『見えない助け手』

  

「よぉ。珍しいところで会ったな」

 さばさばした口調でそう話しかけられ、クロコダインは一瞬だけ目を見張ってから、苦笑してしまう。

「確かに、珍しいですな」

 その言葉は、本音そのままだった。
 実際、こんな場所で彼に……と言うよりも、そもそもここで人間に会うなどとは、クロコダインは夢にも思いはしなかった。

 なにしろ、ここは本来なら人が来るような場所ではない。今、クロコダインがいるのはデルムリン島――勇者ダイの故郷だ。
 この島自体は小さな、そして平和な島には違いないが、人間がこの場所に来るのはかなりの意味で冒険と言えるだろう。

 なにしろ、この島にいるのは怪物ばかりだ。今や魔王が倒され、怪物達は皆大人しくなった。この島には温和な性質の怪物が揃っているとは言え、怪物というだけで恐れを感じる人間は未だに少なくはない。

 また、この島に来ること自体がなかなかの冒険だ。どの国からも遠い位置に存在するこの島は、訓練を積んだ熟練の船乗りであってもヘタをすれば遭難しかねない場所にある。

 クロコダイン自身はポップの移動呪文で連れてきてもらったから苦労はしなかったが、もし船旅ならばパプニカからは優に一月近くはかかる大旅行となると聞いている。

 だが、目の前にいる老人は飄々とした顔つきでそこに立っていた。
 ここは島の奥深くの密林地域だと言うのに、ごく当たり前のような顔をして。
 それも、まるでちょいと散歩に出てきたまでだと言わんばかりの、寝間着に等しいラフな格好の上に突っかけるだけのサンダル姿でだ。

 しかし、それらは驚くには値しまい。
 彼こそは、初代大魔道士マトリフ。
 百の魔法を使いこなし、魔法使いの頂点に立つとさえ言われた男だ。

 しかし運悪くと言うべきか、クロコダインはマトリフが魔法を使う所を目撃したことはない。それどころか、互いに顔は見知っていても、大戦中もその後もろくに話す機会すらめぐまれなかった。

 だが、それでも揺るぎなくこの大魔道士を信頼し、無条件に尊敬できるのは、彼がポップの師匠だと知っているからだ。
 ポップが戦いの中で見せた、いくつもの超魔法……それは、師匠であるマトリフから習ったものだと語っていた。目を見張るような魔法の威力のみならず、マトリフの教えを受けるようになってからポップの戦いに対しての姿勢が明らかに変わったのも、クロコダインは見てきた。

 子を見れば親の人となりが見えるように、弟子を見ることでクロコダインはその師の器量を見てきたつもりだ。
 だからこそ尊敬の念を込め、クロコダインは無骨ながらも丁寧にマトリフを歓迎した。

「ようこそ、デルムリン島に。ポップと一緒に来たのですか?」

 マトリフがこの島に来るのならば、それが一番手っ取り早い手段だ。
 それにしてはポップの姿が見えないようだがと思い尋ねてみたところ、マトリフは軽く肩をすくめる。

「はん、あんなひよっこのルーラにゃ頼りたいとも思わねえな。あそこまで着地がヘタになるような教え方なんざ、した覚えがねえっていうのによ」

 歯に衣を着せぬずけずけとした言いっぷりに、クロコダインは再び苦笑する。ポップから聞いた通り、いや、それ以上の毒舌家のようだ。だが、悪口放題に言っているようでいて、愛弟子であるポップへの親しみや愛情が感じられるだけに、不思議と嫌悪感は感じない。

 むしろ、その毒舌こそが親しみを表現しているようで心地よく感じられる。そう思いながらも、クロコダインはマトリフの真意を何となく悟っていた。

(では……逆にポップには伏せておきたい話と言うことか?)

