『泉を巡る攻防』
 

「おっ、見ろよ、あっちに泉があるぜ」

 ポップのその声を聞いて、マァムとメルルはそろって目を輝かせた。

「えっ、本当?!」

 現金なもので、途端に二人の少女は自然に足を早める。さっきまでは疲れ気味で足取りも重かったのが嘘の様に、先を争う様に泉を目指す。

「おいおい、そんなに焦んなくても泉は逃げねえだろ〜」

 ボヤきながらも、ポップもそれに遅れないように目一杯急いで泉へ向かったため、結局三人ともほとんど同時に泉に辿り着いた。

「うん、この水ならそのまま飲めそうだぜ」

 手袋を外して、水を掬って一口飲んでからポップは頷いた。
 水の無事を確かめるのは、大抵はポップだ。アバンとの旅暮らしの長かったポップは、飲める水や危険な水を見分けるコツや知識もしっかりと伝授されている。

 16才になるまで生まれた村からろくすっぽ離れた経験のないマァムや、旅暮らしには慣れていても主に宿屋に泊まって移動していたメルルよりもずっと、野宿には詳しいのだ。

 水辺に咲いている植物や動物の足跡からその水が飲めるかどうかを判断しているらしいが、最終的には味が決め手になっているのが、さすがは料理スキルの高いアバンの教えと言うべきか。

「よかったわ、そろそろ水がなくなるところだったもの」

 さっそく三人は、それぞれの水筒の水を入れ替える。
 道なき道を旅する者にとって、水は生命線だ。腕力と体力に自信のあるマァムが一番大きな水筒を持っているが、それとは別にポップとメルルも各自、水筒を持ち歩いている。

 それぞれがしっかりと飲み水を確保した後、ポップはいきなりじゃぶじゃぶと顔を洗い始めた。

「んー、気持ちいい」

「やだ、ポップったら。行儀が悪いわね、そんなに水を跳ね返さないでよ」

 などと口では文句を言いながらも、至って面倒見のいいマァムは素早く荷物の中からタオルを引っ張りだしてポップへと渡す。
 そして、メルルにもタオルや石鹸を渡すのを忘れない。

「メルルも顔を洗ったら? すっきりするわよ」

 旅をしていれば仕方がないとはいえ、野宿が続くと身体の清潔を保つというのが意外と難しいものだ。
 特に、旅を始めたばかりの旅人ならば尚更だ。

 旅慣れた旅人ならば、着の身着のまま旅をする不便さも野宿の心得もすでに生活習慣として身につけている。だが、野宿での旅を始めたばかりの少女達にとって、風呂になかなか入れないというのはかなり苦労させられるポイントだ。

 毎日などと贅沢を言う気はないが、せめて数日に一度は風呂なり水浴びをするなりして身体を清めたいと思うのは、年頃の娘としては当たり前の発想だろう。

 特に綺麗好きでごく普通の生活を送っていたメルルには、宿屋に立ち寄らない野宿続きの旅はきつかったようだ。
 不満や不平を一言も口にはしていないが、彼女は本来なら飲み水に使うべき水筒の水を極力節約してまで、顔や手足の汚れを濡らした布で拭っていた。

 ポップやマァムには気づかれないようにしていたつもりだったようだが、一緒に旅をしていればそんなのは一目瞭然だ。年頃の娘らしい小さな秘密がばれていたのが少しばかり恥ずかしいのか、メルルはちょっぴり顔を赤らめる。

 だが、水の誘惑のままにメルルはそのまま石鹸に手を伸ばした。
 簡素な石鹸入れに入ったその石鹸は、実は旅立つ際にレオナが用意してくれた荷物の一つだ。

 旅をする者が持つにはいささか上質過ぎる高級品の石鹸は、ほんの少し泡立てただけで肌理の細かいクリームの様な泡がたっぷりと立つ。
 旅に似つかわしくない高貴な香しい匂いを心地好く味わいながら、メルルとマァムは交替で洗顔を終えた。

