『夏の戦』 |
窓の外では、相変わらず蝉が鳴いていた。 時刻的にはもう夕暮れになったのか、教会の鐘の音もそれに被さって聞こえてきた。 しかし、夏の太陽はまだまだ一日を終わらせるつもりはないぞとばかりに、衰えぬ熱気を振りまきながら明るさを保っていた。洋灯の火をつける必要も感じない明るい部屋の中で、ヒュンケルは少し考え込む。 (そろそろ、時間なのだが……) パプニカ城では、就業時間を教会の鐘で区分している。 ヒュンケル的には訓練をしている最中なのに、なぜそれを止めたがるのか疑問を感じないでもないが、レオナがそれが規則だと言った以上、異議はない。 個人的には、訓練中ならば時間ではなく納得がいくまで持続した方が効率は良いと思っているが、いつだったかその意見を口にした際、なぜか部下達が揃って真っ青になったことがあるので、やめておいた方がいいのだろうと理解している。 実際、ヒュンケルは自主練ならともかく、部下にはその主義を押しつけたことなどない。副長に薦められたこともあり、夕方の鐘がなると率先して就業を告げ、解散させるようにしている。 その例に従うのなら、やはりここは声をかけた方がいいのだろうと思い、ヒュンケルは読んでいた本をパタリと閉じて言った。 「ポップ。もう、鐘が鳴ったぞ」 いたって穏やかに声をかけたつもりだったが、その途端、ポップはめいっぱい不機嫌そうな顔つきになった。 「あぁっ!? だからなんだってんだっ!? つーか、邪魔すんじゃねえよ!!」 思いっきり目を据わらせ、見かけによらぬ口の悪さを存分に発揮してすごんでくる様は、裏通りをうろついているチンピラかなにかの様だったが、弟弟子のそんな対応には慣れているヒュンケルは、気にせず言葉を続ける。 「邪魔をする気はない。だが、そろそろ仕事を終わらせたらどうだ」 現在のポップの身分はパプニカ王国宮廷魔道士見習いだが、実質的にはほぼ宰相に近い。文官のトップとして活動しているも同然のポップには、専用の執務室と共に国政に拘わる重要な仕事が任されている。 そのせいで、ポップは一日の大半を膨大な重要書類の山と挌闘するのが常だ。しかも、一般の文官ならば時間で仕事をするのが普通だが、レオナに次ぐ権力を持っているポップの場合、どうしても仕事量が増える。 まあ、基本的に面倒くさがり屋でサボり気味なポップは、余程切羽詰まっていない限りは夕方の鐘と同時に仕事を辞め、さっさと机を離れることが多い。 さっさと休むか、それとももう少し残業をするか――その二つだけでなく、ヒュンケルに言われた通りにするのが癪だと思っているのも、手に取るように分かる。 まだ書類とにらめっこしながら思いっきり顔をしかめているポップに、もう一言かけようか、しかし、余計に怒らせてしまうだろうかとヒュンケルが悩んでいる時、その音は聞こえてきた。 ドタドタと元気の良い足音が聞こえてきたかと思うと、ノックなしで重い扉が勢いよく開かれる。 「ポップーッ、ポップ、いるーっ!?」 嬉しそうに駆け込んできたのは、ダイだった。 「なんだよ、いるに決まってんだろ、ここはおれの執務室なんだからよ」 ヒュンケルだけではなくダイに対してでさえ、ふて腐れた様に言ってのけるポップは、どうやら本格的にご機嫌斜めのようだ。だが、それでもダイに対してはヒュンケルよりも甘くなるのか、顔をそちらへと向ける。 「ん、なんだ? おまえ、髪濡れてるじゃねえか」 「だって、今、水浴びしてきたとこだもん。それより、ポップ、ねえ、これ見てよ!」 何やら得意げに、ダイは腕に抱え込んでいた丸い物をつきだしてくる。ダイの頭ほどもあるそれは、緑色の地に黒い縞模様の入った球状の物体だった。 (爆弾、か?) 反射的に警戒を抱いたヒュンケルとは対照的に、それを見た途端、ポップは嬉しそうな表情を見せる。 「お、スイカか? どうしたんだよ、それ」 ついさっきまでの不機嫌っぷりをコロッと忘れたような現金な態度だが、感情の起伏の激しいポップにはよくあると言えばよくあることなので、ダイもヒュンケルも気にしなかった。 「すいか? へー、これ、そんな名前だったのかー」 ついでに言うのなら、ヒュンケルにとってもそれは初耳だったので、質問してみた。 「それで、このスイカとやらは何に使うんだ?」 「ダイだけじゃなくて、てめえも知らないのかよっ!? 何に使うもなにも、これは食べ物なんだよ! 果物なんだよ、分かるか?」 と、ポップに呆れられたが、ヒュンケルにしてみれば初めて見た物には変わらない。