 いくら優秀な魔法使いとは言え、一度も訪れたことのない遠方の地へやってくるのは簡単なはずもない。それを敢えて行った老魔同士に対して、クロコダインは最大限の礼を持って接しようと思った。

「まあ、立ち話もなんですから、ブラス老の家へ案内でもしましょうか?」

 人が住んでいないこの島で、家と呼べる建物はごく少ない。
 現にクロコダインやヒムなどはこの島に半ば住み着いているようなものだが、家などなくても問題ないと野宿していることが多い。一年中常夏の島なだけに、気候的に野宿でも困りはしないのだ。まあ、それでも一応雨よけのためにと、簡易的な家が少しばかりは存在する。

 その家の中で、最も古くからあるのが鬼面道士ブラスの建てた家だ。赤ん坊のダイを育てるために作られたその家は簡素なものだが、未だに健在だ。また、この島で長老格であるブラスはこの島の事情に最も詳しく、親切で人のために助力を惜しまない性格だ。

 マトリフが何の用でここに来たにせよ、ブラスは必ずやその力になろうとするだろう。
 そう思ってブラスの名を口に出したのだが、マトリフはニヤリと笑っていった。

「ああ、ダイの育ての親だっていう鬼面道士か。だが、オレが用があるのは、そいつじゃなくってあんたでね」

「オレに?」

 純粋に疑問を感じ、クロコダインは首を捻る。
 クロコダインとマトリフは、確かに一応は知己と言える関係ではある。だが、挨拶程度ならともかく、気安く用事を頼んだり頼まれたりするような間柄とは言えないだろう。

 しかし、一瞬の疑問は感じたものの、クロコダインに否やはない。根っから人の良いクロコダインは、マトリフの用件を聞く前に快諾した。

「それで何の用ですかな? オレで手を貸せるものなら、協力しますが」

 それは、クロコダインにとっては当然の申し出だった。だが、クロコダインのその答えを聞いたマトリフは、呆気にとられたような表情を見せた後、苦笑する。

「そりゃあ、話が早くて助かるってもんだが……あんた、思った以上に素直で律儀な男だな。あの馬鹿弟子にも見習わせたいもんだぜ」

 それを聞いただけで、クロコダインにピンとくるものがあった。

「まさか……ポップに何か、あったのですか?」

 最後の戦いが終わってから――勇者ダイが行方不明になってから、半年ほど経った。人々もようやく落ち着きを取り戻してきたようで、各国とも復興のために力を尽くしている。
 そして、勇者捜索が取りやめられた。

 もちろん、それは勇者を探すことが禁じられたという意味ではない。勇者の行方に関する情報提供は随時受け付けているし、個人として勇者捜索することは称賛こそされても、罰則を受けることはない。ただ、国が率先して捜索隊を出すことはないと公式に宣言されただけの話だ。

 終戦直後はレオナ姫を筆頭に各国で大規模な勇者捜索が組まれ、積極的な探索が行われた物だが、今となってはどの国でも捜索隊は解体された。
 他ならぬパプニカ王女レオナにより、今は勇者を探すよりも復興に力を注ぐべきだとの公式発表が為されて以来、全ての国がそれに習ったのだ。

 勇者を探すのではなく、勇者が戻ってきた時のために荒れた地を耕し、国を豊かにしようと言ったのは誰の言葉だったのか――いずれにせよ、今となっては勇者を探す者は数少ない。

 大勢の人々が勇者の帰還を信じ、心より望んでいるのは確かだが、英雄の消息よりも自分達の目先や日頃の生活を優先するのが一般的な人間というものだろう。

 その件に関して、クロコダインは不満などない。クロコダイン自身、今となってはダイの捜索はしてはいない。もちろん常に気にかけてはいるが、復興の手助けの方を優先している。

 大戦中、クロコダインが襲ったロモス王国の復興のために助力しつつ、怪物を保護するためにデルムリン島を行き来する生活はなかなか忙しいが、充実していた。
 それだけに、なかなか仲間達と連絡を取る機会もなかったが、それでも一通りの身の振り方ぐらいは知っている。

