『ひなげしの残香』

 

「大魔道士様、ご休息中失礼します。
 王が客人にお引き合わせたいとのこと、もしよろしければお出で願えますか?」

 ノックの後、ドア越しにかけられたその挨拶を聞いてポップは読み掛けの本を閉じた。 一応は問い掛けの体裁をとられているとはいえ、仮にも留学中の身だ。王の誘いを断ると、後でかえって厄介になる。

 ちょうど読書に熱中していたところを中断させられるのは嬉しくはないが、応じない訳にはいかない。
 だが、返事の前につい、溜め息が出てしまう。

 各国を留学してみて初めて分かった事実だが、国によって城で働く人間の種類には差がかなりある。
 例えば、ポップにとって一番馴染みが深いパプニカ城は、明らかに神官や賢者が優遇されている。高位の役職についているのは、ほとんどが神官か賢者だと言っていい。

 昔から騎士団で有名だと言うカール王国やリンガイア王国では、騎士の姿が目立った。 テランでは占い師や巫女が尊重され、鉱山で有名なロモスでは鉱脈についての知識を持つ学者が貴ばれるらしい。

 そして、国の要職を占める職業に多い性別に合わせて、その下で働く者達の職業や性別も揃えられるもののようだ。

 もちろん城の食事や清掃など家事に当たる部分は侍女が、事務系の仕事は文官が、護衛系の仕事は兵士がと、大まかな役割こそは決まってはいるものの、この三種の職業の割合は国によって違ってくる。

 神事を重要視するテランでは兵士よりも侍女の数の方が圧倒的に多いし、学問を貴ぶロモスでは文官が意外なぐらい多くそろえられている。
 そしてここ、ベンガーナは圧倒的に兵士が優遇されている国らしい。そのせいか、城の中で様々な雑多な仕事をこなすのもほとんどが兵士である。

 客人の案内や世話ならば、大半の国では侍女に任せるのだが、ベンガーナでは重要な用事は全て兵士に任せるのが礼儀と考える習慣がある。
 もちろんこの国にも侍女はいるのだが、貴人に家事をしているところを見せるのは失礼だと考え、侍女はほとんど表に姿を見せないのである。

 結果、最上級の客人として遇されているポップが、ベンガーナ城で出会うのは兵士ばかりと言うことになる。
 ポップにとっては非常に残念な気遣いだし、全く嬉しくはない礼儀だった。

(国の習慣に口出しする気はないけど、どうにも華やぎがないよな、この国って)

 内心のがっかり感を口にも顔にもださないように苦労しながら、ポップは扉を開けた。 そこにはポップよりも頭一つは大きな兵士が、直立不動の姿勢で立っていた。
 ベンガーナの兵士は厳しい兵役検査の上で選出されるのが決まりのせいか、やたらと体格のいい男が多い。

 どちらかといえば年の割には小柄で、お世辞にも逞しいとは呼べないポップからみれば、ちょっと気後れしたくなるようなマッチョマン揃いなのである。

 兵士としては優秀なのかもしれないが、伝令や道案内などに関しては、繊細な気配りのできる侍女の方がずっと優れているとポップは思わずにはいられない。なによりも、見ていて華やぎがある。

 兵士達の言動は礼儀正しく振る舞ってはいても、どこか体育会系というか、武骨な印象が強い。
 それだけならまだいいのだが――。

「え……、あなたが大魔道士様なのですか?」

 会った途端に驚かれたり、意外そうにそう言われるのはもう慣れた。自分の年齢や外見が、大魔道士らしくないのは十分に承知している。
 だいたいポップ自身だって腕の立つ魔法使いや賢者と聞けば老人を連想するのだ、他人がそう思うのが失礼だと文句を言うつもりなどない。

 だがその兵士はポップを案内する間も、何度も何度も、じろじろとポップを見返すことをやめない。
 不快な視線という訳ではないが、やけに熱心に何度も何度も見返されるのは、あまりいい気分がするものではなかった。

