『大魔道士の片鱗』
 

 その日は、やたらと暑かった。
 普通に暑いなんてレベルじゃなく、ただもうひたすらに暑かった。まだ朝と呼べる時間帯なのにも拘わらず、ジリジリと照らしつける太陽は容赦の無い熱気を振りまいている。

 なまじ、昨日降った雨がふったせいで、まるで蒸し風呂にでも入っているようなむわっとした大気が身体を押し包んでいた。そして、悲しいことに風は全くと言っていいほど吹いてくれない。

 じっとしていてでさえ、じわっと肌から汗がにじみ出るような天気だった。ましてや身体を動かせば、すぐに息切れしてしまう――そんな日だった。

「せんせー、もー、歩けませぇーーん……やすみましょーよ〜」 

 そう言いながら、行儀悪く地べたにべたっと座り込んでしまった愛弟子を、アバンはため息をつきながら見やる。

「またですか、ポップ」

 そう答えるアバンの口調に、いささか呆れが混じる。

「朝食からまだ一時間も歩いていませんよ? 休むにしても、まだ早過ぎませんか?」

 空の太陽の位置をちらっと目で確かめてから、アバンは弟子をやんわりとたしなめる。

 太陽はとっくに昇っているが、もっとも高い位置になるまでは、まだ間のある時間だ。つまり、気温的にはこれからまだまだ上がるのである。
 気温が最も高くなる昼過ぎになるまでに動いておかないと、この先、もっときつくなるだけだ。

 なにしろ、ここは町と町をつなぐ街道のど真ん中だ。
 街道と言えば聞こえがいいが、単に一面の草原が広がっているだけの場所で、馬車や旅人が行き交った場所だけが踏みしめられて固くなり、簡素な道となっているところだ。

 周囲には村どころか人が住んでいる気配もないし、旅人の姿も全く見かけない。草の海に埋もれてしまいそうな道と、ぽつんぽつんと目印のようにたまに見かける街路樹だけが、ここが街道だと証明している。
 とは言っても、街路樹も申し訳程度のものだ。

 数キロ置きに一本ずつぽつんと立っているだけだが、それでもその木は町への確かな道標と、旅人へ細やかな木陰を約束してくれている。

 だが、その細やかな木陰にすがりつくように、ポップは動きたがらない。
 いかに木が日を遮ってくれるとは言え、それはごくわずかなものだ。
 こんな場所で休んでいても、日にさらされることに変わりは無い。それよりは、まだ気温が上がりきらないうちに移動しておいた方がいいだろう。

 が、怠け癖のある弟子はアバンの説明を聞いても、グズグズとしているばかりでその場を立とうとしない。

「だって、暑くって暑くって、昨日もあんまりよく眠れなかったし−」

 ふわぁと大きくあくびをするポップは、ひどくだるそうだった。

(そう言えば、ここのところやけに寝付きが悪かったですね)

 ポップがアバンに弟子入りしたのは、去年の秋のこと――あれからずいぶんだっただけに、ポップも旅には慣れてきたようで野宿でもぐっすりと眠れるようになっていた。

 が、ここ数日は熱帯夜が続いたせいもあり、なかなか眠れない様子だった。ただでさえ暑くて体力が削られているというのに、それに加えて睡眠不足では、スタミナ切れが早くなるのも当然だろう。

「……仕方が無いですねえ。しばらく、ここにいてもいいですよ」

 アバンがそう言った途端、ポップはパッと嬉しそうに顔を輝かせた。

「やったーっ、休憩ですか!?」

「ノンノンノン、私はそこまで甘くはありませんよ? これも授業の一環です、ここでしばらく瞑想(メディーション)でもしましょう」

「えー、この暑いのにですかぁ?」

 と、不満そうな声を上げながらも、この暑さの中を歩くよりは瞑想をする方がまだいいと思ったのか、ポップはしぶしぶに従った。

 べったりとだらしなく座り込んでいたポップは一度立ち上がり、木の根元にあぐらを掻く姿勢で座り直す。軽く手を広げて目を閉じる、いわゆる座禅と呼ばれるその姿勢は、魔法使いが行う瞑想としてはごく一般的なスタイルだ。

 人によっては、より意識を集中させるために頭を下にした倒立形式の座禅を組むこともあるが、不自然な姿勢なだけに長く続けるには向かない。普通、魔法使いが好むのはこの座禅の形の方だ。