 勇者一行の中で、今でもダイ捜索に力を入れているのはポップ、ヒュンケル、ラーハルトの三人だけのはずだ。特にポップはダイを探すことにかけては熱心で、各国の王達から自国に来てくれるようにと懇願されたにも拘わらず、それを振り切って旅に出た。

 それっきりポップとは会う機会がなかったのだが、クロコダインはかの魔法使いをこの上なく信じている。ポップの強さも、並外れた魔法の才能も、見た目に寄らぬ頭脳の切れも知っているだけに、特に心配はしていなかった。

 むしろ、ポップならばいつかダイを連れてひょっこり現れるのではないかと、内心期待していたぐらいだ。
 だが……突然尋ねてきたマトリフを見て、初めて不安が込み上げてくる。その不安は、マトリフの苦みを帯びた表情を見て、確信へと変わった――。






「あれ? おっさんじゃねえか! 久しぶりぃ!」

 クロコダインに気がついた途端、ポップは嬉しそうな顔をして近寄ってきた。ごく当たり前のようなその振る舞いが、クロコダインにとっては嬉しかった。

 クロコダインの魁偉な姿は、人間達にとっては驚異の的だ。
 月の半分ぐらいの日数はロモスで過ごすようになったクロコダインだが、大分人間社会に馴染んできたとは言えまだまだ偏見を払拭しきれたわけではない。やはり、クロコダインの姿を見て驚きや怯えを見せる人間は多い。

 初対面の人間は言うまでもないが、何度も顔を合わせた顔見知りの兵士でさえ、思わぬところでばったりと出くわすと面白いぐらいに慌てふためく。

 まあ、自分よりも巨大な生き物に対して恐怖を抱くのは、生物としての本能だ。それに対し、クロコダインはとやかく言うつもりはない。時間がかかっても自分に害意はないと、いつか分かってもらえればいいと思っている。

 だが、ポップは何の連絡もなく、ばったりと会ったはずなのに少しも怯えはしなかった。意外とばかりに目を見張って驚いたが、それだけだ。すぐに仲間に会えて嬉しいとばかりに寄ってきた魔法使いの少年に対して、クロコダインは内心の思いは隠してさりげなさを装って応じる。

「ああ、ポップか。奇遇だな、こんな所で会うなんて」

 出来るだけ自然に聞こえるようにと腐心しながら、クロコダインは意識して『普通』に振る舞うことの難しさを痛感する。
 意識さえしていなければこんなものはごく他愛のない会話に過ぎないのに、なまじ隠し事があるせいか、不自然に思われないかとヒヤヒヤする。だが、幸いにもポップはクロコダインの様子に不審を覚えた様子はなかった。

「ホント、驚きだよなー。まさかおれも、こんな所でおっさんと会うなんて思わなかったぜ。なんだよ、おっさんも本が好きだったのかよ〜?」

「いや、オレは本は不得手だな」

 そこだけは本心から、クロコダインは否定する。
 怪物とは言え、クロコダインはこれでもかつては魔王軍の軍団長だった男だ。どんな組織であれ、幹部クラスの者ならばそれなりの教養が求められる。
 あまり得手とは言えないが、クロコダインもそこそこの教養はある。人間の将軍と比べても、そうそう劣るとは思えない程度の知識はあるつもりだ。

 だが、教養と好みは別問題だ。
 読み書きは出来ても、クロコダインは進んで読書に精を出すほどの読書好きではない。そもそもクロコダインの巨大な手には人間の本はあまりにも小さいし、脆すぎる。

 その意味で言えば、今のように図書館に来るなどクロコダインは気が進まなかった。

 しかも、ここはテラン王国にある図書館だ。
 現在でこそ国民数が減少して寂れた印象が強いが、テラン王国は最も古い歴史を持つ国だ。歴史の深さや文化の保存においては、他国の追随を許さない。テランが学術的に優れているのは、貴重な本が多数揃っている図書館を無料開放していることからもよく分かる。

