『酒は涙かため息か』
 

「おい」

 ごく低い声での、ぶっきらぼうなラーハルトの呼びかけ。それは、ひどく珍しいものだった。

 一緒に旅をしているとは言え、ヒュンケルとラーハルトの間では会話が弾むとはお世辞にも言いがたい。元々、二人とも無口な方だし、無駄口を叩く趣味もない。必要が無ければ、全く口をきかぬまま一日を終えることも珍しくない。

 そんなラーハルトが声をかけながら指さしたのは、酒場だった。
 それを見た途端、ヒュンケルの表情がわずかに緩む。

 飛び抜けて酒好きというわけではないが、ヒュンケルにしろラーハルトにしろ酒は嫌いな方ではない。適度な酒は心と身体を心地よく酔わせてくれるし、いい気分転換にもなる。

 それに、酒場というのは情報収集の場としても優れている。
 ほとんどの人間は、酔いが回れば口も軽くなる物だ。他では聞くことの出来ないような情報も、酒場でなら手に入ることは多い。酒場の片隅で酒を飲みながら耳を澄ますだけでも、それなりの情報は得ることがでいるものだ。

 聞き込み作業が苦手なヒュンケル達にとって、酒場は手頃な休憩所であると同時に、運が良ければ情報を手に入れられるかも知れない場所だ。
 わざわざ探してまで飲もうとは思わないが、旅先でよさげな酒場を見つけたら見逃さない……その程度には、彼らは酒を好んでいる。

(そう言えば、久しぶりだったな)

 早くも喉が渇いてきた様な気がするのは、しばらく酒場から遠ざかっていたせいだろうか。
 ここのところ、野宿が続いて酒場などにはとんと縁が無かった。そのせいか、酒場の灯りがやけに誘惑的に見える。

 安っぽくてどことなく荒んだ感じがする店なのも、ヒュンケル的にはポイントが高かった。女性の給仕を置き、酒ばかりではなく色も売る酒場というものは華やかではあるが、ヒュンケルやラーハルトにしてみれば閉口する。

 女性と関わり合いたくないと考える彼らにしてみれば、お色気サービスなど無用の物だ。というよりも、女性がいる店だとその分酒代に上乗せされて高くつくし、勝手に女達が寄ってくるせいで他の男達にやっかまれたり、絡まれたりする率が上がるので、女性がいる店にはむしろ近寄りたくはない。

 色気抜きの場末の店の方が、かえって酒を純粋に楽しめるというものだ。その意味で、今日の店は合格だった。

「悪くないな」

「ああ。少し、よっていくか」

 言葉こそ少ないが、ヒュンケルとラーハルトの意見は完全に一致していた。そのままなら、二人とも酒場へと乗り込んでいっただろう。
 だが――。 

「え? おまえら、酒場なんかに行くのかよ?」

 その声に振り返った先にいたのは、驚いたような顔をしたポップだった。ヒュンケル達は一瞬顔を見合わせた。彼らにしては非常に珍しいことではあるが、がっかりしたような表情がそこに浮かぶ。

「………………そういえば、おまえが一緒だったな」

 憮然と、ラーハルトが呟く。
 さっきから妙に大人しかったので忘れかけていたが、今日はいつもと違ってヒュンケルとラーハルトの二人きりではなかった。ポップも一緒だったことを、今になってから思い出す。

 ヒュンケルがラーハルトと組んでダイを探すために旅に出たのと同様に、ポップはマァムやメルルと一緒に三人で旅に出た。

 普段はそれぞれ別の場所を旅しているが、時折顔を合わせて情報交換をするようになってから、結構経つ。今日も、そんな情報交換のための顔合わせだった。

 その際、裏通りで買い物をする予定だったヒュンケル達に、興味を持ったのか付いてきたいと言い出したのは、ポップの方だった。

 どんな町でもそうだが、大きな町ともなれば表だっては売ることの出来ない特殊な事情のある商品……たとえば、盗品だの効果の怪しげな魔法道具だのを専門的に扱う闇市めいたものは存在する。

