『二人の弟子と、ジンジャー・ティー』 |
軽く伸びをして、アバンは潔く毛布から抜け出した。 まずは何をさておいても、洗顔と髭そり、そして自慢のヘアスタイルのセット――それが、アバンの朝の決まりだった。 ほぼ毎日野宿する旅を続ける身であっても、アバンは身嗜みには手を抜かない質だ。 「ポップ、起きなさい。朝ですよ」 声をかけたものの、頭まで毛布にしっかりとくるまった小さな影はびくとも動きはしなかった。 朝寝坊な弟子は一度声をかけたぐらいでは、なかなか目を覚まさない。 それをよく承知しているアバンは、特に気にすることもなく鼻歌交じりで食事の支度にかかる。 たっぷりの干しぶどうと小麦粉を混ぜた練り粉を、器用な手並みで編み上げるように木の棒へと巻きつけ、焚き火で炙る。 特製のハーブティを煎じつつ、アバンは荷物の中からベーコンの塊を取り出すと、たっぷりと厚めに切った。 「メラ!」 一気に熱せられた石をフライパン代わりにして、アバンはベーコンを乗せる。 余分な油が石を伝って滴り落ちていくのと同時に、周囲に振りまかれる薫製特有の豊潤な香りは、大いに食欲を刺激するものだった。 空腹の胃を直撃するその匂いは、当然のごとく辺り一帯に広がっていく。だが、それでも毛布にくるまった塊は動こうとはしなかった。 (おやおや、今日はいつも以上にネボスケさんのようですね) 育ち盛りのポップは、当然のことながら食べ物には大いに興味を示す。 だが、今日はよほど深く寝入っているのか、あるいは寒さのせいで毛布から離れがたいのか、いっこうに目を覚ます気配が全くない。 携帯に便利なドライフルーツを細かく刻み、その辺で取った食べられる草と混ぜ合わせば、立派なサラダとなる。 だが、ベーコンを焼いた石には、まだベーコンの油が残っている。 茸がしんなりとするのを待ってから、酸味の強い果実の汁をたっぷりと搾って混ぜ合わせる。 仕上げに刻んだチーズをトッピング替わりにふりかけながら、アバンはさっきよりも声を強めてポップを呼んだ。 「ポップ、いい加減に起きちゃってください。もう、朝ご飯が出来ましたよー」 さすがにその声は聞こえたのか、ポップがやっと反応を見せた。アバンに背を向けたままの毛布が、ビクリと震える。 「あ、やっと、目が覚めたみたいですね。じゃあ、顔を洗ってきてくださいねー」 その声が聞こえているのは、確実だ。 「ポップ、朝ご飯が冷めちゃいますよ。そろそろ起きてくれないと――」 そういって肩を揺さぶろうとすると、ポップは亀の子のようにより一層毛布の中で固く丸まり、深く潜り込んでしまう。 「い、今っ、起きますからっ、後五分だけっ」 それが寝ぼけた声でのおねだりだったとしたら、アバンは苦笑しながらももう少しだけ待っただろう。 (もしかして……) 疑問を持つのと同時に、アバンは毛布を一気にはぎ取った。 「わっ!?」 焦ったような顔をしたポップが、両手で口許を抑えるがすでに手遅れというものだ。冷たい空気を一気に吸い込んだせいか、ケホケホと小さく咳き込むポップに、アバンの中の疑問が確信に代わる。 よくよく見れば顔も赤らんでいる上に、目も泣いた後のように妙に腫れぼったい。なにより額に手を当ててみると、明らかにそれは平均値以上に高かった。 「あ〜あ、これはちょっとひどいですね。もう少し気温が上がるまでこのまま横になっていていいですよ、ポップ」 と、毛布で包み直してやると、意地っ張りのポップはかえってムキになって起き上がろうとする。 「い、いいえっ、起きれますよっ、おれ。ほらっ……は、はれれ?」 勢いよく立ち上がろうとしたせいでかえって貧血でも起こしたのか、足をもつれさせたポップをアバンは片手で軽く支える。 「ほらほら、無理をしちゃいけませんよ? 最近、急に冷えてきましたから風邪を引くのも無理もないですねえ」 秋も深まり、そろそろ朝晩の冷え込みが激しくなってきた。 