 質、蔵書量ともに世界でもトップレベルの図書館ではあるが、クロコダインには全く興味はなかったし、訪れる気などなかった。それどころか、名前も知らないまま終わったであろうこの図書館にわざわざやってきたのは、人に頼まれたからこそ、だ。

「ロモス王から、少し調べものを頼まれてな。ここに来れば、詳しい資料が手に入るだろうと聞いたのだが……まさか、ここまで本が大量にあるとは思わなかったが。こんなにあっては、どこに何の本があるのか分からないな」

 少々うんざりとした響きになったのは、演技などではなく本心からだった。そのせいか、ポップはクロコダインの台詞がやけに説明口調なことも、不自然さにも気づかなかったようだ。

「ふぅん、何の本を探してんわけ? なんなら手ェ貸そうか、おれ、ここんとこ、ここの図書館に入り浸りだから結構詳しいんだぜ」

 何の見返りもないのに、即座にそう言ってくるポップの申し出にクロコダインは僅かに眉を寄せる。
 それは、その申し出が嬉しくないからではない。むしろ、その申し出が嬉しいからこそ、内心のやりきれなさが膨れあがる。

 だが、クロコダインは内心の思いを押し殺し、何気ない振りを装って頷いた。

「ああ、それは助かるな。では、一つ頼みたい。合わせ鏡の洞窟、と言う名前の洞窟についての資料はないか?」

 その洞窟の名を聞いた時、かすかにだがポップは反応した。
 ほんの一瞬だけ見せた、顔の強張り――。
 だが、それは最初から気を張って注目し続けていなければ見逃すほどの、ほんのわずかな反応だった。それに、ポップの声の陽気さには全く変化はなかった。

「合わせ鏡の洞窟? ふーん、変わった名前の洞窟だなぁ。それ、どの辺の地方にあるとか、分かるかい?」

「いや、さっぱりでな。オレが聞いたのは、この名前だけだ」

「それだけじゃ、いくらなんでも探しようがないぜ。ラーの鏡があるという噂のある洞窟ならおれも幾つか知ってるけどよ、合わせ鏡の洞窟ってのは初耳だし……手を貸せなくて悪ぃな、おっさん」

 いささか申し訳なさそうにそう言うポップに、クロコダインは首を横に振る。

「いや……気にしなくていいんだ。何、どうしても見つけなければならない資料というわけでもなし、一通り調べて見つからないのなら別の手を考えるまでだ」

 気にするなと言っておきながら、心の奥で落胆している自分に気付き、クロコダインは苦笑する。
 しかし、その未練じみた感傷を、目の前にいる魔法使いに気付かせない程度にはクロコダインも大人だった。

「手を止めさせて悪かったな、ポップ。おまえも調べ物があるんだろう、オレはオレなりにやるから、おまえは自分の捜し物を探すといい」

 そう言ってその場に立ち竦んでいるポップの肩を叩くと、やっとその表情に彼らしい元気さが戻ってきた。

「いたっ、力が強ぇえよ、おっさん。ま、でもそれじゃあ、お言葉に甘えてさせてもらうぜ。ホント、悪ぃな。もし、どっかでその洞窟のこと分かったら、後で教えっからさ」

 いかにも軽い口調でそう言いながら、ポップはまた本棚の列の中へと戻った。ぎっしりと隙間無く詰まった書棚に向けられるポップの目には、戦いの時にも似た鋭い光が宿っている。

 ざっと書棚を一瞥しているだけのように見えるが、時折ポップはその中から一冊を手に取り、中身を確かめるようにその場で読み始める。本を読むために室内にはあちこちに椅子や机などが用意されているのだが、そこまで行くだけの時間も惜しいとばかりに、ポップは貪るように本を読んでいた。
 パラパラとめくられるページの速度は、ちゃんと読んでいるとは信じられないぐらいの早さだ。