 通常より値段が高くつくためとガラの悪い連中が揃いがちなため一般人は近寄らないが、元々一般人とは言いがたいヒュンケル達にとっては、闇市は実に都合のいい買い物先だった。

 洞窟などで仕入れた魔法道具を売り払うのにも向いているし、なまじ怪しい連中が揃っているおかげで元魔王軍のヒュンケルや魔族の血を引いているラーハルトの存在も目立たずにすむ。

 闇市で買い物をするのはヒュンケル達にとってはごく当たり前のことなのだが、ポップには物珍しかったらしい。

 考えてみれば無理もない話だが、闇市は治安が悪いすぎて、まだ子供の殻が抜けきっていない少年が行くような場所でもなければ、ましてや女連れで行けるような場所でもない。

 アバンやダイと旅をしていた時も、闇市には行ったことはないというポップは、興味津々で行きたいと言いだした。

 もちろん、ヒュンケルもラーハルトも反対した。
 ヒュンケルは兄弟子として、まだ成人もしていない弟弟子を連れて行くべき場所ではないと思ったのだが、ラーハルトは単に「面倒だ」と切り捨てただけだった。

 が、どっちにしろポップの猛烈な抗議を喰らったのは同じだった。
 おまえらに迷惑をかける気なんかないし、危険だというのならマァムやメルルは宿屋に残ってもらうし、自分一人なら男だから平気だろうと主張する。あまりに強くごねるので、とうとうラーハルトが根を上げたのか『ついてきたければ、勝手にしろ』と言い、同行するはめになった。

 しかし……一緒に歩き出してから10分もしないうちに、ヒュンケルはもちろんのこと、ラーハルトもこの決断を深く後悔する羽目になった。

 なにしろ、ポップときたら危なっかしいことこの上ない。
 ヒュンケルやラーハルトならば、闇市を歩いていても特に問題など起きはしない。どんなに頭の悪いチンピラだろうと、見るからに凄腕の戦士だと一目で分かる彼らにちょっかいをだすような馬鹿な真似はしないからだ。

 だが、ポップは一見、ごく普通の少年だ。それも、ごく細身でいかにも弱そうに見える。

 ポップが好んで良く着ていた旅人の服姿だったのならまだしも、高価そうなブレスレットをはめ、レオナの配慮でやけに豪華な服を着ているせいか、闇市ではやたらと浮いていた。いいカモだとばかりに、ポップに絡んで金を巻き上げようと企んだ小悪党は片手では数え切れないぐらい出現した。

 そんな連中を牽制したり、追い払うのにも苦労させられたが、それ以上に厄介だったのはポップ自身だ。好奇心の強いポップは、珍しい売り物を見るとひょいひょい自分から店を覗き込みに行く。

 危機意識に欠けるポップは、女性だけではなく年若い少年もまた、この闇市では危険な目に遭う可能性など全く気づいていなかった。

 こんな怪しげな闇市で未成年者を見失ったら、最悪の場合、二度とお目にかかることはない。おかげでヒュンケルとラーハルトは、迷子になりやすい子を持つ保護者の苦労を、たっぷりと味わうことになった。

 あまりに手を焼かされるので、いっそ放っておこうかと思った。実際、ラーハルトは一度ならずそう主張した。
 だが……、ヒュンケルはマァムからすがりつくように頼まれていた。

『お願い、ヒュンケル。ポップから目を離さないでね。今のポップは……私達が側にいないと、魔法は使えないの』

 それは、初耳だった。
 もっと詳しい話を聞きたかったが、ポップの目を盗んでこっそりと囁かれた話でもあるし、それしか聞けなかった。

 だが、それだけ聞けば、十分だ。
 魔法抜きのポップは、一般人の少年と大差は無い。それを思えば尚更、荒っぽい騒ぎがしばしば起こる闇市で放置できなかった。

 おそらくはアバンも味わったであろう苦労を、嫌と言うほど堪能したヒュンケルとラーハルトにとっては疲れる一日だった。やっと用事が済んで一息入れたいのは山々だが、とてもいつものように気楽に酒を飲める状況ではない。