 だが、正直な話、それでは到底物足りない。特にメルルはこのチャンスを少しでも逃したくないと思っているのか、肘までまくり上げて手も存分に洗っている。

 その気持ちはマァムにもよく分かる。
 できるのならこのまま本格的な水浴びをしたいと、あまり身なりに気を遣う方ではないマァムでさえ思うのだ、綺麗好きのメルルならばなおさらそう思うだろう。
 と、そう思う気持ちを読み取ったかのようなタイミングでポップが言った。

「なんなら、水浴びすりゃいいじゃん。こんなとこなら、誰も見たりしないぜ〜」

 その言葉には、一理ある。
 人里離れた道を旅しているだけに、近くには人家どころか旅人の気配すら見当たらない。

 町や村から大きく外れたこの道は、利用者などほとんどいないのである。現に、一昨日に通りすがりの旅人に会ったのを最後に、三人は誰ともすれ違ってはいない。
 だが、たった一つだけ問題があった。

「あんたが言うと、信用できないのよ!」

 言いながら、マァムは疑わしげな目つきをポップへと向ける。
 なにしろ、ポップにはいやと言うほど前科がある。マァムの着替えを覗いたりだとか、下着姿でうろつくマァムをスケベったらしい目で見たりだとか、セクハラ一歩手前な微罪は数え切れないほどだ。

「あ、ひでえ。もしかして、いまだにおれって信頼されてねえ?」

 言葉こそ大袈裟だが、おかしそう笑っているポップの口調はいかにも軽く、本気で同情する気さえ失せるような代物だ。

「別に、覗いたりなんかしねえから、安心して水浴びしてくれていいんだぜ? どうぞ、ごゆっくり♪」

「もう、ポップったら! いつまでもバカ言ってないで、さっさと荷物をまとめなさいよ!!」

 いささか腹を立てながら、マァムはぴしゃりと言ってのける。
 一般常識として、信頼しているとか信頼していない以前に、年頃の娘が同年代の少年の前で水浴びなどできるはずがない。割とその辺の倫理感がアバウトなマァムでさえそう思うのに、人一倍内気なメルルならばなおさらというものだ。

 なまじ水浴びしたいという切実な欲求があるだけに、無神経なからかいに腹を立てつつマァムは手早く自分の荷物を持ち上げる。メルルもそれに習ったが、ポップだけはその場に座り込んだままだった。
 じっと泉を見たまま、なにやら考え込んでいる風だった。

「どうしたんですか、ポップさん?」

 心配そうに声をかけてから、メルルも釣られたように湖を見つめる。

「この泉に何か……? 私にはごく普通の泉に見えますけれど」

 占い師として優れた感知能力を持つメルルの目は、三人の中で一番優れていると言える。怪物や人の気配を感じれば即座に察知できる彼女が、何も感じられないと言っている泉になぜポップが注目するのか、マァムも疑問を感じる。
 が、ポップはすぐに笑って立ち上がった。

「いや、なんでもないよ。それより、もう行こうか」

「ええ。目的地は、まだまだ先なんでしょ? 日暮れまでまだ歩けるものね」

 今の彼らの目的地は、ギルドメイン山脈の近くにある古い遺跡だ。
 行方不明の勇者を探すための三人の旅――まだ、旅立ってから一週間そこそこしか時間が経っていないが、すでに役割は定まってきた。

 旅の行く先や方針を決めているのは、基本的にポップだ。
 行く先々の町や村で情報を集めたり、あるいは神殿で古文書を読ませてもらった上で、ポップは次にどこに行くかを決めている。もっとも、正直に白状するのならマァムにはポップのその目的地の選び方がよく分からない。

 ダイを探すのならば、とりあえず彼がいそうな場所へ行って黒髪の12才ぐらいの少年を見かけなかったか聞き込みながら旅をするのが一番いいと思うのだが、ポップの捜索方法はマァムが漠然と考えていたのとはまるっきり違っていた。

 まっさきにテランへ飛んだポップは、テラン王フォルケンに頼み込んで書庫で古い文献を読みあさった。

 まるで単なる捜索ではダイは見つからないと知っているかのように、ポップは古文書の下調べに熱を入れている。何を調べているのかと聞いた時は竜の騎士の伝承について調べていると答えてくれたが、具体的なことまでは教えてはくれなかった。

