『最低のプロポーズ』

 

「ねえ、マァム。
 あのね、一つだけ……っ、一つだけでいいから、聞いてもいいかしら?! あなた達って結婚したんでしょ? しかも、できちゃった結婚!
 ポップ君のプロポーズの言葉って、いったいどんなだったの?」

 好奇心に目をきらきらと輝かせながら、身を乗り出して自分に問いかけてくるパプニカ王女の姿に、マァムはくすりと笑わずにはいられなかった。

「変わらないのね、レオナ」

 その言葉は正しいとも、間違っているとも言えた。
 十年近い時を置いて再会した高貴なる友人は、外見は大きく変わっているのだから。以前から可憐で美しいお姫様だったレオナだが、今や大輪の花とも言うべき美しさを誇っていた。

 当時からすでにレオナは美しいと賞賛されるに相応しい美貌を持ち合わせてはいたが、それでも14才の少女には違いなかった。まだ子供っぽさやあどけなさを残す容貌は美しくはあっても完成品とはまだ言えず、むしろこの先の成長の余地を感じさせるものだった。

 花でたとえるのであれば、開きかけた蕾の美とでもいうべきだろうか。だが、今のレオナはそれこそ咲き誇る花だった。体質的なものなのか、背丈はさして伸びずスレンダー気味な体型も当時のイメージに近いが、サイズ的には当時と同じようでいて、似て比なるものだった。

 体型そのものはさしたる変化はなくとも、今のレオナの身体は成熟した女性ならではの優雅な曲線を描いている。落ち着きのある気品も、匂い立つような女らしさも以前とは比べものにならない。

 長い間、王宮とは縁のない庶民の生活を送っていたマァムにしてみれば、目がくらまんばかりの美貌だった。しかも、天性の美貌を引き立てる衣装もまた、並ではなかった。

 レオナの目覚ましいまでの政治手腕で各国が驚くほどの早さで復興したパプニカは、今や世界でも財力的にもっとも恵まれた国の一つだ。

 魔王軍時代とは比べものにならない程、王宮も立派に建て直されている上に、国の象徴であるレオナが身にまとう衣装の豪華さも以前の比ではない。戦いの中で着ていたレオナの衣装は、当時のマァムの目には立派で綺麗な衣装だと認識していたが、今にして思えば略装にすぎなかったらしい。

 今のレオナの着ている衣装は、個人的な友人との面会なだけに簡素な普段着なのだろうが、一般人のマァムの目から見れば驚くほど煌びやかで、華やぎのあるドレスだった。

 だが、そんな気後れしたくなるような完璧な美貌を持ちながら、レオナの口調は昔のままだ。

 思ったことを率直にずばりと言い、聞きにくいことでも平気で聞くところや、お姫様なのにちょっぴりはしたない感じのゴシップを好むところも以前のままだ。そう言う意味では、レオナは少しも変わっていなかった。

 他人の恋愛話が好きで、興味本位で聞きたがる好奇心の強さを丸出しにするレオナは今年で24才になる女性というよりは、当時のままの14才の少女そのままのように楽しげにはしゃいでいる。

「だって、気になるじゃない? ふふっ、なにしろ、相手はあのポップ君だものね−。いったいなんて言ったのか、興味津々よぉ。っていうか、彼にプロポーズする勇気があったのが驚きだわ、ポップ君ってば変なところだけ奥手で根性がないんだもの。
 勇気の使徒なのに肝心なところだけ腰砕けってのはどうかと思うわ」

 容赦なく仲間をけなすその毒舌さえ、華やぎがある。その上、率直すぎて憎めない。そんなところが、ただひたすらに懐かしかった。

(本当に……少しも変わっていないのね)

 16才の頃のマァムならば、レオナのその軽口をそのまま受け止めていただろう。他人の言葉の裏を読むなんてことを、考えもしなかったあの頃のマァムは、良くも悪くも他人の言葉をそのまま信じてしまう単純さがあった。と言うよりも、まだ子供過ぎただけだったのか。

 しかし、今のマァムは26才の女性だ。
 結婚し、一児の母となったマァムには、以前は見えなかったことまで見通せる大人の目を手に入れていた。だからこそ、今のマァムにはレオナの優しさや聡明さが理解できる。