「……今日は、止めておこう」

 多少の後ろ髪を引かれつつも、ヒュンケルはそう言った。
 闇市でもあれだけの苦労を強いられたのだ、酒場ともなれば更に苦労するのは目に見えている。それぐらいならばポップをさっさとマァム達のいる宿屋に送り届けて、普通に休んだ方がいいと思えた。

 その気持ちは、ラーハルトも同じだったらしい。
 未練げに酒場を眺めやりながらも、彼は頷く。が、そこで余計な一言を言うのがラーハルトだった。

「ああ、子供連れで酒場になど行けるか」

 不機嫌さ丸出しながらも、そのモラルとしてはヒュンケルも同感だった。が、それを聞いた途端、ポップの機嫌は一気に斜めに傾いた。

「なんだよっ、人をガキ扱いしてっ! バカにすんなよ、おれだって酒ぐらい飲めらぁ!」

 ――誰もポップの名前など、出してはいないのだが。
 が、ムキになりやすいポップは、鼻息も荒く酒場に向かってずかずかと歩き出す。

「おい、マァム達が待っているだろう」

 引き留めてはみたが、ポップは聞く耳も持たない。

「気になるなら、おまえらだけ先に帰ればいいだろっ」

 そう言って、すでに酒場の中に入り込んでしまう。こうなると、無理矢理連れ戻すわけにもいかない。

 ポップに限って、大人しく自分達の説教を聞き入れて素直に帰るという選択肢はないだろう。さんざん文句を言い、抵抗するぐらいのことはしそうだ。となると、力尽くで連れ戻すしかないが……自分達の人相が決して善良な一般人とは言いがたいことを、ヒュンケルもラーハルトも自覚している。

 親兄弟とはとても見えない風体で、抵抗する少年を無理矢理連れて行こうとすれば――それはどう見たって、誘拐犯以外の何物でもない。
 かえって騒ぎになるのは、ゴメンだった。

(仕方がないか……)

 顔を見合わせてから、ヒュンケルとラーハルトもポップに続く。
 安酒場特有の酒と煙草の匂いがムッとむせかえるように漂う店は、薄暗かった。

 思った通り、女っ気の無い店で店内にはいくつかのテーブルがあり、複数の男達がそこで酒を飲んでいるのが見えた。新入りが酒場に来たのを見て、喧騒が一旦静まって視線がヒュンケル達に集まる。

 それは酒場では珍しい反応ではないのだが、こんな場所に来るのが初めてなのか、ポップは竦んだように一瞬戸口で立ち止まる。
 と、カウンターの奥にいたマスターが声を無愛想にかけてきた。

「いらっしゃい。お客さん、三名かい? 今は、カウンターしか空いてないよ」

 それで文句があるのなら帰れと言わんばかりの、客商売にあるまじき素っ気ない口調だった。

 せいぜい7、8人しか座れないと見えるカウンターは、半分ぐらい埋まっていた。まるで止まり木のように、丸太を横にした形で据えた簡易式の腰掛けは、こんな安酒場ではよくあるものだ。

 制作費が安く済むし、軽く腰をかけて一杯を引っかけるのにちょうどいいし、詰めれば椅子に座るよりも多人数が並ぶことが出来る。

 もっとも、こんな酒場でぎゅうぎゅうに押し詰めになって飲むのを好む者はほぼいないので、この方式のカウンターは実は騒ぎの元になりやすい。
 並んで酒を飲んでいた荒くれ男が、やれ肘がぶつかっただの何だのと、揉めるきっかけになるのである。

 正直、この時点でヒュンケルは引き上げたい気分が強まった。酒飲みの中には、マスターとのやりとりを好んでカウンターを選びたがる者も多いが、口べたで人付き合いが苦手なヒュンケルはどちらかと言えばカウンターは敬遠したい方だ。

 だが、ポップはずかずかと入っていって、カウンターに腰を下ろす。が、その様子はいかにも不慣れだった。

 この手の止まり木になれている男ならば、普通はまたいで一旦奥に入ってから腰掛ける。それも、腰掛けると言うよりは浅く腰を預けると言った感じに身体を休ませるにとどめるものだが、生憎とポップはそこまで長身ではない。成人男性の身長に合わせた止まり木式椅子は、ポップには腰の高さが少々合わなかった。