 三日ほど熱心に古文書を読みまくった後、古い遺跡へ行きたいと言い出したポップに従って旅立ったのは4日前のことだ。テランの古文書に出ていたという古い遺跡は、ポップも一度も行ったことがない場所だったため、歩いて移動することになった。

 その遺跡に、何があるのかは分からない。
 だが、マァムはポップの目的について詳しく問い詰めたいとは思わない。ポップがダイを探すためにやっていることならば、それは何らかの意味があると信じている。

 だからこそ、マァムはポップの行く先選びに口を挟む気などない。
 マァムが口を出すのは、別のことについてだった。

(今日で野宿4日目ね。メルルもポップも疲れがたまってきたみたいだし……そろそろ早めに休んだ方がいいのかしら?)

 歩きながら、マァムは日の暮れ加減と目的地との距離を見比べていた。やっと遺跡が見えてきたとは言うものの、あそこまで歩くのには相当時間がかかる。

 三人達の旅は、メルルの足取りに併せて移動している。つまり、一般的な女性が無理がなく歩けるペースということであり、旅人としてはかなりスローペースな旅だ。

 そのペースを守りながら、同行者の安全に気を配るのがマァムの役割だ。
 時々、あまりにも遅いペースの旅にポップが焦れている時もあるが、マァムは頑として今のペースを譲らない。

 大戦中に使った禁呪のせいで、ポップの身体はずいぶんと弱っていると聞いた。

 魔法を使用すると特にそれが顕著に表れる――その事実をレオナから聞かされた時のショックと、一歩遅れてからこみ上げてきた怒りをマァムは未だに忘れられない。

 ちょっとでも無理をすれば、すぐに体調を崩して倒れかねない……そんな身体になったというのに、ポップはダイを探すための旅に出たがっていた。周囲がそんなポップを心配し、いくら療養するようにと言い聞かせても全く効果がなかったと言う。

『お願い。あなた達にしか、頼めないの。
 彼のお目付役として、一緒に旅をしてあげてほしいの。二度と、彼が無茶なことをしないように――』

 最後の頼みの綱とばかりに、真剣にそう頼んできたのはレオナだった。最初はためらいを感じていたマァムだが、メルルにも強く頼み込まれてポップの旅に同行する決意を固めた。

 責任感の強い彼女は、自分の役割をきちんと果たそうと思っている。
 旅を急ぎたがるポップにブレーキをかけ、安全を確保するのが自分の役割だと考えているのだ。だからこそ、マァムはポップと一戦交えるのを覚悟の上で今日は早めに野宿するように提案しようと思っていた。

 すでに遺跡という目標が目視できるだけに、ポップは早く行きたいと言うかもしれないが、いざとなれば力尽くでも――そんな風に考えていたマァムだったが、ポップが突然、足を止めた。

「なあ、マァム、メルル。今日はこの辺で泊まらないか?」

 思いがけないその言葉に、思わずマァムとメルルは揃って顔を見合わせた。

「それは……私は構いませんけれど、でも、いいんですか? まだ、日は沈んでいませんけど……」

 当惑気味に、メルルが尋ねるのも無理はない。
 日が沈めば歩くのをやめるのは徒歩の旅の常識だが、ポップは最初はそれさえ嫌がった。

 一刻も早く先に進みたいと焦っている様子で、明かりをつける魔法を使うからとか、月明かりがあるから今日は夜でも進めるんじゃないかと粘ったりしたものである。

 が、そんな無茶な旅なんか絶対に許さないと怒るマァムと、今にも泣き出しそうな目でやめてくださいと説得するメルルに負け、ポップはしぶしぶマァムの指示する速度での旅に応じている。

 だがそれでもポップは普段ならば日が沈むギリギリの時間まで粘り、少しでも遠くに歩こうとする。そのポップが、こんな風に早い時間から野宿しようと言い出すなんて初めてだった。

「んー、今日はなんか疲れちまったからさ。
 それにあの遺跡を調べる前に、ゆっくり休んでおきたいんだ」

 ポップのその提案は、マァムにとっては渡りに船だった。
 すでに傾きかけた夕日から判断しても、暗くなる前に到着するのはかなり難しいだろう。

 このまま歩き続ければ、遺跡到着はおそらく夜になる。
 だが、夜に目的地に着いたとしても、メリットは少ない。洞窟内では朝も夜も関係ないとは言え、大半の怪物は夜にこそ活動が活性化する。

