『獣王の行方』 |
「……負けるなよ……」 背中から強い風を受けて、獣王が身につけていたマントが大きくはためく。 だが、彼は今、胸を張ってしっかりと立っていた。 隻眼となったその目は、真っ直ぐにダイへ――己を倒した、小さな勇者へと向けられている。 「……勇者は、常に強くあれ……!」 揺るぎない、強い言葉。 本来ならば、その背を頑丈な城の壁が支えただろう。 獣王の突然の行動に誰もが目を見張ったが、当の本人だけは落ち着き払っていた。ごく当たり前のことだとでも言わんばかりの表情のまま、重力のままに落下していった。 それがクロコダインの叫びだと、ダイは直感的に悟っていた。その声の後で、重い地響きと共にかすかな振動を感じる。 壁際ギリギリまで走って行き、大穴から下を見下ろす。その際、ひやりとした感覚を味わうのは、高所に対する本能的な恐れだ。ロモス城の王間は、城の中でも最上部に位置している。 そこから真下までの距離は、例えではなく目が眩む高さだった。ここから真下まで落ちれば、万に一つも助かる見込みなどない。空を飛べれば別だが、クロコダインの巨体が落下していくのをダイははっきりと見た。 ダイは目をこらして、幾度も地上を探してみる。もしかして、クロコダインの姿が見えるのではないかと期待して。 だが、森の王国の二つ名を持つロモス城の外周は、半分ぐらいは森に接している。城の前面はごく一般的な城と同じように町の中心部に向いているが、城の後部を守るのは自然の森だ。 通常の城が高い塀で自城を守るのとは全く違う発想で、城の半分ほどが森に半ば溶け込むような作りになっている。森の木々こそが自然の城壁として攻撃を防ぎ、ロモス城を守るのだ。 クロコダインがこの穴から落ちたのであれば森の中に落下したはずだが、その痕跡を見いだすのは不可能だった。 (……クロコダイン……) 行方の見えない強敵を思いながら、ダイはそのまま立ち続ける。そんなダイに声をかけてきたのは、マァムだった。 「ダイ。いつまでも、そんな所にいると危ないわよ。それに、あなたも手当もしなくっちゃ」 別にダイ自身は、自分が危ない場所にいるという自覚など無かった。なにしろ島にいた頃は高い木に登るのはしょっちゅうやっていたのだ、高い所は得意な方だ。足下にさえ気を配っていれば、高所だからといって特に問題は無い。 それに戦いの最中にゴメちゃんの不思議な力で体力を完全に回復してもらったせいか、疲れや痛みもほとんどない。しかし、心配そうにそう声をかけてくれたマァムの思いやりを思うと、これ以上この場にとどまり続けるのもためらわれる。 素直にその場から引いたダイだが、自分に向かって手を差し伸べようとするマァムの優しさの方は遠慮する。 「ううん、おれは平気だよ。それより、王様やポップは?」 マァムは回復魔法を使えるが、その力はそんなに強いとは言えない。 そう魔法力が高くはないマァムは、かけることの出来る魔法の数に限りがある。 それを知っているからこそ、自分よりも王様やポップの回復を優先して欲しかった。自分で言うのも何だが、ダイは頑丈さには些か自信がある。ちょっとぐらい怪我をしても、どんなに疲れても、一晩寝ればケロリと治る。 しかし、ロモスの王様はなんといっても年寄りだし、ポップは魔法使いなだけに体力的には一般人と変わりがない。なのに、クロコダインの攻撃に晒された二人が、ダイはひどく心配だった。自分よりも二人の手当を優先して欲しかった。 「――先生が作ってくれたマホカトールの結界で覆われているから、デルムリン島まで戻れば安心だよ」 「うむ、それならばさっそく船の手配をすることにしよう」 「め、滅相もない、王様にそんなに気を遣っていただくとは……っ」 戦いが終わったばかりなのに、ロモス王とポップはブラスの処遇について話し合っている様子だった。 (よかった……!) 本人の意思ではなかったとは言え、ブラスがロモス城の人達に魔法を使ったのは紛れもない事実だ。戦いの中で、兵士達がブラスを悪い怪物と決めつけて剣を向けようとした時の恐怖を、ダイはまだ覚えていた。 だが、ロモス王はブラスに対しても親切だし、どうやら島に送ってくれるつもりらしい。これでももう大丈夫だと安心したダイだったが、ロモス王の近くにいた兵士の一人が、恐る恐るのように口を差し挟む。 