『若水のはなし』
  

 それは、一年でたった一日だけの特別な朝のことだった――。







「ポップーっ、おーい、ポップってば! 起きて、起きてよっ」

 それは、嫌と言うほど聞き覚えのある声だった。
 やかましい声と、ガンガンと遠慮なしに戸を叩く音が響き渡る。それはもう、うるさいなんて生やさしいものじゃない。

 朝寝坊を決め込もうと強く決心していたにも拘わらず、それを邪魔する騒ぎ立てるその声と騒音は、どんどん強くなる。
 が、ポップは起きなかった。

「るっせえなぁ……」

 今日は、寝坊すると決めていたのだ。
 なにせ久々の休みなのだ、たまには一日中寝くたばったところで問題はないだろう。というか、こんな機会に寝だめしておかないと死ぬので寝かせてください、お願い。

 この際、国王命令だろうと王女命令だろうと無関係に、今日一日は寝たおすつもりだった。
 だが、そんなポップの決意とは裏腹に、戸を叩く音と声はどんどん大きくなる。

「もーっ、ポップってば、いいかげん起きろよーっ。今日は、一緒に行くって約束したじゃないかー!?」

(約束ぅ? んなもん、したっけ?)

 もはや声に出すのも面倒とばかりに、もごもご口の中で呟きながらポップは思い出そうとした。

 確か、昨日はめちゃくちゃ忙しかった。朝から晩まで、ルーラであちこちの国に飛び回っていた覚えがある。それもこれも、レオナがニューイヤーパーティーをやりたいと言うから、それに合わせて頑張ったのだ。

 しかし、それももう終わったはずだ。
 だから、ゆっくり休憩するつもりで、夜中までやっていたパーティーが終わると同時に自分の部屋に戻ってそのままベッドに倒れ込んだ。

 絶対に起こすなと周囲に釘を刺して寝たというのに、なんだってこう、あのバカ勇者は騒いでいるのか。

(あー、るっせえ。さっさと諦めやがれ) 

 やっぱり、もごもごと口の中だけで呟くポップだったが、音の主はしつこかった。

「もおっ、しょうがないなぁ。……えいっ!」

 ぼこぉっと、なにやら愉快な音と共に、部屋の中に急に冷たい風が吹き抜ける。

「な、なんだぁ!?」

 さすがに跳ね起きると、すぐ目の前には黒いボサボサ頭に、ほっぺたの十時傷が特徴的な少年がいた。

「あ、ポップ、起きた? よかった、これでも起きなかったらどうしようかと思っちゃった!」

 などと、あっけらかんと言ってのける少年の後ろには、戸がぽっかりとなくなった壁が見える。一瞬あっけにとられてから、ポップはすぐさま真相に気がついた。

「あーっ、ダイ、てめえっ、また扉をぶっ壊しやがったな!? どうしてくれんだよ、後で怒られるのはおれなんだぞっ!」

「そん時は、おれも一緒に怒られてあげるし、直すのも手伝うよ。それより、急がないと間に合わないって、さ、ポップ! 早く!」

 そう言いながら、ポップの肩に服を羽織らせ、強引に手を引っ張られる。ほとんど逆らう間もなく、ポップは外へと連れ出されていた。







「おー、寒〜。なんだよ、ダイ? 全く、こんな早くにどこに行くんだよ!」

 手を引っ張られて進みながら、ポップははっきり言って不機嫌だった。
 なにせ、まだ眠い。
 昼過ぎまで寝坊する予定だったのに、今はまだ夜中……と言うより、夜明け前なのだろう。外はまだまだ暗く、風景すらよく見えやしない。

 ただ、夜明け間近なのを証明するかのごとく、山の稜線だけが白々とした光りに包まれている。

「どこって、決まっているじゃないか。若水を汲みにいくんだよ!」

「ワカミズ? なんだ、そりゃ?」

 聞き慣れない単語に、思わず聞き返す。
 それは、ひどく珍しいことだった。自慢じゃないが、無人島でたった一人の人間として育った世間知らずのダイよりも、ポップの方が知識に関しては詳しい。