「ほら、ポップ、起きるなら起きるで火の側にもっとよりなさい。食欲はありますか?」 (困りましたねえ。運が悪い、というよりも場所が悪いというべきですかね) 今、アバン達がいる場所はちょうど山の中腹辺りだ。 山越えは多少はきついかもしれないが、その代わり山沿いの普通の道を行くよりもずっと早く目的地に辿り着くはずだった。 しかし熱を出したポップでは、到底山道を歩けるとは思えない。無理をさせれば風邪を拗らせるだけだ。 隊商の移動するシーズンでもないため、馬車が通りかかるのを待つなんてのは、それこそ流れ星が実際にこの場に降ってくるのを待つような確率だろう。 アバンとしてはそれでもいい。だが、おそらくはポップの方が持つまい。背におぶわれ続けるというのも、意外と体力を消耗するものだ。 背負子などの道具があればまだ話は違うだろうが、さすがのアバンもそこまでの準備はしていないし、作るための道具もない。 本来、旅の最中に風邪を引いたのなら、標準以上の休養や栄養が取れ、しかも暖房が保証された宿屋に泊まるのが一番いい。 旅慣れた者ならば、体調を崩しかけてきたと気がついた時点で自重し、旅のペースを落としてでも早めに手をうとうとする。 こじらせて寝込んでから手当てするよりもその方がずっと楽だし、結果的にはその方が旅の連れにも迷惑をかけないですむ。 しかも、ポップと来たら明らかに熱を出して咳き込んでいるくせに、変な所だけは意地っぱりだった。 「先生、おれは平気だから、もう出発しましょうよ」 食欲もないのか朝食もほとんど食べていないのに、そう言ってきかないポップにアバンは少しばかり眉をひそめる。 なにしろ、昨日は山越えを狙って最短距離を進むのを優先したため、野宿の場所の選択はかなりいい加減だったのだから。 それを考えれば、今は多少無理をさせることになっても、ポップの気力や体力があるうちに移動させた方が得策かもしれない。 「分かりました、それでは出発しましょうか。では、これを着て下さいね」 手早く荷物をまとめるついでに、アバンは自分のマントを引っ張りだしてきてポップの肩へとかけてやる。 「えー、これ、いらないですよ、邪魔だし、ちょっと重いし〜」 マントを着慣れていないポップは嫌がるが、アバンもこれだけは譲れない。 「ダメですよ、暖かくしていないと熱があがりますからね。 重ねて言うと、ポップはこっくりと頷いた。 「はぁい、先生」 (――って、返事は良かったんですけどね) 1時間後、アバンは苦笑を口端に浮かべつつ、愛弟子を眺めていた。 顔の赤みも強くなっているし、咳き込む回数も増えた。どうみても風邪が悪化しているとしか思えないのだが、それでもまだポップは意地を張り続けていた。 「ポップ、そろそろ休んだ方がいいんじゃないですか」 そう誘いをかけても、ポップはとんでもないとばかりに強く首を横に振る。 「はぁ……はぁ……、へ、平気です、から!」 (本当に、困った子ですねえ) 確かに、今のところ、ポップはなんとかアバンについてきている。多少、アバンが手心を加えているせいもあるが、今のポップが目一杯気を張っているからこそ歩けていると言っていい。 もし、これで腰を下ろせばもう動けなくなるに違いない。それが分かっているからこそ、ポップも休憩を嫌がって休もうとしないのだろう。 いつもは飽きっぽいポップのいい加減な修行ぶりを思えば、今の踏ん張りを褒めてやりたい気分はある。 「ポップ、ではせめてホイミをかけてあげますから、ちょっと止まってください」 その誘いには、ポップはぴたりと足を止めた。 「え? でも先生、回復魔法は病気にはほとんど効果がないって言ってませんでした?」 魔法使いの自分には関係ないとばかりに、あくびをしながらいい加減な態度で聞いていただけに期待などしていなかったのだが、どうやらポップはアバンが考えていた以上の記憶力を持っているようだ。 