「あ、あのっ」

 そう呼びかける声には、強張った響きがあった。

「ん、なに?」

 内心はまたかと思いつつも意図的に軽い口調で、ポップはその兵士に応じた。20代前半ほどの若い兵士はためらった揚げ句、思い切ったように口を開く。

「あのっ……失礼ですが、どこかでお会いしたことはなかったでしょうか?」

 その質問に答える前に、ポップは念のために一応、相手の顔を見返してみる。
 ポップは記憶力には相当の自信がある。読んだ本の内容は楽に覚えられる方だし、一度会っただけの人の顔でも割と覚えている方だ。
 だが、目の前にいる兵士には見覚えがまるっきりない。

「いいや、悪いけど覚えがないんだけど」

 ポップのその答えに、兵士が浮かべたのは落胆と言うよりは当惑の表情だった。

「そう……ですか? 不思議ですね、私の方は確かに、あなたに見覚えがあるような気がするのですが……」

 どうにも納得できないとばかりに呟いてから、兵士は自分の態度が失礼だと思い当たったらしい。

 ご無礼をしましたと頭を下げ、道案内に戻る。そこまでは良かったのだが、通りすがりの別の兵士がポップを見てハッとしたような顔をするのが見えた。
 どうにも気になるのか視線をこちらに向けつつ、通り過ぎる際に呼び止めてくる。

「あの、失礼ですが、お聞きしてもよろしいでしょうか? あの、どこかでお会いしたことはありませんでしたか?」

(またかよ?!)

 またも同じ質問を投げ掛けられて、ポップは目まいすら感じてしまう。
 ベンガーナに来て以来というもの、こんなことばかりが続いているのだ。なぜか出会う兵士がことごとく同じような発言ばかりしてくると来ている。

 だが、ポップにはこれっぽっちも見覚えなどない。
 だいたいポップがベンガーナに来るのは初めてではないが、以前に来た時はほんの半日も滞在しなかった。

 しかも戦いで混乱している時だったし、港やデパート付近を少しうろついただけで、城には近付いてさえいない。

 つまり、主に城で活躍している大多数の兵士達と会った経験などないはずなのだ。にも関わらず、こんな反応の連続  正直、ポップはすでに困惑を通り越してうんざりしていた。

(ホント、何なんだよ、この国って)

 ポップがベンガーナ王国に留学に来てからすでに二週間程経つが、どうもこの国には馴染みにくい。

 居心地が悪い、と言うわけではない。
 ベンガーナ王国の名誉のために言うならば、この国ではポップを最上級の賓客として持て成している。

 今までの国に比べると格段に居住環境が豪華だし、食事や衣装だってとびっきり贅沢だ。その上、留学中のポップに対して十分な余暇を与えるように配慮もしてくれている。
 なにしろベンガーナ王国は他国に比べると、魔王軍との戦いの最中も被害は格段に少なかった国だ。

 今までの国々のように、復興のためにポップが何か手を貸す必要など最初からなかった。 もともと経済的に豊かだったこともあり、戦後の復興が一番早かった国でもある。だが、そのせいで手助けを全く必要とせず、かえってポップが暇になるとは皮肉な話だった。

 まあ、ポップとしてはそれに不満がある訳でもない。暇を持て余すどころか、ダイ捜索のための準備時間が足りないぐらいなのだ。余暇を利用して古文書や古地図を調べておきたいのだが、ちょっっぴり困るのはベンガーナ王の存在である。

 これもベンガーナ王の名誉のために言うのであれば、彼は決して付き合い辛いタイプの人間ではない。
 一見、権力志向が強く自分勝手で押し付けがましいように見える王だが、彼は第一印象に反して意外なぐらいざっくばらんで親分肌の人間だ。

 豪快な人柄でもあり、若い頃はかなりやんちゃだったというのか王族離れした武勇伝も多く、話していて結構面白い相手でもある。ポップもベンガーナ王個人と話すのは決して嫌いではない。

 だが、社交的なベンガーナ王はポップを気に入ってやたらと人前に出したがり、何かと理由を付けてはしょっちゅう呼び出すのが問題なのだ。

 大魔道士を自慢したがっているのが見え見えで、ベンガーナ王国に来た初日からパレードが開かれるわ、盛大な儀式に立ち合わされるわ、パーティにも参加を要請されるわと、やたらと忙しない。

