『螺旋階段の途中で』
  
 

「おや。ポップ、あなたもずいぶんと成長したものですねえ」

 と、やたらと感慨深そうにアバンにそう言われて、ポップは少々――どころではないほどのご機嫌斜めな顔になる。

「こんな時に、何を言ってるんですか。そんなことを言われたって、嬉しくもなんともないですよ〜」

 もっともその顔も声も、不機嫌と言うよりはどこか拗ねているような甘えの感じられるものだったが。

 だからこそ、アバンの声かけもいささかからかいめいたものになる。
 だが、多少のからかいを含んでいても、その声音にはそれ以上の優しさと愛情が込められていた。

「だって、本当のことじゃありませんか。
 初めて会った頃は、あんなに小さかったあなたが……時が経つのは早いものです。
 以前に比べると背も伸びたと思っていましたが、体重も増えたみたいですね」

 しみじみと呟くアバンは、昔を思い出しているのかひどく懐かしそうだった。おそらく当時のポップと比べているのだろう。その言葉が嘘ではないのは理解できるが、それでもポップにとっては気に入らなかった。

「本気でそう思うんなら、人を軽々とおぶったりしないでくださいよ!」

 ぶんむくれた口調で文句を言うポップは、その言葉通りアバンにおんぶされた状態だった。

 世間的には17、8才ともなれば一応は成人したと見なされる年齢だと言うのに、それがいくら師とは言え他の男の背におぶわれているなど、普通ならまず、ないだろう。

 だいたい、いくら男性とは言え同じ成人男性を単独で運ぶともなれば、苦労を強いられるものだ。

 しかし、年齢の割には細身で小柄なポップは、体格的にはまだまだ少年の域から脱しきっていない。30代半ばの壮健な男性であるアバンにとっては、軽々と運ぶことができるようだ。

 人一人を背負っているというのに重さなど全く感じていない様子で、アバンの足取りはいつもと全く変わらない。
 だが、その事実もまた、ポップにとっては気に入らない。

 アバンが細身な外見を裏切って意外なほどの筋力があり、平均以上の力持ちなのは知っているが、それでも自分が幼い子供であるかのように扱われているのを実感するのは面白いものではなかった。

 唯一の救いは、ここが人がめったに来ない階段だと言うことだろうか。
 食堂で倒れ、担架で自室へと運ばれる羽目になったポップだが、ポップの自室である幽閉室は螺旋階段の上にある。

 とても担架では運べないし、かと言って人力で運ぶには、身分の高い人間に直接触れて運ぶのは失礼だと言う常識が邪魔をする。

 ポップ自身はまったく同感はしていないが、兵士達にとって大魔道士は国どころか世界的な英雄であり、王女に継ぐこの国の大要人だ。徒や疎かに扱っていい人物ではないとばかりに、こんな時には大騒ぎする。

 さてどうしようかと、兵士達が困り切っている中で颯爽と運び役を買って出たのがアバンだった。

 アバンはなんでもないことのように、一人で大丈夫だからと言ってポップをおぶって階段を昇りだした。とても一人で歩ける状態ではないポップにとっては、ありがたい親切ではあるのだが――感謝の気持ち以上に、恥ずかしさやら悔しさやらの方が先に立ってしまう。

「まったく、みっともないったら……この年でおんぶされるだなんて……!!」

 これ以上ない程の屈辱とばかりに、ポップはぶつくさと文句を言わずにはいられない。だが、アバンはポップのその文句さえも嬉しいとばかりに笑っている。

「まあまあ、たまにはいいじゃありませんか。私は懐かしくって、嬉しいですよ。ほら、覚えていますか、ポップ。旅を始めたばかりの頃は、よくこうしてあなたをおぶっていたじゃありませんか」

 その言葉に、ポップのふくれっ面は更にひどくなる。
 だいたいポップがアバンに弟子入りしたのは、13才の時だった。当時でさえ、ポップはおんぶをされるような年齢じゃないと思っていたと言うのに、今ではもっと強くそう思う。

 今のポップはもうじき18才になろうとしている頃だ。あれから数年の年月が経ち、そろそろ成人と認められてもおかしくない年齢になってきたと言うのに、最初の師ときたらいまだにポップを子供扱いしているとしか思えない。

