『一つっきりの切り札』 |
「この大嘘つきめが……っ!」 年老いた姿と不釣り合いに鋭い眼光には、殺気すら漂っていた。 今すぐにでも魔法を放つぞと言わんばかりの姿勢は、恐怖を抱かせるには十分すぎるぐらいだ。 「おや、いつの嘘です?」 何の悪びれもなくしゃあしゃあと答えたのは、アバン=デ=ジニュアール。 常に浮かべているニコニコと穏やかな笑顔と相まって、アバンは一見、非の打ち所のない好青年に見える。――が、不幸にもアバンに見込まれて彼の一行に仲間入りを果たしたマトリフは、彼の表には見せないあくどさや計算高さも知り抜いている。 笑顔を浮かべるアバンに対して、マトリフは仏頂面をより一層しかめてさらに強面へと変化させた。 「……嘘なんかついていない、とは言いやがらないんだな、てめえは」 「そりゃあ仲間に対して、それも必要もない時にまで嘘をつきたくはないですしね。こう見えても、故郷では正直者で通っているんですよ、私って」 などと真顔で言ってのけるアバンに対して、マトリフは聞こえよがしの舌打ちをしたが、それぐらいで堪える男ではないと分かっている。だからこそ、マトリフは直裁に文句を叩きつけた。 「てめえ、よくも騙してくれやがったな! てめえ、リリルーラなんか使えやしないじゃねえかよっ!?」 と、怒鳴り散らす老魔道士の怒鳴り声は、迷宮内に木霊と共に響き渡った――。 事の起こりは、ロカの無謀っぷりだった。いや、それとも、アバンの探究心が根本要因とも言えるが、とにかく直接的なきっかけはロカだった。 アバン一行ではよくあることと言えばよくあることだが、その日、彼らは古い洞窟を探索していた。その洞窟に入ったのは、ほとんどアバンの趣味だったと言っていい。 遺跡などに強い興味を抱くアバンは、旅の途中で洞窟を見かけると欠かさずチェックしようとする悪癖がある。 魔王退治の旅の途中でいい度胸だと言うしかないが、この旅は期限のある旅ではない。アバンの旅立ちは王や国の命令などではなく自主的なものなだけに、制限は一切ない。 その上、魔王の居場所は未だに掴めず、噂程度の情報を元に敵の本拠地を探っている様な有様だ。 少しぐらいの寄り道をしても問題はないだろうという認識は、多かれ少なかれ一行の全員が持っている。状況的に切羽詰まっているわけでもないし、アバンが望むのなら洞窟ぐらい付き合ってもいいと言うぐらいの気持ちで入ったのだが、今度ばかりは一行の大多数がそれを後悔した。 見た目は有り触れた古ぼけた遺跡は、びっくりするほど罠だらけのトラップハウスだった。一行の中でもっとも経験を積んでいるマトリフでさえ、こんなにも厄介な罠を、しかも呆れるほど大量にしかけられた悪質な洞窟など初めてお目にかかった。 そして、運の悪いことにアバン一行には罠をかいくぐる技術を持つ盗賊はいない。 なまじアバンが様々な職業のスキルを持ち、そこそここなせてしまうのがある意味でタチが悪かったと言えよう。罠に対して全く手が出せないのであれば、洞窟に入る前の罠で探索を諦めていたに違いない。 しかし、アバンは無駄に器用な男だった。 アバンに対してもっとも懐疑的なマトリフでさえ、その認識は少なからずあった。 (過去に戻れるものなら、過去のオレをぶん殴ってやりたいもんだ!! こんな野郎を信頼したオレが馬鹿だったぜ……っ!!) 生兵法は怪我の元とは、よく言ったものである。 気がついた時には、すでに一行の行く手は解除不可能な罠に阻まれ、かといって戻りたくとも戻れない場所にまで潜り込んでしまっていた。それに気がついた時、もっとも激怒したのはロカだった。 無鉄砲なロカは、罠には至って引っかかりやすい。 ロカが暴れたせいで何かの罠が発動したのか、いきなり落とし穴が開いた。レイラとロカを飲み込んだ落とし穴はすぐに閉じてしまい、いくら攻撃しようと魔法をかけようと開かなかった。 「いやあ、困りましたねえ。まさか、こんな罠があるだなんて知りませんでしたよ。昔に読んだ『魔術師の夢』と言う文献で見たことはありましたが、まさか現在まで実在しているとはねえ。これはしっかりと記録しておかねば」 いそいそとノートに何やらを書き込んでいるアバンは、困っているという口調とは裏腹になにやら楽しげだった。 