 なんとかそれに一段落がついたとはいえ、その後もやれ客人を招いただのなんだのと理由をつけてはしょっちゅう紹介したがるのだ。

 豪快なようでいて、ベンガーナ王は自慢の宝を見せびらかしたがるような子供っぽさがある。
 さて、今日は一体誰と引き合わされるのやら――そう思いながら、ポップ聞いてみた。
 

「ところで、今日の客人って誰か、知っているかい?」

「はっ、世界的に有名な画伯だと伺っております!」

「ふぅん、画家かぁ〜」

 ベンガーナ王の客人は、意外なくらい幅が広い。
 パーティではいかにも偉そうな貴族と顔を合わせることが多かったが、王が呼び寄せた客人はかなりバラエティーに富んでいる。

 商人や船乗りのように商売に関わる相手から道化師や吟遊詩人など芸人として王を楽しませる相手など、少し変わった経歴の客を好んでいるようだ。
 この前は、ベンガーナデパートの支配人と顔を合わせたこともあった。

 大戦中、ベンガーナデパートがドラゴンに襲われた後の苦労談などは、なんだか聞いていて妙に落ち着かない気分にさせられたりしたものである。
 だが、画家ならそんな心配もないだろうと、ポップは胸を撫で下ろす。

「ええ、美人画で大層有名な画伯だそうです。ベンガーナ城にも、かの画伯の描かれた絵があるんですよ。
 もしよろしければ、ご覧になられますか?」

 ちょうど客間に行く道の途中にありますからと告げる兵士の提案を、普段のポップなら断っただろう。
 芸術なんて高尚なものに縁のない育ちのポップは、絵になどほとんど関心がない。多芸さゆえに多岐に亘ったアバンの授業も、さすがに美術までは及んでいなかった。

 が、芸術心などかけらもなくとも、『美人画』と言う言葉が、強烈にポップを引きつける。
 絵には全く興味はなくとも、美人に対する興味ならポップは人一倍以上にあった。

「そうだな、見れるならちょっとだけ見てみたいな〜。その方が、画家の人とも話しやすくなりそうだしさ」

 もっともらしい理屈をとってつけるポップを怪しむでもなく、兵士は二つ返事で頷いた。


「はい、ではご案内いたします」

 

 

 そこは、城の入り口から入ってすぐに当る広間だった。
 ベンガーナ城に出入りする者達が必ず通る場所  その片隅に、その絵はひっそりと飾られていた。

「へー、こんなところに絵があったんだ」

 と、ポップが言うのも、無理はない。
 ポップ自身もここは何度も通ったことがあるが、王間へ行こうと思えば広間を直進して一番立派で大きな回廊へ進む必要がある。

 そうした場合、柱が邪魔になって隅に飾ってある絵はほとんど目に入らない。つまり、身分が高い人間ほど、この絵には気がつきにくいのだという。

「ですが、私達兵士にとっては、この絵は馴染み深いのです。兵士達の詰め所に行くためには、この絵の先の回廊を通る必要がありますから」

 と、兵士がいう通り、何人もの兵士達がそばを通り過ぎていくのが見える。その際、絵の前でわずかに足を緩めたり、止めたりする兵士は少なくはなかった。
 そんな兵士に混じって、ポップもまた足を止めてその絵を見た。

「……!」

 その瞬間、ポップは大きく目を見張っていた――。

 

 

 それは、美しい少女の絵だった。
 しかし理想的な美女、とは言えないだろう。美人というよりは可愛らしいといった方がいい容貌だし、整った顔立ちではあるがきらびやかさよりは素朴さを感じさせる顔だ。

 せいぜい16、7程度……少女から娘へと移り変わる端境期の年齢ならではの、初々しさの感じられる清楚な少女だ。
 艶やかな黒髪をしているが、それを後ろで軽く結っているだけのいたって飾り気のない髪形だ。

 着ているのも質素な型のワンピースであり、貴族の娘が着るような服ではない。
 可愛らしくはあるが、一般市民の平凡な娘――だが彼女の一番の魅力は、なによりもその柔らかな微笑みにある。

 嬉しそうに、だが少しはにかむように笑うその柔らかな表情に惹きつけられる者は多いだろう。
 野原で花を摘んでいる手を止めて、ちょうど振り返った姿をそのまま写し取ったかのような絵だった。

