『無駄な特訓』 |
「……?」 その夜、いつものように勤務を終えて自室に戻ってきたヒュンケルは思わず目を丸くする。 「遅い!」 開口一番、不機嫌そうにそう言ってのける侵入者がいたからだ。 あまりにも図々しすぎる侵入者だが、ヒュンケルは別に咎める気などなかった。 第一咎めるも何も、ヒュンケルの部屋には鍵すらかけていない。魔王軍育ちで少しばかり常識がピントはずれなヒュンケルには、未だに留守中に自室に鍵をかけるという習慣はない。 周囲から不用心だと言われることもあるが、ヒュンケルにしてみれば自分がいない時に誰かが勝手に部屋に入っても、別に問題とは思わない。 ロン・ベルクからもらった剣は城の武器庫で保管してもらっているし、城の警備に関わる様な書類などは近衛隊室に置いてある。 ヒュンケルが自室に置いている私物は、特になくなっても困りもしないものばかりだ。給料でさえ無造作に箪笥に放り込みっぱなしにしているヒュンケルには、たとえそれがなくなったとしてもすぐに気づきもしないだろう。 そんなわけでヒュンケルの部屋はその気になれば誰でも出入り自由なのだが、実際にはほとんど人が来ることなどない。 それに、ヒュンケルは自室にいる時間は長くはない。寝る時に戻るぐらいのもので、外にいる時間の方がはるかに長い。 実際、何時もならば彼も必ずそうしている。なのに、なぜわざわざ今日は自室で待ち伏せしているのか……疑問に思いながら、ヒュンケルは侵入者に声をかけた。 「それはすまなかった。おまえがここにいるとは、夢にも思わなかったからな――ポップ」 弟弟子にそう声を掛けたのは、皮肉ではなく本心だった。 珍しいこともあるものだと思いながら、ヒュンケルは弟弟子を見やる。 禁呪に手を出して以来、ポップの食が細くなったのを知っているヒュンケルにしてみれば、彼が何かを食べているのを邪魔をする気は一切ない。 「なにか、用でもあるのか?」 「あたりまえだろ! 用がなきゃ、わざわざこんなとこに来るもんか」 勝手に人の部屋に押しかけておいてたいした言い分だが、ポップがヒュンケルに突っ掛かってくるのはいつものことなだけに、彼はさして気にもしなかった。 それよりも気になるのは、ポップの用事の方だ。 探すほどの急用ではないのだとしても、ポップとヒュンケルが顔を合わせる機会は多い。レオナの意向で、お茶や夕食などは極力仲間達が顔を合わせる様にしているし、仕事上ヒュンケルがポップの執務室に行くことは度々ある。 今日だってそうだ。 だがその時は何時も通り悪態はついていただけで、結局は何も言っていなかったのだが。 (よほど重要か……あるいはダイや姫には秘密にしておきたい話でもあるのか?) そんな不吉な予測が、脳裏を過ぎる。 「……なんの用だ?」 「なんだよ、そんなに警戒した顔しやがって。別に、たいした用じゃねえよ。ただ、ちょっとばかり頼みがあるからきただけだろ」 「頼み?」 今度のヒュンケルの驚きは、正直、不法侵入者を発見した時よりも大きかった。 「ああ。まずは、鍵をかけろよ」 そう言いながら、ポップは勝手に窓を閉めてついでにカーテンも厳重に引く。わけが分からないながらも、ヒュンケルもとりあえず言われるままに部屋に鍵をかける。 だが、困惑は強くなるばかりだった。 「本当に、何の用事なんだ?」 「いいから、椅子をこっちに持ってきて座れよ。あ、もっと近くに寄せろって」 珍しいこともあるものだと思いながら、ヒュンケルは言われた通りに部屋で唯一の椅子をベッドの横に持ってきて座る。 「これでいいのか?」 「ああ。で、おまえ、そこで寝ろよ」 「……ここでか?」 そう聞き返す声に、いささかの非難と呆れが混じるのは仕方がないことだろう。 極上のベッドの上でなければ眠るのは嫌だなどと贅沢を言う気はないし、場所が足りなければ椅子に座ったままで眠るなんて経験もなかったわけではない。 が、緊急時や旅先ならまだしも、なぜよりによって自分の部屋の自分のベッドの横で、わざわざ椅子に座って眠らなければならないのだろうか。 「ああ、そこで寝ろって。あ、心配するなよ、何も一晩中そうしろなんて言わないからよ。後でちゃんとベッドは返すから」 そのポップのフォローは、少しもヒュンケルの心配を減じてなどくれやしない。