくりと呪文を唱えた。

「ラリホー」

「え!? 先生、その呪文って……」

 抗議じみたポップの文句は、最後まで言われることはなかった。
 すっかりと回復呪文を受け入れるつもりで油断していたポップに、催眠呪文は覿面に効いた。
 よろけて倒れ込むポップの身体を、アバンはあっさりと抱きとめる。

「騙しちゃってすみませんね、ポップ。ですが、そろそろドクターストップが必要な頃ですからね」

 そして、マントごとポップを持ち上げて軽々と背負った――。





「ん……」

 緩やかに、意識が浮上する。
 ぱちぱちと火のはぜる音を聞きながら、ポップは目を覚ました。
 ぼんやりと開けた目に映るのは、見知らぬ天井だった。

 だが、それに対する戸惑いはほとんどなかった。アバンと旅に出て以来、見慣れない天井や空の下で目覚めるのは、すでにポップにとって日常になっているのだから。
 むしろ、意外なのは自分がベッドに横たわっていることだった。

 正直言えば、あまりいいベッドではなさそうだ。マットレスも申し訳程度の代物だし、なんだかカビ臭い。だが野宿に比べるとベッドの寝心地は格別で、ポップを再び夢の中へと運び込みそうな程に心地が良い。

 うっかりとそのまま寝入りそうになったポップだったが、その時、暖炉の前にかがみ込んでいるアバンの姿を見て、跳ね起きた。

「せ、先せ……ゴホッゴホッゲホッ!?」

 起きると同時に咳の発作に襲われて咳き込むと、慌てたようにアバンが駆けつけてくれた。

「ホイミ――大丈夫ですか、ポップ?」

 アバンがかけてくれた回復魔法の効果か、咳の発作はすぐに静まった。朝起きた時から感じ続けていた喉の痛みも少し楽になり、ポップはまず、軽く息をつく。

 咳が鎮まったおかげで、ポップはここがどこなのか見回す余裕を持てた。たいして広くもない、一室しかない粗雑な造りのこの家は、おそらく猟師か樵が使うために設置された山小屋だろう。

 アバン以外の姿が見えないから、無人小屋なのだろうと見当はつく。
 具体的な場所までは分からないが、とりあえず安心できる場所だと分かった途端、ポップはアバンを見上げて文句をつけだした。

「先生……っ! ひどいですよ、嘘をつくだなんて!!」

「おや、嘘をついただなんて、心外ですね。さっき教えた通り、回復魔法をかけたら少しは咳がましになったでしょう?」

 悪戯っぽい笑みを浮かべてとぼけながら、アバンはポップの肩に折り畳んだマントをショールのようにかけてくれる。

 その暖かみに初めて、ポップは自分が小刻みに震えていたのに気がついた。どうやら、回復魔法は風邪の寒気までが消してくれる効果はないらしい。
 とりあえず、マントをギュッと掻きあわせ、ポップは不満をそのままぶちまける。

「そっちじゃなくて! さっき、おれにラリホーをかけたでしょう!?」

 憤慨する弟子に対し、アバンは余裕たっぷりに笑ってみせる。

「ああ、それでしたか。
 でも、嘘をついたのはお互い様でしょう、ポップ。気分が悪くなったらすぐに言って下さいとあれほど言ったのに、全然言ってくれないんですからね、あなたは」

「う……っ」

 痛いところを突かれて怯むポップに、アバンは優しく諭す。

「前にも言いましたよね? 具合が悪い時には助け合ってこそ、仲間なんですよ。なにも、一人で無理をすることはありませんよ。
 調子の悪い時には、素直にちゃんと休むこと! 頑張る時には頑張ってもらっちゃいますが、休むべき時にちゃんと休むのも大切なんですからね」

 強い口調で叱られれば、反発もできる。
 だが、優しく包み込むような優しい言葉に反感を抱くのは、難しい。

 それに――ポップには分かっていた。
 騙されたショックからついつい文句をぶちまけてしまったが、アバンは少しも悪くない。
 それどころか、アバンはポップを助けてくれたのだ。

 あの時の自分が、まともに歩けもしなかったことなんか自分が一番良く知っている。足手まといにしかならないのに、意地を張っている自分を助けるために、アバンは催眠魔法をかけたのだろう。

 眠っていれば、ポップ自身は移動の苦痛など感じないで済む。
 だが、その分、アバンの負担は大きくなるに決まっている。山道を子供とはいえ人一人抱えて歩き、避難できる場所を探すのは大変だっただろう。

 それを思えば、ポップは文句をつけるなんて真似をせずに、お礼を言うべきなのだ。
 だが、そうと分かっていても、素直に感謝の言葉を告げるには、ポップは子供すぎた。助けられたことよりも、子供扱いされたとことに拘りを感じる気持ちに振り回され、素直に礼も言えない。

 そんな自分が嫌だと思いながらも、それでも素直に慣れずに黙り込むポップの目の前に、湯気の立ち上ぼるカップが差し出された。

「さ、これを飲んでください、ポップ。あ、熱いから気をつけて下さいね」

 不躾なポップの態度などまるっきり気にもしていないような態度をとるアバンに釣られ、ポップはそれを素直に受け取っていた。
 ポップの手には少々ごつすぎるぐらい大きく感じる木製のマグカップに、なみなみと注がれたそれは、最初は紅茶だと思った。