 どうせ洞窟に入るのならば、少しでも安全な昼の時間帯を選びたいと思うのは当然だ。
 それならば今夜は早めに休み、明日の日のあるうちに遺跡に行って調べた方がいい。

 自分から持ちかけるまでもなくポップがそう判断してくれたのが嬉しくて、マァムはホッとして荷物を下ろす。

「そうね、私も賛成! じゃあ、今日はゆっくりと休みましょうか」

「ああ。だから、今夜は魔法の結界を張ろうぜ」

 ポップのその提案に、わずかに眉を潜めたのはメルルだった。

「確かに、その方が安心して眠れますけど……でも、ポップさんは大丈夫なんですか?」

 気遣わしげな表情を浮かべ、メルルは心配そうに声をかける。
 普通、野宿をする時は念のために交代で見張りを立てるのが基本だ。その件については、マァムもメルルも承知しているし、旅をする前にアバンにレクチャーも受けた。

 公平を期すためならば、三人が交代しながら夜の間に三分の一ずつ見張りをするのがいいように思えるが、この方法は実はあまりいいとは言えない。長期間の旅をする場合、これだと全員が毎日少しずつ寝不足になっていくだけだからだ。

 なにしろ野宿が続く限り、連日、通常の3分の2の時間の眠りしかとれないのだ。おまけに運悪く真ん中の時間帯の見張りに当たった人間は、一度寝てから途中で起こされ、また眠ることになる。
 これでは、深くて良質な眠りが望めるはずもない。

 それよりは三人のうち一人は完全に休息し、残り二人が夜間の見張りを半分ずつ請け負った方が効率的だ。

 この方法ならば短めとはいえ、途中で睡眠の邪魔が入る心配もない。それに短めの睡眠を二日続けた後は熟睡できる日が1日とれるので、疲れも回復しやすいというものだ。

 基本的にはその方法で野宿をすると決めてはいるが、時と場所によってはポップの魔法が役に立つ。

 アバンが得意とする破邪呪文は、実は野宿にも十分利用可能だ。本来なら永続的な効果を持つ結界を意図的に弱め、半日ほどの効果しか望めない微弱な結界を生み出すことによって、怪物や魔物を近づけさせない聖なる円を生み出すのである。

 その中にいる限り、魔の属性を持つ生物に襲われることはない。
 もっとも人間に対しては効果がないので、山賊や盗賊にはまるっきり効き目はないため、人が来る可能性の高い街道では使えない方法だ。

 しかし、今回のように普通の人が来ないような場所を旅している時には、都合のいい魔法だ。

 ただ、ポップが魔法を使うことになるのでそれが心配と言えば、心配だ。破邪呪文は並の呪文に比べ、魔法力の消費が大きい。魔法を使いすぎればポップの身体に触るのではないかと、メルルはそれを心配しているらしい。
 しかし、ポップは笑ってその心配を撥ねのけた。

「こんぐらいなら、平気だって。第一、ここ数日魔法なんて全然使ってねえだろ? だいたい見張りで半徹夜をするよりも、呪文を一つだけ唱えて熟睡した方だ楽だしよ」

 ポップの言い分に、マァムとメルルは顔を見合わせて少し考え込む。
 ポップの体調と魔法の制限について、この二人の少女は旅に出る前にアバンやレオナからしっかりと説明を受けていた。

 ポップの魔法を封じる力を持つ魔法防具の扱いや、どんな状況ならば魔法を許してもいいか、体力的な負担を減らすにはどうすればいいか、様々な状況を想定して教えを受けた。

 それらの記憶と照らし合わせて考えてから、二人の少女達はとりあえず頷いた。

「そうね、じゃあ今日はそうしましょうか」

 それを聞いた途端、ポップの顔に悪戯っけたっぷりなニヤリとした笑みが浮かぶ。

「オーケー! じゃ、今日はとっとと休むとしようぜ」






(どうしよう……私……)