 十年近くもの間、会うどころか連絡さえ取らなかった仲間に対して、レオナが何も思わなかったはずがない。疑問もあるだろうし、なぜ会おうとしなかったのかと不満を感じもしただろう。

 一緒に過ごした期間は短いかもしれないが、マァムは当時の仲間達とは家族以上の固い絆があると信じているし、相手もそう思ってくれていると確信もしている。

 そんな仲間達に対して、こんなにも長い間音信不通だった自分の薄情さを申し訳なく思っている。いくら事情があったからとはいえ、マァムはレオナを結婚式にも招かなかったのだから。

 だが――レオナは、そのことについては一言も触れようとしない。恋愛話ばかりを聞きたがるのは、マァムは話したくないと言うのならば他の事情など聞かなくても構わないと言う、レオナなりの気遣いなのだろう。

 空白の十年の年月など全く存在しないかのように、昔通りの態度で接してくれている。そんな友人の聡明さや気遣いを嬉しく思いながら、マァムはとびっきりの内緒話を打ち明ける口調でレオナの耳に囁きかける。

「そうね、教えてもいいけど、ダイ……あの子には、内緒にしておいてくれる?」

 いつもの癖で普通に呼びかけてから、マァムは少し言い直す。マァムにとって『ダイ』と言う名から真っ先に思い浮かべる少年は、今となってはポップとの間に生まれた我が子の姿の方だ。

 だが、レオナにとって真っ先に思い浮かべる『ダイ』は、勇者ダイの方だろうと、思ったから。実際、ダイの名前を聞いてレオナの瞳の奥に、ちらりと暗い色がよぎったのを見た――ような気がした。

 だが、レオナは持ち前の気丈な明るさで、その迷いを吹っ切ってみせる。はしゃいだ声をあげる彼女からは、一瞬の気鬱などは感じ取れなかった。

「ええ、約束するわ。女の子同士の秘密ってことで!」

「女の子って言っても……、レオナ、私はもう一児の母なんだけど?」

「やーね、相変わらず真面目なんだから! いいのよ、女はいつまで経っても女の子のままでいたいものなの!」

 済ました顔で堂々とそう言い切って見せるレオナに、マァムは吹き出すのをこらえるのがやっとだった。身勝手きわまりない強引な理屈は、いっそ爽快で気持ちがいいほどだ。

 レオナと話していると、自分もまた十年ほど年を遡ったような気さえしてくる。まだ少女だった頃のことを思い出しながら、昔の記憶を辿るのはどこかくすぐったいような心地よさがあった。

「ポップはね、プロポーズの時にこう言ったのよ――『なあ、一緒にならないか』って」

 ポップがそう言った時のことを、マァムは今でもよく覚えている。
 天気のいい、よく晴れ渡った日のことだった。一際太陽が輝いて見える、雲一つない見事な秋晴れの日のことだった。

 あの時、二人は、ネイル村のマァムの家の裏庭にいた。
 いつものようにふらっとやってきたポップは、ずいぶん疲れているように見えたのを覚えている。だが、それはよくあることだった。

 各国の宮廷魔道士として働いているポップはいつでも忙しそうだったし、仕事以外の時間は彼はぶらっと旅に出かけることが多かった。どこに行ったかはめったに教えてくれなかったが、旅から帰ってきた時はいつも疲れた様子を見せていた。

 でもそんな時でもポップはいつでも明るくて、冗談を言ったり、おちゃらけたりしてマァムをいつも笑わせてくれた。

 その日も、そうだった。
 いつものようにマァムをからかい、大げさでとても信じられないような旅の話をした後で、青空を見上げながらポップはぽつりとそう言ったのだ。

「『おれは、やっぱりおまえが好きだ。結婚してくれねえか』とも言っていたわ」

「へええ! 意外と直球じゃない、うわー、びっくりね、ポップ君にそんなセリフを言えるだけの甲斐性があるなんて思いもしなかったわ」

 本気で驚いたようにそう言うレオナの反応がおかしくて、マァムは笑わずにはいられない。

「そうね、私もそう思ったわ。まさかあのポップが、あんなことを言うなんて思いもしなかったもの、びっくりしちゃった。
 思いがけなさすぎて……、私、すぐには答えられなかったの。悪いけどポップが本気なのかなって、少し、心配になったりもしたし」