ただの雑談程度にした話を、このタイミングできちんと思い出した弟子を嬉しく思いながら、アバンは優しくポップの頭を撫でる。 「よく覚えていましたね、その通りですよ。残念ながら、回復魔法では怪我は治せても病気は治せません。 体調が悪い時に言ったとしても全部覚えきれないだろうとは思っても、教えを授ける時にはついついきちんと話し込んでしまうのは、教師の性というべきか。 「効果はごく薄いですし、何度も繰り返してかけるのは感心しませんが、病状によっては回復魔法が多少の効き目を見せる場合もあるんです。 「へー、そうだったんですか」 「ええ。覚えておくと便利な裏テクという奴ですね。さ、魔法をかけてあげますから目を閉じて下さい」 その言いつけに、ポップは素直に目を閉じる。頭を撫でていた手をそのまま額に当てると、先ほどよりも熱くなった体温がはっきりと分かる。 「ラリホー」 「え!? 先生、その呪文って……」 抗議じみたポップの文句は、最後まで言われることはなかった。 「騙しちゃってすみませんね、ポップ。ですが、そろそろドクターストップが必要な頃ですからね」 そして、マントごとポップを持ち上げて軽々と背負った――。 「ん……」 緩やかに、意識が浮上する。 だが、それに対する戸惑いはほとんどなかった。アバンと旅に出て以来、見慣れない天井や空の下で目覚めるのは、すでにポップにとって日常になっているのだから。 正直言えば、あまりいいベッドではなさそうだ。マットレスも申し訳程度の代物だし、なんだかカビ臭い。だが野宿に比べるとベッドの寝心地は格別で、ポップを再び夢の中へと運び込みそうな程に心地が良い。 うっかりとそのまま寝入りそうになったポップだったが、その時、暖炉の前にかがみ込んでいるアバンの姿を見て、跳ね起きた。 「せ、先せ……ゴホッゴホッゲホッ!?」 起きると同時に咳の発作に襲われて咳き込むと、慌てたようにアバンが駆けつけてくれた。 「ホイミ――大丈夫ですか、ポップ?」 アバンがかけてくれた回復魔法の効果か、咳の発作はすぐに静まった。朝起きた時から感じ続けていた喉の痛みも少し楽になり、ポップはまず、軽く息をつく。 咳が鎮まったおかげで、ポップはここがどこなのか見回す余裕を持てた。たいして広くもない、一室しかない粗雑な造りのこの家は、おそらく猟師か樵が使うために設置された山小屋だろう。 アバン以外の姿が見えないから、無人小屋なのだろうと見当はつく。 「先生……っ! ひどいですよ、嘘をつくだなんて!!」 「おや、嘘をついただなんて、心外ですね。さっき教えた通り、回復魔法をかけたら少しは咳がましになったでしょう?」 悪戯っぽい笑みを浮かべてとぼけながら、アバンはポップの肩に折り畳んだマントをショールのようにかけてくれる。 その暖かみに初めて、ポップは自分が小刻みに震えていたのに気がついた。どうやら、回復魔法は風邪の寒気までが消してくれる効果はないらしい。 「そっちじゃなくて! さっき、おれにラリホーをかけたでしょう!?」 憤慨する弟子に対し、アバンは余裕たっぷりに笑ってみせる。 「ああ、それでしたか。 「う……っ」 痛いところを突かれて怯むポップに、アバンは優しく諭す。 「前にも言いましたよね? 具合が悪い時には助け合ってこそ、仲間なんですよ。なにも、一人で無理をすることはありませんよ。 強い口調で叱られれば、反発もできる。 それに――ポップには分かっていた。 あの時の自分が、まともに歩けもしなかったことなんか自分が一番良く知っている。足手まといにしかならないのに、意地を張っている自分を助けるために、アバンは催眠魔法をかけたのだろう。 眠っていれば、ポップ自身は移動の苦痛など感じないで済む。 それを思えば、ポップは文句をつけるなんて真似をせずに、お礼を言うべきなのだ。 