 以前、クロコダインはポップが寝込んでいる時に本を読んでいるのを見たことがあるが、その時とは明らかに本をめくる速度が違う。楽しみのためでも、時間を潰すためでもなく、本の中に書き込まれた知識を一刻も早く奪い取ろうとしているかの勢いでポップは本を貪る。

 熱心などという言葉を通り越して、狂気じみた気迫すら感じられる魔法使いの少年は、すでに周囲など見向きもしない。この様子なら、クロコダインがこの場から去っても、いついなくなったのか気付くこともなさそうだ。
 そう判断したクロコダインは、書棚には近づきもしないままそっとその場を立ち去る。

 古い神殿を改造したテランの図書館は、内部も静かならば外の風景もいたって静かなものだ。自然を愛する国民性からか、テランでは人工的な庭を造るよりも、自然のままの森にそのまま溶け込むような形でひっそりと建造物を建てることが多い。
 この図書室もその例を漏れず、館を出るとすぐに木立に囲まれる。と、その木立の間から、特徴的な帽子を被った老魔道士が不意に現れた。

「これは、マトリフ師……後で、こちらから説明に伺うつもりだったのですが」

 少しばかり驚きながら、クロコダインは言葉を選ぼうとする。
 自分の不手際を言い繕うつもりはないが、相手をがっかりさせると分かりきっている報告を伝えるのには、いささかの躊躇いがあったからだ。しかし、老練な魔道士はそんなクロコダインの気遣いをあっさりと切って捨てた。

「ああ、別に説明は要らねえぜ。こんなに早く戻ってきたってことは、それが答えなんだろうからな」

 一を知って十を知るどころか、何も説明しないうちからすでに事態を見通している頭脳の切れ味は、年齢を経て衰えるどころかますます磨きがかかっているらしい。
 クロコダインは言い訳もできず、脱帽するしかなかった。

「はい、師の考えておられる通りです。……お役に立てなくて申しわけありませんが」

 クロコダインがここに来たのも、また、ポップに対して何を話すかも、すべてマトリフの指示を受けてのことだった。

『あの馬鹿に、合わせ鏡の洞窟の話を持ちかけてくれねえか? もし、あいつが乗ってきたら協力してやってほしいんだが』

 言われた通り、クロコダインは実行した。ポップやマトリフの目的がなんにせよ、自分にできる限りの協力をするつもりもあった。だが――ポップは知らん顔を貫いた。

 それは、ポップがクロコダインの協力を必要としていない……もっとはっきりと言えば、クロコダインを拒絶したに等しい。さらに言うのならば、マトリフの期待にも応えられなかったことも、クロコダインにとっては気落ちの原因だった。

 しかし、先代勇者の魔法使いを務めたこの老魔道士は、年老いてなお鋼の精神力を持ち合わせているらしい。特にがっかりした様子も見せず、むしろこの展開も予想済みだと言わんばかりの顔でニヤリと笑う。

「うまくいかなかったもんは、仕方がねえだろう。なら、次の手を打つまでの話さ」






 咆哮が、洞窟内に響き渡った。
 その叫びは、空気すら震わせる。ピリピリと張り詰めた空気が広がり、周囲を侵食していくかのようだった。
 叫びの効力は、恐ろしい程にてきめんだった。ついさっきまでは暗闇のあちこちから見えていた赤い光が、徐々に消えていくのが分かる。
 等間隔で二つ並んで光る赤い光は、獣か怪物の目だ。物陰から隙を窺っていた彼等は、クロコダインの咆哮に恐れをなしたのか逃げ出したようだ。

 獣王の名は、伊達や酔狂で名乗っていたわけではない。
 実際に戦わなくとも、吠え声だけでも相手を威嚇するだけの力は十分にある。

 獣系怪物は、縄張りには敏感だ。野生の獣がそうであるように、獣系怪物もまた各々縄張りを所有し、生活していく。縄張り内に敵が侵入した場合、彼等の取る行動は基本的に二つ。
 全力で排除しようとするか、逃走するか、だ。

