『魔法使いはご機嫌ななめ』 |
さて、いったいどうすればいいものか――。 と言うよりも、途方に暮れていたと言った方が正しいかもしれない。 しかし、それが表情には全くと言っていいほど現れないのが彼の悲劇というものか。傍から見ただけでは、ヒュンケルの様子は普段とは全く変化が見られない。 それとは対照的に、彼の少し前を歩いているポップが妙に無表情なままで無言を押し通すのは非常に珍しい光景だ。 だが、今日のポップはやけに機嫌が悪い。 だが、ごく一部の例外というものはあるものだ。 誰かと楽しそうに笑って話していた直後でさえ、ヒュンケルと顔を合わせた途端にポップのご機嫌は急転直下する。 ヒュンケルに対してはポップはいつだって反発するし、話すにしてもケンカでも売っているような口調だ。さらに機嫌が悪い時は目が合うだけで露骨に顔をしかめるし、やることなすことにまでケチをつける始末だ。 だが、ヒュンケルはたいしてそれを気にはしていない。 意地っ張りな弟弟子が自分に対してだけそんな態度を取るのに、ヒュンケルはすっかりと慣れっこになっている。 「ポップ」 少し足を速めて彼と並んでから声をかけると、その途端、ポップは噛みつくように怒鳴りつけてくる。 「なんだよっ!? 隣に立つなって、言ってんだろっ! おれから離れてろよっ!!」 無茶にも程のあるその要求に、ヒュンケルは内心困らずにはいられない。 ヒュンケル的には、少し離れて後ろからついていくだけでも多大な譲歩である。 「ポップ、そろそろ昼飯の時間になるが、何か食べないか?」 「余計なお世話だ! おれは腹なんか減ってねえんだよ、食べたきゃおまえが勝手に食いにいけよっ!」 半ば予測していたとはいえ、けんもほろろな返事にヒュンケルは表にはまったくださないまま溜め息をつく。 別に、ヒュンケルはいい。 大魔道士ポップが、ここ数日はみょうにそわそわしていて食欲が落ちている――見張りの兵士から上がってきたその報告に、ヒュンケルはずいぶんと悩んだ。 明らかな体調の崩れが伺える場合は、すぐにレオナや侍医に報告する必要がある。元はといえばポップに体調悪化の兆しが見えたら逐一報告する様にと命令したのは、国主であるレオナなのだから。 が、今回の場合、ポップは元気なことは元気だったし、意外にも部下達が心配はいらないのでは、と口を揃えて進言してきた。 『ま、この時期の若い男の挙動不審なら心配はいりやせんと思いますがね。よくあることですよ。多分、明日が過ぎればケロッと治るんじゃないスか? ま、もしかすると一層悪化するって可能性も……なんて言ったら、大魔道士様に失礼ですけどね』 副長が訳知り顔でそんなことを言っていたし、なぜか部下達も一同そろって同じ意見だったのでヒュンケルはとりあえず様子を見ることにした。 せっかくの休みなのに迷惑だからついてくるなとポップ本人には文句を言われたりもしたが、ヒュンケルにしてみればポップの体調が最優先事項だ。 対象者の健康管理も護衛の仕事の範囲内だとヒュンケルは考えているし、個人的に兄弟子として心配だと思う気持ちもある。 食べ盛りの年齢のはずなのに、ポップは至って食が細い。それが生来のものではなく、大戦の時に禁呪の影響で体調を崩して以来目立ち始めた傾向だと知っているだけに、心配だった。 ただでさえ体力がある方ではないのに、食事を抜けばますます体力を失うのは自明の理だ。 そう思ってポップの後をついて歩きながらも、ヒュンケルの疑問は尽きない。 しかし、普段のポップなら休みの日は普段の睡眠不足解消とばかりにゴロゴロ寝ているか、それともダイと一緒に城の外へ遊びに行くか……ほとんどがその二択だ。 まだ、何か目的があって移動しているのならば理解できるが、今日のポップはどう見ても適当にうろついているとしか言い様がない。 なにしろ道順もメチャクチャだし、同じ場所を二度、三度と移動していたりもする。