それはダイも同じだったらしく、あらためてまじまじと手元の球に目を落とし確認するように撫で回す。 夏の雑草は、凄まじい。 繊毛のように密集して生える草やら、逆に木のようにすっくと丈を伸ばして生えている草もあり、ざっと見ただけでも両の手では足りない種類の草が野放図に生い茂っている。 全く統一性のない、緑の草の暴走。 「うへぁー……」 ここぞとばかりに生えまくった雑草を見て、兵士達は露骨にうんざりとした表情になる。 「こらぁっ、なんじゃ、そのやる気のない態度はっ!? 城の美観に勤める、これも立派な兵士の仕事なんじゃ、ちゃんとやらんかっ!」 監督役を兼ねているバダックに叱られ、若手の兵士達は渋々と言った様子でしゃがみ込み、草をむしり始める。だが、普段からやり付けていないことだけに、その手付きはいかにも頼りなかったし、嫌々なのが見て取れる。 まあ、それも無理もないことだろう。 パプニカ城にはもちろん専用の庭師もいるし、基本的に庭の手入れも行き届いているのだが、今年はとことん運が悪かったとしか言いようがない。 梅雨の時期が長引いた上に、いきなりの猛暑やら豪雨が続いたのがまず不運だった。 もちろん、庭師達とてその雑草の繁栄を、指をくわえて見ていたわけではない。手に鎌を持って、せっせと草むしりやら草刈りをしては整った景観を保とうとした。 が――繰り返すが、今年は運が悪かったのである。 被害は庭師のみならず、兵士や侍女、侍従達にも多数発生したため、パプニカ城では人手不足でてんやわんやだったのである。とても、庭の方まで気を回す余裕などなかった。 しかし、今年の夏は増援なしで勝ち抜けるような戦いではなかった。 が、熱中症で倒れる庭師が二巡目に入った段階で、ついに彼等は敗北を認めた。 かくして、本来なら兵士達の訓練時間に当たる時間に、若手兵士が揃って草むしりする羽目になったのである。 「ううっ、なんでオレらがこんなことを……っ」 などとぼやきながらも、兵士達はせっせと草むしりを行う。 専門技術のない兵士達は、その分人海戦術とばかりに手の空いた者総出であちこちの草をむしっていた。 本来なら勇者ともあろう者がそんな雑用などしなくてもいいのだが、兵士達の訓練にいつも参加しているダイにしてみれば、訓練が中止になってしまって暇だった。 だからこそ、兵士達に混じってせっせと草をむしる。 「うーーんっ、これ、抜けないなぁ?」 にょきっと伸びた長い草を引っ張りながら、ダイは不思議そうに首を傾げる。草という物は意外と丈夫で、ちょっとやそっと引っ張っただけでは抜けないと言うのは、少しでも草むしりをした経験がある者にとっては常識だ。 が、ダイは南の島育ちだ。 城の奥まった部分にある、ごく小さな中庭。 この中庭は、ポップのお気に入りの場所だ。 人がめったに来ない場所だけにのんびり出来ていいと言って、ポップはしょっちゅうここに来ていた。 まあ、無理にここに来て熱中症にでもなったら大変なので、ポップが夏場に来ないのに不満があるわけではない。 ポップが時々、気まぐれのようにこの場所の草むしりをしているのを見たことがあるだけに、尚更だ。お気に入りの木の下だけ、座りやすいように整えていたところを何度も見たことがある。 面倒なのか、座る部分だけしかやっていなかったとは言え、ポップ自身は草むしりはそこそこ出来る。と言うより、確実にダイよりもうまい。 村にいた頃はしょっちゅうやらされていたなどとぼやきながら、鎌を器用にふるってザックザックと草をむしっていく。と言うよりも、草を根っこごと掘り返すようにしていた。 『雑草ってのは、根が残っているとしぶとく生えてくるんだよ。根こそぎ掘らないと、まーたすぐ生えてきちまうんだよな、これが』 ポップが教えてくれたことを思い出しながら、ダイは鎌をスコップのように使って地面に差し込んでみる。ポップがやっていた時は、たいして力を入れているようにも見えないのにホイホイと草を引っこ抜いていたが、ダイではそうはいかない。 土ばかりを掘ってしまったり、逆に草だけをざっくり切ってしまったりとか、あまりうまくはいかない。 多少不格好でムラが出来たとは言え、集中的に頑張ったおかげで中庭はかなりさっぱりとした。少なくとも、ポップがまた来た時に足が草に取られて歩きにくいと言う目には合わないはずだ。 全身汗まみれ、泥まみれ、ついでに言うのなら草の臭いでいっぱいになってしまったが、それでもダイは満足だった。 