 そして、この洞窟の怪物達は後者をどうやら選んだらしい。目に見えて減っていく気配を実感しながら、クロコダインはようやく叫ぶのを止め、息をつく。
 と、軽い声と共に水筒が投げつけられた。

「お疲れさん。それにしてもたいしたものだな、まさかここまで効果があるたぁ思わなかったぜ」

 ちょっと皮肉げなその言葉は、聞きようによっては小馬鹿にされたと思うかもしれない内容だった。
 が、クロコダインはそれを褒め言葉として受け止める。

「大魔道士にそう言われるとは恐縮ですな。これが、役に立ってくれればいいのですが」

 そう言って一気に水筒の水を飲み干してから、クロコダインは軽く首を振って律儀に訂正する。

「いや……これが、役に立たない方がいいのでしょうな」

「ああ、その通りだし、全く同感だが、残念ながら希望通りにゃならねえだろうぜ」

 マトリフの言葉は、どこまでも切って捨てるようなキッパリとした潔さに溢れている。未来など分からないからこそ、希望的観測を信じたいと縋る気持ちのあるクロコダインと違って、マトリフの慧眼はこれから先何が起こるのかすでに見通しているらしい。

 それだけに、マトリフの言葉には何の容赦もない。すでにそうなると決まっているとばかりに、思い切り顔をしかめている。
 そして、大魔道士の予想は思っていた以上に早く実現した。

「……!」

 いち早くそれに気づいたクロコダインは、目線でマトリフに注意を促す。さすがは歴戦の魔法使いと言うべきか、マトリフは疑問を口にするより早くスッと岩陰に身を潜めた。

 図体の大きいクロコダインにとっては身を隠すのは、少しばかり難しい。性格的にも、隠れるよりも戦うことを好むためこんな風に隠れるのは久しぶりだった。

 だが、窮屈な思いをしながらも隠密を選んだのは、近づいてきた足音や気配に危険を感じなかったからだ。
 獣や怪物ではあり得ない二足歩行者特有の足音は、やけに軽く感じた。戦士だとすれば、もっと重量感のあるしっかりとした足音になるだろう。

 しかし、聞こえてきた足音は軽い。
 女か、子供か――そう思える足音だが、普通ならこんな洞窟の奥に女子供が来るなんてあり得ないだろう。しかも、足音は一人分……単独でこんな場所まで訪れたらしい。

 らしいなと思う気持ちと、別人であってほしいと思う気持ちを同時に味わいながら、クロコダインは物陰からそっとその冒険者の姿を確かめる。
 その目に映ったのは、緑の服を着た魔法使いの少年。

 紛れもなくポップだった。一人で危険な洞窟に入り込んだポップは、隠れているクロコダイン達に気がつくことなくそのまま通り過ぎ、臆することなく奥へと進んでいく。

 それを黙って見送るのは、いささか心苦しいものがあった。
 つい引き留め、一人で危険なことをするなと怒鳴りつけたくなる。仲間なのだからこんな時ぐらい頼れと、その水くささを責めたくもなる。――だが、その衝動をクロコダインは押し殺した。

 自分以上に強くそう感じているはずの老魔道士が何も言わない以上、自分が口出しをするのは僭越だという思いがあったからだ。
 周囲の気配に気づくことなく、ポップはそのまま洞窟の暗がりの中へと消えていく。その姿が完全に見えなくなってから、クロコダインはため息交じりにつぶやいた。

「師の仰った通りのようです。『二度あることは三度ある』とはよく言ったものですな」

「はん、それを言うなら『馬鹿は死ななきゃ治らない』で十分だぜ。ったく、あの馬鹿弟子ときたら……何度火傷しても一向に懲りる気配もねえようだな」

 辛辣にこき下ろしながらも、マトリフは苦い表情でポップが消えた洞窟の奥を睨みつけている。
 その険しい表情は、単に怒っているからではない。愛弟子を心配するからこそ、だ。