 当時に感じた少しばかりの後ろめたさを、マァムは懐かしく思い出しながら告白する。

 ポップの気持ちは、マァムはとっくに知っていた。
 魔王軍との戦いの中で告白され、ずいぶんと時間を置いてからマァムもまた、素直な気持ちを返し、二人は付き合いだしたのだから。

 恋人同士となってからだって、ずいぶん経っていた。仲間だった時から信頼できる相手だったポップは、恋人としても信頼を寄せるのに相応しい相手だった。
 ポップの気持ちが一時の遊びなどではなく本気なのは知っていたし、マァムだってそうだった。

 それなのに恋人からのプロポーズに即答できなかったことを、マァムは今も当時も申し訳なく思っている。しかし、レオナの意見はマァムとはまるっきり違っていた。 

「あら、それは全然悪くないわよ。
 結婚は女の一大事よ! 相手が本気かどうか知りたいって思うのは、当然だわ!! だいたいね、恋なんてもんは戦略も大事なの!! 相手の気持ちを確かめるためなら、嘘や駆け引きもアリアリなんだから!」

 勢い込んでそう言ってのけるレオナに、マァムは軽く頷いた。

「そう言ってもらえると、気が楽になるわ。――私も、そうしたの」

「あら、あなたが?」

 意外そうに、レオナが軽く目を見張る。

 それも無理はないだろう、愚直なまでに素直な16才のマァムは、恋の駆け引きや嘘とは無縁の少女だったのだから。嘘なんてずるいと思い、恋愛にはまだ早いと尻込みしている潔癖な少女だった頃の自分を、マァムはつかの間懐かしく思い出す。

 だが、人はいつまでも少女のままではいられない。時と共に、必ず大人になるものだ。
 マァムも、その例外ではなかった。

 ポップにプロポーズされた時のマァムは、19才だった。
 恋人と共に過ごす夜も知り、結婚を意識する女性となったマァムは、無垢な少女のままではなかった。恋人を試したいと思う、女性特有のずるさをちょっぴりとはいえ身につけた頃だった。

「試したっていうよりも、結果的にそうなっちゃったって感じだったけど。
 でも、ポップが私のことが本当に好きかどうか――確かめたかったの。
でもね、ポップっていつもそうだけど、詰めが甘いのよ。私が問い詰めた時に、なんて答えたと思う?」

 悪戯っぽい謎かけは、本気の質問とはほど遠かった。単に話題を続けるための誘い水にすぎない。それが分かっているせいか、レオナの予測も気楽なものだった。

「うーん、そこで『本当に決まっているだろ! おれは世界で一番、マァムを愛している!!』とかなんとか言えるぐらい気の利いた人だったら、あたしもポップ君をぐんと見直しちゃうんだけど」

 でも、そんなことってあり得ないわよねと言わんばかりの表情で言う辺り、レオナはポップを正確に評価しているようだ。

「ふふっ、レオナってやっぱり鋭いのね。ポップったら、こう言ったのよ。『悪ぃ……おれの一番は、多分、ダイなんだ』ってね」

「はぁあっ!?」

 お姫様にしてはいささかはしたない声を上げ、レオナが文字通り目を見開くのをマァムは楽しみながら見つめていた。手放しの驚きっぷりが、無性に嬉しくてたまらない。
 もっと驚かせてみたくて、マァムは声を潜めて楽しげに暴露する。

「おまけに『だから、おめえがヒュンケルを選ぶってんなら……祝福するよ』なんてことまで言ったのよ、信じられる?」

「なにそれっ!? ちょっと、ちょっと、マァム、それってプロポーズとしてはサイテーな部類じゃない!? あなたってば、よくそんなことを言われて結婚する気になったわね」

 本気で憤慨しているレオナがおかしくて、マァムはついに声を立てて笑っていた――。

 

 