「いいですよ、だいぶ様になってきましたね」

 弟子の成長を、アバンは素直に褒めた。アバンは、生徒は褒めて伸ばす主義なのだ。

 瞑想の姿勢は、一見、簡単なように見えて実際にはなかなか難しい。あぐらとは言っても、一般的なあぐらとは違ってくつろぐためではなく、背筋をしゃんと伸ばすために足の組み方が独特になる。

 慣れていない物だと、足を組むだけでも苦労するものだ。実際、ポップも最初に教えた時には、こんな足の組み方なんて無理だと大騒ぎしていた。
 だが、いつの間にか自然に足を組める程度には、瞑想に慣れたらしい。……が、それは形ばかりだったが。

「こらこら、ポップ、何をやっているんですか? これは休憩ではなく、瞑想だと言ったでしょう?」

 姿勢だけは整えたものの、早くもこっくりこっくりと船をこぎ始めた弟子の頭を、アバンは軽く叩く。叩くと言うより、注意を喚起するためにポンと叩いた程度だったが、ポップは大げさに文句を言う。

「だって、目をつぶってじっとしてると、どうしたって眠くなっちゃいますよー」

「だから何度も言っていますが、瞑想はただじっとしているだけではないんですって。自分の中の魔法力を感じ取り、高めるのが目的なんですよ」

 そう言いながら、アバンが思い出すのはマトリフの姿だった。
 大魔道士と名乗り、全ての魔法使いの頂点に立つと呼ばれたあの男は、アバンが出会った時から卓越した魔法使いだった。

 マトリフが瞑想する姿を、アバンは何度となく見たものだ。
 彼がただ軽く目を閉じて座っているだけでも、瞑想しているかそうでないか、一目で分かった。アバンのみならず、魔法には疎い根っからの戦士のロカでさえ分かるぐらいだった。

 なにしろ、マトリフが瞑想をしている時は、実際に身体が光っていたのだから。

 魔法力を体内で高めた結果、自然に身体が光るのだとマトリフは言っていたが――それがどんなに稀なものなのか、アバンはずいぶん後になってから知った。

 瞑想は魔法使いにとって基本中の基本と言える修行だが、大抵の人間は形ばかりの効果しかない。魔法を使うならいざ知らず、ただ精神を集中させるだけで身体を光らせるほど全身に魔法力を張り巡らせることができる魔法使いは、そうそういるものではない。

 勇者の家庭教師を名乗ってからすでに十数年経ち、有名無名を問わずに様々な魔法使いに会った経験のあるアバンだが、その中で瞑想で身体を光らせることのできる魔法使いは、片手で数えるほどしかいなかった。

 残念ながら、アバンは経験上、実感している。
 魔法使いという者は、世間の人が思っているほど特別ではなく、普通の人間に近い存在なのだと。

「あーあ、魔法使いになったら、いろいろなことを魔法でちょちょいとかたづけられると思ってたのになー」

 ちょうど、アバンが思っていたのと同じようなタイミングで、ポップがボヤく。それがおかしくて、アバンはついくすりと笑った。

「おやおや。あなたはそう思うんですか?」

「だって、そうじゃないですかー。魔法使いになったって、暑い時は暑いし、このクソ暑い中をテクテクあるかなくっちゃいけないし、魔法使い用の修行ってとことん地味だしー」

 ぶつくさと文句を言いまくるポップに、アバンはそれを肯定してやった方がいいやら、否定してやった方がいいやら、迷う。
 ポップの文句は、当たっているようで当たっていないからだ。

 修行の地味さは本当の話だが、前半の文句に対しては真の魔法使いならば魔法を利用すれば、その程度のことは楽に対処できる。なにもこの暑さの中を歩かずとも、瞬間移動呪文を使って移動すればいいだけの話だ。
 そんなことは、アバンでさえその気になれば出来ることだ。

 だが、アバンはポップの前では瞬間移動呪文を使うつもりはない。この甘えん坊の困った弟子は、楽な方へと流されやすい性質の持ち主だ。ねだれば楽が出来ると知れば、そうしまくるのは目に見えている。

「あーあ、魔法ってもっといろいろ出来ると思ってたのになー」

 大げさに嘆く弟子に、アバンは真面目くさった顔で聞いてみた。

「いろいろって、たとえばどんなことですかね?」

 そう聞かれて、ポップは目を開けて空を仰ぎ見る。

「空とか、飛べたらいいのに」

 首をそらして空を見ているポップの目には、夢見るような表情が浮かんでいた。

「絵本なんかじゃ魔女がホウキに乗って空を飛んでいたけど、あれだとなんだかホウキが飛んでいるみたいでみっともないから、身一つで飛べたらいいのにな。鳥みたいに」

 そう言ってから、ポップは太陽の光が目に入ったのかまぶしそうに顔をしかめ、また目を閉じる。

「それに、天気とかもばぁーっと魔法で変えられたらいいのに。たとえば、こんな暑い日には雨とか雪を降らせるとかさ。あ、待てよ。そこまでしなくっても、魔法の力で周囲の気温を変えるだけでもいっか」

