『桜の花びら舞う下で』

 思いっきり見開かれた目は、見事なぐらいに真ん丸だった。そして、その口からは掛け値無しの驚きの声がこぼれる。

「う……っわぁーーっ!」

 驚きのためか、口をぽかんと開けたままのダイの目は、上を見上げている。その目に映っているのは、一面の桃色だった。

 数え切れないぐらい沢山植わっている木々達は、一斉に同じ色の花を咲かせていた。どちらかと言えば無骨な、黒っぽいゴツゴツした枝振りからは信じられないぐらい、華やいだ桃色の花が無数に咲き誇っている。

 一つ一つの花は、そう大きな物ではない。
 むしろ、ごく小さいと言ってもいい。小さな子供の掌にさえ簡単に乗ってしまうような小さな花弁は、いかにもしおらしげに下を向いて花を咲かせている。

 慎ましい咲き方に見合った、小さくて可憐な花だった。少なくとも、鮮やかさという点においてはダイの知っている南方の花とは格段の差がある。
 どこかしら儚げな、淡い桃色の花――確かに美しいが、掌に乗せて見る限りでは地味と言えば地味な花にすぎない。

 だが、そのうなだれた花の数が、尋常ではない。不思議なことに葉っぱの一つも生えていない枝全てに、多数の花が咲いている。その質感と量は、まさに青い空を遮る雲のようだった。

 だが、純白や灰色と決まっている雲と違って、花が生み出す桃色の雲はどこまでも身近でありながら、幻想的だった。
 そして、その雲からまるで雪のように、ひらひらと小さな桃色の欠片が降ってくる。ひっきりなしに降るそれは、ダイの目には雪そっくりに見えた。

 だが、雪にしてはあまりにも軽やかで、ふわりと風に煽られながら落ちてくる。さらに雪とは違うのは、地面に落ちた後も静かに積もったりしない点だった。

 黒い地面がうっすらと桃色に染まるほどに落下した花びらは、それでもまだ舞い足りないとばかりに風が吹く度にかすかに転がり続け、その動きがさざ波を思わせた。

 花なんてものは咲いている間は綺麗でも、散ってしまえば花弁を地に落としてお終いだと思っていたのだが、こんな風に散っても尚美しい花もあるのだと、ダイは初めて知った。

 咲いている時はもちろん、散って空を舞う姿も、落下した後でさえも美しい花。
 生まれて初めて見る美に圧倒され、ダイは目を奪われっぱなしだった。ぽかんと目も口も開きっぱなしのダイの頭を、ぽんと叩いた手があった。

「なんだよ、そんな面しやがって。そんなに驚いたか?」

 そう言ったのは、緑の服を着た魔法使いだった。
 まるで悪戯が成功した子供のような顔で笑っているポップに、ダイはムキになって言い返す。

「そりゃ、驚くよ! だって、ここ、この前来た時はこんなんじゃなかったじゃないか」

 あれは確か、ほんの4、5日前だった。
 ちょうどポップと一緒に街まで散歩に出掛けた際もこの並木道を通ったのだが、その時は全然こんな風ではなかった。もう春だというのに、まだ全然緑の見えない木が立ち並んでいるだけの場所だった。

 暖かくなってきたのに全然葉っぱが生えないそれらの木々を、ダイは枯れ木なのかなと思っていただけに、この変化は予想もしていなかった。

「こんなにいっぱい花が咲いてるなんて……ポップ、何か魔法でも使ったの?」

 ダイにしてみればそれ以外考えられなかったのだが、それを聞いた途端、ポップは声を上げてゲラゲラ笑う。

「ぶっは、違う、違うって。だいたい、花を咲かせるような魔法なんて聞いたこともないぜ。おれは何にもしてないって――これはただ、時期が来て桜が咲いただけの話だよ」

「サ……クラ?」

 聞き慣れない花の名前だった。まあ、一般的な男の子なぞは花の名前などには疎いものだが、南の島育ちのダイはその傾向はさらに顕著だ。特に、この辺の地方の花には詳しくない。が、ポップは無駄なところだけ博識だった。

「ああ、これは桜って花なんだよ。春が来たら数日だけ一気に咲いて、すぐに散ってしまう珍しい花なんだ。
 アバン先生に言わせれば、その昔東方から伝えられた珍種だって話だけど、どうなんだかなー」

 今一つ教師に信頼を置いていない口調で言いながら、ポップは軽く手を広げて舞い落ちる花びらを受け止める。
 若草色の手袋の上では、その桃色の花びらは驚く程に良く映えた。

「数日って……この花、そんなちょっとの間しか咲かないの?」

 思っていた以上に短い寿命に、またダイは驚く。
 こんなにも美しいものが、そんなに少しの間しか持たないだなんて、それはひどく勿体のないことのように思えた。
 だが、ポップはそうは思っていないのか、サバサバしたものだ。

「ああ。でも、桜は毎年決まって春に咲く花なんだよ。だからみんな、この花が咲いたら、ああ今年も春が来たんだなって実感するってわけだ。
 で、この花の下で賑やかに花見をするんだよ――よいしょっと」

 いいながら、ポップは背負った荷物の中から小さな筒状の物を取り出す。それは、パプニカご自慢の通信用の信号弾だった。遠方にいる味方と連絡を取るために使うそれは、特別の時にしか使われない。

 なぜポップがそれを持っているかと不思議に思ったダイの心を読んだように、魔法使いは説明してくれた。

「これは、桜が十分に咲いたってことを知らせる連絡のために使うんだよ。ここらへんはパプニカ王家直轄地……つまり、姫さんちだけの特別の花見場所なんだってさ。
 けど、これだけ綺麗な物を独り占めってのもケチ臭いってもんだろ?」