「ですが、王様……その、この怪物がこの魔法陣からでたのならば、またさっきの繰り返しになるのでは……?」 そう言いながら、兵士は恐れるような目をブラスに対して向ける。 (なんで!? なんで、じいちゃんをそんな風に思うんだよ……!?) ブラスは、悪い怪物ではない。 なのに、城の兵士達がブラスを見る目は魔王軍の怪物を見る目と同じだった。 怪物島で生まれ育ってダイにとって、初めて知る痛みだった。その痛みがあまりにも強すぎて、ダイは言葉もなくして立ち竦むしかできない。 いつもよりもやけに小さく見えるブラスが、俯きがちになっているのを見るのは辛いのに、ダイにはどうしようもできなかった。 「ああ、大丈夫、大丈夫。そんな心配なんか、いらないって」 その場の暗い空気など吹き飛ばしてしまうような調子の良さで、そう請け負ったのはポップだった。立つ力が無いのか、単にバテているのか、ブラスの横にちょこんと胡座をかいて座り込んでいる魔法使いの少年は、自信たっぷりに部屋の隅を指さす。 「あの筒、拾って欲しいんだけど」 などと軽く言ったが、ポップが指さしている辺りは瓦礫が特に激しく広がっていて、何が何だか分からない状態になっている。戸惑いがちの兵士達が『あの筒』を見つけるよりも早く、目的の物を手にとって見せたのはマァムだった。 「これのこと?」 マァムの手に握られた筒には、ダイは見覚えがあった。 戦いに夢中だったダイも気が付いていなかったことを、ポップはめざとく見つけていたらしい。マァムから筒を受け取ったポップは、壊れていないか軽く確かめてから、へラッと笑う。 「ああ、さっきクロコダインが持っていたこの魔法の筒があれば、問題ないよ。 「お、おう、もちろんじゃ、ポップ君。なんなら、今から入っても――」 ブラスが自分からそう言い出すのを聞いて、ダイはまた、胸がざわめくのを感じる。 (じいちゃん、あの中、嫌いなくせに――) 魔法の筒は、怪物を封じ込める能力を持つ。 前にダイがうっかり、ブラスを間違えて封印した時は、ブラスはひどく怒って筒から出せと騒ぎ続けた。 なのに、今は自分から閉じ込められてもいいと申し出ている。周囲の人間達に気を遣っているのか、そんな風に下手にでるブラスの姿を見るのがダイには、何となく悲しかった。 「いや、とんでもない。船出の際にはもちろん入ってもらわねば困るとは言え、今はその必要も無いでしょう」 優しく、だがきっぱりとした口調でそう言ったのは、ロモス王だった。 「しかし、ワシは……」 遠慮しようとするブラスの前に屈み込み、目線を合わせたロモス王は持ち前の穏やかな口調で彼に話しかける。 「あなたは、ダイ君の育ての親と聞きました。ならば、勇者の親へ対する礼を尽くしたいし、色々と聞きたい話もあるというもの。 にこにこと話しかけるロモス王の顔には、何の曇りも怯えも感じられない。ただ、どこまでも暖かかった。 「そうだよ、じいさん。そんなちっぽけな魔法陣でも、魔法の筒よりはマシだって」 魔法の筒をお手玉のように弄びながら、おどけたような口調でそう言うポップの言葉のおかげで、どこか強張っていた兵士達の顔にも笑顔が浮かび、その場の雰囲気が和らぐ。 「さあ、皆の者、ここにもてなしの支度を調えるのじゃ! 怪我人の手当もあれば、町や城の被害も調べねばならんし、やることはたくさんあるぞ」 「はいっ」 ロモス王に指示に従って兵士達は皆、声を揃えて一礼し、てきぱきと動き始めた。町の者の安否を気遣う王の意思を受けて、町へと向かった兵士の一団が一番多かったが、壊れた床や壁の応急処置をする者もいれば、怪我人を助けて運び出す者もいる。 ブラスのために、食事やらベッド代わりになりそうなクッションやらを持ってきてくれている兵士達の姿を見て、ダイは今度こそ心から安堵した――。 「それではネルソンよ、彼らのことは頼んだぞ」 王からの直々の命令に、船長は恭しく頷いた。 「はい、必ず」 短い受け答えだが、その堂々とした態度には王の信頼を受けるに相応しい風格が漂っている。 「ネルソンは船に関しては我が国で一番の腕を持っておる。きっと、おまえ達を目的地まで運んでくれよう。 王の話に応じて、三人の兵士達が揃って前に出る。 