「そ、そんなの、ずっと前のことじゃないですか! あの時はっ、まだガキだったから、ちょっと無茶をしたことがあったってだけです」

「おや、あれを『ちょっとした無茶』で済ませるとは、大物ですね、ポップ。私はその度に驚かされましたけど。ずいぶん心配をさせられたし、寿命が縮む思いを味わいましたよ」

 ムキになって言い訳するポップに、アバンが笑顔のままでさらりと皮肉を織り交ぜる。温和な口調とにこやかさのせいで目立たないが、時として辛辣な棘も持ち合わせているのがアバンだ。

 長い付き合いなだけに、ポップもその辺は良く飲み込んでいる。風向きが悪くなってきたなと思った途端に、ポップは言い訳の方向性をころっと転換した。

「そ、そんな大袈裟な〜。あの頃はおれ、たいしたことなんか、してなかったじゃないですか〜」

 へどもどしつつもそこだけは妙に自信を持って、ポップは主張する。
 だいたい自分で言うのもなんだが駆け出しの頃のポップは、どう贔屓目に見ても根性無しの上にヘタレもいいところだった。無茶をするどころか、ちょっとでも危ないかなと思った途端にすぐに逃げ出すのがオチだった。

 そりゃあ家出をして押しかけ弟子になったのは、今思えばちょっとばかり無茶だったかなとは思うが、魔王軍との戦いの中を思えばたいしたことなどやっていない――と、ポップは思うのだが、師の意見は違っているようだった。

「おやおや、たいしたことなんかしてない、ですって?
 変ですねえ、私の記憶ではあの頃のあなたは、風邪を引いたのに無理をして熱をこじらせたり、入ってはいけないと言った洞窟に勝手に入ったり、夜の森に一人で飛び込んでいって迷子になったり、魔法を暴走させて倒れたり、一人で怪物の巣に飛び込んでみたり、川に落ちて危うく溺れかけたり、お菓子をくれた人についていって誘拐されそうになったりと、そりゃあもう無茶すぎて目を離せない様な有様だった記憶しているんですけれど?」

 などと実に楽しげに、わざわざ指を折ってまで数えて見せるアバンの言い分にポップはぐっと言葉に詰まった。

 これが身に覚えがない言いがかりか、せめて誇張された話ならば言い返しも出来るのだが、アバンの言ったことは百パーセントの真実だ。よくよく考えれば、確かに全部に身に覚えがある。

(よ、よく覚えているな、先生ってば)

 たらりと、冷や汗がポップの額を伝う。

「ああ、そうそう、他にも色々ありましたよねえ、ポップ、覚えていますか。初めて避暑にでかけた湖で、あなたときたら――」

「せ、せんせい、もうその辺で……っ。いい加減、勘弁して下さいよ〜、あの頃はホント、迷惑ばっかかけてすみませんでしたっ。マジ、反省してますからっ」

 泣き言混じりに訴えかけると、アバンはクスクスと笑う。

「反省してもらえるのは嬉しいですが、別に迷惑とは思っていませんよ、あの頃も、今も、ね。まあ、なんて無茶ばかりする子なんだろうとは思いましたけれど」

 からかうような口調ながらも、アバンは持ち前の穏やかな明るさで続けた。

「無茶なのは、まあ、別にいいんですよ? ですが、無理だけはしないでくださいね、ポップ」

「…………!!」

 思いがけない不意打ちに、ポップは一瞬、言葉に詰まる。
 その言葉が、正直、一番堪えた。過去にやらかした子供っぽい失敗談は昔のことだと言い張れても、今の言葉にはさすがにそうは言い返せない。
 なにしろ、現代進行形でポップは無理を重ねていたのだから。

「無理……する気は、なかったんですけど……」

 実際、ポップに無理をする気などなかった。
 だが――時間が、なかった。
 残された時間はそう長くはないと分かるだけに、じっとしていられなかったのだ。

 老齢のマトリフの身体がどんどん弱っていくのを見ていながら、ポップには慎重に研究するなんて悠長な真似など、到底できなかった。少しでも早く、効果的な薬を作り上げるためにはなりふりなど構っていられなかった。