 座り方を知らないせいもあるだろうが、まるでよじ登るように這い上がって、普通の椅子に座るようにしっかりと腰掛けてしまう。元々背丈が足りていないのに深く座ったせいで、足がわずかとは言え浮いてしまっているのが、尚更子供っぽく見える。

 その仕草を見物していたのか、酒場のあちこちから失笑がこぼれるのが、何とも居心地が悪かった。別に、自分が笑われているわけではないのに、ヒュンケルまで何となく気恥ずかしくなってしまう。ポップの隣に腰掛けながら、ヒュンケルは何となく俯いていた。

 それはラーハルトも同じなのか、彼もそそくさと無言で止まり木に腰掛ける。それも、ポップとは無関係だと言わんばかりに、彼から少しでも離れようとわざわざ回り込んでヒュンケルの隣へと腰掛けた。

 ヒュンケルとしては、ラーハルトにはポップを挟む形で向こう側に座って欲しいと内心では思っていたのだが、口に出すほどのことでもないだろうと飲み込んだ。

「さて、何を飲むかね? ミルクでもいるかい」

 様々な酔客に慣れているはずのマスターが、苦笑しつつポップに話しかける。明らかなからかいを含んだ注文取りに、ポップがムッとした顔になった。

「ガキじゃあるまいし、酒場でミルクなんか頼むわけあるかよ! 酒にきまっているだろ!! お金なら、ちゃんと持っているんだ!」

 ヒュンケルは、密かに祈った。
 ここで、マスターが子供には酒は飲ませられないと突っぱねてくれれば、ここで話は済むのではないかと。だが、場末の酒場のマスターには、そこまでの職業的倫理感はない様子だった。

 金さえ払うのなら客の年齢などどうでもいいとばかりに、壁に貼った薄汚れたメニューを軽く指し示す。
 途端に、ポップは固まった。

「え、こんなにあるのかよ。えっと……」

 酒のメニューを見て、ポップが困ったような顔をしてうろたえる。人並み以上の頭脳と知識を持っているポップだが、こんなことに関しては年相応の知識しか無いらしい。見栄を張ろうとも、ポップの様子は到底慣れている様には見えない。というよりも初心者丸出しである。

 その様子を見かねたのと、別の理由からヒュンケルはポップに代わって口を出した。

「ワインはあるか?」

 ヒュンケルの問いに、マスターは軽く頷いてカウンターの後ろの棚を指し示す。数は少ないが、ワインの種類も何種類かはあるようだ。
 だが、残念ながらと言うべきか、ヒュンケルはワインの銘柄には詳しくはない。よって、注文はごく直接的なものになる。

「出来るだけ、甘くて弱いものがいい。こいつでも飲めそうなものを、頼む」

 ヒュンケルにしてみれば、純粋な親切心からの注文だった。が、この注文は痛くポップを怒らせたらしい。

「なんだよっ、その注文は!? 人をバカにしているのかよっ、そんなのおまえが飲めばいいだろ! おれは、あいつと同じのにする!!」

 と、ポップが指さしたのはラーハルトの持っていた酒だった。いつの間に注文したのか、ちゃっかりと自分だけ酒を飲んでいたラーハルトは感心しないとばかりに眉をひそめたが、特に何も言わなかった。

「ほいよ」

 マスターは手慣れた様子で素早く酒をグラスに注ぎ、カウンターを滑らせるようにして酒を送ってくる。
 場末の酒場では珍しくもないやり方だが、ポップには初めてお目にかかる方式だったようだ。

「え、うわわっ?」

  咄嗟のことで受け止め損ねて自分の前まで流れてきたグラスを、ヒュンケルは軽く受け止める。親切でそうしたというよりは、習慣上、つい手が出てしまっただけだが、ポップは気に入らないとばかりに大いにむくれた。