「彼らはデルムリン島に同行して、その後、ブラス殿の護衛として彼の地にとどまることになる。 ロモス王のその言葉に、ダイはパッと顔を輝かせる。 しかし、兵士達が守ってくれるのなら安心だと、ダイは単純に納得する。 「でも、いいんですか。ロモスだって、大変なはずなのに……」 魔王軍の猛攻を浴びて、ロモス王国はずいぶんと傷ついた。壊れた町を修復するのに、人手はいくらあったもたりないぐらいだろう。なのに、自分やブラスのために手を裂いてもらうのは悪いと思ったのだが、兵士達は口を揃えてダイに遠慮は無用だと大きく首を振る。 「いいえ、何を仰います! 我らの国が無事なのも、勇者様のご活躍あってのことではないですか!!」 「そうですとも! その勇者様のために力を貸せるのなら、これに勝る名誉はございません!!」 「それにご心配なく、勇者様。ロモスを苦しめたクロコダインは、もう死亡しました。我が国はもはや何の憂いもありませんよ」 誇らしげにそう言った兵士の言葉に、ダイは少しばかり表情を曇らせる。 「……クロコダインが死んだって……、死体が見つかったの?」 「いいえ、それはまだですが……。ですが、これ程の大捜査網を引いているのに未だに何の情報も入らないことこそが、彼の死を証明しているようなものですよ」 そうに決まっていると、決めつけているようなその口調もショックと言えばショックだったが、しかしダイにとってもっとショックが大きかったのは、それが当然とばかりにその場にいた兵士達全員が頷き合っていることの方だった。 人間達が、怪物の死を望んでいる……その事実は、ダイの心にかすかな、だが、確実な影を落としていた――。 「よお、ダイ。なにぼーっとしてるんだよ、らしくねえなぁ」 船縁でぼんやりとしているダイを見かけ、ポップは気軽な気持ちでひょいと声をかけた。 ついさっきまでなら、ロモスの港で大勢の人々が見送ってくれていたのが見えたから、律儀なダイが相手が見える間はここにいるのは不思議はなかった。野生児の強みで視力の良さを誇るダイは、誰よりも長い間、港が見えていたのだから、その分誰よりも長くここに居続けても疑問はない。 「いつまでもこんなとこにいないで、船室を見てみたらどうだ? すげえぜ、この船、やっぱ王様が用意してくれた船は違うよなー、部屋とかも広くて立派なんだぜ!」 はしゃぎ気味に、ポップはダイを誘う。 それだけにはしゃいであちこちを見て回るのに夢中になっていたポップは、浮かれてダイの肩を叩く。だが、自分を見上げたダイの顔を見て、真顔になる。 「な……なんだよ、ダイ。もしかして、気分でも悪いのか?」 その問いかけに、ダイは首を横に振る。 「ねえ、ポップ。もしかしたら……クロコダインは生きているんじゃないかな?」 「はぁあ?」 ダイの突飛な一言に、ポップは思わず目を見張る。 ダイは怪物島の生まれだ。 なにせ普通の村ならば小鳥がいるようなところをドラキーが飛んでいるし、猫や犬の代わりにスライムやももんじゃがうろついているような始末だ。 だが、最初こそは驚いたが、ポップはすぐにデルムリン島に慣れた。 しかも、ダイの存在のせいかずいぶんと人に馴染んでいる様子だった。 ポップやアバンがいても、気にした様子もなく伸び伸びと自然に振る舞っていた。 まるでおとぎ話にでてくる島のように、平和で穏やかな島だ。そんなところで暮らしてきたせいか、ダイは世間知らずというか何とも甘いところがある。 考えてみれば、怪物は動物に比べてずっと頑丈な上に寿命が長いとされている。 家畜やペットは人間よりも寿命が短いため必ず先に死ぬが、怪物はそうではないのである。そんな生活環境の中で生きてきたダイが、クロコダインの死をそうそう受け入れられないのも、無理はないと思える。 「だって、クロコダイン……まだ、見つかってないじゃないか」 真面目な顔で、ダイはそう訴える。 戦いの後、王の命令で兵士達が城の周辺を丹念に捜索したがクロコダインの遺体は見つからなかった。今も規模は縮小されたとは言え、捜索は続行中のはずだが、さっきの兵士達の報告を聞いた限りでもやっぱり彼は見つかっていないのだろう。 その事実を、ダイは肯定的に受け止めているようだ。もしかしてクロコダインにはまだ息があり、起き上がってどこかにいったのではないか、と――。 