 それはポップは18才、マァムは19才の秋だった――。

 ドォオオン――ッ!
 いつもそうだったが彼の登場は突然の上、轟音と同時だった。瞬間移動呪文は、着地する時に独特の着地音がするので有名だが、ポップの着地はいつだってすぐ分かる。

 世界で指折りの魔法使いとなった今でさえ、ポップは瞬間移動呪文の着地を苦手としている。うんと気合いを入れて注意深くやれば別だが、そうでない時のポップの着地はいつだって雑だ。

 ましてや今は本人もよほど焦っていたらしく、着地しそこねて見事に尻餅をついている。が、痛そうに腰を押さえていたのはほんの短い間だけだった。マァムに気がついた途端、ポップはぴょこんと跳ね起きる。

「マァム……ッ!! やっと、見つけたぜ……!」

 肩で息をしながら、ポップが自分の方に駆け寄ってくるのを見た時、マァムは驚かなかった。ただ、少しばかり意外だっただけだ。

「よくここが分かったわね」

 そこはマァムが普段からいる、ネイル村のマァムの家ではない。
 カール王国の片外れにある、こじんまりとした別荘だ。アバンの実家の所蔵していた別荘だという話で、もうずいぶん長い間誰も使っていなかったという場所である。

 近隣の村から少し離れた不便な所にある家で、村人さえ滅多に来ないへんぴな場所である。
 なにより、マァムがここにいることを知っている人などほんの一握りのはずだ。

 そして、その一握りの人々は全てマァムの味方だった。
 しばらくの間、一人で考えたいことがあるからそっとしておいてほしいと頼んだマァムのわがままを、受け入れてくれた。

 誰かが――特に、ポップがもし自分の居場所を聞いたとしても、決して教えないでほしいと頼んでおいたのだが。
 だが、世界でも最高の魔法と同時に頭脳を持つ大魔道士の前では、そんな多少の小細工は意味がなかったようだ。

「ああ、探すのにさんっざん苦労したぜっ。まったくおばさんも先生もメルルも、マァムのことは放っておいて大丈夫だからの一点張りで、どこにいるのか全然教えてくれないんだもんよ! おかげで世界中を回っちまったじゃねえか。
 あげく、先生んちの別荘にいるなんて……くそっ、先生ってば相変わらず人が悪いぜっ!!」

 悔しそうに文句を言うポップには悪いが、それはいかにもアバンらしいとマァムは思う。あの人の良さそうな先生は、時として真顔のまま嘘をついてのける強か者だ。

 いくらポップだとて、アバンを相手に頭脳戦を仕掛けてその隠し事を探し出すのには苦労をしただろう。ついでに、汚れきった服から察するに、ポップはここに来るまでに相当な旅もしてきたらしい。

「バカね。別に探さなくってもよかったのに」

「おまえなっ、探さないわけがないだろっ!? プロポーズした翌日に、恋人が失踪したんだからよっ!!」

「失踪なんて、大げさね。返事の前に、少しだけ一人で考えてみたいってちゃんと言ったでしょ? 結論がでたら、すぐに帰るつもりだったのに」

 口ではそう言いながらも、マァムは顔には自然に微笑みが浮かぶ。
 探さなくてもよかった――そう思っていたことは、事実だ。ポップから離れて一人で考え事をしてみたいからこそ、周囲に協力を頼んでまでこっそりと旅だったのだから。

 だが、矛盾しているようだが……それでも、ポップが追ってきてくれたことが、たまらなく嬉しい。それも、こんなにも必死になって自分を探してくれるとは。

 汚れたままの格好で詰め寄ってくるポップが、たまらなくいとおしい。その気持ちのまま、マァムは彼を抱きしめた。

「わ、マ、マァムっ!?」

 途端に驚いたような声を上げるポップに、苦笑してしまう。ずいぶん前から恋人と呼べる関係になったはずなのに、ポップの照れ屋なところは以前とあまり変化はない。

 戸惑い、緊張している身体をすぐ身近に感じながら、マァムは小さな声で囁きかけた。

「ねえ。ポップは、私のことが好き?」

「あ、あたりめえだろ、そんなの!!」

 打てば響く早さで戻ってきたその言葉が、嬉しかった。
 そう――ポップが自分を好きだということを、マァムは疑っていない。だが、それでも結婚を申し込まれた以上、確かめておきたいことがある。