 ポップがダイを探している――それは、仲間である勇者一行なら誰もが知っていることだった。だが、実際にポップがどんな風にダイを探しているか、その具体的な方法については誰も知らなかった。

 事実、クロコダインもマトリフから話を聞くまで、ポップがこんな無茶な方法でダイを探しているなどと思いもしなかった。
 古い文献を漁って竜の騎士の伝承に関わる洞窟を探しては、たった一人で挑んでいるなどとは。

 正直、最初に聞いた時は正気を疑ったものだ。
 洞窟の探索は、そもそも単身ではなく数名のパーティを組んで行うのが常識だ。それをたった一人でやろうというのが、まず無茶だ。

 しかも、ポップは魔法使いだ。
 まだ、アバンのように攻守のバランスのとれた勇者ならば、洞窟での単身探索もなんとかなるかもしれない。しかし、耐久力と持久力に欠ける魔法使いでは、無茶を通り越して無謀の一言に尽きる。

 いつ命を落としてもおかしくないほど、無謀な話だ。実際、マトリフの話によるとポップが洞窟探索のせいで死にかけたのは、一度や二度ではないらしい。大怪我をして戻ってくることも度々あったと聞いた時には、心底肝が冷えた。

 だが、それでもポップは一向に懲りる様子もなく、無茶な探索を繰り返しているようだ。誰にも協力を求めず、頑ななまでに一人で――。

「……せめて、一言でも言ってくれれば……」

 もし、一言でも事情を打ち明けてくれたのならば。
 いや、もし事情を話せないとしても、それでもいい。せめて助けを求めてくれたのなら、いくらでも手を差し伸べるものを。
 言っても仕方がないと分かっていながら、ついクロコダインの口から愚痴じみた述懐がこぼれ落ちる。

 だが、言った側からその言葉を後悔した。
 そんなことは、クロコダインが思う以上にマトリフの方が強く思っていることだろう。また、マトリフがポップに対して何も働きかけなかったとも思えない。

 ポップの話では、マトリフはスパルタ教育にもほどがある厳しい師匠だと聞いた。実際にマトリフがポップを容赦なく叱るところを、クロコダインも何度か見たことがある。
 もっともポップの方も言われっぱなしではなく、同じく好き勝手に言い返すのだからお相子だが。

 そんな師弟の様子を見て、クロコダインはまるで親子のようだとさえ思ったものだ。
 だが、そんな実の親並に遠慮のない間柄の師匠にさえ、ポップは何も言おうとしない。

 自分の目的も言わず、助けも求めない。
 ただひたすらにダイだけを探しているポップに対して、何もしてやれない歯がゆさを誰よりも噛みしめているのは、おそらくマトリフだろう。
 しかし、マトリフはクロコダインの愚痴など気にとめた様子もなかった。

「はん、あんな馬鹿が何を言おうが言うまいが関係ねえな。言う気がねえっていうなら、こっちも勝手に手を打つまでの話だ」

 ふてぶてしい表情のまま、そう言い切れるのがマトリフの強さだ。
 それを聞いてクロコダインもまた、気を取り直す。

「その通りですな」

 自分には何もできないと嘆くのは、まだ早すぎる。
 たとえ助けを求められることがなかったとしても、また、ポップを止めることができなかったとしても。少なくともクロコダインにはこの洞窟でやったように、ポップのためにできることがある。

 ポップが調べた古文書から彼が行きそうな洞窟を先読みできるマトリフと組んで、洞窟に先回りして雑魚を追い払う程度のことはできる。ほんの細やかなものではあるが、見えない助け手をそっと差し伸べることぐらいならできる。