 横になってはいたものの、マァムは少しも眠れなかった。
 むしろ目をつむって眠ろうとすればするほど、意識が覚醒されていく。その度にマァムが気にせずにはいられないのは、すぐ近くに眠っている魔法使いの少年の存在だった。

 彼を意識すればするほど、目が冴える。
 よく眠っているのか、小さな寝息を立てているポップの姿を見つめていると、奇妙に胸が騒ぐというか落ち着かなかった。

(このままでいるよりも、いっそ思い切って……ううん、でもメルルに黙ってそんな抜け駆けみたいな真似は……)

 眠れないままに何度目かに寝返りを打とうとして、マァムはちょうど自分と同じタイミングで寝返りを打ったメルルと目が合った。

 黒い、大きな目をぱちりと開けている彼女もまた、ポップの様子を気にしているのか、彼の方ばかりを見ている。だが、マァムと違うのは、メルルが手にしているものだ。

(……!)

 驚きを感じつつも、それを見た途端、マァムは悟っていた。メルルも、自分と同じ想いを抱いていたのだ、と。
 それはメルルも同じだったらしい。

 互いの目の中に、同じ想いを見いだした少女達は、どちらともなく手を取り合う。
 想いは、一緒だった。

 となれば、もう遠慮をする必要はない。マァムは音を立てないようにこっそりと自分の荷物を探り、素早く目的のものを手にする。何の会話も交わさないのに、申し合わせたようにマァムとメルルとそろって結界の中から外に出ていく。

 音を立てないように、そればかりに気を遣っていた二人の少女は、熟睡しているはずの魔法使いの寝息が不自然に途切れたのに気がつかなかった――。






(なんて、気持ちがいいの……!)

 溢れかえるような爽快感に浸りながら、マァムは夢中になって髪を洗う。
 髪を洗うのがこんなにも気持ちがいいことだったのだと、マァムはしみじみと思い知っていた。野宿の間中、どこか埃っぽさがこびりついてどうしても拭えなかった感覚が、綺麗さっぱりと落とせた気分だ。

 そんな風に潤ったのは髪だけではなく、身体も同じだ。
 大袈裟だが、まるで生まれ変わったような気分だ。そして、どうやらそう思っているのはマァムだけの感想ではないらしい。

「ああ、生き返った気がします……」

 ほうっとため息をつくメルルもまた、濡れた黒髪を丁寧にくしけずっているところだ。

 月明かりの下で、二人の少女達は生まれたままの姿で水浴びを楽しんでいた。大胆と言えば大胆だが、人がいない場所だと思えば恥ずかしがり屋の少女でさえ大胆になれる。

 そうせずにはいられないぐらい、泉で水浴びをするのは二人にとっては魅力的だった。

「本当に、ラッキーだったわよね」

 にっこりと、マァムは笑う。
 泉を見つけたのは幸運だったが、それだけでは水浴びはできなかった。なにしろ男の子の連れがいるのだ、堂々と水浴びなどできるはずもない。だが、運良くもポップは先に眠ってくれた。

 至って寝起きの悪いポップは、一度寝てしまうとなかなか目を覚まさないタイプでもある。少しぐらいマァムとメルルが側を離れても、起きる気遣いはまず、ない。

 それでも泉が野宿をした場所のすぐ近くだったのなら、二人とも用心したかも知れない。水音や何かに気がついて、ポップが起きる可能性は皆無ではないのだから。

 しかし、野宿した場所は泉からほどよく離れていた。
 ポップがもし起きたとしても、木々が遮ってすぐには見えないぐらいの距離。それでいて、決して離れすぎというほどは離れていない、絶妙の距離加減だ。

 さっと水浴びし、すぐに戻れるぐらいの距離感。
 その上、ポップの張った破邪呪文の結界のおかげで、自分達の留守の間にポップの安全は保証されている。もし、見張り当番の役割があるのならば、責任感強いマァム達は決してここにはこなかっただろう。

 気温的にもちょうど良かった。
 昼間に少し汗ばむ程の暑さを残す今時分の気候は、水浴びにはぴったりだ。毎日でも風呂に入りたいと切望する年頃の女の子達にとって、このチャンスを見逃すのは押しすぎた。