 細かな部分まで丁寧に書き上げられた絵は、驚く程に写実的だ。それに、絵の大きさがほぼ等身大なだけにリアルさがより強まっている。
 その絵を見ていると実際にその少女が、今、ここで振り返って自分に微笑みかけてくれたかのような錯覚すら覚える程だ。

 失礼ながら絵心や芸術心などかけらもなさそうな兵士達が、この絵にひきつけられているのは、明らかにこの少女単体に惹かれたからこそだろう。

 この絵を見る兵士達の顔が一瞬とはいえ和んだり、にやけたりする辺りに、彼らがこの絵の少女に対して抱いている感情が表れている。
 ポップを案内してた兵士にも、その傾向は顕著だった。

「どうです、なかなかのものでしょう? これは実在の女性をモデルにした絵だそうですよ。なんでも、昔、城で一番人気のあった侍女だったとかで」

 どことなく自慢そうな兵士の言葉も、ポップの耳を素通りしていく。その間も、ポップの目は絵の中の少女に釘付けだった。

 しかし、他の多くの兵士達のようにポップは彼女に惹かれて見つめていた訳ではない。 この絵の少女に対して感じるのは、強烈な既視感――。到底初めて見掛けたとは思えない圧倒的な懐かしさを感じながら、ポップは疑問を口にする。

「な、なあ、この絵のモデルの名前って……」

 その質問をポップが最後まで言い終わるより先に、すっ頓狂な大声がそれを遮った。

「お……ぬぉおおお――――っ?!」

 響き渡る大声を轟かせ、まるで突進するような勢いで走ってきた男は、ポップの前で急停止する。
 が、それがまた、とてつもなく珍妙な男だった。

 きっちりマッシュルームカットにした金髪に、ひねった形にピンと尖らせた髭。赤や黄色などのやけにカラフルな汚れの目立つスモックを着て、頭にベレー帽をかぶった中年の男。

 そのあまりにもインパクトのある外見に、ポップは呆気に取られずにはいられなかった。 紛れもなく初対面のはずのその男は、目を輝かせながらポップをまじまじと見つめている。

「な……なんという……っ、信じられませんぞ……っ! これは奇跡……?! いや、神の思し召しでしょうか?!」

 うわ言めいて口走る彼のその身体が小刻みに震えているのに、ポップは気がついた。だが、その理由が分からずに戸惑わずにはいられない。

「あ、あの? どうかしたんスか?」

 と、話しかけてはみたが、その男はポップの言葉などまるっきり耳にも入っていないような有様だった。

「その目! その眉! 鼻筋もそうだし、ああ、髪の色も! 顎のラインが少し違う気がしますが、……いいっ、実にいいです!」

「え? い、いやだから、いったい何の話を……」

「ふーむふむふむふむ! いい、ええ、まったくいいですぞ! その髪の色も目の色も、なによりもこの肌の色ときたら! なのに、その目の輝き様は違う……素晴らしいっ、実に素晴らしいですぞっ!! 胸がないのが残念ですが、その柳腰は悪くないですな……ふむふむふむ、実に素晴らしいっ!」

 と、一人で興奮し、熱っぽく目を輝かせながら舐めるような視線で自分を眺め回す男に、ポップがいささか引くのも無理はあるまい。

(な、なんなんだよっ、この人わっ?! 変態かっ?! 新手の変態なのか?!)

 具体的な危害を加えられたわけではないが、ポップ一人だったのなら、その場から全力疾走で逃げ出したいほどのドン引きものの相手である。が、惜しむらくはというべきか、場所が悪かった。

 壁に掛かった絵と柱に左右を邪魔され、護衛兼案内役としてポップの後ろに控えている兵士の図体が邪魔で後ろにも下がれない現状では、前から迫ってくる男を避けられるはずもない。
 と、そこに場違いに呑気な声がかけられた。

「ムッシュ・カタール、急に駆け出してどうされましたかな?」

「あ、王様……」

 護衛の兵士と大臣を後ろに従えてゆったりと歩いて来るベンガーナ王を見て、ポップはなんとなくホッとする。

 いつもならばベンガーナ王はともかくとして、大臣は少々敬遠したい相手だ。ポップをやけにじろじろと見るのは他の兵士や男達と同じだが、その目付きに悪意というか、そこはかとない敵対心じみたものを感じるのである。