「結婚……って言うことは、ずっと一緒に暮らすってことよね?」

「あ、ああ、もちろん」

 力強く頷いた後で、ポップはハッと気がついたように慌てて言い添える。

「あっ、そりゃあオレは、まだ家とか持ってない風来坊かもしんねえけどさ、さすがに結婚するなら家ぐらい用意すっから! マァムが居たいってんなら、ネイル村で暮らしてもいいしさ」

 言い訳のようなポップのその言葉を、マァムは自分でも意外なぐらいに落ち着いた気持ちで聞いていた。

 その言葉も、マァムは疑ってはいなかった。
 各国共通の宮廷魔道士と言う地位に就いているポップは、実は未だに家は持っていない。と言うよりも、必要としていないと言うべきだろうか。

 世界各国の王宮に彼のための部屋が用意されているため、仕事中はそのどこかにいるポップはわざわざ自分の家を構える必要性がなかった。そして、休暇の時にはポップは旅に出ることが多かった。

 瞬間移動呪文ですぐに、どこにでも好きなところへいけるポップにしてみれば拠点となる家などなくても別に問題はなかったのだろう。マァムから見れば呆れるぐらい、ポップは身軽にふらふらと旅をし続けていた。

 だが、ポップがその気になれば家を持つのは簡単なはずだ。
 高額の給料を保証されている上、各国の王と親交の深いポップは、望めばどの国にでも家を建てることができる。それがたとえネイル村のような片田舎であっても、ポップにとってはマイナスにはなるまい。

 魔法で出勤できるポップにしてみれば、家がどこにあっても仕事には影響しないのだから。

「だから、どんな家がいいか言ってくれたら、おれ、できる限りのことはすっからさ、言ってくれよ!」

 勢い込んでそう言うポップの言葉がおかしくて、マァムはくすりと笑う。

「バカね。家なんか、どうでもいいのよ」

 並の娘なら、結婚の際に相手が用意してくれる家や財産などの金銭的問題は重要だろう。見合いの際も重視されるのは、きまってそれらだ。

 だが、マァムに限って言うのなら、別に家の大小など問題ではない。むしろ、家などもたない旅暮らしをすると言い出されても怯みはしなかっただろう。

 極端なことを言えば、ポップが宮廷魔道士の地位を持っていても、持っていなくても関係はない。
 マァムが確認したいと思ったことは、そんなことではなかった。

 ポップにプロポーズされた時、マァムの脳裏を過ぎったのは別の人の面影だったのだから。
 ポップを抱きしめる腕に力を込めて、マァムは思いきってその質問を投げかけてみた。

「じゃあ、ポップ……、結婚したら、私をあなたの相棒にしてくれる?」

「――――!!」
 その途端、ポップの身体が強ばったのをマァムははっきりと感じ取った――。

 

 

(意地悪をして、ごめんね……)

 心の中でそっと謝りながら、マァムはポップからゆっくりと手を離す。おそらくは強い緊張のせいか、体温まで下がっているのを感じ取り、彼を気の毒に思いながら。

 かつて、魔王軍との戦いの中でメルルがポップに対して好きな人の名を教えてと言ったことがある。答えの分かっている、意地悪な質問だと――そう言っていた。

 あの時はただ戸惑うばかりだったが、今ならばあの時のメルルの気持ちが分かる気がする。
 マァムも、分かっていて今の質問をしたのだから。答えなど、聞くまでもなく分かっていた。

 ポップの中で、相棒として側にいるのは未だにダイだ。
 ポップはその座をほかの誰にも渡す気などないだろうし、また、もしそうしてくれると言ってくれたとしても、おそらくは無理だろう。
 ポップにとって、ダイは特別な存在なのだから。

 あの厳しい戦いの中、誰よりも近くで戦いぬいた勇者と魔法使いの間には、分かちがたい絆がある。
 それは、ダイが行方不明になった今も変わりがない。

 世界が平和になり、人々が勇者を探すのをとっくに止めた今になっても、ポップだけはずっといなくなった親友を探し続けている。もう戦いが終わってから3年以上経つのに、それは変わらない。