 休憩時間などの、余暇だけでは論外だ。夜、眠る時間を削って薬の研究をしても、まだ時間が足りなかった。だから、普段ならば特に気を遣って捻出しているダイやレオナと一緒に過ごすための時を切り捨て、果ては食事の時間さえ省けるだけ省いた。

 その上、足りないのは時間だけではなかった。
 薬には、どうしたって実験が不可欠だ。

 理屈の上では効能が正しかったとしても、実際に服用してみなければその効果は分からない。実際には何の効き目もなかったり、逆に薬の効果が強すぎて、副作用が大きく出てしまう可能性だってある。

 そんな危険な薬を、ぶっつけ本番で衰弱している患者に与えられる訳がない。
 危険を防ぐためにも、前もって薬の効果を確かめる実験はどうしても必要だった。

 普通ならば、新薬は動物実験を繰り返してから、人体に対して試薬的に試してみるものだ。が、ポップはその手間も惜しんだ。薬師として本格的に修行しているわけでもないポップには、実験用の動物なんて用意していないし、ましてや人体実験を頼む伝手もない。

 もっとも、もしポップが本気で望めば、それらを用意することは可能だっただろう。

 パプニカ王女であるレオナは、有能な統治者だ。長い目で国の将来を見越して、学問や医学の発展に力を入れている彼女は、それらを充足させるためになら資金を惜しむまい。

 ポップがきちんと理を説いて説明をすれば、新薬の実験に対して協力してくれたことだろうし、そのための人材も援助してくれると分かってはいた。
 だが、この薬の研究は思いっきり私事……と言うよりも、ポップのわがままだ。

 マトリフのために研究した薬は、一般的な治療薬とは訳が違う。治療と言うよりは、苦痛を減じる程度の効き目しか見込めない。おまけに、症例となる病人の対象が明らかに特種すぎる。

 高い魔法力を持ち、なおかつ魔法を使いすぎたせいで内臓疾患を起こすような患者自体が、まず、少ないのだ。そもそも、魔法の使い手からしてそう多くないと言うのに、よほどの魔法の使い手でなければこんな症状は起こさない。

 少なからぬ手間と金を注ぎ込み薬を作るのならば、もっと一般的な薬の研究に費やした方がいいと、ポップでさえ思う。たとえば、ただの風邪薬の方がもっと多くの人の役に立つだろう。

 ……が、ポップの作ろうとしているこの薬は、現段階でマトリフとポップ自身ぐらいの役にしか立たないし、この先も必要とされることは少ないと確信できる。

 そんな薬を作るために大金をかけた上に、実験に協力してくれる人間に無用の危険に晒すのは、ポップには正しいとは思えなかった。相手が人間ではない動物実験でも同じことだ。

 治療のためではなく、実験のために他者に投薬を施すような度胸も覚悟も、ポップにはなかった。
 幸いにも、マトリフの症例とポップの症例は似通っていたため、手っ取り早く自分自身を実験台にして薬の調整をしていたのだが――。

「あなたの努力は認めますけどね、いくらなんでも無理をしすぎですよ。短期間で、しかも独学で新薬を作ろうだなんてのは、危険過ぎます」

 アバンの静かな説教に、ポップは一言も言い返せなかった。
 そもそも、薬の開発には時間がかかる。新しい効果を持った薬を作るためには、経験豊かな薬師が何度も実験を繰り返しながら、少しずつ開発していくものだ。

 今は有り触れた存在である薬草も、本来はそうやって薬師達の弛まぬ研究と努力の結果生み出されたものだ。だいたい薬師の修行自体でさえ、10年や20年の歳月をかけるものだ。

 一応、アバンから基礎的な知識と最低限の技術は習ったとは言え、ほぼ素人に近いポップでは経験も知識も足りなすぎる。その上、いつもならば薬草作りの際にはマトリフの助けや助言を受けることが出来るが、今回ばかりはそうはいかなかった。

 そうやって独力で頑張れるだけ頑張ってはみたのだが、結果から見ればポップのしたことはほとんど無意味だった。

 結局、薬は出来なかった。
 そればかりか、無理を重ねたせいで体調を崩してみんなに心配をかけてしまったのだから――。

「先生……ごめんなさい…………」

 アバンの背中にしがみついて、ポップはそっと詫びる。
 以前のように気楽な旅人だった頃ならまだしも、今のアバンはれっきとしたカール国王だ。いくら王権がフローラ女王にあるとは言え、国主の配偶者であるアバンの責務は軽くはない。