 知らない言葉を尋ねるのは大抵がダイの方であり、ポップがダイに尋ねたことなど数えるほどしかない。

「何って、若水は若水だよ。ポップが毎年汲んでるじゃないか。それより、早く、早く! 急がないと、日が昇っちゃうよ!」

 走りながら焦っていう説明はちんぷんかんぷんで、全く意味が分からない。だが、首をひねる間もなく急がされ、森の奥へと連れて行かれた。

(テラン……、いや、違うか)

 木々に囲まれた静かなその場所は、テランの風景にどこか似ていた。
 だが、テランにある湖と違い、そこにあったのはごく小さな泉だった。周囲を、奇妙な形の紙飾りのついた縄で覆ったその泉は、小さいながらも恐ろしいまでに澄んでいた。

 暗がりの中でさえ、その泉はほうっと光り輝いているかのように、美しい水をたたえている。それを見とれていると、背を軽く押された。

「さあ、ポップ。お役目を果たしなよ。はい、これ」

 その言葉と共に渡されたのは、木製の桶だった。使い込まれた品だと一目で分かる水桶を手に、ポップは途方に暮れる。

「へ? お役目、って?」

 そう聞くと、呆れたような返事が戻ってくる。

「まだ寝ぼけてんの、ポップ? しっかりしてよ、今日は元旦なんだから、日の出と共に若水を汲まないと。一年で一番初めに飲む若水は、邪気を払ってくれるんだから!」

「ガンタン? ジャキ? いや……なんだか分からねえけど、そんなのおまえが自分でやりゃあいいじゃん」

 空のままでも重く感じる手桶を見下ろし、ポップは思わず言う。正直、村にいた頃でさえ井戸の水汲みが嫌でサボってばかりいたポップにしてみれば、泉からの水汲みなどなおさらやりたくない。
 が、ますます呆れられてしまった。

「ポップが神覡(かんなぎ)なんだから、ポップがやらなきゃだめだよ。あっ、ほら、もう夜明けだよ!」

 その声と共に、さぁっと光が駆け抜けた。
 ついさっきまで暗かった世界が、驚くほどの速さで鮮やかさを増していく。山を真っ赤に染めて、太陽が顔を出していた。

 いつもと同じでいて、それでいていつもとは違うと思える朝日だった。
 下ろしたての服を初めて着る時のように、清々しい空気。背筋を凜と伸ばすかのような荘厳さが溢れている日の光が、圧倒的なまでの輝きを見せる。

 日の光のおかげで、目の前にいる少年の姿がよく見えるようになった。粗末な、青い着物。

 ポップより頭一つ分ぐらいチビで、それでいて年齢離れしたしっかりとした眉と目つきが印象的な少年は、ポップと目が合うと姿勢をきちんと正す。
 そして、妙に他人行儀な、かしこまった口調で丁寧にお辞儀をした。

「明けましておめでとう、ポップ。今年もよろしくお願いします」
 







「――――っ!?」

 跳ね起きたポップに対して、少し離れたソファにいた少年はびっくりしたように自分でも軽く跳ねる。
 が、すぐに笑って声をかけてきた。

「あ、目が覚めた、ポップ? おはよ! じゃなくて、こんにちは、かな。もうお昼だし」

 笑顔でそう言っているのは、ボサボサ髪と頬の十時傷が特徴的な少年――見間違えるはずもない、ダイだった。

 いつもと同じように青い服を着た勇者は、ソファを飛び降りてベッドの側までやってくる。それをぼんやり見やりながら、ポップは部屋の扉が壊れていないのを確認した。

「……ダイ、なんでここにいんだよ?」

「だって、ポップ、今日お休みなんだろ? この前、今度の休みには一緒に遊びにいくって約束したし、ポップが起きたらすぐに遊びに行けるよう待ってたんだよ!」

 と、にこにこ笑いながら、当然のようにダイはいう。
 その背は、ポップとほとんど変わらない。いつの間にか追いつかれた背丈に舌打ちしたい気持ちを感じつつ、ポップはふと、ベッドに目を落とした。