「…………」

 傷ついた少年のような表情で立ちすくんでいる魔法使いを、マァムは真正面から見つめながら、待った。
 長いような、短いような沈黙の時間が過ぎる。

「マァム……おれは……」

 やっと、ポップがそう口を開くまでやけに長く感じた。

「悪ぃ、おれ……おれの一番は、多分、ダイなんだ」

 押し出すような、言葉だった。
 言いにくくてたまらない言葉を無理矢理振り絞るように、その声は掠れてさえいた。

 おそらくそれを言うためには、マァムが思っている以上に勇気が必要だったのだろう。だが、それでも勇気の使徒である魔法使いは、自分の中の真実をごかまさずに告げてくれたのだ。

「おれ……多分、おまえと結婚しても、あいつを探すのをやめられねえ……と思う」

 その言葉を聞いて、マァムの心に真っ先に浮かんだ感情は――自分でも意外だったが、安堵の思いだった。半ば恐れていたように、ダイに対して嫉妬するような思いではない。

 ポップならそう答えるだろうと思っていたことを、そのまま言ってくれたことが嬉しかった。いつもの調子の良い嘘や、おどけた態度でごまかそうとしなかったポップの誠意が、染みいる程に分かる。

「でも、おまえと結婚したいってのは、嘘じゃねえんだ! おれ、本気でおまえが好きなんだよ!!」

 ムキになって付け足すその言葉さえも、マァムには嬉しく思う。なおも何かを言おうとするポップに向かって、マァムは優しく遮った。

「分かってるわよ、ポップ」

 戸惑ったように自分を見るポップの顔を見ながら、マァムは更に言葉を重ねる。

「正直に言ってくれて、ありがとう。嘘なんかついたら、絶対に許さないって思っていたもの。その場でフッてやるつもりだったわよ」

 そう付け加えると、ポップは気が抜けたようにその場に座り込む。まるで魔法力を全て使い果たしたかのようなへたり込みように、マァムは思わず笑ってしまった。

 くしゃくしゃの、今にも泣き出してしまいそうな顔がポップらしいと思いながら、マァムは彼のすぐ隣に腰を下ろす。互いの体温を感じ取れるぐらいに近くにいながら、一人で沈み込んで俯いてしまった魔法使いの隣で、マァムは静かに言う。

「ポップの本音は、ずっと前から知っていたもの」

 ポップが一番、ポップらしくいられる場所。
 それは、今となってはこの世のどこにもなかった。勇者ダイの隣こそが、その場所だったのだから。

 ダイを失ったポップの心の傷を、マァムは自分が癒やしきれると思ったこともなかった。

 ポップとベッドを共にする関係になってからは、特にそう思う。
 愛を交わして眠りについた後で、ポップが夢にうなされている姿を何度も見てきた。その度にポップが呼ぶ名は、決してマァムの名ではない。
 彼にとって唯一無二の、相棒の名前だった。

 マァムがそれにとって変わることは、できまい。それはきっと、他の誰であってもそうだろう。
 この魔法使いの心に負った傷を癒やせる相手は、おそらくこの世にたった一人しかいないのだから――。

 だけど、とマァムは思う。
 ポップが安らぎ、くつろげる場所――それならば、ポップに与えてあげられるかもしれない。 

 結婚したところでポップがダイを探すのはやめられないだろうし、無茶なところのあるこの魔法使いは親友だけでなく知り合いの危機だとしてば、何もかも忘れて身を投げ出してしまいかねない危うさがある。

 その無茶を、マァムは無条件に認める気などない。時にはポップに文句を言い、引き留めるかもしれない。
 ケンカだって、するかもしれない。

 だが、それでもマァムはポップと一緒にいることはできるのだ。
 ダイを探すポップが傷ついた時に、疲れや失望を隠さずにくつろげる場所となるために。

「あのね、ポップ、私――」

 その気持ちを、どう伝えればいいのか戸惑いながらもマァムは口を開きかけた。本来ならそれは、一人でゆっくり考えてから言葉にしたいと思っていたことだった。

 元々、マァムはあまり自分の感情を言葉にするのが巧いとは言えない。
 ポップにとって、ダイの問題は一番心の深い部分に関わることでもあるし、できるなら彼を傷つけないように話したいとも思っていた。それにもう一つ、マァムはポップに打ち明けたい秘密もあった。