 だが、嗅ぎ慣れない匂いが交じっている。それに、なにかが混ぜられているのか、小さな木端のような物がマグカップの中を漂っているのが見えた。

「なんですか、これ?」

「ジンジャー・ティーですよ。これは私のおとっときのお茶でしてね、身体が暖まりますよ」

 ウインクするアバンに進められるままに口にすると――ふんわりとした甘さが口の中に広がった。

 生姜特有の香りはするものの、その苦みは感じられない。風味の違いから確かに普通の紅茶ではないとはっきりと分かるのに、生姜の素朴な風味がお茶の甘みの中に見事に溶け込んで調和している。

 尖っていた気分を円やかにしてくれる優しい味のお茶を、ポップはゆっくりと口にする。
 朝から喉が痛くて、食事どころか水さえろくすっぽ受けつけなかったのに、ジンジャー・ティーの甘みは何の抵抗もなく喉を潤してくれた。

 ポップがお茶を飲み干すまで、穏やかな笑顔で見守ってくれていたアバンは、よくできたご褒美とばかりにポップの頭を優しく撫でる。

「いい子ですね、良く全部飲みました」

 頭を撫でられ、そんな風に褒められるなんてまるっきり子供扱いだとちょっと悔しくはなったが、その手の温かさが心地好い。
 そのせいか、ポップは今度は素直に口にすることができた。

「先生……ありがとう。これ……すごく美味しかったです」

 それを聞いたアバンが、驚いたように目を見張る。だが、それはほんの一瞬で、すぐに彼の持ち前の穏やかな笑顔に変わった。

「どういたしまして。さ、飲んだのなら冷えないうちに横になりましょうね。この後、一眠りすれば気分もよくなりますから」

 その優しさと、喉の痛みからやっと開放された感覚には抗えない。なにより、ジンジャー・ティーの効力かぽかぽかと身体の内部から暖まるようなぬくもりが心地好くて、ポップはすぐに引き込まれるような眠りについた――。





(……眠ったみたいですね)

 ポップの寝息が安定するのを確認し、アバンは少なからずホッとしていた。
 風邪には、良質な睡眠を取るのが一番の薬になる。それも、魔法による強引な睡眠よりも、自然な眠りの方が身体にいい。

 自然に目を覚ますまでこのまま眠らせてやろうと思いながら、アバンは暖炉の火に薪をくべる。
 そうしながら、つい思い浮かべるのは最初の弟子……ヒュンケルのことだった。

(おかしな物ですね……なんの繋がりもないはずなのに)

 職業も、年齢も、弟子にとった時期さえ違うが、彼とポップは一応は兄弟弟子ということになるだろう。だが、名目はそうでも実際にはかけ離れた存在といっていい。
 性格的にも正反対と言える程全然似ていないのに――それでも時折、ポップの言動がヒュンケルに重なって見える時があるのが不思議だった。

 自分が風邪を引いたのが我慢ならないとばかりに、いつも以上に刺々しく意地を張って、反抗的に振る舞った最初の弟子のことを、ポップは知りもしないだろう。
 そして、そんなヒュンケルがやけにおとなしく、少しずつジンジャー・ティーを飲んだことも。

 なのに、おかしいぐらいポップの反応はヒュンケルにそっくりだった。
 このぐらいの男の子はみんな似たり寄ったりなものなのか、それともポップとヒュンケルに共通点があるのだろうか。
 だが、似ているようで違う点もある。

『先生……ありがとう。これ……すごく美味しかったです』

 最初の弟子からは、ついに聞くことのできなかったジンジャー・ティーへの礼の言葉は、アバンには嬉しかった。
 終始反抗的で素直になりきれないままだったヒュンケルと違い、ポップは意地っ張りなところと素直さが混同している。

 無論、どちらがいいという問題ではない。
 ポップにはポップの、ヒュンケルにはヒュンケルのよさがあるのだから。
 だが、ポップのぎこちない礼の言葉は、最初の弟子が口にしなかった分まで、アバンを心地よく暖めてくれた。

(私の分のジンジャー・ティーは、必要ないですね)

 心に感じている温もりを失わないよう、アバンはポップのすぐ側の床に簡単な寝床を作り、横たわる。
 どうせならこの暖かさを、そのまま夢に持って行きたいと願って。

 そして、眠りに落ちる前にアバンは祈る。
 今まで、アバンは何度となく最初の弟子との再会を願った。
 だが、今日の願いは、少しばかり違う。

 自慢に値する自分の弟子達が、先輩と後輩として顔を合わせる機会が訪れることを願いながら、アバンも眠りについた――。


                                      END



《後書き》

 アバン先生と旅している頃の、ポップの風邪引き話です♪ 魔王軍編の『手のひらの上の温もり』『思い出の甘さ』とちょっぴりリンクしていますが、これはアバン先生側からのジンジャー・ティー話ですね、先生は決してお茶は飲んでいないのですが(笑)

 ところで、作品中でアバン先生が作っているのは、ダンパーと呼ばれる無発酵の簡易パンです。
 オーストラリアを舞台にした「幻の丘」というタイトルの児童向けの冒険小説で、主人公達が食べていたシーンが印象的で忘れがたいイメージがあるんです!

 しかし、野宿だっつーのにアバン先生は朝からお料理に熱心ですね(笑)
 昔、グリズリーの行動範囲内での野宿の時はベーコンは絶対に焼くな、匂いでグリズリーがよってくるとキャンプ関連の本で読んだことがありますし、怪物がよってきそうで怖いんですが。
 …まあ、アバン先生ならすぐに追い払えますし、大丈夫でしょう、きっと(笑)

 

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