 つらつらと思いつきを口にするポップの言葉を、アバンは微笑ましさと軽い驚きを感じながら聞いていた。

 ポップが口にした魔法は、実際に存在する。
 相当にレベルの高い魔法ばかりだから誰にでも使えると言うわけではないが、アバンはマトリフがそれらの魔法を使ったところを見たことがある。

 子供っぽい夢と言ってしまえばそれまでかもしれないが、しかし、教わってもいないのもしないのにそれらの魔法に思い至ったことは評価するべきだろう。

「あーあー、本当にそうなればいいのに」

「それは、あなたの努力次第ですね。修行を積めば、いずれは叶う夢かもしれませんよ」

 励まし半分、冷やかし半分のつもりでそう言った時、アバンはそれに気づいた。

「……!?」

 眩いまでの日の光のせいで、目立ちにくい。だが、座禅を組んでいる魔法使いの少年の身体がかすかに燐光を放っているのを、アバンは間違いなく見た。
 それは、かつてアバンの仲間だったマトリフの瞑想時に見たのとひどく似ている光景だった。

「あ。先生、なんか涼しくなってきましたね」

 嬉しそうにそう言うポップの言葉に、アバンは戸惑いを覚える。涼しいも何も、風など全く吹かないせいで暑さに変化はない。むしろ、太陽がさっきよりも高い位置まで昇っただけに、暑さはジリジリと増している。

 しかし、アバンには思い当たることがあった。
 深い瞑想に至った魔法使いは、周囲の環境すら変化させることができると言う。伝説では、猛吹雪の荒れ狂う荒野や、灼熱の砂漠の中でさえ平然と座禅を組んでいた魔法使いがいたと言う。

 それはいささか誇張された話かもしれないが、少なくともマトリフが周囲の気候などものともせず瞑想していたことを、アバンは知っている。暑さで仲間達が参っている中、汗一つかかずに平然と瞑想していた老魔道士の姿を、昨日のことのように思い出せる。

 試しに、アバンはそっとポップの身体に手をかざした。集中を途切れさせることがないよう、実際には触れないようにギリギリにかざすように気をつけて。

 すると、確かにひんやりとした『何か』が感じられる。
 驚きに目を見張るアバンだったが――それは、長くは続かなかった。

「あー、でも、やっぱり暑いですね。先生、水を飲んでもいいですかぁ?」

 もう座禅に飽きてしまったのか、水をねだるポップの身体からはさっきの燐光は消えてしまっていた。今のポップは魔法使いと言うより、どこにでもいそうなごく当たり前の少年にしか見えない。

 だが、その内部には確かに魔法使い……いや、大魔道士の片鱗が隠されているようだ。
 アバンは苦笑して、水筒をポップに渡しながら言った。

「ええ、いいですけど飲み過ぎないようにしてくださいね。そして、水を飲んだらそろそろ行きましょうか、修行の道は険しいですからね」

「ええーっ、もうですか?」

 ポップは嫌そうな顔をしているが、彼が理想とする魔法使いへの修行の道は彼自身が思っているよりも、ずっと短いに違いない。アバンは、確信に近い強さでそう思った――。  END


 

 

《後書き》

 ポップの修業時代、アバンとの旅の最中のエピソードです♪
 と言っても、瞑想をしているだけの地味な話ですが(笑) でも、あの瞑想の修行はなんとなく好きなので、いろいろと想像しちゃいますね。

 筆者はやったことはありませんが、聞いた話によると座禅をする時は目を完全に閉じるのではなく、半眼にとどめた方がいいのだとか。目を完全に閉じると、妄想に囚われやすくなるそうです。

 イメージ的に座禅は長時間に亘ってするのかと思っていましたが、実際には割と短い時間で終わらせることが多いみたいですね。要は集中して、思考をからっぽのする時間を取ることが大切らしいとどこかで読んだことがあります。
 とは言え、場所やシチュエーションは大事な気がしますが。

 自宅の散らかった自分の部屋で座禅もどきをするのと、お寺で座禅をするのでは、天と地ほどの差がある気がします。
 ……って、こう考えてしまう時点で、凡人なんだろうなーって思いますけどね(笑)


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