「おお、ダイ君、よく頑張ったのう! ほれ、これは親戚の家から貰ったものじゃが、遠慮なく受け取ってくれい!」 「ふーん、それで貰ってきたってわけか。しかし、でっかいスイカだよなー、それによく熟れているし」 と、ポップは指でスイカを軽く叩く。 「うれている? 別にこれ、匂いもそんなに強くないし、皮が柔らかくなってないよ?」 ダイは首を傾げるが、ポップは呆れた様な顔をする。 「あのなー、南国のフルーツと違って、スイカは熟しても皮が柔らかくなったりしねえよ! スイカってのは、音で熟れているかどうか分かるんだよ、音で!」 そう言いながら、ポップはなおもぺちぺちとスイカを叩く。確かにその叩きに合わせて軽く音はするが、その音で熟しているかどうかなど初めて聞くダイやヒュンケルに分かるはずはない。 「これなら、今日、すぐにでも食えそうだな。よし、食後のデザートにしようぜ」 そう言いながら立ち上がったポップは、すでに仕事などどうでも良くなったらしい。ペンすら投げっぱなし、拡げた書類もそのままでさっさと動き出したポップを見て、ダイは慌てて後を追う。もちろん、スイカを大事に持つのもダイの役目だ。 「ダイ、できるだけ大きなタライに水をいっぱい入れて持って来いよ」 「うんっ、分かった!」 元気よく飛び出していったダイは、さほど時間も置かないで要求通りのものを持って帰ってきた。さっきスイカを抱えてきた時以上に持ちにくそうで、えっちらおっちらと覚束ない足取りではあったが、それでも水を零さないのはさすが勇者と言うべきか。 そのタライを部屋の隅に置くように言いつけてから、ポップは持っていたスイカをごろりとその中に転がす。それを見て、ダイが言った。 「なんか、お風呂みたいだね」 スイカが大きすぎて、タライに入った程度では半分ぐらいしか浸かっていない様子は、確かに人がお風呂に入っている図を思わせる。 「風呂っていうか、こうやって冷やすんだ。スイカってのは冷やした方がうまい食い物なんだよ。ホントなら井戸とか川に沈めて、よーく冷やしてから食べるんだけどさ」 ポップはそう説明したが、今度はヒュンケルが首を捻る番だった。 「……これで、冷えるのか?」 確かに、井戸や川の水に浸けて置いたのなら冷えるだろう。が、こんな風に半分以上自らはみ出るようなタライに浸けて、冷えるかどうか。何よりこの暑さの影響で、汲んできたばかりの井戸水さえも生温くなってしまっている。 「ヒャド」 その一言で、その場の空気がスウッと冷える。キラキラと輝く光がポップの手から放たれ、水を凍らせていく。 「…………」 それを見ているヒュンケルの目が、冷ややかで険のあるものに変わっていく。が、魔法に見とれているダイは気づく様子もなかったし、ポップもポップで知らん顔だ。 もし、ポップの魔法がさらに強められればタライごとスイカまでもが凍り付いてしまっただろうが、ポップはそのタイミングで魔法を止めた。 「わーっ、ポップすごいっ、水がすっごく冷たくなったよ!」 タライに手を突っ込んでダイがはしゃぐのを見て、ポップは得意げに胸を張る。 「へへっ、こんぐらい朝飯前だっつーの。それより、今日は早めに夕飯にしたいから姫さんやみんなを呼んで来いよ。スイカってのは、食べる人数が多い方が美味しいんだからさ」 「うん、分かった! じゃ、呼んでくるね」 そう言って、ダイは元気よく駆けだしていく。その姿が見えなくなったのを見計らってから、ポップはヒュンケルの方を振り返って不機嫌そうに一言、言った。 「言っとくけど、これっぐらいでグダグダ言うなよ」 「……まだ、何も言ってないが」 「『まだ』って、言う気はあるんじゃないかよ! いいだろ、ちょっとぐらい! ほんのちょっぴり魔法を使ったって別に何ともないんだし、たまには冷たいスイカを食べたいんだよっ」 言い訳と言うにはやけに攻撃的にわめき立てるポップに、ヒュンケルは言いたい文句がないでもなかったが、とりあえずは沈黙する。 (……まあ、元気は出た様子だからな) 昼間は暑さでバテバテだったポップが、スイカを見てからは明らかに元気になったのは事実だ。それに免じて、ヒュンケルは今の細やかな魔法を見逃すことにした――。 夕食後、タライから引き上げられたスイカを見て、誰よりも目を丸くしたのはレオナだった。 「へええ、スイカってこんなに大きかったのね、知らなかったわ」 「……姫さんも見たことなかったんかい」 呆れた様にポップが言うが、レオナは気にする様子もなくまじまじとスイカを眺めやる。 