地面に落ちた衝撃でクロコダインは大きな損傷を受けただろうし、そもそも落下の前からいつ死んでもおかしくはない重傷だった。 死体が見つからないからといっても、それは即座にクロコダインの生存を意味しないと、兵士達は訳知り顔で言っていた。 動物や動物系の怪物の中に、他の生き物の死肉を食べるものは多い。と言うよりも、肉食獣の大半はそうだ。それも手伝って野生では、死骸は驚くほどの早さで消滅してしまう。死ぬ動物達の数は多いのに、死骸が人間の目につくことが少ないのはそのためだ。 (とは言っても、まだ早すぎると思うけどな〜) 兵士が言っていた言葉を、ポップは心の中でこっそり否定する。 これが不死系怪物などならば、死亡と同時に消滅してしまってもおかしくはないが、クロコダインはれっきとした肉体を持った獣系の怪物だ。死後は、人間や動物と大差はないはずだ。 しかし、そんな自然の摂理や法則を差し置いて、多くの人間はクロコダインの生存を望んではいない。 もしかしてまだ生きているかもと不安になるよりも、もう彼は死んでしまったのだと考える方がよほど安心できる。その気持ちこそが、死体が見つからないという不自然さからも強引に目をそらしていると言える。 まだ確証もないのに、ロモスでは誰もがクロコダインが死んだと決めつけたがっているし、すでに多くの人々がそう噂をしている。現に、ロモスの兵士達もそう言っていたのを、ダイだけではなくポップも聞いていた。 それに対し、ポップは特に反対も賛成もしなかった。 「ポップもクロコダインが死んだ方がいいって……そう思っているの?」 その時、風が静かに吹き抜けた――。 「……っ」 聞いた後で、ダイは無意識に息を飲む。 一緒にアバンと修行を受けたポップは、ダイにとっては最も親しい人間だ。出会ってからの期間は短いが、島の怪物達と同じぐらいに大好きだし、一緒に居て楽しい。 そのポップに対して、どうしてこんなに不安を感じるのか、ダイは理解してはいなかった。 もし、この場にレオナがいたのならば、聡明な彼女はダイの漠然とした不安の源を見抜き、ずばりと指摘してくれたことだろう。 ダイが恐れているのは、人間の怪物への差別意識だ。 だからこそ、ダイはポップにもそれと同じ感情があるかどうか、恐れつつも確かめずにはいられないのだ。 親しく思っている人間から受ける差別は、鋭利な刃物よりも深く、心の奥を抉る。それを無意識に感じているからこそ、ダイは恐怖に近い感情すら抱いていた。 しかし、それでもなお、ダイは勇者だ。 ダイにとっては、ずいぶんと長く感じられた時間――だが、実際には、それはそんなに長い間ではなかった。 「まっ、そうでもない、かな」 軽く首を傾げ、ポップはあっさりと答える。 「なにしろあのワニのおっさんはおっかなかったからなぁ、もう二度と戦いたくなんかねえけどよ〜。 拍子抜けするぐらい、軽い口調だった。 「ほ……ほんと?」 その途端、ポップの手が乱暴にダイの頭を掴む。そして、そのままくしゃくしゃにかき混ぜた。 「バッカ、おまえ相手にウソなんかついてどうすんだよ! それともおめえ、おれがウソをつくとでも思ってんのか?」 文句を言っているようでいながら、その声は明るかった。乱暴なはずの手も、暖かくてちっとも痛くはない。 「う、ううん、そんなの思わないよ」 「なら、それでいいじゃねえか」 今度こそ、その言葉はすんなりとダイの胸に落ちる。 「そんなこと気にしてないで、いい加減、向こうに行こうぜ。あっちに、おもしれえもんがあるんだぜ」 ポップの再度の誘いに、ダイは今度こそ頷いた。 「うんっ、ポップ」 生死の分からないクロコダインのことが、全く気にならないわけではない。 《後書き》 珍しく、シリアス気味な悩めるダイ君のお話です。 で、ダイがそれを自覚した時、密かに支えていたのがポップだったらいいな、と思っていました♪ しかも、ポップ本人が全く覚えていないような、自覚もしない細やかな形で。 漫画ではクロコダインとの戦いの直後、すぐにダイ、ポップ、マァムに装備を与えられた様な印象を受けますが、公式ガイドブックによるとクロコダインとのR2の戦いが16日目、勇者一行のロモス国民へのお披露目が17日目のできごととなっています。 で、さらにロモスを旅立ったのはその翌日の18日目。 |