 だから、花が満開になったら一般市民に広く開放するのが先代からの習慣なのだと、ポップは説明してくれた。ダイにはよく分からないが、それはとてもレオナらしい、気前が良くて公平なやり方のように思える。

 それに、人がいっぱい集まってくるというのも、お祭りの時のように屋台が沢山来るという話も、ダイにとっては嬉しい。

「この合図の信号弾を打ち上げたら、街の人達が一斉にここに集まって花見を始めるって寸法になっているんだよ。……さて、もう打っていいか?」

「?」

 一瞬戸惑ったのは、なぜポップがそう聞いたのか分からなかったせいだ。どちらかと言えばわがままなポップは、いちいち自分のやりたいことに確認や許可を取るような性格じゃない。

 特に、ダイと一緒の時は強引な時が多い。今日だってダイの予定も聞かず、行き先も言わないまま、いいからこいと引っ張ってきた。
 が、意味が分からなくても、ポップの提案にならダイに否やはない。

「うん、いいよ」

 ほぼ即答のダイの返事を機に、ポップが信号弾を打ち上げる。空高く上がった信号弾の色は戦時中には『我れ、勝てり!』を意味した、鮮やかな赤だった――。







 それもまた、魔法のようだった。
 ポップが合図を送ってからものの数十分も経たないうちに、またも風景は一新していた。

 今度、目に飛び込んでくるのは人、人、人。

 それこそ、数え切れないぐらいの人達が桜並木の間に溢れる。ダイがさっきそうした様に、桜の見事さに見とれるように空を見上げる人もいれば、舞い落ちる花びらを無邪気に追いかける小さな子供、花などに見向きもせずにせっせと屋台を組み立てる商人達などが溢れんばかりに広がっている。

 どこから集まってきたのか分からないが、気がつくと数え切れないぐらいに集まった人々の多さにもダイは驚かされた。
 たちまち、祭りの賑やかさを見せるこの光景もまた、魔法のようだった。

「すごいね、ポップ。こんなに人が集まるなんて……、おれ、思わなかったよ」

 人波に目移りしてきょろきょろしているダイに、ポップが苦笑しながら言う。

「それだけみんな、桜を楽しみにしてたってことだな。ま、こう賑やかになっちまうと花見ってより、ただのお祭りだけどさ」

 笑いながら言うその言葉には、少しばかり残念そうな響きがあるように思えた。
 そう思うのは、ダイ自身にもちょっぴり、そんな気持ちが生まれたせいだろうか。

 もちろん、桜の美しさには何の変わりもないのだが、人っ子一人いなかった先程まではあれ程までに幻想的だった光景は、今は一変していた。心を鷲づかみせんばかりの美は、今やただの背景に過ぎない。

 神秘性すら上書きするのは、人間達の繰り広げるどこまでも賑やかで、俗っぽい光景だ。

(……けど)

 この光景も、同じぐらいに美しいとダイには思える。
 と言うよりも、胸がほっこりと温かくなるような心地よさを感じさせてくれる光景だ。

 どこにでも有り触れていて、見慣れているからこそ特に目を惹くこともない、人間達の日常の姿。
 だが、ダイにとっては、これこそが心底願ったものだ。

 言ってみれば、この光景を守るために大魔王と戦い、勝ち取って得たようなものだ。
 この光景を最初に見たとしても、ダイはきっと満足したに違いない。――が、それだけで終わらなかったのは、ポップの優しさのおかげだ。

 思えば、ポップは最初にダイに純粋な花見を……桜の美しさを知ってもらいたいと思ってくれたのだろう。

 だからこそ数日前にもこの道に散歩に来たし、花が満開になった時の連絡役を引き受けた。考えてみれば、レオナの補佐として忙しいポップが、こんな雑用にも等しい役割を引き受けたこと自体が不自然なのだ。

 信号弾を打つ前に、ダイの許可を取るかのような発言をしたのを思い出しながら、ダイはポップの腕をギュッと掴む。どんな人混みに紛れても離さないように、しっかりと。

「でも、おれ、静かな花見も賑やかな花見も、すっごく気に入ったよ! ホント、すっごく……えっと、なんて言っていいのか分かんないけど、すっごくすごいよ!」

 一生懸命頭を捻って言葉を選んだつもりだったが、あまり口上手とは言えないダイの褒め言葉はひどく拙いものだった。
 本心から凄いと思い、ひどく感動していることや、感謝していることをちゃんと伝えたいと言うのに――。

 こんなのではポップにちゃんと伝わるのか非常に不安だったが……彼は、大魔道士と呼ばれた魔法使いだった。
 心を見透かすような目が、ダイを捕らえる。と、ポップはニヤリと不敵な笑みを浮かべた。

「――そりゃあ、よかったな、ダイ。じゃあ、来年もまた来ようぜ」

 一番、言って欲しいタイミングで、一番いって欲しい言葉をくれる魔法使い。
 彼の言葉は、魔法よりもダイを歓喜させてくれる。

「うん――ッ!!」

 桃色の花が一面咲き誇る中、勇者と魔法使いは連れ立って人並みの中へ溶け込んで行った――。  

  
 

《後書き》
 このお話、実は桜の季節に書いていたにもかかわらず、仕上げに後れを取りました(笑)
 それはさておき、桜の美しさは散り際が際立っていると昔から思っています♪

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