 まあ、だが、そんなこともあるだろうとポップは考えていたし、深く気に留めはしなかった。王と親しげに話していたというだけの理由で、その国の貴族などにやけに警戒され、嫌われるのはよくあることだとポップはすでに学習している。無意味に嫌われるのは嬉しくはないが、それをいちいち気にしていてもしょうがない。

 なにより、この場から逃れられるのならそんなのは瑣末な問題だ。だが、ベンガーナ王はポップの気も知らず、ニコニコと笑いながら紹介なんぞをしてくれる。

「ああ、ポップ君もここにいたとは偶然だな。ちょうどよかった、ムッシュ・カタール。彼こそが先程お話しした二代目大魔道士ですぞ」

「おお、なんとそうだったのですか! これはこれは……神のお導きでしょうかね、まさか君こそがかの二代目大魔道士だとは!
 いや、実に素晴らしい!」

 やたらと嬉しそうにそう叫ぶムッシュが、しっかりとポップの両手を握り締めてくれちゃっているものだから、ますます逃げられなくなっている。

「……あのー、王様、ところでこの人は?」

 すでに本人に問いかけるのを諦めたポップは、ベンガーナ王に質問を振った。

「うむ、彼の名はムッシュ・カタール。我がベンガーナ王国が誇る、世界的に有名な画伯なんだよ。特に美人画の巨匠として知られていて、この絵も彼が描いたものだ」

(画家……だったのか。画家の格好をした変な人じゃなくって)

 などとなかなかに失礼な感想が頭に浮かんだが、ポップは賢明にもそれは口にはださなかった。

「ポップ君は知らないかもしれないが、ムッシュは審美眼に長けたこだわりを持つ画伯でね、どんなにお金を積まれても気に入ったモデルでなければ描こうとしないのでも有名なんだ。
 それだけに、彼に絵を描いてもらうのは年頃の娘にとっては一種のステータスになっていてね。なにしろ彼がモデルに望んだともなれば、美女と認められたも同じこと!
 うちの娘の絵を描いてもらうのにも、ずいぶんと苦労したよ、わはははは!」

 画家の説明と見せかけて、後半は愛娘の自慢が半分混じっているベンガーナ王の話を聞き流しつつ、ポップはなんとかムッシュの手を振りほどこうと地道に努力する。

「はー、それはそれはすごいですねー。……で、この手を放してくれませんか?」

 どう聞いても棒読みのおざなりな褒め言葉も画伯は気を悪くすることもなく、より一層力を込めてポップの両手を握り締める。

「いやいや、放しませんぞ。君が、わたしのモデルになってくれると約束してくれるまでは」

「はぁ?」

「「「ええっ?!」」」

 呆れたようなポップの声は、思わず驚愕の声を上げたその場全員の声に見事なまでにかきけされた。
 その一言は、ポップ以外の人間にとっては驚きの言葉だったに違いない。途端に周囲は驚きさざめいていたし、ベンガーナ王は文字通り顔色を変えてムッシュに質問していた。


「ム、ムッシュ、何かのお間違いでは? あなたが男性のモデルを望むだなんて……!」


 世界的な画伯でありながら、ムッシュ・カタールはモデルを極端に選ぶことでも有名であり、決して女性画以外は描かない。
 男性を描くぐらいならば、いっそ雷に打たれて筆を折った方がましだとさえ言い切った逸話を持つムッシュの女性趣味は徹底している。

 その噂を知っている者ほど、その驚きは大きかっただろう。
 幸か不幸か、ムッシュ・カタールとは初対面の上、彼の存在など知りもしなかったポップはきょとんとするだけだったが、他の連中が驚くのも無理はない。
 が、ムッシュは大真面目だった。

「いえいえ、間違いではありませんとも。こんなにインスピレーションを刺激するモデルにあったのは実に久々ですよ! 画家として、この衝動を見過ごすなんてできませんっ!!」