元々、好奇心が強い性格だ、想像を上回る罠や仕掛けを目の当たりにした興奮の方が勝っているのだろう。マトリフとて、知性においては他の職業の追随を許さない魔法使いの端くれだ。 知的好奇心が疼くのは理解できるが、だからといってこの状況でこの余裕はないだろう。仲間の心配をするどころか、目を輝かせながら罠の記録に勤しんでいるアバンに対して、マトリフは辛辣に言い放った。 「フン、ずいぶんとまあ、余裕なこったな。そんなものをせっせと書いたところで、脱出の役に立ちゃあしねえだろう。 皮肉たっぷりのマトリフの言葉にも、アバンは微塵も揺るがない。 「ああ、それはそうかもしれませんねえ。ならば、もう少し綺麗な字で丁寧に書いて置いた方がいいかもしれません」 大真面目にそんなことを言う間もメモる手を休めない余裕っぷりを見ていると、軽く殺意すら覚える。 迷宮で迷った仲間達の元に一瞬で瞬間移動できる、合流魔法(リリルーラ)を習得しているがゆえの余裕ならば納得できるが、彼がその魔法を使えないことはハッキリしている。 「嫌ですねえ、私は自分がリリルーラを使えるだなんて、一言も言った覚えなんかありませんよ。だいたい、大魔道士マトリフでさえ使えないような大それた魔法を、なんで私が使える道理があるんですか。 それに騙したなんて、人聞きの悪い。私はあの時、リリルーラをご存じですかと、聞いただけですよ」 その言葉に、マトリフのしかめっ面はさらに手ひどいものへと変化する。怒りのあまり怒鳴り散らしたい気分だったが、それを辛うじて堪えることができたのは、それが紛れもない事実だと分かっているからだ。 確かに、アバンはあの時、リリルーラで追ってきたとは言わなかった。 (チッ、確信犯かよ、こいつは! 相手をミスリードして騙そうとするだなんて、そこらの詐欺師よりもタチが悪い男だぜ……!) 勇者とはとても思えないやり口に呆れつつ、マトリフは憎まれ口を返す。 「――ったく、呆れたもんだぜ。ありゃあただのハッタリかよ……。仲間とは分断中だってえのに、よくもまあそんなに落ち着けるものだな。 「いいえ、全然」 まるっきり悪気もなさそうな口調で、アバンはあっけらかんとそう言った。 「そりゃあ、これでレイラとロカが離ればなれになっているのだったら、私も少しは焦りますけどね。でも、ロカがレイラを庇って落ちたのをあなたも見たでしょう?」 少しは、かよと突っ込みたい気持ちはあったが、マトリフは敢えて言い返さなかった。 今度も、アバンの言葉は正しい。 迂闊な行動で罠の発動スイッチを押してしまったのは紛れもなくロカだったが、その時、罠の真上に立っていた被害者はレイラだった。あのままならば、彼女一人が被害に遭って終わっただろう。 だが、ロカはレイラの悲鳴を聞いて、すぐに行動した。アバンやマトリフよりも早くレイラに手を伸ばし、助けようとした。それが間に合わないと知るやいなや、ロカは自分から落とし穴に飛び込んだ。 自分の身など顧みず、レイラを助けることこそが最優先だと言わんばかりに。 しまりかけた落とし穴から最後に見えたロカは、しっかとレイラを抱きしめていた。 「……まっ、あの体力馬鹿なら何が何でもレイラを守るだろうな」 そう言いながら苦笑してしまうのは、ロカの不器用さを知っているからだ。 彼女が気になって気になって仕方がないのか、いつもレイラを目で追っているし、意識しまくってやたらと突っかかり口喧嘩することも多い。 そのくせレイラに何かあれば真っ先に駆け寄り、彼女を守ろうとするのは決まってロカだ。 「でしょう? だから、私はあの二人の心配はしていませんよ。ロカがこの洞窟の怪物程度に後れを取るとも思えませんし、レイラもついてくれていますしね」 自信たっぷりに、アバンはそう言いきった。 無茶なせいで怪我を負いやすいという欠点はあるが、優れた僧侶であるレイラが側についているのなら回復にも不自由はしまい。 「ふん、とっとと行くぞ。とにかく、あいつらと合流しねえとな」 言いおわるよりも速く歩き出したマトリフに、アバンはひどく残念そうな表情になる。 「ええ〜、まだトラップや遺跡の柱をスケッチしきっていないんですけど」 などと未練たっぷりだったが、もちろんマトリフがそんなことで彼に同情するわけがない。