 幾つもの幸運を素直に喜び、水浴びを存分に楽しんでいるマァムは気がつかなかった。

 これが、幸運ではなく周到に仕組まれた計算の末の選択肢であることを。勘の鋭い占い師のメルルでさえ、それを見通せなかったのは同じだ。無邪気に水浴びを楽しんでいる二人は、離れた場所にいる魔法使いの少年がむくりと起き上がったことなど、全く気がついていなかった――。






(へっ、うまくいったぜ)

 風に乗って、水を跳ね返す音やら、女の子達の楽しそうな声を聞こえてくる。なんとも気をそそるその声を聞きつつ、ポップは作戦成功を確信して小さくガッツポーズを取る。

 全ては、計算の上だった。
 そろそろ女の子達がお風呂が恋しくなる頃だろうと知った上で、偶然見つけた泉を利用させてもらった。特に、マァムはポップの覗きを警戒するだろうから、覗かれないようにと細心の注意を払って行動するだろうと思っていた。

 だから――言葉は悪いが、ポップは罠を張らせてもらった。
 寝たふりをしたのも、破邪呪文をかけたのも、そうだ。なにより、泉から野宿の場所を絶妙な距離に設定したのは、女の子達が覗かれるのを嫌って距離をとるのを予想していたためだ。

 予想は面白いぐらいにはまり、二人は今や水浴びに夢中だ。
 ポップが少しぐらい動いても、気がつくまい――。

(……悪く思わないでくれよな)

 心の中でこっそりと呟きつつ、ポップは行動を開始した。道を外れて茂みに身を隠すようにして、目立たない様に歩き始める。だが、それでもガサリと茂みが揺れて音を立て、ポップは慌てて足音を抑える。

(おっと、いけねえ、いけねえ。あの二人には、絶対にバレるわけにはいかねんだからよ)

 ともすれば急ぎ足になりそうな逸る気持ちを抑え、ポップは足音を殺しながらことさら慎重に歩き始めた――。







 ガサッと、近くの茂みが動いた――様な気がして、マァムはそちらに目をやった。

「どうしましたか、マァムさん?」

 メルルに不思議そうに聞かれ、マァムはかすかに首を傾げる。

「ん……、今、あそこに何かがいたような気がしたの」

「え……っ?」

 そう聞いた途端、メルルは急いで手にしたタオルで自分の身体を隠す。その仕草を見てから、遅まきながらマァムも自分の身体を庇うように隠す。だが、片手で軽く胸を隠しつつも、もう片手は戦うための拳を握りこんだその姿では、ほぼ何も隠していないも同然だったが。

 しかし、非常時に格好などに構っていられない。 
 もし、かすかに感じた物音の主が獣か怪物なら、この場で戦うのは武闘家であるマァムの役割だ。ただの覗きか何かだったとしても、対処するのは自分の役割だろうとマァムは雄々しくも思う。

 だが、覗きかも知れないと思った途端、ふと嫌な予感が彼女の脳裏を過ぎる。

(まさか、ポップじゃないでしょうね……!?)

 仲間としてはこの上なく信頼しているが、こんな意味ではマァムは彼を全く信頼しちゃいなかった。険しい目を周囲に向けながら、マァムは強い口調で呼びかける。

「ポップ!? もしかしてポップなのッ!」

 もし、本当にポップが隠れているのならただではおかないという気迫を込め、マァムは身構える。その勇姿に、メルルは恥じらいの表情を浮かべつつ大きめのタオルを羽織らせた。

「マ、マァムさん、そんな格好じゃ……っ。それに、ポップさんじゃない、と思いますよ。と言うよりも、生き物の気配なんかしませんし……」

「え?」

 メルルにそう言われて、マァムは拍子抜けしたような気分を味わう。
 占い師のメルルは、マァム以上に気配には敏感だ。その彼女がここまで自信を持って言うのであれば、今のは気のせいだったのだろう。そう思って肩の力を抜いた時のことだった。