「なんだよ、おれの酒だぞっ、取るなよ! おまえは気取ってワインでも飲んでりゃいいだろっ」
 
 ヒュンケルからグラスをひったくり、それを飲んだ時のポップの顔は見物だった。一口、口に含んだ途端、まるでとんでもなくまずい物を口にしまったかのように、露骨に顔をしかめる。

「……オレにも、同じ酒を頼む」

 極力ポップを見ないようにしつつ、ヒュンケルもマスターに注文した。もし、ここで迂闊にポップを見たりすれば、笑わないでいられる自信がヒュンケルにもなかった。

 ここでヒュンケルがうっかり失笑でもしてしまえば、ポップが癇癪を爆発させて不満をぶつけてくるのは目に見えている。ここはそっとしておいた方が良いだろうと、ヒュンケルは自分の前に送られてきた酒を煽った。

「……いけるな」

 さして期待はしていなかったが、その酒は予想以上に美味かった。
 どっしりとした飲み応えを感じる辛口の酒は、ヒュンケルの嗜好にはぴったりだ。ラーハルトも気に入ったのか、無言のままお代わりを重ねている。

 良い酒には肴などなくてもいいと考えるタイプのラーハルトは、摘まみも頼まずに酒だけを立て続けに煽っていく。気に入った酒に出っくわすほど、その傾向が強くなる。

 相当に度数の強い酒ではあるが、ラーハルトはいくら飲んでも酔った様子も見せないウワバミだ。

 その点はヒュンケルも大差は無い。
 酒の美味さに釣られていつものように2、3杯立て続けに飲んでいる間、ヒュンケルは手のかかる弟弟子のことなど忘れていた。

 ――が、そのわずかな時間の放置が、命取りだった。
 何度目かのお代わりを受け止めようとした時、子供っぽい手がヒュンケルよりも先にそれを奪い取る。

「っく……、なんなんだよ、てめーら、んなにぐびぐび酒ばっか飲んれ……! 飲み過ぎらぞっ!!」

 頭ごなしに怒鳴りつけてくる声は、普段以上に高くて、しかも呂律が回っていなかった。目も据わっているし、顔も真っ赤でフラフラしている弟弟子こそ、飲み過ぎとしか思えない様子だった。

「飲み過ぎなのは、おまえの方だろう」

 自分が見ていない間に、そんなにも飲んだのかと一瞬思ったヒュンケルだったが、ポップはお代わりをした様子がなかった。というより、最初の一杯の酒すら飲みきっていないのか、半分ぐらい残っているのが見える。

 しかし、たったそれっぽっちしか飲んでいないのにもかかわらず、ポップはすっかりとできあがってしまったらしい。

「よってぬぁい!」

「その有様で、どこが酔ってないと言うつもりだ」

 うんざりとした口調で、ラーハルトがツッコむのも無理もない。が、酔っ払いほど酔っていないと言い張るように、今のポップも同じだった。

「うっせえ、よってぬぁいったら、よってぬぁいやい! それより、おめーらはもう飲んららめらっ!! もったいないらろっ!」

「……今のおまえに、言われたくはないな」

 冷たく、ラーハルトが言い返す。
 さすがに口に出す気は無かったが、ヒュンケルも内心はラーハルトに同感だった。

 どう見ても、今のポップは飲み過ぎだ。これ以上――あるいは最初から、飲ませない方がいいのは明白だし、そもそもこんな状態の酔っ払いに酒を飲ませるなんて、それこそもったいなさ過ぎる。
 が、ポップは強情に言い張った。

「らめらったら、らめらっ! んな、つまんなそーな顔して飲むらけなんて、絶対らめだっ!! そんらの、ダイが喜ぶわけねえらろっ!」

「……!!」

「――!?」

 ヒュンケルとラーハルトが、小さく息を飲む音が見事に重なる。
 致命的な爆弾と共に消え去ったまま、未だに行方の分からない勇者の名前にはそれだけの威力があった。

 ましてや、ダイの名を口にしたのはポップだ。
 あれ以来、ポップはダイの名前をあまり口にしようとはしない。意識的なのか、それとも無意識なのか、『あいつ』と呼ぶことが多いのだ。