 だからこそマァムはアバンやフローラに相談しながら、心の準備と共に、優しい言葉を用意してからポップと話し合うつもりだったのだ。それが思わぬポップの強襲のおかげで予定が早まった。

 少々困ったなとは思ったが、マァムは元々考えるよりも先に行動するタイプだ。
 それならばそれでいいかと、ぶっつけ本番で本音を話しあうつもりでいたマァムだったが、それを遮ったのは、他ならぬポップ自身の言葉だった。

「……だから、おめえがヒュンケルを選ぶってんなら……祝福するよ」

「はあ?」

 いきなり飛びまくった結論についていけず、マァムは思わず問い返す。が、ポップの方は目も上げず、さながらこの世の終わりが来たような暗い表情のまま、ぼそぼそと言葉を続けた。

「だから……、おまえが腹を立てたって、文句も言えねえや。だいたい考えてみりゃおれなんかと結婚するより、悔しいけどヒュンケルの野郎の方がよっぽど――」

「ちょっと! なんで、そういう話になるのよ!?」

 我慢しきれず、マァムはポップの言葉の途中で彼の襟首を締め上げる。

「へ? だって、おまえがおれをフるって話じゃ……」

「違うわよっっっ!」

 大声を張り上げて、マァムは叫ばずにはいられない。それと同時に、猛烈な怒りがこみ上げてくる。

「あんたって人は、本当にいつまで鈍感な上にバカなのよっ!?」

 ポップがヒュンケルに対して、妙にコンプレックスやら対抗心を持っているのは知っていたが、ここまで勝手な思い込みをされては、さすがに我慢などできやしない。

「あんた、どこまでバカなのっ!? バカでしょっ!? 私がいつ、ポップをフるなんて言ったっていうのよ!? しかもヒュンケルと結婚って、冗談もいい加減にしてよね!!」

 ポップは未だに兄弟子へのコンプレックスを引きずっているが、マァムにとっては彼は今も昔も兄にすぎない。尊敬は感じているし、彼の孤独は気になるが、それを癒やしてあげる女性が自分でありたいと思ったことはない。

 そもそも、マァムは二股をかけるような器用な性格ではないのだ。ポップとつきあい始めてから、ヒュンケルも含めて他の男性ととつきあった経験など一度もない。

 なのに、他の男と結婚すればいいと言ってのけるポップに対して、本気で腹が煮えくりかえってくる。

「だいたいね、あんたは昔っから無責任もいいところなのよっ!! お腹の子がいるのに、他の男と結婚しろだなんて良くも言えるわね!!」

 怒りにまかせて怒鳴りつけた後で、マァムはハッとする。カンカンに腹を立てた勢いで、最大の秘密を口にしてしまったのだ。

「お腹の子……って、えぇっ!? お、おれの!?」

 最大限の驚きを見せたポップがあたふたと立ち上がろうとして、失敗して無駄につるんと転ぶ。だが、その狼狽ぶりを笑う余裕などマァムにはなかった。
 秘密を知られてしまった途端、急に恥ずかしさと気まずさがこみ上げてきてくる。

「こ、子供って、男? それとも女なのか?」

 動揺しまくった挙げ句、間の抜けた質問を投げかけてくる大魔道士に、マァムは呆れずにはいられない。

「そんなの、まだ分かるわけがないじゃない!」

 マァムとて、自分が妊娠しているのに気がついたのはつい先週のことだ。
 最近何となく体調が悪いなと言う自覚はあったが、レイラに指摘されるまで迂闊にも気がつかなかったのだ。

 それでもまた、未だに信じられないような気分が強い。
 自分が妊娠するだなんて、なんだか嘘のような気がしてまだまだピンとは来ていなかった。それはポップも同じ様子で、彼の方も戸惑いを強く感じているように見えた。