「ええ、丸ごとのスイカは初めてよ。たまにデザートに出てくるスイカは見たことがあるけど、ずいぶん加工してあったのね。それに、皮がこんなに派手な色合いだなんて、知らなかったわ」 などと感心しているレオナやみんなの目の前で、ポップは料理人に命じて持ってきて貰った包丁をスイカに当てる。 「わあっ、中は真っ赤なんだね!!」 「……」 ヒュンケルも声こそ上げなかったが、驚いてはいるようだ。皮とは裏腹の赤い果肉の中に、黒い種がぽつぽつ散っている鮮やかな見た目は、否応なしに人目を引く。 初見のダイやヒュンケルが驚くのも無理もないが、なぜかそれを見たレオナが一歩後ろに引いた。 「え……っ!? この黒い点はなに? やだ、まさか虫とかじゃないわよね?」 本気で恐れているのかそんなことを言い出したレオナを、その場にいた三賢者が必死に説得する。 「いえいえ、違いますよ、姫。これは種ですからご安心を」 「ええ、アポロの言う通りですよ。姫様が食される果物は基本的に種を抜かれているからそう思われるのも無理はありませんが、害のあるものではありませんから」 などと、騒ぐ彼等を放って置いて、ポップはそのまま包丁をトントンと動かして、スイカをどんどん切っていく。面白いぐらいサクサクと切れる果肉は、大きさや形の違う三角形へと切られていく。 その中で、一際大きめに切った半月状のスイカを、ポップは真っ先にダイへと手渡した。 「ほら、食べてみろよ」 言われて、遠慮なくがぷっと噛みついたダイは、パッと表情を明るくした。 「おいしいっ! これ、すっごくおいしいよ、ポップ!」 一口、口に含んだと単に感じるのはほのかな甘みと、たっぷりとした水気だった。日が沈んで大分暑さが和らいだとは言え、まだまだ生ぬるさがまとわりつく中で、涼やかなスイカの味は格別だった。 ほとんど噛んでいるとは思えないぐらいあっさりとした歯ごたえで、文字通りいくらでも入ってしまう。 あっと言う間に一つ食べ終わったダイは、お代わりを求めて二個目のスイカに手をだす。 「ちょっと待てよ」 そう言って、ポップはテーブルの上にあった塩の瓶を取り出して、それをパラパラ降りかける。 「ほら、これでいいぜ。食ってみろよ」 「? ――あれっ!?」 促されるままに一口囓ったダイは、目をまん丸くする。 「うわ、さっきより甘いよ! 塩がかかっているのに、なんで?」 きょとんとするダイに、ポップが笑いながら説明する。 「なんでかは知らないけど、スイカってのはこうやって軽く塩を振った方がうまいんだよ」 「そう言えば、昔からそう言うわよね。私も、おばあちゃんからそう教わったわ。……うん、やっぱり甘くなるわよね」 などと、マリンやエイミも楽しそうに塩を振りかけながらスイカを楽しむ。だが、その中で一人、完全に間違っている者もいた――。 「……しょっぱいな」 「って、ヒュンケル!? なんでそんなに思いっきり塩をぶっかけてんだよ!? それじゃしょっぱくなって当たり前だっつーの、適量でいいんだよ、こんなのはっ!」 「そう言われても、適量というのが分からなかったからな」 「だからって一瓶ぶっかけるアホがどこにいるんだよっ!?」 などと、騒いでいるポップやヒュンケルの傍らで、エイミはなにやらやきもきしている様子だ。 「これ、美味しいけれど、種を取るのが大変ね」 ため息交じりに呟く王女の苦労は、勇者にはとんと理解出来ない様子だ。 「そうかな? パリパリしてて、おいしいよ」 「って、ダイ、おまえはおまえで種まで食ってるんじゃねーよっ!」 一つのスイカを巡って、仲間達が集まってワイワイと騒ぐ夏の宵……また一つ、仲間と分け合う夏の思い出が増えた日だった――。 END 《後書き》 この話は、前に書いた『夏の思い出』の続編と言うか、あの話の直後に当たります♪ なので、執務室にナチュラルにヒュンケルがいたりします。彼がそこにいる理由は『夏の思い出』の方に書いてありますので、省略しましたが(笑) ファイルの整理整頓中に『夏の思い出』の原稿の後ろに、ダイの登場シーンを書いたネタを発見したのにびっくり。正直、見るまで忘れていましたよ! 元ネタではダイがスイカに大喜びするだけの話だったのですが、ついつい草むしりについて言いたいことが膨れあがったので、戦い(笑)シーンが増えています。 毎年思うのですが、夏場の草の伸びの早さはどうにかならないものですかねー。雑草の生命力の凄まじさは、Gに匹敵する物があるんじゃないかと思っています! |