 盛り上がりまくるムッシュに対して、王も大臣も疑問は拭いきれない。

「そ……そうですかな? どこがそこまでお気に召したのか、私には分かりかねますが」


 失礼にも率直な感想を口にしたのは大臣の方だったが、ベンガーナ王の方だって思いは同じだったのだろう。疑問が表情にはっきりと現れていた。
 ポップは確かに二代目大魔道士として希有な才能を持っており、その頭脳やきさくな人当たりのよさは高く評価されている。が、その外見は中身ほどには評価は高くない。

 ポップの外見は平凡な少年の域を出るものではないし、言っては悪いが男としては逞しさに欠ける少年だ。
 線の細い印象がいまだに拭えないポップは、男性美という意味からは程遠いだろう。一般的な基準で考えれば、とうてい男性の絵のモデルに相応しいようには思えない。

 だが、ムッシュが彼らの戸惑いがおかしいとばかりに、愉快そうに笑う。

「おや、お分かりになられませんか? ならばお答えいたしましょうか」

 気取った口調に見合ったしぐさでムッシュはどこからともなく、黒い布を取り出して見せる。描き掛けの絵の上にかけたり、あるいは絵を包んで運ぶために使うその大きな布を、ムッシュはいきなりポップの上に広げて見せた。

「うわっぷ?!」

 視界を閉ざされたのは、一瞬だった。ムッシュはその黒い布をポップの上に被せ、ちょいちょいと手で整えてから誇らしげに告げる。

「なぜって、彼はこの絵……わたくしの傑作『ひなげしの君』のモデルにそっくりなのですよ」

 その途端、その場にいた者達の目は、再び驚愕に見開かれる。
 黒い布を花嫁のベールのようにポップの頭にかけたムッシュの手際は、完璧だった。
 巧みにポップの癖っ毛を抑え込み、パッと見たところロングヘアの女性に見えるように絶妙のバランスで髪を覆ったせいで、彼の印象はがらりと変わって見えた。

 少年から、少女へ。
 細身で、男っぽさには欠ける女顔という男としては欠点にしか働かない短所は、女性としてみれば逆に長所へと取って代わる。なまじ留学中で華美な賢者の盛装を着ているのもまた、その印象を強めるのに一役買っていた。

 一応中性的に作られているとはいえ、どちらかといえばやや女性よりの印象を与える賢者の衣装は、ロングヘアの人間が着ていればそのまま女性のドレスへと見えてしまう。

 しかも、その顔は絵の中の少女の瓜二つだ。ちょうど絵の前に立っているポップは、まるで絵の中からそのまま抜け出してきたかのように見えた。
 誰もが驚きに絶句する中、うめくようにその言葉を漏らしたのは大臣だった。

「ス、スティーヌ?!」

「え? なんで母さんの名前を?」

 予想外の不意打ちに、ポップは反射的に反応してしまう。もしポップに少しでも冷静さが残っていれば、この発言は決してしなかっただろうが、驚きの連続のせいで気が緩んでいたとしかいいようがない。

 もっとも、大臣の目の色が変わったのを見て、ポップはしまったとは思ったのだが、もう遅かった。

「ほう……? ポップ殿、貴殿のお母上の名はスティーヌと申されるのか?! では、お父上の名は? まさか、ジャンクというのでは?!」

 ほとんど詰問じみた響きすら感じさせるその問いに、ポップは少し詰まりつつも正直に答えることにした。
 嘘をついてごまかすことも考えないではなかったが、少し調べればすぐに分かることだ。


「い、いや、父上なんて偉そうなモンじゃないスけど、確かに親父の名前はジャンクっていいますけど……」

 そう答えた途端、大臣の目がぎろっと思いっきりポップを睨みつける。その目を見て、ポップは今こそ確信していた。

(あちゃー、やっぱりこの人だったんだな)

 父のジャンクがベンガーナの宮廷鍛治職人であり、大臣をぶん殴ってやめたという話は以前にちらりと聞いた。
 そのせいでベンガーナに来てからというものの、父の知り合いなどにあったら気まずいだろうなと思い、両親の話は伏せるようにしていた。

 特に、自分をどこかうさん臭げな目で見ているベンガーナ大臣には知られない方がいいだろうとは思っていた。きちんと調べたわけではないから、ジャンクが殴った相手が今もベンガーナ王の隣にいるこの大臣かどうかなど分からなかったのだが、どうやら嫌な方向で大当たりだったらしい。

 しかも大臣の方も確実にジャンクのことを覚えているのだろう、ポップを見る目に尚更に険しさが増す。

(ううっ、これ、確実に覚えてるよ、しかも根に持たれてるよっ!! 親父も余計なことをしてくれたもんだぜ……!)