素知らぬ顔で歩き続けると、アバンはメモ帳を片付けて後をついてきた。 これで悔しがっている様なら少しは溜飲が下がるというものだが、アバンはやけにさばさばした顔をしていた。 「やれやれ、そんなに急がなくても、たまには二人っきりにさせてあげてもいいと思ったんですけどねえ〜」 (なるほど、そんなつもりもあったのかよ) やけに余裕たっぷりだったアバンの意図を悟って、マトリフは内心、納得する。 くっつきそうでくっつかないロカとレイラを、見ていてもどかしく思っていたのはどうやらアバンもマトリフも同じだったようだ。が、マトリフはアバンほど若い恋人達に寛大ではない。 「はん、なら尚更さっさと割り込もうぜ」 「おやおや、それは野暮ってものじゃないですか。馬に蹴られても知りませんよ?」 「ケッ、男女の仲ってもんはちっとぐらい障害があった方が燃え上がるもんなんだよ」 悪趣味は承知の上でそう言うマトリフに、アバンは笑うばかりで止めようとはしない。友情に厚いようでいて、その点、アバンは結構ドライというか淡泊な一面があるようだ。 とりあえず下の階を目指して歩きながら、マトリフはふと思い出して聞いてみた。 「そういや、てめえ、あの時はいったいどうやって誤魔化しやがったんだ?」 誤魔化すとは人聞きが悪いですねえと笑いながらも、アバンはあっさりと種明かしする。 「ちょっとしたアイテムを使わせてもらったんですよ。ルラムーン草とアイテムを使ったんです。 「……聞いたことがねえな」 アバンの話に、不機嫌にマトリフは首を傾げる。 だが、マトリフの知識を持ってしても、アバンの言う魔法道具に心当たりはなかった。 「知らなくても無理もありませんよ。我が家に代々伝わる、魔法道具でしたから。どうやら古代期に作られた品らしいとは分かっていますが、詳しい仕組みまでは解明できませんでした。 門外不出の品でしたし、何しろ一つしかない使い捨てタイプの品でしたから」 「おい。……そりゃあ、とんでもねえ貴重品だったんじゃねえのか?」 頭痛を堪えている表情を浮かべながら、マトリフは結局見る機会のないまま消滅してしまった魔法道具を惜しむ。 古代期の魔法や魔法道具は、現代の物よりも強力な力を秘めている場合がほとんどだ。現代の技術では到底及ばない高度な技術が駆使された魔法道具は極めて貴重で、目玉が飛び出るような高値で取引される場合がほとんどだ。 実際、条件が必要とは言えリリルーラとほぼ同じ効力を発揮する品と言えば、その価値は計り知れない。 アバンやロカの話に寄れば、アバンはカールでは割合有名な学者の家系らしい。そんな一族の秘蔵の魔法道具と言えば、国宝に匹敵する価値があったはずだ。 「勿体ねえにも程があるぜ……っ、てめえ、そんな貴重な品をあんな悪戯じみた勧誘のために使い捨てたってえのかよ!?」 これまでも何度もアバンには驚かされ、呆れさせられたものだが、今の驚きは最大級と言っても良かった。 使いようによっては、それはアバンにとってはかけがえのない切り札となったはずだ。少なくとも、マトリフがもしそのアイテムの存在を知っていたのならできる限り温存し、魔王との最終決戦の際に利用しようと提案したことだろう。 しかし、アバンの意見はマトリフとは全く違っていた。 「いいえ、私は勿体ないなんて思っていませんが。それどころか、これ以上なく適切な有効利用をしたと自負していますよ。 マトリフの顔を真っ直ぐに見つめながら、照れもせずにそんなことを言ってのける――呆気にとられた後、老魔同士は気まずそうにそっぽを向いて鼻を鳴らす。 「けっ、言ってろ」 そう吐き捨てつつも、マトリフは内心でこっそりと思う。 まったく、これだから勇者には叶わない――。 END 《後書き》 『釣竿を持たぬ太公望』の後日談というか、おまけネタばらし話です♪ とは言え、特に説明するほどでもないかなと思い、裏設定にとどめておこうと思っていましたが、拍手コメントでアバンが破邪の洞窟でリリルーラを覚えたはずなのに、なぜこの時点で使えるのかと疑問を寄せて頂いたおかげで書く気になったお話です。 ところで超どうでもいい話ですが、忘れもしない「魔術師の夢」(要、英訳) |