 枕から半分はみ出ているのは、風変わりな船の絵だった。
 それにダイも気づいたのか、不思議そうな顔をして引っ張り出す。

「あれ、これ、どうしたの? 変わった舩だね。いちにいさん……七人も人が乗ってるや」

「いや、それ、人じゃなくって神様だって言ってたぜ。アバン先生が言うには、それはシチフクジンって言うんだってさ」

 言いながら、昨日の記憶を思い出す。







「ハッピーニューイヤー、ポップ! 新年をお祝いして、私から素敵なプレゼントをあげましょう! じゃーん、見てください、これぞ「タカラブネ」の絵ですよ!」

 いつまでたってもお茶目な師が、そう言いながら差し出したイラストを、ポップは思いっきり胡散臭い物を見る目で眺めた。

「…………これ、もしかして東方伝説の品ですか?」

「ベリーグッド、その通りですよ、ポップ! さすがお目が高いですね、これはタカラブネ、つまりトレジャーシップというわけです! なんと、驚いたことにこの絵には面白い伝承がありましてね、新年の最初の夜、つまり1月2日の夜に枕の下に入れて眠ると、いい夢が見られるんだそうですよ」

 その後も長々と、アバンは楽しげにタカラブネの話やら伝説やらをしていたが、正直、ポップはあまり聞いていなかった。

 ポップにしてみればそんなイラストなんかより、ダイやレオナがもらっていたオトシダマとか言うお小遣いの方がよかったなと思ったりもしたのだが、アバン先生曰くオトシダマは子供専用だとか。

 それならば、意地でももらいたいと言えず、やむなくこのイラストをもらって、しぶしぶのように寝る前に枕の下に入れたことだけは覚えている。






「どうだった、ポップ? いい夢、見た?」

 目をキラキラさせて、身を乗り出すように聞いてくるダイに、ポップは頭をボリボリと掻いた。

「あー……どうだった、かなぁ?」

 ――夢は、見た。
 それは、覚えている。確かに、夢は見たのだ。
 だが、その内容は覚えていない。起きたのと同時に、するりと逃げるように消えてしまった。

 それは、水がこぼれる様に似ていた。
 両手をしっかりと合わせ、どんなに丁寧に水を汲んだとしても、どうしても水はこぼれ落ちて消えてしまう。
 水の冷たさも、爽やかさも覚えていても、失った水を取り戻すことが出来ない。

 今見た夢も、それと同じだ。
 起きる直前までは、それは現実も同然だった。よく考えれば不自然だと思う部分がいくつもあったはずなのに、それを疑問と思わないほどリアルティに溢れていた。

 どこか懐かしく、どこか新しい。
 それは少しばかり寂しく、それでいて不思議に余韻を残す夢だった――。

「ポップ? もしかして、嫌な夢だった……のかい?」

 ダイが、少し心配そうな表情になる。
 その頭を、ポップは掻き混ぜるように乱暴に撫でた。

「ばっか、ちげーよ。いい夢には違いなかったぜ、覚えてないけど。それよりさ、水を汲みに行かねえか? なんでも、新年で最初に飲む水は大事なもんなんだってさ」

「へえ。それも、アバン先生が言ってたの?」

「ああ、よく覚えてねえけど、多分そうじゃねえの?」

「えー、いいかげんだなぁ、ポップは!」

 と、おかしそうに笑うダイに対して、ポップも笑いながら言った。

「まっ、ハッピーニューイヤー、ダイ。今年もよろしくな!」

 
      END   

 

《後書き》


 えー、2019年最後に書いたお話です♪
 これはベースは勇者帰還編ですが、以前に書いた東方ワールド風味が混じっています。夢の中でポップが会っていた少年は、東方伝説内のダイであって本物のダイではないです。

 これがただの夢なのか、それともほんの少しだけパラレルワールドへ魂が飛んでいたのか、お好きに解釈してくださいませ♪


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