そもそも心配のポイントが思いっきり明後日の方向にずれまくっているのである。 ヒュンケルにしてみれば、自分の寝心地やらベッドなどどうでもいい。 「……だから、何の用事なんだ?」 「だから、別にたいした用事じゃないって言ってんだろ! 危険なことをしようってわけでもないんだしいちいち警戒すんなよ、おれがおまえに何かするとでも思ってんのかよ!?」 「いや、それはないが」 と、ヒュンケルは即答する。 だが、ポップが自分自身にとって何か危険なことをするかもしれないという危機感なら、ないわけではない。むしろ、それこそが心配だった。 大体のところ、ポップは基本的に自覚が足りないのである。 少しでも無理をすれば体調を崩してしまうし、最悪の場合には命に係わる可能性もある……仲間達にとっては決して忘れられないその事実を、ポップは今一つ自覚している様子がない。 本来ならば療養に近い形で穏やかな日常生活を送っていなければいけないはずなのに、仕事が忙しくなってくると食事抜きで働き続けたり、徹夜を重ねるなんて真似をして体調を崩すのもしばしばだ。 ついこの前も、ポップはそんな風に無理を重ねたせいで体調を崩して寝込んだばかりである。もう治ったとはいえ、病み上がりなのに夜中に薄着でふらふらしているようでは、反省や自覚が足りているとはとても言えまい。 自分の身体をちゃんと労わるかどうか――その意味では、ヒュンケルはこの弟弟子を全く信頼してはいなかった。 「何をする気かは知らないが、無理をするな。特に魔法はやめておけ」 とりあえず最大心配事項に釘をさすと、ポップは大いに機嫌を悪くしてむくれたように怒鳴る。 「使わねえよ! つーか、使わなくても済む様に練習するだけなんだから、問題ねえって! いいから、ぐだぐだ言ってないでさっさと寝ろよっ」 と、言われたところで、寝ろと言われてすぐに眠れるようなら苦労をするわけがない。だが、とりあえずヒュンケルはポップに言われた通り大人しく座ったまま目を閉じることにした。 が、言われた通りにしたというのに、それはそれでポップのお気には召さなかったらしい。 「おめえはそんな寝にくそうな格好で寝るのかよっ!? 枕もとで寝るなら、普通、ベッドに突っ伏すとかしねえのかよっ!?」 (普通、と言われてもな) なぜポップが怒っているのか分からないし、そもそも座っている時に眠る姿勢に普通も自然もあるものかどうかなど、ヒュンケルには疑問だった。 確かにポップなどが執務室で居眠りをする時などは、腕を枕代わりにして突っ伏して眠っているのはよく見かけるが、ヒュンケル的にはそんな姿勢を取りたいとも思わない。 眠りやすくはなるかもしれないが、そんな姿勢で長時間眠れば腕がしびれかねない。戦士にとって、いざ戦いの時に腕がしびれでもしたら目も当てられない。 それぐらいなら普通に腰かけたまま眠る方がましだと思っただけだが、ポップの意見は違うらしい。面倒な奴だと思いながらも、ヒュンケルは逆らわずに素直にベッドの端に顔を伏せる形に突っ伏した。 「……ヒュンケル、寝たのか?」 しばらく経ってポップがそう尋ねた時、ヒュンケルは返事はしなかった。実際には寝てなどいないのだが、ポップが自分に眠っていてほしがっているのだけは分かる。 だからヒュンケルは内心馬鹿馬鹿しいと思いつつも、寝たふりを貫く。 が、ポップは他人の気配にはそこまで敏感ではない。返事をしないで寝息を整えたふりをしているだけで、どうやらヒュンケルが本当に眠ったと思ってくれたらしい。 ごそごそとポップが動く気配がしたかと思うと、細い手が自分の身体に触れてくる。どこを触ればいいのか決めかねているように、ペタペタと自分に触れてくるその手がくすぐったかったが、ヒュンケルはとりあえず沈黙を保つ。 (練習とか言っていたようだが、いったい何をする気なんだ?) そう考えるヒュンケルの疑問は、割とすぐに氷解した。 「ぐ……っ」 呻き声を漏らすほど真剣に引っ張っているポップには悪いが、それ以上はなんともならない。寝たふりを決め込んだまま、ヒュンケルは一人、頭を悩ませた。 (……いったい、どうすればいいんだ?) どうやら、ポップが自分をベッドの上に引き上げようとしているらしい。