特に城門付近が気になるのか、何度となくその辺りを移動する動きはもう一人の弟弟子を思い出させるなと、ヒュンケルは思う。 他ならぬポップが外出して帰りが遅れている時には、ダイがそれを気にしてうろうろとパプニカ城門辺りをうろつく光景はもはやパプニカの日常の一つだ。 そもそもダイを待っているとも思えない。なにしろ、ダイは今日は城から出ていないのだから。 まあ、ダイがポップのところに全く顔を出さずにいるというのも珍しいが、今日はレオナが特別にダイに用があると言って呼び出したのを知っているだけに、ヒュンケルは深くは悩まなかった。 レオナの目的は分からないが、レオナの頼みごとをダイが断れるはずがないと分かりきっている。 (いったい、何があったんだ?) ヒュンケルは顔には全く出さないまま、こっそりと心の奥だけで溜め息をつく。 ヒュンケルとしては、いくら思い返したところで全く心当たりがないのだが、ヒュンケルにとっては何の気なしにしたことや一言が、なぜかポップの機嫌を猛烈に損ねることはよくあることである。 いったい何が原因なのかさっぱり分からないのでは、対策を採ることすらできない。 「あ、あの……っ、ヒュンケル様っ」 名を呼ばれてそちらに目をやれば、見知らぬ女性がやけにもじもじしながら自分を見上げているのが見えた。 「オレに何か用か?」 「は、はい」 彼女の手にあるのは、小さな箱だった。綺麗にラッピングされ、リボンのかけられたその箱は、一見するとプレゼントか何かの様に見える。 「あの……こ、これを受け取ってほしいんです……っ!」 思い詰めた表情と共に近衛騎士隊長である自分に差し出されるプレゼント型の包みを見て、ヒュンケルに思い当たる予測はたった一つだけだった。 「不審物か?」 城内で不審な物を発見し、警備担当者に渡そうとしている――ヒュンケルは咄嗟にそう思った。 たいして痛くはなかったが、なぜそうされるのかが分からなくてヒュンケルは軽く眉を寄せる。 「何をする?」 「それはおれの台詞だっ、この唐変木っ!! なんでそんな発想になるんだよっ、おまえへのプレゼントに決まっているだろうがっ」 女の子には聞こえない程度の小声で罵るという、極めて難しそうなことをしてのけた弟弟子の意見に、ヒュンケルの混乱はますます深まる。 「あの、ご迷惑かもしれませんが、これを……受け取ってはいただけないでしょうか?」 そう言って差し出された包みを前に、ヒュンケルは一瞬躊躇する。 たいした荷物ではないとは言え、いざと言う時にいつでも武器を手に出来る様にするのが戦士の定石だ。護衛という仕事をしている以上、ヒュンケルはたとえわずかでも手を抜く気はなかった。 「すまないが、今は任務中だ」 そこまで言った途端、サッと彼女の表情が劇的に変わる。 「え…ええ、分かっていました、ヒュンケル様の側には素敵な人が何人もおられますし、とても私なんかじゃ……あ、ご、ごめんなさいっ」 最後まで言い終わらないうちに、彼女の大きな目から涙が零れ落ちかける。が、それが零れ落ちる前に彼女は素早く走り去ってしまったので、ヒュンケルは言葉の続きを結局言えないままだった。 (私用なら、仕事が終わってからにしてくれというつもりだったのだが……) いったい何の用事だったのかと首を捻るヒュンケルを、ポップが非難がましい目で一瞥する。 「あーあ、ひっでえなぁ。おまえなぁ、なにメリッサちゃんを泣かせてるんだよ」 やはり今のは自分が泣かせたことになるのだろうかと悩みつつ、ヒュンケルはとりあえず聞いてみた。 「今の女は、おまえの知り合いか?」 ヒュンケルとしては疑問をただ口にしただけなのだが、聞いた途端、ポップが噛みつく様な勢いで文句を付けてくる。 「はあっ!? 信じられねーっ、メリッサちゃんって言えば侍女で人気ナンバーワンの娘じゃんかよっ、なんで分からねえんだよ、てめえはっ!?」 (侍女……だったのか、今のは) 私服だし化粧もしているから一瞬見知らぬ女かと思ったが、よくよく考えてみれば彼女はどこかで見た顔だった。そう言えばパプニカ城で働いている侍女の一人だったかなと、今更ながら思い出す。 まあ、ろくに話した覚えもないので、顔もうろ覚えな上に名前すら知らないのは変わりはないのだが。 どちらにせよヒュンケルの感覚から言えば、プレゼントをもらえるような間柄とは思えない。それなのになぜ、彼女がわざわざ自分にプレゼントを渡そうとしたのかヒュンケルには疑問だった。 しかも、さらに疑問なことに、今日ヒュンケルにプレゼントを渡そうなどとする娘は、彼女が最初でも最後でもなかった。 「あ、あのぉー、ヒュンケル様?」 どこから沸いてくるのやら、もじもじと何やら包みを手にした少女がまたもや声を掛けてくる。 「勝手にやってろよ、おれ、外に行くからな!」 ったく、やってられるかよ、などとぶつくさ言いながらポップが足音も荒く歩きだすのを見て、ヒュンケルは慌てて片手を上げて断りの意思を示す。 「すまない、今は急ぐから」 やけにがっかりした表情になる少女を置き去りにして、ヒュンケルは急ぎ足で弟弟子の後を追う。 ヒュンケルにとって、今日はずっとこんなことばかりだ。 (いったい、今日はなんなんだ?) そんな疑問がちらっと頭を過ぎったものの、今はポップの方が問題だ。ポップが城の外に出たら面倒だと思ったのだが、思いもかけない人影が行く先を遮る。 「あっ、先生っ!!」 アバンの姿を見た途端、ポップは今までの不機嫌面はどこにやったやら、パッと顔を輝かせて彼の側に駆け寄った。 「おや、ポップじゃないですか、それにヒュンケルも。どうしたんですか、こんなところで」 (………………それはこちらのセリフなのだが) 口には出さないものの、ヒュンケルは心の底から突っ込まずにはいられない。 にも拘らず、ガイドブックを片手にパプニカ城内を気楽にうろうろしていていいものだろうか。 「先生こそ! よりによって今日、なんでこんな所にいるんですか? フローラ様はいいんですか?」 「今日だからですよ。 くすくすと楽しそうに笑うアバンの言葉の意味が分からなくて、ヒュンケルはやや疑問に思う。 普通の主婦と違い、女王であるフローラが台所に立つことはめったにはあるまい。だが、アバンは人一倍の料理上手であり、料理が趣味の男だ。王になった今でさえ、時々台所で料理を作りたがって部下達を困らせていると聞く。 そんなアバンなら妻が手料理を作るのなら進んで手伝いたがりそうなものだが、なぜ留守にするのが礼儀なのかさっぱり分からない。 「ははは、それはそれは。それなら、ダイ君は今日は姫と一緒にいるのが男の礼儀と言うものでしょうね。 と、アバンはそこでもったいぶって言葉を切ると、ことさら悪戯めかしたウィンクを送る。 「マァムからの伝言です。今日の夕方頃に、是非自分のところに来てほしいそうですよ。あなたに渡したいものがあるそうです」 「…………!」 その言葉の効果は、まさに劇的だった。 「な、なぁーんだ、マァムの奴、やっぱり……! それだったら早く言えばいいのによ、ちょっと心配しちまったじゃねえか。あ、いや、絶対大丈夫だと思ってたけどさー」 聞かれてもいないことを、早口に勝手に喋っているポップは自分が矛盾したことを言っている自覚もないらしい。 「あ、ヒュンケルやダイ君も、連れてこれるものなら連れてきてほしいと言っていましたよ」 ついでのように付け足したアバンのその言葉さえ、一気に浮上したポップの機嫌を損ねるには至らなかった。 「えー、こいつも? ま、いいですけど……でも、ダイはどうかなぁ」 などと首を捻っているポップの肩を、アバンが軽く叩く。 「ところでポップ、もうお昼はすませましたか? まだなのでしたら、私、パプニカで行きたい店があるんですけど」 「え? あー、そう言えば……昼飯なんてすっかり忘れてたっけ」 「いけませんね、食べ盛りの男の子がそんなことでは。