「じゃ、あの馬鹿が戻ってくる前に次に行っておくか」

 そう言ってスタスタと歩き出したマトリフの後を、クロコダインも追った。一瞬だけポップが気になって振り返りはしたが、ここで直接ポップに手を貸すことが良い結果につながるとは思えない。

 今回に限って言うのならポップの無事を保証できるし、クロコダインも満足感を味わえるかもしれない。だが、自分が見張られていると知ったポップは、次は誰にも気づかれないように細心の注意を払い、隠れて洞窟探索を続けるだけの話だ。

 そうなれば、マトリフでさえ助け手を差し伸べられない場所で、ポップが一人で息絶える羽目になるかもしれない。その可能性を思えば、たとえ蜘蛛の糸のようにか細い助け手であっても、差し伸べてやりたいと思う。 

 ポップが行くかもしれない洞窟は、絞って推理したとしても何十もの候補地がある。それら全てを訪れ、雑魚怪物を追い払うともなれば一苦労だ。ついでに言うのなら、そこまでお膳立てしたところで肝心のポップがそこへ行かなければ、単なる徒労で終わってしまう。

 だが、それでもクロコダインは構わなかった。
 ほんの僅かでもいい。それがポップを、ひいてはダイを助ける可能性につながるのであれば、労を惜しむつもりなどない。

 勝機が全く見えない中、ほんの僅かの可能性に懸けて戦いを挑んできた勇者とその魔法使いのために、細やかでもいいから手を貸してやりたい。
 本人には気づかれないように、見えない助け手を――。
 そう思いながら、獣王は老魔道士と並んで洞窟の出口を目指して歩いていった――。 END



《後書き》

 555555hit記念リクエストその1の『クロコダインとマトリフ師匠の話(戦闘or共同作戦)』の話です♪

 最初はこのリクエストは、どの時間軸を舞台にしようかすごーく悩みました。最初は原作の隙間時間で書こうと思ったのですが、マトリフはともかくクロコダインの単独行動時間が少ないんですよね、これが。

 ダイ達と一緒にいない時にでも、バダックさんやチウなどと一緒にいることが多いし。ふと気がつくとぼっちで行動したがるヒュンケルと違って、おっさんは本当にコミュ力高いなぁと改めて感心しました♪

 それはともかく、この話は勇者行方不明編、ポップが一番無茶をしながらダイを捜索していた頃のお話になります。
 ポップを陰ながらサポートするお話にしようと思ったまでは良かったものの、戦闘シーンがなかったせいかすごく地味な共同作戦になってしまったような気が……す、すみません、今はこれが精一杯です。

 ところで筆者は昔から図書館が好きなのですが、外国の図書館にはなんとなく憧れを感じています。

 城や宮殿を改造して図書館として利用している国も結構あるときくと、日本でもそんな図書館があればいいのになぁと思って見たりします。……まあ、典型的な日本家屋だの日本の城は本の保存には不向きなんですけどね(笑)
 本棚を置くと畳が沈むし、日本家屋だと湿気対策が取りにくいですし。

 それはさておき、フランスでは国会図書館の中に禁書ばかりを集めた図書室があるそうです。R18だったり道徳的に公にできなかったりなど、様々な事情から発禁扱いとなっている本揃いだそうですが、これらの本は正規の許可さえ取れば誰でも閲覧可能だそうです。
 ただし、貸し出しは不可で、銃を持った警備兵が見守る中で閲覧しなければならないという条件付きですが(笑)

 しかし、そんな悪条件があるのにこの禁書の部屋でサドの著書を発掘し、世間に発表した強者もいるので、読書好きには夢の部屋かもしれないですね♪
 フランス語さえ読めたら、行ってみたい気が。

 それに比べると、日本の国会図書館は平和でいいなとつくづく思います。まあ、日本には禁書専門の部屋があるとは聞いていませんし、もしあったとしても最初から閲覧禁止になっていそうな気がしますけど。

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