 しかし、酔って理性が薄れたポップは、今まで自分に課していた小さな戒めなど忘れてしまったのか、目を据わらせて自分より一回りは大きい男達に説教する。

「だいたい、気に入ららいんら! おめーら、なんれそんなに、きつい旅ばっかしてるんら! 買い物とかも変なとこにしかいかないし、こんな酒場で飲むらけが楽しみらなんて……っ、そんなの、つまんないらろ!
 もっろ、楽しめばいいらろっ!!」

 呂律が、完全に怪しかった。
 おまけに、言っていることも筋が通っていない。だが、それでもポップが本気でそう思っていることだけは、伝わる。

「ダイだって、きっとそう思うに決まってる……! らから、おめーらはもっと、楽しくやるんらっ!」

 酔っているポップは、同じ言葉を繰り返す。それだけは絶対に譲れないぞと言わんばかりの、気迫を込めて。

 それは、酔っているからこそ漏らすポップの本音なのだろう。それが分かるからこそ、ヒュンケルはどう答えて良いのか分からずに口を閉ざしてしまう。
 ポップが自分達を心配してくれているのは分かるし、言い分も理解できる。だが――ヒュンケルは至って真面目な性格だ。

 約束できないかもしれないことを、軽々しく返答できないタイプだ。
 実際には酔っ払い相手には逆らわず、はいはいと相づちを打つのが一番なのだが、地底魔城育ちの彼にはそんな世間知もない。結果的に何も言えないヒュンケルに、ポップはまた最初から話を繰り返そうとする。

「おめーら、聞いれるのか!? 聞いれないなら、もっかい言うら! らいたいおめーらは――」

 酔っ払い特有のループ会話に突入しようとしたポップに対して、口を開いたのは意外にもラーハルトだった。

「……楽しんでいるぞ」

「ほへ?」

 理解できないとばかりに、ポップが目をぱちくりとさせる。そんな仕草こそは取らなかったものの、心境的にはヒュンケルも同様だった。

 一緒に旅をしておいてこういうのも何だが、ヒュンケル以上に無口で黙々と行動するラーハルトが言った言葉とも思えない。
 だが、彼は大真面目だった。

「おまえにどう見えているかは知らないし、ヒュンケルの奴がどうかも知らないが、少なくともオレはこの旅を楽しんでいる。たまには、楽しいことがあるしな」

 その言葉が嘘かホントか、ヒュンケルには区別がつかなかった。
 だが、ポップは少し首を捻ってから、納得したように大きく頷いた。

「んっ、なら、いいら! じゃ、楽しくやるら! かんぱぁーい!」

 言いながら、ポップはさっきヒュンケルンから奪い取った酒のグラスをラーハルトに向かって突き出す。
 ラーハルトなら無視するかと思いきや、これまた意外なことに彼は自分のグラスを軽くあげてそれに応じる姿勢を見せた。

 が、ポップの気分はともかくとして、身体はもう限界だったようだ。
 酒のグラスを明後日の方に差し出しつつ、ポップの身体がぐらりと大きく傾く。

「はら?」

「危ないッ!!」

 間一髪で、ヒュンケルは止まり木から真っ逆さまに落ちかけたポップを抱き留めるのに間に合った。この勢いで頭でも打ったらただではすまなかっただろうとひやりとしたが、当のポップは暢気なものだった。

「んー、なんれじゃまするら? せっかく……らーはるろが…笑っら……のに……」

 螺子のきれたオルゴールのような言葉を最後まで言いおわらないうちに、ポップはそのまますとんと眠りに落ちる。

「おい、ポップ? ポップ、起きろ」

 声をかけても、すーすーと気持ちよさそうな寝息が聞こえるばかりだ。もはや完全に酔いつぶれてしまったらしい弟弟子を抱えて、ヒュンケルはため息を一つつく。
 
「勘定だ。釣りは要らない」

 ぐんにゃりとしているポップを背負い直しながら、ヒュンケルは飲んだ酒代よりも多めの金額をカウンターに投げ出す。騒がせた迷惑料のつもりだったが、マスターは後ろの棚から一本の酒を取りだしてひょいと投げ渡してきた。