 マァムとメルルの指輪が突然光りだし、けたたましい警告音を鳴り響かせたのは。
 その音に驚いてハッとした二人だったが、すぐにマァムの顔色が怒りで赤く変わっていく。

「ポップったら! よくもやってくれたわねッ!!」







「な、なんだ、なんだぁっ!?」

 それとほぼ同じ頃、ポップもまた、突然光ってやかましい音を立て始めた腕輪を前にあたふたとしていた。

 せっかく足音も殺してこっそりと茂みに隠れつつ移動していたというのに、これでは台無しもいいところだ。焦って腕輪を引っこ抜こうと試みるものの、びくともしない。

 せめて音だけでも止められないかと、腕輪を押さえつけてみる物の、そんなことで止められるほど生易しい音ではなかった。おまけに、夜にはその光は嫌に目につく。

 闇を切り裂くように光るその腕輪を隠そうと、ポップは持っていた手荷物からタオルを取り出すが――すでに手遅れだった。

「見つけたわよ、ポップ! こんな所にいたのね……!!」

 怒りを含んだ、澄んだ声が響き渡る。
 ハッとして顔を上げた先には、まだ濡れた髪のままのマァムがいた。よほど急いできたのか、最低限の下着姿のままだったりするのだが、それを見てポップは喜ぶどころか怯えたように後ずさる。

「マ、マァム、なんでここに……っ!?」

「それはこっちの台詞よっ! ポップこそ、なんでこんな所にいるのよッ!?」

 怒鳴りつけておきながら、マァムはポップの返事も聞かずにギロリと周囲を睨み付ける。
 ここは、ポップがいたはずの野宿の場所でもなければ、泉でもない。

 明日になってから向かうはずだった、遺跡の入り口だった。しっかりと旅支度をして、荷物まで背負ってこっそりとここにきたポップの目的は、明白だった。

「私達を出し抜いて、一人で遺跡に入るつもりだったのね!? あんなに、駄目だって言ったのに……っ」

 怒りと、それ以上の心配のせいで、マァムはわなわなと身を震わせる。と、その頃になってから、やっとメルルがやってきた。
 メルルは一応服を着てはいたが、濡れた髪のままなのはマァムと同じだった。

「ポップさん、一人で無茶をしないで下さい。私達は、あなたから決して離れませんから」

 息を切らしながらそう言ったメルルは、まだ光っている指輪をはめた手で、軽くポップに触れる。と、その途端にけたたましい音と光はスッと消え去った。

「姫様が、お話ししたはずですよね? この腕輪をはめた者は、指輪をはめた者から一定以上の距離を離れることはできないって」

 メルルのその説明に、ポップは一瞬絶句した。
 魔法封印のみならず、そんな探知機能まで備え付けられているとは、さすがはパプニカ王家秘伝の宝と言うべきか。

 が、さすがのポップもこの魔法道具の効果に感心するだけの余裕など残っていなかった。天に向かって吠えるように叫ぶ。

「き、聞いてねえっ! そ、そんな話、先生のマニュアルには全然書いてなかったじゃないですかーっ。先生の嘘つきぃいーっ!!」

 最初の師に対して遠慮無しに文句をつけるポップに、同じ師に習ったマァムが憤然と文句をつける。

「ちょっと! 嘘をついたのは、ポップでしょ! とにかく、もう絶対に逃がしたりなんかしないんだから、覚悟なさいっ!」

 そう言いながら、マァムはしっかとポップの腕を巻き込むように抱きついた。彼女ほど強い力ではないが、メルルもすがるようにポップの反対側の腕に手を回す。

 洗い髪の美少女二人から両腕を取られるとは、まさに両手に花もいいところだ。だが、そんなにも恵まれた状況ながら、ポップは世にも情けない顔で深々とため息をついた――。 

                                                           END

 
 

《後書き》

 天界編、三人旅が始まったばかりの頃のエピソードです♪ 
 水浴び話ではありますが、これも一種のお風呂話かも(笑) ポップが覗きを企んでいると見せかけているのが、お話のポイントです。あー、楽しかった♪

 ところで、この腕輪と指輪にはまだ隠された機能がついていたりします。ポップはアバン先生から、マァムとメルルはレオナから機能の説明は受けていますが、それぞれ違う話を聞いているので、互いに全機能を把握しきっていないんです。


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