理由はともかくとして、そこまでは理解できる。 だがどんなに頑張ろうとも、ポップの腕力では自分以上の体格の男をベッドの上に運び上げるなど到底不可能と言うものだ。このままでは相手をベッドの上に引き上げるどころか、かえって椅子から引きずり落とそうとしているようなものである。 実際にはヒュンケルは眠っていないからいいようなものの、もし無抵抗な睡眠中にこんな真似をされればあっさりと椅子から滑り落ちるか、でなければ目を覚まして文句を言うかのどちらかだろう。 せっかく頑張っていることを邪魔してポップを怒らせたくはないが、かといってこのまま不可能なことに挑戦させて無駄に力を使わせ続けるのもいかがなものか。 己の態度を決めかねて悩むヒュンケルよりも、ポップが短気さを起こす方が早かった。 「ああ、くそっ」 小さく舌打ちをしたかと思うと、突然、身体が微妙に浮き上がるのを感じる。通常ではありえないその現象に気が付いた途端、ヒュンケルは寝たふりなどかなぐり捨ててポップの腕を逆に掴み返した。 「おい」 「うわぁっ!?」 急にヒュンケルが動いたのにびっくりしたせいか、ポップは魔法の力をとだえさせた。それと同時に手の力も抜けたらしく、バランスが崩れたヒュンケルの身体が崩れ落ちる。 アッと思う間もなく、ヒュンケルとポップはもつれ合って床の上に転げ落ちる羽目になった。とっさにできるだけ庇ったものの、それでも痛みを感じたのかポップが早速文句をつけてくる。 「いちちっ、痛えだろうが!! なんだよっ、急に動かないでおとなしく寝てろよっ、びっくりするじゃねえか!」 そういわれても最初から寝てなどいないし、たとえ寝ていたとしてもあれだけされて起きない奴がいたら顔を見てみたいものである。そんな文句が頭に浮かんだが、ヒュンケルが口にしたのは最優先事項だった。 「魔法はやめておけと言ったはずだ」 ヒュンケルにしてみれば、そこは譲れない。 「おれだって使う気なんかなかったよっ、けど、てめえが重すぎるのが悪いんだろうがっ! くそっ、見た目は細い感じなのにおまえ、どんだけ筋肉を蓄えてりゃ気が済むんだよっ!? ああ、もう、ムカつくぜっ、まったくおめえと言い、ダイと言い育ちすぎなんだよ――っ!!」 「ダイ? この件に、ダイが関係があるのか?」 ポップの文句を聞きなれているヒュンケルは、彼の剣幕に左右されずに重要事項を聞き逃さない。それが的を射た指摘である証拠に、ポップがしまったと言わんばかりの表情を浮かべる。 そんなポップを引き起こしてベッドの上に座らせてから、ヒュンケルは改めて椅子に座りなおして彼を真正面から見つめていった。 「いい加減、理由ぐらい話せ」 ここまで迷惑をかけられた上に意味不明の特訓に付き合わされたのだから、話を聞く権利ぐらいはあるはずだ――口には出さなかったヒュンケルのその意向を、ポップは敏感に察したらしい。不満そうながらも、ポップはしぶしぶ口を割った。 「別に、大層な話なんかじゃねえよ! だからよ、こないだ寝込んだ時にちょっと……失敗しちまったから、練習しようと思っただけだってぇの」 (ああ、あの時は大変だったな……) ほんの少し前に起こったばかりの騒動を振り返り、ヒュンケルは思わず眉を潜める。 ポップの体調の悪化について詳しく知っている者は、仲間内でもそう多くはいない。なによりもポップ本人がたいしたことじゃないからと、他人に打ち明けるのを嫌がったのだ。 ヒュンケルからしてみれば、ダイやマァムのようにポップにごく親しい仲間にさえ事実を伏せておくのはあまりいい気分がするものではない。むしろきちんと教えて、ポップが無理をしないように気を付けて欲しいと思う気持ちがある。 だが、ポップは断固としてそれは黙っていてくれと主張した。 その主張にヒュンケルばかりでなくレオナも、眉を思いっきり吊り上げたものだ。 だが、それでもダイ達にはポップの体調については伏せておくことでしぶし が、この間はそのせいで思いっきり裏目にでてしまった。 ヒュンケルの知る限りでもポップの傍につきっきりだったダイは、どうやら夜もポップの様子が心配だったようだ。夜、ふと目を覚ましたポップが気が付くと、ダイが枕元の椅子に座リ込んで、ベッドに突っ伏して寝込んでいたらしい。 