どうです、パプニカ城下町で美味しいランチを出す店があるそうですから、一緒に食べませんか? ちょっと風変わりなパスタが売りなんだそうですよ」 師の誘いには、ポップは二つ返事で元気よく答える。 「わぁ、先生のお薦めですか? それなら、きっと美味しいんだろうな。もちろん行きますよ!」 ……ヒュンケルに対する態度とは、雲泥の差である。だが、ポップが食べる気になったのならそれはそれでいいと思い、ヒュンケルは特に口出しはしなかった。 「ええ、期待してもらっちゃっていいですよー。それにあそこの新作のデザートは、きっとポップも気に入りますよ〜。新鮮なブルーベリーをたっぷりと使ったレアチーズなんですよ。 「いや、オレは別に……」
「なに言ってるんだよ、てめえ、さっき腹が減ったって言っていたじゃねえかよ。せっかくアバン先生も来てくれたんだし、昼飯に行こうぜ」 口調こそはいささかぶっきらぼうだが、ポップがこんな風にヒュンケルも誘うのはよほど機嫌がいい時だけだ。 「ああ、相伴しよう」 女の子達の不審なプレゼントやらポップの機嫌の上下っぷりに疑問は残しつつも、ヒュンケルは師弟と肩を並べて仲良く歩きだす。 (本当に、今日は何か特別な日なのだろうか?) などと、一人でこっそりを思い悩むヒュンケルは、今日がバレンタイン・デーだということを未だに理解してはいなかった――。 《後書き》 すごく久々に書いたバレンタインネタです♪ 設定的にはメインルート設定なのですが、すでにメインでストーリーに沿った続き物のバレンタイン話を二年分書いているので、こちらはアナザーワールドです。 場合によっては、こんなバレンタインもあったかもしれない程度に楽しんでくださいませ。 というか、この話ではヒュンケルって、バレンタイン・デーの存在を知っているかどうかも怪しいですね。 しかし、今、気がつきましたが、今まで一度も甘々バレンタインを書いたことがないですねー。(笑) 『おまけ お姫様は上機嫌』 「ねえ、レオナ……おれ、まだこっから出ちゃいけないの?」 世にも情けない表情で、勇者様はぽつんと呟く。 何しろ、レオナが上機嫌に手料理を作る一部始終を見せつけられているのだから。 「だーめ♪ お料理が終わるまでは、そこでじっと見ていてね♪ ダイ君、料理を作っているところを見ているのって、好きでしょ?」 やたらと機嫌のいいレオナの言葉に、ダイはちょっと眉をしかめながらも頷いた。 「うん」 確かにダイは、ポップやアバンが料理をするのを見ているのは好きだ。料理と言うのは思っている以上に時間が掛かる物も多いのだが、出来上がるのを待っている時間を退屈だと思ったことはない。 だが、レオナの料理は――二人とは違った意味で退屈とは縁遠かった。 なにしろ、ボールに何かを入れて泡立て器で掻き混ぜているだけだというのに、シュウシュウと変な音を立てながら黙々と黒い煙を上げつつ、異臭を漂わせているのだから。 ポップやアバンの鮮やかな料理の手並みを見ていると、それが夢か魔法みたいだと思うことは何度かあったが、今のレオナの料理もある意味で同じだ。 (あれ……やっぱり、おれが食べないといけないんだよね? だ、大丈夫……っ、おれは竜の騎士なんだから……!) 考えるだけで背筋が震えるのを感じながらも、ダイは必死に自分で自分に言い聞かせる。普段は忙しいレオナがわざわざダイのために手作り料理を作ってくれているのだ、その気持ちはすごく嬉しい。 そのレオナの気持ちに報いるためには、彼女の手料理を残さずに食べるのが一番だと分かっている。 死すら覚悟した悲愴な顔で、ダイは死刑執行の瞬間を待ち受ける受刑者の様に神妙に、台所の片隅にいるしかない。 END 《後書き2》 …なんだか今までで一番、ダイがものすごく気の毒なバレンタイン話になったような気がしますが、多分気のせいでしょう(笑) |