 その銘柄を見て、ヒュンケルはわずかに驚く。
 釣り以上の値打ちのある、なかなかの酒だった。

「釣りの代わりだ。そう滅多には聞けない、いい説教を聞かせてもらったからな」

 一瞬、ヒュンケルはそれが皮肉かと思った。
 だが、苦笑を浮かべてはいるものの、マスターの浮かべている表情は皮肉とはほど遠い柔らかなものだった。

「お客さんらは、運が良い。酒ってのは、心配して止めてくれる誰かがいると、なお美味くなるもんだよ」

 その声を背に、ヒュンケルは酒場から立ち去った。







(やれやれ、マァムやメルルになんて言えばいいか)

 そのことを心配しながら、ヒュンケルは二人がいるはずの宿屋へと向かう。しばらく歩いてから、ヒュンケルは後ろも見ずに声をかけた。

「すまないな」

 静かに歩いてくる半魔の青年に、ヒュンケルは謝罪する。
 ヒュンケルは、まだいい。これでもヒュンケルはポップの兄弟子だ、身内に迷惑をかけられたり、面倒を見るのは当然と言えば当然だ。だが、ラーハルトにはそんな義理もない。

 本来なら、ヒュンケルとラーハルトは宿屋に行く必要などなかった。
 闇市で買い物をして必需品を買い込み、酒場で渇きを癒した後はすぐに町を出て、また野宿をメインとした旅に戻る予定だった。

 それなのに、ポップが騒いだせいで酒は十分に飲めなかった。買い物の時だってポップが足を引っ張っていたのは事実だし、今夜も成り行きから言って自分達も宿屋に泊まる羽目になるだろう。

 ダイを第一に思うラーハルトにとっては、さぞや時間のロスとして感じられるだろうと思うと、申し訳ない気分になる。
 だが、ラーハルトの返事は意外だった。

「なに、こっちも楽しませてもらっている」

 驚きに、ヒュンケルは思わず足を止めてしまう。が、ラーハルトはそんなことになど気がついていないとばかりに、ずかずかと歩いて行く。

「そうでもなければ、こんな厄介なガキの面倒などおまえに押しつけて、一人で先に進んでいる」

 平坦な声からは、ラーハルトの感情は窺えない。また、先を歩いてしまっているため、その顔を見ることもできない。

 だが、それでもヒュンケルは、今のラーハルトがかすかな――本当に、見逃してしまいそうなほど、かすかな笑みを浮かべているのではないかという確信があった。

「……それもそうだな」

 今度こそ深く納得して頷くヒュンケルの顔にも、わずかな笑みが浮かんでいた――。   END 


《後書き》
 
 酔っ払いポップに、苦労性のヒュン兄さん、意外と付き合いのいいラーハルトの組み合わせは書いてて結構面白かったです。ポップは自覚していそうもないですが、ヒュンケルやラーハルトの旅で、一番の楽しみはポップ達とのニアミスだと思っています♪

 ドラクエと言えばルイー○の酒場が有名ですが、あまりにも健全なイメージなのが物足りないので、西部劇やファンタジー世界でよくある怪しい酒場を演出してみました♪

 アウトローな酒場はヒュンケルやラーハルトにはぴったりですが、ダイやポップにはとことん不向きだと思っています(笑)

 止まり木式のバーカウンター、以前、なにかの映像で見たような記憶がうっすらあってお気に入りなんです♪ 足の長い人はひょいとまたいで、格好良く座るのですが、短足なギャグキャラは思いっきり失敗していたような気がしますね(笑)

 他にも、マスターがカウンターを滑らせてきたグラスを格好をつけて取ろうとして、失敗してガチャンと落としたりとか。
 なんの作品だったか全く思い出せないんですけど。

 もしかすると、映画ではなく○リフかなにかのコントだったかもしれません♪

 しかし、これでマァムとメルルと一緒に酒場に来たら、また違った意味合いで大騒動が発生していたでしょうね(笑)
 えー、最後に、今更ながらの手遅れ感がありますが、一言。
 お酒は20才になってから(笑)


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