「あのバカときたら、パジャマのままでそんな真似してんだぜ。毛布も掛けねえで、風邪をひくってえの。だから、布団の中に入れてやろうと思ったのによ……」 言いにくそうに言葉を濁す先を、ヒュンケルは追求しないでおいてやった。別に、聞かなくても簡単に推測できることだ。 (失敗したんだな) 看病に疲れて寝込んだ看護人を気遣うのは、いかにもポップならやりそうなことだ。正直に言えば病人本人はおとなしく寝ていてほしいと思うが、まあ、その思いやり自体は評価しよう。 その際、単に毛布を掛けるだけでなく、ベッドに寝かせたいと思う気持ちも分からないでもない。その方が身体にはずっと楽だし、熟睡もできる。ダイとポップは大戦のころから一緒のベッドに寝ることはちょくちょくあったのだから、その点でも問題あるまい。 ポップが、ダイを抱き上げてベッドに寝かせる――大戦の頃だったのなら、それも可能だっただろう。 なんといっても、成長期の頃の3才差は大きい。当時から腕力的にはダイの方が上だったとはいえ、ポップが自分よりも一回り小柄だったダイをおんぶしたり運んだりするのは可能だったし、実際にヒュンケルも見たことがある。 だが、今となってはそれも無理のある話だ。 成長期の男の子にとっては、2年というのも大きいものだ。特にダイの成長ぶりは目覚ましく、随分と背丈が伸びた。しかし……ポップの方はそこまで健やかに成長したとはいいがたかった。 元々細身だった上に、魔王軍との戦いの無茶が祟って成長が滞りがちだったポップは、ダイに比べればさして成長しなかった。 結果的に、ダイとポップの背格好は現在のところほぼ並んでしまっているのである。同年代の女子ならまだしも、同年代の男子を持ち上げるような腕力はポップにはない。 魔法力を使って相手を微妙に浮かせるという裏ワザを使えばできるかもしれないが、ヒュンケルとしては決して賛成できる手段ではない。それに、ポップの自室は魔法を使用すれば兵士達にすぐ伝わるシステムになっている。事実上、あの部屋にいる限りは魔法は使用できまい。 となれば、ポップが最初に言ったように自力だけでやるしかあるまいが――。 (無理だな) ポップが望むならいくらでも協力はしてやるつもりだが、おそらくいくら練習しようか特訓しようが同じだろう。 事情や理由は分かったが、解決の糸口など全く思いあたらない。ポップの体調を考えればこの先二度と寝込まない保障などないし、また、ダイの性格を思えばポップが寝込んで心配しないはずもない。似たような状況が発生する可能性は大きそうだ。 ポップだってそう思ったからこそ、わざわざ普段はよりつかないヒュンケルの部屋に押しかけてまで、特訓しておこうと思ったのだろう。そこまでは、理解した。 (……こいつは、どうしてこうなんだろうな) ポップときたら、相変わらず自分が見えていない。他人ばかり心配しすぎて、自分の心配という点がコロリと抜けているのである。 「無駄なことは、やめろ。次は、素直にダイを起こせ」 「……てんめぇわ〜っ! どうして言うことがエラそうな上にムカつく言い方しかできねえんだよっ!?」 その後、ぷんぷんに腹を立ててヒュンケルの部屋を飛び出していったポップが、同じ用件でヒュンケルの部屋を訪ねてくることは二度となかった。 懲りないポップはその後も何度となく同じことを繰り返したから同じような状態は幾度か発生したが、ヒュンケルからはあえて聞かなかったせいもあり、ポップがどんな対処方法をとったかは彼は知らないままだ。 ヒュンケルが知っているのは、ダイがポップの看病に押し掛けた日の翌日は、必ずダイもポップと同じベッドで寝ていることと、ポップの寝室に予備の枕が常に用意されるようになったことだけである――。 END 《後書き》 ポップのお間抜けほのぼの日常話です(笑) 以前、裏道場ではダイが枕を持ってポップの部屋に泊まりに来たのに、二次小説道場では枕を持たずにポップの部屋に泊まりに来たことに気が付いたというコメントくださった方がいたのが、この話を思いつくきっかけになりました。 その割には、きっかけと話の内容にあまり関連がないような気がしますけど(笑) |