「あ、ああ、そ、そうだよなぁ。まだ、だよなぁ。
 ……それにしても、それ、おばさんは知ってるのか、すぐに教えないと……! あ、親父にも言わねえとだめか、でも殴られそうだな。でも、言わないと……っ」

 しばらくブツブツ言っていたポップだったが、それでも彼はその驚きから意外なぐらいに早く立ち直る。
 そして、その時にはすでに決心を決めていた。

「とにかく! それなら、なおさらだろ、すぐに結婚してくれよッ、マァムっ!」

 さっきまでの弱腰はどこに行ったやら、打って変わって積極的に結婚を申し込んでくるポップに、マァムは真っ赤な顔でそっぽを向く。

「な、なによ、さっきと言っていることが全然違うじゃない!」

 つい意地を張ってしまったマァムだったが、意地っ張りという点ならポップの方も負けてなどいなかった。

「だって、さっきは子供のことなんか知らなかったんだから仕方がねえだろ! だいたい、なんでそんな大事なことを黙ってたんだよ!?」

 その後は、売り言葉に買い言葉の応酬というべきか。恋人と呼ぶにはいささか早すぎるような子供っぽさを残す二人はそのまま、婚約前の最後の大喧嘩へとなだれ込んだのだった――。

 

 

「ねえ、ねえ、マァムったら、一人で思い出し笑いなんかして、ずるいわ。もっと詳しく教えてよ」

 不満そうなレオナにせっつかれ、マァムは思いを過去から現在へと引き戻す。
 おそらくは意図的なのだろうが、子供っぽくせがんでみせるレオナを見つめて、マァムはほんの少しだけ、迷う。

 昔のマァムならば聞かれたことは素直に、何の隠し立てもせずにそのまま全部話してしまっていただろう。ましてやレオナは頭の回転が速く、質問どころも心得た聞き上手な少女だった。美貌と同様に、その頭脳も昔以上に磨かれたと考えていいだろう。

 口も堅く、聞いた情報の使い方を心得ていたレオナの判断力を信用していたし、今だって同じ信頼を抱いている。それを思えば、別に全てを話してもいいと思えた。

 だが、今のマァムには話していいこととそうでないことの区別を、自分でつけられる。未だにダイを想っている独身の王女には、この話は面白いだけの他人の恋バナとして純粋には楽しめないのは分かっている。

 多分、レオナは『ダイ』のことも含めた話を聞いても、自分の中に感じた痛みを巧く隠して笑って見せてくれるだろう。だが、マァムはレオナの作り笑いを見たいわけではないのだ。

 それに――大人には、たとえ親友であっても他人には教えてくない思い出の一つや二つはある物だ。それが大切な思い出あればあるほど、独り占めしたいと思う気持ちもある。

 ほんの少しばかりのためらいの後、マァムはレオナが笑顔になれる部分だけを選んで話すことにした。

 「じゃ、最後だけ教えてあげる。
 実はね、ポップが土下座して泣かんばかりに頼むから、プロポーズを受けることにしたの」

「えーやだっ、なにそれ」

 途端に弾けるような笑顔が、レオナの顔に浮かぶ。それは少女時代、勇者と共にいた時に彼女が見せていた輝くような明るい笑顔だった。
 常に誰よりもしっかりしていた、だが自分よりも年下の王女の笑い声を聞きながら、マァムは大人びた笑みを浮かべていた――。
                                                         END


《後書き》

 529999hit その2記念リクエストの『ポップがマァムにプロポーズする話』でした♪ しかし、リアルタイムではなく過去回想を交えた話になったので、ポップよりもレオナが活躍している話になっている気もするのですが(笑)

 ところでプロポーズと言えば、

「ねえねえ、なんてプロポーズされたの?」
「『えーと、じゃあ、○アンカ』だったわ……」

 某ゲームの4コママンガで見かけた、プロポーズの言葉をめぐるやりとりがいまだに忘れられません。この正直さが、なんかツボです(笑)

 ゲームの中でいきなり結婚を迫られ、戸惑いつつもいきなり一生に一度の二者択一を選択しなければならなかった当時のゲーマーで、こんな感じで結婚を選んだ方は多かったのではないかと思います。
 
 


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