 仕事だけでなく、今のアバンには妻も幼い子もいる。子煩悩なアバンが幼い王子をいかに可愛がっているか知っているだけに、数日間とは言え家を空けさせるような依頼をするのには抵抗感があった。

 アバンをパプニカまで呼び寄せたのはポップの都合であり、言ってしまえば単なるわがままだ。しかも看病して貰うだけでなく、この先、もっと面倒を押しつけようとさえしている。

 それだけに申し訳ないと言う思いがこみあげてくるが、アバンは気楽な声で笑った。

「おやおや、あなたが素直に謝ってくれるだなんて、珍しいこともあるものですね〜。それはそれで悪い気分ではありませんが、でもね、ポップ。別に謝る必要はないんじゃないんですか?
 あなたがやろうとしたことは、とても尊いことだと私は思います」

 いつものことながら、アバンの声は穏やかだ。
 ポップの知っている限り、アバンはいつもそうだった。どんなピンチの時も、また、どんなに悲しいことがあったとしても、飄々とした態度を崩さない人だ。

 今も、アバンの声は凪いでいた。

「それに……あなたのやろうとしたことは、私がやろうとしたかもしれないことです。
 そう思えば、とても責められませんよ」

 まあ、だからと言って褒めてはあげられませんけどねと笑うその声も、いつも通りに聞こえた。
 だが――ポップには、そうは聞こえなかった。

 これでも、ポップはアバンの弟子だ。一年以上も一緒に寝食を共にしただけに、家族同然にアバンのことを知っている。

 だから……分かるのだ。
 いつものように振る舞ってはいても、アバンもまた、心の奥底では悲しんでいることが。

(……ああ、そう、だよな…………)

 不意に、胸が詰まる。
 よく考えれば、いや、考えるまでもなく分かりきった話だ。ポップにとってマトリフは師匠だが、アバンにとってのマトリフは仲間だ。仲間を失う痛みや恐怖を、感じないはずがない。

「せ……、んせい……っ」

 今度は、謝る言葉さえちゃんと口にはできなかった。
 我慢できずにこぼれ落ちる涙を、止めることなんてできない。18にもなってみっともないと思いながらも、嗚咽を堪えるだけで精一杯だった。それでも、そんなのはアバンにはきっと手に取るように分かっただろう。

 だが、彼はそれについては何も言わなかった。
 その代わりに、一度足を止め、わざとらしく大きく息をつく。

「ああ、この階段は意外ときついですね、申し訳ないですが少し、ゆっくりと昇ってもいいですか? まったく、これぐらいで疲れを感じるなんて、私も年と言うことですかね〜?」

 年には勝てませんね、なんてふざけた口調でおどけるアバンは、ポップを振り返ろうとはしなかった。それをいいことに、ポップはますますしっかりとアバンの背中にしがみつく。

 顔は見えないが、頼りがいのある背中は巨大な巌のように小揺るぎもしない。初めて会った時に自分よりも遙かに大きく見えたその背中は、今もポップよりも大きく、頼りがいのあるものとして感じられる。

 さっきまでとは格段にゆっくりとした速度で階段を昇るアバンの背中を借りて、ポップは幼い子供のように大粒の涙を零す。これまで誰にも言えず、ずっと心の奥に押し込めていた不安のままに、ポップは泣く。

 そんな弟子を、アバンは慰めも急かしもしなかった。
 人のいない螺旋階段で、師は弟子を背負ったままでことさらゆっくりと昇っていった――。                                    END 


《後書き》

 『そして、認める真実』のおまけ話です。
 ポップが食堂で倒れて、アバンに自室に運ばれるまでの部分ですね。
 と言うより、これは最初は『そして、認める真実』に混ぜようと思っていたシーンだったのですが、あの話はダイの視点から書いていただけに混ぜる隙がなくなって、途中まで書いていたのに没にしていたものだったりします(笑)

 そのまま数年単位で忘れていたのですが、データを整理していたらほぼ八割方までできているのを発見したので、放置も勿体ないなと思い書き上げてみました♪

 ところで、アバンが語ったポップの思い出は原作以前が書いた物やこれから書く予定物が入り交じっていますv

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