 思えば、大臣はこれまでも常にポップに注目の視線を向け続けていた。
 これまでは親の面影を残すポップを見て、はっきりとは思い出せないながらも引っ掛かる物を感じていただろう。

 それがこれからは意識的な物になるかと思えば目まいもするが、ポップに対して親の面影を求めていて見つめ続けていた者は残念ながら大臣一人だけではなかった。

「……ああ! やっと分かりましたよ、大魔道士様を見ているとどこかでお会いしたことがあるような気がするわけが!
 驚きました、本当にこの絵にそっくりだったんですね」

「こんなにもそっくりなのに、本当になぜ今まで気がつかなかったのか……! 自分の目の節穴さ加減が悔しいぐらいですよ」

 などと、兵士達が口々にそんなことを言いながら、わらわらとよってくる。それだけなら別にいいのだが、問題はその目だった。

 がっかりしたとか、なぁんだ程度の視線が向けられるのなら、まだ理解できる。が、ポップにとって理解できないのは、彼らの目が妙に熱を帯びているというか、憧れを含んだものであることだ。

 絵の中の少女に向けていたのと同じ眼差しを、そのままそっくりと自分へと向けられている――そう思ったのは、ポップの被害妄想とは言い切れないだろう。

「それにしても……大魔道士様、髪を伸ばされた方がお似合いですね。短くしたままだなんて勿体ない、お延ばしになられないのですか?」

 などと言い出す兵士まで出てくる始末である。

(じょ、冗談じゃねえっ!!)

 今までとは違った意味での視線に集中されてポップが焦りまくる気も知らず、すぐ側にいるムッシュとベンガーナ王は呑気なものだ。

「どうでしょう、モデルになっていただけませんか? なに、大丈夫です、今の君ならば女装せずとも十分に女性モデルになれます、このわたくしが保証しますとも!
 我が愛しのモデル、マドモアゼル・スティーヌことひなげしの君の息子さんならば尚のこと、腕に縒をかけて素晴らしい作品に仕上げて見せますぞ!」

「はっはっは、知らなかったがポップ君は意外と我が国と繋がりが深かったのだな! 
 偶然にしても凄い確率だ、まさに大穴ものだと思わないかな、うん? これも何かの縁だと思って、ベンガーナに仕えてもらう件を考え直してはくれないかな? もちろん、報酬は弾ませてもらうよ、わっははは!」

 その場にいる男性の熱っぽい視線を一身に集め、王と美人画で有名な画家から熱心に勧誘を受ける――女性であればこれ以上ない栄光の場と言えるだろう。
 が、男のポップにしてみれば悪夢以外のなにもでもない。

(ああ……なんで、おれがこんな目にっ?! こんな目に遭うぐらいなら、ベンガーナになんか来なきゃよかったぜ……!)

 しみじみとそう思いつつ、ポップは外に出さないように深く、深く溜め息をついたのだった――。 

                                          END



《後書き》

 ポップのベンガーナ留学編のお話で、ムッシュ・カタールとの初めての出会いになります♪
 オリキャラながら意外なぐらいのコメントをいただけたムッシュは、書いてても非常に楽しいキャラクターです。

 裏でポップがムッシュにモデルに迫られて苦労したり、ベンガーナに行きたがらなかったりする話を幾つか書いていますが、その発端としてこんなシーンを前々から考えていたんです。

 ベンガーナ兵士から見れば、ポップは憧れていたアイドルに瓜二つの息子であり、ちょっと気になる存在なんでしょうね。

 まあ、ほとんどの兵士はノーマルなので別にポップにちょっかいを出す気はないので表におきましたが、積極的だったり、血迷ったりする兵士が出たら即座に裏行きになりそうな気がします(笑)

 

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