そんな自分が嫌だと思いながらも、それでも素直に慣れずに黙り込むポップの目の前に、湯気の立ち上ぼるカップが差し出された。 「さ、これを飲んでください、ポップ。あ、熱いから気をつけて下さいね」 不躾なポップの態度などまるっきり気にもしていないような態度をとるアバンに釣られ、ポップはそれを素直に受け取っていた。 だが、嗅ぎ慣れない匂いが交じっている。それに、なにかが混ぜられているのか、小さな木端のような物がマグカップの中を漂っているのが見えた。 「なんですか、これ?」 「ジンジャー・ティーですよ。これは私のおとっときのお茶でしてね、身体が暖まりますよ」 ウインクするアバンに進められるままに口にすると――ふんわりとした甘さが口の中に広がった。 生姜特有の香りはするものの、その苦みは感じられない。風味の違いから確かに普通の紅茶ではないとはっきりと分かるのに、生姜の素朴な風味がお茶の甘みの中に見事に溶け込んで調和している。 尖っていた気分を円やかにしてくれる優しい味のお茶を、ポップはゆっくりと口にする。 ポップがお茶を飲み干すまで、穏やかな笑顔で見守ってくれていたアバンは、よくできたご褒美とばかりにポップの頭を優しく撫でる。 「いい子ですね、良く全部飲みました」 頭を撫でられ、そんな風に褒められるなんてまるっきり子供扱いだとちょっと悔しくはなったが、その手の温かさが心地好い。 「先生……ありがとう。これ……すごく美味しかったです」 それを聞いたアバンが、驚いたように目を見張る。だが、それはほんの一瞬で、すぐに彼の持ち前の穏やかな笑顔に変わった。 「どういたしまして。さ、飲んだのなら冷えないうちに横になりましょうね。この後、一眠りすれば気分もよくなりますから」 その優しさと、喉の痛みからやっと開放された感覚には抗えない。なにより、ジンジャー・ティーの効力かぽかぽかと身体の内部から暖まるようなぬくもりが心地好くて、ポップはすぐに引き込まれるような眠りについた――。 (……眠ったみたいですね) ポップの寝息が安定するのを確認し、アバンは少なからずホッとしていた。 自然に目を覚ますまでこのまま眠らせてやろうと思いながら、アバンは暖炉の火に薪をくべる。 (おかしな物ですね……なんの繋がりもないはずなのに) 職業も、年齢も、弟子にとった時期さえ違うが、彼とポップは一応は兄弟弟子ということになるだろう。だが、名目はそうでも実際にはかけ離れた存在といっていい。 自分が風邪を引いたのが我慢ならないとばかりに、いつも以上に刺々しく意地を張って、反抗的に振る舞った最初の弟子のことを、ポップは知りもしないだろう。 なのに、おかしいぐらいポップの反応はヒュンケルにそっくりだった。 『先生……ありがとう。これ……すごく美味しかったです』 最初の弟子からは、ついに聞くことのできなかったジンジャー・ティーへの礼の言葉は、アバンには嬉しかった。 無論、どちらがいいという問題ではない。 (私の分のジンジャー・ティーは、必要ないですね) 心に感じている温もりを失わないよう、アバンはポップのすぐ側の床に簡単な寝床を作り、横たわる。 そして、眠りに落ちる前にアバンは祈る。 自慢に値する自分の弟子達が、先輩と後輩として顔を合わせる機会が訪れることを願いながら、アバンも眠りについた――。
アバン先生と旅している頃の、ポップの風邪引き話です♪ 魔王軍編の『手のひらの上の温もり』『思い出の甘さ』とちょっぴりリンクしていますが、これはアバン先生側からのジンジャー・ティー話ですね、先生は決してお茶は飲んでいないのですが(笑) ところで、作品中でアバン先生が作っているのは、ダンパーと呼ばれる無発酵の簡易パンです。 しかし、野宿だっつーのにアバン先生は朝からお料理に熱心ですね(笑)
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